第二章

「あ……椿君……」

 直巳が教会を出ると、外で一人の少女が待っていた。

「伊武。待っててくれたんだ。先に帰っててもよかったのに。寒かっただろ?」

「ううん……平気……私、丈夫だから」

 伊武と呼ばれた少女はそう言ってにっこり笑う。口元はマフラーで隠れているが、鼻は赤くなっている。やはり寒かったのだろう。

 彼女は「伊武 希衣」(いぶ まれい)。直巳のクラスメイトで、天使教会の信徒だ。

 直巳は伊武に、「神秘呼吸」の存在を話していた。というより、伊武は自分で見破った。

 伊武も天使教徒で、直巳と同じ教会に通っている。ある日、直巳が教会で施術を終えて出てくると、伊武は直巳の両手を握り、「これ、すごいね」と笑顔で言った。やばいと思った直巳は口止めしようと思ったのだが、伊武は「誰にも言わないよ」と約束してくれた。

 それどころか、人助けをする直巳を尊敬していると言ってくれた。

 それをきっかけに話すようになり、仲良くなった――というより、なつかれた。非常によくなついている。今だって直巳を見つけたとき、尻尾があればブンブン振っていただろう。

 彼女は地味でおとなしいが、美人だし、気配りもできるいい子だ。自分からはあまり話をしないが、直巳にはそれが心地よかった。

 それからスタイルもいい――はっきり言ってしまえば、かなりの巨乳で、身長も180センチ以上あり(本人は179センチと言い張っている)、腕も足も長い。

 そして、やたらと筋肉がついていて、ガッシリしている。特に部活をやっているわけでもないということなので、胸だけでなくすべての発育が良いのだろう。

 こんな綺麗な子が、どうして俺になつくのか? というのはいまだに謎だが、嫌な気持ちもしないので、あまり気にしないようにしている。

「今日は……女の子、だっけ?」

「ああ。まだ小さな女の子だった。ちゃんと助かったよ」

「そっか……よかった」

 伊武は静かに、優しく微笑んだ。直巳は、自分の仕事が認められたようで嬉しかった。

「その……腕は大丈夫なの? 最近、忙しいみたいだけど」

「大丈夫だよ。この後も、ちゃんと放出してくるから」

「ん……そっか……。何かあったら言ってね?」

「何かって?」

「……なんでも、だよ」

「なんでも?」

「うん……なんでも」

 女の子に、「なんでも」と言われると、良からぬ考えがよぎるが、ぐっとこらえた。

「お弁当作ってきて、とか」

「いいよ。作って欲しいの?」

 素直に返事をする伊武を見て、直巳にちょっと悪戯心がわいた。

「じゃあ、ちょっとエロいこととか……」

 やっぱりこらえられなかった。

「――ちょっとでいいの?」

 伊武はにっこりと微笑む。一枚上手だ。

「あ、いや……ごめん。なんでもないです」

 笑顔を崩さない伊武を見て、直巳は自分で恥ずかしくなってしまった。

「ふふ……他の女の子に言っちゃ……駄目だよ」

「はい……」

 大人しいからといって侮っていた。今後は気をつけようと直巳は固く誓った。

 それから途中まで一緒に歩いて、直巳は伊武と別れた。

 直巳は、また別に寄る所があった。



 伊武と別れた直巳は、とある高級マンションへと向かった。暗記している部屋番号を押し、応対して入り口の扉を開けてもらう。最上階に到着すると、「天木」と書かれた部屋のインターホンを押す。

「やあ、いらっしゃーい」

 中から細身の男が現れて、部屋に入れてくれた。彼は「天木 来栖」(あまぎ くるす)と言って、表向きは宝石商を営んでいる。

 じゃあ裏は。裏は魔術商だ。天木自身も魔術師であり、宝石商で儲けた資産を魔術道具収集に惜しみなくつぎ込んでいた。

 直巳が教会で魔力吸収をした帰り道、突然、彼に声をかけられた。吸収して溜まっていた魔力に感づいたらしい。そこで彼は自分が魔術師であることを伝え、直巳を家に呼んだ。直巳が自分の能力を説明すると、彼は目を輝かせて、「仕事をしないか?」と誘ってきた。それからというもの、教会で魔力を吸収した後は、必ず天木の所へ寄る。

