オリーヴィア、スュンに本の感想を尋ね、スュン、オリーヴィアの姿に変化(へんげ)す。

1、スュン


 ライヒスタークの洞窟の入り口に立って、スュンは三女神の石像を見上げた。

 石像を見ていると、何故なぜか今朝のヴェルクゴンとの会話が脳裏のうりよみがえる。

「ヴェルクゴン、私……困るよ」

 自分でも気づかぬまま、切なげにつぶやいてしまった。

 つぶやいた後で、ハッとなって、自分の口を両手でふさぎ、辺りを見回す。

 幸い、声の聞こえる範囲には誰も居ない。

 それでも気になって、女神像の台座のかげで誰か隠れて聞いていなかったかと、回り込んで見る。

(何やっているんだろう。私……)

 自分で自分が馬鹿らしくなって、頭を振り、気を取り直して大長老の待つ洞窟へ入った。

 中の空気は、ひんやりと冷たい。

 思わず、背中のマントを前に回して両手でしっかり合わせる。

 マントの下は、予備に作って置いた気無けない実用本位の皮鎧に、使い慣れた銀剣。

 この服装でもライヒスタークの洞窟で長老と会うのに、礼を失しているという事は無いだろう。

 こんな事になるなら、儀礼用の鎧一式そろえて置いても良かったのかな、とも思うが、「大人」になったばかりでろくに実績も無い自分が、そんなものを着ても衣装に負けてしまうだけだろうとも思う。

 奥へ奥へと歩いて行くと、この洞窟本来の天然の岩肌は、ある場所を境に、掘削くっさくされ平らに磨かれた高い天井と壁と床面に変わった。

 さて、何処どこへ行けば言いのだろう、と、迷う。

 遠くからカタカタカタ……という小さな音が聞こえてきた。

 音の方へ顔を向けると、金属光沢を持つ銀色の小さなフクロウがこちらに向かって羽ばたいて来るのが見えた。

 天井の魔法照明に照らされて、時々ときどき翼がキラッ、キラッ、と輝く。

 機械仕掛けのフクロウが、スュンの目の前、一レテムの空中に定位した。

「ゴ用件ハ、何デショウカ?」

 突然フクロウがしゃべった。

 しゃべっている間も、カタカタと忙しそうに翼を動かしている。

(凄い……これが、長老会の魔法技術力なのか……)

