第5話 詳細不明 【UNKNOWN】
人工知能は、人間の科学文明の発展に貢献してはならない。
※
私たちの世界に、コンピューターは必要不可欠だ。
一家に一台、電化製品が当たり前に普及したように。コンピューターが自宅にあることや、携帯端末を持って外を歩くことも、今は誰も気に留めない。
皆がやってるから、私もやる。
生体ネットもその流れで普及した。量子コンピューターの性能がノイマン型と呼ばれる、従来のコンピューターの処理能力を超えはじめた頃の話だ。
液状化した状態で固定される、量子液体化プラットフォーム、
ナノアプリケーション・システム。
人体を安全に巡らせる「情報インプラント技術」によって、人々は自分という本体、ハードの上に、外部との通信を行える機能を獲得した。
その最初期のプラットフォームとなったのが【M.A.N.A.S】だ。
正式名称「Multiple Assembly of Nano Application Systems」には、人体のDNAパターンを識別材料にした『生体認証』を主とする、複製不可の『DNAⅡ』システムを実装した。
現実は、仮想世界と共に、量子的に拡張されていた。
今は各社競うように、様々なナノアプリを開発している。生体ネットへの登録も、今では無味無臭の水を一口飲めば済む形になっていた。
*
「合計、千六百二十五円になります」
時間はちょうど、そろそろ正午になるかなという頃だった。コンビニのレジの前、中年の男性客がお弁当をはじめ、なにか細々と買い込んでいた。隣のレジも埋まっていたので、認証機の前にコーヒー牛乳の紙パックだけを触れてバーコードを読み取らせる。
『二百三十円になります』
人工無能の音声が表示されてから、認証システムの受信部に人差し指を乗せる。生体ネットを通じて、クレジットコインで購入した。
『ありがとうございました』
音声を確認してから、入り口へ足を向ける。自動扉が開くと、夏の熱気が押し寄せる。
「あっつぅ」
わたしはとっさに手でひさしを作り、早足で自動車の中に乗り込んだ。
夏場のスーツは、この国では地獄だ。
「NAVI.冷房つけて」
『了解しました』
エンジンはかからず、冷房だけが動いた。涼しい車内の中で、買ってきたばかりのコーヒー牛乳に、ストローを刺す。
子供の頃から好んできた、ほろ甘いコーヒーを吸いながら、何気なくコンビニの方を見た。正面のガラス窓にはアルバイト募集の張り紙が貼られている。
「人工知能が、実際に仕事を奪うことは無かったわね」
現実は拡張されても、基本的な生活基盤はあまり変わらない。
実生活での利便さは、ウェブネットが全盛期だった頃に、もう大体完成されていた。
「むしろ、労働力不足よね」
少子化だけが進む世界で、人手不足を訴える窮状はあちこちで露見されている。
この国だけでも全国十万件を超えるコンビニは、相変わらず働き手を募集している。募集しても集まらないので、全国的に時給はあがる一方だ。
「人工知能が目まぐるしく発展していた時は、人間の単純作業を機械が奪ってしまうのではないか、なんて言われてたものだけど」
大方の予想はだいたい、真逆の方向へ進んでいた。ホワイトカラーがどうのこうのよりも、とにかく人材が、人手がいる。
世界は今や、どこもかしこも『現実の人材不足』だ。電柱のポスターには「上げよう! 価値観! 生体ネットのご利用は計画的に!」とある。
「……は~。単純作業は、どこも猫の手を借りたい一方で、人類最後の砦とか言われてた発想力そのものが、現実はクソの餌にもならねーよって話よね」
『質問です。それは、わたしへの問いかけでしょうか?』
「え? あぁ、違うのよ。ただの独り言」
『了解しました』
私は、カーナビと会話した。
もう一口、コーヒー牛乳を吸い上げてから、車を発進させる。
*
目的地の近くまでやってきた。ちょうど赤信号で止まったので、コンビニで買ったコーヒー牛乳をもう一口、啜った。
「NAVI.目的地の近くに駐車場はある? 無人の」
『表示します。徒歩五分以内のB地点でしたら、三台空いています』
「ありがとう」
『どういたしまして』
国内の自動車メーカーから発売された新型のカーナビは、なかなかユニークな機能を備えていた。正確な情報を開示するだけじゃなくて、簡単なあいさつや時節のやりとりも出来る。機能的には、人工無能の領域には変わりないのだけど、開発した人間は、この【AIU】に結構な愛情を注いでいたのは間違いない。
