ローランド、秘書に会い、アラツグ、怪物を見上げる。

1、ハンス・ゾイレ


 メルセデスが手を洗いたいと言って、建物の奥へ消えた。

 待っている間、改めてエントランス・ホール全体を見回す。

 大きな建造物の中にしては随分ずいぶんと明るい。

 アラツグは天井を見上げた。

 天窓から春の日の光が燦々さんさんそそいでいる。

 ……いや、天窓というより……

「まるで屋根そのものがガラスで出来ている、って感じだな」

 アラツグのつぶやきにローランドも天井を見上げた。

「凄いだろ? 面積にして屋根全体のほぼ半分が厚ガラス製だ。展示物が良く見えるよう、出来るだけ多くの外光を取り入れる設計になっている」

「他の建物も、みな同じ構造なのか?」

「このサミア公立中央博物館に関して言えば、だいたい同じだ。ただし、日光が展示物にとって有害な場合……色せの危険がある絵画などは、また別の工夫がしてある」

「ほんと、すごい施設なんだな」

 背の高い男が、建物の奥からこちらに向かって歩いて来た。

 身長はアラツグと同じ位。細身の体形。

 地味だが、体にぴったりとフィットした上品な仕立服したてふくを着ていた。

 面長に禿はげ上がった額。薄い鼻。げたほお

 ……鋭い眼光。無駄のない身のこなし。

 男を見るアラツグの目が少しだけ厳しくなった。

 少し距離を置いて、先ほどまで入口の両側を守っていた衛士の一人が付き従っている。

「よお、ハンス」

 軽く手をげ、ローランドが気さくに呼びけた。

「お待ちしていました。ローランドさま」

 ハンスと呼ばれた男が軽くお辞儀じぎをして挨拶をする。

 ローランドがアラツグを振り返って言った。

「紹介するよ。こちら、俺の個人秘書のハンス・ゾイレ。ここだけの話、俺がすべき仕事は全部こいつに丸投げしている。毎日遊んで暮らせるのも全てこの男のおかげという訳さ。……ハンス、こいつが、いつも話している俺の大親友、厳しい剣術の修行を共に耐えてきた天才剣士アラツグ・ブラッドファングだ」

「おうわさうかがっております。どうぞ、お見知みしき下さい」

「よ、よろしくお願いします」

「ハンス、前にも言ったと思うが、は……アラツグ・ブラッドファングは……ハヤブサの動体視力、コウモリの聴覚、オオカミの嗅覚、サルのバランス感覚、そしてシカの脚力とクマの腕力の持ち主だ」

「すげぇ化け物だな……俺」

「ハンス、?」

「ブラッドファングさまのいらっしゃる場所で『内緒ないしょの話』は禁物、という事ですね」

「そうだ。例え、この巨大な建物の反対側に居ても、だ」

「いやだなぁ、ゾイレさん。ローランドも何言ってるんだよ。二人して俺に内緒の話なんかあるの? ああ! ひょっとして俺のためにサプライズ誕生パーティー、計画中とか? やべぇな……俺、期待しちゃうよ?」

「それからもう一つ。こいつは、馬鹿バカが付くほどのお人好ひとよしで、しかも馬鹿バカだ。敵意を持って近づくやつ容赦ようしゃはしないが、敵意さえ見せなければ、誰でも簡単に信用しちまう」

「何だよ、それ」

「ハンス、もう一度聞く。俺の言いたいことが分かるか?」

「ブラッドファングさまに対して敵意をいだかない限りは、こちらも安全という事ですね?」

「ゾイレさん、なに物騒ぶっそうなこと言ってるんですか」

「その通りだ」

「ローランドも満足げにうなづくなよ」

「ローランドさま、一点、ご報告すべき事がございます」

「何だ?」

「実は、先ほど『特別なお客さま』がお見えになりました」

「あー、その話はもういい。今ここで、その話をそれ以上するな。知ってるよ。ご婦人方だろう? いいさ。勝手にやらせておけよ。おおかた噂を聞いて大慌おおあわてで確かめに来たんだろう。どうせ何も分かりゃしないし、手も足も出ないよ」

「うん? 耳の大きなご婦人? 何、それ、何の話だ?」

「別に。こっちの話。財団の理事なんて役職についているとな、色々と面倒めんどうくさい付き合いが有るのさ。とくにとのお付き合いが、な」

「ふーん」

「ところでゾイレ、本題だが、グリフォン像は……東館は今どうなっている?」

「すでに完全閉鎖しました。鍵を閉め、精鋭中の精鋭を四人、とびらの外に立たせてあります。猫の子一匹入る隙間すきまもありません」

「そうか……アラツグ、さっそく東館へ行こう。いよいよ今日のメイン・イベントだ。ハンスは、ここでメルセデスを待っていてくれ。俺ら一足先にグリフォンとご対面してくるわ。ああ、それとかぎを」

