二話 闘技場の吸血鬼 その八 少女、懐かしの味を堪能する

 程なくして店主が麺を打ち終え、麺を切り、茹で始めた頃、ガラガラと店の戸が開く音がした。少女がそこに目をやると、男が六人店に入ってきた。


 六人の男たちは皆、よく日に焼けていた。どれもいかつい面構えをしていて、肉付きよく、腰に一本得物を差している。どこからどうみても、『荒くれ者』、という印象を与える風貌だ。


「オヤジ、六人だ!」


 先頭の男、六人の中でもっとも色黒の男の声が店内に響いた。


「あいよ、適当に座ってくれ」


 店主が返事をした。返事はしたが、店主の目が男たちに向くことはなかった。店主はジッと麺が茹で上がるのを注視している。


 男たちは隣り合った二つのテーブルに分かれてついた。三対三ではなく、四対二だった。テーブルは四人掛け、四人が座り、もう一方の二人は隣り合った二人のすぐ後ろの席についている。


 六人の男たちが席についた直後、再び戸が開いた。ロングスカートにエプロンをつけた壮年の女性だった。


「あらまぁ、いっぱいねぇ」


 壮年の女性は店内を見るなりそう言った。


「いいとこに帰ってきたかかあ、そこに六人様がいるだろう、まだ注文をとってないんだ」


 麺の茹で加減を見ながら、店主が言った。どうやら、壮年の女性は店主の妻で、かつ給仕らしい。


「あらあらそうでしたの……、えぇっと……」


 給仕の女性はそう言って、再び店内を見回した。一見して、『六人様』がどこにいるのかわからなかったのだろう。


「おばちゃん、こっちだ!」


 もっとも色黒の男が手を上げ、ニカッと白い歯を見せて給仕を呼んだ。


「あっ、はい、どうも」


 給仕は会釈をして、手を上げた男の方へと小走りに向かった。といっても、六人の男たちは戸に一番近いテーブル席なので、元々両者の間にそれほどの距離はない。


「いかがしましょう?」

「六人前、酒もだ。酒も六人前」

「はい、かしこまりました」


 そんな両者のやり取りを、少女はすることもないので眺めていた。ちょうどその時、少女の目の前のカウンターにコトリと何かの置かれる音がした。


「お待ちどお」


 店主の声は、少女の振り向くのと同時だった。少女の目の前には、少女の待ち望んだそれが湯気を立てている。出来立ての香りが妙に懐かしく、少女の鼻腔をくすぐった。


「おいくら?」

「二百」


 値段すら、少女を懐かしがらせた。かつてのいきつけも、全く同じ値段だった。なるほど、場所は違えど麺は麺、値段にそう大差はないか、と、少女は一人心中で納得した。


 少女は懐から小袋を取り出した。それは少年から生活費として預けられている財布だった。少女は固く結ばれた紐を解くと、中から赤銅に輝くコインを二つ取り出した。


「ではこれで」

「あいよ、ありがとさん」


 店主はコインを受け取ると、少女の元から離れ、再び厨房の方へと向かった。今から六人分を作るのだろう。


 少女は店主の背を一瞥見送ると、サッと視線を目の前のカウンターに移した。


 カウンターの上にはトレーがある。トレーの上には麺の乗った盛り付け皿、薬味の乗った小皿、つゆの入った升、フォーク。どれも木製。トレーと皿は削りだした木そのままだったが、フォークと升は深紅の塗料が塗られ、ちょっとした風流を醸し出している。


 少女はゴクリと生唾を飲んだ。一秒でも早く、これを口に含みたい。少女は強く思った。思うと同時に、少女の手がフォークに伸び、フォークを掴んだ手は、麺へと伸びる、麺を一口ほどすくったフォークを、升の漆黒の汁の中にぶち込むと、その上から小皿の薬味を一気にマスの中へと落とし込んだ。