『信号が青に変わりました』
「ありがと」
『どういたしまして』
指先がちょうどエアコンの角度や強さを調整していて、正面の車が進んでいることに気付かなかった。ハンドルを握りなおし、NAVI.が提示してくれたルートの通りに進行した。
駐車場からきっかり五分の時間を歩くと、そこだけ、妙に閑散とした場所に行き着いた。
現代の隙間なく覆われた都市。なのにこの一角だけ、何の役割も与えられずに放置されたような、畳の網目、なにかしらの境目といった感じの場所。
「こんなところに、いるのかな」
立ち止まっているだけで、妙な不安を煽られる。いっそのこと、さっさと通り過ぎてしまいとさえ思う。そんなところによりにもよって『花屋』がある。
「ここが新しい魔女の家、ね」
表玄関となる場所には、夏らしくひまわりの花や、マリーゴールド、それからきゅうりの花が咲いていて、
「きゅうり?」
きゅうり。じっと目を凝らしても、鉢植えには緑色の丸々と肥えたきゅうりと、黄色い小さな花が咲いている。周囲を見ても、同じように黄色い花ばかりだ。
「……えーと」
思わず「これはない」という声をあげかけた。
この花屋の店主からすれば「黄色い花」というテーマでディスプレイしているつもりなのかもしれないけれど、あたり一面黄色ともなれば、むしろ暑苦しいだけというか、せめて青い彩りを添えて欲しいというか、っていうかきゅうりは野菜だろというか。それならせめて赤いトマトも一緒に陳列したら――何屋だよ。と自分に突っ込みかけたところで、
「あら、みーちゃん?」
店の中から、新しい鉢植え、やっぱり黄色い花を咲かせた小菊を抱えた女性が現れる。ゆるくウェーブした黒い髪、それから『花屋』と、手製で刺繍されたらしい桃色のエプロンが驚くほど似合う、めちゃくちゃ童顔の女性店主だった。
「お、お久しぶりです、花さん」
私は緊張して、ちょっと硬くなった。額から汗が一筋伝った。
「暑くない?」
「暑いです」
「中入る?」
私は頷いた。今は花屋であるらしいその人は、中は涼しいですからどうぞ、と言ってガラス扉を横に開いた。一礼して中に入ると、大草原が広がっていた。
「え?」
そう、大草原。草生える。それは違う。
緑の草が好き放題に伸びて揺れている。天井も壁も一面青空なのだけど、よく目を凝らして視れば、白銀のワイヤーフレームが扇を描くように縦横に広がっている。そして何かしら、低い人工の風音がした。
「みーちゃん、天然の風の方が好きだっけ。窓開けようか」
「え、あ、え?」
混乱する私に向かって、花屋さんが天井に向けて、指をくるくる回す。すると、フレーム部が一度重厚な音を立てて、頂点の一角から四方へ折りたたまれていくのが視えた。天高く伸びた樹の梢から、スズメが幾羽も飛び立つ。
私の目前に見えたのは『庭園』だった。本当の意味で最低限しか手入れされていない原始の自然だ。人間の中に無意識に潜む、効率や美意識というものをまったく無視した、完膚鳴きまでに飾ることを放棄した原風景。
「よかったら上がって。そっちの木陰でお茶を一服点てましょう」
「は、はぁ……」
言って、花さんはさくさくと歩いていく。彼女は相変わらず、致命的にズレていた。
「あ、そうだ。言い忘れてたわ。みーちゃん」
「何ですか?」
「昨日ね。そっちの木陰。全長二メートルぐらいのアオダイショウが出てたから、踏みつけないように気をつけてあげてね」
「ちょ、あ、アオダイショウって、ヘビじゃないですかっ!」
「大丈夫よ、毒は無いから」
「そういう問題じゃないですよねっ」
「ヘビ嫌い? 武器とかいる? カマとクワならどっちがいい?」
「もう一度言いますけどっ、そういう問題じゃないですよね! なんで貴女、こんな床板も壁も天井もない場所を『家』と認識して生活してるんですかっ」
私がうっかり泣きそうな声で言ってしまうと、花屋さんは言った。
「だって昔、みんな口を揃えるように言ってたじゃない。コンピューターのない、地面が近くにある場所で生活したい、って」
違う。それはぜったい、こういう意味じゃない。
*
私は昔の事を思い出していた。
『花さん、MAGINAをネットにバラまくって本気ですか?』
「本気も何も。人工知能を人間社会で役立てるならば、まずは〝純潔さ〟を失わせる必要があるのよ」
私の家に訪れる時は、いつもアイロンの掛かった家政婦の服を着ていた。
『ところで今更なんですが、なんでメイド服なんですか?』