「ゴ用件ハ、何デショウカ?」

 スュンが感心している間に、もう一度フクロウがたずねてきた。

「あ、あの……は……初めまして。わたくしは、ダーク・エルフの剣女スュンと申します。大長老ルストゥアゴン様は、いらっしゃいますか?」

 フクロウに向かって、なぜか丁寧ていねいな言葉を使ってしまう。

「コチラヘ、ドウゾ」

 フクロウは、空中でクルリと半回転すると、スュンに尾を向けて洞窟の奥へとゆっくり飛んで行く。

 とりあえず、この機械仕掛けの鳥のあとに付いて行こうと決めた。

 普通の建物であれば玄関ロビーに相当する場所を抜け、左の廊下へ入り、さらに奥へと進む。

 廊下の左側には、一定の間隔を空けて扉が並んでいた。

 ある扉の前でフクロウが止まる。

「コチラガ、大長老るすとぅあごん様ノ、オ部屋デス」

「あ……ありがとうございます」

 言いながら、機械相手に思わずペコリと頭を下げてしまった。

 カタカタカタと音をさせながら、フクロウは廊下を戻っていった。

 扉をノックする。

 すぐに声がした。

「入りなさい」

「失礼します」

 中に入ると、老エルフと緑のエルフグリーン・エルフの女が大テーブルに向かい合わせで座っていた。

「あ……」

 エルフの女を見て、スュンが思わず声を上げる。

「おや……まあ」

 相手も、驚いているようだ。

「あなただったの? 目撃者っていうのは……」

「何だ、知り合いか?」

「し……失礼しました。わたくしはダーク・エルフの剣女スュンと申します」

 その場に片膝かたひざいてこうべれる。

わしは、大長老ルストゥアゴンだ」

「私は……自己紹介するまでもないわね?」

「大長老ルストゥアゴン様。お目にかかれて光栄です。オリーヴィア様、しばらくご無沙汰……」

「ああ、堅苦かたくるしい挨拶あいさつは抜きだ……スュンよ……立ち上がっておもてを上げよ」

 言われたとおり立ち上がる。

「スュン、半年前は御免ごめんなさいね。採用してあげられなくて」

「……いえ……そんな」

「いったい、おぬしら二人は、どういう因縁なのだ?」

 老エルフがたずねる。

「半年前、いっしょに人間の街へ行ってくれるエルフ族の部下を探していたのです……」

 オリーヴィアが説明する。

「同じ女。出来れば成人したての若いエルフ。その条件にかなう者を探して、何人かの候補者と面接をしました」

「なるほど、そのうちの一人が、このスュンだったというわけか」

「はい。まあ残念ながら、このスュンも含めて、その時に面接した者は全員不採用という結果になってしまいましたが……どう? あれから元気にしていた?」

「はい」

「私のあげた『ハーレム・クイーン・ロマンス文庫』は、三冊とも読んだ?」

「え? あ、あの……は、はい。に、人間社会の……格好かっこうの研究材料として……た、たいへん……きょ、興味深く……よ、読ませて頂きました」

 スュンの目が、動揺どうようして泳ぎだす。

「むう? 『ハーレム・クイーン・ロマンス文庫』とな? そりゃ、何の話だ? オリーヴィアよ」

「今、人間社会のご婦人方の間で流行している『恋愛小説』とかいう娯楽の事です。

 たまたま、スュンと面接する直前に、情報収集の一環として読んでいたのですが……このスュン、私がちょっと席を外したすきに、何を思ったか、それを盗み読みしたのですよ」

 オリーヴィアの口角こうかくわずかに、ニヤッ、と上がる。

「何! このオリーヴィアの書物を盗み見たというのか!」

 ルストゥアゴンが驚く。

「『緑の女狐めぎつね』オリーヴィアの目を盗んでか?」

 スュンは、居たたまれなくなってうつむいてしまった。

「もちろん、すぐにましたけどね。それでも『恋愛小説』などという人間特有の娯楽に興味を示すとは、面白いむすめだなと思いまして……この私をこうとする、その度胸どきょうも気に入りました。

 それで、結局は不採用にしましたが、記念に三冊ばかりプレゼントして上げたのです。その『ハーレム・クイーン・ロマンス文庫』を……」

「ほほぉ……なるほど、な」

「も、申し遅れました。あ、あの時は、本当に、ありがとうございました」

「それで? 三冊のうち、?」

「あ……あの……そ、それは……」

 恥ずかしさのあまり、スュンの顔から汗が滝のように流れ落ち始める。

「言わなきゃ駄目よ……貴重な『人間の本』を三冊もあげたんだから、感想くらい聞かせてもらわないと、間尺ましゃくに合わないわ」

「だ……」

「だ?」

「だ……ダイアナ・ゴールデンハート作……の……」

「ふ~ん?」

「け……『剣士にベッドを奪われて』……が……いちばん」

「ははあ……あれかぁ……えっと、粗筋あらすじは、どんなだったけか……確か……『森の奥深く、ひっそりとひとりで暮らすエルフの女の家に、ある嵐の夜、大怪我をしたが転がり込む……』こんな感じだったかしら?」

「は……はい」

「最初は、慈善じぜん的な気持ちで介抱かいほうしていた主人公の女エルフも、いつしか、その謎めいたに、どうしようもなくかれている自分に気づく」

「……」

「そして、ついに『決定的な夜』が来てしまう。夕食をっている最中さいちゅうに、ささいな事から二人は口論けんかをしてしまい、怒った女エルフは、ワインを一息にあおって二階へ駆け上がる」

「……」

「あわてて追いかける剣士。階段の上で、ふらついて転げ落ちそうになるエルフ。それを後ろから抱きしめる人間の剣士。見つめ合うエルフの女と人間の男……そして、とうとう……二人は、種族の壁を超えて、禁断の……」

「お、お許しください! それ以上は……」

 スュンが思わず叫んだ。

「あらら、ちょっと、どうしたの? たかが作り話に、そんなに汗かいて……」

「オリーヴィアや……何だか二人して楽しんでおるようだが、この老いぼれを置き去りにせんでくれよ」

「申し訳ありません。ルストゥアゴン様。まあ、要するに荒唐無稽こうとうむけいな作り話です。エルフの描写も、われわれ本物のエルフから見ればふんパンものですし。人間のご婦人方が何故なぜあのようなものに夢中になるのか。さすがの私も理解しかねます」

