彼女の過去(Side:Fear)



血は拭いきれない。

たとえ外見的に拭えたとしても、心の奥底にこびり付いた血痕は消えず、傷を残す。

本人に、『俺はここにいる』とでも言うように……



翌日――

「もっと右に~」

「はいっ!」

間の抜けたグラナデさんの指示に、私は元気良く答える。

もはや日課と化した射撃訓練。

近場の射撃場の常連客になっている感がいさめない。

だが、それで良い。まだまだ私の技量は低いのだから。

手にした〈CA CSG15-C〉を構え直し、的に銃口を動かす。

これが最後の一発。慎重に狙って―――発射ファイアッ!

発砲。

着弾。

「……うん。良くできましたっ♪」

跳ね上がった銃口を下ろし、マガジンも排出。

人間型標的マン・ターゲットに向き直ると――腰から上が抉れている。

芯を捉えれば良いとはよく言われるが、それでは駄目らしい。

散弾の特性上、効果範囲は広いが、至近距離で撃ち込まなければ単発火力自体は低いのだ。

ならば、一粒弾スラッグ小型炸裂弾フラッグ、ダーツフレシェットの使用を推奨されるだろうが……現状の腕では無駄弾にしかならないだろう。

『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』なんて諺があるが、妄言同然。当たりはするだろうが、ロクでもない結果しか引き寄せないだろうから。

故に、しっかり近距離から急所を撃つ事か、

「チョークを変えた方がいいかなぁ……」

チョークを変えるか、だ。

チョークとは散弾銃の銃口内部に取り付ける部品。散弾の拡散範囲を調整する。一応、外装式も有るらしいが、捩じ込み式や内部固定タイプが一般的だ。

で、今は無チョーク。専門用語で言えば〈シリンダー・ボア〉。これをどこまで絞ろうか?

全絞り《フルチョーク》は当然絞り過ぎ。中絞り《モデ》か改良中絞り《インプ・モデ》辺りで……うん。中絞りにしよう。

傍らに置いていたショルダーバッグを開け、チョークのセットを取り出す。

中絞りの捩じ込み式チョークを掴み、銃口に挿入。

コック。

排莢口エジェクションポートから12ゲージ00バックを装填ロード

ボルトリリース。

新たに立ち上がる的。

向き直って、構え――発射。

跳ね上がる銃身。

結果は――

「……良くできてる《Nice》♪」

双眼鏡を覗くグラナデさんが楽しそうに言う。

確認すると、

「ほんとだ……」

今度は的の致命領域バイタルゾーンたる心臓と肺の一部が吹き飛んでいる。

……このぐらいでいいかな。

納得した私は、残りのチョークをバックにしまいながら、ふと思う。

「そう言えば、天樹ちゃんはどうしたんですか?」

昨日保護した、少女の事だ。

「あー……マスターの店でアルバイト中」

「バイトですか……ってバイトッ!?」

天樹ちゃん14歳だったよねっ!?

まだ中学生の筈……。

「心配無いよ?天樹ちゃん、もう中卒程度の学力を持ってるみたいだから」

(えっ!?)

今、まだ6月だよね?天樹ちゃんが三年生だとしても、まだまだ履修内容が残ってるはず……。

受験にしても早過ぎる。

「詳しい事は知らないよ?本人が話したがらないから」

「そうですか……」

無理に聞き出す必要は無いよね。聞き出して辛いを思いをさせるかもしれないし。第一、私達にメリット、デメリットがあるかと言われれば、まだ分からない。

(いずれ分かる事だよね……)

