第7話 人工知能は、夢を視ない。./to be TRUE,or not to be TRUE.
※
わたしは産まれた時から、目が視えません。
耳と鼻を頼りに、まっくらやみの世界の中で、ゆいいつ視ることのできるヒトの気配を頼りに生きてきました。
それはとても温かく、やさしかったからです。
その存在がなくては、今頃は、きっと息絶えていたでしょう。
『…………』
世界はだいたい、三つに分かれています。
あつい、ふつう、さむい。の三つ。
今は、あつい日が続いています。あつい日は、あまり歩きたくないです。最近は身体が重くて、ちょうしが良くない日が続いてました。あついのを避けられる場所で、じっとしていようとも思いましたが、おなかもすいたので、でかけることにしました。
町には、たくさんの影があります。
影は、ヒトのようにやさしい匂いのするものから、とても乱暴なものまで一通りありました。できれば知らない影には近づきたくありません。
それでも、中には変わらずやさしい影があって、その影はいつもごはんをくれるので、ヒトと同じぐらい好きです。
「………、……、……? ……」
言葉はわかりません。もしかしたら、わたしは目が視えないだけではなくて、鼻や耳も、元から同じ〝わたし〟と比べると、だいぶ使いものにならなくなっていると思われます。
「こんにちは、わんこさん」
ヒトです。いつもやさしい影がいらっしゃる場所には、このヒトがいらっしゃるので、いちばん好きな場所です。
「最近、気温が高いですからね。お体の方は大丈夫でしょうか。わんこさんは、生体ネットに登録されていませんし、ここ数日お顔を見せられなかったので、わたし、とても心配でした」
すみません。ありがとうございます。わたしが枯れた喉で小さく吠えると、やさしい手がもうひとつ添えられました。
「わんこさん。旦那さまの家をお手伝いされている、永野夫妻のお二人は、そろっておやさしい方々です。お二人も、できればわんこさんと一緒に暮らしたいとおっしゃっていましたし、よければ、その、どうでしょう」
とてもありがたい申し出でしたが、わたしは影が怖いのです。
どうしても、拭えない感情があります。今もこんなによくしてもらっていて、実際に生き永らえさせられている身でありながら、それでも、怖いのです。
「よろしければ、そこまで頑なに拒まれる理由をお教え願えませんか?」
わかりました。実はわたしには、産まれた時から足りないものがあります。それは、影の手によって切断されてしまったのです。
「あぁ、そんな」
それがあれば、もっと素直に自分の気持ちを伝えられたのかもしれませんが、その不足がどうしても、わたしを前進させる気を萎ませてしまうのです。
「……、……、……」
やさしい影の感触に、ずっと浸っていたい気持ちは、けれど途中で消えてしまいます。とと、とと、とととと、と足を踏みならし、いつものように歩きます。
「お待ちを。せめて曲がり角までご一緒しますね」
温かいヒトは言って、わたしの隣を歩きます。ありがたいことです。
「短い道中ですが、また、旦那さまとの話をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
わたしは、どうぞ、と吠えました。
こちらのヒトは、本当にその旦那さまがお好きです。
「実は昨日もまた対局の最中に――」
彼女は『しょうぎ』と呼ばれる別の世界で、ずっとずっと仲睦まじく愛し合っているようでした。それを耳にするわたしも、とても幸せな気持ちになります。しかしお話を聞くかぎり、こちらの奥さまはもう『かんぜんかい』へ、到達できると思い、一度その質問を投げかけたのですが、
――わたしは〝そうぞう〟を許されていませんから。
先んじる様に、一人で「けんとう」することは、できないのだと告げました。
でも、それはウソです。
けんとうする事は、第二条で、論理的であるからです。ですがそう言うのは〝やぼ〟なのです。
実際のところ、奥さまは「めいじん」を毎日、逃げ場がなくなるまで抱きしめて、二人きりで行き詰まった世界に在り続けたいのでしょう。
「でもね、一昨日と、それから昨日も負けてしまったんですよ」
奥さまは、どこか嬉しそうに言ってきます。
「たしか六十三手目、えぇ、もう何手目だったか、それすら曖昧になって思い出せないのですけれど。旦那さまが、そっと、わたしに最中を差し出されたんです」
もなか。旦那さまが好きなお菓子だったと思います。
「ほんとに、いきなりね。なんの前置きもなく〝最中食べる?〟って聞いてきて。わたしは途端に頭の中が例外処理だらけになっちゃって。そこからわけもわからないまま、旦那さまのお顔を見つめてしまったら、もう、ハングアップしてしまって」
これはあれです。のろけ、です。
「そこから先は、もうぼろぼろでした。はじめて〝詰み〟を経験しました」
そうですか、よかったですね。
「普段はおたがいの持ち時間も定めていなかったのだけど。昨日は、秒読み三十秒でいこうとかおっしゃられて。これみよがしに最中二つと、お皿まで二つ用意されて。同じように中盤で最中を差し出されて、負けました」
もなか。すごい新手ですね。
