少女の初陣、容赦無き世界


焦る奴は早く死ぬ。

だからと言って、焦らない奴もすぐに死ぬ。

結局の所、重要なのは決断力と観察眼なのかもしれない。



翌日――

近郊の廃墟屋上にて俺は日課――射撃訓練に勤しんでいた。

スコープの視界中央に刻まれた照準線――レティクルの右下に着弾痕。

「……7.2㎝」

誤差は7.2㎝か。今日は意外と風が強い。

ボルトハンドルを引き、撃ち切った.338MA弾の空薬莢を排出。

戻して次弾装填。

銃口を逸らし、照準補正。

射撃。

「5.5㎝」

微修正。

空薬莢を排出。次弾装填。

少し間をおいてから再度、射撃。

「3.07㎝」

やはり、間をおいて正解か。

ボルトを引く。

排出。

全弾消費。

「……まぁまぁか」

呟き、俺はスコープから目を離す。

「……」

同時に、隣で双眼鏡を覗いていたノルシェがこっちを向く。

「調子、悪い?」

「……多分な」

僅かに苦笑を含ませ、言葉を返す。

銃身の冷却管理、及び照準修正を忘れる、というミスを犯したからだ。

金属というものは熱で膨張、軟化する。当然、金属製である銃身も例外ではなく、太陽光や火薬の燃焼熱で加熱された銃身は極僅かとはいえ曲がり、着弾誤差を生む要因と化す。

射撃、特に長距離狙撃の重要な要因を忘れるとは、まだまだという証拠に他ならない。……まぁ、俺は狙撃主体ではないが。

「……5%」

「そんなに低下していたのか」

5%の実力低下は意外と大きい。

気を引き締めないとな。新人が入った事もあるし。

「ここにいたんですか……」

なんて思った矢先、タイミングを合わせたように件の新人、フィアが現れる。

「昨日はよく眠れたか?」

「いえ……あまり……」

質問に答えたフィアが眠そうに大欠伸。

緊張したか。

……無理も無い。まだ入社二日目だから。

「仕事に響く?」

フィアの様子を一瞥し、ノルシェが呟く。

「そうでもない。……最悪、俺とノルシェでどうにかするだけだ」

「……」

肯定を示す、小さな頷きが返ってきた。

大した懸念でもない。

いつものスタイルに戻すだけ。

「あのー……何を話しているんですか?」

結論が纏まったところで、フィアに話しかけられる。

率直にお前が使えない場合の対処法を考えていた、と言いたいところではあるが、意欲を削ぐのは気が引ける。そのため――

「訓練方針についてだ」

濁した答えを返す。それでも、もっともらしい理由だと思うが。

「……そうですか」

僅かにトーンが低い。

気付かれたか。

別に構わないが。

「……ところで、お前はハンドガン以外は何を使う?」

「…………短機関銃ぐらいですかね。他はあまり得意じゃなくて……」

「得意じゃない?突撃銃ぐらいは使えなければやっていけないだろう?」

フィアの返答に呆れ混じりに言葉を返す。

短機関銃で対応できるのは、50~200mぐらいであり、突撃銃は口径にもよるが、400~700mまでは対応できるからだ。

「反動がキツくて当たらないんですよ」

「…………おいおい」

確かに、小銃用の弾薬は装薬量が多い為、反動も強い。

だが、.45口径の自動拳銃を平然と二挺持ちした少女が言うのは本末転倒も良いところだ。

「はい。……三割当たれば良い方ってぐらい酷いですよ?」

「……距離は?」

「300mです……」

嘘だろ?……一般的な奴なら普通に5割は当たる距離だ。

「……やっぱり、変ですよね…………」

自覚があるらしく、気を落とすフィア。

同時に、

「……セルゲイ」

今まで空気と化していたノルシェに話しかけられる。

「依頼か」

恐らく間違いじゃない。

「肯定。依頼主は都市役員。依頼内容は郊外に位置する廃墟の“魔物”の討伐」

「……またか」

最近、やけに発生数が多いな。

「俺は問題ない。……そっちもだな?」

「肯定」

だとすれば……

「フィア。お前も出ろ」

この依頼を新人研修に利用する。

「はい?」

「依頼だ。……10分以内に準備して店の前に来い」

「え、ちょ、10分っ!?」

驚愕される。

「時間は待ってくれない。急げよ。あと、これをやる」

その様子を一瞥し、俺はある物をフィアに投げた。

「……鍵?」

「お前への支給品が入っている。早く行け」

