アラツグ、博物館でスュンを想う。

1、ローランド


「俺も一応、ブルーシールド財団理事会に名を連ねる身だからな」

 ロータリーのはしから建物の正面まで馬車を動かしながらローランドが言った。

「博物館に毎年莫大な寄付をしている財団関係者として、裏口から入っても何の問題も無いんだが……デートに裏口使ったんじゃ、雰囲気出ないだろ。メルセデスこいつ、そういう所は気にする性質たちだからさ。入場料払って正面から入ろう」

「おいおい、これ、デートだったのかよ? それなのに俺なんかがいて来て、良かったのか?」

「さあな。良いんじゃね? たまには」

 投げやりな親友の態度に、アラツグは心配になってメルセデスを盗み見た。

「気にしなくても良いんですよ。ブラッドファングさん。最近、私もローランドと二人きりで遊ぶのにきていた所です」

「言う事がいちいち辛口だな」

 そう言ってローランドは券売所の正面に馬車をめた。

「俺、東の馬繋場ばけいじょうに馬車置いてくるわ。お前たち二人は、ここで馬車を降りて外で待っていてくれ」

「わかりました」

「はいよ」

 ローランドの言葉にメルセデスとアラツグがうなづいた。

「ああ、メルセデス……」

 助手席の扉を開けて降りようとしたメルセデスを、婚約者が呼び止める。

「入場券を三枚買っておいてくれ。それからアラツグ、無理やりここまで引っ張って来たんだ。今回はお前の分も俺が出すよ」

「ええ? それは悪いよ。いくら金貨が底を突きそうだからって入場料くらいは有るって」

「いいから、いいから。俺は、どうしてもアラツグに怪物グリフォンの像を見せたいんだ。その気持ちの表れだ。いいから、受け取ってくれ」

「そ、そうかあ? じゃあ、今回はお言葉に甘えて……悪いな」

「気にすんな。じゃあ、メルセデス、そういう事で」

「分かりました。三枚買って待っています」

 言って、助手席の少女が入り口前ロータリーの歩道に降りた。

 後部座席を開けて、アラツグも歩道に降りる。

(何だ?)

 馬車を降りた瞬間、アラツグは何か違和感のようなものを感じた。

 ……いや、違和感というよりも……

(何か、大切なもの……の、手がかり……?)

 周囲を見回す。

 遠くで正午の鐘が鳴った。

 平日。昼食の時間。博物館前のロータリー。人も馬車もまばらだ。

(何だ?)

 アラツグは必死に考える。

(思い出せ。俺は今、何を感じている?)

「大人三枚」

 券売所でメルセデスが入場券を買っている。

 いったい自分が何を感じているのかアラツグ自身にも分からなかった。潜在意識の命じるままフラフラと博物館建物入口へ向かう。

「あ、ブラッドファングさん! 待ってください。切符が無いと……」

 清算を済ませた少女が入場券を手にアラツグを追いかける。

 少年は入口のスイング・ドアを開け、中へ。

 感覚……香り……の濃度が上がる。

 それで、

(思い出した……これは……あのとき……毒液を浴びた俺の左手を治してくれた時に流れてきた……

 自分でも気づかないまま駆け出していた。

 老人の立つ改札をすり抜け、エントランス・ホールへ。

「あ、ちょ、ちょっときみ、待ちなさい!」

 慌てて改札係の老人が呼び止める。入口の両側に立っていた衛士達がアラツグに向かって動き出す。

「す、すいません、これ私の分と、あの黒髪の剣士さんの分です」

 ようやく追いついたメルセデスが老人に切符を二枚渡す。

「まったく……しょうがないなぁ。決まり事は守ってもらわないと、困るんだよ」

 ぶつぶつ言いながらも改札係は少女を通し、走り寄ろうとした衛士達に「もう良い。問題ない」と、目配めくばせをした。

 衛士達はやれやれと言った感じで元の立ち位置に戻る。

「いったい、どうしちゃったんですか? ブラッドファングさん。いきなり走り出したりなんかして。改札で入場券を見せないと入れないんですよ?」

 しかし少女の言葉をアラツグは聞いていない。

(間違いない。かすかだけど……この香りはスュンさんだ。スュンさんが来ているんだ)

