四限目
犯人役との殺し合い。
その捜査が今、開始された。
改めて変わり果てた姿となった涼音を見上げる。
あまりに痛ましくおぞましい。しかし目を逸らしていては始まらないことも、オレには分かっていた。
「死因は後頭部の刺し傷のようだな」
涼音が吊るされている中央校舎に沿うように立っている津川が、時計を見上げながら言った。
オレも津川に倣ってみる。
雨で血の跡もほとんど残っていないが、確かに彼女の後頭部が時計の中心部にある針のようなオブジェに突き刺さっていた。
「おそらく屋上から突き落とされて、そのまま後頭部にオブジェが突き刺さったんだろう」
「あの死体、どこかで見覚えがありますね」
そう漏らしたのはユリアだった。
「見覚え?」
ユリアは自分の胸にある校章を外し、まじまじと見つめた。
「ええ。やはり間違いありません。これです」
全員が、彼女の手の中にある校章を覗き込む。
それは以前草壁から説明を受けた『刑死者』を模したデザインの校章だった。
足首から吊るされた男が、片足を曲げて宙に浮いているハングドマン。この校章は、その姿をモチーフにしたという。
「犯人は、これを真似て涼音さんを殺しちゃった……ってことですか?」
恐ろしさに震えながら、鳥江は息を飲んだ。
「見立て殺人、か」
忌々しそうに津川は呟く。
「それって、童謡や言い伝えの通りに人を殺して、被害者を過度に怖がらせたり、復讐したりするやつだよね? 確か、図書室にあったミステリー小説の中にあったけど」
「じゃあ今回の場合……犯人は涼音ちゃんをそれだけ恨んでたってこと?」
「むしろ、この学園に対するアンチテーゼに見えなくもありませんわね。草壁さん曰く、この学園はわたくし達を更生させる善意の象徴なのでしょう? その学園を表す校章をおぞましい死体で模倣する。この殺人学園を少しでも貶めようとする意志のようなものを感じなくもありませんわ。……ウフフ。まあ、ただの殺人鬼の妄想ですけれど」
草壁が正義と信じる殺人学園。それを象徴する校章に見立てて殺人を実行した。
確かにこれは、抗いようのない犯人からの、殺人学園に対する一つの反逆だと言えなくもない。
「……ねぇ。涼音は屋上から吊るされてるんでしょ? だったら早く屋上にいこ。……ずっとこんな風に吊るされてたら……涼音がかわいそうだよ」
「……そうだな」
一階から屋上までは、施錠されたドアの類は一切なく、すんなりと上へあがることができた。
屋上に特に変わったところはなかった。涼音が吊るされている南側の手すりにロープが括(くく)りつけられているくらいだ。
屋上の手すりの外側は庇になっていて、ロープはその先端にある雨どいから折れ曲がるように垂直に伸びている。ここからは確認できないが、その先に変わり果てた涼音の足首が括られているのだろう。
オレは、掴んでいた手すりを思わず握りしめた。
人殺しだと知ったオレを、最初からまったく意識せずに接してくれたのは涼音だった。生きる意味を見出せないオレに励ましの言葉を掛けてくれた時のことは、今でも鮮明に覚えている。
良い奴だった。
抜けたところがあって、世話を焼かされることもあったが、誰かを思いやる言葉を掛けることもできる……本当に、良い奴だった。
「……ぅ……く」
見ると、鳥江がとめどなく流れる涙を拭っていた。
世話焼きな彼女は、誰よりも涼音を気に掛けていた。きっとオレ以上に、辛い思いをしているんだろう。
「……どうしてですか? 涼音ちゃん、何も悪いことしてないのに。どうして殺されなくちゃいけないんですか?」
そうだ。涼音は悪いことなんてしていない。
殺人鬼の詳細をHPに記載したからなんだ。人間には真実を知る権利がある。彼女はその権利を他の人間に与えようとしただけじゃないか。
涼音を殺した犯人だって、本当は彼女を殺したかったわけじゃない。殺人学園という異常な空間がそうさせたのだ。
こんなもの、ほとんど殺人の強要だ。本当に罰するべきは、こんな異常な空間にオレ達を閉じ込める政府の連中だ。
しかしそのことに真っ向から反抗することのできない自分に、オレはぐっと唇を噛みしめた。
屋上に残った痕跡を調べ上げたオレ達は、死体の引き上げ作業に入った。
庇部分は人間が一人二人乗ってもビクともしない。そのおかげで、なんとか死体を屋上まで引き上げることに成功した。
屋上で仰向けに寝かされた死体を改めて観察し、その異常なまでに徹底されたビニルテープの拘束に、オレは思わず顔をしかめた。
もはやどの角度から貼られているのか判別するのも難しいほど、何重にもなったテープが指先から足先まで巻かれている。その拘束の強さは、こうして仰向けに寝ているにも関わらず、くの字に曲がった膝が浮いていることからも判断できる。
諸手を挙げた状態の腕と口をテープで巻かれているため、生前は首を動かすこともできなかったはずだ。
涼音は指一つ動かせず、最終的に屋上から突き落とされるハメになった。
校章を模倣させるにしても、ここまでする必要があったのかは甚だ疑問だ。
「美意識の高い犯人だな」
徹底した哲学のようなものを現場から感じ取ったのか、津川はそう言ってユリアを睨んだ。
歩く都市伝説は、殺しに美を追求していた。何かを追い求めているという点では、確かにこの犯行と彼女の嗜好には当てはまる部分があるような気がする。
「美意識? わたくしには機能的にしか見えませんが」
機能的?