疑問を払拭させると同時に、掃除を終えたライフルを肩に懸け、立ち上がり――

「あと、4分」

「急げよ」

「4分でなんて無理ですよぉ~!!」

フィアの泣き言を聴きながら、屋上の出口へ走る。

階段を駆け下り、便利屋脇の駐車場まで再び疾走。

それほど距離が離れていない為、二分ほどで着き、

「よぉ、また依頼か?」

「あぁ。また、だ」

駐車場に停めた装輪輸送車の銃座に乗り込みつつ、話しかけてきたバーのマスターと世間話。

銃座据え付けの12.7㎜重機関銃の仰角を最大まで上げて、セーフティ解除。ボルトを引いて初弾装填。

数瞬遅れて、輸送車のエンジンがかかり、発進準備が整う。

後はフィアを待つだけ。

「最近は随分と多いじゃねぇか。過労死には気を付けろよ?」

「今更だな。お互い様だと思うが……っと――」

話し込んでいると、フィアが走ってくるのが見えた。

「……新人か?」

意外そうにマスターが聞いてくる。

「あぁ」

「……お前も大変だな」

「…………そうでもないさ」

含みのある返答が聞こえたが、話を切り上げる事にした。

「早いですよ~先輩~……」

輸送車の助手席に座ったフィア。

「…………Go」

そして、輸送車が発進。

僅か数分の移動で、周囲の景色から繁栄が消え、朽ちかけたコンクリートジャングルに変わる。

(……最近、〈F〉絡みが多いな)

周辺警戒を行いながらヘッドセットを装着し、俺はそんな事を思う。

〈F〉は強い常習性と肉体変異性を持つ薬品の一種。

種類により効果と副作用の程度に違いがあるが、基本的には従来の麻薬と同じ役割をなす物とドーピング剤に大別でき、服用者の末路は魔物であることは共通。

今回も恐らく、軽度の魔物化で済んだ人間達が相手なのだろう。……魔物化した人間を治療する方法は現時点では解明されておらず、せめて俺達のような掃除屋が介錯してやるぐらいしかできないが。

……どうにもならない事よりは、よっぽど重要な事は他にあるか。

(……フィアをどうするか)

そう、新人研修の事だ。

話した内容を鵜呑みにするなら、フィアのポジションは射撃精度の問題から考えて、前衛となり、俺は近~中距離支援、ノルシェが後方支援。最悪、フィアを下げて二人で終わらせる。

……結局は、ほぼいつも通りか。

「……目標地点到着」

考えが纏まった所で、作戦地域近郊に着いたらしい。

「了解。フィアも聞いていたな?」

スリングで肩に下げた7.62㎜バトルライフル〈AA KrG35〉の動作確認をしつつ、車内のフィアに問う。

「はいっ!」

「なら良し。……ノルシェは支援」

「了解」

何時もの決まり文句を交わしてガンポートから降り、同時にフィアも車外に出る。

「あの……反動が強いのは駄目なんですけど……」

彼女の手には、支給した5.56㎜アサルトカービン〈CA CW22A3〉が握られていた。

「それは反動制御が容易なモデル。……だからと言って他が疎かになってるわけでも無いしな。初心者向けだ」

もっとも、ガス直接噴射式という作動方式を採用している都合上、汚れに弱く、機構も汚れやすいが。

「そうなんですか?」

「そうだ」

ライフルを肩に担ぎ直し、周辺確認。

現在地は小高い丘の上。眼下には廃墟群。

廃墟群では射線が限られる。ノルシェの火力支援は保険程度に考えるか。

「……行くぞ」

「了解ですっ」

姿勢を低く、丘を滑り降りる。

その途中、

『14時方向、距離300。廃屋内に2体』

狙撃手ノルシェから殲滅対象の位置が伝えられる。

指示通りの方向に目を凝らすと――――いた。

壊れかかった廃屋の一階。

全長は一般的な成人男性並みだろうか。その右半身は人間の形を保っている。

しかし、左半身はゴム管を束ねたような、針金人形の如き造形。

軽度の半身変質か。

「……確認した。引き続き索敵、可能なら撃破してくれ」

『了解。……通信終了』

「……聴こえていたな。現在地からは射角が通らない。移動するが、警戒は怠るな」

「りょ、了解」

ライフルを構え直し、掩体を利用しつつ、移動再開。

若干、緊張しているのだろう。フィアの足音が響く。

「足音は出来る限り抑えろ」

「すみません」

注意して、次の掩体を探すが――

(……無いな)

