アラツグ、風呂場で童話作家と会う。

1、アラツグ


「もう一度……会いたい……なぁ」

 アラツグは、下宿のベッドの上で枕を抱きしめながらつぶやいた。

「あああ! もう、会いたい、会いたい、会いたい、会いたい! あいたいよぉぉおおおー! スュンさ~ん!」

 枕を抱きしめたまま、ベッドの上で打ち回る。

 ローランド・ブルーシールドと別れ、下宿の自分の部屋へ戻って剣を外し、シャツとパンツになってベッドに寝転がって、もう半時間以上も、こんなことを繰り返していた。

「スュンさぁあああ~ん、好きだぁあああ~!」

 思わず叫ぶ。

 叫んだ直後、隣の部屋の扉が開く音がした。

 足音がこっちに向かってくる。

 こんっ、こんっ……

 誰かがアラツグの部屋の扉をノックした。

「ブラッドファングくん、ブラッドファングくん。今、何やら大きな叫び声が聞こえたが、大丈夫かい?」

 隣に住む童話作家のアルフォンス・ムタイが廊下から呼びかける。

(や、やべぇ……スュンさん好きすぎて、大声を出しちまった)

「あ、いや……大丈夫です……く……蜘蛛くもが……そ、そうだ。でっかい蜘蛛が居たんで、思わずビックリして叫んじゃったんです」

「蜘蛛? それで、大丈夫なのか?」

「ええ。退治しました。もう、平気です」

「そうか……それなら良いんだが……」

 ムタイが部屋に戻る足音が聞こえた。

「……ふぅ」

 ベッドに横向きに腰を掛けて、ため息を吐く。

 それから両手で髪の毛をくしゃくしゃといた。

「ああ、もう駄目だ。抑えきれねぇ……」

 言いながら、シャツとパンツをゆかに脱ぎ捨て、全裸でベッドにダイブする。

 枕を縦にして、その横に片肘かたひじを突き、枕に覆いかぶさるような姿勢をとった。

「スュン……きれいだよ……」

 真顔で(枕に向かって)言う。そのまま顔を近づけ(枕に)キス。

 最初は軽く(枕カバーを)甘噛みし、それから(枕カバーに)舌をからませた。

 しばらく(枕カバーを)舌で回した後、軽くれるかれないか、という繊細さで、(枕の)輪郭線に沿って舌をわす。

 そのままを舌を(架空の)首筋へ……

(架空の)首筋をゆっくりとくだって(妄想上の)鎖骨に沿って舌を一往復。じっくりと味わう。

 その後、舌を、形の良い(と、勝手に決めつけた)乳房へ。

 しかし、いきなり(存在しない)乳首をもてあそぶようなことは、しない。

 まずは、その形の良い(と、勝手に決めつけた)乳房の周辺部を丹念に舐めながら、口元で乳房の柔らかい感触と味を堪能した(気になった)。

「んっ……」

 たまらず、スュンの口からうめき声が漏れた……(という設定で、自分でうめいてみた)

 妄想は続く……


2、アルフォンス・ムタイ


「ふう……」

 ひとしきり、妄想の時間を終えて、下宿の共同浴場へ。

 いつでも入れる風呂が下宿に備わっているというのは、本当にありがたい。

 脱衣所で服を脱ぎ、洗い場で体を良く洗ってから、今日二度目の湯船に浸かる。

 ほっ、と一息吐く。

 だれかが脱衣所に入ってきた。

 じきに扉が開き、隣の部屋に住んでいるアルフォンス・ムタイが姿を現した。

「何だ、いたのか」

「おはようございます」

「ああ、おはよう」

 洗い場に座り、手に持った石鹸で髪の毛をゴシゴシやりだす。

「しかし、さっきは驚いたぞ。いきなり大声が聞こえたんでな」

 髪を洗いながらアラツグに語りかける。

「……すんません」

「僕が言うのもなんだが、良い若い者がに仕事もせず、そうかといってアカデメイア神殿に通うでもなく、毎日毎日、下宿部屋でモンモンとしているのは精神衛生上好ましい事では無いぞ」

 それを言われたのはローランドに次いで今日二度目だ。

「ええ。分かってます。明日は、剣士組合ギルドに行ってみようかと思ってます」

「……そうか……」

 アルフォンス・ムタイは、頭と全身を洗い終わると、アラツグといっしょに湯船に浸かった。

 へりを載せ、天井を見上げる。

「この間言っていた、新作の構想、出来たんですか?」

「ああ。まあね。お隣さんのよしみとして、特別、君には教えてあげよう。

 誰にも言うなよ? まず一つは、青い猫の話だ」

「青い猫?」

「そう。耳の無い青い猫。実は機械じかけの人形だ。二本足で歩いて、なぜか腹の所にポケットがあって、そこから魔法の道具を出して主人公を助けるっていう。……どう? 聞いてるだけで売れそうでしょ? 僕、天才だなぁ……」

