《Bird side - 9》『ヴァンブラン・ハウル』[後編]
ぽっかりと空いた森の十円禿げのように、そこだけ木々に埋もれてない場所が空からだとよくわかる。
日中は直射日光によって鉄板のように熱くなるその場所は日が暮れると冷たい〈青の岩場〉となる。ヴァンブランはできるだけゆっくり着地すると両方の羽を静かに閉じた。思った以上にひやりと冷たい岩の感触に少し驚き、両方の足を交互に片方づつ浮かせた。
まずは狼たちを集めねばならない。
瀕死の王から伝えられた言葉を思い出しつつヴァンブランは“集合”の遠吠えをあげた。やがて──
闇の中に、ひとつ、またひとつと瑠璃のような光が灯り、土の匂いを
「……おかしいな」
「ああ、おかしい」
「確かに今、親父の声が聞こえたはずだが」
獣たちは低い声でそう囁き合い、森の方から岩場へと足を移してくる。ヴァンブランの目は今や頭上で狼たちがのそのそとうごめくのを見上げるかたちとなっていた。密集した狼たちの足が自分のすぐ右側を、そして後ろを、踏みつけんばかりに交差していく。
「ここだ」
思いきってそう言い放ったヴァンブランの声に素早く反応し、まるで土管のように長い鼻先たちが一斉にこちらを向いた。
「ひっ!」
狼の群れは小さなブラック・バードの存在にようやく気付いたとみえ彼を取り囲んだ。やがてよく似た背格好の二匹が前に進み出た。二匹とも焦げ茶色の毛並で首周りには「ウルフスピッツ」といわれるたてがみのような飾り毛を
「貴様、何者だ。鳥の分際でなぜオレたちの言葉を話す」
「お、俺の名はヴァンブランだ。おまえたちに伝言があって来た!」
目玉がぐりぐりとひっくり返りそうになりながらもヴァンブランはようやくそう言い返すことができた。まるで
「待て、キャシアス。なんてこった……やっぱりこいつの口の中からだぜ、親父の声が聞こえてくるのは」
キャシアスと呼ばれた狼は耳まで裂けんばかりの口を開き、牙を剥き出しにした。ヴァンブランはその名前に聞き覚えがあった。王が話していた三匹の息子──そのうちの一匹の名前だ。
「おい、鳥。どういうことだ。なぜ貴様、俺たちの親父の声で喋る?!」
「まさか、おまえ親父を食っちまったんじゃないだろうな」
「バ、バカ言うなよ、鳥が狼を食っちまうなんて天変地異が起こったってあるわけないだろ?!」
「貴様! 俺にバカと言ったな!」
「お、落ち着けってば……。あんたキャシアスっていったな。ってことはキミの方がブルータスかい。あんたらソゼの息子だろ?」
確かにすべて的を得ている。どうやら父であるソゼと何らかの関わりがあったのは本当らしい──狼の兄弟はそんなことをボソボソと囁き合った。
「もう一匹いるはずだ。あんたらは三兄弟だろ。シーザーって三男はどこだ?」
「ボクだ」
キャシアスとブルータスより一回り小さな体が二匹の後ろから現れた。三兄弟のうち彼の毛色だけがやや黒寄りのウルフグレーをしていた。
「よし、これで揃ったな。いいか、皆も聞いてくれ。言っとくけど、ここから先は俺の言葉じゃないぞ。だ……だから、怒ってガブリなんてのはやめてくれよ。君たちの王の言葉だ。よく聞いてほしい。ソゼはさっき、俺の目の前で死んだ。崖から落ちたんだ」
「親父が……死んだ?」
「……うん、身動きのとれない彼は死の際で次の王を指名してほしいって俺にこの“声”を託したんだ」
ヴァンブランは、こうして大勢を前に喋っているとまるで自分がコンサートをしてる時のような気分になりヘンな気持ちになってきた。
──そうさ、これはコンサートさ。そう思えばいい。怖くなんかあるものか。
「もう一度言うぞ。お、俺の言葉じゃないぞ。ここ、大事なトコだからな。これは君たちの“王の言葉”だぞ」
そう言うとヴァンブランはシーザーの背中に飛び乗った。
「うわわっ! な、なんだよ、くすぐったいよ……あは、あははは、降りろよ、くすぐったいってば!」
「次の王は彼だ」
「あは……はははは…………へ、誰? 誰? へっ?」
「キミだよ、シーザー。キミが王位を継ぐんだ。今日から皆をまとめるんだ。だからほら、もっとシャンとしろよ。まったく」
「へ? なんで? ど、ど、どうして?!」
どよめきが起こる中、一番戸惑いを隠せなかったのは当のシーザーのようであった。
「ふざけるな!」
「デタラメを抜かすと食っちまうぞ! このブラック・バード野郎め!」
予想通り反論を挙げたのは長男のキャシアスと次男のブルータスである。
「俺たちの方が遥かに強い! それに体だってデカい。親父がそんなことを言うものか!」
