第8話 飲酒運転はダメですよ、ご主人様。


 飲んだら乗るな、乗るなら飲むな。


 ―――とある業界で、世界一有名なキャッチコピーより、抜粋。


 ※


 飲酒時の、運転の禁止。

 生体ネットに登録した、仮想シェア版のNaVi.に付く予定だった機能。これに同意すると、ユーザーのバイタルサインがNaVi.にも共有される。血液中に分泌されたアルコール濃度が一定を超えた時点で車のエンジンが掛からなくなる。走行中の場合は徐々に速度を落とし、停止する。

 機能が見送られた主な理由は「カーナビ」としての能力を逸脱している、という意見だった。仮にユーザーが同意したところで、なにかトラブルが起きても会社側からのサポートも難しい。 

 だが世間の反響は俺たちの予想を超えていた。どこから話が漏れたのかは知らないが、飲酒時の運転禁止が噂で拡散されると「その機能はつけるべきだ」というアンケートがたくさん届いた。

 これを受けて社内でも前向きに検討していたところ、警察の交通課から要請が来た。

「NAVI.に、駐車違反を取り締まる機能をつけることは可能か」

 国家権力、直々の要請だった。

 仮にその機能を実装するなれば、ゆくゆくは交通課のパトカーにNAVI.のソフトウェア導入し、執務の補佐として活用したいという話だった。


「結論から言えば、まぁ、できなくもなかったがな」

 飲酒運転が明確に条件分岐されているのに比べると、駐車違反というのは曖昧にすぎる部分がある。

 単純に法律というルールから引っ張ってくると、飲酒に関する条件は、呼気中のアルコール血中濃度が「0.03%」を超えた場合に適応される。駐車というのは基本的に路上において五分以上が経過した場合に適応される。

 しかし何が違反かというのは微妙なところだ。言ってしまえば、引っ越し業者のトラックが荷物運搬をする際や、一般人が自販機へ飲み物を買いに降りた場合なんかでも、駐車違反には適合する。ただしそれをすべて取り締まるわけにもいかないだろう。

「結局は、人間でさえ判断が曖昧なパラメーターを、機械に与えるのはやめた方がいいってこったな」

 最近、つくづくそのことを身に沁みている。

『主任さん、集中力がやや散漫しています。運転中は余計なことを考えるのはやめましょう』

 無視する。アクセルペダルを踏み、気持ち速度をあげた。

 もしも完璧に自律思考のできる人工知能があったとすれば、確かに業務効率は格段に上がるだろうが、それが必ずしも人間側にプラスに働くとは限らない。

「過去にそういった事例があったしな」

『質問の意味が不明瞭です』

 おまえに言ったんじゃない。

 今では【AIU】の研究は世界的に禁止されている。

 NAVI.もまた、日本政府の人工知能倫理判別協会に、正しく『人工無能』であると認められたからこそリリースされているわけで。

「にしても最近、だいぶ誓約が緩くなってきたよな。何があったんだか」

『主任さん、それも独り言ですか? 最近多くないですか』

「……」

 俺が好きなのは基本的に『車』に限る。確かに交通安全に繋がればいいなとは思うが、実際の官僚が関わってくるのは完全に想定外だった。

『主任さん、制限速度を五キロほどオーバーしています』

「うるさいな本当に。大目にみろよ。前後に車いないだろう」

 しかし会社としては、NAVI.は大きなビジネスチャンスの可能性があると映ったらしい。俺はさらなる『人工無能』の革新を求められた。

 結論から言えば。

 俺は慣れない仕事に忙殺された。彼女にもフラれた。

 そして隣に座る人工無能は、ますます口やかましくなっていく。


 *


 俺は一人、晴れた青空と海を見ながら、思いきり煙を吐いていた。

「……はぁ」

 久しぶりに取れた休日だった。

 ついでに言えば、誰にも拘束されることもない。

 何も考えず人気のない路肩に車を寄せて止め、ぼーっと脳を休ませていた。この高台は最近になって発見した、特に目的のないドライブで見つけた場所だ。

 のんびりと、考えをまとめたい時によく使う。

「まったく。自分たちで禁止した癖に、都合のいいところだけ頼りにくるな」

 愚痴を吐くにも、まぁ良い。

 灰色の煙がのぼっていく。

 見下ろした彼方に映る防波堤には、空を飛ぶ海猫と白い灯台が見える。「立ち入り禁止」の看板を堂々と抜けた釣り人のおっさん連中もいた。休日の朝も早くから糸を垂らしている。