 全てをぶち込んだ升をフォークでゆっくりとかき回し薬味と麺とつゆがほどよく絡みあうと、少女は麺を絡めとったフォークを口元に、ズズッと一気に麺をすすった。


 ズルルズルルルル。


 すすり、口中に入れた瞬間に、少女の頬をとろけ落ちそうになった。打ちたての麺、つゆ、薬味、全てが調和し、舌を楽しませる。噛むと、麺の程よい弾力の食感と、薬味のシャリッとした歯ごたえの合わせ技が顎を喜ばせる。含んでよし、噛んでよし。そして飲み込めば、空きっ腹が癒やされる。


 少女は思わず涙が出そうだった。まさにこれは馴染みの味だった。厳密にいえば、全く同じというわけではない。作り手も違えば、あらゆる材料の産地も違う。しかしそれを踏まえても、懐かしの味だった。大好物の麺自体一ヶ月ぶりなのだから無理も無い。


 少女は一心不乱に、それでいて急がずに、できるだけゆくりと味わいつつ、久方ぶりの好物を賞味した。


 この時ばかりは彼女も、他人の金で飯を食べているということを忘れられた。国を追われて一月ちょっと、その間ずっと年下の少年の施しで生きるのは、貴族として、騎士としてのプライド的にも心苦しいものがあった。


「気にするな」


 と少年に慰められても、

『今は雌伏の時……!』

 と自分で自分を慰めても、心苦しさを完全に振り払うことはできなかった。しかし、懐かしの味は、それをいとも簡単に忘れさせてくれた。


 旅を始めてから、これほどまでに少女の心が安らぐのは今日が初めてだった。

 少女が麺を半分ほど食べ終えた頃、店内はにわかに活気づきだした。


 活気の元は先ほどの六人の男たちだった。いつの間にか彼らの元にはもっとも色黒の男が注文した品が並んでいた。酒に至っては小樽一つ空けられ、今は、つい先ほど新しく注文した小樽を『いざ空けん!』、と息巻き浴びるように飲んでいる。


 少女はその様子をチラリと横目でみやって、微笑を浮かべた。少女は、別に喧騒は嫌いではなかった。むしろそれすら懐かしかった。大衆向けの少料理店に喧騒はつきものだ。少女のいきつけでもよく酔っ払いがどんちゃん騒ぎを起こしていた。少女の中で過去と現在が重なると、少女は頬をゆるめずにはいられなかった。


 あんまり懐かしさに浸っていてもいられない。麺が伸びてしまう。そろそろ食べ終わり時と、少女は食事の締めへととりかかった。


 と、その時だった。


 またまた、ガラリ、と戸が開かれた。勢いはあったが、乱暴ではなかった。勢いよく戸が開かれたせいか、店内の人間は一斉にそこへ目を向けた。そこには二組の男女の姿があった。その姿を見て、店内はシンと静まり返った。


 『似合わない』な、と少女は思った。『似合わない』とは、この場に相応しくないとう意味だ。


 男女は見るからに貴族、そして騎士だった。二人とも二十代だろうか。揃いの制服。腰に差した得物の鞘にも、揃いの紋章が刻まれている。いかにも由緒正しそうな騎士たちだが、由緒正しき騎士が昼休みに大衆麺処を訪れるとは、少女には全く思えなかった。少女はかつての自分がイレギュラーな存在だったということを十二分に理解している。


「ご主人、この近くで『殺し』があった。店を調べさせてもらうがよろしいな?」


 ずい、と男性騎士は一歩店に入ると、口上を述べた。一見協力を乞うようにも聞き取れるが、実質的には強制捜査だった。貴族、騎士としてのおこがましさまが、穏やかに見せようとする言葉の端から滲み出している。


 何かがあったとは、二人の騎士の姿を見た時に店内の全員が薄々感づいてはいたが、『殺し』という重い一言は少女を含めた全員の予想を少しばかり上回った。店内には重い空気が流れ始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る