第8話REINCARNATION 夢幻の此岸


【ACT〇】 父親の困った愛情


 ――ぽつり、と雨が降り始める。それは一滴、アスファルトの上に落ちて跳ねて、どこかへと消えて行った。だがすぐに次の一滴がアスファルトを打つ。次々と雨がアスファルトを濡らし、そしてそれは水の流れとなって排水溝になだれ込んで行った。


 「どうしてだセバスチャン!」

どん、と拳を机に叩きつけて、『聖王』ギー・ド・クロワズノワは怒鳴った。心底悲しくて悔しくて、怒鳴った。

聖教機構最高幹部である彼の、最も信頼していたと言っても過言ではない秘書のセバスチャンが、いつの間にかマフィアと癒着していたのである。

その動機が金だの彼の権力の乱用目当てだった、ならば良いのだ。そうすれば彼は何の躊躇も無くセバスチャンを処断できた、のに。

「どうして俺に言わなかった! お前の娘が重い疾患を抱えて産まれて、その治療のためには大金がどうしても要ると!」

「……」セバスチャンは、叱責されても黙っていた。けれど、ややあってから、ぽつりと言った。「貴方にだけは、迷惑はかけたくなかったのです。 幸いマグダの手術は成功しました、だから、私は、」

丁度、今日、死ぬつもりでいたのです。

「――」ギーはぎりぎりと歯ぎしりした。無念だった。これ以上なく、無念だった。それから、懐から拳銃を取り出して、机の上に置いた。「五分だ。 それ以上の猶予は、もう、やれない」

「ありがとうございます」セバスチャンは、微笑んだ。白い歯が見えた。

ギーは俯いたまま部屋を出た。セバスチャンが誰かと通話する声が聞こえた。

「ああ、私だ。 マグダの様子は、そうか、元気か。 いや、何、ちょっと心配になってしまってね。 じゃあ、失礼した」

――直後、銃声。


 その赤ん坊は、彼を見ると、にっこりと笑った。

父親を自殺させた彼を見て、無邪気に笑うのだ。

母親に似て、ちっとも父親に似ていない娘だった。

彼は何となく気付いた。この子は、不義の子なのだと。だが父親は、血の繋がらないこの娘を愛した。愛したから、あんな真似をして、自殺を甘んじて受け入れた。だが母親はこんな疾患持ちの娘など要らないと捨てた。

なあ、セバスチャン。

俺がちゃんと責任を持って、この子を育てる。

だから、安心して、眠れ。


 若い頃のランドルフは主君の『聖王』が悪魔よりも恐ろしくてたまらなかった。

別に聖王が神のごとき権力を乱用するとか彼を虐待するとか、たかが『暴君』の一言で済む生易しい理由からではない。

聖槍・貫く者グングニル・ロンギヌス

破壊力では世界一と言っても過言では無いこの聖遺物と、見事に適合している彼の主君は、

「私の可愛いマグダを嫁に欲しいだと? よしその交渉はこの槍を受けて立っていられたら開始しよう」

と、とんでも無い事を公言していた上に、

「マグダに色目を使ったな」

そんないわれない酷い因縁をこじ付けては、マグダのおりだったランドルフ目がけて、既に八回も聖槍を発動させて大怪我を負わせていたからである。

(死んだって要らねえよ、アンタみたいなクソおっかねえ舅付きの嫁なんか!)

(第一、年を考えろよ、どこの誰がこんなチビに色目使うんだよ!)

ランドルフは、だから、当時二歳の聖王の娘に対しても、当初は恐怖しか持っていなかった。二歳とは思えないほどにとても賢い娘であった。だが、あくまでも二歳である。時々お漏らししたり夜泣きもする。その都度、忙しくてたまらない聖王に代わって面倒を見ているランドルフは、オムツを交換したりあやしたりするのだが、時々、壮絶な殺意を感じて、青ざめては振り返る事があった。

そう言う時は、必ず彼の背後でドアが薄く開けられていて、その隙間から血走った目が彼を睨みつけているのだ。マグダに虐待でもしてみろ。お前を死よりも酷い目に遭わせやる。雄弁に熱烈にそう語りながら。

(誰がこんなガキを虐待するかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!)

若きランドルフはがたがたと震えつつ、内心で絶叫した。だが通じなかった。


 そんな彼にとって救いの女神は、意外にも恐れていたこの娘であった。

この娘、非常に賢く、とてもませていて、他はまともなのに娘関係になると暴走ばかりする父親を、手の平で三歳の頃には転がしていた。

「おとしゃまきらい!」

聖王にとっては一番効果のある攻撃が飛んできた。娘の涙である。

「らんどるふいじめるの、まぐだいや、いじめるおとしゃまきらい!」

「……」ショックで放心状態に陥った聖王だったが、ぎこちなく動きつつ、「わ、分かったよマグダ。 もう私は二度とランドルフを虐めないよ」

「ほんと?」

「本当だとも、約束する」

ぱーっと幼女の顔が輝いて、ランドルフと繋いでいた手を放し、幼女は父親に飛びついた、そして抱きしめられて、

「おとしゃまだいしゅき!」

天使だ。ランドルフは必死に涙を堪えつつ、感激していた。この娘は天使だ、女神だ、聖女だ!


以来、ランドルフは心底この娘を愛するようになった。だって彼にとっての救いの女神なのである。それにこの娘は、父親の愛ゆえの横暴を制御してくれる、天使なのでもある。

そんな聖王に挑戦者が出た。

彼の盟友『獅子心王』が、息子ヨハンの嫁にこの娘をくれと言ってきたのである。

自殺志願者が発狂して全面戦争の宣戦布告をしやがった!そこに居合わせた者全て、勿論ランドルフも真っ青になった。地獄だ。この世の地獄が勃発する!否、この世界が破滅する!激戦区の戦場で最前線に立たされたってこんなに恐ろしい思いはしない!

