第7章/Eleven Heaven

7-1

 十一時過ぎに学校に着くと、既に正門周辺はパトカーでごった返していた。サイレンこそ鳴っていないが、回転灯の光が目にやかましい。あたしは警官たちに呼び止められないよう極力身を小さくして正門をやり過ごすと、自転車用の通用門まで愛車のルイガノを走らせて、駐輪場へと向かった。


件名:大変! 大変!

送信:山辺清乃

日付:7月3日9時48分

今朝、学校の屋上からうちの生徒が飛び降りたの!

学校中大騒ぎになってる。

これって、鮎たちが追いかけてる事件と何か関係あるのかな?


P.S 飛び降りたのって、どうもサッカー部の初芝先輩みたい。


 駐輪場に自転車を止めたあたしは、今朝清乃から届いたメールを改めて読み返し、下唇を強く噛みしめた。


件名:Re:大変! 大変!

宛先:山辺清乃

日付:7月3日11時3分

駐輪場に着いた。清乃は今どこ?


 清乃からの返信を待つ間、あたしは駐輪場の正面に位置するグラウンドをじっと見据えた。放課後や休日にはサッカー部の連中のプレイフィールドとなるあの場所にはしかし、人っ子ひとり見あたらない。初芝先輩が必勝祈願していた練習試合も中止になったに違いない。翻って正門の方に目を向ければ、紺色の制服で身を固めた警官たちがいかめしい顔つきで忙しそうに動き回っている。最早、休日の東高らしい景色はどこにも見いだせそうになかった。


「鮎、お待たせ!」


 と、軽快な足音と共に親友が姿を現した。


「メール打つより早いと思って、来ちゃった。って、鮎、そのほっぺたどうしたの?!」


 親友は、昨日初芝先輩にぶたれた頬がわずかに腫れているのを見逃さなかった。


「気にしないで。それより、今朝学校で何が起きたのか教えて欲しい」


 清乃はしばらくの間あたしの頬を気遣わしげに見やるばかりだったが、あたしが黙ったままでいると、仕方なしに事件の話を始めた。


 初芝先輩とおぼしき女生徒が校舎――第一校舎の屋上から飛び降りたのは、九時前のことだったという。その少し前からグラウンド脇のスタンドにはサッカー部の練習試合を目当てに清乃を含め三十名近い女生徒たちが集まっていて、最初に屋上の人影に気づいたのはそのうちの一人だったそうだ。


「多分西高の娘だと思うんだけど、その娘が『あんな所に人がいるよ』って言ってさ。そしたら別の娘が『あそこで応援するつもりなのかね~』とか言うもんだから、何人かがくすくす笑ったんだ。そしたら――」


 笑いが途絶えるよりも先に、屋上の女生徒はさして高くもないフェンスを乗り越えて、そうして、躊躇うことなく中空に身を躍らせたのだと言う。


「最初に気づいた娘はどうしてる?」


「保健室に行ったきりだね。多分まだ寝込んでるんじゃないかな」


 清乃は暗い表情で答えた。それだけ、事件直後のスタンドはひどい混乱状態にあったのだろう。


「清乃は大丈夫なの?」


 あたしは自分が泉田の事件を目撃した時のことを思い出して、言った。


「まーね。他の娘たちが取り乱してくれたおかげで、かえって冷静になれたのかも。私のことは気にしなくていいから、聞きたいことがあるならどんどん聞いてよ」


 青い顔してよく言ってくれるよ。あたしは清乃の心遣いに感謝しつつも、あえてそれを表に出さずに次の質問に取りかかることにした。


「飛び降りたのが初芝先輩らしいってのは、どうしてわかったの? まさか清乃、自分で確かめたの?」


「無理無理。スタンド全体がパニック状態になっちゃって、とてもそれどころじゃなかった。ただ、しばらくしてサッカー部のみんなが図書館棟の方へ向かっていくのに気がついてさ。どうしたんだろうって思って、部員の一人にメールしてみたの。そしたら『飛び降りたのは初芝先輩らしい。これから図書室で警察の事情聴取を受けることになるっぽい』って返ってきたんだ」


「ふうん、なるほど」


 情報の出所がサッカー部員なら、デマということはないだろう。


「先輩は屋上のどの辺から飛び降りたの?」


「西側の端からグラウンドに向かって飛ぶような感じだった。実際にはすぐ下の通路に落ちたけどね……下はひどい状況になってる。それは、スタンドからでもはっきりわかった」


 そう言って、清乃は辛そうに胃の辺りを押さえた。幸いと言うべきか、ここからでは転落の現場を見ることはできないが、おそらくは泉田の時と同じろくでもない光景が広がっているのだろう。


「屋上に行くより前に、初芝先輩はサッカー部に姿を見せたのかな。清乃、知ってる?」


「それがどうも朝から一度も顔を見せなかったらしいの。練習試合の準備とかいろいろやってもらうことがあるのにって、キャプテン、ぼやいてたもの」


「そっか……初芝先輩、サッカー部には顔を出さなかったんだ」


 昨日ぶたれた頬をさりげなく撫でながら、あたしは呟くように言った。つまるところ、今朝起きたのはとてもシンプルな事件ということか。


「これからどうするつもりなの?」


「二、三確かめたいことがあるんだ」


「第一校舎の周りは警官だらけだよ」


「わかってる」


「待って」


 駐輪場から去ろうとしたあたしの背中に、清乃の声が飛んだ。


「噂を聞いたの」


「噂?」


「こないだの雨の日に、鮎と初芝先輩が険悪なムードで話をしてたらしいって。別に鮎のことを疑うとかそういうんじゃないよ。でも、ひょっとして鮎は、初芝先輩がこんなことになってしまった理由を知ってるんじゃないかって」


 あの日と同じ真剣な目は、清乃が心からあたしのことを案じていると信じるに足る強い輝きを放っていた。であればこそ、あたしは口を閉ざして、清乃を悲しませる以外の選択肢を持たないわけだが。


「……話す気はなさそうだね」


 あるいは清乃は、あたしと敷島との間に生じた決定的な亀裂のことも気づいているのかも知れない。


「ごめん」


「良いよ。でも、これだけは約束して。鮎一人では無茶をしないって。もし無茶なことをするなら、私でなくても良い。必ず誰かと相談してからにして欲しいの。私、心配なの。鮎はいつだって真っ直ぐだから。真っ直ぐなのが鮎だから――」

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