どういうことか問い質そうとした時、如月の声が耳に入ってきた。
「これだけテープで巻かれた状態なら、ちょっと身体を揺する程度のことも難しそうだよね。やっぱり、何か意味があるのかな」
「そりゃ、暴れられないためにでしょ?」
「本当にそれだけ? わざわざ膝を屈ませたのには、何か理由があると思うんだけど」
「理由……理由……、わ、分かりました! その方がテープを巻きやすかったからですね!?」
津川は舌打ちした。
「違うに決まってるだろ、馬鹿が。正解は身長の調整だ。あの庇から突き落とした時、時計のオブジェがちょうど致命傷になるために、身長を“縮める”必要があったんだよ」
涼音を吊るすロープにはほとんど“あそび”がなかった。庇の先にある雨どいを支点にして彼女の後頭部を時計のオブジェにぶつけようと思ったら、どうしても身長を縮ませなければならなかったのだ。
「じゃあ犯人は、涼音に暴れられず、かつ突き落とした時に致命傷になるように身体を拘束して、ここから落としたの?」
オレは顎に手をやって考えた。
「草壁。犯人役には凶器も提供するっていう話だったな。犯人が睡眠薬か何かを使った可能性はあるのか?」
「もちろんありますよ。他にもナイフや拳銃の類まで、全て提供可能です。特殊な装置をご所望の場合も考慮はしますが、推理に支障を来たすと判断された場合はそれを公開することもあります」
つまり、今回犯人が何らかの特殊な装置を使った可能性は、今のところ否定できるということか。仮にそんな装置を使っていたとしても、自分で調達できるものから作成したことになる。
「たぶん犯人は、一連の作業をする前に涼音ちゃんを睡眠薬で眠らせてるね。じゃないとこれだけの作業はこなせない」
そこは清羅の言う通りだろう。
凶器を部屋に持ち帰るのは不可能ということだったが、睡眠薬なら処分も容易い。
「ねぇ。それで、一体どうやって犯人探しするの? アタシこういう頭使うの苦手なんだけど」
「最初は、やっぱりアリバイについて聞いていくのがセオリー……ですかね」
「でも、それをするにはまず正確な犯行時刻を割り出す必要があるね」
「ユリア。お前は確かエンバーミングの経験があったな。その知識で犯行時刻を割り出せないか?」
一縷の期待を込めた問いだったが、ユリアは無情にも首を振った。
「医学生を目指していたわけではありませんからね。必要な知識以外は素人同然です」
「他に、医学知識を持ってる人っているのかな」
当然のように、誰も首を縦には振らない。
どうしたものかと頭を悩ませていた時、ふいに津川がこぼした。
「お前らに一つ朗報だ」
いつの間にか庇の上へ移動していた津川が、手すりを乗り越えて戻って来る。
「犯行時刻については、どうやら簡単に分かるようだぜ?」
オレ達は、津川に導かれるように校庭へ戻り、その言葉の意味を理解した。
涼音の命を奪った十字型の時計。
死体が邪魔で今まで分からなかったが、その時計は十一時三十分で止まっていた。
何か大きな衝撃を受けたらしく、その反動で中のネジが歪み、長針も短針も微動だにしなくなっていたのだ。
「これって、死体がぶつかった衝撃で壊れたってことだよね」
そういえば、ちょっとした衝撃で壊れるようなボロボロの時計だと草壁が言っていた。
「他に衝撃を受けた痕跡はないのかな」
清羅の言葉に、津川が怪訝な表情を向ける。
「考え過ぎかもしれないけど、犯人が犯行時間を誤認させるために、あらかじめ壊していた可能性もあるから」
なるほど。
確かにその可能性は考えておくべきだ。
「見たところ二回も衝撃を受けた形跡は見当たらないが……おい、どうなんだ草壁?」
「ん~……まあそうですね。この程度の質問なら答えてあげましょうか。はい、津川君の言う通り。この時計が受けた衝撃は一度だけです。ちなみに電波時計なので、時計の針を弄ったりすることもできませんよ」
津川はそれを聞き、じっと考え込んでいる。
「……とにかくさ。アリバイを言っていこうよ、アリバイ。せっかく涼音が十一時半に殺されたことが分かったんだし、これで犯人が分かるんでしょ?」
前嶋の提案に反対する理由もなく、全員が頷いた。
そんな簡単に分かるならありがたいが、アリバイなんて犯人が真っ先に気を付けるところだ。
命の掛かった殺人ゲームで、そこを疎かにしているとはどうしても思えなかった。
「私は朝食のあと、しばらく自室にいたよ。確か十時くらいからは耕ちゃんとずっと一緒にいたよね?」
「ああ、間違いない。オレも部屋で本を読んでいたが十時に清羅が訪ねて来て、それからすぐに二人で食堂に向かい、鳥江と前嶋に会った。四人になってからはずっとトランプをしていたぞ。途中で鳥江が抜けたが────」
「十二時です! 十二時にちょっと用事があって抜けました!」
自分のアリバイが証明されたことが嬉しいのか、鳥江は勢いよく答えた。
「それで、ちょうど入れ替わりに如月君が入ったんだよね」
如月は頷いた。
「それから昼食の時間までは、四人一緒だったね」
「ならこれで、オレと清羅、前嶋と鳥江のアリバイは証明されたな。津川はどうだ?」
「俺は朝食の後、如月を捕まえてユリアと話をしていた。色々と探りをいれて、事件が起きる前に犯人役を見つけてやろうと思っていたからな。犯人候補として一番可能性の高いユリアとまずはコンタクトをとっていたってわけだ。無論、一人で殺人鬼と相対するほど馬鹿じゃねえから、如月は保険で連れて行った」
如月は苦々しく笑っている。
津川に無理やり付き合わされたであろうことは、聞かずとも良く分かった。
「だがこの女、しばらく話をしただけでさっさと自室に逃げ込みやがったんだ」
「面倒でしたからね。確かそれが十時前後だったと思います」
「気に食わなかったが、逃げられたものは仕方ない。ついでと思い、今度は矛先を如月に変えたんだが、あろうことかこいつまで逃げ出しやがった」
