三限目

チョークの音だけが聞こえる教室。

そこにある机は、わずか八席しかない。

そんな教室の中で、オレ達は思い思いにペンを走らせていた。

くるりと、計算式を書き写していた女性教師がこちらを向き、柔和な笑顔をみせた。


「はい、じゃあこの二次関数を……前嶋さん。やってみてくれる?」

「えぇ!? ア、アタシちょっと数学は苦手で……」

「さっきの英語の授業でも答えられなかったわよね」

「英語も……ちょっと苦手で……」


前嶋は教科書で顔を隠した。


「馬鹿丸出しですわね」

「はあ!? なんか言った!? この殺人鬼!!」

「あはは。前嶋さんったらダメダメですね~」

「じゃあ鳥江さん、やってみてくれる?」

「……私も、ちょっと苦手で……」


どっと笑い声が起こり、前嶋も鳥江も恥ずかしそうに自分の席の中で縮こまった。


その授業はごくごく普通のものだった。

教師役の人間はほぼ完ぺきにその役をこなしていたと言っても過言ではない。

どうやら彼女はいわゆる“一般市民”らしく、草壁と違って訳の分からない思想を垂れ流すこともなく、ジョークは飛ばすし、よく笑う。

教え方も分かりやすいし、授業態度が悪くても諭される程度で叱られることもない。

自然教室内の空気は良くなり、笑顔の絶えないクラスになる。


これと言って特筆することのない、退屈で面倒な学校生活。

しかし確かに、それは日常の一部だった。

こうして真面目に机に向かって鉛筆を握っていると、自分達が死刑囚で、ここが殺人学園であることも忘れてしまいそうになる。

しかし、たとえ無理やり忘れ去ったとしても現実は変えられない。


ここは探偵と犯人が殺し合う異常な世界。

いつこの日常がなくなるかも分からない。いやそれどころか、明日には命を失っていてもおかしくない。それでも皆が発狂せずに済んだのは、この甘美な日常があまりに自然だったからだろう。

逮捕される前と変わらない、何の変哲もない授業。

それはもう、決して手にすることはできないはずの日常の風景だった。

皆が文句を言いながらもそれに従っているのは、このどうしようもない平凡を、誰よりも欲していたからに違いない。



オレは今、授業中でありながらぶらぶらと校舎の中を歩き回っていた。

オレにとって授業をさぼることが日常だということもあるが、やはりどうしても奴らの言う通りに動く気にはならなかった。

冗談を言い合って笑顔を浮かべる教師の目が、一切笑っていない時がある。

それはまるで、自分の中から溢れて来る感情に、そっと蓋をしているようでもあった。

最小限の被害で押さえたとしても、最終的に生き残れる生徒は八人の内の四人のみ。

そんな生徒達と本気で仲良くなった時の自身の負担を考えた結果なのだろう。

それが正しいことだというのは分かっている。しかしだからといって、あの教師と仲良くやっていこうとは思えない。オレはそこまで大人にはなり切れなかった。


それにあの告白をしてから、なんとなく皆と居づらくなったというのもある。

ユリアのように周りなど気にせず堂々としていれば少しは恰好がつくのかもしれないが、どうやらオレは、あいつほど達観することもできないらしい。


昼食の集まりも、誰と会話することもなくさっさと食べ終え、チャイムの音など気にもせずに散策する。

しかしさすがに何時間も歩いていると飽きがくる。しばらくあてもなく校舎を歩き、せっかく天気が良いんだから昼寝でもするかと考え、三階建ての中央校舎の屋上へ向かうことにした。


運良く途中でエレベーターを見つけたオレは、早速それを使って屋上まで上がった。

エレベーターから降りると、すぐ目の前に屋上へ続く扉があった。

ドアノブに力をいれると、何の引っ掛かりもなくそれが回る。

鍵が掛かっている可能性も考慮していたが、どうやら杞憂だったようだ。

さすがは殺人学園。安全上の都合などまったくお構いなしだ。


オレが扉を開けると、そこには先客がいた。

屋上は四方を手すりで囲まれただけの殺風景な場所で、鬼瓦涼音が奥の手すりに凭れ掛かるように座っていた。

オレももちろんだが、彼女もこんなところで会うとは思っていなかったらしい。

パンを齧ったまま、じっとこちらを見つめている。

彼女はしばらく、何かを考えるように無言を貫き、もぐもぐとパンを咀嚼していた。しかしやがてそれをごくんと飲み込むと、ようやく口を開いた。


「あ、神城君だー」

「……そのセリフを使うには、もう少し瞬発力が必要だ」


軽く見積もっても、会ってから十秒近くは経過している。


「自慢じゃないけど、瞬発力だけは全然自信ないんだー。徒競争だって、むしろ足は速いくらいなのに、スタートの合図に気付くのに一秒くらいかかるから、いっつもビリだったし」


本当に自慢にならないな。

オレは踵を返した。


「どうしたの? 屋上に用事あったんでしょ?」

「ああ、別に大したことじゃない。昼寝する場所を探してただけだ」

「ここ、暖かくて気持ちいいよ?」


そう言って、涼音はぽんぽんと自分の隣を手で叩いた。

こっちに来て座れ、という意味らしいが、相変わらず彼女は表情を変えずにパンを齧っている。

どうしようか少し迷ったが、結局お言葉に甘えることにした。


「お前もさぼりか?」


隣に座り、オレは涼音にそう聞いた。

オレは二限目の途中からさっさと抜けてきたが、その時涼音はちゃんと授業を受けていた。昼食の時間に皆が会話していた内容を聞く限りでは、涼音も真面目に授業に取り組んでいたはずだ。


「さぼりじゃないよ」


オレは黙々とパンを食べている彼女を、頭からつま先までじっと見つめた。


「いやさぼりだろ」


むしろ、どうしてそんな自信満々にさぼりじゃないと言えるのか不思議なくらいだ。


「だって嘘ついてないもん。体調悪くなりますってちゃんと言ったもん」

「“なります”ってなんだよ。お前は預言者か?」

「私ね。いつも昼の三時はこれを食べる日課なの」


そう言って、彼女は自分の持っているパンをオレに差し出した。


「『のび~るパン』って言ってね。特定のコンビニにしか売ってないパンなんだよ。先生に聞いたら学区内にコンビニがあるって言うから、行ってみたらビンゴ! とってもおいしいんだよ!」


