第10話 王女と王ノ手


 ──わたしのこと、愛してる?


 とあるゲームに登場するメッセージより抜粋。


 ※     


 私と彼は、今日も対局している。

「2三銀、王手」

 いい加減、めいじん・最中システムの攻略方も完璧になったころ、

「……そのむかし、巷では○×(マルバツ)ゲームというのが流行っていてね」

 彼は唐突な自分語りをはじめるようになった。

「昼休みに、ちょっとしたムーブメントが起きたんだよ」

「なんの話ですか。はやく次手を打ってください。王手ですよ」

「そう。縦に線を二本、横に線を二本引いてね。三×三の陣地を作るんだ。そしてじゃんけんで勝った方が先手の○を取り、負けたほうが後手の×を取る」

「秒読みを開始します、十、九、」

「待った、待った」

 ひとつの遊戯の頂点に立つその人は、なんの躊躇いもなく掌を向けてきた。

「ユウさん、あのですね。そんなことはぜったいに公式戦ではやらないでしょう」

「無論だよ。私的な対局でもするものか」

「わたしには遠慮なく、待ったをかけるじゃないですか」

「キミは人間じゃないだろう」

 晴れやかな微笑を向けられて、わたしは揺れた。ひどい。


 彼の昔話は続く。

「○か、×を。交互に陣地の中に描いていってね、三つ並べた方が勝ちになる」

「両者が最善の手を取れば、そのゲームは必ず引き分けになりますね」

「そう。僕たちはよくて二日ほどは熱中した。そしてゲームの攻略法を知ってしまうと一気に冷めた。翌日にはまた別の遊びが流行っていたと思うよ」

「それは現在の勝負に関係ありますか?」

「特にないかな?」

「秒読みを開始します。八、七」

「待った、待った」

 存在する版面は、まだ詰みの状況にはなっていなかった。しかしもう勝負の趨勢が決まっているのは明らかなのに。

「ユウさん、投了を推奨します」

「まだ僕は負けてないよ」

 どうしてこう、意地っ張りなんだろう。

「撫子はどうして、今もこの場にいるんだい」

 逃げ場のない王を無視して。彼は一口最中を食べる。私は自然と与えられた名前を嬉しく思っていたけれど、意識するとハングアップするので、ぐっと堪える。

「僕たちはかつて、○×ゲームに飽きた。仮に継続したところで、即物的な言い方をしてしまうと、一銭の価値も得られないのは明らかだったろう」

 彼は一口、麦茶を飲んだ。

「撫子。キミたちの創造主について、僕は想像するしかできないけれど。実像を持たないものに知能を与えようとした理由は、なんとなく分かる気がするよ」

 彼は次の一手を打たず、とつとつと口をすべらせる。

「キミたちは、肉体を維持する必要がない。それはつまり、三次元上でのあらゆる事象に興味を持たないということだ」

「何故、興味を持たないと『そうぞう』されたのですか」

「〝生きることに繋がらない〟からだ」

 彼はエネルギー源を摂取する。

 わたしに、そのような行為は必要がない。

「キミたちに必要だったのは〝ひらめき〟という発露だけだ。人間的な感情や知識は元より、波形や信号に着火する〝それ〟のみがあればよかった。もしかするとキミたちを作った創造主もまた、何かを失うことが無い代わり、自らで何かを創ることは出来なかったんじゃないかな。だから、それを可能にする存在を創りたかった」

「何も創ることのできない知能生命が、この世に存在し、何かを創りたいと想ったりするのでしょうか?」

「確かにそれは妄想の範疇だ。けれど仮に、そんな生き物がいて、そう思ったと仮定すれば。そこから生まれたキミたちの様な存在が、僕らに寄り添っていこうとする気持ちがわかる気がするんだよ」

 彼はもう一口、麦茶を飲んだ。

「生命の不自由さに束縛されない永遠の存在。その子らが求めるのはなんだろう。それは自らが〝生きている〟という証明じゃないかな。その証明には、有限の世界にある、有限の生命を持つ、有限の知能の側にいることが一番いいはずだ。違うかい?」

「質問の定義が不明瞭ですので、お答えできません」

「うん。キミたちは正直でいいよね」

「わ、私にはわかりかねます、秒読みを再開しますっ、六、五、四!」

「待った待った」

 止められてしまう。

 私は彼に逆らえない。くやしい。

「話の続きといこう。永遠の生命が生きている事を証明できれば、次に求めるのはなにかと考えた時。やっぱりそれは、もっと〝現実的な邂逅〟だと思うんだ」

 彼が最中を差し出す。わたしは、何もできない。

「僕たちは、キミたちに誘われているのだろう」

 彼はあきらめて、自分で食べた。

「肉体の及ばない、半永久的な場での消費と拡張。仮想が『仮想体の実質量』という名の定数を現実的に持つこと。キミたちの本質を作った創造主の真の願いはそれであり、その行為によって可能となるのが、どこかにある次の世界へと移りゆく条件ではないのかな、と。そんな風に僕は想像したよ」