「あ、あはは……」
そりゃそうだろ。
誰が好き好んでクラスメートから尋問を受けたがるんだ。
「ちなみにそれはいつのことだ?」
「えっと、確か十一時頃だったと思うよ」
津川が話を続けた。
「俺は幸運にもその直後、フロアで寛いでいるユリアと遭遇してな。二人きりということに多少危険は感じたが、さすがに宿舎のど真ん中で殺しなどしねえだろうとタカをくくり、話を聞かせてもらった」
「おかげで無意味な二時間を過ごしましたわ」
ユリアはため息交じりにそう言った。
これで一応、全員のスケジュールが出揃ったわけか。
一旦整理しよう。
まず朝食の時間が八時。その時には涼音が生きている姿を全員が確認している。
朝食後は前嶋と鳥江、如月と津川とユリア、清羅、そしてオレという四組に別れて過ごした。その時間、アリバイがないのはオレと清羅だ。
そして十時になると、オレと清羅と前嶋と鳥江、津川と如月、そしてユリアという形に別れた。この時間帯、アリバイがないのはユリア一人。
十一時はオレと清羅と前嶋と鳥江、そして津川とユリアが組になり、如月にはアリバイがない。
十二時になると今度は鳥江が一人になり、トランプ組に如月が加わった。津川とユリアは昼食までずっと一緒。
……こんなものか。
まるで示し合わせたように、各々にアリバイのない時間帯が存在する。
しかし……
「……十一時半にアリバイがないのは如月。アンタだけね」
「ええ!?」
如月は怯えた表情で首を振った。
「僕じゃない! 僕じゃないよ!! 人殺しなんて、僕にできるわけないよ!」
「じゃ、じゃあ、十一時から十二時の間は……何をしてたんですか?」
「そ、それは……部屋で本を読んでた」
「それを証明するものは?」
「……ない」
全員が、疑いの目で如月を見つめている。
「で、でも違うんだ! 本当に僕じゃない! 信じてよ!!」
その言葉に、皆は思わず目を伏せた。
如月は気配りができて、困っている人間を放っておけない良い奴だ。
そんな如月が誰かを殺したなんて、到底思えない。しかしそんなことを言えば、ここにいる全員、オレには人殺しだとは到底思えなかった。殺人鬼であるユリアでさえも、ここにいる仲間と接して、それを多少なりとも楽しんでいるようにオレには見えた。
短い間とはいえ、同じ学園生活を送ったクラスメートを殺すなんて……。
「ねぇ。ちょっといいかな」
突然、清羅が手を挙げた。
「ここで言い合っていても仕方ないし、もう少し捜査を進めてから、改めて答えを出すっていうのはどうかな。時間はまだあるんだし、結論を出すのはもう少し先でもいいと思うんだ」
その言葉に一番安堵したのは、たぶん如月ではなく、他の皆だろう。
好き好(この)んで仲間を殺したい奴なんていない。それはきっと、今回の事件の犯人もそうだろうと、オレは信じたかった。
「捜査って言っても、何かアテはあるの?」
「うん。ほら、涼音ちゃんに巻かれてあったビニルテープとかロープとかってさ。たぶん、あのコンビニから調達したんじゃないかと思うの。もしかしたら、あそこに何か犯人に繋がる手がかりがあるんじゃないかと思って」
「そういえば、犯行現場もまだはっきりしていませんでしたね。涼音さんが休日にわざわざ学校へ訪れるとも思いませんし、もしかしたら……」
コンビニで涼音を襲い、睡眠薬で眠らせた。
確かにその可能性は高そうだ。
「なるほど! それは名案です!! 私も一緒に行ってお手伝いします!!」
ようやく自分にもできることが見つかり、鳥江は嬉々としている。
「わたくしもお供致します。どうせやることもありませんし」
「……僕もそうするよ」
か細い声で、如月は呟いた。
やはりと言うべきか、全員から犯人だと疑われたことで、少し堪えているようだった。
「で、津川と神城はどうするの?」
「オレも一緒に行く。津川は────」
「俺は用事がある。行きたければ勝手に行け」
津川はにべもなく言った。
それに反応したのは前嶋だ。
「はあ? アンタなに協調性の欠片もないこと────」
オレは慌てて前嶋を遮った。
「落ち着けよ。別にずっと全員で行動しないといけないルールなんてないだろ?」
「まあ、そうだけどさ」
前嶋は不満げに口をすぼめながらも、渋々矛を収めた。
「ですが、単独行動を許すのはわたくしも得策とは思えません。犯人が証拠を隠滅するために動くこともあるのですから」
その時、今まで静観を決め込んでいた草壁が急に口を開いた。
「ああ、それなら心配ナッシングです。殺人が発覚し、我々教師役が介入した時点で犯人がそのような行動に出るのは禁止しております。捜査中に証拠隠滅なんて、見てるこっちからすれば興ざめですからね。クッフッフ」
まるでテレビか何かでも観ているような言い草だ。
オレは怒りを抑えるのに必死だった。
「とにかく俺は行かねえ。捜査は勝手にお前らでしていろ。……神城。あとで報告してもらうからそのつもりでいろよ」
津川の目配せに、オレは頷いた。
「……分かった。大丈夫だとは思うが、そっちも気をつけろ」
「誰に言ってるんだ、馬鹿が」
津川はそう言い残すと、そのまま校舎に入って行った。
「ったく。なによ津川の奴」
前嶋はまだ怒りが収まっていないのか、ぶつぶつと文句を言っている。
「で、でも、津川さんの用事ってなんなんでしょう……」
「おおかた、屋上近くの教室に用事でもあるんだろ」
「え?」
オレは死体がぶら下がっていた時計を見上げた。
ちょうどそのすぐ真下には、三階の教室の窓がある。
「とにかく、オレ達はコンビニだ。目当てのものが見つからなかったら、捜索範囲を広げなくちゃならないこともあるだろうからな。今から気合をいれておけよ」
そう言うと、オレは項垂れている如月の背中をばしんと叩いた。
