アラツグ、大家の娘と甘い菓子を食べる。

1、エステル・パナデッロ


かたパンと、石鹸せっけんと……ああ、あと蝋燭ろくそくも買っておくか」

 ひと風呂浴びてサッパリとしたアラツグは、昼前に雑貨屋まで買い出しに行くことにした。

「革クリームは……と……良し、まだ充分有るな。明日は組合ギルドで仕事探さなきゃならないからな。今夜は装備品の手入れをして、少しでも見栄えのする姿で行かないと」

 独りつぶやきながら、机の上や戸棚の中をチェックする。

「良し。そんじゃ、出かけるとしますか」

 今朝、ローランド・ブルーシールドたちと出掛でかけた時と同じく、手際よく服を着て戦闘長靴を履き、腰に長剣を下げる。

 衣装戸棚の中には皮鎧もあったが、装着しない。

 剣士組合ギルドに登録すると、都市国家公認の帯剣許可証を発行してもらえるが、だからと言って常に帯剣を義務付けられるという訳でも無かった。

 帯剣は、剣士階級としての「身だしなみ」ではあるが、特に休みの日などは、あえて剣を持たない主義の剣士も少なくない。

 アラツグは「出来れば防具は身にけたくないが、剣ぐらいは常に持ち歩きたい」タイプだった。

(何かあった時には、心強いからな……って、人間社会に復帰してから一年、身の危険にさらされた事なんて一度も無いけど)

 長剣の他に、ベルトの後の部分に小型のナイフ。両足のブーツには棒手裏剣ぼうしゅりけんを数本ずつ装備する。

 部屋を出た。

 昼前の明るい日差しを浴びて、下宿建物の白漆喰しっくいまぶしい。

 回廊の手すりから身を乗り出して空を見上げる。

「ん~ん、今日も空気は爽やか。良い天気だ。夕暮れまであと半日、このまま散歩でもして過ごそうか」

 言いながら深呼吸。

「おっと、一番大事なもの忘れた」

 部屋に引き返す。再び出てきたときには左手に籐編とうあみの「お買い物かご」を持っていた。

 部屋に鍵を掛けて、回廊をまわり、階段をりて一階へ。

 全ての部屋の出入り口が中庭に面している下宿屋の構造上、住人が建物の外へ出る場合、自分の部屋から一旦いったん中庭に出て、それから中庭と玄関を結ぶ「玄関ホール」を抜ける必要があった。

「玄関ホール」とは言っても、建物の外と中庭を結んでいるだけの、むしろ「玄関トンネル」とでも言った方が良いような狭い空間だ。

 中庭からホールに入ると、ちょうど買い物から帰ってきた大家の夫人が外からホールへ入ってきたところだった。

 長い黒髪。大柄で豊満な胸と腰。いかにも古代ヒスパニクス人の血が流れていそうな美女だ。

 玄関ホールのすぐ隣は他の下宿部屋とは間取りが随分ずいぶん違う。

 大家族が住むのに充分な広さと部屋数があり、そこに建物の持ち主オーナーが家族で住んでいた。

「あら、ブラッドファングくん、おはよう」

「おはようございます。パナデッロの奥さん。相変わらず、お美しいですね」

「ええ? どうしちゃったの? ブラッドファングくん? 君からお世辞もらうの、ここへ入居してきて初めてじゃない?」

「ボ……ボクもそろそろ女性の扱い方でも勉強しようかなぁ……なんて思いまして……」

「な~んか、変な雲行きね。引きこもりのブラッドファングくんが、ねぇ。天変地異でも起こらなきゃ良いけど」

「ひどいなぁ。そりゃ、言いすぎですよ」

「何にせよ、若い男が女のあしらい方に興味を持つのは良いことだわ。男にとっても、女にとっても、ね。何かあったの? 好きなが出来たとか?」

「……」

「え? 何? ひょっとして図星ずぼし? なになに、誰よ? 私の知ってる?」

 そこでセシリア・パナデッロ夫人、突然、はっ、と思い当たってアラツグをにらむ。

「ま、まさか、のエステルに出そうっていうんじゃないでしょうね?」

「ええ?」

「駄目よ! それだけは絶対に、駄目!」

「ち、違いますよ!」

「ほんと? ほんとに、ほんとぉー?」

 パナデッロ夫人、しばらくアラツグを疑いの目で見たあと、ため息を一ついた。

「フムン。ま、それなら良いけど……彼女もこの一年でずいぶん大人っぽくなったわ。自慢する訳じゃないけど、若い時の私にそっくりの美少女って感じ。それだけに、彼女に近づく男の品定めはキッチリさせてもらうわ。親の義務として、ね。……私はね、娘を剣士と結婚させるような真似まねだけは、しないって決めてるの」

「そんな……だって、だんなさん……パナデッロさんだって元剣士でしょ?」

「しっ! 声が大きい! その事を知っているのは、この下宿ではブラッドファングくん、あなただけですからね。やたらと言わないで」

「すんません」

「それは、それとして。ブラッドファングくん、もう一度言うわ。うちの娘には、絶対に手を出さない事! いいわね? い・い・わ・ね?」

「だから、違いますって。変な勘繰かんぐりしないでくださいよ」

「わが娘じゃないんだったら……それだったら……いいわ。相手が誰かは知らないけど、その恋、頑張ってね。上手うまく行くように祈ってるわ。剣士なんかと恋をして涙を流す女の子が、私の家族じゃない限りは、ね」

