第三章

 翌日、目覚めるともう姉は出社していた。テーブルに朝ご飯と、書き置きがある。

「お姉ちゃんは会社にいきます。ご飯、食べてね。それから、これは昨日の晩ご飯代です」

 書き置きの下には千円札が置いてあった。

「……ああっ! もうっ!」

 悩んだ挙げ句、直巳は千円札を取って財布に入れた。自分で稼いでるので、もらう必要はないのだが、無視すると姉は悲しむのだ。

 それでも、昼食だけは自分でなんとかすると説得してある。前はどんなに朝が早くても、直巳のためにお弁当を作り、作れない日はお金を置いていた。自分で用意すると伝えると姉は渋っていたが、とにかく直巳が大丈夫だからを繰り返し、なんとか理解してもらえた。

 姉に負担はかけたくない、必要以上に構われるのが嫌。両方の気持ちがあった。

 (早く卒業して独り立ちしたい……神父になれば、もっと稼げるのに)

 直巳は姉の用意してくれた朝食を食べてから学校へ向かった。朝食は自分で作るよりも、ずっと美味しかった。


 午前中の授業が終わり、昼休み。直巳は友達でも誘って学食へ行こうと考えていたが、席を立ったところで大きな人影が近寄ってくる。伊武だった。

「伊武……? どうしたの?」

 伊武は直巳に耳打ちをする。

「えっと……ね。お弁当、作ってきたんだ……けど」

「え? マジで? っていうか、どうして?」

 伊武は耳打ちを続ける。

「あの……昨日、お弁当作ってって……だから、作った方がいいのかなと……思って……」

「昨日? ……ああ!」

 昨日、伊武が「なんでも言え」と言ったとき、冗談で「お弁当を作って」と言った。言ったが、それは例えばの話で、本気にしているとは思わなかった。

「いや、本当に作ってきてくれるとは……ありがとう、もらうよ」

 直巳は驚いたが、純粋に嬉しかった。女子にお弁当を作ってもらうなんて初めてだ。

 直巳がもらうと言った瞬間、伊武は、ほっとため息をついた。

「じゃあ……裏庭に行ってて? すぐに追いかけるから……ここで渡すと目立つし……冷やかされたり、噂になると……椿君の迷惑になる……から」

 そこまで考えていてくれたことに直巳は感謝した。たしかに、ここで伊武に弁当を渡されたりしたら、あっという間にクラス全員にいじられることだろう。

「ああ、わかった。その、ありがとうな」

「ううん……いいの」

 照れくさそうにする伊武を後に、直巳は足早に教室を出て行った。直巳もきっと、同じような表情をしていただろうから、恥ずかしかった。

 裏庭には幸い、人影がなかった。カップルは大抵、屋上や中庭で昼食をとる。この冬空の下、日当たりの悪い裏庭で昼食をとる生徒はカップルでなくとも、普通はいない。

 少し待っていると、伊武が小走りでやってきた。

「ご、ごめん……ね? 待った?」

「ううん。待ってないよ」

「そ、そう……」

 それっきり、二人とも黙り込んでしまう。こんなとき、どうしたらいいのか、異性と交際した経験の無い二人は、それがわからない。

「と、とりあえず座ろうか。そこ、ちょっと壊れてるけどベンチあるし」

「う、うん……」

 二人でベンチに座る。はじっこが少しかけているが、二人で座る分には問題はない。

「……」

「……」

 そして、また二人の間に沈黙がおとずれた。

 このままでは昼休みが終わってしまう。直巳は自分から行動を起こした。

「お弁当! もらっていいかな!」

「う、うん」

 直巳が勢いに任せて、バッと手を出すと、伊武は反射的にその手にお弁当をのせた。

「ど、どうぞ」

「お、おお……ありがとう」

 手には、ずっしりとお弁当がのっている。青い布で包まれており、弁当箱はやや大きめな気がする。男だから、気を使ってくれたのだろうか。

(おお……これが……これが女子の手作り弁当……)

 このお弁当は、伊武希衣という女子が、椿直巳のために作ったお弁当なのだ。仕事とかではなく、わざわざ作ったのだ。お弁当のリアルな重みが、現実であることを伝えてくれる。

