《Sonny side - 1》『すべての絶望に足掛かりを作るソニー・アイスバーンの願い』
「ソニー、お話の続き聞かせて!」
「おう、ちょっと待ってろ。昨日の夜に新作を書き上げたばかりだ」
子供たちにせがまれソニーは『野良猫ペイザンヌの冒険』を語り出す。彼は物語を書くのをこよなく愛していた。だがそれで食ってゆくことなどできるわけもない。そんなことはほんの一握りの限られた人間の特権だ。だから彼はためらうことなく教師になった。そして時おり、生徒である子供たちのために自作の物語を書いて読み聞かせているのだ。それで充分だった。
がっしりと鍛えられた体つきをしてるくせに、夜を徹して子供たちのために自作の“物語”を書いている──そんな姿を想像するとなんだか笑えるなとローザはひとり妄想した。ローザはソニーと同じ“学び舎”で数学を教える女教師だ。
「俺はもともと国語の教師になりたかったんだけどなぁ。そしたらもっとおおっぴらに物語を子供たちに聞かせてやれるのに」
両手を頭の後ろに組み、わざとらしくため息をつくソニーを見てローザは笑った。
「おおっぴらにできるかどうかは別として、確かにあなたに剣術や武術の先生は向いてないかもね」
「性に合わないんだよ。喧嘩とか争い事っていうかさ、そういうのは。そもそも人間は言葉を持ってるんだ。何だって話し合いで解決すりゃあいいじゃないか」
ローザは本気かという感じで目を見開いた。
「武術はケンカとは違うでしょ? 心や肉体を鍛え切磋琢磨し合うことだわ」
「いや、そりゃもちろんそうさ。ただ──」
「ただ?」
「この国にも戦争が近付いているだろ? もしそうなったら子供たちはいずれ兵士として駆り出されるかもしれない。そう思うとなんだか俺のやってることはその手伝いみたいな感じがしてさ」
「そんなこと……」
「無意味に争うことのくだらなさを物語で伝えることだって立派な武術だ。そう思わないかい。ローザ」
「それとこれとは──」
それとこれとは、なんだか話が違うような気もする。ローザは長いブリュネットの髪の毛をもて遊ぶように人差し指でくるくると巻いた。
「そんなことは思想家とか、その道の専門家にまかせておけばいいじゃない。私たちは私たちの教えるべきことを……」
「いや──」
ソニーは真顔で続けた。
「彼らが使う言葉や文章は子供たちには難しすぎるよ。ホントはもっと単純なことなのに、わざと難しい言葉を使って自分たちの都合に信憑性を持たせようとしているんじゃないかって俺ですら時々勘繰っちまうこともある」
彼の言いたいことは分からないでもない。だがそれは単なる理想論ではないのか?
相手が戦いを仕掛けているのにただ指をくわえて見ているだけならばどうぞ占領してくださいと言っているようなものだ。だとすれば戦って死ぬか、戦わずして奴隷になるか人間にはその二つしか道はないのだろうか。
とはいえ子供たちが犠牲になることが正しいとはローザだってもちろん思ってはいない。
──正しい?
なるほど、そう考えると“正しい”ということは実に曖昧なものなのだなとローザは考える。彼女は以前、ある生徒と話をしていたことを思い出していた。
「先生ボクね、戦争が始まったら頑張って軍隊の偉い人になるんだ」
彼の家は片親で貧しく、聞けばその理由は母親を楽にしてやりたいからだという。
軍隊による”頑張り”というのはより多くの人命を奪うということになるのだろうか? けれど裏を返せばそれは多くの命を救うためでもあって……。
その生徒の語るそもそもの動機が間違っていないだけにローザの心は複雑だった。そうやって夢を語る彼の澄んだ瞳がキラキラ輝いているだけにどう“言葉”を紡いでよいのかわからなかった。
“言葉”とはそれほど無力でちっぽけなものなのだろうか?
