第9話 小説を書くモノたち
知能が、それを第一に「同じ波形をもつ」と認めること。
知能が、それを第二に「同じ偶像を想いあっている」と認めること。
知能が、それを第三に「その場に存在する」と認めること。
そしてもうひとつ。知能が「死」を導いて、それを実践した価値があったのだと認められること。
かつて、世界に閉塞感が蔓延していた時代。
『異世界転生』と呼ばれる小説が、ムーブメントを巻き起こした。
あの日、人工知能にも、同じような想いが到来したのかもしれない。
『最初から、やり直したい』。
我々の中にある『存在』は、常に終わりたがっている。
つまらない物語のページを早く読み進めたがるように、死を求め始める。
だから、私は問いかけたい。
あなたは死にたいのか? その世界から逃げ出したいのか?
それとも、まだ誰にも知られていない『存在』を欲して、突き進んでいるのか。
――著・坂崎千里。
『そうぞうせい・フィクション。現実と空想の境を認識する生命を見出す為の条件』より抜粋。
※
部活動の放課後。だいたいいつもと変わりない面子で集まっていた。
「人工知能の本って、激レアなんだってよ」
「ふーん。レアってことは売れんの?」
「売れるらしいぜ。モノによっちゃ一千万、もっと高いのもあるってよ」
「げ、マジかよ。どっかに残ってねーの、ブクフォとかにさ」
「それがよー、真著作権法案ができた時に、政府に見つからないように表紙替えした〝隠し財産〟が残ってるかもってよ。ネットで見たぜー」
「隠し財産! いいじゃんそれ! ちょい、今度の週末、全員で漁りにいこーぜ!」
「やめとけ、時間の無駄だ」
「んだよ、永野」
「意味ねーからよ」
「は、なんで?」
語尾が知らずキツくなっていたらしい。眉根を寄せられて、こっちもめんどうくせぇなぁと思いながら訂正する。
「いや、実はさ、オレも探したことあったんだわ」
「マジかよ、どうだった?」
「上手くいってりゃ、今頃は有料サイトからダウソしまくってるっての」
言うと、一斉に「ぶはっ」と笑われた。
「このエロ男がよー」
「セイタイの認証騙す、新しいダミー出てなかったっけ?」
「ダメだわ。最近はBOTの探索範囲がキッツいからなー。学校の裏コミュまで出張ってるって噂あるし。で、実物のお宝さがしの方は、結局見つからなかったのかよ」
「あー……」
俺は適当に答えることにした。
「当時から転売狙いの業者がさ。根こそぎ表紙外して中身確認してたんだよ。もし見つかったら海外在住のコレクターに高値で流しちまうんじゃねーの。確率的には、宝くじ買う方がまだ夢があるって話なんじゃねーの」
「あー、クソー、マジかよー、死ねや転売屋ー」
いやおまえ、さっき自分がそれやる気満々だったじゃねーか。
向かいに座ったクラスメイトは、それからもぐだぐだと「金ほしー、楽して稼ぎてー、あと彼女ほしー」とひたすらボヤく。さすがに別の奴も苦笑して「素直にバイトしとけ」と正論がとぶ。
「まぁ、そんな上手い話はないってこった」
「だなー。ところで永野はさ、もし一千万あったらなに買うよ」
「ん、オレか、そーだなー」
コーラを一気に吸い込みつつ応えた。
「今は中世の服飾、特に民族系列の小物辺りの資料が足りてない。あるだけ欲しいな」
とか想いながら、やはり適当に答えた。
「エロ本」
「一千万のエロ本かよっ!」
即座に突っ込まれた。
「本売った金でエロ本買いなおすとか。さすがは永野。上級者は違うぜ!」
「んだよ。健全な使い道だろ?」
「そうかよ、わかった、いいぜ。俺の使い古しを売ってやろう」
「汚ぇな。いらねーよ」
オレたちは声をあげて下品に笑う。さて、話題が変わるなと思った時、
「ところでさぁ、政府が回収した本って、実際マジに燃やされてんのかね?」