彼女の眩しい笑顔を見るのは殺人鬼の話以来だ。

彼女の説明によると、このパンは従来のものよりも伸縮性が高く、餅のように伸ばすこともできるのが特徴らしい。そのため歯ごたえも普通のパンとは大きく違い、それが独特の食感を生んでいるのだという。


「きっとさぁ。このパンには特殊な成分が入ってるんだと思うんだぁ。ほら、ニコチンとかコカインみたいにさ。そのせいで、決まった時間に食べないとスイッチが切れたみたいにばったり動けなくなっちゃうの」


そういえば、昨日に比べると随分と元気にみえる。

彼女の行動を見ていると、あながち言い過ぎとも思えないところが恐ろしい。


「朝の十時と昼の三時は『のび~るパン』の時間! これは日本の法律に加えるべきだと思うんだよね。じゃないと色々困っちゃうし」


これほど自分勝手な理由で法律を変えようとする奴も珍しい。

ふと、彼女がじーっとこちらを見つめていることに気付いた。


「……食べる?」

「遠慮する」


そんな恐ろしい依存性のあるものを人に薦めないで欲しい。

彼女は露骨にがっかりしてみせた。


「なんだぁ。なかなか増やせないんだよなぁ。『のび~るパン』信者」


誰かに無理やり食べてもらおうかな、などと物騒なことを涼音はぶつぶつと呟いている。


「……変わらないんだな」

「え? 何が?」

「いや、オレへの態度がさ」


彼女は首を傾げてみせた。

どうやら本気で分かっていないらしい。


「殺人の告白って、けっこうでかいことだと思うんだが」

「あーそれね」


まるで今思い出したかのような言い草だ。


「んー、まあ人っていろいろあるからさ。いちいち気にしてたらきりがないし。私も人に知られて引かれるようなこと、けっこうしてきたし」


暴力表現で逮捕されるような国で、殺人鬼特集のHPを作るような奴だ。人に言えないことの一つや二つやっていても驚きはしない。


「神城君てさ。あんまりビクビクしてないね」


もぐもぐとパンを食べながら、涼音は言った。


「他の人は、口にしなくても、やっぱりどこか怖がってるよ。まあユリアさんとか津川君みたいな例外もいるけど」


あの二人は例外中の例外だろう。人を殺すということに対する忌避感が、普通の人間よりも遥かに下回っている。


「でも、神城君はその二人とも違う。なんていうか……、達観してる? っていうか。どうして?」

「どうして、か」


オレは少しだけ考えた。


「あの時、死ぬつもりだったからかな」

「あの時って、人を殺した時?」


オレは頷いた。


「このご時世、犯罪に手を染めるってことはイコール死だ。しかもオレの場合は殺人だぜ? 清羅の親父を殺した時に、既にオレは死ぬ覚悟ができていた。……いや、あの時もう死んだと言った方が正しいのかな」


そうだ。

理性がバッドを止めた時、オレは一つの選択をしたのだ。

清羅と自分、どっちが大切か。

そしてオレは清羅を選択した。清羅のために死ねるなら、本望だったのだ。


「ただ、あいつまで逮捕されるとは思ってもみなかったがな。まあでも、今となっては特に心配もしてないさ。あいつはオレなんかよりよっぽど頭が良い。こういうゲームならオレの出る幕はないだろう。だからまあ、殺人学園の役割も、どっちに転ぼうが本当はどうでもよかったんだ。いや、犯人役の方が楽だったかな。その場ですぐに告白すりゃいいんだから」


そう。オレは別に死んでよかったんだ。

たった一度、ほとんどないようなものだったけど、清羅を助けることができたから。

オレは話を続けようと涼音を見た。

涼音は眠っていた。


「聞けよ」


はっとして、涼音はきょろきょろと辺りを見回す。


「……敵襲?」

「何の敵だよ。まあいいや。んじゃ、オレは行くからな。寝るのはいいけど、風邪ひくなよ」


涼音のこういうマイペースなところは、たぶん彼女の良い所なんだろう。自分の都合で皆を振り回しても、不思議と嫌な気持ちにさせない。天性の才能だ。

そんなことを思いながら屋上の扉に手を伸ばした時、ふいに涼音が言った。


「鬼瓦殺人夫妻」


思わず、ぴたりと動きが止まった。


「私が、唯一大嫌いな殺人鬼の名前」


皆まで説明されずとも、すぐに分かった。

彼女が苗字を語られることを嫌う理由。殺人鬼なんていうニッチなものを好む理由。その全てが。

振り返ると、彼女は笑っていた。


「君は君で、好きに生きればいいんじゃないかな。内海さんとか、人殺しだとか、そういうこと全部抜きでさ。だって一度死んだんでしょ? だったら、今新しい人生がスタートしたんだよ」


その笑顔は、殺人鬼の話や『のび~るパン』の話をしていた時とも違う、穏やかな笑顔だった。


「ファイトー。オー」


まるで抑揚のない声で、彼女は拳を挙げた。


「……逆に気が抜けるぜ、それ」


彼女の優しさに礼を言って、オレは屋上を後にした。


◇◇◇


「今、新しい人生がスタートした、か」


廊下を歩きながら、さっき涼音に言われたことを思い出す。

あいにくと、オレはすぐに気持ちを切り替えられるほど器用な性格ではない。

だが、どうせ清羅のためにしてやれることなど何もないのだ。だったら、せめて自分の好きに生きてみてもいいような気がした。

ふと前を見ると、前嶋と如月が談笑しながら歩いて来ていることに気付いた。授業が終わり、休憩時間に入ったのだろう。

二人もオレに気付き、はたと足を止める。


「よっ」


オレは軽く手を挙げた。

二人はどう反応したものかと目を泳がせる。


(ま、普通はそうなるわな)