 直巳は早速、お弁当の包みを解き、ふたをあけた。中身は彩りも鮮やかな、いかにも美味しそうなお弁当そのものだった。ご飯も多めで、男子でも満足できる量だ。大きめのハンバーグをメインとして、サイドをブロッコリーやニンジンが鮮やかにいろどる。さらに嬉しいことに、チキンソテーまで入っている。メインが二品。これならば多めのご飯でもおかずが足りなくなるということはないだろう。

「おお……すごい……」

 直巳がお弁当の完成度と、ニーズを満たした内容に感嘆の声をあげる。

「は……恥ずかしい……から……そんなに見ない……で……早く食べて……」

 伊武が両手で頬を押さえて恥ずかしがる。ちょっと顔が赤い。

「ご、ごめん。それじゃあ、いただきます」

 それからは美味しかったのと、照れ隠しのため、夢中で食べた。伊武は、その様子を横からじっと見ていた。

 10分も経たないうちに、直巳はお弁当を食べ終えてしまった。夢中で食べたので、食べている途中の記憶があまりない。

 箸を置き、一息ついてから、伊武に向かって言った。

「ごちそうさまでした。その、美味しかった……です」

 すごく恥ずかしかったが、ちゃんと感想は伝えたかった。

 伊武は、ほっとため息をついてから、にっこり笑った。

「おそまつさまでした……お茶……飲む?」

「ありがとう。もらうよ」

 伊武が水筒から入れてくれたお茶を飲む。伊武は「食べるの忘れてた」と自分のお弁当を急いで食べ始めた。直巳がそれを見ていると、「恥ずかしい」と言って照れた。

 伊武もお弁当を食べ終わり、二人でお茶を飲んでいた。寒いので、温かいお茶が美味しい。

「伊武は、料理上手なんだな」

「うん……よく、作るから……普通のご飯しか作れないけど……」

「普通のご飯? 普通じゃないご飯ってなに?」

「その……スイーツとか、おしゃれなやつ? は、あんまり作ったことない」

「そっか。でも、こういう家庭料理が得意な方がすごいと思うよ」

「……そう?」

「うん。俺も作るけど、伊武の方が上手だな」

「そうなんだ……ふふっ」

 伊武が口元を押さえて笑う。思わず、こぼれてしまったような笑い声だった。

「な、なんだよ」

「ううん、なんでもないの。ごめんね。ただ、作ってきて……よかったなって。突然だったから、断られてもしょうがないと思ってたの。いきなりで……ごめんね?」

「いや、そんなことないよ。こちらこそ、昨日、催促しちゃったみたいで……なんかお礼をしないと」

 さて、どんなお礼をしようか。お金では気分も悪いだろう。何かあっただろうかと、直巳がポケットをまさぐり始めると、伊武は慌てて止めた。

「いい……お礼なんかいいよ? こっちが勝手に作ってきただけだし……」

「そうは言っても――あ」

 ポケットを探っていた直巳の動きが固まる。お礼になるようなものが見つかってしまった。

(昨日、天木さんのところで買った指輪だ)

 上着のポケットに入れたままだった。

 直巳は悩んだ。お礼はしたいが、これを渡したら変なことにならないだろうか。お弁当のお礼に指輪では重すぎないか。

「……どうした……の?」

 ポケットに手を入れたまま固まっている直巳を、伊武が不思議そうに見つめる。

「え、あ……いや……」

 伊武はきょとんとした表情で直巳を見ている。まだ硬直している直巳に、昨日の天木の言葉がよみがえる。

「なんでも恥かいて覚えるもんだよ」

 よし、これはただのお礼だ。他意はない。そうだ、これはお礼であり、姉にプレゼントを渡す際の予行練習だ。いや練習と言ったら伊武に失礼だが、とにかくそういうことだ。これはただのお弁当のお礼なのだ。実際、これはオマケでもらってるから高いものじゃないし、さりげなく渡せばきっと大丈夫なはず。