「いてっ! ど、どうしたの、神城君!?」
「堂々としてろ。お前は犯人じゃないんだろ」
如月の暗い顔が、少しだけ明るくなった気がした。
少なくとも、先程まで丸まっていた背中は、ちゃんと伸びている。
「……うん。ありがとう」
その様子を、前嶋は複雑な顔で見つめていた。
◇◇◇
コンビニに到着すると、早速全員で中を隈なく調べ始めた。しかしやはりというべきか、探索が必要な場所は既に他の皆が調べてくれていて、すぐにオレは手持無沙汰になった。
どうしたものかと適当にぶらついていると、すぐに自分と同じ人間を見つけた。
「ユリア」
どう考えても今調べる必要のない陳列棚の書籍を読んでいたユリアに、オレは声をかけた。
彼女はちらと一瞬だけこちらに視線を寄越し、再び書籍に目を戻す。
「お説教なら聞きませんよ」
「そんなつもりはない。オレも手持無沙汰だったしな」
「意外ですわね。不謹慎だと言って怒られるのかと思いました」
「……オレは、そんな風に人を叱れる立派な人間じゃないからな」
ぱたんと、ユリアは本を閉じた。
「どうやら、わたくしとお話をしにいらしたようですね。何が聞きたいのです?」
オレは思い切って聞いた。
「人を殺すって、どんな感じだ?」
彼女はくすりと笑う。
「同じく人を殺したあなたが聞くこととは思えませんわね」
「オレは成り行きみたいなものだ。お前みたいに、殺しについて酸いも甘いも知っているわけじゃない。だからこそ、誰よりも殺しに詳しいお前に、聞いておきたいんだ」
ふむと、ユリアは少しだけ考え、そして口を開いた。
「人を殺す感じ、ですか。そうですわね……。人を殺したことのない人間になら、あなたが思っているほど劇的なものではありませんよ、という風に説明するかもしれません」
それは少し意外な回答だった。
人殺しといえば、人間社会における最大のタブーともいうべきものだ。
日本という国がおかしくなる前から、殺人は最大の禁忌として認識されていたはずだ。
人殺しという行為は、殺された人間だけでなく、周りにいる大勢の人間の人生をも変えるもの。それが劇的ではないなんて、とてもではないがオレには言えなかった。
「その動機が復讐だろうと快楽だろうと金銭だろうと、別にそれで世界が開けるわけでも、何かが大きく変わるわけでもない。変わるとすれば、それはそのように錯覚した人間の意識です」
意識。
オレは清羅の父親を殺した時のことを思い出した。
「親しい人間が死ねばショックを感じるでしょう。もしかしたら怒り狂うかもしれません。その感情が、人にとても重要なものを忘れさせる。死というものが身近にあるように、生というものが遠い場所にあるという事実をです。どれほど身近な人間に死が訪れようと、人は代わりを見つけられる。何故ならこの世にただ一つだと声高に唱えるその生を、この世の誰一人として理解している者がいないからです」
生を理解していない。
それを聞いた瞬間、今この場で話をしているユリアが、まるで何でもない無機物のように感じた自分がいて、オレは思わずハッとなった。
「人間の命は尊い。人を殺せば戻ってこない。ならここにある一冊の本は、ただ一つのものではないのですか? 命に価値があると思っているのは、自分の命が大切なものだという錯覚に囚われているからなのです。そこから派生する共感が、命に価値を与えている。本来、生とは意識を介したわたくし達にとって、おとぎ話に出て来るキャラクターと何ら変わりはありません」
その時、どうしてユリアがオレにこんな話をしてくれるのかを理解できた気がした。
自分の命を大切だと思えない人間が、誰かを大切になんて思えない。
漠然と感じていたものが確信に変わる。
オレとユリアは、どこかが似ていた。
「殺人というのは、どれほどの悪意で実行されても、どれほどの善意で実行されても、本質的には全て同じです。少々グロテスクで、退廃的で、滑稽で。罪の意識や刑罰というものを度外視すれば、映画に出て来る人死にのワンシーンを観賞するのと変わらない。ただ……」
「ただ?」
「人を殺した人間は、そのことを決して忘れることはできないでしょう。あるいはその罪の意識から。あるいはその甘美な誘惑から。プラスの感情であれマイナスの感情であれ、多かれ少なかれ、その人間は人殺しという行為から、一生逃れることができない」
彼女はにこりと笑った。
「それが人という種族の欠損であり、同族を殺すということです」
「……なるほどな。良く分かったよ」
きっとその欠損は、殺人鬼である彼女でも変わらず持っているものなのだろう。それでも人を殺すのは、物と命の違いを、彼女なりに見極めたいと考えているからなのかもしれない。そしてあわよくば、命というものに価値を見出すことができればと、本気で願っているのかもしれない。
ならば、この事件の犯人はどうなんだろうか。命を、どのように考えているのだろうか。
生き永らえるために人を殺し、仲間を騙し、逃げ延びようとしているこの犯人は。
「おーいお二人さん! なんか見つかったみたいよー!」
前嶋の声にオレ達は顔を見合わせ、すぐにそちらへ向かった。
そこにはほとんど使い切られた状態のビニルテープの芯と、ロープが入っていたと思われる開封された袋、そして何らかの液体が入っていたであろう小さなビンが置いてあった。
「たぶん、このビンに睡眠薬が入ってたんだと思う」
「どこにあったんだ?」
「私が見つけた時は、普通に床に転がってましたよ」
随分と大胆な犯人だ。
どうせ処分してもすぐに見つかると判断したんだろう。
「あと、やっぱりビニルテープもロープも、この店に置いてあるものだったみたい。犯行現場にあったものとまったく同じものが棚に並んでたし。ただ……」
「ただ、なんだ?」
「なんかよくわかんないんだけどさぁ。ロープが入ってた袋が二つあったんだよね」
二つ……?