思考を打ち切るように、辺りに散らばった空薬莢を回収し、薬莢用の屑籠に投げ込む。慣れた作業。

「……さて、私も久々にやろうかな。いいよねー?」

その横で、無骨なコンテナを肩に担いだグラナデさんが休憩スペースに向かって、誰かに許可を求めるように言うと、

「止めろ。射撃場が吹き飛ぶ」

いつの間にか、休憩スペースに陣取っていた管理者の若者に止められた。

――無理もない。

セルゲイさんに聞いた話だが、かつてグラナデさんが射撃訓練を行った射撃場が大爆発を起こしたらしい。原因はお察し……との事。

まぁ、グラナデさんの黒歴史は再発しなかったので問題無し。で、管理人は噂では元軍人だとか。……セルゲイさんの周りには軍人ばっかりだなぁ……。

もしかしたらグラナデさんも、かな?……聞いてみよ。

「……グラナデさん」

「なぁに~?」

「グラナデさんって、セルゲイさん達と何処で知り合ったんですか?」

「軍だよ~。エリアRosの」

あっさり答えてくれた。そして予想通りの答え。

グラナデさんも元軍人かぁ。流石に部隊は違うだろうけど。

「とはいっても本来、私とセルゲイ達は会うはずがなかったんだよね……。ま、それは追々って事で。私からもいいかな?」

今度は私が質問される形となる。

「昨日の依頼中、フィアちゃんはPTSDを起こしたよね?大丈夫って言ったのにさ……」

「……」

……蒸し返さないでください。

は思い出したくないんです。

「……過去に、何があったの?」

予想通りの質問。

私は暫し黙り、

「…………答えないと……駄目ですか?」

嫌そうに答える。

「うん。……今後の仕事に関わるから」

仕事に関わる、ですか……。

意味する事は強制。言い換えれば尋問か。

「昨日も言ったけど、〈魔物〉は必ずしも、人間とかけ離れた外見をしているわけではない。外からは見えない部分――内臓とかが変質する〈F〉もある。……今のフィアちゃんは普通の人間に見える〈魔物〉相手には、ほぼ確実にフラッシュバックを起こすと思うの。……それじゃあフィアちゃんは死んじゃうかもしれないし、私達の負担も増える」

分かってますよ……。そんな事は……。

「敢えてキツい事言うけど、便利屋界隈では、そういう人に対しては『甘ったれた戯言ほざくな、自分の身ぐらい自分で守れ』ってのが暗黙の了解なんだよ?…………だから、話してくれないかな」

グラナデさんの口撃は止まない。

真綿で首を絞めるように、強制する。話せ、曝け出せ、お前の過去を、と。

――思い出したくない。

――掘り返したくない。

――自分を保てなくなる。

――――それでも、話さなければならない。

先輩達の足枷にならない為、ひいては自身の命を守る為に。

(でも……)

やはり、心の一端が話す事を拒絶する。

逃げている。

傷付きたくない。自分から傷を負いたくなど無いのは、普通。

(でも……)

逃げるだけでは、遠からず私は死ぬ。

死を避けるために便利屋を辞めれば、行く宛が無くなり、ゴロツキ達の玩具にされるか、野垂れ死ぬだけ。

どちらも嫌だ。

だから、私は――

「…………分かりました」

苦痛の伴う前進を選ぶ。

「OK。……聴こえてたよね、セルゲイ、ノルシェ?」

「あぁ」

「……」

遠くで射撃訓練に興じていた2人が近付いてくる。

暫し待つと、

「……始めてくれ」

セルゲイさんから発言を促された。

そして私は語り始める。

自らの記憶の奥底に仕舞ったままでいたかった記憶を――



――今から10年ほど前。

エリアRos南東方面の小さな都市でお父さんとお母さん、それに私の3人は平穏な日々を過ごしていた。

しかしある日、仕事に出ていったお父さんが帰って来なくなる。

初めは、泊まり掛けの仕事なのだろうと、思っていた。お父さんは、いつも帰りが遅かったから。

遅くとも週末には帰ってくるだろう。

そう、楽観視していた。けれども、お父さんは帰ってこない。

2週間程経って、私はお父さんが殉職したと知った。……同時に、仕事が軍人であった事も。

葬式には行けなかった。死体が回収できなかったらしい。

家族の元に届けられたのは、赤黒い血に塗れた認識票だけ。

当然の如く、私は泣き叫んだ。どうして死んでしまったのか分からなかったから。

どうして、お父さんは軍人であったのだろう?

