スュン、月下に小青霊を見る。
1、スュン
真夜中、突然、眠りから
クラスィーヴァヤの森、エルフ外交官オリーヴィアの住居、その敷地内にある「訓練小屋」と呼ばれる離れの中。
ベッドから起き上がり、蝋燭に火を
カーテンを少しだけ開け、その間から芝生を敷き詰めた庭を
青白い光に照らされ、意外に遠くまで見通せた。
空を見上げる。
本当の満月ではないが、ほとんどそれに近い大きさの月が輝いていた。
「ううっ」
床から上がってきた冷気に、思わず
昼間は汗ばむほどだったが、森の夜はまだまだ冷え込む。
スュンは胸の前で腕を交差させ、自分で自分の肩をさすった。
何か上に着るものは無いかと、持ってきたスーツケースの中を
冬もののマントなどは
引っ越し用の木箱の中に
「しょうがない」
これでも無いよりはましか、と、寝間着の上からブラウスを
戸を開け、芝生が敷き詰められただけの真っ平らな庭に出た。
冷たい月光の照らす夜の森は、スュンを不思議な気持ちにさせた。
不安なのに、安心する……
早くベッドに潜りこんで寝てしまいたいのに、いつまでもこうして青白い光の中に立っていたい……
ふと見上げると、森の
スュンは、すぐにその正体に思い当たった。
……木箱だ。
今朝、家を出るとき玄関わきに置いた、引っ越しの荷物を詰めた十個の木箱。
それらが、空中でゆらゆら揺れながら、こちらに向かってくる。
よく見ると、木箱は単独で空中に浮かんでいる訳ではなかった。
身長は、大きく見積もってもスュンの
幼児、というより、赤ん坊に近い体形。
青色とも銀色ともつかない、つるんとした感じの金属光沢で、全身が
青白い月光を反射して輝くその滑らかな質感の体表が、いったい
その、全身を青白く輝かせた赤ん坊のような「何か」が、六人一組になって、スュンの荷物が入った木箱を担ぎ、夜の空を泳いでこちらへ向かってくる。
やがて
スュンは、その生き物を知っていた。
……いや、知識としては知っていたが、
エルフと魔法の契約を結び、様々な作業をエルフが寝ている間に代行してくれる存在。
「
今朝スュンが木箱に焼き付けた魔法の
近づいてみると、
頭部は、ほぼ完全な球体。良く磨かれた金属のような表面が月の光を反射して輝いている。
書物には、何万年も前に滅びた古代文明の伝説が書かれていた。
はるか昔、「
彼らは、火を噴く巨大な「
書物には、その星々へ飛んで行った「火を噴く矢」に乗った、銀色の戦士の姿が描かれていた。
もちろん後世の者が描いた「想像図」だろうが……
継ぎ目のない銀の
その銀色の戦士の想像図をそのまま赤ん坊の大きさに縮小すると、目の前の
スュンが物思いに
そして、やってきた時と同じように、ふわりふわりと空へ浮かび上がり、高度を上げ、青白く輝く月の向こうに消えてしまった。
何だか、起きていながら夢でも見るような、不思議な真夜中の
そのスュンに、少年が、再び後ろから声を
2、エリク
「……スュン……」
後ろを振り返る。
エリクが立っていた。
夕暮れ、あの巨大な穴の底で見たそのままの姿で立っていた。
あの大陥没から、ここまで歩いてきたのか? などと一瞬思ってしまった。
オリーヴィアの言う通り、目の前のエリク……エリクの形をしたもの……が純粋な魔力の凝固体だとすれば、物理的距離など意味が無いかも知れないというのに。
少年の顔の下半分は、目玉の無い
「……エリク……」
不思議と、今度は冷静になれた。
「……スュン……助けて……痛いんだ……嫌らしい
「エリク」
ゆっくり、一歩一歩、エリクに近づく。
「エリク、それは
言いながら、一歩一歩、近づいていく。
「その痛み、その悲しみ、全て
スュンは、エリクの目の前まで歩いて行くと、少年の細い体をギュっと胸に抱きしめた。
「全て
「え?」
スュンの胸の中で、エリクが
この胸に伝わる体の温もり、着ている服の
それらは、あまりに現実的だった。
ほんとうに自分は「
今、自分の腕の中に居るのは、まだ生きているエルフの少年なのではないか?
自分は、オリーヴィアのような
目の前の少年が、本物か、あるいは魔力が生み出した
……でも……
精神を研ぎ澄まし、三角に
……やはり。
「エリク、よく聞きなさい」
スュンは、少年の体をさらに力強く抱きしめる。
「エリク……いいえ、あなたは『エリク』ではない。本物のエリクは死んでしまった。私がこの目で確かめた。あなたは『エリクの
「エリクは、死んでしまった? 僕は……僕は……エリクでは、ない?」
「そう。気づいて」
「僕は、エリクじゃない……僕は、エリクじゃない……僕は、エリクじゃない……ああ、そうだ。僕は死んだんだ。怪物に殺されたんだ……じゃあ、僕は……僕は、いったい……」
突然、抱きしめていた少年の体から手ごたえが消えた。
輪郭が、見る見るぼやけていく。
やがて、少年の体は黄金色に輝く微粒子に還元され、粒子は拡散し、薄まり、夜の空間に
気が付くと、スュンは、自分自身の胸を両腕で抱きしめていた。
青白い月の光に満ちた空を見上げる。
「なるほど、ね」
その声に、驚いて振り向く。
あの時と同じように、瞳が黄金色に光っている。
「……魔力の凝固体に
「オリーヴィア様」
スュンが尋ねる。
「教えてください。死んだエリクの体から放出された魔力が、その生前の精神を完璧に模写していたとしたら、それは、もう、エリクそのものではないのでしょうか? その魔力を拡散させ、消滅させたということは……私は……私は、エリクを『完全に殺してしまった』という事では、ないのですか?」
「さあ? どうだろう」
「エリクを抱きしめたとき、確かな実感がこの両腕にありました。体温も、声も……ただ……」
目を
「ただ……心臓の鼓動だけが、聞こえなかった」
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