オレは何も言わずに彼らを素通りしようとした。

その時、前嶋が何かを振り落とすように、がしがしと自分の頭を掻き、にかっと笑ってみせた。


「おっす! 白昼堂々さぼるなんて、不良じゃーん」


そう言って、前嶋は肘で小突いてくる。


「これがオレの平常運転だ。よい子は見習うなよ」

「アハハ! 心配しなくても見習わないっての」


どうやら彼女は、オレの過去を聞かなかったことにしようとしてくれているようだった。

それがどれほど優しさに満ちた行為なのかは、考えるまでもない。


「……神城君!」


如月は、思った以上に大きな声が出てしまったことに自分で驚き、思わず口を両手で覆った。


「え、えっと……これから前嶋さんと購買部に行くんだけど……よければ、神谷君も一緒に行かない?」


如月はそう言ってはにかんでみせた。

本来なら人殺しなんて、ここが殺人学園でなかったとしても敬遠されてしかるべきだ。

なのに彼らは、オレを遠ざけるという選択を取らなかった。こんなオレでも、仲間だと思ってくれている。

改めて思う。ここにいる奴らは、オレなんかには勿体ないクラスメートだ。


「……おう」


オレは二人と並んで歩き出した。

涼音の言うように、新しい人生を歩む勇気は今のオレにはない。

でも……いやだからこそ、今は、この日常を楽しもう。


◇◇◇


「今日の放課後、みんなでコンビニに行かない!?」


それはこの学園生活が始まって数日が経った昼食時間のことだった。

いつも決まって特定の時間にいなくなる涼音を訝しがった清羅が、学区内にコンビニがあることを聞き出したのだ。


「涼音ちゃんが言うには結構品揃えが良いらしいの。スーパーでしか売ってないようなものまで置いてあるとかで、お料理の材料も一頻り揃うんだって。たとえば、生クリームとか薄力粉とか──」

「ケーキね!?」


前嶋が興奮した様子で椅子から立ち上がる。

清羅はにこにこ笑いながら頷いた。


「ほら、私達まだ親睦会もやってなかったでしょ? 学校生活にもちょっとは慣れてきたし、みんなでケーキ作りでもするのはどうかなーって。その……たぶん、こういうことができるのも、今だけだろうし」


今だけ、か。

確かに一度殺し合いが始まれば、もう親睦会なんて開くことはできないだろう。

オレが皆と打ち解けられるようになって、誰よりも喜んでいた清羅だ。何も起きていない今だからこそ、このメンバーで何か思い出を作りたいと考えたのだろう。

鳥江が努めて明るい笑顔をみせ、手を叩いた。


「わあ! いいじゃないですか、親睦会!! 私もぜひやりたいです!!」

「うん! 僕も甘いもの好きだし、みんなでやればきっと楽しいよ!」


津川が無言で立ち上がり、オレ達の横を素通りしようとする。

しかしそれを逃すことなく、オレは津川の腕を掴んだ。


「まあ待てよ。津川も来ないか? 親睦会」

「断る。後々殺し合う連中と仲良くする気はねえからな」

「どうせ暇だろ?」

「暇なわけがあるか。図書室で読んでおきたい本が山ほどある」

「あ、それって図書室で堂々と並んでるあの有害図書?」


それに関しては、オレも何度か覗いたことがあった。

草壁が言っていたミステリーや、オレ達と似た境遇で人が死んでいくサスペンス小説など、本来なら所持しているだけで逮捕されるような刺激的な本が、この学校の図書室には山積みになっている。


「トリックの体系はともかく、医学的な知識はあるに越したことはねえからな。専門書がないのは気に入らねえが」


オレも少し目を通してみたが、確かに津川の言う通り、日常生活では何ら役にたちそうもない医学知識がミステリー小説には散見していた。

死後硬直、生活反応、血流の止まった死体は出血しない、などなど。

これらは確かに、実際に事件を推理する上で必要となる知識だろう。


「ま、とは言っても大半は既に読破したがな」

「凄いな。あそこの蔵書は百じゃきかないだろ」


津川はまんざらでもない顔で鼻を鳴らした。


「俺を誰だと思ってる。あの程度余裕だ」

「じゃあ今日くらい読まなくても問題ないんじゃないか?」

「ぐ……」


あともうひと押しでなんとか言い包められそうだというところで、突然津川は笑みを浮かべた。


「なるほど。確かに理屈の上ではお前が正しいか。なら俺が今日中に片づけようと考えていた問題をお前らが解くことができたなら、今日は暇だということにし、付き合ってやろうじゃないか」


そう言って、津川は一つの雑誌を差し出した。


「俺がいつも購読している雑誌だ。世界でも有数の頭脳を持つ連中が問題を持ち寄るコーナーがあってな。俺は常に、誰よりも早くその問題を解き明かし、出版社に答えを送っているトップランカーだ。しかしそんな俺も頭を悩ませる問題があってな。数列の規則性を導く問題だ。まぁ、お前ら程度の頭脳じゃ解けるはずもないが」


いそいそと答えをハガキに書いて嬉々としている津川を想像すると何とも笑える話だが、ひとまずそれは置いておくことにした。

問題に目を通すと、確かに頭が痛くなるような数列がずらりと並んでいる。

こんな問題、凡人のオレ達には──


「……ん? フィボナッチ数列じゃないか、これ?」

「……なに?」

「ほら。少し複雑にしてるだけで、数列自体は単純なフィボナッチ数列だ。難解な数列だっていう先入観を迷彩にしてたんだろうな」

「……」


ぽんと、前嶋は津川の肩に手を置いた。

どうやら、清羅の提案は満場一致で決まったようだ。

ふと、オレは教室の隅で本を読んでいるユリアを見た。


「ユリア。お前も来るだろ?」


ちらと、彼女はこちらに目を向けた。


「わたくしがいても、空気が悪くなるだけだと思いますが」

「そのセリフが空気悪くしてんのよ。で、行くの? 行かないの?」

「では行きませ──」

「はい決定。ユリアも行くってさ」


ユリアが静かに睨むも、前嶋は華麗にスルーして清羅とお喋りしている。

こういうある種の強引さは、オレも見習いたいところだ。


◇◇◇


放課後、オレ達は校舎を出て、涼音の案内でコンビニへ向かった。

学校と宿舎を結ぶ一本道を少し歩くとT字路があり、コンビニはその先にあるという。

距離にしておよそ五十メートル程だろうか。木々に囲まれた道の突き当たりに、大きなコンビニがあった。比較的新しい作りで、田舎風の立地と比較すると多少の違和感を覚える。