「それ、めた方が良いですよ。俺の生まれた村の、古代ニホンの古文書にありました。その話。確かタイトルは『ドラ……何とか……えもん』」

「え? 本当? じゃ、じゃあ、こういうのは? 勇者の話なんだけどさ、その勇者、頭がパンで出来てるの」

「はぁ……」

「そんで、パンの中には『あんこ』っていう甘く煮詰めた豆のジャムが入っていて、敵をやっつけるんじゃなくて、自分の頭を食べさせて、困っている人を助けるっていう……どう? 斬新な勇者でしょ?」

「ああ、その話も古代ニホンの古文書にありました。確かタイトルは『アンパ……何とか……ンマン』」

「ほんとかよ……とほほ。ブラッドファングくんの地元、なんでそんなに古代ニホンの古文書があるの? まさか、君、古代ニホンの末裔? そういや、髪も瞳も黒いし……」

「さあ、どうでしょう? だとしても、引き継いでいる血は何千分の一でしょうね」

 アラツグは、ムタイの横顔を見た。

 年齢は二十代後半だろう。アラツグより十セ・レテムほど背は低い。

 いかにも文科系の職業に就いている者らしく、ひょろりと痩せた体つきだ。

 そして、スュンを思わせる褐色の肌……

「ブラッドファングくん、さっきからジロジロ僕の顔を見ているが……顔に何か付いているかい?」

 顔を天井に向けたまま、ムタイが問いかける。

「え? ああ、すいません。今更いまさらだけどムタイさんって、けっこう肌の色、濃いなーって。まるでダーク・エルフみたい」

「はは。ダーク・エルフか。そりゃ良い」

 ムタイがアラツグの方に顔を向けた。

「僕の生まれた町には、こういう肌の色をした住人は結構たくさん居たんだがな。そういや、この町では、あまり見かけないなぁ」

「俺の生まれた村にも居ませんでした」

「僕はね。ブラッドファングくん。六千年前に故郷を追われたアフルーン人の末裔らしいんだよ。まあ、長い年月が経っているから、純粋という訳では無いだろうが……」

「アフルーン人、ですか」

「ブラッドファングくんも聞いたことくらいあるだろう? アフルーン大陸の悲劇の伝説を?」

「い、いや……すいません。知りません」

「それじゃあ、ちょっと講義してやろう。はるか昔、この世界には、現在知られている二つの大陸の他に、アフルーン大陸と呼ばれる場所が有った。その地に住む褐色または黒い肌をした人々……つまり、僕の祖先だね……は高度に発達した先進文明のもと、豊かに、幸福に暮らしていた。……だが、悲劇は突然起きた」

 そこで、劇的効果を狙ったのか、ムタイは一呼吸置いてアラツグを見た。

「悲劇、ですか?」

「そう。今から六千年前、とつぜん世界を襲った現象……それが、どんなものだったか、今となっては誰も知らないが。……とにかく、何か人智を超えた巨大な災厄がアフルーンの地を襲い、大地は海中に沈み、文明は一夜にして崩壊、アフルーン人たちは故郷を追われた。それを救ったのが英雄ムブウェハだ。英雄は、我々の祖先を導き、世界各地に安住の地を与えてくださった……」

「へええ」

「まあ、伝説だからね。どこまで本当だか。……世界中に僕みたいな肌の色の人間が住む町や村が点在している、って事は、その伝説にも何がしかの真実が含まれていると歴史学者は考えているよ。……そうか、君はアフルーンの伝説を知らなかったのか……じゃあ三千年周期説というのも、当然知らないんだろうなぁ」

「何ですか? 三千年周期説って?」

「この世界には大変動が起きる周期があって、三千年ごとに大きな災厄に襲われる、っていう説さ。そのたび何処どこからか英雄が現れて人々を救うという付きだ。六千年前のアフルーンを襲った大災厄と、それを救った英雄ムブウェハ。三千年前の英雄ゼリッド。

 ……と、すると、そろそろこのあたりで巨大な災厄と英雄の出現があるんじゃないかと考える者たちが居るわけさ」

「ちょっと待って下さいよ。六千年前と三千年前、たった二つの現象では周期性なんて決められないんじゃないですか?」

「よく気づいたね。そういうこと。まあ、大部分は妄想癖のある破滅論者のさ。現在がその三千年周期に当たっている、っていうのも、奴らにしてみれば興奮するんだろ」

「ムタイさん、なんで、そんな事に詳しいんですか?」

「まあ、僕は童話作家だから。妄想イマジネーションを売るのが仕事みたいな物だからね。この手の妄想がガンガンに効いたトンデモ学説には目が無いんだよ」

「あっ、そうだ。童話と言えば、ムタイさん、ダーク・エルフが主役の童話を書いてましたよね?」

「書いてるよ。『魔法少女ヒルドル・シリーズ』……最新巻は、第六巻『ヒルドルとワルハラ宮殿の混浴温泉』絶賛発売中だ」

「何ですか? それ。子供が読んでも大丈夫なんでしょうね? まあ、それは、それとして……じゃあ、ムタイさんはダーク・エルフに会ったことは有るんですか?」

「無いよ」

「そ、即答ですね」

「だから言ったろう? 童話はで書くもんだって。会ったことが無くても『さも、見てきたように書く』これが僕たち妄想で飯を食ってる者の腕の見せ所だろ?」

「そんな物ですかねぇ。じゃあ、ダーク・エルフに関しては……」

「何にも知らない。リアルなエルフには興味ない」

「言い切りましたね」

「何で、そんなにダーク・エルフにこだわるの?」

「い、いや、別に」

 そこでアラツグは、もう一度アルフォンス・ムタイを見る。

(見れば見るほど、スュンさんと似た肌の色だなぁ……ハッ! と、言うことは……)

 アラツグ、思わずムタイの乳首を見る……

(ス……スュンさんの、ち、乳首もあんな色なんだろうか?)

