《Bird side - 6》『声を持たぬものたち』

「よーよーよー!」

 カサカサと草の鳴る音がしたかと思うと一匹のスカラベが現れた。スカラベといえば聞こえはいいが所謂いわゆる“フンコロガシ”のことである。

「どうしたっていうんだ、兄さん? ずいぶんヘコんでるねぇ。なんかあったのか? よかったら話くらいは聞いてやるぜ」


 ヴァンブランは溜め息をついた。昼間の乱闘で体の節々が痛んでいる。それに気が滅入っているときにこうやたらと明るく話しかけられても腹がたつだけだった。


──話したいのはやまやまだが俺は話せないのさ。いかんせん、声を“盗まれた”んでね。


「声を? 盗まれたって? そりゃあ面白れぇや、大事件じゃねえか!」

 ヴァンブランは軽くあしらったつもりだったがスカラベは興味津々で近づいてきた。


──うるさい虫だな、食っちまうぞ! ほっといて……。


 面倒くさくなって飛び立とうとした時、ヴァンブランはハッと違和感を感じ、スカラベをまじまじと見つめた。


──おまえ、俺の言ってることがわかるのか……?


「ん~、言葉がわかるってのとはちょっと違うかもな。なぜならおれたちは“虫”だ。虫は“声を持たぬもの”だ。つまり、おれと兄さんは今、言葉とは違う部分で意思疎通してるって寸法さ」

 いわれてみればそうであった。ヴァンブランはさっきからいっさい口を開いてない。


──こいつは、驚いたな。俺にそんな力があったなんて知らなかった。


「いやいや、そうじゃない。このコミュニケーションは本来“声を持たぬもの”特有のものさ。おれが思うにこれはあんたが“声を盗まれた”ってことに関係してんのかもな」


──“声を持たぬもの”……?


「おっと、申し遅れやした。あっしの名はケラ。この羽一枚で世界中を放浪しているケチな甲虫でやんす。つまりは虫ケラの“ケラ”ってわけでござんす。以後お見知りおきを」

 スカラベはそう見栄を切ると六本の脚を広げてその名の通りケラケラと笑った。

「う~ん、人間なんかでも耳の聞こえないやつに突然音楽の才能が目覚めたり、目の見えないやつがすげえ記憶能力を開花することがあるらしいから、それと似たようなものかもしれねえなぁ。まったく世界は広いぜ、摩訶不思議だな」


 誰かと話すことなどもう二度とないと思い込んでいたヴァンブランはすっかり嬉しくなり、今までに起こったことやこれまで溜め込んでいた思いの丈、胸の内などをこのケラと名乗るスカラベに捲し立てた。


 かれこれ一週間以上誰とも会話をしていない彼にとって、それはまるで澱んだ排水を放出するような気分だった。だが──


「ハハハのハー! そいつぁすげえや、じゃあおまえさん不幸のどん底真まっ只中ただなかってわけだ」


──どうにもどこかズレているような気がしてならない……。


「おっと、悪い悪い。でもな、問題があるってのは最高じゃないか! パズルみたいによ、そいつを一つずつ解決しようってのが楽しいわけだし、なによりあの『生きてる!』って感じがたまらないんだよな。そう思わないか? なあ。よう、よう」


──は? ……楽しいだって?!


 ヴァンブランは憤慨した。


──バカを言え、誰が楽しくなんかあるものか。俺はもとの生活に戻りたいんだ!


「もとの生活? つまりおまえさんの言うところの、お歌を歌って『お上手ね~』なんて誉められて、誰かに守ってもらって、お山の大将ハナタカダカになってるのがそんなに楽しいってのかえ?」


──ああ、そりゃそうに決まってるだろ。少なくとも今の生活よりはな。


「バカ言っちゃいけねえ、わかってねえなぁ……神様は今、おまえさんに“冒険”のチャンスをくださってるんだぜ! これを見逃してどうすんだよ? なにもその翼まで奪われたってわけじゃねえんだしよ」と、ケラは芝居がかった溜め息をつく。


「それに比べてまったくおれときたら……。どこに行ったってすぐに“そこそこ”幸せになっちまうんだよな。友達はできちまうわ適当に食えちまうわ……」


 ヴァンブランはその時彼の意図が垣間見えたような気がした。そしてこんなフンコロガシなんかに自分の悩みを真面目に打ち明けたことを少し後悔し始めていた。


──はは~ん、なるほどね。おまえも結局、自分より不幸なやつを見て笑ってるってだけのことか。


 スカラベのケラは是これ意外とばかりに目をまん丸に見開き、触角をピンと立てた。

「おま……本気でそんなこと思ってんのか? 哀れだな。だとしたら、おまえさんはホントに哀れなやつだよ」

 まさか一日に二度もこの言葉を聞かされるとは思っていなかったヴァンブランは戸惑った。

「おれは自分が幸せだと感じたらすぐに違う場所へ行くことにしてるんだ。かくいう今現在も旅の途中でね。ついこないだまでは“死に一番近い洞窟”って言われてる穴蔵にいたんだがね、飽きちまったんで大鷲の背中にしがみついて飛んできたってわけさ。だってそうだろ? 問題がなくなっちまった場所なんて面白くもなんともありゃしねぇ。そんなとこに長々といる価値なんかありゃしないんだからな」


──話にならないな。だったらその価値感ってやつにズレがあるんだろうさ、俺たちは。


 ヴァンブランが今度こそ飛び立とうと翼を広げたその時だった。巨大な影が空中から落ちてきたかと思うと鋭い爪が彼を襲った。


──しまった!