中に入ると、先程まで暗かった明かりが人感センサーで灯り、明るいBGMが流れ始める。

本当に、普通のコンビニと変わりない。ただ少し違うのは、品揃えがかなり良いということと、店員が一人もいないということだ。


「勝手に持って行っていいみたいだよ」


オレが気にしているのを察して、涼音がそう声をかけてきた。


「マジで!? アイス食べ放題!? おやつも!? 最高じゃん!」

「太っちゃうけどね」

「内海~。現実を突きつけないで、素直に喜ばせてよぉ」


オレ達は別れて親睦会に使えそうなものを集めることにした。

料理の材料は女性陣が、パーティーグッズは男性陣という無難な班分けだ。


「おい神城。これはどうだ?」


津川が持ってきたのはメガネに鼻とちょび髭がついた玩具だった。


「それで笑ってくれる奴は、よっぽど心が広いかギャグセンスが皆無な奴かのどっちかだ」


お前が掛けてくれるなら大爆笑間違いなしだが、という言葉をオレは飲み込んだ。


「くそ! パーティーを盛り上げるグッズを探せだと? こんな難易度の高い要求を簡単に押し付けやがって。フェルマーの最終定理でも解いていた方がまだマシだぜ」


自身の研究の集大成がパーティーグッズ探しに劣ると判断されたと知ったら、フェルマーもさぞかし遺憾に思うだろう。

しかし津川ではないが、改めて場を盛り上げるものを探せと言われると、なかなか見つからないものだ。


「神城君」


津川が再びグッズを探しに行った後、如月が声をかけてきた。


「どうした? めぼしいものが見つかったんなら、各自の判断でそこのカゴに入れておいてくれればいいぞ」

「あ、いやそうじゃなくて……えと、この前のさ。ほら、神城君の過去についてのことで……」


過去、というと……殺人を暴露したことだろうか。


「あの話を聞いて、なんだか他人行儀になっちゃったでしょ? その時のこと、ちゃんと謝ってなかったと思ってさ」


如月は勢いよく頭を下げた。


「ごめん! 内海さんの話を聞いて、ちゃんと理由があるんだって分かってたのに……怖かったんだ。薄々気づいているとは思うけど、僕は友達に万引きを強要されて捕まったんだ。そいつもその……よく、人を殺したって自慢する、強くて怖い奴だったから。僕はいつも、弱虫だって言われて、いじめられてたから……」


オレは思わずぽかんとしていた。

あの時は如月だけでなく、全員がオレとどう接していいのか迷っている様子だった。別に如月一人がオレを敬遠していたわけじゃないのに、こいつはそのことをずっと気に病んでいたのか。今時、こんなに律儀な奴も珍しい。


「……よく分からないが、オレはお前を弱虫だと思ったことは一度もないぞ。こんな言い辛いことでも正面切って謝れる奴が、弱いわけないだろ?」

「……そう、かな」

「そうだよ。強くて怖いオレが言うんだから間違いない」


如月はそれを聞いて吹き出した。


「……うん。そうだね。ありがとう」


如月は、一見すると気弱そうな印象を受ける。あまり率先して話に入ってくるタイプでもないし、いつもどこか一歩引いた状態で皆と接している。

そういう穏やかな気質は、時に意地の悪い人間を寄せ付ける時がある。

そんな環境が、如月の自信のなさを生み出してしまったのかもしれない。


「でも、僕も誰にでもこんなこと言えるわけじゃないよ。なんだか神城君だと、話しやすいんだよね。安心するっていうのかな」

「そいつは光栄だな」


オレがそんな軽口を返していた時だった。



「動くな」



背中に何かを押しつけられる。その冷たい鉄製の何かが拳銃だと分かり、背筋が凍った。

犯人役か? いや、如月もいるこの場所でそんなことするわけがない。なら教師陣? だがそれはこのゲームの公平性を壊すことになる。


様々な考えが交錯しながらもおそるおそる振り向き、そこにいたずらっぽく笑う清羅がいて、オレの警戒心はすぐに消えた。


「……どこからそんなもん持ってきたんだ?」


彼女の手にあったのは、コルト・パイソンと呼ばれる回転式拳銃だった。


「えー!? なにそれ、超カッコいいじゃん!!」


早速前嶋が食いついてくる。

他の皆も、何事かとぞろぞろ集結した。


「あそこにあった模造拳銃だよ。実際はただのクラッカーみたい」


清羅が指差したのはサプライズグッズが置いてあるコーナーだった。

傘、アイスコーン型のおやつ、エトセトラエトセトラ。

見た目では特に何の変哲もないものがずらりと並んでいる。それらには全てクラッカーが内臓されており、無警戒で近づいてきた人間にバンとやって遊ぶようだ。

まったくもって悪趣味極まりない。


「アハハ! 見てこれ。注射器型クラッカーだって。こんなの誰が使うのよ」


見てるだけでそれなりに楽しめたものの、皆が種を知ってしまったことでサプライズには使えないという結論に至り、この模造クラッカーはお蔵入りとなってしまった。

結局男性陣にこれといった成果はなく、どうせやることがないならとケーキ作りをする女性陣の補佐に甘んじることとなった。


◇◇◇


材料を調理実習室へ運んだオレ達は、早速ケーキ作りを開始した。

「どうせなら、男性陣に食べさせて順位付けしてもらおうじゃん」という前嶋の提案で、急遽ケーキは五つ作られることになった。どう考えても供給過多だという男性陣の主張もどこ吹く風で、彼女達は各々の作業に取り掛かっている。