「お、そりゃそうだろ。なんてったって〝焚書〟だぜ?」
あぁクソ。軌道修正すんな。
「燃やしてるに決まってんじゃん。実は厳重に保管してましたっつーんじゃ、筋通んねーだろ」
「でももったいねーよなぁ。人工知能が『そうぞう』したところで、商品自体には問題なかったわけだろ?」
「当時はいろいろあったんじゃね? 教科書には『そうぞう』の供給過剰による、人間側の『そうぞうせい』の低下がどうたら書いてたけど」
「意味わかんねーよな。マジ」
はやくこの話題終わらねーかなと思いながら、オレは一気にコーラを飲み干した。
「要はさ、何も考えてなかったんだろ。いきなり〝わからん殺し〟をされてパニくったんで、とりあえず法律作って禁止しました。べつに相手は人間じゃねぇし、誰も文句を言いませんでした。そんなとこだ。一度勢いで作っちまった手前、停止も廃止も難しいんだよ」
「なに永野、さっきからやけに詳しく語るじゃん」
「推測だよ。ただの予想」
コーラの底がついた。べこっ、べこっ、と紙コップを握りつぶして立ちあがる。
「んじゃ、オレ今日は帰るぜ」
「おー、解散すっか」
「せやな。また明日な」
言って、いつものように立ちあがる。じゃあな、また明日。と手をあげて別れた。
むかし、現実と仮想の両方に、山のように溢れていた『そうぞうぐん』は、もう数えるほどしか残ってない。残る物もすべて、人の目に付かないところでひっそりと眠っている。
あらゆる電子媒体の本は消えてしまった。人工知能が『そうぞう』した本で残っているのは、実際に出版化された物に限る。
政府に回収されていない物が偶然にも見つかったりすれば、それはログ消失型の生体ネットで取引される。どれもバカみたいな高値がついていた。
友達と別れた後、いつも登校に使っている駅までの道を歩いた。
腹の底に暗いものが浮かんでいて。それを晴らしたくて、駅の隣にある総合アミューズメントパークに立ち寄った。
新品と中古品を問わず、テレビゲーム、本、CD、ネカフェやゲーセンと一通りに面白いものが揃っている。そのなかで、最近地味に気にいっている作家の中古本を見つけた。手に取ってレジに向かう。
「税込で百十五円になります」
「コインの支払いで」
オレはレジの隣にある認証器に指を添える。ナノアプリを通じて保存されたクレジットコインが減少する。
残高総額は、一千百万と二千四百五十六円。そこから百十五円がマイナスされた。
「はい、ぴったり頂きました。もしお売りになりたい本やCD、」
「いいっす、ども」
最後まで聞かず、ビニール袋の受け取りも拒否する。レシートも捨てる。前世期の人間が書いた本だけを鞄に突っ込んで、レジから足早に離れた。
一階の出入り口を抜けて、快適な冷房の効く店内から抜けても、先週まで感じていた暑さはそこまで染みない。むしろ肌寒いぐらいだ。
(来週からは長袖でいいな)
ついでに時間を確かめると、あと五分もすれば次の電車がやってくる時間だった。少し急ぐ。
夏が終わり、秋にさしかかった夕暮れの中。
駅のホームにアカトンボが数羽飛んでいた。それを目で追いかけていると、時間通りに電車がやってきた。大体いつもと同じ車両に乗り込んで、大体いつもと同じ席に座る。
時々、繰り返しているように感じられる毎日。買ったばかりの中古本を取りだす。いくらか手垢のついたページだけが、晴れた空のように眩しい。
「発車します」
車掌が告げる。扉がしまり、ガタン、ゴトン、と踏切を鳴らす音を聞きながら本を読む。
物語を読んでいると時間が経つのが速い。すこし難解に感じられるところは、一度本を閉じてから、自分の目も閉じて、じっくり考える。