 そう思ったときにはすでに遅かった。ヴァンブランの体は何者かによって地面に押さえつけられ、目の前には彼の体の三倍ほどもある巨大な顔が迫っていた。

 山猫である。

「ハハハのハー、みろよ、またまた大問題発生だ! やっぱおまえさん才能あるぜ!」

 そうやってはしゃぐケラを尻目に山猫は自分が捕まえた獲物をまじまじと眺めギョッとなった。

「こいつぁ驚いたな、おまえ“可哀想な”ヴァンブランじゃねえか!」

 ヴァンブランはくちばしをパクパクさせ、抵抗した。

「ほう……どうやら声を無くしたって話はまんざら嘘でもなさそうだな。もうおまえを守ってくれるうるさい鷹や鷲どももいなくなったってわけだ」


 一方ケラといえばヴァンブランの周りで鼻息荒く興奮している。

「さあ、兄さん。どうすんだどうすんだ?! どうやってこのピンチを切り抜けるんだ?」


──うるさい! 知るかっ!


 山猫はざらついた舌でヴァンブランの顔を舐め上げる。

「おまえを食ったとなると話のタネにもなるってもんだ。“おれぁ、あのヴァンブランを食らっちまったんだぜ”ってな」


 ヴァンブランは全てがどうでもよくなってきた。無性に虚しくなり、悲しくなり、抵抗する気力がどんどん薄れていくのを感じていた。


──バカだな、俺は。たとえ、ここで生きのびたとしたってその先に何があるってんだ。“死に場所”を探す手間が省けただけマシじゃないか。


 彼はせめてそう思うことにした。


──もう、勝手にしろよ。


「?」


──食いたきゃ食えって言ってんだ、この山猫野郎。せいぜいおまえの腹を下してやるさ。


 そう観念しそうになっているヴァンブランを見てスカラベは慌てた。


「おいおい、おまえさんは本当にバカだな! こういう時はそうじゃねえだろ。普通ピンチに陥った時には、こう願うだろ? “あれ、やばくね? このままじゃ俺死んじゃうんじゃね? やだよ、やっぱ生きたいよ! 生きたい! 死んでも生きたいっ!”ってよ」


──うるさいな、俺にはもう生きる理由が見つからないんだよ。


「“うるさいな、俺にはもう生きる理由がほにゃららららら”……」

 ケラはヴァンブランの口調をわざとらしく誇張して真似してみせた。

「べらんめぇ! とにかく生きてるって状態が肝心なんだよ。意味なんてのはなぁ後からでもよ、いくらでもついてくるんだってば」


──はん、願ったって祈ったって同じさ。何も変わるものか。


 だがケラはぶるぶると首を振るとキッパリと言い切った。

「いんや、同じじゃないね! 同じどころかそれが最初の一歩なんだ。へん、おまえさんだってホントは生きていたいくせによ。まったく何こんな時までかっこつけてんだか──」


──なにっ!


「おまえさんは別に死にたいわけじゃない。ただ今の状況を変えたいだけだ。そうだろ?」

 ヴァンブランは何も言い返せなかった。

「だったらまず生きてなくちゃよ。話になんねえ」


──そうだな……。そうかもしれない。


「あんだって? ちっとも聞こえねえや。もっとデカい声で言ってみろよ」


──うるさい、うるさい、うるさいっっ! 


 ヴァンブランは叫んだ。


──ああそうさ、俺だって本当は生きていたいよ! 痛いのだって嫌だ! あの牙がこの体に突き刺さってボリボリやられるなんてまったくごめんだ! 悪いか?! ただ生きたいから生きたいんだ! 理由なんてくそくらえだ!!


「よよっ、待ってました。いいぞ、そうこなくっちゃおもしろくねぇや! そうと決まれば早いとここの危機的状況を抜け出そうぜ!」


──抜け出そうぜって……どうやって抜け出すんだよ?


 ケラは少し考え、そして言った。

「いや……そんなの、おれがわかるわけねえじゃん」


 山猫の赤い口がねばついた糸を引きつつ開く。ヴァンブランの願いが届いたのは、山猫が彼の喉笛を引き裂く寸前のことだった。



 ▼▲▼▲▼▲



 生きるための理由というものが果たして本当に存在するのかどうかは定かでない。だが、その“毒蛇”が山猫を噛んだのには確固とした理由があった。


 その老いたアマガサヘビはまさに死に場所を探して森の中をさまよっていた。特に彼のような黄色と黒の縞を持つキイロアマガサと呼ばれる種は、自らがその色彩によって警告している通りとてつもない猛毒を持っている蛇である。


 彼は今まで自分の身を守るためだけにその猛毒という武器を使って生き長らえてきたのだ。ただただ“自分の身を守るため”だけに。


 彼は自分の生を振り返る。だが、どうしてもその“理由”が見つからない。


 これまで、どれだけの外敵から身を守ってきたことだろう。己の持つ特有の武器“毒”を使い自らが生きるために相手を殺す。生まれてこの方ずっとずっとそんな暮らしの繰り返しだった。しかし……。


──自分はもうすぐ老いて死ぬ。


 アマガサヘビは感じていた。


──だとすれば、俺はなんのため今まで生きのびてきたというのか?