「うわー、自分勝手」

「女なんて、そんなものよ。自分勝手じゃなきゃ……自分と自分の家族を最優先に考えられなきゃ、子育てなんて出来ないって。それじゃあね」

 そう言うと、セシリア・パナデッロは手としりを振りながら扉の向こうに消えた。

 相変わらず後姿うしろすがたが色っぽい。

 三人の子持ちとは思えない程、胸にも尻にもりがある。

(あれが、ラテン女の迫力ってやつか……おっと、奥さんのことジロジロ見たりしたら、大家さんに殺されちゃうよ。さて、買い物、買い物……)

 玄関ホールを出るとき、ホールの壁に埋め込まれた水時計をチラリと見る。

「あと三分さんぶんの一時間で昼か……」

 外に出て、踏み固められた赤土の道を歩く。

(雑貨屋まで片道四分よんぶんの一時間くらいだな。帰りにパン屋にも寄らなくちゃいけないし……どこかの飯屋で昼飯でも食べるか? 『デモンズ』じゃ、気が動転して満足に食べられなかったからな……)

「デモンズ」からの連想で、頭の中にスュンの顔が浮かんだ。

(ああ、スュンさん……会いたいなぁ……でも、よくよく考えたら、スュンっていう名前とエルフであるって事以外、彼女の事なんにも知らないんだよなぁ。『もう一度、偶然に出会う』可能性なんて、それこそ限りなくゼロに近いし)

 あきらめが肝心かんじんと自分に言い聞かせた。

(本当は二度と会わない方が良いのかもな。……俺、もう一度スュンさんと偶然バッタリ出会ったら、自信があるわ……どうせ実らぬ恋ならば、なまじ会わない方が俺自身のため……って、俺、なに勝手な妄想してるんだ? 我ながら、こりゃ重症だ……)

 雑貨店までの道のりの半分ほどを歩いたところで、通りの向こうから行商人の売り声が聞こえてきた。

「くすりぃー、くすりぃー。薬は要らんかねぇー。傷には塗り薬に貼り薬、腹痛に粉薬、咳止めシロップもあるよ~」

 角を曲がると、果たして小型の魔法動力ロバに荷車を引かせた薬屋が、ゆっくりとこちらに向かってくる。

 年齢としは三十代前半と言ったところか。ほおげた、痩せ型の男だった。

「すんませ~ん」

 すれ違う前に、アラツグが薬売りに声をかける。

「はいはい、何をお求めだい? おや、これは、これは若き剣士さん。刀傷に効く薬かい? 塗り薬? それとも痛み止めの飲み薬かい?」

「いや、薬は要りません。ちょっと小腹がいたんで何か甘い菓子でもありませんか」

「あるよ。あるよ。甘い甘い焼き菓子があるよ。さあ、どうぞ」

 薬屋は荷車の中から焼き菓子の瓶を出し、紙袋に小分けにしてアラツグに渡した。

 かねを払って紙の袋を受取り、中から一かけらつまんで口に放り込む。

「へええ。案外……旨い」

 思った以上に旨かった。

 粉を練って焼いた菓子のようだが、ちょっとクセのある不思議な匂いに、ほのかな甘みもある。

 どういう訳か、薬の行商人には薬のついでに菓子を売る者が多い。

 ひょっとしたら薬草を採取する時、菓子の原料となるような甘みの強い野草か何かをいっしょに取っているのかもしれない。

「お兄さん、剣士だろ?」

 アラツグが菓子を食べていると、行商人が暇つぶしに話しかけてきた。

「まあ、見ての通り」

「やっぱり、アレ? 怪物モンスターとかったことあんの?」

「無いです。俺が修業した山には、ごく普通の動物しか居なかったし。(師匠が出現させた魔物以外は)いちばんデカいので、せいぜい大鹿ですかね」

「ふうん」

「旨いですよ。鹿肉って」

「そりゃ、剣士じゃなくて猟師の仕事だろ」

「それにしても、このお菓子、旨いっすね」

「だろ? 秘密の香草のしぼり汁を入れてあるんだ」

 その時、うしろから何者かが近づいてくる足音をアラツグの並外れた聴覚が捕えた。

(女だな。少女だ。っていうか、この足音は……)

 アラツグにとっては聞きなれた音だ。

「よっ!」

 うしろから肩をポンッ、と、叩かれる。

「美味しそうな物、食べてんじゃん。私にも、ひとつ」

 少女は、アラツグの背中に自分の体を密着させるようにして手を回し、アラツグが左手に持った紙袋に指を差し入れて菓子を一つまみ。

 ぱくっ、と口の中へ入れ、ぐに笑顔が広がった。

「ふむふむ……あ、このお菓子、美味しい!」

 密着されたアラツグの背中には少女の未発達な乳房の感触。立ち昇る少女の香り。

(ふぅわ! すげえ良い香り。クラクラする……)