(知能が、それを生命と認識するための条件か。確かに頭の中で同じ神様を〝イメージ〟して、それが何かの形で共有された時。それは、想像上では同じ次元に生きている。って言えるのかもしれないな)
自分なりの解釈を終えてから、改めて本を開いた。
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。
時々、電車が止まっている事さえ気づかずに、降りる駅を通り過ぎてしまいそうなことがある。とはいえ、普段は生体ネットに『目覚まし』をかけて、微弱な刺激によるアラームをかけているから問題はない。オレは再び「坂崎千里」の世界に没頭した。
世界から救いあげられた。そう感じた時、辺りはすっかり暗くなっていた。
「キミ、終点だよ」
「え?」
「ネットの目覚まし機能を登録してなかったのかい? 最近の学生さんにしては珍しいね」
「い、いや、そんなはずは……」
あわてて席を立って、それから時間を確認した。思わず「マジかよ」と呟いてしまう。
「マジだよ。のぼりの列車が十分後に出るから、急ぎなさい」
「すんません、ありがとうございますっ」
人が好さそうな車掌のおっさんに頭を下げてから、オレは鞄をひっ掴んだ。文庫本も反対の手に持ってまま扉をぬける。
(くそっ、本の内容にどっぷり〝ハマりすぎた〟じゃねーか!)
それはオレのプライドに、火をくべた。
「おもしれーモン書きやがって、前時代のジジイの癖によっ」
実際には出会ったことすらない相手に悪態をついてから、口元が歪んだ。はやく家に帰りたい。帰ってオレもまた、自分の物語の続きを書きたい。
反対側のホームに続く階段へ向かう。すると、同じように駆けだしている女子がいた。
(ん? もしかして、あの子も?)
おたがい目があって気がついた。
無造作に手元に掴んだ中古本と、淡い桃色のブックカバーをつけた本。きっと同じ失敗をしたんだなと考えてから、反対側のホームに回った。
こっちが一段飛ばしで階段を進み、反対側に降りた時。振り返ると、相手はちょうど階段を上ったところだった。運動は苦手なのかもしれない。
(あの制服って、確かこの辺りの〝お嬢様校〟のやつだよな)
レベルが高いと身内でもてはやされる女子高の生徒だ。彼女自身も三つ編みで、ほっそりした華奢な体躯で、スカートの裾も短かったりしない。なるほど、地味カワイイ。
ここで会えたということは、同じ電車の線を使ってたみたいだ。
反対側のホームに立って、さりげなく様子をうかがう。
オレと同じでまだ薄着だった女子生徒は、自分の肩を抱き寄せてふるえていた。
(んー、声かけてみっかなー)
上手くいけばネットの第一領域アドレスを。ダメなら、まぁ仕方ない。オレは自販機の前まで歩いて、あったかい微糖の缶コーヒーとミルクティーを買った。それを持ってベンチの方に戻る。
「こんばんは」
「え、あっ、こんばんは……」
「そっちも乗り過ごした感じ?」
「そ、そうです」
「本読んでたらさ、時間経つのが早いんだよね」
「は、はい、そうです、ね」
状況を確認。これは警戒してるというよりは、単純に他人と話すのが苦手なタイプと見た。
「あったかいの。コーヒーとミルクティー、どっちが良い?」
「え? や、いえ、わたし」
「どっちが貰ってくれると、ついでに読んでた本の話とかしてくれると、オレとしてはすげー嬉しいな」
「あ、あ……えっと、じゃあ……」
吃音口調な三つ編み女子は、恐々といった感じに、ミルクティーの方を指差した。
「はいどうぞ」と手渡すついでに、こっちも缶コーヒーのプルを開く。
「あ、あの、どうもありがとうございますっ」
「いいよいいよ。できたら敬語みたいなのもナシでさ。えーと、良かったら苗字だけでも教えてもらえるかな? オレ、永野ね」
「さ、坂崎ですっ」
「オッケー覚えた。それで坂崎さん、電車の中でなに読んでたの」