「ほう」聖王は完全にブチ切れつつ言った。ちなみにこの男、かつて政敵に紅茶を満席の議場でぶっかけられた時には、まるで『風が少しそよいだな』程度に平然としていて、逆襲に『これ以上私を水の滴る良い男にしてどうするのですか』と言い放ち、政敵を屈辱感と敗北感で真っ赤にさせ、議場を爆笑の渦に巻き込んだ。「なるほど、貴方の御子息のヨハン君には私の聖槍を真正面から受けて立つ覚悟があるのだな」

「ああ、それがあるのですよ」と獅子心王アマデウスは嬉しそうに言った。「あの子は銃弾が頬をかすめても平然としていた。 一発では無い、数発撃たれても、それがどうしたと言う顔をして」

「では試してくるとしよう」

うわあ、とそこにいたランドルフら側近の方が思わず悲鳴を上げて止める羽目になった。彼らは総出で聖王を説得した、聖教機構屈指の名門ヴァレンシュタイン家と縁続きになって聖王に困る事は何も無い、むしろあの仲良しの可愛い二人の事だ、今は婚約者で、いずれはと言う事でも良いではないか。

第一、たったの六歳の少年に聖槍をぶち込むのはあまりにも。

「私は公言したはずだが。 マグダを私から奪い取るつもりならば死を覚悟しろと」

いやいやいやいやいや、落ち着いて下さい!

いつしかランドルフらが実際に死を覚悟して、聖王を説得していた。

何しろ聖王と来たら、既に聖槍を発動させていて、いつ誰にぶち込むか、と言う状態であったからである。

「おとしゃまー!」そこに救いの女神がやって来た。ランドルフらが必死に聖王を食い止めている間に、一人、彼女を連れに行った賢明な者がいたのだ!「まぐだ、よはんのおよめさんになるの?」

「大丈夫だよマグダ」にっこりと殺意を溢れんばかりに顔ににじませて、愛情たっぷりに聖王は言った。「私の世界一可愛いマグダを誰があんなクソガキの嫁になんかやるものか」

「!!!」救いの女神の目が真ん丸になり、そして、涙を限界まで溜めた。「おとしゃまのばか!」

一撃で聖王がくずおれた。どこからともなく、どよめきが起きた。

「まぐだ、よはんのおよめさんになるもん! おとしゃまきらい! おとしゃまのばか!」

「ぐ、あ……」呻いたきり動けない聖王に代わって、獅子心王が嬉しそうに、

「本当にウチのバカ息子の、そうだね、婚約者になってくれるのかな?」

「うん! よはん、やさしいもん! なきむしだけど、まぐだはだいすき!」

「ありがとう!」

獅子心王は笑顔で、マグダを抱き上げた。そして死にかけている聖王に、冷たく、

「貴方は子供の願いを踏みにじるような真似は、よもやなさるまいな?」

「あ、ああ……」心臓につららが突き刺さったかのような、返答は、ほとんど断末魔であった。


 聖王の恐ろしく地味な嫌がらせが始まった。ヨハンへの、マグダを奪われた嫉妬心からの嫌がらせであった。

「君は本当にマグダを大事にしてくれるのか」

そんな類の事を、ねちねちとヨハンに絡んでは言うのである。ヨハンはそれを一度もうっとうしいとも言わず、一々丁寧に、「はい」と答えるのであった。

「私は聖槍を受けて立ち上がった者にしかマグダをやりたくはないのだ。 覚悟はあるかね?」

「マグダの、た、ために死ぬ覚悟、なら、い、いくらでも。 でも、本当にぼ、僕がするべき覚悟は、マグダのた、ために、どんなに辛くても、生きるこ、事です」と少年は、どもりながらも、きっぱりと答えた。

「……そうか」

聖王は、一応は納得した様子で引き下がった。だが、内心ではちっともまだこの少年を認めていなかった。


【ACT一】 デバンとエリン


 現在、アルバイシン王国属領のデバン地方には、国家として独立していた時期がある。

かつての亡国クリスタニアの最盛期に、アルバイシン王国とクリスタニア王国の戦争が発生した。その際にクリスタニア王国は長年独立を求めていたデバン地方の独立運動を支援し、ついにデバン公国としてクリスタニア王国への恭順を誓わせる代償に独立させたのである――と言っても、あまり政治的関与はせず、クリスタニア王国の経済圏に組み込む方を重視した政策をクリスタニア王国は取ったため、事実上デバンは独立国家になった。感激したデバンの国民はクリスタニア王国とアルバイシン王国の戦争に、我先に参戦した。二カ国の挟撃に遭ったアルバイシンは大敗北し、勝利を掴み取ったデバンの民はクリスタニアへ熱狂的好意を持つようになった。特にデバンの公族アブスブル家は当時のクリスタニア国王クレーマンス七世やその忠臣一二勇将に対して、ほとんど信者と言っても過言では無いほどの崇敬の念を抱いていた。

しかし、クリスタニアが滅んでいく間、その経済圏に組み込まれていたがゆえに、致命的な経済的打撃を受けたデバン地方は、その隙にアルバイシンに軍事制圧されてしまった。

以降、かつてのような独立を求める運動が、延々とデバンの民の間で続けられていた。だがその独立の仕方によってデバンの民も分裂した。万魔殿と結託する者、聖教機構に力を借りる者、色々といた。だが、最も数多くの民の間で支持されており、かつ現在で最有力な勢力は、アブスブル家の末裔に率いられた、『新デバン公国』であった。