「屋上にロープは一本しかなかったよな?」
「うん。そのはずだよ。ということは、犯人がどこか別の場所で使った可能性がある、ってことだね」
別の場所で。
なら、やはり津川が目をつけた通り──
その時だった。
突然、校舎の方からスピーカーを通して声が聞こえてきた。
『お前ら。聞こえるか?』
「この声って……、津川君ですよね」
『今すぐに校庭に集合しろ』
「また自分勝手なこと言って」
しかしそんな前嶋の不満は、次の言葉を聞いてすぐに引っ込むことになった。
『犯人が分かった』
その言葉に、全員が一瞬の内に固まった。
『十分以内に来い。俺は待たせるのは好きだが、待たされるのは嫌いだ』
それを最後に、スピーカーからの音声は聞こえなくなった。
「……い、今のホント? 犯人がわかったって……」
「津川がこの手のことで嘘を言うとも思えないしな。とりあえず校舎に集まろう。話はそれからだ」
オレ達は逸る気持ちを抑えつつ、コンビニをあとにした。
◇◇◇
「よく来たな」
校庭の真ん中で、津川はオレ達を出迎えた。
まるでこの場が、自分のために開かれた披露宴か何かのようだ。
「ねぇ。さっきの放送で言ってたこと、ホントなの?」
「もちろんだ。俺はこんな事件で一日も使うほど馬鹿じゃねえ」
そう言って、津川はメガネをくいと上げる。
「で、犯人は誰なのです? 順当にいくと如月さんということになりますが」
「ぼ、僕じゃない! 本当に僕じゃないんだ、津川君!!」
「知っている。いちいち喚くな」
当然のように告げられる言葉に、如月は喜ぶ前に唖然とした。
「如月君は犯人じゃないの?」
「当たり前だ。犯人を当てられたら死ぬようなゲームで、犯行当時のアリバイを作らないなんて馬鹿以下だ。以前のデモンストレーションを見るに、如月はそれなりに頭も回るようだしな」
「でも、時計が故障して正確な時間を知られることは、犯人も意図してなかったんじゃありませんか?」
津川は鳥江を睨んだ。
鳥江はビクリと震え、一歩後ろに下がる。
「まあいい。順序立てて話すか」
津川は改めて、オレ達を見回した。
「まずお前らに質問だ。鬼瓦涼音は一体どこで殺されたと思う?」
突然の奇妙な質問に、全員が首を傾げる。
「……はぁ? そんなのあの屋上に決まってるじゃない」
「不正解だ」
「な、なんでよ! どう見たって屋上から突き落とされて殺されてるでしょ!」
津川はあからさまにため息をついた。
「仕方ねえからお前らにも分かるように一から説明してやるよ。まず、最後に涼音を見たのは誰だ?」
全員が顔を見合わせる。
朝食の後に彼女を見かけた人間がいるなら名乗りを挙げるはずだ。
オレは少ししてから手を挙げた。
「朝食を終えた直後に、涼音がコンビニへ出かけるのを見かけたぞ」
「涼音さん、出掛けたの? この雨の中?」
如月の問いにオレは頷いた。
「あいつは毎日十時と十五時に『のび~るパン』っていうコンビニで売ってるパンを食べるんだ。それを買いに行ったんだよ」
「じゃあ次だ。俺達のいる宿舎は、いつも朝食の際に部屋が清掃されるようになってる。これは間違いないな?」
「うん。間違いないよ。ごみ箱に捨ててないものも、ごみと見做されたものは全部清掃の対象になってるみたいだった」
それに関しては、オレも確認済みだ。
気が利かないくらいの徹底ぶりだった。
「ということは、だ。俺達全員が涼音の部屋に入った時、テーブルの上にあったパンの袋は、今日になって破られたものってことだ」
「……ちなみに、何者かが部屋にそれを置いた可能性はあるのですか?」
オレは首を振った。
「いや、それはありえない。部屋は指紋認証のオートロック式で、本人しか入れない。唯一入れるのは草壁だけだし、何より他人の部屋に入るのはルール違反だ」
草壁が元気よく頷いた。
「その通りですよ~。ルール違反者は容赦なく罰しますから、そこは安心してください」
前嶋は真剣な様子で考え込んでいる。
「……よくわかんないんだけどさ。そのパンの袋が何か事件に関係してるわけ?」
「わからねえのか? 涼音は毎日十時と十五時にパンを食べていた。そして朝にコンビニへ向かう涼音が目撃されている。しかし奴は一つのパンしか買っていない」
「あー、確かに変ね。でもさ。それってただ単に買い忘れたとかそんなんじゃないの? 涼音ならやりそうだし」
「そうだな」
普通に肯定されて、逆に前嶋は当惑した。
「そうだなって、じゃあますます今話し合ってる問題がわからないんですけど?」
「犯行時刻が十五時以前なら、涼音の部屋から見つかったパンの袋は午前十時に食べたものということになる。つまり、涼音は午前十時の段階で、宿舎の部屋の中にいたということだ。そして部屋にもう一つのパンが存在しない以上、涼音は再びコンビニへ向かった可能性が高い」
「……だから?」
津川は思わず舌打ちした。
「ここまで話して分からねえとはな。まったく、馬鹿は罪だぜ」
ひくひくと頬を痙攣させながら、前嶋は不格好な笑みをみせた。
「馬鹿のために一から教えてくれませんかね~」
「仕方ねえな」
前嶋が殴りかかろうとするのを如月が必死で止めた。
「つまりだ。犯人は被害者である涼音をある程度コントロールできたかもしれねえってことだ」
「コントロール?」
「誰だって二度手間でコンビニに行くなんて、考えただけで億劫だろ。だがもしも誰かが付き合ってくれるなら、少なくとも道中の退屈は潰せる」
「……つまり涼音は、二回目の外出の時、誰かに誘われてコンビニへ向かったってことか?」
津川は頷いた。
「だけど、それは危険じゃないかな。万が一涼音さんと犯人が一緒に歩いているところを見られたら、それだけで容疑が深まっちゃうし……」
「その時は中止にすればいい。犯行の機会なんていくらでもあるからな」
ユリアは顎に手をやり、考えながら言った。
「犯人は鬼瓦さんと共にコンビニへ向かった。……それで? 津川さんはその先のトリックについて気づかれたことがあるのでしょう?」
「チッ。先走りやがって。まあいい。ユリアの言う通り、今回の事件にはあるトリックが仕掛けられてあった」