【──おまえの存在など無意味だ──】

 心の奥底から響いてくるそんな声が胸に突き刺さる。どんなに否定しようとしても声は頭の中をめぐる。毒蛇は愕然となった。


 彼が山猫に襲われている一羽のブラック・バードを見かけたのはそんな時だった。その近くでは小さなスカラベが飛び回り、彼に向かってなにか捲し立てている。


 アマガサヘビもまた“声を持たぬもの”だ。だから彼にはスカラベが何を喋っているのかが理解できた。スカラベは小さなブラックバードに対して生きることを望めと言っている。窮地に立たされ、絶望しかけているこの鳥に。


──それに比べ、この俺はなんだ?


 毒蛇はその爬虫類独特の目を細め、ちょろちょろと舌を出した。俺は誰かを救うためにこの“毒”を使ったことが一度だってあっただろうか?  毒蛇は深謀遠慮を巡らす。


 スカラベは“生きる意味なんて後からついてくる”と言っている。


──嘘だ!


 俺は生きてきたぞ。がむしゃらに、がむしゃらにただ生きのびてきた。しかし、どれだけ振り返ってもそんなものなど見つからないではないか! 


 兄弟、それに同胞──その中には飢えて死んでしまったもの、獣に食われてしまったもの、そんなやつらがたくさんいた。そんな中で自分だけは生き長らえてきた。どうにかこうにか、この自分だけはだ。だが……。


──何のために?


 そして彼はある一つの考えに辿り着いた。

「…………」

 この死の際にきてまでもまだ“それ”は俺に訪れてないのか? と。

 スカラベは“願うことこそが最初の一歩だ”と鳥に言う。


──よし。


 毒蛇は考えた。あの鳥を生かすも殺すも俺の一存次第。そんな神の立場に、ここ一度だけ、たった一度だけなってみようじゃないか、と。


 もし……もしも、あの鳥がスカラベのいう通り絶望に打ち勝ち、生きることを決意したのなら、俺はその時初めて自分以外のもののためにこの毒を使ってみようじゃないか、と。



 ▼▲▼▲▼▲



──ああ、そうさ! 俺だって本当は生きていたいよ。ただ生きたいから生きたいんだ! 悪いか?! 理由なんてくそくらえだ!


 その瞬間、かん高い悲鳴が響いた。

 ヴァンブランは最初、それが自分の断末魔だとばかり思っていたので、山猫がどさりと倒れた時にはたいそう驚いた。しかもそのまま下敷きになってしまったため、ヴァンブランはその生暖かい猫の腹の下でいったい何が起こったのかしばし考えるはめになってしまった。やがて地震が起こった。いや、違う。山猫が痙攣けいれんしているのだ。

 なんとか山猫の腹の下から這い出ることに成功したヴァンブランがそこに見たもの。それは一匹の蛇の姿だった。


 蛇は山猫の後ろ脚にがっぷりと噛みついていた。二三分もすれば完全に山猫の息が途絶えるだろう。そのことを毒蛇は嫌というほど熟知していた。


 スカラベのケラは羽を広げてそこらじゅうを飛び回って興奮している。

「こいつぁすげえ! 起死回生の大逆転だ! 見ろ見ろ、なにが“願ったって何も変わらない” だ! まあ、その、少し、自信なかったけどな……」


 アマガサヘビは山猫の柔らかい足の付け根からゆっくり牙を抜くと、その爬虫類特有の眼でヴァンブランをぎろりと睨んだ。ビクリと警戒する彼の姿を見て蛇はふふんと鼻で笑った。

「安心しなよ。おまえにまで噛みつこうなんて思っちゃないさ」


──どうして、俺を助けてくれたんだ?


 ヴァンブランは恐る恐る毒蛇に話しかけた。毒蛇はチロチロと細長い舌をのぞかせる。

「おっと、勘違いするなよ。結局は自分のためだ」

 そうなのかもしれない。

 彼は死ぬ前に一度でも自分以外の誰かを救いたかったつもりだが、所詮それも自己満足でしかないのかもなと考えを巡らせた。自分の気まぐれによって死ぬ運命さだめだった鳥が少しだけ長く生き、その代わりに山猫が少しだけ早く死んだ。ただそれだけのことだ。世界は──変わらない。


──が……まあ、そんなんで構わないのかもな。


 まんざら悪い気分ではなかった。最後の毒を使いきった感じだった。そうして老いたアマガサヘビは弱々しく這いだすと今度は自分の死が待っているであろう藪の中へとゆっくりと向かっていった。

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