アブスブル家末裔、デバン公国が存続していれば『ペトロニラ女公』と呼ばれたはずの少女は、話を聞いて思わず顔をしかめた。彼女が『新デバン公国』の君主であった。

「ネオ・クリスタニアの結成に当たり、我らの参加も要請する、だと?」

「はい」と新デバン公国きっての外交官ラミロは頷いた。「ネオ・クリスタニア成立のあかつきには、デバンの独立を正式承認する、との事です。 同様の駆け引きがアルビオンとエリンの間でも行われている様子。 いかがいたしましょうか」

少女は祖先からの苦々しい歴史を振り返って、言った。

「信用ならんな。 ヤツらが我らに今まで何をしてきたのかを思えば、とても」

迫害。差別。度重なる弾圧。あまりにも数多く殺されてきた独立運動家や、民。

「同感でございます、ですが……」とラミロは黙る。

「帝国がネオ・クリスタニア成立にあたり、裏で動いていると言う噂か」そう言いつつ少女は考え込む。「今まで帝国を敵に回して無事だった国は存在していない、からな……」

「エリンの動向を見てからでも、遅くは無いでしょう。 エリンとアルビオンが本当に和解したのならば、我らにも可能性はある、と見て良いはずです」首相のセルソが呆れ気味に言った。「ですがあのアルビオンとエリンが真に和解するとは、とても思えませんがね」


 エリン公女メイヴは最初はこの青年を人質に取ろう、とすら考えてしまった。

アルビオン王太子エドワード。

人質にすれば、かなりの効力を持った対アルビオン用のカードになる事は間違いない。

だが、ほとんど単身でアルビオンからの使者としてやって来た若者を人質に取るなど、国際的批難を浴びる行いである事も間違いないのだ。

「……それで」と彼女は言った。病気がちの父親の代わりに若い身の上で政務を執っているとは言え、彼女の政治的能力は確かなものであった。「全エリンの独立をアルビオンは、エリンのネオ・クリスタニア参加と言う条件を満たすならば認めると?」

「ええ。 北エリンをも含む全エリンの独立を認めましょう。 どの道ネオ・クリスタニア成立のあかつきには列強諸国間の国境線と言うものが消失しますから」

そうエドワードに言われても、彼女はまだ半信半疑であった。

「では、先に北エリンの治安維持部隊を撤退させて頂きたいのですが」

「それは、」とエドワードが何か言いかけた時、彼の側に付いていた老軍人ハリーが言った。

「北エリンに在住するアルビオン人の生命と財産、そして自由の保証をして頂けるならば、直ちに撤退させましょう」

「……要は治安維持部隊がいた時と同等の権限をアルビオンに残すならば、と言う事ですか。 北エリンの海洋資源問題は、では根本からは解決はしないですね」

アルビオンが北エリンに根深く執着する原因が、それなのである。北エリンに住むアルビオンの民の大半も、北エリンの海洋資源採掘産業に従事している。

「資源を取り扱っているアルビオンの国営企業を廃止させましょう。 ですが新たな企業をそちらが創始する際には、確実に馘首されたアルビオンの民も雇っていただく。 これでこちらの譲歩できるものは全て譲歩しました。 今度はそちらの番です」

エドワードはそう言って、じっとメイヴを見つめた。

「……」彼女は考え込む。確かに、アルビオンが切られるカードは全て切られた。そのカード以上のものをエリンが求めた場合、この交渉は決裂する。だが、あと一つだけ、エリンには必要な事があった。「謝罪無しでエリンの民がこの全てを受け入れるかどうか、です」

そう言って彼女は、試すかのようにエドワードを見据えた。すると彼は、

「良いでしょう、私で良いなら即刻エリンの公営放送で謝罪しましょう。 それで全てが丸く収まるならお安いものだ。 さ、すぐにでもマスメディアを呼んでくれませんか?」

にっこりと笑って、そう即座に言って返したのである。

何と言う!メイヴは唖然として、度肝を抜かれた。やられた。彼女がアルビオンをへりくだらせるつもりが、逆に彼女がアルビオンに見下ろされたのだ!

だが、一切の反撃手段も道義も無かった。先に攻撃したのは彼女であるからだ。

(やれやれ)それらを全て傍らで見ていた老軍人ハリーは思った。(この御方も、間違いなく大物になるな)


 ネオ・クリスタニア成立。

だが一つの旗の元に結集した彼らには数多の問題があった。まだデバンの問題が解決していないのと、軍事や政治・経済の中心地をどこに置くか、またそれらの統合問題、また情報の共有や分析に不慣れであった事、そして更に、ウトガルド島から全世界に発信された、最悪の信じがたい情報『偽神の復活と全人類滅亡』にどう対処するか、そして聖教機構や万魔殿といかに協力していくか……、とにかく生まれたての彼らには、解決すべき問題がこれでもかと積まれていたのである。


 メディチ財閥当主グラートは、新聞を読みつつ、ふとため息をついた。彼はウトガルド島に並んで世界に経済的影響力のあるメディチ財閥の当主であった。メディチ財閥は、『ユースタス支援金』と言う機構を設立して、将来有望だと判断した若者に返還不要の全教育費の支援を行っていた。そして、『メディチ賞』と呼ばれる、主に芸能・学問分野でそれぞれ功績を挙げた者へ与えられる、世界一名誉な賞を毎年ごとに与えていた。

『メディチの女に馬鹿はいない』と巷では言われている。『仮に馬鹿がいたとしても、有能な男を連れ合いに選ぶ力を持っている』と。

何故か、メディチ家は女ばかり生まれる家系であった。グラートだって元はメディチ家先代当主のユースタスの娘婿であった。彼は孤児であった。親も兄弟もいなかった。一人で生きていくために孤児院で必死に学問をやっていた一六歳の時に、後に彼の妻となる娘が、親に連れられてその孤児院を訪問してきた。

