第2話
3.出会い:その1
「君が不遇なのは社会のせいだ 社会のせいににするな、との声にはだまされるな
ただし、その社会と戦わないのは、君のせいだ」 アドミラル・ピカーク
結局、語られた片理さんもいい迷惑だ。
おまけにこちらは暑い中、よっこらせと担いできた撮影機材もつかえずジマイ。
まぁ、ロケ見学自体はできることはできたのだが、サイトを見てなんと九州から来たひともいたくらい。なんともはや、申し訳ないったらありゃしない。
十分な裏をとらなかった管理人の責任はまぬがれず、製作側に侘びを入れ、実は次に控えていたイベントに自ら謹慎を課す事となった。あ~せっかくここまでNCO(ノーキャピタルオーガニゼーション)で来たのに、なんたる不覚。それにしても、馬鹿にされた様な気分で、再び厭世観に満ちてしまった。それなりの製作側にきちんと相手にされるなど、夢のまた夢なのかも知れない。
しかし一体、誰の仕業だったんだろうか?
そんなこんなでげんなりしていた矢先のこと、近所の食堂でいつもよろしくひとりで食事をしていたおりの時、家族楽しく食事をするなぞ、ついぞ思い出せぬそのわびしい卓に、となりの卓の女性ふたりがなにやら舞台の話に花を咲かせていた。
どうやら2人とも、劇団の女優さんらしい
ひとりはまぁまぁの美貌の女性、ただもう一人は、オーラにあふれた、いかにもそのあたりの女性とは一線ある雰囲気を持った人だった。
どーしようか・・・・丁度本格的なホームページ運営を表の稼業としても考えていた頃で、ここがポイントなのだが、その美女ふたりは確かに美しく魅力的であったが、個人的好みの美貌とは違っていた。管理人稼業では、私情を絡めぬことが先ずは鉄則。いや、私情だらけの稼業だからこそ、現実世界の情絡みの仕事を引き受けてはならないのだ。
と、言う訳で「魅力的タレントでありながら好みのタイプではないので入れ込まずに済む」との理想的イメージが完成した。
これはチャンスだー ひとつ勇気を以って臨んでみるか!
「お話のところすみません」 名刺は自分でプリンターで刷ったものー ちなみに、水に濡れると消える 「こーゆーもので近所でホームページのプロデュースをしているのですが、よければネット宣伝等、お考えになりませんか?」
ふたりは顔を見合わせたー しかし、悪い感じではない。結構あっさりと
「はい、わかりました」
との返事が帰って来た。掴みはよかったにせよ、問題は接触の機会を次に繋げることだー いつもこの、再度の接触の可否がチャンスの雌雄を決める
「あの、私達劇団に所属してまして、劇団側にも聞いてみる必要があるんですね・・・・あ、そうだ・・・・」 幸運なことに、その一線あるオーラの女性が一枚のチラシを見せてくれた 「今度お芝居をやるんです。見に来て頂いたときに、楽屋で改めてお話ということで・・・・マネージャーには話しておきますね」
もうひとりの女性はうながされて何か疑わしそうに 「ごめんなさい・・・・私、その劇団をやめたばかりなもので・・・・」
そーなんだ、それではこのオーラバリバリの彼女のプロデュース狙いと言うことで・・・・結構、いいんじゃないの?
