不条理な日常
苦痛と安楽。
相反するこの二つの事象は等分ではなく、苦痛の方が遥かに多い。
だからこそ、一時の休息は大切にしたいものだが、世間というのはそうもさせてくれない場合が多い――
翌日――
「……マスター」
俺はコーヒーを飲みながら、マスターに問う。
「何だ?」
「昼間にしては客が多くないか?」
通常、マスターの店は夕方から混み始める為、昼間に来る客は俺達ぐらいのはずだ。
それなのに、今はカウンターを除く席の半分程度が埋まっている。
「あぁ、確かに。……良いじゃねぇか。“お客様は神様”って言うだろ?」
……確かに、経営者の観点なら喜ばしい事か。
「……今の立場ならな」
だが、俺としては違う。
ざっと見た限り、大半のテーブルにチンピラ紛いの男達が座っている。
別にチンピラが来ようと、直接被害を被らなければ問題無いが、店内にいるチンピラの約三割ぐらいが他と違う、便利屋特有の狩人の目だった。
(
武装が粗悪品。おそらく、成り上がりの素人か。……反吐が出る。
成り上がりは銃火器という“力”を合法的に行使できる事に酔いやすい。
軽はずみな気持ちで弾薬を浪費し、結果が伴わなければ、
無論、自分の力量を理解し、着実に経験を積もうとする誠実な便利屋もいる。……が、そういう者達は少数派だ。悲しい事に、な。
つまり、ポッと出の便利屋、特に柄の悪い集団は、基本的に関わればロクな事が無い。
「嫌な空気」
どうやら、ノルシェも同じ事を思っていたらしい。
「マスター。カンノーロのお代わりください」
が、フィアは食事――と言うよりは、間食か?――に夢中。因みに、今完食したのは二皿目。
「……頼んだからには食えよ?嬢ちゃん」
マスターも呆れながら、三皿目を出す。
カンノーロとはひらたく言ってしまえば、筒状にして焼いた小麦粉ベース生地の中に甘いクリームを詰めた、旧イタリアの菓子であり、カロリー自体は結構高い。
腹が減っていたのは分かるが、食い過ぎだ。
とは言え、女性に対して体重と年齢に関係する事が禁句。……まぁ、マスターも同じ事を思っているだろうが。
「…………」
「……言ってやるな」
何かを言おうとするノルシェには釘を刺す。さらっと毒を吐くからな。同性でも、心に突き刺さるだろう、そういう話題は。
「……忠告は必要」
「それについては同意するが、仕事には関係が直接無い。自己責任だと思うが?」
と、一応のフォローをすると同時に、店のドアが開き、ドアベルが来客を告げる。
「いらっしゃい、お客さん」
すぐにマスターが営業スマイルに戻り、
(……さて、またチンピラか?)
俺は入り口の方に振り返る。
来客はオリーブドラフの軍服を纏う男。
略帽から覗く、短く短く刈り込まれた髪と、引き締まった体躯。そのわりに、軍服の胸には少なからず、勲章が見える。
(……士官か)
何故、政府の犬がこんな僻地の用事があるのか。
――――どうせ、俺達が理由だろうが……。
などという俺の思案などいざ知らず、男が隣に座る。
「コーヒー、お持ち帰りで貰えるかな?」
「……残念ながら、当店ではお持ち帰りは出来ません」
営業スマイルまま、要求を断って作業に戻るマスターを尻目に、男は俺の方を向き――
「はじめまして、だな。セルゲイ・モヴィーク
作り笑いを浮かべて言い放つ。
「……帰れ」
「つれないな。依頼があって来たというのに」
「……早く帰りな。……ソイツらはただの便利屋だ。自前の武力でどうにかできないのか?」
男の前にコーヒーのカップ(プラスチック製。フタ付)が置かれる。少なからず、マスターも苛立っているか。
「……貴殿方には国防の意識など無いのですか?」
黙れよ、下衆が。
お前らがやりたいのは国防なんて、大層かつご立派な物では無いだろう。
「勘違いするな。下心が垣間見える軍に協力する気が無いだけだ」
喉まで出かけた怨嗟を飲み込み、睨むまでに留めておく。吐き出しても意味は無い。
「……何十万、何百万の市民の命が懸かっているとしても、かな?」
……また、便利屋に尻拭いの依頼かよ。