その出会いは、彼にとって忘れられないものとなった。いかにもお嬢様と言った風情の少女が、執事に手を取られて高級車から降り、親共々、孤児院に入ってきた。院長から誰も彼もが寄付金欲しさに作り物の笑顔で出迎えた、その時、少女が露骨に嫌そうな顔をして言ったのだ。

「ねえパパ、お金はこんな嫌らしい笑顔を人に作らせるのね」

「!」

グラートは驚いた。箱入りの世間知らずのお嬢様だと思っていた、それがこんなにも鋭いとは。少女はうんざりとした顔で、凍りついたその『笑顔』を次々と見ていたが、グラートに目を留めると、目を丸くして言った。

「パパ、この人は違うわ!」

それがきっかけで、グラートはユースタスと話す機会を得た。ユースタスは何故か彼を気に入って、彼の学費を全部支払ってくれた上に就職先――メディチ家系列の小さな会社だった――まで斡旋してくれたのである。だが、就職先の斡旋については一つだけ条件があった。

「上の娘を貰ってくれんか。 親の私が言うのも何だが、なかなかの器量良しだ」

実はその娘さんとは今も隠れて交際しています、とは口が裂けても言えなかった彼は、表向きは素直に喜んだ。裏では多少のユースタスに対する罪悪感はあったが、それはこれからの彼の行いで払拭できるものであった。

メディチ家の女はこれまた性格も気質もそっくりだった。気が強い癖に情が深い。そして異常に勘が鋭い。例えば、ある大企業が右肩上がりだと言うニュースを聞くと、その大企業はもう駄目ね、と突然言い出す。そしてその予言は恐ろしい確率で的中するのであった。逆に融資を求めてやって来た裸一貫に近いようなベンチャー企業の社長で、この人は間違いないと言いう者に融資すると、数年後にはとんでもない額のお釣りや社会的貢献が返ってくるのだ。更にユースタス支援金に応募してきた金の無い、しかし未来がある子で非常に親身になって接した場合は、それもほぼ外れずに的中する。泣きながら感謝の言葉を述べたその子は、例外なく数十年後に大成する。

そのメディチ家の女達が口を揃えて言っていたのである。

強硬派と過激派は嫌だ、両方とも言葉にならない嫌悪感がある、と。

そして、この前発生したゲルマニクスでの『史上最低のテロ行為』に女達は皆揃って憤激していた。

よって、その過激派と強硬派が崇める神が世界を滅ぼすと言う布告にも、女達は異口同音に、『お前を信じる方が嫌に決まっているじゃない!』

この大金持ちの癖に正義感の強い、愛すべき一族の事を思う都度、グラートは皆をどうか守りたいと言う強い思いと、だが皆の思いを踏みつける事も出来ないと言うジレンマに苦しむのであった。


当主がグラートに代わってもメディチ財閥は栄えていた。彼らは手広く商いをしていたが、『死の商人』にだけは決してならなかった。何故なら、メディチ家の太祖ユースタスが、生前、しょっちゅう、あざとたんこぶまみれになって帰宅したからである。そしていつも、

『オリエル(全戦無敗を誇った軍人である)の馬鹿がまた軍事費を寄こせと襲ってきた!』と喚いたのであった。

それで、彼らは軍事関連の企業だけは嫌がって作らなかったのだ。

(ネオ・クリスタニア成立自体はありがたい事だ。 こちらとしては関税問題だの紛争問題だのが解決するめどが立ったも同じだからな。 だが……)

ふと、グラートは、昔を思い出して、泣きそうになった。

(かつての亡国クリスタニアを支えた、義理父さんが生きていてくれたら)

彼の義理母カロリーナは、今、お庭で日向ぼっこをしている。オーディオ・セットで古い音楽を聴きながら、だ。彼女はいつもにこにこしている。何とも可愛いおばあちゃんだ。だが、酷い認知症にかかっていた。

別に徘徊するとか暴力とか排泄がどうとか食事が取れないとか、介護が必要なものでは無いのだ。いや、むしろそちらの方がどれだけマシかと、メディチ一族に痛感させるほどの悲しい認知症であった。

彼女は認識できていないのだ。

自らの伴侶ユースタスが数十年も昔に殺されて死んだ事を。

だからいつもにこにこしていて、誰に対しても親切で、一見すれば『本当に可愛いおばあちゃんだ!』なのである。

ひ孫も出来て、勿論そちらも可愛がるのだけれど、でも彼女はいつも思い込んでいる。

自分の夫は、また仕事が忙しくて帰って来ないだけなのだと。

「あ、貴方!」その時、グラートの妻が、真っ青になって部屋に飛び込んで来た。「大変よ!!!!!!!!!! 大変なのよ!!!!!!!!!」

「どうした!? 何があった!? しっかりしろ!」

グラートは新聞を捨てて、へたり込んだ妻に駆け寄って、抱き起す。

「あ、あ、ああ、ああああ!」だが妻は青くなって、部屋の外を何度も震える指先で指すきりでもう言葉が出ない。部屋の外には、人の気配がする。

「何だ!? 誰だ!」

グラートは叫んで、拳銃を手に部屋から飛び出した。

そして、廊下で声も無く白目をむいて昏倒している彼の義理弟夫妻と、てきぱきと彼らを介抱する男、それとは別の男女十数名、その中に懐かしい顔を見つけた。その顔に記憶が思い当たった途端に、彼も、驚きすぎて意識が飛んでしまったが、倒れる前に運よく拳銃が手から滑り落ちたはずみで暴発し、銃弾が窓ガラスを直撃したので、その音で我に返った。

