神剣の遣い手
摂津守
一話 王都事変
一話 王都事変 その一 女騎士リィン
ズルズルズル。
店の中のあちこちで麺をすする音がする。テーブル席六つとカウンター席六つを持つ麺処『ケイアン』はこの瞬間までは平和だった。だがしかし……。
「テメェッ! 表へ出やがれぇッ!」
と、そこへ突然何処かの誰かの怒号が起こった。
ピタリ、と店の中の客、一人を除いて全員が手を止め、怒号の方へと視線を向けた。
次の瞬間、怒号は喧騒へと変わった。
二つのグループが喧嘩を始めていた。どちらも三人組だ。どちらも、いかにも喧嘩っ早そうで、また腕っぷしも強そうだ。どちらもただの町民ではなさそうだ。まず顔や露出した二の腕などに古い傷痕がある。さらには鍛え上げられた肉体。その上武器を持っている。どいつもこいつも腰に剣を差している。
チンピラ、またはヤクザ者に違いない。
この国、この町では武器を持つことは禁じられていない。とやかく細かい規制はあるものの、彼らの腰のものはそれらに抵触してはいなかった。
二つのグループは額やこめかみの辺りに青筋を立て、雁首を並べて凄んでいる。一触即発だ。どっちのどいつもいつ剣を抜いたっておかしくはない。
武器を持つことは許されていても、それを町中で使用するのは大事だった。間違いなく、この町の治安を守る警察騎士団による取り調べを受けることになるのは明確だ。正当防衛なら問題はない。が、先に抜いたことが目撃者の証言により発覚した場合、最悪は死刑も免れない。
だから二つのグループは即座には抜かない。そこには傍目からにはわからない、目には見えない緊張感が漂っている。先に抜けば喧嘩に勝とうが負けようが、罪は免れない。
先に焦れたのは、周りの観衆だった。
「なんだーッ! その腰のモンは飾りかぁ!?」
観衆の誰かが言った。
それが合図となって、観衆は皆、一斉に、口々に囃し立てた。下町の安麺屋には理性の無いその手の野郎どもが、いや、男に限らず、その手の人間が多い。火事と喧嘩は江戸の華とはいうが、無教養で娯楽に飢えた平民のいる地域というのは、江戸に限らずショーに飢えている。彼らにとって手っ取り早いショーが喧嘩だった。
喧騒のボルテージは最高潮を迎えつつある。囃し立てられ、いよいよ二つのグループの六人の男たちの腰の剣に手がかかる。もう六人の男たちの喧嘩は避けられなくなった。ここで喧嘩を止めたなら男が廃る。それが当然、という文化、地域に生まれ育っているからだ。
店の主人も給仕も、自分の仕事をしながらチラチラと六人の男たちに視線を送っている。彼らはもう店の中で喧嘩をやられるのは慣れていた。店を出した当初は多少迷惑がっていたが、主人も給仕も根っこが下町育ちだから、今では逆に、仕事中の息抜き、ありがたい娯楽、くらいに見ている。
やんややんや、やんややんや。
喧騒も二つのグループに走る緊張感も最高潮。誰もが、いよいよか、そう思った。その時だった。
「ちょっと待った!」
別のとこから大音声が上がった。その声は喧騒中を驚くほどによく通った。男にしては甲高い声、いや、それは女の声だった。それもまだ若い。声はどこからだ? 店の奥、カウンターの最奥だ。店の中にいる全員が、一斉に大音声の主へと視線を投げた。
そこには一人の少女がカウンター席に座っていた。彼女の目の前には空になった器があった。齢は二十前くらいだろうか。
少女は全員の注目を集めることに成功すると、すっくと立ち上がった。
立ち上がると、店の中にいる全員に彼女の姿があらわになった。店の給仕と主人と、当の本人を除く全員が驚きの声を上げた。
少女は明らかに貴族だった。。着ている物の質が違う。いや、それだけでない。大きな宝石のような双眸、筋の通った小さな鼻、艶やかな唇、きめ細やかな白い肌、艶々と光るセミロングの銀髪。顔の造り、立ち居振る舞い、その全てが、この店には不似合いだ。掃き溜めに鶴とはまさにこのことだ。
驚くべきことに、彼女の腰には細身の剣があった。ただの貴族の少女ではない。皆が悟った。
