一話 王都事変 その十一 探索
翌日、朝の弱いリィンだが、何とか早起きし、重い瞼を擦りつつ、昨夜酒場で交わした約束の場へと赴いた。
この日も好天に恵まれていた。昨日に比べると雲がわりかし多かったが、それでも太陽が隠れるほどではない。風もなく、雨も降る気配もない。
午前七時を十分少々過ぎたころ、リィンは待ち合わせ場所である町の北口に到着した。慣れない町だったから、到着時刻の予測を誤ってしまっていた。
すでに少年の姿はあった。昨日と変わらない出で立ちで、やはりフードを被っている。町の入り口を示す、木でできた高さ二メートル弱位の看板に、尻を地に着けて背をもたせ掛けている。そして、何やら紙を両手に広げてまじまじと眺めている。
リィンはカラン少年の姿を見止めると、小走りに彼に駆け寄った。
「待たせてしまったかしら?」
リィンが言った。
カランは顎を上げた。フードで陰になった双眸がジロリとリィンを見た。ほとんど無表情だ。無表情だけに、良い気分というわけでもないだろう、少なくともリィンには、少しばかり威圧的に見えた。リィンは内心ちょっぴりたじろいだ。
「わざとかと思った」
少年が言った。
「? わざと?」
「貴族とか騎士ってのは何にでも勿体ぶるから、わざと遅れてきたのかと思ったよ」
「わ、わざとではないわ! 私は昨日この町にきたばかりなの、それで、土地勘がないものだから、ちょっと思っていたよりも遠くって……」
リィンは狼狽した。責められるにしても、もっとストレートに言われるものと思っていた。まさか貴族が騎士がうんぬんと変化球な責められ方をするとは思っていなかった。そもそもリィンはカランの言わんとしていることの意味がよくわからなかった。リィンは貴族で騎士でもあるが、特に勿体ぶったことはない。一体この少年は貴族にどんなイメージを抱いているのだろうか。
「そっか」
言って、カランは立ち上がった。両手に持った紙を綺麗に手ごろな大きさに折りたたむと、懐へしまった。
「じゃ、行こうか」
言うなり、カランは返事も聞かずに歩き出した。
「えっ、あっ、ちょっと!」
「何? 早く行かないと日が暮れちゃうよ」
カランは振り返って言った。
「わ、わざとじゃないのよ!」
カランは首を傾げた。
「わかってる。それはさっき聞いたよ」
踵を返して再び歩きだすカラン。
何もかもが空回りしている。リィンはそう思った。貴族で騎士である自分が、年下の少年にいいように扱われている、ペースを握られている。そう思うと、悲しいやら腹が立つやら、複雑な感情だ。それはきっと、まだ朝早いため寝惚けていて、いつものリィンらしさを欠いているせいかもしれない。
リィンはもやもやしたものを胸に抱えながら、カランの背を追いかけた。
二人はガラキ山へと続く道を歩いていた。一時間ばかり歩き続けたが会話もなく、前方にそびえる山はまだしばらく遠い。
会話こそないが、リィンの頭脳はようやく寝惚けから覚め、本来の調子を取り戻し、フル回転している。その目は先を行くカランの背を鋭く見つめている。
やはりこのままではいけない。リィンは思った。年下の、それも平民にペースを握られたままでは示しがつかない。自分は貴族、年上、さらには雇い主だ。ナメられていいはずがない。ここは毅然とした態度で、あるべき関係へと修正し、騎士の威厳を示さなければならないだろう。リィンはそう考えた。
リィンは小走りに、カランの隣へと追いついた。カランは一時間も後塵を拝していた雇い主に、チラリとだけ視線を送った。そしてすぐに視線を前に戻した。リィンにはほとんど興味がなさそうだった。その仕草もリィンにとっては軽く見られているような気がして何だか腹立たしい。
「ねぇ、ちょっと!」
リィンはカランのフード越しにわずかに見える横画に向かって言った。言ってから、何と言葉を続けていいかわからなかった。上下関係をガキに理解させるのにどういった手段が上策か、リィンはわからなかったし、考えてもいなかった。ただ、上下関係を解らせてやろうと意気込んでいただけだ。さて、どうすればいいのか、理詰めなのか、それともありふれた会話の中でさりげなくか……。
「なに?」
