二話 闘技場の吸血鬼 その三十二 エントリー

 リィン、カラン、ミンスクの三人は闘技祭受付の列に並んだ。とても長い列だ。列は一直線ではなく、いくつにもつづら折りになり、混乱やトラブルを避けるため、何人もの兵士たちが列を整え、警備している。


 並んでいる間、三人はほとんど言葉をかわさなかった。リィンは腕を組み、列が進むのを静かに待ち、ミンスクはカランのズボンを掴んだまま、大人しくしている。二人が静かにしているから、カランも黙っている。カランから話しかける理由も特にないからだ。


 ゆるやかに列は進む。列に並び始めて三十分ほど経った時、係員が三人に近づき、リィンとカランに一枚の紙を渡した。それには闘技祭のルールが記されていた。


 ルールは以下のとおりだ。


 『選手は正々堂々と戦い、対戦相手を倒すよう努めること』


 『選手は飛び道具以外のあらゆる武器を使用してよい。罠、毒の使用は禁止。魔法は対戦相手を直接傷つけるもの、対戦相手を対象と取るものの使用は禁止』


 『審判員の「始め」により、試合を開始する。「それまで」により、試合を終了する。選手が降参を宣言した場合は、審判員の声を待たず、即座に試合は終了となる』


 『降参の宣言はそれとわかるものでなくてはならない』


 『試合終了後の一切の戦闘行動を禁じる。違反者は失格。その試合は没収となる』


 『最後に立っていた者が勝利となる。戦闘続行が不可能な場合、または審判員がそう判断した場合、降参を宣言した場合、審判員の宣告の対象者、降参の宣言者は敗北となる。』


 『審判員は公明正大にして絶対』


 たったこれだけ。

 ルールの後に数行、但し書きがある。


 『闘技祭上のいかなる事象も、当運営は一切の責任を負わない』

 『試合開始一分以内の降参、または八百長が疑われる場合はファイトマネーは支払われない』

 『闘技祭の運営を妨害する者、審判員の指示に従わない者、闘技祭のすみやかなる進行に支障をきたすあらゆる行為、それらを当運営は実力を持って排除する』


 フレ・トゥーグラス=ディ・クレスラン


 領主の名があり、花押が捺されている。

 ルールはシンプル。だが、だからこそ、危険だった。


 リィンはルールを読んでも、大して思うところはないらしい。彼女はさっと流し読みすると、二度は読まなかった。再び腕を組み、列が進むのを待つ。


 カランはリィンと違い、この実にシンプルなルールに対して、眉をひそめた。シンプル故に過激過ぎた。すなわち闘技祭は、ルールのある殺し合いだ。最低限自衛のために短剣を遣い、積極的に命を取るようなことをせず、またしたくないカランにとって、この祭りはとても気味の悪く、悪趣味だった。


 カランはチラリとリィンを見た。リィンの顔はいつもと全く変わらない。


 基本的に人殺しは悪だとカランは考えている。だから、殺したり殺されたりする祭りなんか以ての外だ。しかし、カランは同時に、己の考えが、この世界では――少なくとも彼が出会い、旅してきたところでは少数派だということを自覚していた。カランからしてみれば、世の中はあまりにも殺伐としすぎているが、世間的に見れば、カランが優しすぎるのだ。カランから見れば、リィンもやはり、殺伐とした世界側の住人の一人だった。


 リィンは強い。だから負けることはあったとしても殺されることはない、とカランは踏んでいる。ほぼ間違いなく勝つだろう。闘技祭に出場するリィンを、その点は心配していない。しかし、殺さずに勝つかといえば、そうはいえないだろう。殺しが許容されたルールの中で、殺さずに勝つより、殺して勝つほうが安全かつ確実だからだ。


 カランとしては、リィンにできるだけ対戦相手を殺してほしくない。しかしそれはあくまでも個人的な願望だから、カランはそれをリィンに伝えるようなことはしない。というよりできない。殺さずに敵を倒すことは難しいからだ。殺さずに敵を倒すということは、相手の力量を見定めつつ、手加減をしつつ立ち回ることだ。それは一つ誤れば、自らの命を危険に晒すことになる。


 そんな危険をリィンに押し付ける訳にはいかない。リィンに相手を殺してほしくはないが、リィンが傷ついたり、死ぬのは絶対に見たくないし、あってはならないことだ。そう、リィンが死ぬことだけは絶対にあってはならない。


 カランの一番の心配事はそこだった。己の命よりも、リィンの命が気がかりだった。リィンを己の都合で闘技祭に引き込んだせいだ。


 リィンが元々闘技祭に出場する気があり、そのためにこんなところにいたということは、カランにも察しがつく。出る気、もしくは観る気も無い者がうろつく場所じゃないからだ。


 しかし結果は、自己都合に引き込む形となった。その点において、カランは責任を強く感じている。


 しかし今更、『やっぱり出るな』と言ったところで、リィンが聞き入れないことは、カランは百も承知だ。エタイトからここまで旅をしてきて、リィンが一度決めたことを、カランが覆せたことはほとんどなかった。リィンの頑固はテコでも動かないことを、カランは重々承知していた。


 それでも、一度だけでもやめるよう言ってみるべきか?


 カランは『出るな』と、言いかけては止め、止めては、やはり言うべきか迷う。


 そうこうするうちに、リィンとカランの受付の順番が回ってきてしまった。もはや期を逸してしまった。こうなってはもう仕方ないと、カランは自らの迷いに踏ん切りをつけた。


 受付係の説明は、さっきの紙に書かれたルールと何一つ変わらず、それ以外に付け足しもなく、あっさりとしたものだった。


 二人はすぐに闘技祭への登録を終えた。闘技祭の対戦は翌日からとなった。

 二人はミンスクを家まで送り届けた。


 久々に、リィンとカランは二人きりになった。何日かぶりだというのに、宿への帰り道の二人は終始無言だった。


 カランは踏ん切りをつけたつもりが、まだリィンの身を案じていた。リィンのことが気がかりだった。意識の上では、しっかりと踏ん切りをつけていたのだが、無意識のうちに、彼女を案じている。そのせいで、多少メランコリーになっていて、何日被りに会話をしてみようとする気すら起こらないのだった。


 リィンは、あまりにいつもと違う様子のカランに、気後れして話しかけられなかった。いつもわりかしクールに、感情を表に出さなず、達観したこの少年が、珍しく物思いに耽る様を見ると、どうにも話しかけられないのだった。


 無理に話しかけることもない、こういう場合はそっとしておくべきだ。と、リィンは思い、年長の優しさをもって見守ることにした。


 互いに互いを思いやっているのだが、どこか食い違うリィンとカランだった。

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