「神城君は誰のケーキが一番おいしいと思う?」


後ろで茫然と彼女達の作業を見守っていたオレは、如月の質問に腕を組んで考えた。


「……やっぱり清羅だな。ケーキ自体は初めてでも、あいつは毎日弁当も作ってるし、消去法でも清羅が一番無難だろ」


鳥江はそつなくこなせそうだがどことなく危険な香りがするし、涼音は言うまでもない。前嶋とユリアに至ってはケーキどころか料理すら初めてだと言いそうだ。


「でも前嶋さん、かなりの手際だよ」


後ろから覗くだけでも、如月の言っていることがよく分かった。

ボウルをかき混ぜる姿だけでも、なかなかサマになっている。


「なぁ前嶋。お前、けっこう料理するのか?」

「なに? そういうことしないタイプだと思った?」


彼女は笑みを浮かべた。経験に裏打ちされた自信を感じさせる。


「残念でした。アタシ、けっこう料理にはうるさいのよ。こう見えて手先も器用だしね」

「でも、ケーキなんて定期的に作ってないとうまくならないんじゃない?」

「そりゃあもうバリバリ作ってたに決まってるじゃない。アタシお菓子大好きだし。バレンタインデーとか、お手製のチョコをクラスのみんなに配ったりしてたのよ」

「ああ、なるほど。で、肝心の好きな奴には結局何も言い出せなくて一人で食べるパターンか」

「……」


急に前嶋の手先が乱れ始めた。


「う、うるさいわね! アタシみたいな奴がそういうこと言うには勇気がいるの!」

「でも、自分で作るだけすごいと思うなぁ」


ふと見ると、調理台の上に顔をひょっこりと載せている涼音がいた。


「私、バレンタインデーもホワイトデーも、いっつももらう側だったから」


どんな学校生活を送っていたのかは知らないが、クラスの皆から餌付けされている姿は何となく想像できた。


「というかお前、自分の分はできたのか?」

「ん~」


肯定とも否定とも取れない言葉だ。

子供がこういう曖昧な言い方をするのは、大抵自分に都合の悪いことを隠そうとしている時だ。


「わわ! す、涼音さん! オーブンから煙出てますよ!?」


案の定だった。


「私、なんだかもう飽きちゃった」


煙を吐き出すオーブン相手に悪戦苦闘している鳥江を背景に、涼音はパンを取り出して食べ始めた。


「ええと、涼音ちゃん? 今から何をするか分かってる?」


清羅の問いに、涼音は首を傾げた。


「え? ケーキ食べるんでしょ?」

「そうなんだけど……それも食べるの?」


清羅は涼音のパンを指差した。


「『のび~るパン』は別腹だよ」

「でも夕飯もあるし、今日は我慢──」

「ヤダ」

「そんなこと言わずに──」

「絶対ヤダ」


涼音は逃げるように鳥江の方へ走って行き、ようやく焼け焦げたスポンジを処理し終えた鳥江に抱きついた。


「ほわ! な、なんですか!? また何かやらかしました!?」

「内海さんがいじめてくる~」

「ええ!? い、いじめはよくありませんよ!」


「めっ!」と、鳥江は子供に言い聞かせるように人差し指をたててみせた。

清羅はそれを見て静かに笑っている。

彼女の周りの空気がにわかに震えていた。


「き、清羅、落ち着け。子供じみた駄々に本気で怒るなんて大人げないぞ」

「わ、わあ! 内海さんのケーキ、すごくおいしそうだなぁ! あ、味見していい!?」


如月の必死のフォローもあって、どうにか清羅をその場から離脱させることに成功し、オレは安堵のため息をついた。

オレもそれなりに色々な人間を見てきたが、清羅ほど怒らせると怖い奴は未だに見たことがない。


「チッ。おい涼音。なんだこのクリームは。ちゃんと固まってないじゃねえか」

「……うっさいハゲ」

「ハ、ハゲだと!? 訂正しろ! 俺は少し額が広いだけだ! 決してハゲなんかじゃねえ!!」


どうやら津川の地雷を踏んだようで、珍しく激昂している。しかし言われている当の本人はまったく気にした風もなく、いつも通りパンを食べていた。

清羅を怒らせ、津川をいじり、それでも平然としていられるのだから、涼音という奴はオレの想像以上に器の大きい人間なのかもしれない。


その時、ふとまったく話に入ってこない人間が一人いることに気付き、オレはそいつのいる調理台へと目をやった。

その人物、ユリアンヌ・ローレンスは、何故かナイフを手に持ち、じっとそれを見つめていた。


「刃物を持って人を殺したくなったとか言わないでくれよ」


軽口を言ってみるも無反応。

見ると、ほとんど作業が進んでいない。


「何か手伝おうか?」

「……結構です」


そうは言うものの、一向に動こうとしない。


「とりあえず、卵をいれたらどうだ?」

「卵……」


卵を手に持ち、ユリアは近くにあった小皿を手元に引き寄せると、ちらとこちらを窺う。

どこまで本気なのか分からないところが不気味だった。


「ボウルに卵を割って入れるんだ。ほら、今前嶋が持ってるやつだよ」

「ボウル……」


ユリアはボウルを探し当てると、その上に卵を持っていき、ふうと息を吐いた。