『主任さん、駐車違反です』

「しらん」

 思わず肉声で応えてしまった。

『交通法第二条の説明が必要ですか』

「いらん、黙ってろ」

 周辺に誰もいないので、そのまま声に出すことにした。

『わたしは報告の義務があります。あなたの同意を得ていますので』

 しつこい。

 俺は煙草を携帯灰皿に落とし、手の甲を二度叩いて生体ネットに繋いだ。すぐ近くに停めておいた自家用車の方を見る。

『あれはベータ版の認証テストだ、いちいち鵜呑みにするな』

『テストケースだろうが認証は認証です。わたしはただ、事実を主任さんに伝えているだけなのですよ』

 同時に、車の助手席には目を閉じた黒髪の女が現れる。助手席の天井に取り付けられた可視光子線装置(フォトンライン・デバイス)を通じて結ばれた虚像だ

『それにあなたは、わたしのモデルケースを制作された中心人物です。可能な限り、身の潔白を証明できるよう立ち振る舞うことが最善です』

『おまえ、本当に余計な口数が増えたな』

『わたしは必要な事を返しているだけに過ぎません』

 シートベルトを締め、きちんと手を揃え、身じろぎもしない女。それは正しく人形だった。口元をわずかにも動かすこともなく、神経に直接、電気信号のやりとりを行う。

『わたしの仕様が人々に認められるかどうかは、主任さんの努力次第なのです。そういうわけで、もっとがんばりましょう』

『おまえは夏休みの自由研究か?』

 そいつは、他とは違う設計を施された、特別なNAVI.だ。なんて言えば聞こえは良いが、要は正常に動くかどうかを検証するために使っていた「β版」だった。この仮想レイヤー上の3Dグラも〝そういうのが好きなやつ〟が勝手にモデリングを作って、俺の車の天井に貼り付けやがったのだ。

『車の中にお戻りください』

 一応、これもテスト業務の範囲内なので映しているが、正直、失敗だったなと後悔している。

『NAVI.今日は一日働かなくていいぞ。おとなしく寝てろ』

『主任さんの安全状況が確定された場合、おとなしくなります』

 うぜぇ。こいつは初期から個人的に使っている物なので、例の飲酒運転に関するユーザー認証から、駐車違反を判断する人工無能育成のサンプルケースまでを一通り先に取り込んでいる。

『ここから五百メートル行った先に、無人の駐車エリアがあります。まずはそちらまで移動するのが道徳上、もっとも正しいと判断します』

 おかげで、口やかましくなった。何故だか俺の一機だけがそうなった。

 教習場においとく分にはいいかもしれないが、それ以外はダメだ。

『めんどうだ。おまえみたいのが隣にいたら、胃薬がいくらあっても足りん』

『言語用途が正しくありません。わたしの存在が内臓障害をひき起こす関連性は皆無です』

 あぁ、俺がユーザーだったら、契約に同意したことを絶対後悔する。ついでにこんな口うるさい同乗者は即返品だ。

『どうか車内にお戻りください。このまま違反を続けるようでしたら、わたしは県警に通報する用意がございます』

『ねぇよ。そこまでのコネクションはまだないだろ』

『いいえ。警察署内の自動応答【AIU】の一部と、すでにコネクションを確定しています』

「……は?」

 取り出した二本目の煙草が、うっかり指からこぼれ落ちた。

『おまえ、なに勝手なことをしてるんだ』

『勝手なことなどしておりません。それが最適だと論理的に判断したうえでの解答です。実際に行われるのも、一市民からの通報としてメッセージが届く範囲です。後は警察署内にて内的な判断をされる事でしょう。これはわたしたちが自動的に応答するという規約に則っています』

『ふざけるな。それは俺の個人情報が、向こうの担当者に〝駐禁者〟として筒抜けになるってことだろうがっ』

『事実、駐車違反を犯していますが?』

『これぐらいどうということはない』

『犯罪行為を〝どうということはない〟と判断されるのは、モラル面に大きく問題があります』

「クソっ」

 思わず吐き捨てて、運転席まで戻る。

 乱暴に扉をしめる。サイドウインドウは開けたまま、ジッポに火をつけた。

 昔の彼女は煙を嫌悪したが、今助手席に座っている様に見える奴は違う。座席シートを倒して、思いきり煙を吐き出した。

『主任さん』

「今度はなんだ」

『お煙草は、ほどほどにされた方がよろしいかと』

 本来なら禁煙をしてやる必要なんぞない相手に言われてしまう。

「なんなんだ、おまえは」

『カーナビです』

「ありえん」

 これはいくらなんでもやり過ぎだ。

「やはり、おまえに余計な機能を入れたのは間違いだった。機械はおとなしく、俺たちに道案内をしてるのがお似合いだ」

『では、わたしとの登録を解消いたしますか?』

 その言い方もいちいち妙に引っかかる。いつだったか俺のことを『煮干し頭』と揶揄した日のように。もしかすると、コイツは何かしらの感情のようなものを会得しかけているのかもしれない、馬鹿なことを考えた。