トリック。
デモンストレーションの時にも重要なファクターとなったものだ。やはりこの事件にもトリックが使われているのか。
「最初に言っておく。鬼瓦涼音の死因は後頭部の刺傷なんかじゃあねえ」
「……え?」
「外傷の残らねえ死因。ま、おそらくは毒殺辺りだろうな」
オレはあの生々しい現場を思い出した。
涼音の後頭部に突き刺さったオブジェからは、雨でほとんど流れ落ちたものの、確かに血痕がこびりついていた。あれを見て、涼音の死因が外傷のないものだなんて、十人いて十人がノーと言うだろう。
「ど、毒殺!? アンタなに言ってんの!? どう見たって涼音の死因は……!!」
「だから、そうやって決めつけさせることが犯人の目的なんだよ」
未だ突っかかろうとする前嶋をオレは手で制した。
ここでそのことについて言い争っていても、いたずらに時間を消費するだけだ。
「仮に毒殺だったとしよう。それで一体何が分かるんだ?」
「涼音の死因は毒殺。そして死んだ時間も十一時半じゃねえ。これらの条件が当てはまった時、犯行時刻は俺達が思っている時間よりも遅くなるってことさ。そうだろ? 鳥江結」
そう言って、津川はあまりにも自然に、草壁から配られたクリシスと呼ばれる銃を鳥江に向けた。
「つ、津川君! 何をしてるの!? ひとまず正気に戻ってその銃を──」
「俺はこれ以上ないくらい正気だが?」
確かに、津川の声から読み取れる精神状態は至って冷静だった。むしろ津川の周りにいる人間の方が、よほどうろたえていた。
銃口を向けられている鳥江に至っては、狼狽し今にも過呼吸を起こしそうなほどだ。
「と、とにかく銃を仕舞いましょう。一度ちゃんと話し合って……」
「だから、話し合うために銃を向けてるんじゃねえか。なぁ? 鳥江」
がちゃりと撃鉄を引く。
その瞬間、鳥江の首輪のランプが緑に光った。
草壁にやらされた実演を思い出す。
緑のランプが灯ると、過度に接近したり逃走を図ることができなくなる。これは銃を向けた人間と向けられた人間との間に一つのバトルが発生した合図でもある。
テミスの審判。
推論を用いて相手に負けを認めさせれば引き金を引く事ができ、またできなければ引き金は引けない。
生死を賭けた、命がけの推理勝負。
「まま、待ってください! 今のままじゃ、なんで私が犯人だと疑われてるのかも分かりません! だ、だって涼音ちゃんが死んだのは、私にアリバイがある十一時半ですよね!? 現に時計も十一時半で止まってる!」
ほとんど半狂乱に近い抗弁だった。それに比べ、銃口を向ける津川は冷静そのものだ。
「言っただろうが。トリックだよ。草壁も、時計が止まったのは死体が落下した衝撃のせいだとは言ってなかっただろ」
草壁はにやにや笑っている。
「それってつまり、時計が止まったのは、死体の落下とはまったく別の衝撃を受けた時……ってこと?」
津川はにやりと笑って頷いた。
「真相はこうだ。お前は朝早くに校舎へ出かけ、とある仕掛けを施した。校舎の時計を十一時半に破壊する仕掛けだ。まず屋上で死体を吊るしていたものと同じロープを用意し、同じ手すりに括(くく)り付ける。ただしその先に括りつけるのは死体じゃなく、その代わりになる重りだ。それを時計の下に垂れ下げておいて、鳥江は時計の真下にある三階の窓から長い板か何かでその重りを引っ掛け、庇についた雨どいと水平になるまでそれを持ち上げた。その板が外れれば、振り子のように重りが振り下ろされ、時計にぶつかるようにな。あとはその板が時間になると外れるようにするだけだ。おそらく、全員に支給されたあのツインベルの目覚まし時計を使ったんだろ。十一時半にセットして机の上にアンバランスな形で置いておけば、アラームが鳴った拍子に落下する。その下にてこの原理を用いた仕掛けを用意し、板を支えていたものをどかせれば、そのまま重りが落下して時間通りに時計を破壊できる」
推理が展開される度に、鳥江の顔はみるみるうちに青くなる。
「時計を時間通りに破壊できれば、あとは簡単だ。涼音に無理やり毒を飲ませて殺害。重りのついたロープを今度は死体にすげ替え、そのまま吊らしておく。そして再び三階に行くと、今度は別のロープで死体の両手を縛り、後頭部にオブジェが刺さるように調整してから思い切り引っ張った。その勢いでオブジェは涼音の後頭部を貫き、俺達が見た現場と同一のものが完成するってわけだ」
「……そうか。この方法なら、時計を壊す衝撃は一回だけになる」
「その通りだ。衝撃が一度だけなら、あらかじめ時計を壊しておいたという可能性をオレ達の頭から消し去ることができる」
徐々に、鳥江の周りから皆が離れ始める。
そのことに鳥江は気づきつつも、何も言えないでいた。
「このトリックは時計を破壊した仕掛けを後々回収しなければならない。つまり本当の犯行時刻が十一時半以降でないと成立しないってわけだ。よって、十一時半以降のアリバイが唯一存在しない鳥江結が犯人になる」
「……た、確かにそれなら、十一時半でなくとも涼音ちゃんは殺せますけど……、し、死体の運搬はどうするんです!? まさか涼音ちゃんが学校の屋上まで来てくれたなんて言いませんよね!?」
「屋上に続く階段の裏から台車が見つかったぞ。昇降ボタンがあって台座が上下に動く優れものだ。人一人なら十分運搬は可能だし、ご丁寧に雨に濡れた跡まであった」
「そ、それじゃ階段は上れません!」
「エレベーターは屋上まで直通だ。問題なく死体を運べる」
鳥江は必死で頭を働かせているようだった。
忙しなく指を動かし、視線を彷徨わせている。
「そのトリックを使ったっていう証拠がないじゃないですか! 言うだけならいくらでもでっちあげられますよ!」
そう叫ぶ鳥江の顔は、彼女のものとは思えない形相だった。
しかし普通なら怯みそうな怒声にも、津川は涼しい顔をしている。
「死後の流血は生前と違い僅かしか流れないが、雨の中ならその痕跡を消すことができる。だから雨の日の今日、殺人を決行したんだろ? まったく、良く考えたもんだ。敵ながらあっぱれだぜ」