眉間にしわを寄せ、今まで見たことがないほどに真剣な表情をしている。


「ふん!」


バシャ

見事なまでに、卵は彼女の手の中で潰れてしまった。


「ぶはっ! アンタそれマジ!?」


前嶋もその決定的瞬間を目撃していたようだ。

どう反応したものかと沈黙しているオレとは違い、遠慮なく吹き出している。


「……わたくしにとって、料理とは食べるためのものです」


あくまでもクールな自分を崩さずに、ユリアは静かに手を洗っている。


「アハハハハ! そんなお約束みたいなセリフ、生で聞けるとは思わなかったわ!」


前嶋は目尻に涙を溜めるほど爆笑していた。

ユリアはにこりと笑い、腹を抱えている前嶋の頭を掴んだ。


「ん?」


その瞬間、彼女の悲鳴が調理室に響き渡った。


「痛い痛い痛い!! ちょマジで冗談抜きで痛い!!」


さんざん叫び散らした挙句ようやく解放された前嶋は、ほとんど虫の息で四つん這いになっていた。


「な、なんなのさっきの……。まだ頭がガンガンするんだけど」

「人の不得手を笑うからです」

「アンタだって、前にアタシのこと馬鹿って言ってたじゃん……」

「何か?」

「な、なんでもないなんでもない!」


大げさなくらいぶんぶんと首を振っている。

傍目にはただ頭に触れているだけのように見えたが、よほど痛かったんだろう。

ユリアは相変わらずたどたどしい動きで新しい卵を用意し、再びボウルの上に掲げた。

明らかに余計な力が入っている。このままだとその卵は、確実に先程と同じ運命を辿ることになる。


「あの、よければ僕がやるよ。ちょっとした料理なら時々作ってたし」


如月がやんわりと卵を受け取り、ユリアの代わりに割ってやった。


「ったく。しゃあないわね。ほら、手伝ってあげるからさっさとやりましょ」


ユリアは何も言わずに前嶋から指導を受けている。

途中何度かボウルをひっくり返しそうになるも、順調に作業を進めていた。

こうして見ると、稀代の殺人鬼だとは到底思えない。その顔からは相変わらず感情が読み取れないが、今のこの時間を楽しんでくれていると良いと、オレはそんな風に思った。



「えー、なんやかんや色々ありましたが……完成です!!」


前嶋が広げた両手の前には色とりどりのケーキが五つ並んでいる。……同じケーキで何故色が違うのかの説明は、敢えて割愛させていただく。

ふと、オレは前嶋が自分のブレザーの内ポケットをごそごそと弄っていることに気付いた。

怪訝に思って声をかけようとした時、彼女の持つ模造クラッカーの拳銃がこちらに向けられた。


「みんなおめでとー!!」


パン、と大きな音がして、銃口からクラッカーの紙ふぶきが飛び出した。


「あぶなっ! 人に向けるな馬鹿!!」

「え? クラッカーって人に向けて打つものじゃないの?」

「違うに決まってるだろ! 注意書きにも人に向けるなって書いてあるだろうが!!」


どうやら本当に他意はないらしく、前嶋はどこか納得がいかないように小首を傾げている。


「というかそのクラッカー、いつの間に持ってきたんだよ」

「いやー、清羅のやつがあまりにもカッコよかったからさぁ。ちょうど似たようなやつがあったから、ちょろっと持ってきちゃった♪ びっくりした?」


そりゃあ、突然破裂音がしたら誰だって驚く。

見ると、涼音が一人、机の下にうずくまっていた。


「あれれ? 涼音ちゃん。ひょっとして、びびって腰を抜かしちゃったかな?」


もぞもぞと動き、唇を尖らせた涼音が顔を出した。その顔は、彼女にしては珍しく、真っ赤になっていた。


「……死ね。アバズレ」

「アハハ。図星でやんの~」

「巻き込み系かまってちゃん。エセ姉御。万年遊び相手」

「……ごめん。そろそろやめて。本気で傷つくから」


結局、順位づけは意外に出来栄えも味も最高だった前嶋が満場一致で一位となった。次いで清羅。時々卵の殻が丸々入っているような罠があるものの総合評価の高かった鳥江。どちらかといえばまだ食べられた涼音。もはや口にいれるのも勇気がいるユリアという順番だ。

どうやら前嶋はビリの人間に罰ゲームを用意していたらしいのだが、ユリアの美しい微笑みを見て、そそくさと撤回した。

まともなものは前嶋と清羅のものだけだったが、それでもオレ達は、料理系テレビ番組のスタッフも感嘆する精神で全てを食べ終え、夕食の時間に地獄を見ることとなった。


終わってみれば、これといって特筆すべきこともないいつもの日常。

しかしだからこそ、ずっとこんな日が続けばいいと、心から願ってしまう。

何かを間違えたか、何かが間違っていたからこそ、オレ達はこんな場所に閉じ込められている。ならその間違いを正せば、オレ達はずっとこうして生きていけるんじゃないか?

誰かと笑い合い、励まし合い、ちょっとした人生の問題に苦慮する、そんなごく平凡な日常が送れるんじゃないのか?

自分達の間違いを正す行為は、本当に人殺ししか存在しないのか?

