《Bird side - 7》『ひとり』

 真夜中。

 ヴァンブランは目を覚ますと歌声を聞いたような気がした。


 まるで夢のようなその歌声は普通であればまどろみを促進するものであっただろう。だが、彼にとっては違った。


──あれは……間違いない、俺の声だ!


 ヴァンブランは背の高い杉の木の上に飛び上がると、森のずっと向こう側、遥か遠くから聞こえる自分の声に耳を傾けた。森の中ではない──これは、森の外の、おそらく人間たちの住む町の方からではないだろうか。それは双子の片割れが遠くにいるもう一人の兄弟の存在や死などを直感的に感じるようなものであり、ヴァンブラン自身もこの声はおそらく自分にしか聞こえてはいないのだろうということをどこかで悟っていた。


 自分の声──あの“織り”となって盗まれてしまった自分の声が──今どこかで開かれ、歌っているのだ。ヴァンブランはそう確信した。


──そうだ……俺の“声”は決して消えてなくなったわけじゃないんだ。


 ほんのわずかではあったがヴァンブランの胸に希望の光が灯った。やがてオルゴールの蓋をぱたりと閉められたかのようにその歌声は何の前触れもなく止んだが、ヴァンブランにはその後に人間の叫び声のようなものが聞こえたような気がした。



 ▼▲▼▲▼▲



 そうはいったもののいったいどうすれば“声”を取り戻せるのやらヴァンブランにはさっぱり見当がつかなかった。


──“フォグ”と名乗ったあの白髪はくはつの魔法使いは何処にいるのか?


 たとえ見つけだせたとしてもあの“織り”はすでに誰かに売り払われた後かもしれない。これといった解決策も思いつかないまま夜は明け、どこに行く当てがあるわけでもないヴァンブランは例の二等辺三角形の湖にやってきていた。彼が声を盗まれたあのバミューダの湖のほとりである。


 スカラベのケラはといえば今朝方突然別れを告げてさっさとどこかへ旅立ってしまった。


「じゃあな兄弟、おれは先に行ってるぜ」


──行くって……どこへさ?


 てっきりこれから協力してくれるものかと思っていたヴァンブランはなんだか肩透かしを喰らった気分だった。


「そりゃもちろん“問題”のあるところへさ! おれの信条に従ってな」


──そうか……そりゃ達者でな。


「永遠の別れみたいに言うなよ。おれたちはどうせまた何処かで会うんだぜ。必ずな」


──そんなことわかんないじゃんか。


「バカだな。おれは問題のあるところへ行く、そしておまえが行くところには常に問題が起こる、よっておれたちは再び巡り会う運命なのさ」

 ケラはお得意のハハハのハーという笑い声を上げた。


──やな言い方しやがる。


 そうは言ったものの、なんだか可笑しくなってきたのでヴァンブランも笑った。


「それにまた必ず会えるって思ってた方が楽しいじゃねえか!」


──また必ず会える、か。


 ヴァンブランは小さな翼を広げると水面ギリギリのところを水浴びしながら飛んだ。


──そう……スカラベはともかく、下手に探し回ったところであの白髪の魔法使いに必ず会えるという確証はない。


 ヴァンブランは太陽に反射する湖の上を時々ちょいちょいと脚を浸しながら滑るように飛んだ。その姿は石投げ遊びで水面を跳ねる小石のようだ。


 一羽。


 この広い湖を飛んでいるとその事実を改めて痛感する。きゅっと詰まるものを胸に感じはすれどそれは先日よりいくらかやわらいでいるのも確かである。


(神様はおまえに冒険のチャンスをくれてんだぜ!──)

(なにも翼まで奪われたってわけじゃあるまいし──)


──なるほど、そういう考え方もあるんだな。


 彼はスカラベの言葉をじっくりと考えてみながら湖を旋回する。体の汚れが落ちるに従いなんだか開放的な気分すら湧いてくるのは不思議だった。


 さっぱりした体で彼が次にやってきたのはいつかワガリが子狐に襲われた場所だった。ここでヴァンブランは母狐にせがまれて歌ったのだ。思えばあれが最後のコンサートだったのだなと彼は考える。


 ほーうほうほうとなにかが鳴く。あれは梟ふくろうだろうか。まだ辺りはこんなに明るいというのに。


──歌いたいな。


 ふとそんな思いが頭をよぎった。

 別段誰に聞かせるでなく、誰かに誉められたいわけでもない。心の奥から沸き上がってくるそんな願望によってヴァンブランは改めて気付かされた。『そうか、俺はこんなにも歌うことが好きだったのだな──』と。


 まだ今よりももっともっと小さく、雛鳥だった頃のことを彼は思い出していた。誰かに聞かれたりすると恥ずかしいものだから遠出をしては辺りに誰もいないことを見計らってよく歌っていたものだ。どうすればもっとうまく歌えるのだろうかあれこれと考え、悩み、そしてそういったこともまた楽しかった。ワガリに初めて会ったのもその頃だった。


「こいつぁすげえや! おまえ歌上手うまいんだなぁ」

 誰もいないと思っていた幼いヴァンブランは驚いて歌うのをやめた。

「おいおい、続けてくれよ。せっかくそれだけの声を持ってるってのに誰にも聴かせないって法はないだろ!」

 彼はヴァンブランにとって初めてのお客であり、よき理解者であり、そして何より友だった。一緒にくだらないいたずらをしたり、真面目な話を朝まで語り合ったりした記憶が鮮明に蘇ってくる。なのに。


──どうしてこうなっちまったんだろう。


 ワガリがトリルに想いを寄せていることを語った時、どうして俺は一言がんばれよと言えなかったのだろう?


──最低だ。


 ひとしきり泣いた後、ヴァンブランはどこからか視線のようなものを感じた気がした。

『すっきりしたかね? ──』

 やはり誰かが自分に語りかけている。彼は辺りを見回した。

『ほーうほうほう、この辺りは静かだからな。よくみんな、ここへ来てそうやって泣いたり考え込んだりするんだ。キツネや白鳥、リスザルや、そう、時には人間だって見かける』


 ヴァンブランはようやく声の主に気づいた。

 木だ。自分が今、とまっている白樺の木が自分に向かって話しかけているのだ。


『だから──何があったかは知らんが、つらいことがあるのはおまえだけじゃない。大丈夫だ、皆、そうやって悲しんだあと、何かを決心したような顔でここを立ち去るわけだが次にここを訪れた時はどういうわけか晴れ晴れした顔をしている。もちろんそのまま二度と戻ってこない者もいるにはいるがね──ほーう、ほうほう』


 そうか、木や植物もまた虫やあのスカラベのケラと同じく“声を持たぬもの”なのだなとヴァンブランは理解した。

 どうやら声を盗まれた後、彼らと意思疎通する力が自分の中で急速に目覚め始めているらしい。


『さて、おまえさんははたしてどっちなのかな?』

 ヴァンブランはじっとうつむいたまま考え込んでいた。

『“言葉を持つもの”たちか。おまえたちもそれはそれで大変なのだな──ほーう……ほう…………』


──まったくもってその通りだ。いったい俺はいつまでこんな風にウジウジしてるつもりなんだ。


 彼はぐっとその顔を上げ、目の前に広がる湖を真っすぐに見つめた。


──よし、メソメソするのはもう止めだ。決めたぞ、俺はもう決して泣かない。二度と泣いたりするものか。そして“声”を取り戻すんだ!


 もう一度歌いたい。そして、ワガリに謝るのだ。


 自分の持つ本当の“言葉”で。

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