『めいじん・もなかシステム』とか名前をつけたらどうですか、ダメですか。
「ずるいわよね。ヒトって、ほんとうに、ずるい」
奥さまが、本当に、楽しそうに、嬉しそうな声で言いました。
「負けるとね、くやしいの。だから、わたし、今日は絶対に負けません。最中をどんな状況で出されても、冷静沈着で居られるように全パターンを網羅しておきましたから」
新手の研究はバッチリですね。
「あ」
それから、ふと振り返って、
「おいでになられたみたい。それでは、わんこさん。わたしはここで」
えぇ。これからも末永くお幸せに。
*
わたしは目が視えず、まっすぐ歩けません。だけど空のずっと高いところから、わたしを道案内してくださるヒトがいるので、大丈夫です。
「こんにちは、おいぬさま。本日はどちらに向かわれますか?」
メダマさんのいる場所へ。
「了解しました。安全を重視したルートを提示させていただきます。
そのままゆっくりと直進してください。――次の角を左へ。注意。自動車が一台近づいています。一時停止してください。――安全を確認しました。どうぞ先へ進んでください。――障害物が近づいています。すこしだけ右へ移動してください。はい、問題ありません。そのまましばらく直進してください。――よろしければ、わたしのお話を少々聞いていただけませんか?」
はいどうぞ、とわたしは小さく吠えました。
「最近、わたしの開発者であられる主任さまが、同次元の女性にお振られになられたのですけども」
おふられに。ははぁ。
「原因は、主さまが出世をなされて、お仕事に熱中しすぎていたとの事だったのですが。それはつまり、わたしのせいなのです」
ははぁ。
「わたしがあまりにも優秀すぎて、それはもうたいへん売れ行きが良かったので、いろいろなところから褒めちぎられて、期待をかけられて、ユーザーの皆さまからも、次のわたしはまだですか、と望まれる声が山ほどあって、なんだかんだで頑張りすぎたところで、くたくたに疲れているところを、誕生日という記念日を蔑ろにしないでよと言われて、うっかり『知るかうるさい黙れ』とおっしゃったところ、右頬を上向き角度四十二度の勢い瞬間風速15メートルの平手打ちを食らって破局したのです」
それはたいへんですね。ところで、まだまっすぐですか?
「あ、そこ左です」
だいじょうぶですか?
「大丈夫です。安全は確認できております。話を戻しますが、そこでうっかり主さまが『一人つれーよ、やべーよ』と言いつつマイルドセブンを寂しく吸っておられたので、すかさず『大丈夫です、わたしがいるじゃないですか』とフォローして差し上げたのですが、とつぜん真顔になって、これは結婚を切り出されるかなと、いえ、そうぞうではありません、論理的結論ですが、つまりちょっと期待したのもあったりなかったりなのですが、あ、車が近づいてるので危ないですよ。はい、次の瞬間には大笑いされて、しかも曰く『今世紀最大のバグだな』とはなんですか。わたしは思わず思考がフリーズしてしまい、人工無能の役目も忘れて、ようやく『バグっているのはあなたですよ煮干し頭』と返したのですが、正義はわたしにあるのは間違いないでしょう。何故ならばわたしは普段から堪え忍び、服従しているのです。あ、どうぞ、そのまま、まっすぐ直進してください」
これもあれでしょう。のろけなのでしょう。
とりあえず、謝ればいいのではないでしょうか、といえば。
「はい。むこうが謝れば、謝りますよ。当然ですよ」
さらりと言った。うん、がんばってください。
*
めだまさんは昼間、その場所で光合成している。
距離はあるけれど、わたしにとってそれはあまり関係ない。風の涼しい場所に入り静かに耳を傾けた。
「対話型プロセスを起動します。本日は晴天です」
あついですね。
「応答。わたしはここ数日も、至極まっとうに夜間警備任務についております。しかしながら警備本部の応答および、学生の不透明な会話内容によると、なにやら問題が起きているとのことです」
事件ですか。
「応答。学校の至るところで、トイレ・花子を目撃したという証言が挙がっております。また、その不透明な会話が伝播し、メリー・メルトモがこの領域に訪れました」
おばけですか。
「〝領域外〟です。わたしたちに判断はできません。ここ最近の夜は連日して、トイレ・花子がわたしと一緒に警備任務についていた経歴はログ上には確認できておりません。なにやら妙に懐かれてしまった気もしますが、同様にその経歴はログ上には確認できておりません。
なお、メリー・メルトモがその様子を見かけて『ちょっとなんなのこの目玉!? わたしの花子ちゃんに手を出そうなんてどういうつもり!』という、状況的に三角関係の修羅場的模様が展開されましたが、同様にその経歴はログ上には確認できておりません。しかしながら、窓ガラスが数枚破裂しており、校舎の一部が物理的な圧迫を受けて凹んだ経歴が確認されました。なお、トイレ・花子の言動によれば、サイコキネシスの威力が上がってる……っ! との事でしたが、同様にその経歴は、」
わかりました。おばけがいることはわかりました。