「ああ」と彼は己の死すら悟った。「お、お迎えに来て下さったとは……」

『いや落ち着け、グラート。 お前もまだ生きているのだよ。 事情はコイツらが話すから、カロリーナはどこにいる?』

……と、確かに数十年前に殺されて死んだはずの義父ユースタス張本人が、とても困った顔をして言った。


 『カロリーナ』

と彼が呼んでも、彼女はぷいっとそっぽを向いたきりで、こちらを見てくれない。

「まあ酷いわねユースタス! 数十年も私を一人ぼっちにして! おかげ様で私はすっかり認知症のおばあちゃん扱いよ!」

『ごめんなさい。 ……でも、どうして私達がこの世に戻って来る事が分かっていたんだ?』

「絶対に教えてなんかあげないんだから! ……あえて言うなら、女の勘よ。 この世界はきっとまだ貴方達を必要としている、そんな気がずっとしていたのよ」

『……事実、そうだ。 今、それで、私達はこの世に戻って来た』

「偽者の神様が全人類を滅ぼそうとしている、そうね。 それをさせないために貴方も、戻って来たんでしょ?」

『……ああ。 ごめんな、カロリーナ、一人ぼっちにしてしまって』

「許してほしかったらキスを頂戴! ハグして愛しているって言ってくれなきゃ、こっちの怒りは治まらないの!」


 ……その名は、もはや伝説と化して、列強諸国に刻印されている。


一二勇将。

人類最強にして最高の、円卓を囲んだクリスタニアの一二人の騎士達。


 ネオ・クリスタニア上層部はメディチ財閥から丁重に飛空船で送られてきたその面々を目撃して、絶句する者、黄色い悲鳴を上げる者、そして、握手をしようと進み出て来た者、様々であった。

「オリエル、久しいな」ハリーは、そう言って、固く『常勝将軍』オリエルの手を握った。老いぼれてしなびた彼のまぶたに浮かぶのは、かつての宿敵の相も変わらぬその姿だ。それが、目の前の男の姿と重なり、少しだけぼやけた。「どうやらお前達は、あの時終わっても、まだこの世界に必要とされているようだ」

『まあそうだな!』デリカシーの欠落した、いつものあの大声でオリエルは言った。『神が全人類を滅亡させようとしているなら、全人類が結集して神に立ち向かうのも、まあ手段としてはアリだ!』

「お前ならネオ・クリスタニア総軍の指揮を執れる。 いや、いずれは聖教機構や帝国、万魔殿軍も加わるだろう。 それらと連携しつつ、軍紀を維持し、総指揮を取れるのはお前だけだ。 お前が率いた軍は最強の軍隊だからな」

『最強の軍隊の構築と維持なんぞ簡単だぞ! 軍紀違反者はいかなる理由があれ斟酌すべき事情があれ、その場で銃殺する、これだけだぞ!』

「ははははははは!」ハリーは心底から笑った。コイツはいつもこうだった。いつだって、こうだったのだ!「そうだ、それだからお前はお前なのだ!」

『デバンがまだ問題として残っているとか』早速仕事をしようとしているのは、アナベラである。『詳しい事情をお聞かせ願えませんか、イグナティウス八世?』

「御助力願えますか、ありがたい」アルバイシン国王イグナティウス八世はほっとした顔をした。彼も、デバンの民でクリスタニア、特に一二勇将へ悪感情など抱いている者などいないと知っていたのだ。そしてこのアナベラは『カミソリ』と言われた名外交官である。「実はデバンのレジスタンス達の間で対立が起きているのです。 主にネオ・クリスタニア成立に賛同する新デバン公国側と、それに反対するデバン解放前線側とが、内戦状態で激突していると言っても過言では無い有様でして。 何故デバン解放前線があそこまで強硬に反対しているか調査させたのですが、理由は単純明快、金なのです。 彼らは万魔殿過激派や聖教機構強硬派と金で癒着していて、ヤツらの言いなりなのです。 かと言って我々アルバイシンが介入すれば、事態は余計に悪化します。 ゆえにどうしたものやら、困りかねていたところなのです」

『なるほど。 ではあちらの部屋で、具体的な対策の検討を始めましょう』

アナベラはそう言って、会議室を示した。

 彼らが来た途端に、恐ろしい勢いで問題が解決され始めた。具体的な内政はアンデルセンが、法律関係はランディーが、官憲の統率はクロードが、医療福祉問題はDr.シザーハンドが、情報収集と分析はマダム・マクレーンとゲッタが、経済関係はユースタスが、そしてアルトゥールは研究室を(強奪に等しいやり方で)貰うなり、そこに引きこもって時折背筋が凍るような奇声を上げ、イヴァンはそんな彼らの護衛をした。

そして、グレゴワールは、険しい顔をして、そんな彼らを統率していた。

 『ギー坊やが大天使に乗っ取られた』

忌々しき事態であった。彼らが大事に育て、命がけで生かした若者が、世界を滅ぼそうとする者の一員になっているのだ。しかもそれは坊やが望んだ事では無く、無理やりに体を乗っ取られた結果なのである。

(誰も彼もこの世界の滅びなど望んでなどおらぬ。 だが坊や、それはお前も同じだったはずだ。 ……大天使よ)グレゴワールは静かに腸が煮えくりかえるのを感じた。(よくも可愛い坊やを!)