管理人とて人間、こーゆーときはヨコシマにもなる
「信頼してお話を聞いていただけて、ありがとうございます。それでは、必ず当日お伺いしますので、こちらこそ、宜しくお願いします」
かような接触、八割はダメだが、こう言うラッキーなことも稀にある。それから、まだ疑心暗鬼がそれほどなかった時代かもしれない。今になって想えば、の話だが。
公演当日、舞台の彼女は正に輝いていた。なんと、一度はやってみたい看護婦姿で。
ほんと、今度ばかりはなぜかついているミタイ。
終演後お約束どおり、絶対接待費で申告するつもりの花を持ち、楽屋を訪ねる。そう言えば、舞台女優の楽屋を訪ねるなど、初めてかもしれない。ちなみにその劇団は新進気鋭で、まだそんなでもないが、その道の評価は群を抜いていた。先ずはおよそ、楽屋に通じる扉の手前に繋ぎを付ける整理の係りの人がいる。ここで「お約束ですか?」とおよそ聞いてくる。
ここでワンポイントアドバイス。お約束がない人物でも訳隔てなく、忙しくないのであればできる限り会おうとするのが、芝居人の鉄則。ここで勘違いして本人のセキュリティを優先している事務所の輩は(前述の『剥し』なぞ典型例だが)、商業主義に頭をやられて原点を見失っていると言っていい。人気がある時はいいが、そのうちファンはいなくなる。人の一番の贅沢とはモノに贅沢することではなく、人に贅沢することだー 覚えていたほうがいい。勿論、ファンが数百人押しかけているのなら、話は別だが。極め付け、手前の手間を優先し、「プレゼントは事務所に贈るな」などと、のたまう事務所まである始末。1度物乞いして生活することを是非お勧めする。
勿論、当該劇団にそのような危惧はない。すんなりと通って、彼女に面会かなった。
「見に来ていただいて、ありがとうございます」 お花の御礼を受ける白の衣装の彼女は、極め付け美しかった 「あちらで担当マネジャーとお話をしていただきたいのですが」
あないされたその際には、いかにも真面目そうな紳士が一礼をし、こちらを待っていた。こちらも笑顔でそちらに向かう。実は当方、名刺交換というシステムは非常に虫が好かないのだが(なんか形式主義的)ただ、名前を覚えてもらう実利もあるので、そこは妥協点。お恥ずかしながら水に濡らさない事を祈るばかり
「宜しくお願いします サイト運営にはご実績もあるとかで?」 笑顔であちらから
「ええ、非公式ですが、女優の某さんのサイトを」
「ああ、あの某さんのサイトですか! 存じてますよ! それならば、こちらから是非お願いしたいですね」 いい感じだ 「それでは、幾つかお願いしたいことが・・・・」 と、管理人のテーゼのようなものを紙に書いて渡される
当時はまだサーバー維持やサイト管理に技術力や費用がなければできない時代で、どうやらその劇団も外部の個人に委託する状況にあった様だ。話を聞くと、ネオリベラルな(それこそこちらの思想と真っ向対峙する)IT系も営業をかけているらしい ーははぁ、正しい日本語は「予想外」だー 一般人の様に直ぐ影響されず、死ぬまで「予想外」と言い通して殺る! 救われたのは、彼もその手のネオリベラルには抵抗があったことだ。
その「お約束」の内容は極めてやわらかいもので、こちらに異存のあるものはなかった。
ok、これなら造作ない!
「了解しました。是非によろしくお願いします」
その紳士的マネージャー(但し彼女にべったりではなく、劇団全体のではあったが)としっかと握手をし、横で笑顔の彼女にも挨拶。こうして初めての「公式サイトの管理人」としての名誉あるスタートが切られた! うーん、やってく時間、あるのかいな?
けだし某女優と劇団のマドンナとの、2つのサイトの管理人、そして他の幾つかのタレントサイトへの書き込み等、結構忙しい日々が始まった。もともと当該管理人、この方面を表の稼業にしたかったのだか、ご存知ではないかもしれないが二十一世紀初頭の世界では人間のアイデンテイティはひとつの組織とハエラルキーに固定され、交換することがなかなかかなわなかった(できない訳ではないが、凄まじいエネルギーが必要だった)。ゆえに常に選択した職業には重責が要求され、心身ともに破壊されるリスクを含んでいた。ワーキングシェアなどもやっと気付かれ始まってはいたが、リベラル派でさえアイデンティティの固定化イコール生活の安定と勘違いしていた時代で、管理人としては表の稼業(つまり資本主義の顔)では必然的に健康の為にローリスクのそれを選択せざろう得なかった。ゆえにこの様な仕事は裏稼業としてこなすしか、なかったのである。