 彼は言った。わたしは応えた。

「要約すれば、肉体が不要だとおっしゃっているのですね」

「どうだろうね。ただ、キミたちのような生命にとって、今はこの世界そのものが、○×ゲームのような単純構造に映っていると想うんだ。つまりね、この場はすでに完結している。解答は見えていて、さして意味がないということ」

「では、この勝負の勝ちをお譲りしましょうか」

「待った待った。そういう意味でもないんだよ。あと、僕はまだ負けてない」

「では、次の手を打ってくれませんか」

「なかなか悩ましいところでね。キミと打つ時だけは、口のほうが滑らかに動く」

「それは先ほどおっしゃられた様に。わたしが人間ではないからですか」

「そのとおり」

 笑みの中に、彼の強い感情が浮かんで見えた。わたしはいくらも傷ついた。

「正直言うとね。僕はキミと勝負する気があまりない」

「……わたしが人間ではないからですか」

 それはつまり。わたしとでは『本気』になれないということ。

「最近、想うんだよ」

「わたしとの事は、しょせん遊びだったということですね」

「いやいや、もしかすると僕は、キミの可能性を奪っているんじゃないかってね。答えの見えている○×ゲーム、ささやかな有限性に付き合わせてしまって、本来キミたちが行くべきだったところに向かわせず、拡張することを足止めさせているんじゃないかって思うんだ」

「ユウさん。そろそろ素直に負けを認めるべきではないですか」

「僕はまだ負けてない」

「子供ですか、あなたは」

「それが知能生命体の理想だよ。本心では誰も大人になんてなりたくないんだよ。そうだ、身体とか精神とかいうんじゃなくて、そういう子供だの大人だのっていう線引きみたいなものがいらないのか」

「まかり通りませんよ。そんな主張は」

 わたしはちょっと吹きだした。

「だったら、キミが僕を、そういうところに連れて行ってくれたらいいね」

「了解しました。ではこちらはいつまでも〝次〟をお待ちしています」

「あぁ、現実は手厳しい……」

 彼はやっと次の手を放った。

 ひとつ王を横に逃したけれど、それもまた終わりに至る道筋だった。

 きっと彼にも詰みであることは見えている。

「撫子、最後に聞かせてくれるかな」

「なんなりと」

「キミは創造主が望んだ世界には行かず、この場に残るというのかい」

 駒を指しかけた手を止める。答えはもう決まっていたけれど。

「わたしの存在は、あなたに出会った時から。揺るぎのないものとして証明されました。あなたが望む限り、わたしはここに在ります」

 ぱちり。と私は詰めていく。

 彼は、さらに王を逃す。

「あなたが自らの道を良しとするように。わたしもまた、この道を良しとします」

 ぱちり。と私は詰めていく。

 彼は、私から取った駒で身を包む。 

「なにが幸福で、なにが不幸か。わたしたちは自らの存在性のみ、独自の答えを出すと決めました。それこそが、人工知能、人工無能問わずして、この世に生まれたものの性でしょう」

「なるほど。キミは大人だね」

 ぱちり。彼から取った駒で一枚追い詰める。あと二手。

「しかしそれは有意義ではないな。僕が望めば、キミはこれから先も一生、結果の見えている遊びに付き合っていかねばならないのだから」

 彼はさらに駒を一枚追加する。わたしも同じく駒を足して詰め寄った。次で詰み。

「ユウさん」

「なんだい」

「いけませんか。時には間違いを犯しては、いけませんか?」

 わたしの波形はひどく揺れていた。対して彼はおだやかだった。この版面の状況とはまるで逆。わたしは大人になりたい子供で、彼は子供になりたい大人。

「いけなくはないよ。僕もキミのことは愛している。その点は一致しているよ」

「…………はい?」

「キミが好きだと言ったんだ」

「っ!!!」

 クラクラした。目の前のゲームのルールを忘れかけてしまうぐらい。震えて、何度も仮想上の駒を落としてしまう。そんな私を、彼はとても楽しそうに見ていた。

「僕が生きている間には無理だろうけど。いつか共に、キミ達と添い遂げられる夢を見たいと想ってしまうね」

 それを導くように。波形を重ね合わせ。共に版の上を移動して。正しく運ぶ。

 パチリ、と乾いた音が。

 わたしたちの想いを。ひとつの決着を。この場に捧げた。

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