 せっかく追いついたメルセデスを置いて改札へ戻る。

「お、おじいさん、聞きたいことが有るんだ」

 先ほどは無視した改札係を、今度は自分から問い詰めた。

「今日、この博物館にエルフが来なかったかい?」

「エルフ? ああ。来たよ」

 戸惑いながら、老人が答える。

「ど、ど、どんな?」

「うーん、一人は、緑のエルフグリーン・エルフの女だったな。上から下まで全身緑色の背の高い女。い女だった。エルフの女は全員美人ってのは本当かも知れん。それから……」

「それから?」

「ダークエルフの女の子が一人」

「ダークエルフ!」

「うん。十七、八くらいに見えたな。こっちも美少女だった。しかも剣女の格好していたよ」

「け。剣女! お、お爺さん、それで、そのダークエルフの剣女が今どこにいるか……」

「もう、帰っちゃっよ」

「え?」

「だから、もう帰っちゃったよ」

「か……帰った?」

しかったね。ほんの今さっきの話だ」

「今さっき……」

 がっくりと肩を落とす。

「お兄ちゃん、あのエルフの剣女と知り合いかい? 可愛い娘じゃねぇか」

「帰った?」

「うん。ちょっとの差だ。残念だったね」

 項垂うなだれて立ちくす少年に、もう一度、メルセデスが声をける。

「大丈夫ですか」

「スュンさんが……来ていたんです」

「え?」

「スュンさんが……ダークエルフの剣女のスュンさんがこの博物館に来ていたんです」

「へ、へええ、そ、そうなんですか」

 狼狽うろたえながらも知らぬふりで相槌あいづちを打つ。

「でも、もう、帰ったって。ちょっとの差だったって」

「そ、そうなんですか。残念でしたね。何で分かったんですか?」

「残りです。俺には分かる。俺だけは感じる。スュンさんの……スュンさんの香りがかすかに残っている」

 メルセデスは驚いた。

 香りが残っている? それをこの少年は感知したというのか? そんな事が可能なのか?

 突然、少年が顔を上げた。

「そうか……サミア公立博物館に来たということは、スュンさんは今この都市国家まちに居るという事じゃないか。ひょっとしたら住んでいるって事も有り得る。メルセデスさんは、どう思います?」

「どう、と言われても……確かな事は言えませんよ。可能性はあるでしょうけれど」

「ですよね! 可能性ありますよね! ああ、俺、何だか俄然がぜんやる気が出てきちゃったなあ。よぉし、絶対、サミアで就職するぞぉ。毎日サミアに通っていれば、いつかきっと……」

 もう一度エントランス・ホールの中央へ歩いて行く。

 目を閉じて大きく深呼吸。

(間違いない。この香り、スュンさんのものだ。スュンさんは、さっきまでこの場所に立っていたんだ)

 その時、東の馬繋場ばけいじょうに馬車を置いたローランドが館内に入ってきた。

「やれやれ……探したぞ、メルセデス。建物の外で待っていてくれって言ったじゃないか。何で、お前らだけで改札とおってるんだよ」

「すいません。ブラッドファングさんが急に走り出しちゃって……」

 ローランドにわけをして改札の方を振り向き、メルセデスが言った。

「ここに三枚目……この人の分の切符が有ります。通してあげてください」

「良いよ」

 入場券を確認したあと、改札係がローランドに向かって「通れ」と合図をした。

 どうやらこの老人は、ブルーシールド直系で財団理事でもある少年の顔を知らないらしい。

 改札を通りながらローランドが両側の衛士たちに目配めくばせをする。

 衛士の一人が静かに建物の奥へと消えた。

 エントランス・ホール中央に立つ親友に視線を移す。

「いったいホールの真ん中に突っ立って何やってるんだ? アラツグは?」

 良く聞こえないが、何やらひとごとつぶやいている。

「間違いない。スュンさんは確かにこの場所に立っていた……俺には分かる」

 もう一度、深呼吸。

 後ろから近づきながらローランドが声をけた。

「お前、さっきから何ぶつぶつ言ってんの?」

「香りがするんだよ。良い香りがするんだ」

「香りって……お前……目の前にあるの、全裸像のちんちんだぞ」

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