一話 王都事変 その二 老騎士ガレウン

 ある貴族の屋敷。その庭先に二つの人影があった。一人は男、顎も頭も白くなり、年季の入った皺が濃い。老年期を迎えて久しい。この屋敷の主人だ。男の方は、老人は、平均的貴族階級の平均的な広さの庭先を難しい顔をして右往左往している。時折目をカッと見開き、何かを言いかけて口を開くが、思い直しすぐに口を噤み、また難しい顔をする。きっと言葉がまとまらないのだろう。


 もう一人は女だった。女の方は麺処『ケイアン』にてヤクザ者を殺害したあの少女だった。少女は地べたに座し、目を瞑り、頭をちょっぴり垂れていた。一見するとそれはしおらしく、反省の態度に見えるのだが、内心彼女は反省など微塵もしていない。彼女の言い分では、あれは殺人ではなくて誅殺。治安維持のため、自らの職務柄やむを得ないことだったそうだ。


 老人はキッと従容なフリをする少女へと鋭い視線を向けた。今日、ここで少女に向けた視線の中で一番の鋭さを見せた。ようやく少女にかけるべき言葉がまとまったのだろう。


「リィン、おぬし、何故殺した?」


 リィン。それが少女の名だった。老人は努めて冷静に言ったが、内心の怒りを完全に隠すことはできていなかった。言葉の端に怒りがチラついている。


「そこいらの暴漢とはいえ数も多く、面構え、体格、から察するところ、中々の腕前の持ち主、油断ならぬ大敵と推察し……」

「黙らっしゃいッ!」


 老人は一喝した。口から唾が飛んだ。リィンは露骨に顔をしかめ、深く頭を垂れた。もちろん、反省のためではない。唾を顔面で受けたくなかっただけだ。


「店の連中によると勝負は一瞬、目にも見えぬ速さで決着したと聞いておる。いや、聞くまでもない! 俺はおぬしの腕前を知っておる。いかに相手が数に勝っていようとも、たかだか相手は下町の暴漢。おぬし自慢の『神速剣』の敵ではない。このガレウンがそんなこともわからんと思ってか!? 俺がそこまで耄碌したと思ってか!?」


 老人、ガレウンはカーッと大口を開き、またまた唾を撒き散らして大喝した。


「『神速剣』……。そんな名がついていますか。何だか気恥ずかしいですね」


 気恥ずかしいとは口にしつつも、リィンは気恥ずかしい素振りなど一切見せていない。別に内心気恥ずかしいわけでもないのだろう。


「そんなことを恥じるよりは暴漢どもを殺さず捕らえられない未熟な腕を恥じろッ!」

「返す言葉もありません」


 リィンは恭しく平伏した。正に銀のような銀髪がさらりと揺れた。無論、平伏はポーズだ。彼女はここに呼び出され座らされた時から、説教が一秒でも早く終わることしか願っていないし考えてもいない。


「見せかけの反省などいらん! 俺はおぬしに行動で示して欲しいのだ! いい加減殺さずにしょっ引く方法を覚えいッ!」

「努力します」

「前も同じことを言っていたな。最後には『努力する』だ。前にその言葉をおぬしから聞いたのはいつだったかな? おぬしおぼえているか? 俺は覚えているぞ。たった一週間前だ!」

「八日前です」

「一週間も八日も変わるかッ! 俺はな、努力しますという言葉をおぬしからもう三週連続聞かされているのだ!」

「三週もお呼びになるからです」

「生意気を言うなッ!! 三週連続で暴漢を容赦なく斬り殺すともなれば呼ばずにおられんわッ!」


 今までで一番唾が飛んだ。リィンは自慢の銀髪に唾が降りかかるのを感じてさらに露骨に嫌な顔をした。それをガレウンに悟られまいと、地面に顔が着きそうなほど深々と平伏した。幾条かの銀髪が土に落ちた。老人の唾よりましだ。少女はそう思った。