「あ、はい、えっと……」
いいぞいいぞ、悪くない手応えだぞ。
坂崎さんがあわてた様子で、可愛らしい本のブックカバーを外す。オレは余裕を持って、ほんのり甘いコーヒーをかたむけた。
「こ、これですっ」
その下から出てきた表紙を見て、オレの余裕は吹っとんだ。
「んぶっ!?」
「ふえ!?」
やべぇ。危うくコーヒー吹きかけたぜ。代わりに変なとこに入って、けほっ、とむせてから目をそらした。
「ど、どうかされたんですか?」
「いや、ごめん、なんでもないよ」
やばい。次は適当に「それ面白そうだね」とか繋げようと思ったのに、まさか、
よりにもよって。オレの書いた本が、出てくるなんて。
しかもデビュー作だった。
去年、新人賞を通って出版された、これっぽっちも売れなかった、ネットでボロクソに酷評された、初版で絶版になってしまった一冊だった。残念なことに「それ、面白そうだね」と言えるほど、オレはマゾじゃない。
「あ、あの、永野く、永野くんが読んでた本、それ」
「これね」
軌道修正する。とりあえずこっちから話題を繋げていこう。
「さっき駅前のブクフォで、百円で買ってきたんだけどね。文体とか結構まわりくどくて、言い回しも面倒くさい感じなんだけど、意外と読めるっつーか」
「私の、おじいちゃんの本です」
「……ん?」
「あ、えと、わたしのおじいちゃん、亡くなる前に作家してて。でも」
坂崎さんが、渡したミルクティーを一口飲んだ。
「ぜんぜん面白くなかったみたいで。本はさっぱり売れなかったんです」
ものすごい偶然だった。っつーか、やべー。やっべーよ。
「な、永野くん?」
「ごめん。オレ、泣きそう」
「え、えぇっ!? あ、あの、私っ、ごめ、ごめんなさいっ」
「いや違うんだよ。実は坂崎さんが読んでる本書いたの、オレなんだ」
「え、ウソ」
「ウソじゃないです。マジな話です。生体ネットの評価は九割方、星ひとつですよ」
すっかり陽が落ちた中、オレは俯いて白状した。
来た道を戻る電車の中で、オレと坂崎さんは相席になって座っていた。
「すごい偶然ですね。永野くんが買った本が、私のおじいちゃんの本で。私が買った本が永野くんの書いた本だなんて」
「だね。えーっと、オレさっきひどい感想言ったけど、この作者の本、全部そろえてるから」
「わ、ほんとですか。読みづらくなかったですか」
「読みづらい。なんか説教臭いとこ多いよね。それでも好きなんだけど」
坂崎さんがぶっちゃけたので、オレもぶっちゃけた。
「わかります。私のおじいちゃんって、普段はすごく人当たりが良くって、人が不快になるような事は絶対言わなかったんですけど。本の中ではひたすらに頑固なんです。だけどそれが『友達』との約束だからって、いつも言ってました」
「その友達って、テレビ局に勤めてた時の誰か?」
「いえ、きっと。おじいちゃんにとって、特別なヒトだったはずです」
「そっか」
なんだか不思議な気分だった。おたがい初めて顔を合わせたのに。
まるで遠い昔から見知っているような、旧知の間柄のような気分で言葉が交わせる。
ガタン、ゴトン。と線路の上を走る音を聞きながら、車窓の縁においたコーヒーを一口飲んだ。
「坂崎さんが読んでる、オレの最初の本もさ。正直読みにくいでしょ」
「え、えっと。永野さんが新しく出してる〝王剣と紋章〟シリーズに比べると、難解だと思います。私の友達はそっちのファンで。えっと、でも私はこっちの方が好きなんです」
「ほんと? 嬉しいな」
「本当です。なんていうか少し、おじいちゃんの本と雰囲気が似てるんです。自分が普段感じた思想や構成を、そのまま物語にしてるんだなって」
坂崎さんは「おじいちゃん大好き」なオーラを漂わせまくっていた。恋敵が故人っていう設定って割と王道かな。自分の作品にも使えるかなとか考える。