「しかし、その荒唐無稽な作り話を聞いただけで、このダーク・エルフの娘は、こんなに動揺しておるではないか?」

「たぶんこのは特別なのですよ。いろいろと」

「そんな物かのう。それより……そろそろ本題に入らんか。オリーヴィア」

「わかりました。スュン……その椅子に座りなさい。一部始終いちぶしじゅうを聞かせて」


2、スュン


 それから、ルストゥアゴンの出してくれたハーブ茶を飲み、やっと心臓の鼓動が収まったスュンは、エリクが潜冥蠍せんめいかつに食われてしまった所から、怪物の死骸を人間の町に残してエルフの森に帰ってきた所までを、時系列に沿って話した。

 しかし、アラツグの事は……潜冥蠍せんめいかつの攻撃を左手に受けた少年が居たことは黙っていた。

 なぜ、言わなかったのか。スュン自身にも分からない。

 言ってしまえば、自分とアラツグは、途方もなく大きな何かに否応無いやおうなく巻き込まれてしまう……そんな風に直感して、どうしても話せなかった。

 エルフとして生を受けた者が、あろうことか大長老に向かって嘘をく。

 絶対に、あってはならない事だ。

 スュンは、その瞬間、エルフとして生きる事に何の疑問もいだいて来なかった今までの自分には、もう絶対に戻れないだろうな、と、寂しく思い、同時に、もう仕方が無いのだ、覚悟を決めるしかないのだ、とも思った。

 スュンの話を黙って聞き終えたルストゥアゴンが、口をひらく。

「なるほどな。それでは……森の中に突如、黒い球状の『何か』が現れ、それがあっという間に大きくなって、おぬしたちを飲み込んだ時点から、人間の女の館で目をますまでの間の事は、一切おぼえておらんと言うのだな?」

「はい」

「どう思う? オリーヴィア?」

「もう少し情報が欲しいですね」

「そうだな……夕方、もう一人のエルフ……ヴェルクゴンとかいう男の話も聞く予定だが、お主は、どうする? 同席するか?」

「お許しいただけるなら……」

「よし。分かった。もう少し話したいこともある。昼飯は付き合ってもらうぞ。オリーヴィア」

「わかりました」

 ルストゥアゴンが、スュンに顔を向ける。

「スュンとやら。ご苦労であった。下がって良いぞ」

 スュンは、今だ、と思った。

 今しかないと思った。

 二度と会わない、そう心に決めた。

 決めたはずだった。

 でも、それでも……それでも……少しでも近くに居たい。同じ世界に居たい。

 ……人間の街へ行きたい。

「あの……」

 スュンの声に、既に彼女から興味を失いつつあったルストゥアゴンとオリーヴィアが再びこちらを向く。

「ん?」

「どうしたの? スュン」

「あの、オリーヴィア様は先ほど、半年前に面接した者は全員、不採用になったとおっしゃいました。あの、い、今でも部下をお探しなのでしょうか……いっしょに人間の街へ行く部下を……」

 突然、何を言い出すかと、老エルフと緑のエルフグリーン・エルフは顔を見合わせる。

「も、もう一度、私に機会チャンスを頂けないでしょうか? オリーヴィア様の下で働く機会チャンスを……」

 オリーヴィアが大長老ルストゥアゴンの顔を見て「いかが致しましょう?」というような表情を作る。

 大長老が「好きにしろ」という風にうなづく。

 それを受け、オリーヴィアが大きく一つ息をして、スュンに言った。

「あのね……スュン。半年前、なぜ自分が『落ちた』のか、分かる? 言っておくけど、本を盗み読んだからではないのよ?」

「『擬態の魔法』が……未熟だったからでしょうか……」

「へええ。気づいていたのね。そう。その通りよ。全体に魔法の扱いは未熟だったけれど……まあ、それは良いのよ。もともと成人したての十六、七歳のエルフを採用すると決めた時点で、折込済おりこみずみだったから。だたし『擬態の魔法』だけは別よ。私たちの仕事では、ある意味、もっとも重要な魔法だからね。これが、一定水準を満たしていないと、とても使い物にならない」