「容赦なくではなく、容赦できないのです。容赦をする余裕がないのです」

「余裕がない? どういう意味だ?」

「互いに剣を抜いたからには、もはやそこには殺すか殺されるか、それしかありません。私にもう少しばかり実力があれば、敵を殺さず制することが出来るかもしれませんが……」


 リィンは言った。これは正直な告白だった。彼女は自惚れを嫌い、手を抜くことを戒めている。彼女にとって殺さずに事を済まそうとすること、そういう考えは自惚れ、手を抜くことに通じかねなかった。自惚れては剣が鈍る。手を抜いては足元をすくわれる。凶器を持ち、殺気を放つ敵の命の心配までするということは、彼女にとって自惚れ、手抜きの最たるところだった。互いに剣を向けあったなら、そこは命を賭した戦場、という考えが彼女の根本にはある。それらは総て、リィンの亡き祖父から剣の技術とともにみっちり仕込まれている。


 しかしそれは少々古びた考えだった。世は昔ほどに戦争に満ちていない。かつて幾日も戦争に明け暮れ、戦場を馬で疾駆した騎士が、常在戦場というあまりにも苛烈な考えを身に着け、実践するのはおかしなことではない。しかしリィンはそうではない。彼女は戦場に出たことがない。彼女の祖父がそうだった。リィンとその祖父ではもはや時代が違う。激戦の時代と下火の時代では世の風潮、論調、空気といったものがガラリと変わる。世は、一世を風靡した戦場由来の武人としての、騎士としての逞しさ、激しさを嫌うようになっていた。かつて命の大量消費されていた時代に比べて、命は貴重なものになっていた。例え悪人の命であっても疎かにしてはいけない風潮へとシフトしていた。


 リィンは気付いていた。世の中が自分と合わないことを。気付いていても彼女は自分を変えようとはしなかった。彼女に根付いた、祖父由来の旧来の気質は、もはや彼女にとって誇りそのものになっていたから。リィンは騎士だ。騎士にとって誇りは捨てるものでもなければ失ってもいけないものだ。


 ガレウンは目を瞑った。さっきから色々とリィンを責めたてた彼だったが、彼の本心は、むしろ彼女の旧来の武人気質を好ましく思っていた。彼の本質もまた旧来の武人気質、旧来の騎士そのものだった。リィンの祖父とともに、幾度となく戦場を駆け抜け、戦場の空気を吸ってきたのだ。


 しかしガレウンは頭の固い老人ではない。世の風潮が自分のような旧い人間を好ましく思っていないのもわかるし受け入れてもいる。世の移り変わり、平和主義の風潮、時折ガレウンが吐き捨てる言葉を借りるなら、『軟弱な風潮』が、蔓延していることも、内心苦々しくは思うものの、それについても理解はしている。自然が、民が、新しい世代の騎士たちが、そしてガレウンの主君である、王でさえが『軟弱な風潮』を歓待しているのだ。王がそれを推進し、奨励しているのだから、配下であるガレウンは、内心は思うところがあっても、それをおくびにも出さない。ガレウンは王の立派な忠臣だ。世に示しのつかないことはしない男だ。それが、化石の男の忠義だった。


 ガレウンとしては、本当はリィンを褒めてやりたかった。不逞の輩を成敗するのは騎士として当然のこととガレウンは考えている。その結果、たとえ不逞の輩が斬死にしたとしても、大した問題ではないはずだった。


 しかし時代は変わった。かつてはまかり通ったことも今ではもう通らない。世とともに二人の所属する『警察騎士団』の規範も変わってしまった。


 国内の不法行為を取り締まる『警察騎士団』、その規定は旧風潮から改訂されているわけではない。リィンの行為は規定に抵触するものではない。しかし、それはただ法整備が風潮に追いついていないだけだ。現実にもよくある話だ。王は折と機会を見て法整備を進めるつもりだが、何分目先の問題に追われて都合がつかない。突然騎士団に『明日から極力斬り殺さずに捕まえろ』と触れをだしても混乱するだろう。それらの事情をくんで、取りあえず、『正式でない通達』、法執行前の予行演習として、『警察騎士団の規範』というあくまでも法的根拠によらないものをまず先に改めさせた。