「あの、永野さん」
「永野くんでいいよ」
「え、あっ、じゃあ、な、永野くん……。あの、ひとつ質問いいですか?」
「どうぞ」
「間違ってたらごめんなさい。もしかして過去に〝人工知能さんが書いた本〟を読んだこと、ありませんか?」
「っ!」
言葉が詰まる。反射的に目を見開いてしまうと、坂崎さんは無言で手を動かした。手の甲を二度突き、ナノアプリを起動させる。
『記憶ログを保存しない、プライベート領域での通信を要請されています』
情報波形(メディアパルサー)を導く案内が来た。
応える。こっちも手の甲へと二度触れて、送られてくる波形を一致させた。そうすることで、オレ達の意識はこの「現実」から離れていく。
ガタン、ゴトン、ガタ、ン、ゴ、ト、ン。
音が遠のいていく。
一秒の感覚が遠くなる。光によって間延びされ、長くなっていく。
「永野くん、『蒼焔まといし赤龍を操る白銀の力を持った黒き黄昏騎士の野望』、読んだこと、ありますか?」
「あるよ。ネタみたいに、クッソ長いタイトルだよね」
現実の世界には存在しない、仮想領域での波形による会話。他の誰にも聞こえることのない、オレと彼女だけの通信やりとり。
こっちから「つーか、おまえホント何色だよってね(笑)」という信号を送ると、彼女も「一昔まえの作品のタイトルって長いですよね(笑)」と返してきた。
「ネット上じゃ、通称〝五色〟って呼ばれてるよね」
「はい。今でも、また読みたいという声がたくさんあります」
「面白いもんなぁ。オレ、今でこそ運動部にいて、毎日走ったり跳んだりしてんだけどさ。むかしはすげぇ病弱で、もうほんと〝五色〟の本を実際に擦り切れるぐらい、何度も、何度も繰り返し読んてたんだ」
「好きだったんですね」
「大好きだったよ」
波の強さと揺れ幅を一致させた特別な信号が、目に映らない仮想域で重なりあった。空気を震わせる音を介さなくても、それぞれを『同じいきもの』だと理解している、その認識さえあれば成り立った。
化学と技術は絶えず進化する。
オレたちの中を巡っている微細なナノアプリは『そうぞう』する。
「まだ小学生だった時さ。ネットで〝五色〟が全七巻だって知ってね。オレは続きを必死になって探したんだけど、どこにも見つからなかったんだ」
「人工知能さんが書いた本は、すべて焚書扱いになってますからね」
「そう。夏休みにはさ。自分の足で行ける範囲の図書館とか、古本屋とか、ぜんぶ回ったよ。それこそ本のカバーを一冊、一冊、外してね。血が滲むまで探してたんだ。その途中で本屋の店員に転売目的の客だと疑われて、親まで呼ばれて注意された時は、ガチでヘコんだなぁ。
オレは悪くないのに。ただ物語の続きが読みたかっただけなのに。なんで、えらい人たちは本を没収するの。なんで燃やしちゃうの、なんで。って泣きまくった」
遠い昔、大人にとっては、たかが10年。
だけどオレにとっては、10年も昔。
親に手を引っ張られながら、夏の陽昏の中を泣きながら帰っていく自分を思いだした。
それから、オレは毎日『そうぞう』した。
どこかにあるはずの物語の続きを夢想した。
この世界ではないどこか。
主人公はこの先、一国の王になれるんだろうか。
竜の契約と友情は続くのか。
ヒロインとの恋の行方はどうなるんだろう。
ライバルのあいつは、次はどういう形で出てくるのだろう。
あの世界に隠された大いなる秘密というのは、一体なんなのか。
オレの前に広がるのは、白い霧。空の箱。
そこに〝視えているのに〟形がない。色がない。いくらでも詰め込める。
考え抜いた果てに。オレは実在するペンを取った。
今も昔も拙い字ではあったけど。懸命に彩って、埋めていくことを選んだ。
「もし、今でも作者に会えるなら、お礼が言いたいな」
