二話 闘技場の吸血鬼 その七 求職少女と麺処

 活気付くくインテグロンに一人、あてどもなくさまよう少女があった。


 少女の視線は左右をふらふらと力なく行ったり来たり。彼女の視線は街の店、壁のいたるところに執拗に向けられていた。


正確には、そこに貼られた求人のポスターに。


 少女は職を探していた。つまり無職。一ヶ月とちょっと前からずっと無職。日々の糧を年下の男の子に恵んでもらっている哀れな身。


 貴族かつ警察騎士だったのも今は昔。陰謀に巻き込まれ零落し、残ったのは身についた貴族の、警察騎士のプライド、そして己が剣のみ。


 しかしたった二つ残ったプライドと剣は求職の役には立たなかった。


 腰を落ち着けた職なら、少女の実力と若さと美貌を持ってすれば容易く手に入る。しかし、彼女は浮浪の身。定まった住所を持たず、明日には明日の風が吹くような生き方をしている者を信用する者は少ない。


 インテグロンは大都会だから、浮浪の人間にうってつけの仕事も多い。非合法なものも含めればかなりの数になる。しかし、そういった仕事は、少女の生まれついての、そして長年培ってきた貴族として、騎士としてのプライドが許さない。


 端的に言えば、少女は、住所不定の者でもできる、それでいて騎士の誇りに傷のつかない有意義な短期アルバイトを求めているというわけだ。


 そんな仕事あるはずがなかった。

 浮浪の者の仕事といえば汚れ仕事と相場が決まっているのだ。


 貴族とは、とかく世間知らずな者だが、故郷では平民街を入り浸っていた少女でさえ、例にもれなかった。


 少女はきっと自分に合う仕事があるものと信じてインテグロンをひたすらさまよった。何時間もさまよった。しかし見つからない。そんなものあるはずがないからだ。時が経つにつれ、気分が落ちてくる。今朝宿を飛び出した時の意気揚々とした熱い思いは既に沈火している。両腰に一本ずつ差した剣もやけに重く感じる。


「あぁ……」


 少女は謎のうめきを発して、天を仰いだ。


 気がつけば陽は頂点を過ぎている。知らない間に随分と時間が経ったものだ、少女は思った。時間を意識すると、喉の渇き、空腹にも気がついた。


 どこか休めるところはないだろうか? 腹が減っては戦はできぬ。一旦補給をしてから、再度職探しに精を出すべき、少女はそう考えた。


 少女の目は求職ポスターから飲食店へとシフトした。ふと、ある看板が少女の目を引いた。


 『麺処 ラクケン』


 ふと、少女の脳裏に、故郷の馴染みの店がよぎった。舌は馴染みの味を思い出し、口中に唾が溢れ、喉がゴクリとなった。麺は少女の好物だった。


 少女はフラフラと、甘い香りに誘われる虫のように、『麺処 ラクケン』へと飛び込んでいった。


 店内は芳しい麺の香りと、それをすする音で一杯だった。どちらも、少女にとっては非常に懐かしく、ついつい望郷の思いに駆られる。


 カウンター席五つと、テーブル席四つ。この店は、少女のかつての行きつけだった店に比べると少々小さい。が、かつての行きつけよりか幾分小奇麗だ。椅子、テーブル、カウンター、床、壁、天井に至るまで目立つ汚れはない。小料理店にしては珍しく、行き届いている。少女の知る大抵の大衆向け料理店は、どこか多少薄汚れているのだが、この店はそれらとは一味違うらしい。


 店内が一味違うなら、きっと麺も他所とは一味違うだろう、と、少女は見込んだ。また唾が口中に広がった。少女はそれをゴクリと飲み込んだ。期待を胸に、少女は空いているカウンター席へとついた。


 多くの席が空席だった。客は少女を含め三人しかいない。だが、今現在の客の少なさが、この店の人気を示しているとは、少女は思わなかった。


 少女は壁掛け時計に目をやった。時計の針は二時半を示していた。


 つまり、客がいないのは繁忙期を過ぎた、ということだろう。静かに飯を食べるには一番いい時間だ。


 少女は時刻を確認すると、店主へと向いた。少女が入店した時にはカウンターの隅で暇つぶしに新聞を広げていた店主だったが、いつの間にか、カウンター越しに少女の目の前に立っていた。腕組みをし、口を真一文字に結び、厳しそうな目が、椅子に座る少女を見下ろしている。いかにも職人気質といった感じの店主だ。


「ご亭主、麺を一杯、あと、水を一杯」


 少女は全く臆することなく、注文した。


 店主は一瞬、カッと目を見開いた、かと思うと、ニカッと笑顔になって、


「あいよっ!」


 と威勢のいい返事をし、クルリと踵を返し厨房へと向かって行った。


 ご亭主自らが注文を取るなんて変わっているな、と少女は思った。彼女の地元では女中が注文を承っていた。


 店主が少女の前へ戻ってきた。手には木をくりぬいたコップがある。店主はそれを少女の目の前に置くと、また厨房へと向かった。


 少女は目の前に置かれたそれをすぐさま手に取り、一気に喉奥へと流しこんだ。水は程よく冷えていた。清涼感が口中から喉、そして胃へと駆け巡る。疲れ、乾いた身体にこれほど嬉しいものはない。


 少女は水を一気に飲み干した。


「ぷはぁ~」


 歓喜の声を小さく漏らした。ようやく一息ついた。少女はカウンターに肘をつき、頬杖をついた。カウンター越しの厨房では店主が一生懸命に麺を打っている。その姿をぼんやり見つめながら、少女は一体どれほど美味しい麺が出てくるかと楽しみにしている。

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