「あ、あれから……わ、私なりに『擬態の魔法』を修行しました。少しは……上達していると、自分でも思っています」

 それは、嘘では無かった。

 あの時は……半年前はオリーヴィアの部下になることに特別な意味は無かった。

 いつも通り長老会からの通知があり、ただ、それに従って面接を受けただけだ。

 しかし、いざ不採用になると「自分は何故なぜ採用してもらえなかったのか」と悩んでしまう。

 スュンは、そういう少女だった。

 そして、どうやら『擬態の魔法』が原因だと思い至り、自己流で修行を始めた。

 もっとも、その時点で彼女の『擬態の魔法』は、とても他人に披露できる代物しろものではなかったから、あれから半年間で多少進歩したとは言え、その技術力はたかが知れている。

 でも……それでも……

 スュンは無意識に唇を噛んだ。

 オリーヴィアがスュンを見て言う。

「じゃあ……そうね。見せなさい」

 そして、お手並み拝見といった感じでスュンの目を見つめた。

「分かりました」

 スュンは視線を落とし、自分の手の甲を見た。

 精神を集中する。

 やがて、徐々に褐色の肌が緑色に変わっていく。

 自分を見つめているオリーヴィアを見返す。

 髪型、髪の質感つや輪郭りんかく、眉の位置、その形、長さ、目の形、瞳の色……

 今、目の前に居る緑のエルフグリーン・エルフの姿を一つのイメージとして自分の心に焼き付ける。

「へええ?」

 オリーヴィアが少し驚いたような声を上げた。

「半年前にははしにもぼうにもからなかった事を思えば……短期間で随分ずいぶんと上達したじゃない」

「あ……ありがとうございます」

 オリーヴィアの姿のまま、スュンが答える。

「でも……何で、服装は剣士のままなの?」

 痛いところを突かれて、オリーヴィアの姿のスュンはひるんだ。

「そ……それは……」

「自分自身の体を擬態することは出来ても、服装までは、まだ……そういう事ね?」

「……はい……申し訳ありません」

「もういいわ。擬態を解いて」

「はい」

 元のスュンに戻る。

「う~ん……どうしようかなぁ……」

 オリーヴィアが額に手を当て、眉間みけんしわを寄せた。

「オリーヴィアよ。お主の仕事は、何よりも確実性が大事だぞ。安全で確実な道を行くのが王道……」

 ルストゥアゴンが、暗に『めておけ』と合図を送る。

「しかし、大長老様……」

 オリーヴィアが反論する。

「単純に技術だけを見れば、この娘は、遠く合格基準に及びません。それは、私も認めます。……しかし、この娘の感性には、何か特別なものが有るように思われます。私も含め、他の多くのエルフには無い、特別な『何か』が。それが、どのような物かは、今の私にも言葉に表せませんが……」

「ほう?」

「それが、人間と言う種族を調査し、研究する上で役に立つやも知れません。……今、そう思い始めています」

「オリーヴィア……相変わらす、お主は、冒険者よのう……まあ、だからこそ『長老会』は、今の地位をお主に与えたのだが、な」

「この娘を……スュンを私の部下にする事を、お認め頂けますか? 大長老ルストゥアゴン様?」

わしはな、オリーヴィア。正直言って、この娘の能力は全く評価できんよ。少なくとも現時点では、な。……だが……。お主の好きにすれば良い」

「ありがとうございます」

「あ……ありがとうございます!」

 オリーヴィアの声に合わせて、スュンも心からの感謝を叫んだ。

「スュンよ……」

 喜ぶ、スュンの気持ちに水を差すように、ルストゥアゴンが重々しく言った。

「今は、そうして喜んでおるが、なぁ。ひょっとしたら、半年後には、自分の選択を呪うておるやも知れんぞ?」

「は?」

 何を言われたのか分からず、スュンが大長老の顔を見る。

「お主、オリーヴィアの仕事を何と思うておる?」

「クラスィーヴァヤの森に住むエルフ族の代表として、人間の街に駐在され、大きな商取引や、都市国家政府とエルフ長老会の橋渡し役をなさっていると……」

「そうだな。しかし、それは、あくまで『表の仕事』だ。オリーヴィアは……オリーヴィアのは『間諜スパイ』なのだ。わしらエルフ族が、人間界に潜り込ませた間諜スパイなのだ」

 スュンの目が、驚きで大きく開いていく。

ばかりでは無いぞ。お主が今、腰に下げているその銀剣……いずれ血で汚れると覚悟する事だ」

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