「えーと……伊武はアクセサリーとか、つける?」

「アクセサリー? ううん……つけない、というか……持ってないけど……」

「そ、そうか。その、昨日、ちょっと人からもらったものがあってさ。女性用だから俺がつけるわけにもいかないし、伊武は女の子だから、もしかしたら使うかな? と思って」

「う……ん?」

 緊張で口数の多くなっている直巳。伊武は何が何だか、という表情をして、とりあえず話を聞いてくれている。

「あの、えーと――あー……まあ、いいや……」

 色々と考えて、考えすぎた結果、直巳は「ま、いいや」という結論に達した。

「もらいものだから、たいしたものじゃないけど、よかったら」

 そういって、手に指輪を掴むと、伊武の前に差し出した。

「?」

 伊武はよくわかっていない。それはそうだろうと思う。

「手、出して」

「……こう?」

 伊武が差し出した手の平に、そっと指輪を置いた。

「え――これ――」

「それ、お弁当のお礼ってことで。本当、安物で申し訳ないんだけど」

「くれる――の?」

「そ、そう。あの、変な意味じゃなくて。ちょうど持ってたから――」

「うん……お弁当のお礼……だよね……でも、ありがとう」

 伊武がいつもの笑みを浮かべた。引いてもおらず、深い意味にも取らなかったようで直巳はほっとした。

「これ……可愛いね……どうしたの?」

「知り合いにもらったんだ」

「そうなんだ……うん……大事にするね……つけてみて……いい?」

「お、おう。伊武のものだから、好きにするといい」

 この言い方は、ない。直巳は自分でもそう思ったが、正解がわからない。伊武じゃなかったら怒られていたかもしれない。

 だが、伊武は直巳の失礼な物言いも気にせず、指輪をはめた。

「じゃあ――あ……入ったよ……よかった……私……手も指も……大きいから……」

 伊武は右手の人差し指にはめた指輪を嬉しそうに眺めていた。色々な角度から見て、手を空にかかげて、小さな石を透かそうとする。日の当たらない裏庭では無理だったけれど。

 伊武には言わないが、彼女でピッタリということは相当でかい。天木め、本当に在庫処分したなと、直巳は心の中で舌打ちをした。

 しかしまあ、伊武も喜んでいるし、結果オーライということで今回は見逃すことにした。

「これ……つけてたら……先生に怒られちゃう……かな?」

「うちの学校、そういうのうるさくないから、大丈夫じゃない?」

「そっか……じゃあ、今日だけつけちゃおう……かな……えへへ……」

「い、いいんじゃない?」

 伊武がここまではしゃぐのを、直巳は初めて見た。どうなるかと思ったけれど、伊武にあげてよかったなと、直巳は心から思った。

 ただ、一つだけ失敗があった。この時点でわからなかったとはいえ、直巳は伊武に指輪を外させるべきだった。


 放課後、授業が終わってからそれは起こった。

 伊武の机を、女子の何人かが囲んでいる。

「伊武ー。ちょっと話あんだけど、顔貸してもらえるー?」

 伊武に絡んでいたのは、女子の中でも派手な連中。学校にも来たり来なかったりで、すこぶる評判の悪い女子グループだ。話しかけているのはリーダー格で沢井という。

「ここじゃなんだからさ……裏庭いこうよ。あんまり騒ぎになんの、やだろ?」

 伊武は教室を見回し、直巳がいないことを確認する。もう帰ったようだ。

「……うん、わかった」

 伊武が沢井達に連れられて教室を出ていった。周りの生徒達は、またかというように見ているだけで、誰も止めようとはしない。沢井が気に入らない生徒を、男女問わず呼び出してシメるというのは有名だった。男子の場合には、仲の良い男子グループ(沢井達の男版のような連中)が協力している。やり方が上手いのか、それとも、人に言えないぐらいに酷いことをされるのか、表だって問題になったことはない。