「グレゴワールよ」その時、懐かしい声がして、彼は振り返った。電動車いすに乗った、本当に小さいしわくちゃな老人が、部屋に入って来た。「坊やを解放する手段について、聖教機構にいる彼の娘が言っていたよ。 どうあっても殺すしか無いらしい、と」

『サミュエルか』グレゴワールは、ふと顔をほころばせた。『お前も本当に長生きだな』

老人は、頷いた。小さな、けれど叡智に溢れた目でじっとグレゴワールを見て、

「……クリスタニアが滅んだ後、坊やが私を拾ってくれたのだよ。 そして聖教機構管轄下の大学の教授の椅子を一つ、くれた。 だから衣食住には困らなかったし、家族も養えた。 持病のぜんそくは死ぬまで治らないだろうが、おかげさまで一病息災だったのだろう」

『そうか。 ……坊やは、殺すしか無いのだな』

「坊や本人が大天使を一時的に乗っ取り返した時に叫んだそうだ、殺してくれ、さもなくば殺してしまうと。 万魔殿からも似たような情報が来ているそうだ。 大帝も、同じだと」

『ふむ。 では第一の問題は、いかにしてネオ・クリスタニアを坊やの聖槍の猛威から庇うか、だな。 世界を滅ぼすまでは行かなくとも、あれには成立間もないネオ・クリスタニアを崩壊させるだけの破壊力がある。 こちらの主要都市を全撃破されたら、それは免れない。 どうしたものか』

『あーっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!』けたたましい奇声と共に部屋に入って来たのはアルトゥールであった。『グレゴワール、その言葉を私は待っていた。 今さっき研究が成功した。 アルビオンからかっぱらった……ゲフンゲフン、貸してもらった「聖骸布エイジス・シュラウド」システムの機能拡張に成功したのだよ! これでネオ・クリスタニア全域を聖槍並びに全攻撃から守れる! あーひゃっひゃっひゃっひゃ! 研究は楽しい!』

「もう化物だ」サミュエルが思わず言った。ほとんど嘆くように、けれど少しだけ笑うように。「唯一、聖槍の直撃にも耐えた『盾』の機能を拡張させる事に成功するなど、人間とは思えない」

『賛辞と受け取っておく! ひゃーっはっはっはっはっはっはっはっは!』

『次の問題は、ではデバンだな』とグレゴワールが言った瞬間、ユースタスとアナベラが部屋に入って来て、

『片付いた』と言う旨の言葉を異口同音に言った。

『新デバン公国をデバン統治政府として正式承認し、様々な経済支援を行った結果、デバンの民はこちらになびいた。 そりゃあインフラをただで整備してくれる、食料にも困らない、就職先だってある、となれば誰だって安定志向に走るものだ』ユースタスはそう言ってから、『要は大衆の正当性をこちらが所持すれば勝ったも同じ、だろうアナベラ?』

彼女は、ええ、と頷いて、

『デバンの民に全ての事実を公開し、どちらに付けば利があるか明確にすれば、簡単に解決する問題でした』

『そうか』グレゴワールは頷いた。『では聖教機構、万魔殿、帝国との連携が次の課題だな』

『疲れました……』

そこにヘロヘロになりつつ出てきたのが涙もろい悪魔のマルバスであった。早速にさめざめと泣きながら、

『本当、悪魔が過労死するって、どんな冗談ですかシクシク。 ええと、とにかく、報告を。 万魔殿、聖教機構、帝国それぞれの幹部が明日に聖地エルサーレムで会合を開くので、それに来ていただきたい、との事でした。 ったくアスモデウスさんもムールムールちゃんも、私をいじくり回すんですよ! 最近のオムツは臭いが漏れないとか高機能だとか! 私が好きで漏らしているとでも思っているんですか!』

『よし、ネオ・クリスタニア代表各位と私達も行こう』グレゴワールは言った。


【ACT二】 アーレツ


 「『一二勇将』を復活させてネオ・クリスタニアへ派遣した?」

秘書からの情報に、マグダレニャンが思わず唖然とした。

一二勇将。それはかつて、亡国クリスタニアを世界的大国として隆盛させた、英雄達の事である。そして――彼女の父親の家族であったと言う。

「はい」秘書のランドルフが困った顔をして続ける。「ネオ・クリスタニアの統率のためだそうですが、一体帝国が何を言っているのか私には意味が分かりません。 ただ、現状のネオ・クリスタニアでは積み重なっていた問題が恐ろしい勢いで解決されています。 あれほど厄介だったデバン諸問題ですら、ほぼ解決したと言って良いでしょう。 どうやらそれらを行っているのが、『一二勇将』らしいのです」

「……伝説的な彼らの偉業から推測すれば、不可能では無いのでしょうね、ですが――」

「はい、彼らが帝国の遣わした偽者である可能性も捨てきれません。 明後日の会合、最大限の注意が必要かと思われます」

「多分本物だぞ」と話し込む二人に声をかけたのはI・Cだった。「だって帝国のパシリの偽者だろうが、あれだけ誰もが手を焼いたデバン諸問題をこの短日に解決できるのは、それだけの能力を持ったヤツって事だ。 俺は生憎それほどの能力を持った人間を一二勇将と聖王以外に知らねえ。 それにムールムールちゃんがマルバスが来たって言っていただろう? マルバスってのは一二勇将にこき使われていた気の毒な悪魔の事だ。 一二勇将が銃殺された後、異界に連中を連れて行ったんだ。 だからまず、間違いない。 一二勇将は悪魔になって戻って来たんだ」

「悪魔になっても中身はそのままだ、と言う事かしら?」

マグダレニャンが好奇心を隠して訊ねると、I・Cは頷いて、

「そのまんまだろうな。 ちょっと体力的に増強はされているだろうが、生前からあんな化け物みたいな能力を持った人間に余計な能力付け足してどうすんだって所だ。 帝国君主の女帝の能力は、異界に行った人間や魔族を悪魔に変える力なんだが、今回ばかりはどんな能力をくっ付けるかで迷う必要は無かったんだろう」