今現在隠れている掩体は崩れかかった廃屋。その先にあるのは、対象の潜む廃屋と広場のみ。

強襲、即時殲滅すれば2体ぐらいは問題無いが、周辺に何体潜んでいるかは不明な今、下手に動けば状況は悪化するだけか。

と、なれば確認だな。

「……メドヴェーチ2」

『何?』

「他に対象は見つかったか?」

『23時方向。距離1000mに3体。全部〈F-L〉型」

(〈F-L〉型……雑魚か)

〈F-L〉型とは、麻薬に近い性質を持つ〈F-L〉シリーズを服用し続けた者の末路を指す。

このシリーズは身体変質性が弱いかわりに依存性が非常に強く、“魔物”の生産性は高い。

しかし、肉体強化剤ではない為、手強い個体になり得ない。

「排除出来るか?」

『可能。……他は確認できず。注意して』

「了解した」

現状の索敵結果を聞き終えると同時に、背後のフィアが口を開く。

「セルゲイさん……」

「何だ?」

「まだ、行動しないんですか?」

彼女の声には焦燥感がある。

動く気が無いと思われたか。

確かに、現状は何も変わらず、依頼も終わらない。

(リスクは変わらないまま。対象数は2~10くらいは確実か)

見る限り、広場はさして広くない。周辺は開けているから、敵味方共に視界は良好。

「…………対象の破壊に移るが、伏兵の可能性がある。今まで通り、フィアも周辺警戒を怠るな」

「了解っ」

指示が通ったところでハンドサインを用意。

「3……2……1……Go!」

三秒後に掩体を離れ、廃屋に向かって走り出す。

今ので向こう側にも気付かれてた筈。

時間が無い。

足を止めず、肩付けしたライフルに装着したダットサイトを覗く。

予想通り、こちらに向かって走る二体の“魔物”。

うち一体の頭部に光点を合わせ、トリガーを引く。

轟音とやや重いリコイル。

対象は額に穴が穿たれ、後頭部から血飛沫と脳髄の一部がを吹き出して、絶命。

同時にやや後方から響く喧しい速射音。フィアか。

彼我の距離は40m程度。市街地における自動小銃の平均交戦距離内。全弾外す事はないだろう。

そう、結論付けて周辺を見回す。

今のところ増援は見えないが、複数の地響きは聴こえる。

……確実に増援は来るな。

「リロードッ!カバーお願いしますっ」

(ある程度の連携は可能か)

ならば、問題点は少なくなるが――おいおい、これは無いだろう。

カバーの為、対象にライフルを向けた俺は呆れる。

速射性の高い銃火器だとしても、ワンマグ分もバラ撒けば大抵の奴は殺せる筈なのに、対象が生きてやがる。

脇腹や左腕が抉れて血が漏れ、内臓が見え隠れしているけれど。

(……射撃訓練が必要だな)

兎も角、一発、脳天にブチ込んで絶命させる。

『そっちに約15体の〈F-L Ver.1.1〉が移動中。……狙える分は排除する』

「15体か。……了解だ」

通信が切れた直後、響き渡る轟音。

言うまでも無い。ノルシェが扱う対物ライフルの銃声だ。

一定のリズムで後、四回の轟音が響き、視界の端に高々と上がる血飛沫が見える。

残りは10体か。

「セルゲイさん……増援ですよね……」

「なら構えろ」

注意を促し、地響きの聴こえる方向にライフルを向け、フィアもワンテンポ遅れてカービンを構える。

そのまま暫し待つと、

「っ!来ましたっ!」

身体の一部が針金人形の如く変化した人間達がこちらに向かって殺到。

「見れば分かる」

再びダットサイトを覗く。

(……軌道自体は直線的。上下の動きは大きいか。なら……)