国家の為に尽くす。それが軍人の為すべき事だと、お母さんは教えてくれた。

でも、当時の私は納得できなかった。納得したくなかった、とも言えるけど。

私に限らず、子供というのは無邪気で、恐れを知らず、我儘なもの。認めたくない現実は現実と認めない。……単なる逃避に過ぎないその行為は、子供の特権だからだ。

もっとも、私はそんな特権すらも失う事になる。


お父さんの死から何ヵ月か過ぎたある日、私とお母さんはホームセンターにいた。何の買い物をしていたかは覚えていない。

すると突然、店内に轟音が響いて、壁の一部が崩落すると共に、鈍色のトラックが数人の男性を轢き殺しながら侵入してきたのだ。

トラックから出てきたのは、無骨な突撃銃を携えたゴロツキ達。

殺戮を楽しむかのように、ライフル弾がバラ撒かれ、血と肉片、悲鳴が飛び散っていく。

騒然とした店内は瞬く間に、真っ赤に染め上げられる。……飛び散った肉片と鮮血は全て男性と老婆のものだったけれど。

残った若い女性と少女達が、容赦無く身包み剥がされて欲望の捌け口にされるか、拘束された上で、トラックに積み込まれる中、私とお母さんは、従業員用のバックヤードに隠れ、難を逃れる。

暫くして、店内が静かになる。ゴロツキ達が帰ったのだろう。

何をするにしろ、今が好機と思い、私とお母さんは外に出た。

すると、瓦礫の山が広がっている。

原型を保っている建物は何一つ無く、血と肉片に彩られた死体も散乱していた。

戦争が起きたならば、戦場となった場所はこんな有り様なのだろう。

そう、私が思った時だった。

お母さんが大きな自動拳銃を抜く。

また、ゴロツキ達がいたのだろうか。怯えながら、周囲を見渡すと――

突撃銃を肩に担ぎ、口汚い言葉を吐きながら、歩く数人のゴロツキ達の姿。

視線が合う。

見つかった。

突き付けられる銃口。

とてもではないが、自動拳銃一挺で勝てるわけがない。

それでもお母さんは構えを解かない。私と同じ結論に至っていただろうけど。

暫し、膠着が続き――

一つの銃口が私に向く。……無論、ゴロツキの銃口が。

お母さんの注意が一瞬だけ逸れる。

銃声。

膝から崩れ落ちるお母さん。右膝から血が溢れ、

続け様に、腕を撃たれて、自動拳銃を取り落とし、地面に当たって跳ねた。

おかしい。

さっきまで集中力が揺らいでなかったのに。

私のせい?

私がいなければ、よかったの?

目の前でゴロツキ達に襲われるお母さんを見にし、思う。

四肢を押さえ付けられ、弄ばれるお母さん。

満足するまでお母さんを弄んだら、今度は私の番だろう。……いや、何処か連れていかれて、見ず知らずの変態さんに売られるのか。誰に聞いたかは覚えていないが、男性の中には、小さい女の子に性的興奮を覚える変質者も多いらしいから。