 秘書がポケットから大きなかぎを出してローランドに渡した。

「よし。それじゃ、アラツグ、東館へ行くぞ。こっちだ」

 少年たちは並んで渡り廊下を歩き、グリフォンの展示されている東館へ向かう。

「なあ、ローランド」

 エントランス・ホールに残りメルセデスを待つゾイレとの距離を確認して、アラツグが親友に耳打みみうちをした。

「あのゾイレって秘書さん、ヤバくねぇか?」

「何の話だ?」

「鋭い目つきといい、隙のない動きといい……間違いない。ありゃあ相当の修羅場をくぐり抜けてるぜ。自慢じゃないが、俺、人を見る目は無いけど、人殺しを見る目は有るからよ」

「なんだ、その事か」

「なんだ……って、おまえ、何人殺してるか分からないような奴を個人秘書にして大丈夫かよ。もっと履歴の頭の良さそうなやつを雇うべきだと思うぞ」

「ハンスは充分に頭が良いよ。アカデメイアを卒業したそこら辺の連中より、よっぽど仕事も出来るしな。個人秘書として、あれほど頼りになる男は居ないさ。現在の俺にとって使いやすければ過去は問わん。そういう部分での差別はしないよ」

「へえ、案外、心が広いんだな」

「心がせまいだの広いだのって以前に、俺は現実主義者なんだ」

「なるほど、ね」

「今度は俺からアラツグに質問だ」

「どうぞ」

「ここの警備をしている衛士たちをどう思う?」

「さすがは都市国家サミアの公立博物館だと思ったね。みんなレベル高けぇよ。それこそ、どこぞの戦場を渡り歩いた強兵つわものばかりなんじゃね?」

「そうか……実はな、ここの警備はブルーシールド系列の剣士団が一手いってに引き受けている。ご名答だ。ほとんどが腕利きの傭兵上がりさ」

「やっぱ、そうか」

 やがて、渡り廊下が終わり、重厚ななら材のとびらに突き当たった。

 両側に鋭い目つきに衛士が二人ずつ合計四人。

 ローランドは素早く目配めくばせをして、衛士たちに軽くうなづいて見せる。

 ハンス・ゾイレから渡された大きなかぎとびら鍵穴かぎあなに差し込んだ。

 ……がちゃり……

 じょうの外れる音が響く。

 ローランドがゆっくりととびらを開けた。

 目の前に現れる、巨大なグリフォンの像。

「すげぇ……」

 感動のあまり呆然ぼうぜんとするアラツグを見て、ローランドの口元に満足そうな笑みが浮かんだ。


2、メルセデス・フリューリンク


 手を洗い終わってエントランス・ホールに帰ってみると、ローランドとアラツグの姿が見えず、代わりにローランドの個人秘書、ハンス・ゾイレが立っていた。

「ゾイレさん。こんにちは。ローランドたちは何処どこへ行ったのかしら?」

 秘書は軽く会釈をしたあと、エントランス・ホールから東へ真っ直ぐに伸びる渡り廊下に視線を向けた。

「ローランドさまとお友達のブラッドファングさまは、一足先に東館へ向かわれました」

 メルセデスもゾイレと同じ方を向く。

 長い廊下のちょうど中ほどを歩く少年たちが見えた。

「あらあら……」

 婚約者にいてけぼりを食らった格好の美少女が、あきれ顔で溜息ためいきく。

「ずいぶん仲が良いんですね。あの二人」

 肩を並べて何やらしゃべりながら歩いて行く二人の姿を見てメルセデスがつぶやいた。

「十歳から十六歳まで寝食を共にしながら厳しい修行に明け暮れたとなれば、まあ、ある意味家族も同然ですからね。仲が良くなるのも当然の事でしょうけれど。なんだか、ちょっと嫉妬けちゃいますね。デートの主役は女なんだけどな。普通は。ゾイレさんは、どう思います?」

「どう……と、言われましても……私には何とも答えようが……」

「……あれ? ゾイレさんでも戸惑うことが有るんですね? 私、ゾイレさんのそんな顔、初めて見ましたよ」

 メルセデスが、隣に立つ背の高い男の顔を見上げて言った。

「さあ、私たちも行きましょう。エスコートして下さらない?」

「エスコート……ですか」

「婚約者を置いて行ったばつです。ちょっとローランドに『見せつけて』やりましょう。いやですか?」

いや……という事は、ありませんが……」

 やがて観念かんねんしたようにメルセデスにひじを差し出す。

 少女はニッコリ笑うと、ゾイレのひじに自分の手をけた。

「では」

 並んで腕を組んだ長身の秘書と美少女は、東館へ続く渡り廊下をゆっくりと歩き始めた。

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