光点を頭部から、その下――胸部へと移し、二点射。

狙い違わす、二発の7.62㎜小銃弾が対象の心臓を貫き、絶命。

対象が跪く頃、俺のライフルは二射目のトリガーを引いている。

続けて三射、四射と気持ち良いテンポでトリガーを引けるのは、一重に相手の動きが単調だからだ。

(……クレー射撃同然だな)

もしくは射撃訓練か。

九射目を終え、残りの一体――フィアの取り分を確認する。

(……酷いな)

無駄に弾薬をバラ撒き、吐き出された5.56㎜小銃弾はバイタルゾーンではなく、対象の末端部に着弾するか、外れる。

……それでも、何発かの銃弾が役目を果たせない事に苛ついたのか、心臓や肺を貫いて、致命傷を与える為、一応数は減っているが。

(弾代が勿体無いし、手を貸――さなくてよかったな)

「ひゃっ!?」

代わりにケリを着けてやろうと、ライフルを構え直した直後、対象が砕け、盛大な血飛沫を上げた。

……ノルシェも俺と同じ結論に達していたらしいな。

「……これで全部、ですか?」

「……分からない。周辺を確認した方がいいな。……ノルシェも頼む」

『既にした。……いない』

「じゃあ……依頼は完了ですか?」

ノルシェの捜索結果を聞き、不安そうに聞いてくるフィア。

「……そういうことだ。戻るぞ」

トリガーから指を離す。ライフルからは離さず、移動開始。

数秒遅れて続く、フィア。

先程通過したルートを戻る。

瓦礫以外にあるのは、魔物の死体だけ。

静寂。

(……確かに、いなさそうだ)

確認しきる頃には、前方に見える輸送車。

後ろを振り返る。

……フィアもいるな。

のんびり数分かけて、輸送車の元へ。

「……報告は明日で良いだろ。戻ろう」

次の行動を提示すると、

「……」

無言で首肯し、輸送車の運転席に着いた。

(無言の肯定か。ノルシェらしいな)

俺がガンポート、フィアは後部座席に着くと、輸送車は発進。

程無くして市内に入り、人々の喧騒が聞こえ始めた。

如何な弱小個体とはいえ、輸送車で数分の距離に出没する。

数百年前を基準に考えれば、異形の化け物が生活圏の近郊に現れる事自体異常だが、今の世界では普通。

むしろ、魔物の被害に遭わない国家等、片手で足りるほどしか存在しない。

だからこそ、俺達は必要とされるのだがな。

(……っと、何時だ、今?)