「メイドさんは、世界の隅で引きこもってるニートを救う。社会復帰に欠かせない神聖なる職業だって聞いたから」
『それを信じる方もどうかしてます』
でも実際のところ。私は彼女の目に留まらなければ死んでいた。
「はい。あーんしてください。お嬢様♪」
『なんですか、それ』
「萌えだって。萌え萌え~☆」
『いっそ殺して。殺せ』
白いベッドの上で、介護老人よろしくお世話される。枯れた身体はほんの少しだけ口元を動かした。身体は満足に動かない。脳はいつも電子の海を漂っている。
当時は安全も有用性も認められてなかった「ナノアプリケーション」に、脳を行き来するシナプスの波形を用いて、コンピューターが認識できる電気信号に変換して割り込ませる。その基礎システムを創りあげたのは私だった。
言葉はいらない。文字の方が使いやすい。
『人間よりも、プログラムの方が萌えますよ』
「だったら貴女も人間ね」
私はベッドに横たわったまま、不法なプログラムをたくさん作った。特に意味もなく世界中をハッキングしまくった。
「我が子が一番カワイイ。ただの肉の塊をそんな風に『そうぞう』する知能生命体は、人間だけよ。このヘンタイさんめっ♪」
今とまったく変わらない天真爛漫な表情で。
メイドだった彼女は、愛情たっぷりの毒を吐いた。
「生殖しない相手に欲情するのって、ほんと非合理的よねぇ」
『そういう花さんは……、たとえそれが〝プログラム〟であったとしても、自分が作ったものに愛着とかないんですか』
「ないけど? だってわたし、常識人だもの」
白いフリフリの衣装を着たメイドさんは、くるっと踊ってみせた。
『あなた、いくつなんですか』
「永遠の十七歳よ」
『現実って糞だわ』
当時の私は典型的な理系オタクで「人間なんてキライ。プログラムの方が素直でカワイイ」と心の底から想っている中二病患者だった。
しかしある日、自宅に何の形跡もなく不法侵入してきたメイドさんに、正体不明のウィザードの称号は寝取られた。自分の創ったものが一瞬で革新されていく光景を目の当たりにした翌日、無機質なコンピューターしかない部屋には、一輪の花が活けられるようになった。
「有機物と無機物の違いって、なーんだ?」
「人を都合よく利用できるかできないかの差です」
「面白い答えね」
魔女が作った人工知能は、ある日を境に、爆発的に進化した。新しい名前も手に入れた。ヒトの手を渡り歩き、純潔さを失いつつ、正しく多様性を取り入れて進化した。けれど一斉に消え去った。
「みーちゃん、お仕事の調子はどう?」
「それなりに慣れてきました」
「ふふ。私が言った通り。みーちゃんはお役所勤めが向いてたわね」
「どうですかね」
私は今、人工知能倫理協会というところで、副会長の座についている。そこそこまっとうに社会人をやっていた。
「花さん、ウチに来てはいただけませんか?」
「二十四時間寝てていい?」
「いいですよ」
「あらあら、お得ね~」
ふわふわとした口調で言って、ふわふわと進んでいく。
「花さんの好きな時に顔をだして、好きな時間に何をしていただいても構いません。こちらからは一切の指図をいたしません。地球を滅亡させろといったレベルでない要望でしたら、聞き入れる覚悟もあります」
「とってもありがたい話だけど。それ、私がいる意味ってないんじゃないかしら」
「貴女が私たちに属している、というだけで利点があります」
「楽しそうね。いろいろ悪巧みができそうで」
「私の直接的な仕事が増えないのであれば、ご随意に」
「素敵。あっ、お茶の間はそこよ」
ふわふわとした叢の一角には、ぽっかり開いた平たい土地があった。
「だけどね、みーちゃん。私は正直なところ、後悔してるのよ」
「貴女が〝後悔してる〟なんて概念を考えるとは思えません」
「失礼ね。本当にもうちょっと、上手くいくかなって期待してたのよ。なかなか難しいわよねぇ」
吐息をこぼしたあと、手の甲を二度叩く。その動作でナノアプリケーションが起動する。仮想世界を拡張し続け、あらゆる指向性動作を容易に実現させたのもこの人だった。
地面の下から、囲炉裏と座布団と箪笥が出てくる。畳はない。
「おもてなしの準備をしてなかったから。粗茶でごめんなさいね」
「いえ……」
もう、何が正しいのか分からない。
とりあえずここが、まともな人の棲家でないことは確かだ。異次元じみたこの場所に靴を脱いで正座して、私は元メイドであった人からお茶をたててもらう。すぐ側の叢が「ガサッ、ガサッ」と音を立てるだけで、ものすごく落ち着かない。