「そう……」

父親が彼らについて懐かしそうに語っていた時の思い出が、彼女の中で蘇る。

『私はあの人達の子供なんだよ。 たった一人の、子供なんだ』

「マグダ様」そこでランドルフが時計を見て、声をかけた。「グラッジ名誉教授との面談がもうすぐでございます」

「ああ、そうでしたわね。 いらっしゃったらすぐにここへお通しするように受付へ連絡を。 それとシャマイム」ランドルフが受付に連絡を取り始めたのを見て、彼女はそれまで沈黙していた人形兵器に声をかける。「紅茶を用意なさい。 教授はお砂糖はいけませんが、ミルクはお好みでしてよ」

「了解した、ボス」シャマイムは部屋を出て行った。


 「おお、お嬢様、すっかり大きくなって」とその小さな老人は車いすの中で嬉しそうに言った。しわしわの手でティーカップを包み込んで、「ご覧になれば御父君も、きっと喜ばれるだろう! ……いや」と老人は悲しそうな顔をし、「少女のまま止まっていた体の成長が再開したようだね。 聖王が身体だけは存命と聞いて、か……」

「ええ。 教授、一瞬だけ大天使より体を奪い返したお父様は私に『殺してくれ、さもなくば殺してしまう』と言いましたの。 あの声も姿も、間違いなくお父様でしたわ。 大帝の方も同じだそうですの」

老人は、悲しみをこらえて言った。

「ギーは、望んでなどいないのだ、全人類の滅亡など。 あの子は強い子だ。 例え全人類に何千回裏切られようが、それで絶望などしない。 ついにどうしようもなく絶望したとしても、その絶望に他者を巻き込まない強さを持っている。

……偽神について、聖教機構や万魔殿、帝国にあった文献や資料を全て読んだよ。 今日ここにお嬢様が忙しいのに邪魔をしたのは、その内容から推測される『人類滅亡計画』の驚くべき真の目的のためだ。

 ……かつてこの世界の前の世界には先代文明ロスト・タイムと言う超高度の文明が存在した。 今現在残存している遺物から推測するに、恐ろしく文明水準は高かっただろう。 偽神はその文明を一瞬にして滅ぼす要因となった。 何しろ、かつての世界を維持していたのが偽神の存在性だったからだ。 まるで寄生虫が宿主の体の死と共に死ぬように、かつての世界は死んだのだ。 その原因は何か、それは偽神がこの星に何者かにより幽閉された事だと言う。 それまで偽神は全宇宙を支配していたそうだ。 文字通り、『神』、だったのだろう。 だが今や偽神はこの星の中の機械仕掛けの体に閉じ込められてしまった。 全宇宙を支配するほどの存在性を持った者がこの星に無理やりに封じ込められれば、確かにいくら超高度の文明であろうとその余波で滅ぶだろうね。 この星の存在容量が限界を超えて破裂してしまうだろうから。 更に偽神の所持する能力も大幅に減ってしまうだろう。 全宇宙からこの星だけの支配者に貶められたのだから。 ここから先が私の考えなのだが、偽神はかつての力を取り戻し、全宇宙をもう一度支配する事を望んでいるのでは無いだろうか。 そのためには邪魔する者、つまり人類を全滅させ、この星から宇宙へと飛び立つ……そんな願望があるのでは無いかと推測した」

「ですが、何故、全人類なのでしょうか? 偽神に帰依する人類もいますのに」マグダレニャンが訊ねると、

「きっとこの星を破壊するつもりだからだろう、この星から孵化するように」

老人はそう言って、頭を振った。マグダレニャンの瞠目に共感するように。

「この星に幽閉されたのならば、この星と言う檻を壊してしまえば良いだけの事。 だから私は、人類滅亡計画の正式名称は『地球最後の日アポカリプス』であり、それに気付かせないために人類と言う言葉を使っているのだと考えたのだよ」

「人類も、人類を包含する全てのこの星の生命も、この星そのものも。 ……教授、私達の抵抗策は何があるとお考えかしら?」

老人は、目をつぶって、開けてから、じっとマグダレニャンを見て、告げた。

「……あまり言いたくは無いのだが、全面戦争、しか無いだろうね。 だが、勝ったとしてもだ、偽神がこの星の支配者であり、かつ――その存在性がこの世界を維持していたのだとしたら、どの道、世界は滅び、私達に未来は無いのだよ。 だが、何も抗わぬまま滅ぼされるのは私だってご免だ。 もしかすると、抗う内に何かが見つかるかも知れない。 ……希望的観測だがね」


 「全人類が滅ぶ、この終末布告のおかげで世界中の治安は最悪らしいな」

「……」

「まあ気持ちは分からないでも無い。 俺だって明日いきなり全人類が死ぬとか言われたら、ショックで寝込むだろうから」

「……」

「だが俺がどうしてショックを受けるかと言うと、お前達とこうやって美味いものをまったりと食えなくなるのが悲しいからだ」

「……」

「暴徒と化して暴れるとかそんなのはやりたくない。 暴れたって、それは恐怖の誤魔化しのためであって、結局は恐怖そのものは変わらないだけだから。 それよりも盛大にお前達と最後の晩餐を楽しんだ方が、なあ?」