皆の注目を集める中、少女はゆったりとピッチリしたズボン(ズボンの上から短いスカートを履いている)の後ろポケットから革の手袋を取り出し、それを手にはめた。そのあからさまな貴族的優雅な振る舞いは、短絡的かつ我慢や忍耐といった言葉を知らない下々の目から見て、勿体ぶっているように見えた。
「テメェッ! 何のつもりだ!?」
二つのグループの片一方、リーダー格の男が叫んだ。中々の勇気だ。貴族に生意気な口を聞ける平民は、よっぽどの豪胆の持ち主か、もしくはただの馬鹿か。まず並の平民ならそんな口は聞けまい。この国の階級社会は絶対的だ。
「それはこちらの台詞だ」
少女は凛々しく言って返した。
「町中での喧嘩は御法度、普段なら問答無用でしょっ引くところだが、今日の私は非番なのでな、特別多めに見てやる。双方このまま収めるのならば罪には問わん」
「生意気な口を利きやがるガキだ。貴族だからって調子に乗りやがって。大人の男に対する口の利き方を教えてやろうか?」
「ほう、教えるとはどうするのだ? お前のような知性の欠片もなさそうな男が、人に物を教えられるのか?」
「なっ、なんだとぉ……!」
「どうも私にはそうは見えん。何せ、私の言っている言葉の意味さえ解し得ないようだしな」
「舐めやがってクソガキがッ!」
リーダー格の男はキレた。剣を抜いた。それを合図に二つのグループの全員が剣を抜いた。剣を抜いた瞬間、観衆たちは少女と二つのグループから、さっと離れた。
観衆の誰もが思った。いよいよ、喧嘩が始まる。自分たちで囃し立てておきながら、いざ喧嘩が始まるとなると観衆たちは怖ろしさと興奮のあまり息を呑んだ。
「抜いたな。これでもう見逃せなくなった。抜剣は重罪だ」
そう言って、少女も剣を抜いた。
少女の剣はレイピアと呼ばれる細身の刺突用の片手剣だ。対して、ヤクザ者共の剣はどれも幅の広く、いかにも重そうで、斬るというよりはその重量を活かして叩くという剣だ。
一対六。圧倒的に少女が不利だ。
しかし少女は全く物怖じしていない。それどころか余裕さえ見えた。
「剣を捨て降参しろ。そうすれば、命だけは助けてやる」
少女は堂々と言った。少女にしてみれば、それは慈悲のつもりの最終勧告だった。
しかしヤクザ者は、そうとは受け取らなかった。女にナメられている。そう受け取った。それだけで、彼らの怒りは頂点に達していた。
「テメェぶっ殺してやるッ!!」
いの一番に、最初に剣を抜いたリーダー格の男が少女に向かって突進していった。
それほど広くない店内だ。少女と男の距離はそれほど離れてはいない。わずか一秒ちょっとの時間で、もう互いに互いの間合いだ。
男が力一杯剣を振りかぶった。
その瞬間、男の首から鮮血が噴き出した。それはまるで赤い噴水だった。夥しい量の血液が付近の壁を赤く染めてゆく。男は白目を剥き剣を取り落し、床に倒れこんだ。即死だった。
何が起こったのか、それを理解していたのは少女ただ一人だけだった。観衆の目から見て、少女は剣を構えて立っていただけにしか見えていなかった。その場にいた少女を除いた全員が、リーダー格が何故床に這いつくばっているのか理解できなかった。
ポタリ、ポタリ。
床に血の滴る音がした。それは少女の剣先からだった。少女の剣先が赤く染まっている。その先から、溜まった血が雫となって床に落ちている。
それで、観衆たちは少女があの男に引導を渡したことを理解した。しかし理解は常識を超越していた。見えないほど速い剣捌き。観衆たちもヤクザ者たちも肝をつぶしていた。
「まだ、やるか?」
少女が言った。言葉は冷たくその場に響いた。
ヤクザ者たちは無言だった。その目はどれも驚愕に見開かれている。無言だったが、その意思は誰の目からも理解できた。彼らは皆一様に床に剣を取り落していた。それが自発的な降参の合図なのか、それとも無意識の行動だったのか、それはわからない。だが、彼らの目にもはや戦意の無いのは明らかだった。
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