いや。違う──だって“思い”というものはいつだってそこにあるんだもの。ひょっとしたら草木や虫、小動物だって何かを思っているかもしれない。だが人間はそれを他者へと伝えるために“言葉”というとても限られた文字や音声、それらの羅列へと変換しなければならない。ただ、その順序と組み合わせが難しいだけだ。
そう、思いたい。思いたい……のだが。
ローザはそんな時ソニーが物語によって何かを伝えたいという気持ちが少しだけわかる気がするのだ。
彼の物語はいつも意図的に疑問を投げつけてくるように書かれているようだった。読み終わった後にソニーは必ずこう問いかけるのだ。
「さあ、ポッペ。もし、おまえだったらどうする」
「おい、みんなジムのこの意見をどう思う?」
「そいつはすごいな。だが、ポール。それには莫大な金がかかっちまうぞ。その、金はいったいどうする?」
そうやって子供たちの意見を踏まえては物語の続きを書く。そしてまた問いかけるのだ。
「みろ! ポールの言った通りにやったらペイザンヌのやつ、とんでもないことになっちまったぞ! さあ、みんな、この問題をどうやって解決したらいいかな?」
「あれは正しい」
「これは正しくない」
そんなのは大抵自分の価値観の押し付けではないのか? そんなことをふと考えてしまう時がある。ソニーはそういった“答え”が見えにくいものを子供たちに自分たちの力で必死に考えさせようとしているようにも思えた。
──これが数学ならばそこには揺るぎない答えが存在するのに。
ローザは苦笑した。
「やっぱり私は数学の教師なんだな……」
▼▲▼▲▼▲
やがて恐れていたことが現実となった。戦争が始まったのである。ついに正式な参戦表明をせざるを得なくなったと国王からの達しが国中に広がった。
聞くところによると隣国であるザックバランに新しい指導者が誕生したらしいのだ。
それまでは“平和の代名詞”とまで言われていたザックバラン王国を豹変させたものとはいったい何なのか。謎に包まれている部分が多いもののソニーたちの住むジークファン王国を足掛かりに他国への進撃を開始することは容易く予想された。
ジークファンは東側に動物たちの楽園である“アーレファンの森”を含む広大な土地を所持しており、さらに反対側──西側にいけばセント=エルモの海に面しており水産業も盛んだった。食料調達はもとより海を挟んだ島国を取り込みつつ、やがては海の向こう側まで勢力を広げるにもってこいの足場となる。
──ついにきたか。
ソニーの気分は鉛のように沈んだ。暗雲はじわりじわりと民衆の生活圏の中に入り込み始めている。もはやソニーたちのすぐ近くにやってくるまでにそう時間はかからないだろう。
「きさま、なぜ武術を教えん?」
三人の兵士が“学び舎”を視察に訪れた時、アイルビーは丁度子供たちに自作の物語を読んで聞かせているところだった。
「これからは方針も違ってくることになる。教育も国の定めたものにしっかり従ってもらわねばならん」
そう言うと一番偉そうな髭の男は紐でとじられた紙の束をソニーに渡した。そこには武術と呼ぶにはほど遠い戦術や武器の扱い方まで示されている。これを子供たちに教えろというのだ。
「よく読んで肝に銘じておけ。こんなものを読んで聞かせている暇があったらな」
髭の男はフンと鼻を鳴らし、ソニーが書いた物語を乱暴に奪うとおもむろにそれを引き裂いた。子供たちが声にならぬ反応を見せる。ソニーは不適に笑った。
「子供たち、よく聞け。人にはそれぞれ大切なものがある。とても高価なものもあればお金じゃ買えないものまでいろいろだ。だけどな、それを自分の都合で踏みにじったり、勝手に引き裂いた人間はどうなると思う? ……こうだ」
そう言うと彼は兵士に渡された書類をゆっくり縦に破り、宙に放り出した。
「貴様っ!」
兵士の一人が腰の剣に手をかけたその時、ローザが素早く割って入り地に膝をつけた。
「申し訳ありません!」
「よせ、ローザ!」
「あなたも謝って、ソニー」
兵士たちは腰から剣を抜くと三方からソニーを取り巻いた。
「ソニー……」
「先生!」
子供たちはお互いの体に触れ合いながら不安そうな顔をしている。ソニーはそんな彼らに『近づくな』と手で制した。
「大丈夫だ、みんな……。そうだ、こんな時、ペイザンヌだったらどうするかな。闘う? 逃げる? それとも……。俺が戻ってくるまでお話の続きを考えておいてくれ。いいな、これは宿題だぞ」
「ソニー・アイスバーン、貴様を国務執行妨害、及び反逆罪で獲捕する」
髭の男が無感情にそう宣告すると一人の兵士が素早くソニーの両腕を後ろ手に縛り上げた。
「みんな、俺はな、たとえ百万人の民が“嘘”をついてもそれは決して“本当”にはならないと思ってる! そんなものはたった一つの真実にいつか打ち負かされるんだ。だから怖がるな! 偽るな! おまえたちひとりひとりが俺に教えてくれる思いを“言葉”にして、いつか聞かせてくれ!」
兵士たちに引きずられるようにして連行されていくソニーは、それでも最後まで笑顔を子供たちに見せ続けていた。
(人間てのはすごいよな、どんなに痛くったって辛くったってさ、やろうと思えば笑顔が作れるんだぜ? ほら、いいからやってみろよ!──)
怪我をしたり傷ついている子供たちを見るとソニーはいつも口癖のようにそう言って笑っていたのをローザは思い出していた。
彼は必死で今、自らそれを実践してみせているのだろう。
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