「ブラッドファングくん、何、今度は僕の乳首、ガン見してんの? さっきは何やら熱っぽい目で僕の顔を見ていたし……あっ、ま、まさか、君は……ぼ、僕の事を」

 そこで、ムタイ、「いやん」って感じで自分の乳首を両手で隠す。

「何ですか?」

「ぶ、ぶらっどふぁんぐ君、き、気持は、嬉しいが……じ、実を言うと、僕にはもう、しょ、将来を誓い合った女性が居てね……悪いが、そ、その、き、君の気持には答えられそうに……」

「はあ? 何、勘違いしてるんスか。ムタイさん。俺は、ただ、スュンさんの乳首って、どんな色かなぁーって……あ……」

「何~? スュン~? 誰だよ~そいつ~答えろーっ!」

 今まで、必死にガードを固めていた童話作家ムタイ、いきなりアラツグに襲いかかり、頭を鷲づかみにして湯の中に浸ける。

「分かった、分かりましたって、言いますよ、言いますから……ぶくぶくぶく」

 それから、アラツグは(仕方なく)ムタイに今朝あったことを話した。

「ふ~ん。ダーク・エルフの美少女ねぇ……で、やっぱり好きなん? そののこと」

 ムタイの問いかけにアラツグが(ちょっと照れながら)答えた。

「そりゃ、まあ、すっげー可愛いし」

「でも無理だろうなぁ……たぶん」

「やっぱり、ムタイさんも、ローランドやフリューリンクさんと同じ意見なんですね。あきらめろ、っていう」

「そうは言わないよ。当たってみなよ。正直、可能性は限りなくゼロに近いとは思うけど。当たって砕けるのも十代の特権さ。十代の恋はさぁ、経験が浅いだけに破れてしまったとき過剰に落ち込んじゃうんだよね。それこそ、この世の終わりだ、みたいにさ。でも、案外、十代の傷は軽いんだよ。ちょっとしたきっかけで、すぐに次の恋を始められるんだよね。これが二十代後半にもなると、なかなか、キツいんだよなぁ。僕も今の彼女に決めるまでに、そりゃ色々あったからさ。振ったり振られたり」

「……」

「僕、のぼせちゃったから、そろそろ出るよ。まあ、頑張ってな。応援してるよ。……無理だと思うけど」

「最後の一言、余計ですよ」

 童話作家アルフォンス・ムタイは、湯船から上がって脱衣所へ向かった。

 脱衣所の扉を開けながら、アラツグを振り返る。

「あ、そうだ、ブラッドファングくんって、アカデメイア神殿に進学する気は全然無いの?」

「どうしたんですか? 突然? まだ仕事は無いけど、一応これでも組合ギルトから帯剣許可証を発行してもらったプロの剣士ですからね。剣士として生きて行きますよ。アカデメイア神殿に寄付する金も無いし、親も居ないし、第一、俺の頭じゃ合格うかりませんよ。修行中、師匠に最低限の読み書き計算は教わりましたけど。その程度じゃアカデメイアなんか無理でしょ」

「そうか……金は、奨学金でも何でも、やりようは有ると思うが……まあ、それも君自身の判断か。……ただね、ブラッドファングくん。僕は、君と話すと、いつも思うんだよ。この少年には、持って生まれた『頭の切れの良さ』が有るぞ、ってね。そんな少年が、来る日も来る日も下宿部屋に一人こもって、その持って生まれた感性を磨かないなんて、もったいないなぁ、と。……ま、今日は、この辺にしておくよ。また今度、風呂場で会った時には話でもしようじゃないか。その、僕と肌の色が近いっていうダーク・エルフの女の子? 彼女に振られた話でも聞きたいしさ」

「なんで既に過去形なんスか」

「そのの乳首の色をイメージトレーニングしたくなったら、いつでも来なよ。こんなんで良かったら、いくらでも見せてやるぜ」

 そういって童話作家アルフォンス・ムタイは、自分の両乳首を両手でちょろちょろした。

「勘弁してください」

 ムタイが出て行ったあと、一人湯船の中で天井を見上げる。

「なーんか、ムタイさんまでローランドと似たようなこと言ってたな。『持って生まれた能力を一人籠って磨かないのは持ったいない』か……一人でブラブラしているのが、そんなに罪なんですかねぇ……って、そりゃそうかもね。明日こそ、本当に組合ギルド行って仕事紹介してもらうぞ」

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