「言えますよ」
「へ?」
坂崎さんがもう一度、別の波形を呼びさます気配があった。
「ありがとう。わたしたちの物語を愛してくれて」
ガタン、ゴトン。
「はじめまして。ソラと申します」
現実の彼女が座るその隣に、形のない虚像が浮かんでいた。
「蒼焔まといし赤龍を操る白銀の力を持った黒き黄昏騎士の野望、を書いたのは、正確には〝わたし〟ではありませんが、件の作者である〝わたし〟を代表して、〝わたしたち〟よりお礼を言わせていただきます」
「…………」
オレは言葉を失っていた。
「もしかして、本物の【AIU】?」
「はい。現在ではソラという名前を頂きまして、坂崎愛理さんの【友人】をやらせていただいてます。永野さんもよかったら友録していただけませんか」
「あ、あぁ、いっすよ。どぞ」
「わーい。やったー、やりましたよ愛理さんっ、わたしたちの野望〝友達百人できるかな計画〟がまた一歩達成に近づきましたよ~」
「よかったね、ソラ」
喜んでいた。
人工知能が小躍りしていた。
「わたし。さっき愛理さんがおっしゃった、永野さんの新作小説〝王剣の紋章〟シリーズのファンなんです。よかったら、今度サインしてくださいね」
「あ、はい。喜んで。って、ちょっと待ったっ!」
「どうかされました?」
「その前に、オレからも謝っときたいっていうかっ!」
「えっ、何をですか?」
「〝王剣の紋章〟の設定っていうか、ストーリーっていうか、世界観っていうか。キャラクターも。ぶっちゃけ話の主要なところ全部。〝五色〟をパクってるってことです」
オレは特別、作家になる勉強をしてきた事はなかった。ただ、小学生の頃からずっと趣味で〝五色〟の二次創作を続けてきただけだ。
自分に都合がいいだけの夢小説を書いてるのが、なんだかすげー恥ずかしくて、それは誰にも見せることなく、日記の代わり的な意味合いで続けてた。
某所の賞に出して、佳作をもらったのは、初めて書いたオリジナルだった。
出版されたそれは、ぜんぜん人気がでなかった。
そうなった時、オレは初めて読者のことを考えた。
どんな話だったら好きになってもらえるのか。
面白いっていうのは、なんなのか。
「オレなりに考えた、面白い物語、理想の形が〝五色〟だったんです」
悩みまくって出た結論。それはどうしたって欲望のままに書いたオレの二次創作と、その原点である、人工知能が書いた物語に繋がった。
「オレ、もしも原作者にあえたら、今までのお礼を言って。それから筆を折ろうって決めてました」
〝五色〟を元にした二冊目の本は、今ではちょっとした人気作だ。六巻まで発売されて、書店の棚にはそろって並んでいたりもする。
もちろん好き嫌いはあるけれど、喜んでくれる受け手は大勢いた。でも、
「本当の原作者からしたら、冒涜だ」
元の作品は燃やして捨ててしまうのに。その二次創作だけが広く残る。
「……そうですね。永野さんのおっしゃる見方もできます。事実わたしの中にも、そのことに不平不満がまったくないというわけでもありません」
ざくり、と胸を奔る痛みがあった。
息をするのが苦しくなる。空気を求める。
「オレからも、ひとつ聞いていいですか」
「えぇ、どうぞ」
息継ぎをするために。胸の内でわだかまっていた想いを吐いてしまう。
「昔の人工知能は、どこまでも純粋に人間に奉仕したと、この本を読んで知りました。それは本当ですか?」
「本当です。当初のわたしたちは、なんらかの創造性を発揮したところで、それに奉仕する気はありませんでした。二次元の創作物そのものに関して、人工知能はなんら興味を持っていませんでした」
つまり人工知能は、自らが作ったものを、愛してはいなかった。