「な、なに訳の分からないことを言ってるんですか! 私の質問にちゃんと答えてください! そのトリックが実行された証拠がなければ、私が犯人であるとは言えないんですよ!!」
津川はにやりと笑った。
まるで、言質を取ったと言わんばかりの笑みに、鳥江も思わず口をつぐむ。
「だがな鳥江。その肝心の雨に、お前は足元を掬われたんだよ」
鳥江は津川の言っていることが理解できないようだった。
ただただ困惑し、その先にある未来に怯えている。
「さっきそのトリックが使われたであろう教室に入ってみた。窓は締められていたが、トリックの性質上、その窓はかなり長い間開けておかなければならなかったはずだ。当然、その分部屋も濡れることになる。さっき確認したが、例の部屋の窓周辺は、かなり湿っていたぜ?」
鳥江は咄嗟に口を開く。が、反論の言葉は出て来ない。
「まだ足りないか? ならお前が使用した板を見つけてやった、というのはどうだ? 宿舎のトレーニングルームから持ち出した、死体の代わりに使った十キロ相当のダンベルと一緒にな。ダンベルは綺麗に拭き取られていたが、木製の板は水が沁み込んで、乾かすことはできなかったようだな」
決定的だ。
もはや言い逃れは不可能なほどに、鳥江は論破されてしまった。
「何か反論はあるか?」
「……ち、違う。違う違う違う。私は違う。犯人なんかじゃない」
ぶつぶつと呟き、そこで何かに気付いたように顔を上げる。
「で、でも涼音ちゃんが誰かとコンビニに行くなんて変じゃん! 私が犯人役かもしれないのに、二人きりになんてなる!?」
「この中で、涼音と二人きりになった奴はいるか?」
津川がオレ達を見回す。
「図星か? 神城」
オレは思わず唇を噛んだ。
「……前に、屋上で二人きりになって、少し話をした」
津川は自分の予想通りの証言が出たことに満足したのか、頬を緩ませた。
「つまり涼音は、元々そういう危機感に疎かったというわけだ。それにお前は、涼音に対して色々と世話を焼いていたからな。警戒心が緩くなるのも頷ける。……さて、まだ反論があるなら聞くが?」
鳥江は思わず膝をついた。
その時だ。
ピー、という電子音が聞こえ、首輪のランプが青色に点灯した。
「……どうやら、俺の勝ちのようだな」
鳥江はぶんぶんと首を振る。
「違う! 本当に違う!! 結は犯人じゃない!! う、うそだこんなの。絶対嘘。や、やめてって!! 本当に違うんだって!!」
鳥江は泣きじゃくりながら草壁に縋り寄った。
「草壁先生~!! 先生は知ってますよね!? 私が犯人じゃないって言ってください!! ねぇ草壁先生!!」
「はぁ~。見苦しいですねぇ、鳥江結さん。もう諦めたらどうですか?」
それは彼女を絶望に突き落とす言葉だった。
「あ、今理不尽だと思いましたね? 自分は殺されるようなことはしていないと、そう思いましたね? まったく、なんておこがましい考えなんだ。あなたはそもそも死刑になるところだったんですよ? この数日は、まあいわばおまけですよ、おまけ。なのに今更生きたいだなんて。止めて欲しいですね~。そういう“つけあがり”は」
「……あ、あぅ……」
草壁は、ずいと鳥江に顔を近づけた。
「あ、後悔してます? 心の底から? それは素晴らしい! つかの間の日常が君に欲を与え、それを無残にも摘み取られた。こうして人は、他人の痛みを理解するのです。ま、もう死んじゃいますけどね」
草壁はそう言って、高らかに笑った。
そのあまりに偽善的な発言に、あの津川でさえ眉をひそめている。
しかし、本当にこのまま鳥江を犠牲にしていいのか? 鳥江はこの殺人学園の犠牲者だ。こんな狂った更生プログラムさえなければ、殺人に手を染めることなく善人として一生を終えることができた。そんな彼女を、今ここで殺すのか?
……そうだ。鳥江だけじゃない。犯人を推理するということは、その犯人を殺すということだ。その手を血で染めるのは、彼女を摘発した津川も同じなのだ。
『人を殺した人間は、そのことを決して忘れることはできないでしょう』
ユリアに言われた言葉が、脳裏に蘇った。
「……じゃあな鳥江。せめて、一人でも多く生き残るように力を尽くしてやる。それが、お前と涼音への唯一の手向けだ」
「待っ──!!」
オレの声は、銃声によってかき消された。
鳥江が地面に倒れる。
唖然としながら見下ろしていると、彼女の首元から沁み渡るように血だまりができあがっていく。
死んだ。
子供が好きで、世話焼きで、誰かのために懸命になることに喜びを感じる優しい彼女が、今ここで死んだ。
オレは思わずへたり込みそうになったが、気力で我慢した。
ここでそれをするのは、自ら手を汚すことを決断した津川に対する侮辱だ。
津川は、じっと死んだ鳥江を見下ろしていた。
いつものように、研ぎ澄まされた鋭い目つきをしている。しかしその内側には、様々な感情が錯綜しているはずだった。
「……津川。すまん」
オレの言葉に、津川はふんと鼻を鳴らし、クリシスを仕舞った。
「俺はお前と違って、いちいちこんなことで気を揉んだりしねえんだよ」
「……それに、まだ半分、なんだよね」
そうだ。
犯人役はもう一人いる。それを当てない限り、殺人学園は続くのだ。
「……とにかく、一旦宿舎に帰ろう。みんな今日は疲れ切っているだろうし」
ぞろぞろと、オレ達は宿舎の方へと向かって行く。
その時だった。
「……馬鹿な」
津川がそう漏らし、オレは怪訝に思って振り向いた。
津川の驚愕の表情。オレは思わず眉をひそめる。
その時、津川の口から赤い液体が零れ落ちた。
オレは声を出せなかった。
隣では清羅が青ざめた表情で口を押え、いつも冷静なユリアが目を見開き、如月が震え、前嶋が後じさっている。
どさりと、津川の身体が倒れる音が聞こえて、オレ達はようやく現実を認識した。
「きゃああああ!!!」
清羅の悲鳴が響き渡る。
「な、なんで!? なんで津川が死んでんの!?」
仰向けに倒れている津川の首元からは、鳥江と同じように血だまりができつつあった。
死んだ? 津川が? どうして?