金さえ払えば死んでくれると“軍”に思われているのは癪だが、無関係な人間が巻き込まれるのは後味が悪い。
「……ハァ。…………依頼内容は?」
引き受ける事とする。
「二時間前、エリアRos E-Cen南東部で、中規模な魔物の発生が確認された。それらの殲滅が依頼だ」
E-Cen……東部地域の中枢都市か。確かに被害は大きいな。
エリアRosという国家全体の意味で。
「魔物の種別は?」
「不明だ」
だろうと思ったよ。アンタらはその辺、
「……他に条件は?」
「殲滅効率を上げる為、少尉達を含む、複数の便利屋と契約している。……故に報酬は出来高で払わせてもらう」
男はそう言うと、俺に詳細な依頼書を寄越し、コーヒーを持って店を後にする。
「マスター、幾らだ?」
「550ルーブル」
同時に俺は会計を済ませ、
「フィア。留守番を頼めるか?」
未だに菓子を食らうフィアに声をかける。
「依頼、ですか?少し待ってください。これが最後の一切れなので」
待つつもりなどない。
「……」
「早く戻れよ」
フィアを待たず、ノルシェと共に店を出る事にする。
――――若い奴が死ぬ様など、そうそう見たいものでは無いからな。
10分後――
「酷いです」
「留守番をしていろ」
俺とノルシェが準備を終え、装輪輸送車を出そうとした直後に、完全武装のフィアがやって来る。
当然の如く、再度留守番をするように言うが――
「嫌です」
拒否される。
面倒だな……。
「…………前回より遥かに危険な依頼だ。新入りを出すわけにはいかない」
対象が不明な依頼なんてザラだが、今度の相手には、ドーピング剤型の〈F〉を用いた奴が出るだろう。確実に。
〈F〉は大きく麻薬系とドーピング剤系に分かれ、一般にドーピング剤系が変異原因である個体の方が強力である。
奴らの相手は、新入りには荷が重すぎる。そう思い、留守番をするように言ったのだが……俺の意図を理解されなかった。
「だとしても、何もせずに待つだけは嫌ですっ!」
「死に急ぐな」
「でもっ!」
チッ……引くつもりはないか。……なら、仕方無い。
「…………意地でも、今回の依頼に参加する、ということだな?」
「はい」
「それが身の程知らずな行為だとしてもか?」
「…………はいっ!」
意思は変わらないな。
「……分かった。……だが、無茶はするな」
「はいっ」
元気よく返答をし、フィアも輸送車に乗り込み、
「行くよ」
輸送車は急発進し、荒野に出る。
相変わらずの殺風景な大地。
(暫く、この景色が続くか……)
なんて思いながら、ガンポートから車内に戻ると――
「あの……何処での依頼なんですか?」
「E-Cen近郊」
「他都市じゃないですかっ!?」
ノルシェとフィアが会話中だった。
「……依頼の説明に移っていいか?」
割り込むのは嫌だが、ブリーフィングは重要だ。
「構わない」
「……お願いします」
「ノルシェには説明したが、今回はエリアRos E-Cen南東に出現した“魔物”群の排除。事前情報では魔物の種別、総数共に不明であるが、正規軍はかなりの数がいる事を想定してか、自前の戦力の他、俺達を含めた便利屋三社を雇っているらしい。それ故、報酬は出来高制。加えて、各チームごとの連絡を円滑にする為、専用の無線周波数が用意されている。今のうちにヘッドセットの周波数を〈249.48〉に合わせておけ」
「分かりました」
フィアの返答を聞き、
「作戦は?」
ノルシェは次の説明を要求する。
「基本、俺とノルシェはいつもと変わらないが、フィアには分隊支援用迫撃砲を用いた火力支援をしてもらう」
「迫撃砲ですか。指示された座標に撃ち込めばいいわけですね」
「……詳しい調整は私が指示する」
ノルシェが補足を入れる。先に話しておいた事だ。
「そういうことだ。移動と設置を繰り返す事になるから、体力も考えろ。……説明は以上だが、何か質問はあるか、フィア?」
「無――いえ、あるにはありますけど……」
質問しようとして、押し黙り……暫くして、遠慮がちにこう言った。
「セルゲイさん、マスターの店で男の人に“少尉”って呼ばれてましたけど……軍属なんですか?」