「そうだ、よりによってシーザーだと?!」
「なんならここで力比べしてハッキリさせてやる」
ヴァンブランは慌てた。
「ま、待てよ。親父さんはそんなこと望んじゃいないよ。反論は許されないぞ」
──おっと、まるで自分が王になったような錯覚に陥って、ついそんなことを言っちまった。
「てめぇっ!」
「う、うわっ!」
ヴァンブランは間一髪のところで次男ブルータスの真っ赤な口をかわし、スルリと空中に飛び上がった。いつか襲われた山猫の口など比ではない。その三倍、いや五倍以上はある洞窟のような口だった。
「兄さんたちの言うとおりだよ、ボクじゃ無理だよ!」
シーザーといえば周りの狼たちからの視線を一斉に浴びておろおろと困惑していた。
──まいったな……。
「よし、じゃあひとつ問題を出そう。え~と、“ガリガリ”って奴はどいつだ?」
ヴァンブランが皆に問いかけると群れの中で一番ひょろっとした狼が首をあげた。
「オイラだ」
「じゃあキャシアスに聞くけど、キミはこのガリガリが一番気にしてることが何だかわかるかい?」
「そりゃあ……オスのくせして痩せっぽちでガリガリなところだろ? 簡単だ」
キャシアスの答えに皆が笑い、ガリガリも自虐的に『へへ……』と失笑した。
ヴァンブランは次に三男のシーザーに尋ねた。
「キミは。どう思う?」
「それは違うよ。“ガリガリ”は兄さんたちが勝手につけた“あだ名”じゃないか。あいつの本当の名前はジョージョーだ。むしろ気にしてるのは皆に“ガリガリ”って呼ばれることだと……思うよ」
「う……」
キャシアスの目が困惑ぎみに泳ぐ。
「前に相談されたことがあるんだ……だからさ、みんなもジョージョーって呼んでやってくれよ」
実をいうとヴァンブランだって答えなど知らない。彼はソゼが自分に伝えた言葉をなぞっているだけなのだから。
「じゃあ、次の問題だ。“ポーシャ”って奴はどこだ?」
「ワタシよ」
自分の名前が急に出て驚いたらしい、一匹のメス狼が耳を立てた。
「彼女は足に傷があるはずだ。どうしてこの傷がついたかわかるか? 今度はシーザーからだ」
「へ? そんなの……知らないよ。わかるわけないじゃん……」
「じゃあブルータスは?」
「川にはまったと聞いたが……?」
次男のブルータスは面倒臭そうに舌打ちしながらそう言った。
「どうだい、ポーシャ。正解かい?」と、ヴァンブランはポーシャに問い
「う……あ……あの、その、私──」
困惑するポーシャの顔を見てシーザーが口を挟んだ。
「ねえ、もういいじゃん。そんなクイズもどき、何の意味があるんだよ!」
そんなシーザーの姿を見てブルータスは首を傾げた。
「ちょっと待てよ、川にはまって流されそうになったポーシャを助けたのは確かシーザー、おまえだって聞いたぞ。なのにどうして当のおまえが答えを知らないんだ?」
シーザーはしまったという顔をした。
「わわ……それは、その……知らないよ。忘れてたんだよ」
この先どう進行すべきなのかわからなくなってきたヴァンブランだったが、その時、ポーシャの言葉が沈黙を裂いた。
「違うの!…………本当はワタシ、キツネに足を噛まれたの。それもこんなちっちゃな子ギツネ。それをシーザーが助けてくれたの。狼のくせにキツネに噛まれたなんて恥ずかしいじゃない……だから、ワタシ、みんなには言わないでってシーザーにお願いしたのよ」
なるほど。これで理解できた。シーザーは本当は答えを知ってるくせにポーシャに恥をかかせまいと気を使ってたということか。
(三男のシーザーは問題の本質を見抜く力に長け、しかもそれを解決するために必要な皆の信頼感を得ている──)
そういえばそんなことをソゼが言っていたのをヴァンブランは思い出していた。
ブルータスはやれやれと首を振った。
「つまり、俺やキャシアスにはそういう仲間全体の現状を見てとる力がシーザーより欠けてるってことか?」
「信頼もあって、約束を守るってか。くだらんね。おい、鳥、おまえにゃわからんだろうが、こと俺たち狼にとっちゃ一番重要なものは力であり強さなんだ。そうだろ、皆」
キャシアスが吐き捨てるように言う。
「キャシアス、それは思い込みさ。鳥だって一番歌がうまい奴が一番偉いってわけじゃ……ないんだよ」
そう言ってしまってからヴァンブランはまた余計なことを言っちまったなと後悔した。それは王であるソゼの言葉ではない、ただの私情だったからだ。鳥と狼じゃ環境も生活も違う。おそらく、たぶん、きっと。でも……そうだろうか?