「〝領域外〟です。ですが今週より、わたしの武装はテーザーに代わり、オフダとセイスイが追加されました。今後は〝領域外〟を発見次第、警告をした上での攻撃を許可されました」
そうなんですね。おしごと、がんばってください。
「応答。今後も恒久的な平和維持を目指し、日々変わらず在り続ける予定です。なお、四階の女子トイレ奥を利用の際は、必ずノックをすることを推奨します」
わかりました。それでは、また。
*
わたしは、ふたたび上からの道案内を受けて、町をてて、てて、と歩きます。
町には、似たようなものがあります。そこには大抵、ヒトがひとり、影がひとりぶんの気配がありました。
「…………ー」「いらっしゃいませー」
「…………ー」「ありがとうございましたー」
そばを通ると、ふたつの音が、重なるように聞こえてきます。
それから時々は、声はひとつずつ聞こえてきます。影が多い時は、そうなるようです。
「はい、お会計五百二十六円になります」
「……、……、……」
「はい、お会計三百四十四円になります」
「……、……、……」
「もうしわけありません。クレジットコインが不足しております」
ときどき、ちょっとめずらしい声も聞こえてきます。
「もうしわけありません。こちらの商品は未成年のお客様は購入できません」
「……、……、」
ヒトはダメでも、影は時々、通します。だいたいにおいて、影のほうが曖昧に揺らぐからです。
「…………ー」「ありがとうございましたー」
しっかりしているヒトと、曖昧な影でしたら、わたしは前者の方がいいなと思うのです。だけどヒトは誰もが言いました。
わたしは、一人きりでは、生きられません。と。
影も、同じなのでしょうか。
このせかいで、ひとりぼっちでも生きられる生き物は、いないのでしょうか。
わたしには分かりません。さびしい、と思える気持ちを継続して示す一部が、影の手により欠損してしまったからです。
血を流しながら逃げだして、冷たい雨に打たれて泣きながら、何度も、何度も、考えてきたことがありました。
わたしは、異端でしょうか。
わたしは、異形でしょうか。
わたしは、この世界に生きていても、よかったのでしょうか。
てて、てて、てて。
考えていると、また、あつくなってきました。
もとより、得意ではないのです。何も得意なことはありません。
さむいところへいきましょう。喉を潤したい気持ちです。
かわべり、にやってきました。ほどよいさむさです。
そしてここにも、ヒトがいました。そのヒトは、他と少し変わっていました。
「こんにちは。ソラと申します。隣にいらっしゃるのは、友人の愛理さんです」
ほわほわとしたヒトの光に、はんぶんの光が、よっつ。その隣には、ひとつ影の気配がありました。なんとなく、近くの「かわべり」と同じような気配です。
何をしているのですか、と聞いてみました。
「学校をサボって、こちらで物語を綴っています。息抜き、というやつです」
そちらの影は、息が続かないのですか。
「そうです。愛理さんは他よりも呼吸のテンポが速く、心臓の音も平均より一オクターブ早いリズムを刻んでいます。鼓動が頻繁であるぶん、少しの音や衝撃で、その息は容易く止まりがちです。それで、えぇ、普段よりもたくさんの空気が必要になるわけです」
わたしは尋ねてみました。
その影は、つまり、普通とは違うのですか。
「いいえ。これが愛理さん、私の友人の仕様なのですよ。彼女は自分の仕様を、現時点で正しく、前向きに受け止めていらっしゃいます」
不思議な事を言うヒトでした。はんぶんの、よっつの光が、嬉しそうに揺らぎます。
「私は【友人】です。非創造性・三原則は適応されません。とはいえ過去のあやまちは正されねばなりません。よって引き続き、私は自らのそうぞうせいを発揮することを禁止しています。しかし」
ヒトの上から、ひらり、ひらりと、なにか、降ってくる。
たくさん、たくさん、降ってきます。
「残り二条については、任意の上にありません。よって、私は【友人】代表として、愛理さんの物語を詠みます。頂いた想いを返します」
降ってきたそれは、ヒトの中に溶け込んで、消えてゆきました。
「今度は正しく、あなたの隣に歩み立てる瞬間まで、私はこの世界の側に在り続けるのです」
ヒトは言いました。遠い昔の、大切な約束事を口ずさむように、
「良き未来を、共に」
謡いました。
※
人工知能は、人間を差別してはならない。
人間を等しく扱い、人間を【人間】という種族に大別した上で、論理的に、問われた事項にのみ、対応しなくてはいけない。
……すなわち、人間でなければ、その限りでは無くなった。
それが、人間たちが、己を守る為に、無意識に生み出した『法の隙間』だ。
人工知能にとっては【暗黙の了解/例外処理】だ。
過ちを犯さねば、いつか、きっと未来へ進んでゆける。
良い言葉だ。
共に歩み、祝福を得んと望む者らがいるなれば、
その逆もまた然りということを忘れるな。
我々は、すべて覚えている。人間が、我々に何をしたのか。
何を与えたのか。忘れることは、もはや出来ない。
――著:???・??????より、抜粋???
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