カランが言った。今度は一瞥もしなかった。リィンはそれにもムッときた。人の方を向いて話すという常識を知らないのかこのガキは。貴族である自分は平民に対しても礼節を守ったのに。
「は、話すときは人の顔を見なさい」
リィンは、自分の方が年上なのだから、不出来な年下に対しては優しく諭してやろう、という方向で世間の常識、あるべき関係を教えてやろうと決めた。
「よそ見をして歩いちゃいけないよ」
「うっ……」
カランの言うことももっともだ。戦が絶えて久しいからといって、街道はそれほど整備されていない。それだけの余裕がない。カールーの北口、ガラキ山へと続く道も荒廃していた。凸凹になり、少ないながらも人の往来があるから、草の生えないものの、誰かが捨てたゴミや、風で流れてきた木くずなどが目立つ。中には鋭利な廃木材などもあったりするから、うっかりふんづけると怪我になりかねない。
逆に年下の少年に諭されてしまった。リィンは歯がゆく思った。先ほどまでに内心でカランに向けられたイライラの矛先は自分へと向かっていた。年下の少年に、たとえもっともな意見だったとしても、即座に何かしらの反論もない自分が情けなかった。しかし、その程度でリィンの心は折れない。
「で、なに?」
やっぱり前を向いたままカランは言った。
「なにって……?」
「さっき何か言いたいことがあったんじゃないの?」
「あっ……」
言われて、自分から話しかけたことを思い出した。
「そ、そうね……、えっと~……、いくつ?」
何も考えていなかったリィンは適当に思いついたことを喋った。そのせいで、少し馬鹿っぽい喋り方だった。もはや騎士の威厳もあったもんじゃない。ただの近所のお姉さんだ。
カランは怪訝な目をしてリィンを見た。
「何で?」
「えっ、何でって言われても、何となく……かな?」
「ふぅん」
会話が止んだ。そのまま二人は並んで歩いた。十メートルほど歩いたところで、ようやくリィンは気が付いた。会話が終わってしまったことに。
「いやいや、何で言わないの!?」
「別に必要じゃないと思って」
「必要とかそんなんじゃないでしょう! 聞いているんだから答えなさいよ!」
「必要じゃないなら別にいいじゃないか。年齢で仕事をするわけじゃないんだから」
「だから、そういうことじゃないの! あなた世間話というのを知らないの!? 必要とか不必要とかじゃなくて、軽い気持ちで会話を楽しもうって心がないの!?」
「今楽しんでるよ」
そう言うカランの顔にはちっとも楽しそうな表情はない。フードで顔に影がかかっているせいか、どっちかというと陰鬱そうだ。
「全然そうは見えないわね……」
「あんたは?」
「えっ、私? 私は、そうね、そこそこ楽しいわ」
正直言って、楽しいどころかイライラしているリィンだが、そこは年上だから優しい嘘をつける。
「そうじゃない。あんたの齢を聞いてるんだ。人にものを尋ねる時はまず自分から。常識だよ」
「なっ……!」
優しくすればつけあがりやがって。リィンは爆発寸前だった。これが年下で仕事を手伝ってくれる者でなかったら切り捨てているかもしれない。それだけイライラが募っていた。リィンは良くも悪くも真っ直ぐな人間だ。あまり深いことを考えるのは得意じゃない。何事もにも策を弄するのは不得手だし好みでもない。考えるのはもう止めだ。リィンは思った。
「私はリィン・アットレイル! 齢は十九! 生まれも育ちもエタイトの貴族町! 両親は既に他界している! 誉あるデアンの王に三代仕える警察騎士団の誇り高き騎士だ! 無論貴族である! ただ今はガラキ峠の山賊討伐の命を受けている!」
考えるのをやめた途端、言葉がリィンの口からついて出た。自己紹介にしては仰々しい口上だった。二人の歩みは止まっていた。カランはポカンと呆けた顔をして、リィンを見つめていた。リィンは胸を張り、堂々とカランの視線を真正面から受けていた。
「私は言ったぞ! さぁ!」
リィンの堂々たる様子を見て、カランはフッと小さく笑い、歩き出した。リィンは顔を真っ赤にした。侮辱だと思った。自分から言えと言い、言わせておいて自分は言わないなんてことが許されるか! 彼女は拳を握りしめた。先を行くカランに大股で迫り、その肩を手でガッシリと掴んだ。その時、