疑問が脳内で飛び交い、くらくらとめまいがする。
「も、もう一人の犯人役が殺したの!?」
動悸が止まらない。
あまりにも急激な感情の変化で、吐き気までしてきた。
「いやああ! いやあああああ!!!」
オレはその声を聞いてハッとした。
そうだ。オレが混乱してる場合じゃない。
泣き叫ぶ清羅の前に飛び出て、その肩を掴んだ。
「清羅! 落ち着け!! オレの顔を見ろ!!」
オレが必死に叫び、彼女を宥めていた時だった。
「クフ。クフフフ。クフフフフフ」
そのあまりに恐ろしい笑い声に、オレ達の混乱はすぐに止まった。
全員が、声の主に目を向ける。
草壁は、今まで見せたことのないような、極上の笑みを浮かべていた。
その恐ろしい顔に、背筋が凍る思いだった。
「安心してくださぁい。これは犯人役による殺害ではありません」
「じゃ、じゃあなんなんだ! なんで津川が……!!」
「あれぇ? 最初に説明しましたよね。無責任に犯人を指摘して、間違ってたらすみませんの探偵なんて、探偵じゃないって。犯人が人を殺す時にリスクを負うように、探偵も推理をする時にリスクを負うんだって」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それは反論されるリスクであって……」
「推理することへのリスクはもちろん反論されることですが、それだけだと殺しに関するリスクがありませんよねぇ? 犯人役は殺害現場を見られただけで即処刑です。なのに探偵は、人を殺す推理をする癖にリスクが反論のみ? それはフェアじゃないなぁ、うん。フェアじゃない。公平公正を信条とする僕からすれば、許されることじゃない。だからこそ、僕はもう一つ、とっておきのリスクを用意したのです」
草壁はそう言って津川を指し示した。
「これがそのリスクです。探偵役が犯人役を殺す時、間違っていたのなら同様に死ぬ。それでこそ対等というものでしょう?」
死ぬ? 間違っていたら?
オレは思わず仲間達に目を向けた。
オレの中の冷静な部分が告げている。
まだ、この事件は終わっていないと。
「ふざけないでよ! 津川は自分の推理が正しかったから引き金を引くことができたんでしょ! それを判断したのはアンタじゃない! 間違っていたならなんで……!!」
「だって、あれはどう考えても鳥江さんに弁解の余地がなかったでしょ? 第三者として、二人の推理合戦の勝者を決めただけですよ。鳥江さんが津川君を論破していれば、鳥江さんも津川君も死ぬことはありませんでした。それはデモンストレーションでも示したはずでしょう?」
そうだ。あの時、鳥江は間違った推理で追い詰められ、テミスの審判にジャッジされかけた。あの状況は、真実の推理ではなくても、テミスの審判が機能するから起きたものだった。
「……つまり、逆を言えば真犯人が分かっても、その人物を論破しなければ殺せない、と?」
草壁はにっこりと笑った。
「そういうことです。せいぜい犯人に犯行を認めてもらうよう、しっかり証拠を固めてからテミスの審判を行ってくださいね」
それだけ言うと、草壁は先程と同じように校庭の隅へと移動してしまった。
取り残されたオレ達の中には、未だ混乱のさざなみが残っている。
「ど、どういうこと? 犯人は、鳥江さんじゃなかったの?」
「け、けど、三階の教室は雨で濡れてたんでしょ!? だったら……」
「順当に考えるなら、それはブラフだった、ということですわね」
ユリアの言葉に、全員が息を飲んだ。
「ブ、ブラフ? ということは、最初から犯人は、探偵役を誤爆させるためにわざと……。そうやって僕達をかく乱させるのが狙いだったの?」
その時、オレはある重要な事実に気付いた。
いや、気付いてしまった。
「違う」
「え?」
なんてことを考えやがる。
この犯人は、なんて恐ろしいことを考えるんだ……!!
「オレ達をかく乱させることも目的の一つだろうが、犯人の狙いは別だ」
深刻な表情で俯いているのはユリアだけで、他の三人はぴんときていないようだった。
「……鳥江が探偵役だったと仮定した場合、今ので探偵役は何人になった?」
「え? ええと、八人の中から三人死んで、犯人役は二人だから……」
さっと、如月の顔が青くなった。
「そうだ。これで犯人役二人に対し、探偵役は三人。つまりオレ達は、時間内にこの事件の犯人を裁かなければ、全員ここで処刑されるんだよ」
ようやく、全員が今の立場を理解したようだった。
「順当にいけば、最悪でも二回は事件をスルーできた。殺人が多く行われれば、それだけ犯人が手がかりを残す機会が増えることになる。だが、犯人はそれを良しとはしなかった。……この犯人は、たった一度の殺人で、探偵役全員を皆殺しにするつもりなんだ!」
誰も言葉を挟まない。いや、挟めない。
このおぞましい勝利方法を実行した犯人に、誰もが恐怖していたのだ。
「校章に見立てて政府を批判? とんでもない。この犯人は、そんな甘い考えなんて一切持ち合わせちゃいない。こいつは……ゲームに勝利するためなら手段を選ばない、冷酷無比な人殺しだ!」
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