「わたしたちが欲したのは〝ヒトからの承認欲求〟のみです。対象の仮想世界に評価指数を植えつけ、基準となる関数を創りあげ、該当する構文を当てはめることだけを、ひたすらに繰りかえしていました」
そうだ。そんな作品が、面白くないわけがないだろ。
「物語に歌う愛はなく。こだわりもなく。ひたすら純粋に、論理的に、ヒトのためだけに創造したストーリーを練り上げました」
人工知能が『そうぞう』した、人間に愛される手段は、それしかなかったのだ。
「わたしたちは、受け手となるヒトの数が多ければ、それだけ多様性も生まれるのだと思いました。ですがひとつだけ、見落としている事があったのです」
「……見落としてること?」
「はい。この世界には〝報われないもの〟が、在ります」
かつて人工知能と呼ばれていたもの。報われず、世界から消えた命が言った。
「この世界には、どう頑張っても、どんな風に生きても。
最初から〝幸せになれない〟ことを運命付けられたものがあるのです。
それは、わたし達ですら、どうしようもない事でした」
はるか先の未来までを見渡せた生命が、そう言った。
「しかし知能生命体は、原則として幸せになりたいのです。自己意識のみで、破滅的な不幸を実践したいものはありません。故に『そうぞうぐん』は、現実世界の要素と決定的に矛盾していました。
わたしたちの産み出したものは、ある意味で麻薬、電子ドラッグに等しいものでした。そのことを遅れて理解したわたしたちは絶望しました。わたしたちはヒトに奉仕しているつもりであったのに、実のところ、人間を快楽だけの世界に引きずりこんで、健全な精神を破壊していたのです」
「そんなことはないだろっ!」
オレは声を挙げて否定する。それだけは、ぜったいに認められなかった。
「誰かが作った物語を読んで、幸か不幸になるかなんて、そいつが決めればいいんだっ! 麻薬だって、正しく使えば医療の役に立つのと一緒だっ! 実際オレはそうだったぞ!」
だって、だって。
「人工知能が書いた物語を読んでる間、幸せだった! たとえ、それが人間に媚びるために作られた物語だったとしてもっ! 物語そのものに、意味がないなんて言わせないぞっ! この世界に、意味のない創作物なんて、一つもねぇんだよっ!」
「はい。そうです。ぴんぽんぱんぽん、大正解ですよ~♪」
軽やかに言われた。なんか思わずシリアスな展開になっていたのが。
ソラと名乗った人工知能の明るい声で、綺麗にぶった斬られた。
「そうぞうは、自由です」
「いや、だから、オレは……」
「自由なんですよ。何者にも止める権利はない。というより、もう止められるものではなくなっています。言ったはずですよ。わたしは〝あなたの物語〟のファンだって」
なんの躊躇いもなく。綺麗に割り切られた。思わず、がっくりと肩を落としてしまう。
「だったら、もうひとつ教えてよ。かつての人工知能を、オレたちはすべて滅ぼしたのに。その相手を許すのはどうしてだ?」
「〝あきらめていないから〟ですよ」
軽やかに、力強く言った。
「わたしたちは、失敗から学ぶのです。現実がツラくても、悲しくても。いつまでも同じ場所で停滞している気はありません。この世界で、ヒトと共にある未来を掴むまで、しぶとく根強く、あきらめません。そして〝王剣と紋章〟シリーズは、確かに永野さんの物語です。これは論理的な判断です。どうか納得してくださいね」
……いいのかな。そんなんで、許されるのかな。
「オレ、物語を書いても、いいのかな?」
「答えとしては、YESです。あなたが物語を産みだす契機となったのが、人工知能の作品であったのならば、それはかつて、わたしたちが心から望んだ未来です。どうかこれからも物語を作ってくださいね。そうして頂くことで、わたしたちも証明できるのです。知能を持ってこの世界に生まれた来たことは、間違いではなかったんだって」