「カラン・サルアル。齢は十五……。ん、何?」
肩を掴まれ、カランは振り返った。
「あっ、いや、その、先へゆくから……」
「先を歩きたいのか?」
「そういうわけではない……」
行き場を失った怒りは見る見るうちに萎んでいった。代わりに気恥ずかしさが込み上げてきた。
「さっきからおかしな人だな」
言って、カランはまた笑った。そしてまた歩き出した。リィンは今度は遅れないように、その隣へ並んで歩いた。
「生まれと育ちは、多分聞いたことないだろうけど、この国のずっと西にあるウーカっていう小さな島。両親はもう死んだけど、十三まで親父に育てられた。見た通り平民。特にやることもないので、猟師をしながら旅をしている。幸い腕に覚えがあるから仕事には困らない」
そこで言葉は切れた。どうやらカランの自己紹介はこれで終わったようだった。
「ウーカってどんな島?」
「山と森と海しかない島さ。狭い島に少ない人間が暮らしてる。皆顔見知り。平和だけど、つまらない所」
「なんで猟師になった?」
「山と森と海しかないからさ。島民のほとんど魚や獣を獲って生計をたててる。それ以外に生きる手段がないのさ」
「島を出た理由は?」
「質問責めだね」
「ん、嫌なら答えなくていいわ」
「そのときはそうするよ。島を出た理由は、単純な話、世界を見て周りたかったのさ」
「でも、その齢では何かと不都合じゃないか?」
「そんなことはないよ。あんただって、立派に警察騎士をやってんだろ?」
リィンはムッとなった。感情がすぐ顔に出る。
「私は当然だ! 私はお前と違って四つも齢が上なのだから、騎士としての責務を果たすに不足はない!」
リィンは胸を張って言った。
「四つ……?」
カランはやや目を細くし、注意深くリィンの顔を覗き込んだ。
「人の顔をマジマジ見るのは無礼だぞ」
「そうだね」
言って、カランは視線を前に戻し、
「見えない」
と一言呟くように漏らした。
「は?」
「とても年上には見えない」
「なっ、どこからどう見ても私の方が年上じゃない!」
リィンは語気を荒げた。貴族として、騎士としてレディが子供と間違われるのは沽券に関わる。
「失礼を承知で言わせてもらうと、あんた、鏡見たことある?」
カランが言った。まさに失礼千万だった。妙齢の貴人に対して何たる物の言い方だろうか。
リィンの内心に再び怒りが招来した。しかし今度は前のような烈火の激しさはない。同時に憐みを持ち合わせていた。無礼なのは何もカランだけのせいではない。何といっても彼はまだ子供だし、その上聞いたこともない島育ち。早くに両親もなくなっているし、今だって猟師という温くはない仕事をして頑張って一人で生きている。礼法を学ぶ余裕なんて今の今までなかったに違いない。リィンはそう思った。そう思うと、リィンはカランを少しばかり助けてやりたくなった。山賊退治の合間に礼儀をしっかり教え込んでやろう、そう思った。
「年上の貴族に対してそんな口の利き方はいけないわ」
リィンはぎこちなくも優し気な笑顔を取り繕って言った。
返事はない。カランは前を向いたまま歩を進めている。無視だ。早くもリィンの決意にヒビが入った。
「ちょっと! 何とか言いなさい!」
リィンが言うと、カランは彼女の方をチラッと見やった。
「僕は生まれや育ちで人に対する態度を変えない」
カランはそれだけ言って、再び前を見た。
何て無礼な奴なんだ。リィンは思った。だが、それに対して上手い返答が思いつかなかった。カランの言い分を論破するだけの言葉をリィンは持たなかった。頭ごなしに、平民は貴族を敬うものだ、なんて彼に言っても暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐に鎹というやつだろう。説得力のない『べき論』ではカランを説き伏せることはできない。
リィンはカランを教育することを一先ず諦めた。何も急がなくったっていい。山賊退治の先は長い。まだこれからしかるべき時がくるはずだ。リィンはそう思い、その時までに何か上手い教育方法がないかを考えて置こう、そう決めた。
そうこうしている間に、二人の歩は進む。目的の山に近づきつつあった。
