一話 王都事変 その五 躍る見出し
翌日の新聞の見出しは踊った。この国の新聞は貴族向けと平民向けの二種類しかない。踊ったのは平民向けの方だった。それぞれ出版社が違う。貴族向けは貴族が作り、平民向けは平民が作る。それぞれの階級に向けたものだから内容も大違いだ。それなのに、その日の一面は両紙ともに同じ事柄についてつづられていた。
『警察騎士団、誘拐組織一網打尽』
『深窓の貴婦人、ごろつき十二人を日傘一本で撃退!』
前者が貴族向けのお堅い新聞の見出し、後者が平民向けのものだ。見出しだけでは両者が同一事件を扱っているとはとても思えないが、内容を読めば、同一事件だということがわかる。ただ、貴族向けの方は出来事を淡々とつづっているのに対して、平民向けの方は記者のさじ加減で面白おかしく脚色され過ぎている、という違いはあるが。例を上げるなら、平民向けの方では、リィンは十二人全員を打ち負かしたことになっているし、最後の一人はコブラツイストで倒したことになっている。細部は脚色過多だが、リィンが誘拐組織を一網打尽にしたという大筋は間違っていないので、良し。というのが、平民向け新聞のスタンスだ。
前者はさほど売れず、後者は飛ぶように売れた。前者は、まぁ一般的貴族にはさして関心の向かない見出しだし、さらにその日の号は、大人気新聞連載恋愛小説の『躑躅姫』の定期休載日だったことも売れなかった理由の一つだ。後者は事件の舞台が平民街、その上貴族の美女が一人そこへ出向き、日傘一本で悪を挫くというまるで小説さながらだったから、正義と分かりやすさを好む平民にはうってつけだった。日傘一本で男たちをねじ伏せる貴婦人の恰好良い絵が一面をドンと支配しているおかげで、字が読めなくても、格好良い絵目当てで買う者もいるくらいだ。
リィンはどちらも定期購読していた。貴族向けだからといって、貴族しか買えないというわけではない。逆もまたしかり。
きっとリィンが新聞を読めば、貴族向けの方を読めば誇らしく思い、平民向けの方を読めば、頬を染めて照れるだろう。そしてきっとどちらも保存しておくに違いない。
しかし、この日の新聞をリィンが読んだのは、午後も過ぎてからだった。この日、彼女は新聞を読んでいる暇がなかった。彼女が起床する少し前に、朝も早くから、城内への召し出しの使いがやってきたのだ。
寝ているところを起こされ、城内召し出しの使いが訪れ、二時間以内の登城の厳命があったことを告げられると、リィンはベッドの上で難しい顔をした。
寝起きのリィンは平常時より随分と冷静だ。冷静なぶん、思考はネガティブな方向へも及んでしまう。
きっと昨日のことに違いない。リィンは思った。それも二時間以内の登城というと、相当の緊急事態だ。緊急事態というのは、悪いことの前兆というのが世の相場だ。きっと昨日のことで酷いお叱りを受けるに違いない。リィンはそう思うと、身をブルッと震わせた。
用件がなんであれ、ともかく登城しなければならない。リィンは暗い顔をして支度に取り掛かった。
支度を終え、リィンは屋敷を出た。リィンがあまりにも暗い顔をしていたから、軒先まで見送りをしたエリックの顔も非常に暗かった。
エリックは昨日のことについて重く責任を感じていた。主リィンが暗い顔をして朝早く召しだされるのは自分の責任だと思い究めていた。彼は根が優しすぎた。思いやりがありすぎた。謹慎し気鬱に憑かれた主の気持ちが痛いほどわかってしまったから、浅はかな考えで、主の外出を幇助してしまった。甘かった。彼は自分の行動を悔いても悔やみきれなかった。もしこの件で主の身に何かあった場合は、自分も潔くお伴を仕ろうと心中密かに決意していた。それで許されるかは別として、そうしなければ気が済まない性質なのだ。
その日、エリックは主が帰ってくるまでの間、上の空で仕事につくことになった。
リィンは徒歩で登城することにした。馬では登城時間には早すぎるし、沈んだ気持ちで馬をせめ、事故などを起こしては大変だからだ。徒歩ならばそんな心配はまずない。朝の清涼な空気を胸一杯に吸い、己が行いを反省しつつ、城までの道のりをゆるゆると行くのが一番良い。そう思っていた。
が、歩き出して五分もすると、昨日のことを省みる気持ちがスッと薄れてゆく。歩き出し、血圧が上昇してきているのだろう、血流も良くなり、全身に血が行き渡る。そうなると、リィン本来の気質が本領を発揮する。
昨日のことは褒められこそすれ、責められるいわれなんて無い。
リィンは開き直った。自分は王に、ひいては地域社会に貢献しているのだ。誘拐組織十二人逮捕という偉業に比べれば、謹慎を破るなんてのは些細なことじゃないか。彼女は強く思った。
リィンはぷりぷりと怒った。怒ると、しょげて丸まりがちだった背が伸び、胸を反り、とぼとぼと歩いていた足は大股になり、力強く一歩を踏み出し、頬は紅潮し、鼻息は荒くなり、目は爛々と輝く。
もし叱られれば、逆にこっちから叱ってやる。そんな意味不明なことも思い始めていた。
さらに十分が過ぎると、今度は怒りの熱も程良く覚め、弱気でも強気でもないニュートラルな精神状態になった。歩く姿も模範的騎士そのものだ。
自分は間違ったことはしていないが、まぁ、怒られるのも仕方がないか。まぁ、仕方がない。そういうもんさ。というくらいの気楽な心持になっていた。
一度そういう心持になると、思考は捉われなくなる。今の彼女にとって昨日のことや、これからのことはどうでもよかった。ただ、清々しい朝の道程が気持ち良いだけだった。
リィンは騎士として胸を張って歩いた。その泰然自若とした様は、正に騎士の名に恥じないものだった。
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