その事か……。
「……元、だがな」
出来れば話したくなかった。
俺にとって……いや、“俺達”にとって思い出したくもない苦痛の在り処だから。
「……何故、除隊を?」
「……自主的じゃない。不名誉除隊だった」
「そうですか……」
聞いてはいけない事だと気付いたのだろう、フィアは再び申し訳無さそうな表情になる。
その様子を一瞥して銃座に戻り、周辺を見渡すが、脅威は見当たらなかった。
(……そう。不名誉除隊だ)
上の奴は大体が狡猾で腹黒い。そうじゃないと生き残れない――
と、思案に更けろうとした直後、右耳に着けたヘッドセットから若い女の声が聴こえた。
『……ますか?……モヴィーク先輩、聴こえますか?』
「……誰だ?」
『良かった……繋がった……』
聞いちゃいないな。駄目な通信兵か……無理矢理無線手をやらされた新兵か?
「……もう一度言う。お前は誰だ?」
『すみません、先輩っ!だ、第13機甲大隊、第8小隊のノエル・シャール軍曹……です』
テンパった女性はおどおどしながら所属と名前を答える。
(……ノエル?)
昔、そんな名前の後輩がいた気がするが、まさか……。いや、それは後だ。
「それで、どうした?」
『大変です。魔物の進行が予想以上に速く、防衛ラインの設営が間に合いません。既に各便利屋に遊撃をお願いしているので、先輩達も遊撃をお願いします』
「位置は?」
『E-Cen南東部550㎞の半雪原地帯です。できる限り急いでくださいっ』
「了解した。通信終了」
通信終え、車内に降りる。
「ノルシェ」
「聴こえてた。向かってる」
流石だ、行動が早い。
「セルゲイさん、さっきのは?」
「いいから、武装の動作確認をしておけ。ノルシェ、交戦可能距離までの所要時間はどの程度だ?」
「約20分」
「分かった」
応答しつつ、俺は後部スペースのラックから 自前のライフルと、45㎜
ライフルの銃身下部にランチャーを取り付けつつ、再び周辺の確認。
すると、前方に魔物の群れが見えた。
少なく見積もっても300は下らないな。規制はしっかりしておけよ、政府の石頭共。
なんて、頭の片隅で考えつつ、確認を続けると、
(あれは……)
群れの中に、全高は4m位あろうかという巨体がちらほら見える。
詳細な種類こそ分からないが、あれはドーピング剤系の種別。
予想通り、いやがった。
アイツらは厄介だな。
『セルゲイ』
「もうすぐか?」
『後5分』
「予想通り“大型”が数体混じっていた」
『…………確認した。見える限りで10体。対装甲兵装はある?』
『〈JA TRG-4〉が二本とHEAT弾頭が10発です、ノルシェさん』
「充分だ。一本寄越せ、フィア」
「はいっ!」
フィアの返事と共に、差し出されたランチャーを背負い、弾頭5本を受け取る。
そのまま、銃座の12.7㎜重機関銃を掴み、安全装置を解除。
(目測で約4800m……クソッ)
大した損害を与えられない距離。せめて2000m以内なら、通常種位は吹き飛ばせるのに。
『後3分』
『便利屋〈RAS〉、交戦。先輩、急いでくださいっ!』
「分かっている」
一分一秒すら惜しいのは俺達も同じだ。報酬金が減るからな。
『射程内』
「了解。攻撃を開始する」
重機関銃に装着されたスコープを覗き、トリガーを引き絞る。
轟音と発砲炎。
バラ撒かれる12.7㎜小銃弾達が、遥か先の魔物に着弾。血飛沫と共に、致命傷を与える。
だが、標的は眼前一杯にいる。
外す心配は無い。
斉射。
今度は20体前後の魔物を生ゴミに変わり、一部の集団が俺達へと敵意を向ける。
よし、注意は引けた。
「俺が奴等を引き付ける。準備をしてくれ」
『分かりました』
『了解』
指示を伝え、俺はライフルを構えて輸送車から降りる。
走り去る輸送車を一瞥し、正面から襲い来る“群れ”に向き直り――ライフルのトリガーを絞る。
先頭を走る半身がゴム質に変異した魔物の脳髄がブチ抜かれ、転倒。構わず、狙いを付けて速度の速い奴から撃ち殺す。
撃ち続けなければ、奴等の憎悪が薄れる。少しでも屍を増やしてやらないと。
(引いたのは雑魚の群れか?)