 天木に案内され、リビングのテーブルに座らせられる。

「何か飲むかい? 仕事帰りなら、いつもと同じくハーブティーがいいね。僕のハーブティーには心をすごく落ち着ける効果があるからね。あ、薬とか入れてないよ」

 天木は返事も聞かず、お茶の準備をはじめた。

「今日は、どのくらい?」

 天木がたずねると、直巳は少し意識を集中して、体内の魔力量を確認する。

「三個分ぐらいかな」

「おや、結構いったね。患者は助かったのかな?」

「もちろん、助けたよ」

「それは何より。どうする? お茶、飲んでからにする?」

「いや、先にやっちゃうよ。すぐ終わるし」

「わかった。ちょっと待っててね」

天木がパタパタとスリッパを鳴らしながら、楽しそうに奥の部屋に入っていき、すぐに宝石箱を持ってきた。宝石箱を開けると、3つの石を取り出す。

「今日は、この3つにお願い」

 直巳の前に布を引き、3つの宝石をそっと置いた。

「わかった」

 直巳は右手で宝石を握る。少し気を込めると一瞬だけ宝石が光った。それを3つの宝石すべてに行う。

 天木がテーブルに肘をつき、その様子を楽しそうに見つめていた。

「いつ見ても綺麗だねえ。たいしたもんだ」

「天木さんも飽きないね――はい、終わったよ」

 直巳が3つの宝石を、元々あったように並べる。宝石は最初よりも深い色で輝いていた。

「どれどれ――」

 天木は鑑定用のレンズで宝石をチェックする。一つ見るごとに満足した顔でうなずいた。

「うん、オッケー。全部完璧だね」

 直巳は教会で吸収した魔力を、天木の持っている宝石に与えていた。宝石は魔力を溜め込むことができ、魔力の入った宝石は、「魔石」と呼ばれ、他とは違った輝きを見せるので、好事家には人気があるという。一日で吸収と放出、一挙に両方できるので大変お得だ。