そんな意味のない堂々巡りの考えを、その日の夜、オレは自分の布団の中で延々と繰り返していた。


◇◇◇


ジリリリという凄まじい音が響く。

振動で自ら動くほどの衝撃を振りまく目覚まし時計を、オレは慌てて止めた。


今日は休日だ。

三度の食事時以外、自由に行動してもいいと言われている。

囚人ということを考えれば破格の待遇だといえた。


「雨、か」


窓を叩く雨を見ながら、オレは呟いた。

せっかくの休日だというのにこれでは、あまりいい気分はしない。


「……とりあえず、朝食に行くか」


オレが食堂に着いた頃には、既に全員が集まっていた。

いつもと同じように他愛もない会話をし、食事を済ませる。

普段ならそのまま皆と登校するのだが、今日は各自で自由行動だ。勝手の知らない初めての休日に多少のぎこちなさを残しつつ、オレ達は食堂をあとにした。


「さて、これからどうしようか」


時間を潰す方法を考えながらぶらぶら歩いていると、ふと玄関に向かう涼音の姿を目撃した。


「涼音」


思わず声をかける。

彼女はいつも通りの眠気眼で、ちらとこちらを一瞥した。


「こんな雨にどこか行くのか?」

「パーン……」


間延びした声で一瞬何を言っているのか分からなかったが、すぐに彼女がコンビニのパンを食べる日課があることを思い出した。


「ちゃんとカサ差していけよ」


当たり前のことだとは思いつつも、ついつい余計な口出しをしたくなる。

涼音はこっちを見もせずにピースしてみせた。

年頃の子供を持つ普通の親は、こういう何ともいえない不安な気持ちを常に抱えているものなのだろうか。


オレは宿舎の図書室で本を借りて来て、自分の部屋で読むことにした。

学校ほどとはいかないまでも蔵書はかなりのもので、面白そうな本はすぐに見つかった。適当に二、三冊借りて自室に戻り、オレは思わず硬直する。


「……ない」


コンビニから持ってきた食べかけのスナック菓子がなくなっていたのだ。

オレは唖然とした。

朝食に出掛ける時は確かに机の上にあったのに、綺麗に消え去っている。

誰かに盗られた、という考えが一瞬だけ頭を過ぎり、しかしすぐにそれは否定される。

他の生徒の部屋に入ることは禁じられているし、そもそも指紋認証を掻い潜ってまでタダで配られている菓子を盗む人間などいるわけがない。


ふと、壁に張られた注意書きが視界に入り、ようやく合点がいった。

すっかり忘れていたが、朝の八時は清掃の時間で、全てのゴミは片づけられることになっている。

中身が残っているにもかかわらず、開封された菓子を見てゴミだと判断されたのだろう。

どれだけお役所仕事なんだよ、という不満を胸に、オレはベッドにごろんと横になった。


ざあざあという雨音をBGMに、ぱらぱらと本のページを捲っていく。

時折頭を休めるために他のことをしながらも読書に集中していたのだが、元々さほど本が好きな人間というわけでもない。

十時頃には既に飽きがきてしまっていた。


どうしたものかと考えていると、突然ノックの音が聞こえてきた。

その控えめな叩き方を聞いてすぐに察した。


「清羅か?」

「さすが耕ちゃん。私のことはなんでも分かってるね」


オレは思わず苦笑し、ドアを開けた。

清羅はにっこりとほほ笑んでいる。


「何か用か?」

「そろそろ耕ちゃんが暇を持て余し始める時間だと思って」

「大当たりだ」

「ふふ。耕ちゃんが私のことをなんでも知ってるみたいに、私も耕ちゃんのことを何でも知ってるからね。どこかで適当に暇つぶししない?」

「名案だな」


どこか座れる場所に行こうということになり、二人で食堂に向かった。

中に入ると、そこには既に前嶋と鳥江がいた。前嶋はアイスキャンディーをぺろぺろと舐めている。


「あ、神城と内海じゃーん。デート?」

「なんでもかんでもデートに結び付けるな」

「あはは。めんごめんご」

「そういうお前らもデートか?」


鳥江は赤くなってぶんぶんと首を振った。


「そそ、そんなんじゃありませんよぅ!」

「アタシ、レズの毛なんてありませんしー」


前嶋がべえと舌を出してみせる。


「でも珍しい組み合わせじゃない? ゆかりちゃんと結ちゃんなんて」

「まあねー。捕まる前のこと色々と聞いてたんだ。アタシってけっこう子供好きだし」


子供から弄られている前嶋を容易に想像できた。


「なんか失礼なこと考えてない?」

「まさか」


オレは平気な顔で嘘をついた。


「あと、将来の夢とかですね。私はやっぱり保育士さん! で、前嶋さんはネイリストだそうです」

「ネイリストって、あれか? 爪にごちゃごちゃとつけていく……」

「ごちゃごちゃとはなによ! かわい~♪ とか思わないの?」


前嶋はぶすっとしてみせた。


「ゆかりちゃん、器用だもんね。センスも良さそうだし、なんだか大成しそう」

「でしょでしょ!? 草壁の奴、副業はダメとか言ってなかったじゃん。ネイリストはまだ可能性あると思うんだよね~」

「保育士も副業でできますしね~」

「いや、それは無理だろ」


しばらく四人で話をしていると、唐突に前嶋が叫んだ。


「あ、そうだ! せっかく四人揃ったんだしさ。トランプしよ、トランプ! 大富豪やろうぜ!」


「ちょっと待ってて」と、こっちがうんともいいえとも言う前に、前嶋はさっさと走って行ってしまった。

相変わらず元気というか忙しないというか。

しばらくすると、娯楽室からトランプを持って前嶋が帰って来て、早速四人で大富豪をすることになった。

前嶋はいつになく陽気で、このゲームに並々ならぬ自信があることが窺える。

そして結果は……


「いえーい! また大富豪!」


清羅が諸手を挙げて喜びを表現する。

既に何連続トップなのか、数えるのも面倒なほどだ。


「かあー! なんでこの子こんなに強いの!」

「清羅は昔からこういうゲームで負けたことがないんだ」

「もう一回! もう一回勝負だ!!」


前嶋が凝りもせずに再び挑もうとした時、鳥江が申し訳なさそうに手をあげた。


「す、すみません。私そろそろ抜けないと。お昼までにちょっとやりたいことがありますから」


前嶋は露骨に不満そうな顔をしてみせた。


「えぇー? せめて清羅に一回勝ってからにしない?」

「んー、当分勝てそうにないから、また今度ってことで。すみません」


鳥江はぺこぺことお辞儀をしながら、食堂をあとにした。


「ちぇー。三人だと大富豪ってあんまりおもしろくないしなー」


前嶋がぼやいているのを尻目に、オレは食堂の時計に目をやった。

ちょうど十二時に入ったところだ。既に二時間もトランプをしていたことになる。


「じゃあオレ達もそろそろ──」

「あれ、なんだか楽しそうなことしてるね」


鳥江と入れ違いになる形で、如月が食堂に現れた。


「おー如月じゃん。ちょうどいいわ。アンタでいいから混ざりなさい!」