今、お母さんに群がるゴロツキ達の中に、そういう変態がいないとも限らない。

……恐い。

逃げ出したいけど、足が動かない。

でも、逃げなければ……私は死より辛い苦痛を味わう事になる。

――――嫌だ。

そう思った時、お母さんがこっちを見た。

――早く……逃げなさい……。

と、目で訴えている……ように、思えた。

…………嫌だ。

お母さんを見捨てたくない。

現在進行形で見捨てている事に気付かず、私は思う。

足の感覚も戻らない。

逃げるにしたって、逃げられ――

思考が中断させられる。

ゴロツキの一人に足を掴まれ、引き寄せられたからだ。

瓦礫に手を掛け、抵抗する。

――抵抗なんかすんなよ……傷物にしたくねぇんだからよぉ……。

優しい声で言いながら、ゴロツキは引っ張る力を強め、

引き剥がされた。

瓦礫を掴んでいた手が地面に着いた時、何か硬くて生暖かい物に触れる。

視線を向けると、先程お母さんが握っていた自動拳銃に触れていた。

反射的に握り、身体を捻る。

銃口をゴロツキに向け、トリガーを引き絞っていた。

銃声。

ゴロツキの胸に穴が開き、血が噴き出して……動かなくなる。

反射的に私は人を射殺した。

が、その事実に気づく前に、身体が――手が動いていた。

立て続けに撃ち続け、弾薬を撃ち切った時には、私以外に動いている者はいなくなっていた。

……そう、お母さんも。

お母さんは瞳を見開いており、額に穴が空いていた。

正気に戻った私は死んでしまったお母さんを見、自分の手を見る。

当然の如く、スライドが後退しきった、弾切れを告げるが握られていた。

私が……。

私が…………殺したの?

お母さんを……。

――――あ……あ、あ……あぁ……あぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁっ!?

そして私は自動拳銃を握り締めたまま、意識を失った――



「――その後の事は……覚えてません。気が付いたら、私は孤児院にいました」

一旦話を句切り、息を吐く。

心臓が早鐘を打っている。

でも、それだけだった。

発現している症状としては、全然軽い。途中で嘔吐して気絶してしまうかと思ったのに。

「……〈憤怒の血〉」

黙って話を聞いていたノルシェさんが唐突に呟いた。

「…………何ですか、それ?」

「今から約10年と2週間前に行われた正規軍の作戦。……目標は〈エリアRos Lim-SE〉を拠点とするギャング集団の殲滅、及び生存者の。……投入戦力は第117歩兵大隊第1、第2中隊。二日後、数名の死者を出したものの、作戦は成功。しかし、当時の第2中隊隊長が命令違反を犯し、民間人を保護したらしい」

「……あくまで、な。……詳しい事は俺もノルシェも知らない」

何処か自嘲気味に、セルゲイさんが補足し、

「……だが、少し引っ掛かる事はある」

いぶかしげに言葉を続けた。

「……あの事?」

ノルシェさんには、セルゲイさんの考えている事が分かったらしい。

「何の話をしているんですか?」

私は分からないままでは嫌だと思い、聞いてみるが、

「フィアは知らなくていい事だ。……もないしな」

あしらわれる。

知らなくていい、ですか……。

恐らく、私の身を案じてくれたのかな?……きっと、知る事で私の病気PTSDが悪化すると思って。

有り難いと思う一方で、過保護過ぎるとも思う。

(……まだ、信頼されていないんだろうな…………)

当然だろうけど。入って1年以内に信頼されるような人間なんて、極々僅かでしかないだろうから。

「……兎も角だ。人が撃てなくとも、魔物が撃てるだけ、お前はまだマシだ。……だが、何時までも『人間を撃たなくていい』なんて甘えた事は言うな。……近いうちに、そのトラウマを克服しなければならないだろうからな」

「……それは……そうでしょうけど」

グラナデにも似たような事、言われました。

けど……出来るかなぁ……。

先刻の依頼での醜態を思い出し、弱気になってしまう。

「頑張るしかないんだよ、フィアちゃん」

そんな私にグラナデさんが声をかける。

「……頑張る事でしか、成長できないし……あ」

励ましの言葉が続くが、途中で間の抜けた声に変わる。

どうしたのかと思い、視線を巡らし――こちらに走って来る天樹ちゃんの姿を確認した。

(店長……いつの間にメイド服なんか用意したんだろう……)

なんて、考えてる間に近くまで来て、

「はぁ……はぁ……。皆さん……至急、カフェに来てください……」

天樹ちゃんは息を切らせながら、そう言った――


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