 伊武が素直に沢井達について行き、裏庭に着くと、沢井達女子三人と、同じくバカっぽい男子三人に囲まれた。

「伊武ゥ……おめー、可愛い指輪つけてんのな。ちょっと見せてみろよ、あ?」

 沢井はどうやら、伊武のつけている指輪に因縁をつけているらしい。自分たちはもっと派手にじゃらじゃらつけているのに、何が気に入らないのだろうか。

 伊武が右手を差し出すと、沢井はその右手を押さえつけた。

「へー、マジかわいーじゃん」

「これ、宝石とか本物じゃね? 高いっしょこれ。あたし宝石とかマジ詳しいから」

「だろ? やばくね?」

 沢井達は伊武の右手を見ながら勝手に騒いでいる。

 昨日、直巳が魔力を込めたので魔石になっているので、こんな高価なものを見たことあるというのは嘘なのだろうが、言いがかりをつけられれば何でもいいのだろう。

「もう……いい?」

 伊武がうんざりした声で言うと、沢井が突然、不機嫌になった。

「あ? 駄目。ぜんぜん駄目。っつーか外せ。っつーか寄越せ。おめーみてーなメスゴリラにはもったいねーんだよ。っつーか生意気」

「沢井ー。その子、地味なだけでブスじゃねーって。乳とかすげーでかいし。自分が胸無いからって、いじめちゃ駄目っしょー」

 男子連中がゲラゲラ笑い始めると、沢井は舌打ちをした。

「チッ……うるっせーな……でも、マジでけーな。この乳を触らせて指輪もらったんだろ?」

「そんなこと……ない」

 伊武が冷静に否定すると、取り巻きの男の一人が「はーい」と手をあげてしゃべり始めた。

「揉んでませんでしたー。お弁当あげて口説いたんだよなー。椿、童貞っぽいし。揉むガッツねえし」

「っ!」

 伊武がにらみつけると、男はへらへらと笑った。

「俺、昼休み見てましたー。そこの茂みで煙草吸ってたら、面白そうなこと始めたから見てたんだー。気づかなかった? 最近、この辺って俺らのたまり場なんだよね。だから人いないんだよー? 知らなかったぁー?」

 伊武も直巳も学校のことにはあまり興味がなかったし、不良のたまり場になっていることなど知らなかった。むろん、知っていたら、わざわざ来なかっただろう。伊武は目を閉じて、自分の迂闊さを後悔した。これぐらい、少し調べればわかったことなのに。