 それは王が予期していたよりもすんなりと『警察騎士団』に浸透した。特に他国との戦争を知らず、旧騎士の気概も教わっていない若い騎士たちは特に呑み込みが早かった。若い騎士たちは戦いを恐れていた。斬り合いなどまっぴらごめんと念頭にある。そういう若い騎士たちにとって新たな『警察騎士団の規範』はありがたかった。規範には、不逞の輩を殺さずに捕らえられない可能性のある場合は、無理をしなくていい、という風な捕捉があったからだ。法ではなく、あくまでも規範だから殺さずに捕らえられない場合(これが、どのような場合を指すのかは一切書かれていない)、という非常に曖昧なことが書かれてあった。この一文のおかげで、『警察騎士団』の犯罪検挙率は激減した。若い騎士達は、良く言えば慎重になった。悪く言えば、臆病さを増長させた。いざ不逞の輩と対峙しても、数で負けている場合は新たな規範に従って、無理せずその場を退散した。軟弱で頼りないことこの上ない。


 そんな有様だから、不逞の輩にも平民にも貴族にも侮られる。侮られているから犯罪発生率も微々ではあるが上昇傾向にある。若い騎士たちは侮る声がいたる方面から聴こえているはずなのに、『警察騎士団の規範』に則っているだけだ、と規範を盾に聴こえていないフリをする。


 犯罪発生率が微上昇で済んでいるのは、多くの警察騎士たちがまともに取り締まれなくなった中で、旧来の気質をもった騎士たちが旧来の方法で取り締まりを行っているせいだ、とガレウンは考えている。


 少ない旧来の騎士たちが変わらずその剣で悪人どもを震え上がらせているから、それが抑止力となっている。


 ガレウンはそういう観点からもリィンを褒めてやりたかった。しかし、それはできない。『警察騎士団の規範』に違反している。規範に罰則はないが、度々違反を繰り返すとなると問題になる。騎士団の上に目を付けられれば厄介だ。下手をすれば騎士団からの追放。さらに悪ければ貴族階級の剥奪だってありえる。


 ガレウンはそれを危惧していた。ガレウンだけではない。リィンの同僚、直接の上司までもが心配している。


 しかし当の本人は、周りの心配もどこ吹く風で、一向に行状を改めようとはしない。


 この頑固さはガレウンの友、リィンの祖父譲りのものだろう、とガレウンは思った。『焼き』が入り過ぎている。金属の耐久性を向上させる加工技術『焼き入れ』。しかしそれも度が過ぎれば、逆に金属は弱くなる。これは人間にも同じことが言える。『焼き』を入れ過ぎて、人間本来の柔軟性を失ってはならない。その点、リィンは少しばかり『焼き』が入り過ぎている。そう、ガレウンは思う。


 リィンは、亡き祖父から騎士道精神、技術、等々を骨の髄まで叩き込まれている。あろうことか頑固さまでもが祖父譲りだ。あまりに頑固過ぎるのだろう、『警察騎士団の規範』と祖父から叩き込まれた騎士道精神、リィンの中でこの二つが相容れない時があるのだろう。麺処『ケイアン』で起きた事件もまさにそれだ。騎士団の規範では、殺さず捕らえられない場合には無理をするなとあるのだが、リィンの骨の髄にある騎士道精神はそれを許さないのだろう。リィンがもう少し物の分かる人間であったなら、騎士道精神ではなく、規範を優先しただろう。しかし、リィンにはそれが出来ない、骨の髄まで頑固一徹だ。