交差点の信号待ちの間、近くの時計屋を見ると、PM.5:30。

一時間程度で晩飯時。となれば、聞こえる喧騒は――

「今日の夕飯、何がいい?」

「蕎麦のカーシャがいいな」

予想通り、晩飯の買い出しや、幼稚園等から帰る家族連れの声だった。

その様子を眺めた俺は呟く。

「…………家族、か。……俺には縁遠い存在だな…………」



フィアの初陣から1週間後――

「店は開いてるか?」

「……」

俺(と、何故かついて来たノルシェ)は(一応)武装した上で近くのバーに足を伸ばす。

「あぁ、開いてる。カフェとしてはな」

そうだった。ここは昼がカフェ、夜はバーだったな。

「分かってる。アイスコーヒーとピロシキ」

オーダーを投げかけつつカウンター席に着き、隣にノルシェも座る。

「で、ノルシェちゃんは?」

「紅茶」

「ピロシキとアイスコーヒー、紅茶か。了解だ、少し待ってろ」

二人分の注文を聞き、手早く準備を始めるマスター。

対する俺はブックラックから雑誌を抜き取り、目を通す。

当たり障りの無い情報ばかりだが、暇潰しにはなるらしい。

「ほい、アイスコーヒーと紅茶。ピロシキは少し待ってくれ」

気が付けば、頼んでいたドリンクが出されている。

グラス八分目まで注がれた黒褐色のコーヒーを一口含むと、瞬時に苦味が口に広がるが、それが過ぎれば心地良い風味が残る。

「いつ飲んでも美味いな」

「面と向かい合って言うのはお前さん等ぐらいだよ」

軽く微笑みながら言うマスター。

良い人ではあるのだが、この人は元正規軍所属の退役軍人。

当然、身体付きは良く、散髪が面倒だからと永久脱毛したらしいスキンヘッド、般若が仏に見える程の厳つい顔付きと相まって、下手に何かを言いづらいのかもしれない。

「別に怖がる必要は無いだろうに」

「お前さんの言う通りだが、人ってのは……どうしても見かけで判断しちまう」

「…………確かにな」

俺にも心当たりがあった。

「…………熱い」

隣で紅茶を飲むノルシェにもあるのかは分からないが。

「さて、辛気臭い話題はここまでにしようか。ピロシキが焼けたぜ」

「一理あるな。……って、随分と量が多いな」

目測だが、3人前はある。

「昼飯時だからな。この時間は大して客も来ねぇし。サービスだ」

「……美味しい」

「……おい」

マスターの話を聞かず、ノルシェはピロシキを食らっている。

「美味しいか、ありがたいね。……昔、上官の目を盗んで練習した甲斐があった」

(……除隊の理由はそれじゃないよな?)

軽く呆れながら、俺もピロシキを食らい、コーヒーを飲む。

やっぱり美味い。……なんだかんだ言っても、ここのメニューは好きらしい。

「…………ピロシキ、2人前追加」

「おい…………」

全部食うな。おかわりを要求するな。

「後ろ」

「……そういうことか」

喉まで抗議が出かけるが、後ろを一瞥した事で理由が判明する。

「ここにいたんですか、先輩~」

後輩フィアが入店したからだ。

「ノルマは済んだか?」

「な、なんとか……」

俺の投げ掛けた質問に、フィアは疲れ気味に答えて、ノルシェの隣に座り――

「いらっしゃい」

「ひゃっ!?」

短い悲鳴を上げる。

「すみませんっ!!」

「いや、謝らなくていい。慣れてるから。……それより注文は?」

優しく語りかけるマスター。

「ミルクで……お願い……します」

しかし、返答は怯え気味だった。

「セルゲイさん……」

注文し終えると同時に、怯えた顔をこちらに向けられるが、

「慣れろ」

俺が返せる言葉はそれだけだった。

「慣れろ……って言われても……」

「はい、ミルク。ホットで良かったかな?」

「……あ、ありがとうございます……」

……何とか大丈夫そうだな。

安堵し、再び出されたピロシキを食らう。

揚げパイの一種なので、一個でもそれなりにカロリーはある。

二、三個で充分腹に溜まる物だが――

「……」

ノルシェは6個ぐらいは食べている気がする。…………太るぞ?

「…………その分消費する」

思考を見透かしたのか、ぽつりと呟かれる。油断も隙もないな。

「美味しいですね……このパイ」

「……〈ピロシキ〉だ」

「へぇ……ピロシキって言うんですか……」

向こうは向こうで、話が弾んでいるように見える。

フィア……もう慣れてるな……。心配して損したよ。

確認する気は起きず、俺は自分の分を食いきり、

「……今のところ依頼は無いよな?」

「……」

ノルシェに問うと、無言の肯定を返される。

(さて、午後はどうするか……)

午後は完全にフリー。

「御馳走様……お代は幾らですか?」

「代金?そこの“お兄さん”や“お姉さん”が払ってくれるだろ」

それはフィアも同じだ。

あとマスター、確かに払うが……少しはオブラートに包んでくれ。


数分後。

支払いを済ませ、カフェを出る。

「さて、これからどうする?」

「……何でもいい」

「う~ん…………」

俺の質問に、フィアだけが考え込み、暫くして――

「スラムの案内ってお願いできますか?」

と、答える。

「理由は?」

「付近の事がほぼ分からないからです。周辺の地理が分からないなんて、おかしいじゃないですか」

…… 土地勘を養う為か。 一理あるな。

「……成る程。ノルシェ、異存は?」

「無い」

ノルシェの肯定はすんなり降りる。……大丈夫と思うか。

なら、言うべき事はこれぐらいか。

「分かった。武装は用意しておけ」

「……危険なんですね」

「あぁ」

そう言いつつ、レッグホルスターに収まった9㎜自動拳銃〈AA AP4〉を抜き、動作確認。――問題無し。続けて肩に懸けた〈AA KrG35〉の動作確認。――――問題無し。