何処にでも湧くような
「フィア、迫撃砲の準備は?」
『後、20秒くらいですっ!』
「了解だ。準備が完了次第、俺の前方500mに降らせろ」
弾倉を交換しつつ、砲撃要請を行い、通信を終えると同時に初弾を装填。
再びライフルを構えた時には、撃ち過ぎたのか、体の良い獲物と認識したのか、大量の魔物が向かってきていた。
(随分と釣れたものだな)
……景気付けに一発、くれてやる。
擲弾射出器用のサイトを跳ね上げ、
集団の中央に合わせて、ランチャーのトリガーを引き絞る。
撃ち出された45㎜炸裂弾が弛い放物線を描き――着弾。
続く爆発で数体が吹き飛ばされ、後続の奴等にぶつかり合って、侵攻が鈍る。
『
更に迫撃砲の榴弾が降り注ぎ、屍が増える。
「続けろ」
と、フィアに砲撃続行を告げた直後、ノルシェからの通信が入る。
『セルゲイ。奴等の前方から数台の輸送車が来る』
「……何だと?」
俺達以外の便利屋が取り分の横取りにでも来たか。
『……依頼書に記載されたいずれの便利屋でもないみたい』
と、なると必然的に――
「“成り上がり”か」
『おそらく』
ノルシェも俺と同じ結論らしい。状況から考えれば当然だろうが。
(はぁ……面倒な事になったものだ)
内心、溜め息を吐いたところで、迫撃砲の第二射が着弾し、
「ヒャアッ!狩りの時間だっ!!」
数時間前にカフェで見た奴等が輸送車から飛び降り、群がる雑魚共に射撃を加え始める。
トリガーハッピーな成り上がりの射撃は精度が著しく低い。近くで見なければ詳細には分からないが、入社当時のフィアより酷いだろう。
「フィア、残りは僅かだ。迫撃砲をしまって、輸送車に戻れ」
『分かりました』
「ノルシェはフィアを回収後、自己判断で火力支援を頼む」
『了解』
二人に新たな指示を伝えて、ライフルを構え、射撃再開。
とはいえ、あらかたの魔物は迫撃砲で吹き飛んでおり、残存する奴等の狙いも、成り上がりの方。僅かに残った奴等に十字砲火を加える様は、ハイエナに等しい。
『セルゲイ。ドーピング
「このタイミングでか……位置は……クソッ」
奴等の後方……面倒な位置にいやがる。
「俺の方で注意を引く。ポイント選定を急いでくれ」
俺はそう言い、距離を詰め――
(少しは効くと良いがな)
手近なデカブツ目掛け、45㎜榴弾を発射。
着弾し、爆炎と弾殻が舞い散る様を見つつ、45㎜榴弾を再装填。
数秒後に爆炎が晴れる。……しかし、対象は健在していた。
(やはり効かないか)
ドーピング剤系種特有の異常発達した筋肉は天然の装甲に等しく、非装甲目標用の榴弾が通らないのも当然。致命傷を与えるには、頭部を狙うしかないか。
『後、30秒で準備が完了する。それまでお願い』
「了解」
後、30秒か。何とか引き付けないとな。
ライフルを構え直し、デカブツに狙いを付けた直後、
「ぐあぁぁぁぁっ!?」
悲痛な男の叫び声が響いた。
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