「おい」

 沢井が伊武の頬を軽くはたく。目を閉じていたのが気に入らなかったらしい。

「そういうわけでさ。あたしらの場所で勝手にイチャコラされて、メスゴリラが指輪もらって調子のって教室で付けてるとか、すっげーむかつくわけ」

「ごめん……なさい」

 伊武が素直に謝るが、彼女に怯えた様子は一切ない。それが沢井をいらつかせた。

「ごめんじゃねーよ。もうおせーんだよ。とりあえず指輪没収な。あと、椿呼べ、椿」

 椿という名前を聞いて、伊武の目の色が変わった。沢井達はそれに気がつかなかったようだが――気づいたとして、どうこう出来るほど賢くもないが。

「椿もシメんだよ。おめーら賢いちゃんは勉強してりゃいーの。人の縄張り入って恋愛ごっことか、マジうざいわけ。もう謝っても遅いわけ。やっちゃったわけよ」

「ごめん……なさい……謝るから……椿君には連絡……しないで……」

 それを聞くと、沢井は弱点を見つけたとばかりに、ニヤリと笑った。

「だぁめだ。ぜってー呼び出す――あ、そだ。おもしれーこと思いついた。伊武の携帯から椿にメールしようぜ。不良に絡まれてるから助けてって――下着写真で」

「え、沢井なにそれ。超エロいじゃん」

 男の一人が沢井の思いつきに食いつくと、沢井は得意そうな表情で話はじめた。

「10分ごとに伊武を剥いて、椿に写メ送るんだよ。来るのは怖いけど、来ないと大事な伊武がどんどん剥かれてって、最後は――素っ裸じゃすまねえよなあ?」

 沢井が自信たっぷりに下卑た笑みを浮かべると、男達は盛り上がった。

「沢井、鬼畜すぎ。それやべえ楽しい。でも来ないかもよ? ほっとくと伊武のエロい写メ届くんだろ? 見捨てて写メ待機しちゃうかもよ?」

「それならそれでいーだろ。俺らがおいしい思いするだけだし。一回、この巨乳と遊んでみたかったんだよなー。マジ、グラビア級でしょこれ」

 男達が下品な想像で盛り上がる。沢井は楽しそうにニヤニヤと伊武を見ていた。

「でも、椿君きちゃったらどうすんの? やめんの?」

「止まらないっしょー。一通り見てもらってから、見学料として俺らにも指輪買ってもらうとかどう? クロムの50万とかするやつ」

「おまえ天才だな。っつか、椿、どうやっても助からないじゃん。超ウケる」

 その言葉を聞いた瞬間、伊武の目から光が消えた。がっくりとうつむく。沢井はそれを見逃さず、伊武の顔を覗き込む。絶望したと思ったのだろう。

「どーしたよ伊武ぅー。ようやく自分の立場が――」

 沢井が凍り付いた。伊武の目を見てしまった。光の消えた、伊武の目を。

「あ……お、おい……おまえら、ちょっと……」

 何かを予感したのか、沢井が男達にそれを伝えようとするが、男達は下卑た楽しみの算段で盛り上がっており、その声は届かなかった。

「あいつ、ずっと天使教会でバイトしてるらしいじゃん。天使教会って金持ってるし、椿君もお金持ちの可能性が――」

 そして、男の体が吹き飛んだ。誇張でも何でもなく、10メートルは後方に吹き飛んだ。

「――あ?」

 何が起きたか、誰も理解できなかった。もう一度見ても理解できないだろう。

 伊武が男の一人に一瞬で近寄り、蹴り一発で10メートル吹っ飛ばしたのだ。後でわかったのだが、股を蹴り上げられており、この時点で片方つぶれていた。

 それからは、あっという間だった。一人は伊武に顔を掴まれ、地面に叩きつけられた。固い土の地面に顔型が付いた。前歯全部と鼻の骨は間違いなく折れた。

 もう一人は鎖骨を握りつぶされ、悲鳴を上げる瞬間に顎の骨を外され、喉仏を潰された。一連の動作を綺麗に決められ、一切の悲鳴をあげることなく気絶する。

「は……なに……? なんなの……?」

 十秒もかからなかった。男達は悲鳴一つあげる暇なく、全員潰された。

 ショックのあまり、沢井が地面にへたり込む。

 他の女子は逃げようとしたが、伊武の一睨みで動けなくなった。

「な……なんだよ……なんだよこいつ……」

 伊武は座り込み、沢井に目線を合わせる。

「……椿君に手を出すのは……駄目……かな」

「ま、まだ……まだ何もしてねーし! ちょっと、そんなことを思っただけでっ!」

 伊武が沢井をじっと見る。睨むわけでもなく、ただ見つめる。

「椿君には……そんなことを思うのも……駄目……かな」

「わ、わかった……何もしねーって! 絶対に! お、おまえにも何もしないから!」

「当たり前……かな……あれ? 沢井さん……可愛い指輪してるね……見せて?」

 伊武が沢井の左手を掴み、目の高さまであげる。沢井の左手薬指には、安物のリングがはめてあった。

「これ……誰にもらったの?」

「か、彼氏……だよ……」

「ふうん……ちょっと……見せて……」

「わ、わかっ――」

 全部言い切る前に、伊武は沢井の左手薬指を力まかせに引っ張った。指輪はピッタリのサイズだったため、抜けなかった。かわりに薬指根元の関節が抜けた。

「ひぃっ――」

 沢井は痛みと恐怖で声にもならない叫びをあげた。

「抜けない……ね……じゃあ、指輪はいいや……ピアスも……してるんだね」

伊武がそっと、沢井の耳たぶに触れる。大きく、冷たい手にそっと包まれると、沢井は何をされるか想像し、恐怖のあまり失神する寸前だった。

「ピアス……ちょっと……見せて……」

 伊武が沢井のピアスに、そっと触れた。

「ああぁ……ああ……」

「何を……怖がってるの? ちょっと……見せてもらうだけ……だよ?」

 伊武がにこりと笑って、ピアスの裏表を指先で挟むようにつまむ。

「や……やめてっ……やめてくださいっ……ごめんなさい……もう、二度としませんから……伊武さんにも……椿君にも……何もしない……からっ……」

「うん……当たり前……かな……今日あったことも……全部……内緒にできる?」

「できますっ! しますっ! こいつらにも言っておきますっ! 絶対内緒にしますっっ!」

「……約束……守って……ね」

 伊武が沢井のピアスをつまむ指に力を入れて――そのまま砕いた。沢井は耳たぶの中でピアスの芯が折れる音を確かに聞いた。耳から砕けたピアスが落ちる。耳に傷はついていない。

「壊れちゃった……ね……ほら……立って……?」

 伊武が沢井の両腕を掴み、強引に立たせた。沢井の足下に水たまりが出来ている。沢井は何も言えずに、ガタガタと顎を震わせるだけだ。

 伊武は沢井の顔を掴み、強引に目を合わせた。

「次やったら殺す」

 はっきりと、強い口調で伝えて沢井を放り投げた。

「お前らも」

 残った女子達が必死でうなずくのを確認すると、伊武はその場を立ち去った。

「椿君……指輪……守ったよ……椿君のことも……」

 そうつぶやいて、うっとりと指輪を眺める。

 そのとき、背後から沢井の泣き声が聞こえた。

(まだ泣く元気があるんだ)

 もう少し痛めつければよかったと、伊武は少し後悔をした。

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