ノルシェの方も確認するが、既に終わっていた。

肝心なフィアはというと、レッグホルスターに収めていたであろう自動拳銃――恐らくは〈CA HCB02〉――の動作確認中。

数十秒後、フィアの動作確認も終わる。

「……行くぞ」

「……」

「はい!」

点検を終えた俺達は近くにそびえる廃墟と廃材の山に向けて歩き始める。

それらの廃材と廃墟からは当然の如く、あらゆる貴金属レアアース等の金目の物は略奪されており、残っているのは端金はしたがねにもならない鉄屑とコンクリート。それに腐りかけた木材だけ。

価値を失った産業廃棄物が織り成すコンクリートジャングルがスラムの外観だ。

こういった退廃した場所というのは、治安が悪いのは確かであり、このスラムも例外ではない。

現に入口に入ったばかりだというのに――

「おい、兄ちゃん?」

擦り切れたジーパンに泥汚れの目立つシャツを着込んだゴロツキ達にガン付けられる。

見るからに“ならず者”。こんな奴等が俺に声をかける理由は“二つ”ぐらいしかない。

――すなわち“女”か、“金”。

どちらもくれてやるつもりは微塵も無い。

故に俺が言うべき言葉は、これだけだ。

「お前らにやるものは何も無い。立ち去れ」

まぁ、こう言っても相手が激昂するだけなのだが。

「あぁっ!?」

「チョーシ乗ってんじゃねぇぞ、犬の餌になりてぇか?」

「俺達は何も要求してねぇのに、なんだよその態度」

予想通り、俺の言葉でゴロツキ共が怒りを露にする。

「要求は女か金だろう。違うか?」

「違わねぇよ。若ぇ女二人も侍らせやがって。目障りなんだよ。二人共置いてけよ」

コイツらは“女”の方か。

要求を知ったところで、俺の答えは変わらない。

「先程言ったはずだ。お前らにやる物は何も無い」

「うるせぇっ!黙って女を寄越せばいいんだよっ!!」

要求を拒否された事で、自制心が吹き飛んだのだろう、一人のゴロツキが殴りかかってくる。

馬鹿正直な右ストレート。しかも素人丸出しの動作且つ、踏み込みも甘い。

軽くいなし――

「ごふっ!?」

腹部に膝を打ち込むと、一発でダウン。鍛え方がなっちゃいない。

「がっ!?」

同時に、背後でくぐもった声。ノルシェだな。

「野郎っ!」

残る数人が一斉に大振りのサバイバルナイフを抜く。

(残りは5人)

が、先に俺は動いている。

手近な奴の胸部に掌底を加えて昏倒させ、取り落としたナイフを拾う。

(……刃毀れが酷い。まともに斬れないか)

そもそも、ゴロツキ共の武器は劣化コピーの輸入品か、産業廃棄物。始めから使い心地に期待などしていない。

だが、背にセレーションはある。ならば充分。

相も変わらず、直線的に突っ込んでくるゴロツキ共が振るうナイフをセレーションで受け止め、強引にヘシ折ってボディブロー。残り四人。

続く単調な斬撃を受け止めて刀身をヘシ折り、拳、或いは蹴りを叩き込んで一人、二人と残りのゴロツキ共を無力化していく。

が、四人目のナイフをヘシ折ると、限界が来たナイフの刀身が折れる。

(粗悪品にしてはよくやった方か。残りは――――逃げたか)

約200m先に、無様に走り去るゴロツキの姿。

追う必要は無い。どうせ、他のゴロツキの“餌”となるだけだ。

(……しかし、手応えが無いな)