「それじゃ、代金を払うね」

 もちろん、天木からも報酬はもらっていた。

「何がいい? ゴールド? 宝石?」

「現金で」

「ちぇっ。椿君は現金ばっかでつまらないよ」

 天木はぶつぶつ言いながら、小さな金庫からお札を取り出し数え始めた。

「天木さんの金とか石、怪しいから。家に帰ったら石になってそうで」

「錬金術で作っても、ちゃんとした金だし宝石だよ――はい、30万円」

 直巳は天木から札束を受け取り、枚数を数えた。ちゃんと30枚ある。

「はい、大丈夫です。毎度どうも」

 これで、教会での報酬と合わせて55万の稼ぎだ。非常においしい。

 直巳がお金をカバンにしまうのを見届けると、天木はパンと手を叩いた。

「はい。じゃあビジネスはここまで。お茶にしようか」

 天木がハーブティーとクッキーを出してくれた。仕事が終わると、ここでお茶をしながら天木と話をするのが習慣だった。というか、話好きの天木が素直には帰してくれない。

 天木はニヤニヤしながら、出来たばかりの魔石3つを代わる代わる眺めている。

「天木さん。それ、いくらで売るの?」

 直巳がクッキーを食べながら尋ねる。

「それ言うと値上げされそうだから教えなーい」

 天木がツーンとそっぽをむく。天木は顔が良いから許されるが、普通は男がやってもまったく可愛くはない仕草だ。

「値上げなんてしないよ。ただの好奇心」

「本当に? 本当に値上げしない?」

「しないしない」

「じゃあ、教えてあげる。この3つは元の石もいいからねえ……最低で一つ500万かな」

「うっそ! たっけえ!」

 直巳の口から、思わず食べかけのクッキーが飛び出した。

 天木は気にせず宝石にほおずりする。

「そりゃそうだよー。目に見えて色が変わってるぐらいの魔石だよー? 普通の宝石じゃ満足できない人達からは涎もんだよー? 500なんて良心的」

 どうやら、天木は直巳の想像以上に稼いでいるようだった。確かに、この最上階の部屋だって家賃がいくらなのか、想像すらつかない。

「やっぱり、手数料上げてもらうんだったな……」

「まあまあ。あっ、そうだ! お給料上げる代わりに特別優待割引、なんてどう?」

 天木がポンと手を叩くと、いそいそと別の宝石箱を持ってきた。

「いや、割引って言われても。俺、宝石に興味ないし」

「馬鹿だねえー。若いねー。童貞さんだねー。君が興味なくても、女の子は興味あるの」

 天木が宝石箱を開けると、そこには様々なアクセサリーが入っていた。

「この辺なら、あんまりゴテゴテしてなくて若い子も気に入るかもよー」

 先ほどの宝石箱に入っていたものに比べると、石も小さく、デザインもすっきりしている。これならそんなに高くないだろう。たしかに若い子向けだ。

「天木さんが若い子向けのアクセサリーなんて珍しいね……儲かるの?」

「んー。娘とか恋人にプレゼントしたいから、若い子向けのが欲しいっていう需要があるんだよね。だから、最近始めたんだ。ま、儲けというよりサービスだね」

「なるほどねー……ぼったくりだけじゃなくて、ちゃんと商売してるんだなー」

「君は人のことなんだと思ってるのかなあー。あ、こんなのどう?」

天木は宝石箱から細いネックレスを取り出した。トップにダイヤモンドがついているシンプルなものだった。

「まあ……うん……いいんじゃない?」

「でしょー? こんなのプレゼントしたら、女の子喜ぶよー」

「そう言われてもなあ……プレゼントする相手が……」

仲の良い女性と言われて直巳の頭に伊武の姿がよぎった。

(いや、こんなのプレゼントする関係じゃないしな)

 いくら親しいとはいえ、恋人でもない伊武にいきなり宝石をあげたら引かれるに違いない。

「うん……やっぱ、いない」

「そうかなあ? 喜ぶと思うよー、お姉さん」

「えっ……姉さんに?」

「日頃の感謝を込めてお姉さんに。弟からもらえるなんて、泣いて喜ぶと思うけどなー」

 直巳には姉が一人いる。「椿 つばめ」と言って、普通の会社員をやっている。両親が家にいない直巳の母代わりでもあり、確かに感謝はするべきだと思っている。

 ただ、最近はちょっと色々あって、あまり良好な関係ではない。

(これが良いきっかけになるかも)