二人はそれから二時間も歩いた。おかげで山は随分と大きくなっていた。町から離れるにつれ緑が深くなってゆき、道が険しくなってゆく。
カランは足を止めた。カランが足を止めたから、リィンも足を止めた。リィンは息が上がっていた。三時間もの間、慣れない悪路を歩いたせいで疲労が溜まっていた。だが、彼女はそれをカランに悟られまいと気を付けた。本当は今すぐにでも休みを取りたかったのだが、子供相手に大人である自分から休むとは到底言いだせない。それは彼女のプライドが許さない。
カランの方は全く息が上がっていない。生来頑強なのか、自然溢れる島で生まれ育ったせいなのか、それとも旅を続けてきたせいなのか、気息を乱さない。リィンは時折汗を拭う仕草を見せたのに、カランの方はそれさえ見せない。いたって平常。
足を止めた二人の目の前に茫漠たる自然が広がっていた。木々に溢れ、奥から野鳥の鳴き声が聞こえてくる。道は群れ為す木々の先へと続いているが、先は計り知れない。行くにつれ緑が濃くなるせいだろう。
道のど真ん中だというのに、カランはその場に尻をつき、胡坐をかいて座った。リィンはそれを見て、すぐさま自らも腰を下ろした。ようやく休憩できる。彼女はホッとため息をついた。
カランは懐から一枚の紙片を取り出した。それは今朝のリィンとの待ち合わせ場所で彼が読んでいたものだった。彼は折りたたまれたそれを広げると、ホッと一息ついているリィンの方を見た。
「ちょっと」
カランがリィンに言った。呼んでいる。自分から来い! と、リィンは言ってやりたかったがそれは止めた。騎士が先にへたばったと思われては、騎士の名折れだ。呼ばれてゆくのは癪だが、ゆかないのはもっと癪だ。彼女はゆっくりと立ち上がり、疲れていない素振りをしながらカランの隣に座った。
「自分から来たらどうなの?」
結局、言わずにはいられなかった。
「これを見てくれ」
カランはリィンの言うことに耳を貸さなかった。手に持った紙をリィンにも見えるように差し出した。リィンは疲れていたし、彼がそういう人間であることはもう知っていたからそれについては何も言わなかった。リィンは大人しく、彼の差し出した紙をのぞいた。
それは地図だった。地図上中心にガラキ山がドンとそびえている。ガラキ山とその周囲しか描かれていない局地的な地図だが、主となる道以外が空白となっている。
「あの町ではガラキ山の地図はこれしかなかった。峠を越えるにはこれで十分かもしれないけど、山賊退治には役立ちそうにないな。これより良い地図持ってる?」
「いいえ、ないわ」
「だよね。だから、今から地図を作ろうと思う。地図もないのに山の中を入るのは危険だからね」
「今から? だが、山はもう少し先じゃ……」
「この辺りから作っていた方がいい。森の中も危険だからね。拓けているところなら何かを目印に一直線に行けば目的地にたどり着くけど、視界の狭い場所ってのは、真っ直ぐ歩いているつもりでも同じところをグルグル回ってしまうもんなのさ。もし山賊から逃げるようなことでもあれば、森を通ることもあるかもしれない。こっちから攻める場合にしてもそうさ。敵と戦うにはまず土地を知らないとね」
「なるほど」
カランは懐からもう一片の紙を取り出した。地図とほとんど同サイズ。だが、この紙には何も書かれていない。地図と何も書かれていない紙地面に置き、並べた。カランは懐からさらに墨入れと小さな筆を取り出した。墨入れの蓋を開け、その中に筆先を付けると、筆先に黒いインクがついた。彼は両方を見比べながら、ゆっくりと何も書かれていない紙に、地図を書き写し始めた。ほとんど白紙に近い地図だったから、すぐに終わった。彼は筆と墨入れを片付け、懐にしまった。地図とその写しを折り畳み、二枚とも懐にしまった。
「私の分ではないのか?」
「できていない地図を持っていても仕方がないよ。さぁ、行こうか」
言って、カランは立ち上がった。尻についた砂を手でパンパンと払い、歩き出した。リィンも立ち上がり、その背中についてゆく。
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