「俺にもよくわからないんだけど、ソゼは最後にこう言ってたよ。これからは想像もできない強大な“力”が押し寄せてくる
ヴァンブランは群れの上を一周くるりと輪をかいて、先の尖った岩にとまった。
「──でもね、その力に対して同じように“力”で立ち向かおうとすることはむしろ危険で愚かなんだって」
そんなことを話しているうちにヴァンブランは狼の群れがいつの間にか皆、目を閉じていることに気付いた。そう──今、この場には確かに“王の声”が響いているのだ。
群れの前に凛と立ち、厳かに話す狼たちの王の姿を、きっと皆がそれぞれ閉じた瞼の奥に見ているに違いない。
「いつの時代だって王個人が兵隊より強いわけじゃない。正しいかどうかもわからない。キャシアスにブルータス、親父さんは決して君たちを見下してるわけじゃないんだ。シーザーの判断力を全力でサポートして、それでももし何か間違いが起こりそうなら今度は誰かがそれを打ち崩し、正す力だって必要だろ。皆のために」
ヴァンブランは“王の言葉”を話しながら少しだけわかったような気がしていた。“声”の力というものを。
「だから、君たちはその時まで力を温存しておくんだ。『狼の法』ってのはね、いつだって三位一体なんだ。そのことを決して忘れるなって。アルファはベータを抑え、ベータはオメガを監視する、けれどアルファもまたオメガに逆らうことはできない。狼のルールはね、とても尊いんだ──」
意図して記憶していたわけでもないのに、自分の口からそんな言葉が次から次へと出てくることにヴァンブランは少し驚いていた。先ほどのキャシアスたちの言葉ではないが、まるでソゼが自分の口の中に忍んでいるように思えた。
でも──これは“王の声”であり言葉だ。決して“俺の声”じゃない。その部分もきちんとわきまえているつもりだった。
「その通りだ! 俺たちは尊い! ソゼ万歳!」と誰かが雄叫びをあげた。
キャシアスとブルータスは互いに顔を合わせ、シーザーの風下へと立った。
「やれるな、シーザー」
「兄さん──」
「まったくあの鳥の言うとおりだぜ、もっとシャンとしたらどうだ!」
「よし、皆、亡き王の言葉に従おうじゃないか、ソゼの残した言葉に忠誠を誓おうじゃないか!」
そう言うと狼たちは明けの空に向かい一斉に遠吠えを始めた──王に向けた葬送の遠吠えだった。
それを耳にしてヴァンブランは驚いた。まさに“鳥肌”が立つとはこのことだった。
あれほど歌いにくいと思っていた狼の声が群れをなすことによって見事なオーケストラを醸し出している。コントラバスのような低音パートもいれば、オーボエのように高い音を奏でる者もいる。さらにはそれを繋ぐホルンのような役割もいる。独りでは決して出しきることのできないメロディであり、それは結束による美しさだった。
ヴァンブランも群れに混ざって高らかに叫んだ。それはこの声をくれたソゼに対するせめてもの恩返しのつもりだったが、その一方でその雄叫びは彼がこの世に残す最後の歌声のようでもあった。王の歌声が加わると、皆の士気は強まり、さらに高く高く声を上げた。
明星の下もとで狼たちとヴァンブランの歌声は朝の光が森を完全に照らし出すまで続いた。
【──おまえの存在など無意味だ──】
“声”がまた耳元で囁いたような気がしたが、それは先程より幾分小さくなっているようにも思える。ヴァンブランはその声に対し『違うさ──』と心の中で振り払うことしかできなかった。
少なくとも今は──
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