「――いくら?」

「20万! と言いたいところだけど、10万でいいよ」

「仕入れ1万ぐらいでしょ。5万で」

「どうしてそうやって可愛くないかなあ!?」

「天木さんからしてみたら、小さい金額じゃん」

「商売ってそういうことじゃないんだよねえ! 駄目! 10万! 本当に安くしてるんだからね!? このダイヤ、本物なんだから!」

「わかったよ……でもなんか、天木さんの言うとおりに買うのは引っかかるというか……」

「君は本当に僕のこと信用してないねえ……じゃ、10万で買ってくれたらオマケつけてあげる。これなんかどう?」

 そういって天木が取り出したのは、細身のシルバーリングだった。これにも小さな石が入っている。

「小さいけど、石は本物。学生のプレゼント用にはちょうどいいよ! ほら! 見て! 可愛いでしょ! 石もいいんだよ! ほら!」

「わか……わかったから……」

 天木が身を乗り出して指輪をぐいぐいと顔に押しつけてくるので、よく見えない。

「直巳君! これでモテちゃいなよ! ほら! ほら!」

「わ、わかった! 買う! 買うから!」

「はい、毎度ー」

 直巳は先ほど、天木から受け取った報酬から10万円を彼に戻した。代金を受け取ると、天木は手慣れた感じでネックレスをケースに入れようとしていた。

「あ、ちょっと待って。入れる前に一回見せてもらっていい?」

「ん? いいけど?」

 天木からネックレスと指輪を受け取ると、直巳はそれに魔力を込めた。右手の中でそれぞれの石が小さく光る。

「あ! それずるい! 魔力残してるじゃん!」

「そっちの石には限界まで魔力入れたって! 余剰の魔力使っただけだよ! まあ……これで宝石の価値上がるんだろ? せっかくだしさ」

「ちぇー……そんなの僕が欲しいよ。あ、僕にプレゼントしてくれない? 石はこっちで用意するからさ」

「仕事させるなら金払って。はい、これ包んでください」

 天木はぶつぶついいながらネックレをケースに入れてくれた。指輪は安いのでケースは無しということらしい。天木からネックレスと指輪を受け取ると、ネックレスのケースをカバンにしまった。指輪はなくしそうなので、そのまま上着のポケットに入れた。

「渡し方もちゃんと考えるんだよ。効果が全然違うんだから」

「そんなこと言っても……プレゼントなんてしたことないし」

「何でも最初はやってみて、恥かいて覚えていくんだよ。恋愛だって商売だって一緒。ま、お姉ちゃんにはどんな渡し方しても喜んでもらえるよ」

「そうかなあ……ちょっと、照れるね」

 いつ、どんな顔をして渡せばいいのだろう。姉に渡すことを考えるだけで、ちょっとむずがゆくなる。

「渡す時に照れない相手には、渡してもしょうがないからね」

「そんなもんですか……でも、やっぱり高いような気が……ポンと10万は……」

「それを教えたかったんだよ。君は若いのに稼ぎすぎだ。使い方も覚えないと。稼ぐ時の10万と、使う時の10万の違いは知っておいた方がいいよ」

「なるほど。確かに10万使ったこの罪悪感はいかんともしがたいですね」

「でしょー? ま、たまには取引先の商品買えよ。僕ばっかり払ってずるい、というのもある」

 飲食店への営業の人は、自腹でその店で食事をしたりするらしい。前にテレビで見たことがあるが、それと同じなのだろうか。

 直巳はお願いされる立場であり、元手もただなので、そこまで気が回らなかった。

「それは確かに、覚えておいた方がいいかもしれませんね」

「商売やるならね。付き合い、次への繋ぎ代ってことさ。これで、いつも君に払ってばかりの僕の溜飲も下がって、次も気持ちよく君のお仕事をお願いできる。安いもんでしょー?」

 たしかに、天木からもらっている金額を全て合わせたら10万なんて微々たるものだ。

 これで天木が喜んでいるなら、まあいいだろう。それぐらいの親しみは感じている。

 その後、しばらく天木の世間話に付き合ってからマンションを出た。

 ポケットをまさぐると、指輪の固い感触がある。

 10万は高かったが、初めて買った貴金属に気分が高揚した。


 天木のマンションを出たところで、直巳の携帯にメールの着信があった。メールを見てみると、姉のつばめからだ。


 件名:今日は遅くなります

 本文:今日は残業で遅くなります。遅くなってしまうので先にご飯を食べててください。お金は明日渡します。ごめんね。あと、洗濯物を取り込んでおいてもらえると嬉しいです。お願いしちゃってごめんね。


 直巳は「わかった」とだけ書いて返信すると、携帯をしまった。姉が残業で遅くなるのは珍しいことではない。ただ、そのたびに本当に申し訳なさそうなメールが来るのが、ちょっとつらかった。直巳も子供ではないのだから、そこまで気を使われると不愉快だし、姉弟なのだから、もっと頼ってくれてもいい。これだけのメールで2回も「ごめんね」を書く必要なんてないのだ。

 (ネックレス、今日は渡せないかな)

 直巳は帰宅する前に夕食を済ませようと、駅前に向かうことにした。

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