そろそろ疲れてきたから止めよう、と言い出す機会もなく、リベンジマッチが始まった。

が、結局その刃が清羅に届くことはなく、いたずらに時間を浪費することになった。

次こそは……次こそは……と、ぶつぶつ呟きながらトランプを混ぜる前嶋を見て、こいつにギャンブルは絶対やらせちゃいけないな、と心から思った。

しばらくすると、今度は津川とユリアがやって来た。


「なんだお前ら。そんな低脳な玩具でよく遊べるな」

「なに? アンタも入れて欲しいの?」

「馬鹿言うな。俺は飯を食いに来ただけだ」

「あ、もうそんな時間か」


清羅が時計を見て言った。

確かに、もうそろそろ食事の時間である十三時だ。


「じゃ、そろそろ片づけて昼食にするか」


三人でトランプを片づけていると、鳥江が食堂に入って来た。


「結局ずっとやってたんですか?」

「前嶋がなかなか負けを認めなくてな。付き合わされたこっちはクタクタだ」

「さ、災難ですね……」


その時、食堂の時計から報時が鳴り響いた。

いつもなら兵士がぐるりとオレ達を見回して、すぐにサービスワゴンを運んで来るのだが、今回は違った。

オレ達の姿を確認し、背を向けたかと思うと何やら無線で連絡を取っている。

オレは兵士に倣って辺りを見回した。

涼音がいない。

何故か、オレはひやりとしたものを感じた。


「ね、寝てるだけじゃないの? ほら、アイツいっつも眠たそうにしてるし」


そう言う前嶋の声は、どこか上擦っている。

全員が、何かを感じ取っている。何か、とてつもなく恐ろしいものを。


「……ひとまず確認に行くぞ。いいな? 兵士ども」


無線機から顔を上げ、兵士はこくりと頷いた。

食事時の集合は生徒の義務だ。なのに今、この場から離れることを良しとされている。

そこに特別な意味がないわけがなかった。


津川の指示で、全員が涼音の部屋の前に集まった。


「おい、涼音! いるなら返事しろ!!」


ドアを強く叩いてみるも、まったく応答がない。


「……これだけやって爆睡できるなんて、アイツきっと大地震が起きても眠ってられるわね」


前嶋はひきつった笑みを浮かべて言った。


「いい加減現実を見ろ」


津川に言われずとも、さっきから前嶋の顔は蒼白だ。


「……と、とにかく、みんなで手分けして探してみよう」

「二手に分かれて、ですね?」


ユリアの言葉の真意を即座に汲み取った人間は少なかった。

この中にいる犯人役は二人。つまり三人以上で行動しないことには、犯人役を野ざらしにしてしまう可能性がある。今ここで犯人役を自由にさせることは愚行でしかない。

それが、最悪の未来を想定するが故の処置であることに、オレは歯噛みした。


結局ユリアの言う通り二手に別れ、涼音を捜索することになった。しかしいくら探せど涼音は見つからない。

十三時の食事の時間を守らなければならないことは彼女だって重々承知のはずだ。この時間帯ならば、必ず宿舎のどこかにいる。そのはずなのに、彼女はいなかった。

結局何の成果もなく、オレ達は再び涼音の部屋の前に集まった。


「……もう宿舎内で探していないのはここだけだ」


もしここにいなければ……。いや、考えるのはよそう。

とにかく今はここを開ける方法を考えないと────


「おやおや~。時間になっても食堂に現れないから何かと思えば、みなさんどうしたんですか~?」


この神経を逆なでする声の主は、草壁だった。


「んん~? もも、もしかして涼音さんが見当たらないんですか!? そうなんですね!? これは大変だ!!」

「……そのわざとらしい演技を止めて、今すぐこの扉を開けろ。教師役のお前ならできるだろ」

「本来なら禁止事項にあたりますが、今は緊急事態ですからね~。仕方ありませんねぇ」


草壁が涼音の部屋の指紋認証に手を翳す。すると、セキュリティドアがビープ音を鳴らして開錠された。

オレは一縷の期待を胸に、すぐさまドアを開ける。

が、そこにも涼音はいなかった。

オレは思わず項垂れた。

心の中で、何かがぽっきりと折れてしまったような感じだった。

しかしすぐに顔を上げることができたのは、清羅がオレの手を握ってくれたからだった。

そうだ。こうして頭を下げていても何も始まらない。オレは自分を鼓舞するためにぎゅっと清羅の手を握ると、それを放し、中へと入った。


彼女らしいと言うべきか、中はお世辞にも片付いているとはいえない。

凶器を注文するはずのトレイには本が乱雑に押し込まれているし、ベッドのシーツはぐちゃぐちゃ。机の上にも『のび~るパン』の袋が置きっぱなしになっている始末だ。

オレはゴミ箱の中を除いた。朝の清掃が行き届いているらしく、そこにはチリ一つない。


「……いません、ね」


鳥江のか細い声が聞こえた。


「ここじゃないってことは……」


もはや外以外に考えられない。

そう口に出そうとした時、突然草壁が柏手(かしわで)を打った。


「みなさん満足しました? 満足しましたね。じゃあ早速殺人学園の校舎まで来てください。君達の知りたいことは全てそこにありますよ。クッフッフ」


◇◇◇


幸いなことに雨は既に止んでいたが、いつも歩く校舎までの道のりは、いやに遠く感じた。

いくら足取り重く歩いていても現実から目を背けられないのと同じように、いずれ校舎には到着してしまう。

そのいずれは、オレ達にとってあまりにも早かった。

校門に入りオレが最初に目にしたのは、見るも無残なおぞましい光景だった。

いつも目につく悪趣味な十字架の時計。しかし今はそれを見ることは敵わない。


何故ならそこには、まるで自らが時計の針になったかのように、鬼瓦涼音が逆さづりになっていたからだった。


屋上から伝うロープが彼女の足首を吊るし、透明なビニルテープが身体中に巻きついている。膝をくの字に曲げ、両手を組むようにして諸手を挙げさせた状態で固定されているそれは、まるで一つの彫刻にでもなってしまったかのようだ。

あの、いつもどこか微睡んでいた目が大きく見開かれ、顔には苦悶の表情が刻まれている。

遠目からでも良く分かった。


鬼瓦涼音は、確かに死んでいた。


「さあて! 死体を発見したところで、ゲーム開始といきましょうか!!」


草壁の声を合図に、校舎の壁の一部がひっくり返り、横長のパネルが至るところから現れる。それはデジタルタイマーで、24:00:00と書かれていた。


「犯人役が逃げ切るか、探偵役がその犯行を暴き切るか。命を賭けた推理合戦の始まりです! それでは~。よーい、スタート!!」


この急転直下の事態に、誰も声をあげることすらできない。

しかし無情にもタイマーは動き出し、オレ達に現実を突きつけるかのように、23:59:59を指し示した。


三限目 了

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