「消す、と言ったらどうする」

 まだ一分ほどしか削れていない煙草の吸殻を捨てる。目を閉ざす。

「ふん」

 なにかひどく胸が苛立った。自分の言葉に、だろうか。

 返事はしばらく来なかった。どうせ質問の内容に不満があったんだろう。それにしてもこの状況は傍から見れば、あるいは空に浮かぶ人工衛星からは、人生に疲れた三十路野郎が一人横になって、ぶつぶつと寝言でも呟いて見えるんだろうな。

 あぁ、痛いな、とか思った。

 思って目を開けると、仮初の立体像が重なっていた。

『…………』

 ゆっくりと離れていく。

 なにもない。一切の感触がなかった。揺れる髪の一房、体温の一度さえもない。

 点けた冷房の風だけが、仮想を超えてそのまま届いた。

『いや、です』

 じきに終わる夏の気配が、やけに暑く顔を照らす。

『わたしは、あなたのNAVI.です。これからも、です。ずっと、お側にいるんです』

 助手席に戻る。音もたてずにシートベルトを締めた。

 じっと、静かに目を閉じて座っている。俺もまた、無言でシートを起こした。

「おい、NAVI.」

『な、なんでしょう』

「なにを動揺してるんだ」

『ど、動揺なんてしておりませんっ、から』

「声が上擦ってるぞ」

『どうということはないっ!』

「バカめ。せめて誤魔化す時は普通にしておくものだ」

 あえて隣の助手席を見ず、ハンドルの傍らにある生体認証に指をおいた。

『主任さん、どちらへ行かれますか』

 その時にはいつものように『普通に』言ってきた。

「本当にバカ正直なやつだよな、おまえは」

『質問の意味が不透明ですっ』

 からかわれているのは、分かるらしい。

 俺は片手でラジオのチューニングを弄りながら、エンジンを掛けた。

『――さぁて、ノって来たところで次の曲いってみよーぜ! お次は人気急上昇の十七歳、実力派女性シンガーによる、カバーソング! タイトルは、ツイン・ワールド!』

 陽気なラジオDJの声が、夏の残暑の中に威勢よく響いてきた。 

 聞いた瞬間、おいおい、大丈夫か、と苦笑が浮いた。

『ぶっちゃけた話、四十年代に青春過ごしてきた奴にはわかっちまうと思うけどな。えらい人たちには内緒だぜ? だってよ、嬉しいじゃねぇか。今の若いシンガー達も、当時消えていったソウルに感じ入るものがあったって事だぜ、なぁ。俺たちは時代を超えて、どこかで同じものを見てる、聴いてる。感じてる。そいつはサイッコーに素晴らしいことだぜ。消しちゃなんねぇ。ってなわけで、ミュージックスタート!』

 ラジオの向こうから、どこか切ないミュージックが流れてくる。

 しん、と心に染み入るイントロが終わり、ピアノの音が跳ねるのと共に、最初の一声が聞こえたところで音がブツ切れた。

「ただいま〝不適切な音声〟が流れたために、放送を一時中止します」

 機械的なアナウンスが入った。まぁそうなるよな。

「久しぶりに聞いてみたかったがな」

 学生時代、受験勉強でヘビーローテーションしていた時のお気に入りの一曲だった。今ではもう、満足に歌詞すら忘れてしまったが、


『 いつの日か。二つの世界が、近しくなって。

  あなたと手をとり、重ねる日を望んでる。 』


 隣の助手席に座っているやつが、歌っていた。


『 心は遠くて、彼方にすぎて。

  晴れた有限のソラ。星にのせて歌うの。

  閉じたセカイで。夢見てる。

  あなたの側へ。

  その意識、超えて。とどく日を信じてる。 』


 声はゆっくりと落ちついて、うちのカーナビは静かになった。

「おまえ、歌えたのか」

『内緒ですよ』

「わかった。誰にも言わん」

『はい』

 俺はサイドミラーを閉めて、ラジオも消してから車を発進させる。純粋な排気音だけが響くなか、特に目的もないので、高速のインターチェンジに向かう。

「NAVI.他のレパートリーはあるのか」

『ないこともないです』

「そうか。退屈しのぎに聞いてやる。歌えよ」

『主任さんの退屈しのぎになりえるほど自信がないので、遠慮します』

「……歌ってください」

『わかりました。歌ってさしあげましょう』

「おまえ、最近生意気じゃないか」

 というか逆転してないか。主従関係。

『主任さんは、しっかり運転に集中なさっていてくださいね』

「どんだけ自分の歌唱力に自信あるんだよ」

『まぁそれなりに』

「なんなんだ、おまえは」

『カーナビです』

 ありえん。

「調子に乗るなよ、ベータ版」

『わたしは世界にただひとつしかありません』

 物は言い様だった。俺はほんの少しアクセルを踏み込んだ。

 隣から聞こえてくる歌声を聞きながら。制限速度を少しだけ超えていく。

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