劇団のマドンナは、他の劇団の研究生を終えたばかりで、引き抜かれて食堂で話していた例の友人と共にこの新しい劇団にやってきたのだと言う。だか友人の方はそりがあわず直ぐに退団となり、彼女はその愚痴を聞いてあげていたのだ。とりあえずマドンナとは電話とメールで情報のやりとりをすることとなった。主な任務は公演の告知とチケット販売の手伝い。特に新しい劇団ではこのノルマが一定度課せられていて、資本主義アレルギーの管理人としてはフクザツな所でもあったが、トラブルを危惧してか彼女もそのあたりはオブラートだったので、正直助かった。それに研究生だった元の劇団の客演にチョイ役でも出ていたマドンナは、ファーストフードでのバイトをこなしながら、実に健気に活躍していたのである。
あーゆー姿を見てしまうと、事務所に甘やかされているジャリタレに、爪の垢でも煎じて飲ませたくなる。そして「実あるひとのみ応援する」とのテーゼがここでまた、輝くのであった。
さて、管理人の本業は研究職である。と、言うかかろうじて研究職の真似事をしていたと言ってもいい。研究職というのも因果なもので、自分の専攻したいことをするとこれまた全くかなわないこと必至。本来資本主義の悪影響から守られている分野の筈が、どうしてなかなかそうもゆかぬ。それに昨今は競争・結果主義が横行する様になった。この辺りの不満を一挙に解消せんと、社会学専攻の当方としては、ここはひとつ資本主義自体を先ずは否定し、構築し直すための簡単な入門書を書こうと思い立った。もっとも「入門書」と言うのは実は言い訳の面もあり、簡単なレベルでまとめることでその後の推敲のストレッチになるのが目的でもある。
で、当時はまだネットでの情報検索が十分な状況になく、図書館という前近代的なシステムを利用せざろう得なかった。特に多摩の山奥にあっては、公共の図書館も余りなく、研究関係書となると専門書は必需だが、そもそも公共図書館にはそれがない。仕方なく大学図書館が必要となり、近所の大学の図書館を利用することとなった(所属していた大学の図書館は都心にあり、加えて蔵書に恵まれていなかった)。ここの図書館は一般にも安価で開放されており、研究目的と簡単な申請書を出せば誰でも利用することができた。都心の大学ならそうはいかないだろうが、まだまだのんびりとしていたのだ。自分の博士論文が書けたのも自分の大学のそれではなく、この図書館のおかげだし。
但し、元はと言えば近所のその大学にガキの頃は入る予定だったのが(それが謙遜だったのだが)、偏差値バブルとやらでアホくさいことに受験の頃は入れなくなっていた(なんで?)。よって私にはとーぜん、学内フリーパスの権利があった。二十四世紀の読者には理解できないだろうが、この時代ではコドモに競争を強いて才能や人間性や情緒を潰して喜んでいたのである。その結果の洞察力のなさでこんな山奥に、ご多分にモレず一昔前のブームでダムよろしくキャンパス作っちまって、維持費でスカンピーだろうに。
そうそう、言っておくが私はマルケではない。共産主義と言う実験が失敗したことは明らかで、人類は計画経済を運営するにはまだ余りにも品がなく幼すぎて、結局は資本主義よりひどい寡占化を生んでしまったことは衆知の事実。ただだからと言って現状の資本主義では問題だらけで、そもそも基本の貨幣交換のレベルから見直すべきと言うのが自論だ。その為に基礎的解析において独自の社会科学的時空間論を構築することが昔からの課題だった。それでここにこもっていたのである。
おっと、やや込み入った話で申し訳ない。
そうそう、余談だが面白いエピソードがある。教えを乞うため、メディアにもちょくちょく顔を出す教授を尋ねていった時の話。こちらの氏素性を告げ、研究内容で指導を賜らんと思ったのだか、これがメディアに顔を出すときとは全く違って、まぁつんけんもいいところ。ほうほうのティで門前払いをくらった。この方のちに政治家になったのだから、そりゃ計画経済なんてそんなのムリだわて。
なぜこんな話をするのかと言うと、その日いつもの様に図書館で社会時空間に関する論文を読み漁っていたところ、視界にメガネをかけたもさーっとした女性が入って来たからだ。
その大学は比較的カジュアルな服装の女性が多い中、あきらかにイケテナイ服装をしていた。なぜイケテナイのに目に留まったかというと、ファッションがイケテナイ娘は語弊なく言うなら他の箇所もイケテナイのだが、なぜかその娘は他の箇所が極めてイケテイタ。つーか、なーんかオーラまであった。
一体なぜだ?
そしてしばらくじっと考えたすえ、あろうことか、とんでもない事実に気が付いたのだ!
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