走り去るゴロツキから視線を外し、這いつくばったゴロツキ共を一瞥。

起き上がる気配が無い。もしかすると肋骨や背骨をったか?……ならば、その程度の雑魚だったわけだが――――

「……っう……」

数瞬後、呻き声が上がる。打撲程度で済んでいるらしい。

「……セルゲイ」

「分かってる。……行くぞ、フィア」

俺とノルシェは、踵を返してスラムの奥に向かう。が、フィアは面を食らったらしい。

「えっ?救急車は呼ばな――」

「どうせ来ない」

フィアの言葉に被せるように事実を言う。

善良な市民からすれば哀しい事だが、スラムの人間を助けようと思う人間は意外と少ない。

しかし、多くの人々はそんな事を知らずに生きており、枠組みから外れようとする者は糾弾される。

「そんなの……あんまりですよ……」

だからこそ、現実スラムの一端を知った今、フィアはこうして項垂れている。

そんな人間に、俺が言えたのはこれだけ。

「受け入れろ。これも、現実だ……」

抗えないモノには逆らうな。うまく付き合え。さすれば、自ずと生きやすくなる。

茨の道を進みたいなら、止めはしないが。

「……酷いんですね」

「市民の主観からすればな……」

「はぁ……そうですか」

フィアがようやく顔を上げる。

――そして、何処か吹っ切れたように言う。

「スラムの案内、続けてください」

「……あぁ」

コイツなりの覚悟は着けたらしいな。……中途半端だけれども。


――けれども、現実は優しくない。


(……今日もか)

案内を再開して数分。

道端に倒れた少女を見つける。

歳は十歳位だろうか。整った顔立ちに華奢な肢体。身に纏っているのは、擦り切れたシャツだけ。

ホームレスのような出で立ちだが、問題はそこではない。

少女の瞳孔は開かれ、だらしなく開いた口からは真新しい涎が糸を引いている。

――そして何より、血に塗れていた。

「セルゲイ……さん……これは……」

「……見ての通りだ。この子は死んでいる」

動揺するフィアに言い、言葉を続けようとするが――

「何処の時代、何処の国でも、快楽を求める人間はいる。彼らの前では、大人も子供も関係無い」

説明したのは、ノルシェだった。

「酷い……」

「セルゲイも言ったけれど、これが現実」

「でも……」

フィアが何かを紡ごうとした直後、コンクリートの軋む音が聴こえた。

(……用意して正解か)

俺は肩に懸けていたライフルを構え、セフティを解除。

ノルシェも、腰のホルスターから大口径リボルバー〈AA AR7L〉を抜き、

俺達は少女の死体から距離を取る。

同時に、人形の物体が落下。死体が潰れ、臓物と血、砂埃が飛び散った。

「今度は何ですかっ!?」

フィアも危険を感じたのか、距離を取って、レッグホルスターに手を添える。

「……構えろ」

呟いた矢先、ソイツは――少女を殺したであろう男は顔を上げ、砂埃が晴れる。

「――せろ……」

全身が醜く歪み、半開きの口から、だらしなく涎が垂らしながら、譫言のように呟き続けている。

(この症状…………《F-S》シリーズの軽度変質者か)

〈F-S〉シリーズは精力剤タイプの〈F〉。

肉体変質性こそ弱いが、容易く理性を失わせ、生存本能を前面に押し出させる副作用は非常に強い。

ともあれ、俺は目の前の標的にライフルを構え、トリガーを引く。

薬室内で撃針ファイアリング・ピン雷管プライマーを叩き、発射薬が爆縮。

瞬時に7.62㎜ライフル弾が撃ちだされ――

標的の額に風穴を穿ち、血の花を咲かせた。

「…………終わり、ですか?」

倒れ伏し、微塵も動かない、男だったモノを見たフィアが問う。

「……あぁ」

トリガーから指を離し、銃口を上げてから、答える。

伏兵がいない事を願いたいものだ。

「…………後、どうする?」

続けて、ノルシェがフィアに問いかける。

「…………帰りたいです。…………スラムの事もだいぶ分かりましたし」

問い掛けに答えるフィアの表情には、疲れが見えた。

(……今日はこの辺か)

今までの様子を見る限り、これ以上は無理か。

「……帰るぞ」

そう言い、スラムの出口に向かおうとした直後、誰かの腹が鳴る音が聴こえた。

「あ……」

フィアか。

(……そういえば、コイツはまだ16歳だったな)

まだまだ“燃費”の悪い年頃。……腹の減りが早くて当然。

「……何処か、寄る?」

という、ノルシェの提案にフィアは――

「…………そうですね」

少し暗い声で答えた。

(慣れるまで時間がかかりそうだな……まぁ、気長にやればいいことか……)

そう思いながら、俺達はマスターの店を目指して歩き始めた――――



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