 肩甲骨まで真っ直ぐに伸ばした黒髪に小麦色の肌。ニカッと無邪気に笑った感じが何とも言えず可愛らしい。

 今日は膝丈のワンピースに上着を羽織って亜麻織の靴を履いている。左手に持っているのは籐編みのかごだ。

(去年、引っ越して来た時には十三歳だって紹介されたから、今は十四歳かな? たしかに、急に女っぽくなってきたな。いかにも古代ラテン系美少女って感じだ。こりゃパナデッロの奥さんが心配するのも分かる。……それにしても、無邪気におっぱい背中に押し付けて来るの、めてくれないかな。俺の股間が反応しちゃうだろ、エステルちゃん)

「おじさん、同じの、私にも一つ……いや、二つ! これ、二つ買ってかないと、絶対、母さんに全部食べられちゃうわ。あ、弟たちの分も必要か……じゃあ、四つ」

「はいよ。まいどっ」

「あ、あの、エステルちゃん……お父さんの分は?」

 アラツグが少女にたずねた。

「今日は『大家さん組合ギルド』の会合で遅くなるって言ってたから、要らないでしょ。黙ってれば分からないって」

「お……大家さん、かわいそう……家長なのに。それは、それとして……どうしたの? お出かけ?」

「母さんが、羽根ペンとインク買い忘れたから『バルトの店』まで買いに行けってさ。今日、どうしても役所に提出する書類を書かなきゃいけないんだって」

 アラツグが向かおうとしている雑貨店の名前をエステルも口にする。

「ああ、俺も『バルト』行く途中。ところで、エステルちゃん、予備塾はどうしたの?」

「年に一度の先生方の大会議とかで、今日は休校よ」

「ちゃんと勉強してアカデメイア行かなきゃ駄目だよ。お父さんたち、そのために予備塾の安くない授業料払っているんだから」

「分かってるって。じゃ、私、一足先に行くね」

「ああ。じゃあね」

 エステル・パナデッロは、薬の行商から買った焼き菓子の紙袋を四つ、買い物かごに入れると、歩いて行ってしまった。

「お兄さん、あの女の子の知り合いかい?」

 後姿うしろすがたを見ながら、薬屋が問いかける。

「ありゃあ、あと五年もしてみろ、すげぇ美人になるぞ。知り合いなら、今からつば付けときなよ」

「そりゃ、無理ですよ。彼女のお父さん、凄い強面コワモテでしてね。彼女に指一本れでもしたら、俺の命が無いですよ」

「指一本って割りには、ずいぶんべたべたと体を密着させてたじゃないか」

「向こうが無防備なだけです。体が発達しているのに、精神が子供なだけですよ。そのぶん、こっちが気をしっかり持たないと。それに……俺は……」

「俺は……?」

「い、いや、何でもありません」

(俺は……俺が好きなのはスュンさんなんだよ! こうしてみると、身長は同じくらいだけど、スュンさんのほうが尻もおっぱいも一回り大きいな。エステルちゃんには悪いけど、スュンさんの方がだな。俺的には)

 少女は、通りの角を曲がって見えなくなった。

(ああ、いかん、いかん。格上とか格下とか、女性を値踏みするのはひんが無いな。自重しないと)

 行商の荷車の前で、焼き菓子を食べ終えてからアラツグが言った。

「じゃ、俺もそろそろ行きます」

「包み紙、捨てといてやるよ」

「あ、すいません」

「それから、なあ、剣士の兄さん」

 薬屋があごきながら意味深いみしんに笑う。

「さっきの女の子が、おめえさんに体を密着させていたのは……」

「……はあ?」

「おめえさんは『あのがガキなだけだ』みたいな事、言ってたけどな……」

「……」

「ありゃ、案外『わざと』かも知んないぜ。誘ってんだよ。おめえさんを」

「えっ……ええ!」

「女の子を甘く見ちゃ、いかんよ。子供だ、子供だ、って思っているのは俺らだけでさ、案外、男を手玉に取る技術は本能的に身につけてるもんなんだぜ。あの年頃でもな」

「そ、そ、そんなこと言わないでくださいよ。そんなこと聞いちゃったら、意識しちゃうじゃないですか!」

「まあ、あんたよりちょっとばかり余計に人生を生きたオッサンからの忠告だ」

「なんか、痛い経験したことあるんスか?」

「……まあな」

 二人の男の間に、しばし、沈鬱ちんうつな空気。

「じゃ……じゃあ、俺、行きます。お菓子、美味しかったっス」

「おう。えんが有ったら、また会おう。剣士の兄ちゃん。

「もちろん!」

 薬の行商と別れ、エステル・パナデッロの後を追うように歩く。

 アラツグは背が高く、脚が長く、歩幅が広い。そのぶん平均的な大人より遥かに歩速がある。

「こりゃ、すぐにエステルちゃんに追いついちゃうな……」

 薬売りに言われて、エステルを意識してしまった今、どんな顔をして彼女に会えば良いのか分からない。

「まったく。オッサンが余計な事言うから」

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