「リィン、おぬしの言うこともわからぬではない」


 ガレウンが呟くように言った。


「しかしだ、おぬし、警察騎士団団員となったからには『警察騎士団の規範』を守らなければならんぞ」

「努力はしておりますが……」

「いや、おぬしはまだ最大限の努力をしていない。おぬしには特異な魔術補助、『神速剣』があるではないか」

「それをもってしても、殺さずに捕らえるのはなかなか難しく……」

「否! 捕らえられなくとも良い! おぬし『警察騎士団の規範』を心得ておらんのか!? 規範にはこうある、殺さず捕らえられない場合には無理をするなと。『神速剣』を遣えば、捕らえられずとも、殺さずに済むではないか」


 リィンはハッとなって平伏していた面をサッと上げた。新雪のような面に、紅葉のような赤みが差した。瞳はわずかに潤み、非難の色がありありと見える。


「お言葉ですがそれは出来ません! 騎士が敵に背を向けて逃げ出すなど、絶対に出来ません! 私が言うまでもなく、爺様にはそれがお分かりになるはず!」

「おぬしは騎士道を履き違えておる! 騎士とは王に仕える者のことだ。その王の御意志を無視し、他人を顧みず己が道をひた走ることが騎士道と思ってか!? そのような自分勝手は忠義にあらず! 忠義無きは騎士にあらず!」


 リィンの言葉も鋭かったが、それにも増してガレウンの言葉は激しかった。その差は親心の差とでもいおうか。ガレウンはリィンを我が孫娘と思うが故の激しい叱責だった。


「し、しかしそれでは士道が……」

「何を言うかッ! 士道というのはおぬし一人の勝手な考えを世に押し付けることではない! 時が移れば士道も移る、王が代替わりすれば士道もまた代替わりをするのだ! それをとくと弁えるまではおぬしの出仕を許さん! 命があるまで自宅謹慎だ!」

「そ、そんな……! お待ちください! 爺さま!」


 リィンは狼狽えた。さっきまで赤かった頬がさっと青くなった。そのあまりにも哀れな様は年相応の若さが、いや、幼さがあった。


「騎士ともあろうものが見苦しい真似をするなッ!」


 ガレウンは一喝した。また唾が飛んだ。この時ばかりはリィンも唾が顔にかかることなど気に留めなかった。それ以上にショックが大きかった。若い彼女は自宅謹慎の意味を言葉以上に重く受け止めてしまっていた。出世の道が遠のいた。いや、ひょっとしたら閉ざされてしまったのではないか、そう受け止めた。彼女はことの重大さにがっくりと肩を落とし、顔を俯かせた。泣きたい気持ちはあったが、流石に涙はこぼさなかった。騎士は人前で軽々しく泣いてはいけない。そう祖父に教えられていたから。


「分かったら下がれ! 良いな、別命あるまで自宅謹慎だ!」

「はい……、爺さま……」

「爺さまはよせ! 昔とは違うのだ。俺はおぬしの上司だぞ。節度を持て」


 そう言って、ガレウンは庭を後にした。内心、彼はしまったと思った。親しい者への愛情は時々行き過ぎる。この場合もそうだった。ガレウンは上から注意を仰せつかっただけだったのに、仰せつかりもしない処分を言い渡してしまった。罰則を与える権限があるにしても、少しばかり重すぎた。


 リィンの過大な処分を世間が同情の目で見てくれればそれで良いか。ガレウンはそう言って自分を慰めた。


 ガレウンが去ってからも、リィンはしばらくその場を動けなかった。様々な感情が胸に渦巻き、一種の虚脱状態だった。


 ようやくリィンは立ち上がった。キッと目線を高くし、胸を張った。意識して、堂々と足を踏み出した。騎士がいつまでもしょげてはいられない。リィンはそう思い、堂々とした振る舞いを心掛け、堂々とした足取りでその場を後にした。

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