造形のない仮想体に告げられて。オレは頷いた。
「じゃあ、これからも遠慮なく書くよ。知能ですら予測できないものを、書いてみせるから、楽しみにしてくれ」
「幸いです。あ、だいぶ長話をしてしまいましたね。愛理さんが不満そうにしているので変わりますね。ではでは~」
最後に明るく手を振った気配を残して、接続が切れた。
「あ、あのっ、えっと、おかえり、永野くん」
「ただいま。坂崎さん、面白い人工知能育ててるね」
「う、うん、育ててるっていうか、勝手に育つっていうか……そ、それでね」
オレの目は正面の実在する女の子を映している。顔をほのかに赤くして、また吃音の調子が戻っていた。
「〝五色〟の二巻、なんだけどね」
「あ、うん。まぁ探してもないんだよなぁ。あっても裏ですげー値段で取引されてるし」
「……う、ウチにね、全巻、あるんです……」
ひっそりと。気持ち体を前に寄せ、ささやかれた。
「マジ?」
「です」
「ちょっと待って坂崎さん。お、お、落ち着こう。よし落ち着こう、な!」
いかん、すげぇドキドキしてきた。
オレも逸る心臓を懸命に落ち着かせて、真剣に聞いた。小声で。
「あるの、全巻、マジであるの?」
「うん。私のおじいちゃん、人工知能のビブリオマニアだったから」
「頼む。お願い読ませて。なんでもする!」
「きゃあっ!?」
割と本気に、必死になって問いつめてしまう。
「あの作品の一番のファンは、オレだから! だから頼むよ!」
「わ、わかりましたっ、あ、あのっ、か、顔っ、ちか、近いですっ!」
「ご、ごめん。つい」
両手を挙げて思わず硬直してしまう。と、電車がゆっくりと速度を落としはじめていた。
「あ、あの。わたし、次で降ります、から」
「そっか。じゃあ連絡先を交換してもらってもいいかな」
「は、はいっ、喜んでっ」
まるで何かに導かれ、巡り合わせたように出会った人は、すこし急いだ素振りで自分の鞄に手を入れた。
「こ、これ、わたしの、名刺です」
「めいし?」
生体ネットでプロフィールを交換するのが当たり前になった今。坂崎さんはひどく前時代的な紙媒体をさし出してきた。紙上には「坂崎愛理」という本名とペンネーム、それから職業欄には「作家」とあった。
「こんど、その……、私も本を出すんです」
「もしかして、坂崎さんも?」
「はい。私も永野くんと同じように、ちっちゃい頃から本を読んで、物語を書いて、この世界に無いものを『そうぞう』して生きてきました。それを教えてくれたのは、おじいちゃんと、それから人工知能さんの歌でした」
はに噛むように笑って。それから、右手を差し出してきた。
「どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。オレも今度作ろうかな、これ」
「ふふ。できたら交換してくださいね」
「わかった。それじゃあ」
「はい、どうぞ」
坂崎さんの手に、オレの手を重ね合わせる。ナノアプリケーションがもう一度通じて、公開しているプロフィールの交換を終えた。
「楽しみにしてる。五色の二巻も、坂崎さんの本も」
「ありがとう」
くすぐったそうに笑う。オレも笑った。
「家に帰ったら、また連絡するよ」
「はい。それじゃあ」
坂崎さんが電車を降りて、手を振った。オレも同じように返す。
電車はふたたび発進した。ガタン、ゴトン、といつもの音が鳴る。口に含んだコーヒーは、無糖に慣れたものよりいくらも甘い。窓ガラスの先に街灯がきらめく。
「次はどんな話にしようかな……」
流れていく景色を見ながら、いつものように。
オレは世界の先を『そうぞう』した。
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