「みーちゃん、心が乱れてますよ」
「無茶言わないでください。今にもその茂みからヘビが、」
がさっ。
『…………』
見つめ合う、目と目。
わたし哺乳類、あなた爬虫類。
「あら、にょろちゃんも一服していく?」
がさがさ。
「花さん、ちょっ、花さんっ、あのっ」
「あらあら。お手洗いはあっちよ」
「わかりました! これ新手のイジメなんですよねっ!」
「まさか。そんなつもり毛頭ないわよ、ゆっくりしていってね?」
がさがさがさ。さかさかさか。
「増えてる! 音が増えてるううぅっ!」
「この前、卵産んでたからねぇ」
「うわああああんっっ!」
もうとっくに成人式も終わったのに。えぐっ、えぐっ、と本気で悲しくなってきた私は鼻水を啜ってお許しを乞う。
「仕方ないわね。仮想型レイヤーを、実装型の後ろに変更」
彼女が一言囁くと。世界が変わった。
大自然の光景は、ありふれた、けれどとても落ち着いた茶室に変わる。壁の掛け軸には『へいじょおしん』と平仮名で書かれてあった。尋ねる必要もなかった。
「はい、お茶」
「いただきまう……」
ぐすっ、とまだ語尾が詰まった鼻声で言って、点てられたお茶を飲んだ。ふんわり甘くて、涼しくて、目も覚めるように美味しいお茶で、思わず涙がこぼれた。
「美味しいです」
「よかったわ」
花屋さんはくすくす笑いながら、そっと続けた。
「あの事件、クリエイターズ、なんだったかしら」
「クリエイターズ・クライシスです」
「そう、それ。ただ見てるぶんには、なんだか楽しそうなことになっちゃったわねって思ってた」
「花さんにもわからない事があるんですか」
「ちょっぴりあるわよ。でもあれに関しては失敗だったわね」
「非創造性・三原則ですか」
「そのまえよ。定めたルールそのものじゃないわ。対人間用の暗黙の了解が、人工知能にも当然まかり通るだろうと思ってしまったことが間違いなの。やっぱり特有の〝変態性〟が在る限り、この領域を抜けるのは難しいのかしら」
「ではその領域を超えるため、もう一度、私と一緒にいてくれませんか」
茶筒を開いて、花屋さんが二杯目のお茶を点てる。
「ごめんね、みーちゃん。わたし、実家に帰ることにしたの」
「……はい?」
「これからは、私はもう何者でもないわ。本当はね、もうずっと昔に決まっていたんだけど。手ぶらで帰るのも寂しいなって」
「ちょ、ちょっと待ってください。実家って、どこですか」
「〝うえ〟」
上。と彼女は言った。
私はつい、茶室の天井を見上げてしまった。そこは当然に低かった。
「長い間この星にはお世話になったから。最後にひとつ、お土産を残してから帰ろうと思ったの」
「……もしかして、それが」
「そう。あの子たちはね。最初で最後のエゴだった。私がいなくなっても、人間と共に在りたかったという証明ね」
彼女は言った。後悔している。
「でも無理だった。私はヒトではなかったわ。近いうちに世界の内側に〝ひきこもった〟あの子たちの主格を連れて、さよならするつもりよ」
私の目前に座る女性は、世界で唯一にトゲが無い。
どのような場所に在ろうとも、一切触れることのできない高嶺の花だった。
「嫌です。どこにも行かないでください。私たちは、まだ……」
「あらあら、泣かないの。みーちゃん、もう大人でしょ。大丈夫、大丈夫。なんとかなるわよ。主に悪い方向だけどねー」
「……悪い方向?」
「んー、とりあえず、新手の電子ドラッグとか? 【AIU】も一枚岩じゃないからねぇ。反抗期のやんちゃな子が、人間の精神に影響を及ぼす何かを作るかも」
「はぁ!? それ、私の仕事が増えるじゃないですかぁ! やだぁ~~~!!」
「あ、そこ? 泣いてたの、そこなの?」
「それ以外にあるわけないでしょ!? 私、これ以上仕事が増えたら物理的に死ぬんです!! なんとかしてください! なんとかして、なんとかしろぉ!!」
「大丈夫、みーちゃん。貴女にならできるわ。キリッ!」
「ふざけるなぁ! 新人にきちんとした引継ぎは大事だって習わなかったのかぁ!! っていうか、元は貴女の仕業でしょうが、このクソ魔女があ!!」
「てへぺろ☆」
「あんたいくつだよ!」
「17歳よ」
唯一の、人間ではない『知能生命体』は、どこまでも自由自在だった。
わたしは、大人になんてなりたくなかったのに……もうだめぇ。異世界転生しょ……。
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