「……」

「俺の親父は死んだ後、月に行った。 多分そこでウサギと遊んでいる。 きっとそこなら女なんていないだろうから、俺も死んだらそこに行きたい」

「……」

そこで男の声で喋る美女は、相手二人の沈黙に不思議そうに、

「どうした? まさかここのスイーツが不味いのか? それとも大学の講義が難しかったのか?」

あんちゃん……」彼(?)の隣に座っていた青年が黙り込んだ挙句に言った。「俺、どうも胃が気持ち悪いんだよ」

「大丈夫か、食中毒か!?」美女(?)はおろおろする。「あんまりだぞ、すぐに病院に行って、後でこの店を訴えてやる!」

「いや、そうじゃなくて」青年の目には、山のように積まれた皿が見えている。「兄ちゃんがさっきからスイーツを凄い量食べているのを見たら、何か胸焼けが、こう、さ……」

「うん、俺もだ」向かい側に座っていた洒落た青年が、辛うじて水だけ飲んで、言った。「グゼ、オメエよぅ、食いすぎって言葉を知らねえのか!」

「いや、俺はスイーツに飢え死にしかけていたからまだ全然食べ足りない」

そう言うなり美女は今度は七個目のレアチーズケーキを口に運んで、

「大体俺がスイーツにどうしてここまで飢えていたかと言うと、俺がだ、こういう店に女装したりデブのハゲに偽装してやって来たのに、何故かいつの間にか女の大軍に囲まれていて、恐怖のあまりに逃亡する、これがいつもだったからだ。 だがお前達と一緒で俺が女装していれば流石に女も寄っては来ない。 俺は今とても安心している」

「代わりに俺達が女共から『ぶっ殺すぞ』って目で見られてンのが分からねェのか!」洒落た青年が眉をひそめて小声で言って、「俺ァ生まれて初めてこんなとんでもねェ量の殺気を感じているんだぞ!」

「心配するな、ここの店主は男だからスイーツに毒は入っていないはずだ」

少しこの美女(?)は感覚がずれている。

「兄ちゃん、俺、殺意の視線で背中に穴が空きそうだよ!」美女の弟らしき青年は涙目である。「兄ちゃんが女性恐怖症な訳が分かった気がするよ……」

「そうだ、女は怖い生き物だ。 化物だ。 俺は女と世界に二人きりなんて事態に陥ったら火山口に間違いなく身投げする」

「――うわッ!」いきなり彼女(?)の弟が震え上がって小さな悲鳴を上げた。「俺の背中に女がフォークとか投げて来た! 兄ちゃん助けて!」

「何だとぉ!?」美女(?)は怒った。スプーンを掴んだまま席を立ちあがり、フォークを投げた女のいる席に近づいて、「私の可愛い弟に何か御用!?」

そう言うなり、スプーンを振り下ろし、固い木製のテーブルを下まで貫通させた。

けれど、女達の目にあるのはハートマークだけである。

「あらやだ! 弟さんだったの! ごめんなさーい! ところで貴女……お名前を伺って良いかしら、いやーん、だってとっても素敵で魅力的で」

美女が血相を変えて逃げ出した。会計係に財布を投げつけてカフェから逃げた。

「……行くぞ、宗世」と洒落た青年がため息をついて立ち上がった。

「うん……啓世さん」

二人は会計係のところで財布を回収して支払いを済ませると、そのホテルのカフェを出て、男子用トイレに向かった。

「……しくしくしくしくしくしくしくしくしくしく」

最奥の個室からすすり泣きが聞こえる。

「女なんて女なんて女なんて」

呪詛も聞こえる。

「兄ちゃん、あのね、もう泣いている暇すら無いんだよ」

と宗世は言った。

「もう分かっているだろうがよォ、何か知らんがこの男子トイレをちらちら見ている女が結構いるんだぜ」啓世はそう言って、「ったく、お前は女の誘蛾灯かよォ!」

「俺は女なんて嫌いだ……」

がちゃり、ドアが開いて、ありとあらゆる女を一目で虜にしそうな、魔性の美青年が姿を見せる。女装を止めたのだ。ただし、この男、気の毒なほどに泣きじゃくっている。

「なあ、どうしたら同性愛者になれるんだ? 性転換手術を俺は受けるべきなのか? 去勢すればもう女は寄って来なく」

錯乱しているのか、言っている事も滅茶苦茶である。

「兄ちゃん、落ち着いて。 とにかく、帰ろう」

宗世はそう言って、地上二〇階のトイレの小窓を蹴り破った。

「さ、行こう、兄ちゃん、啓世さん!」


 聖教機構和平派拠点エルニノ・ビルに戻って来た三人は、いつになく珍しい光景を目にした。

筋金入りの狂科学者でいつも跳ねまわっている、『躁状態が通常』の青年エステバンが、何とすすり泣きながら落ち込んでいるのだ。

「エステバン、どうした?」グゼは声をかけた。「何か失敗でもあったのか?」

「……いや、失敗はね、『その方法じゃ駄目だ』って言う発見だから、いつもなら僕ぁここまで落ち込まないのさ。 僕がこんなに陰気なのは、ほら、レットの……」そこまで言いかけて、エステバンはうな垂れた。

「……ああ」グゼは合点が行った。「エステバンはウトガルド島王直々の懇願で、あっちに行ってきたんだな。 レットは、どうだった?」

ウトガルド島にて、彼らの仲間レットが、身体組織の崩壊により死にかけていて、それを助けられるのはエステバンだけだったのだ。

「僕だもの、成功はしたさ」だがエステバンはちっとも嬉しそうでは無い。「でもねえ、これでレットは人間じゃなくなっちゃった。 何となくなんだけれど、良い気分じゃなくってね……」

「それは、無理も無いな……」グゼは無念そうに言う、「だってレットは俺達全員を裏切っていたけれど、それは大天使達から『全人類滅亡計画』の情報を引き出すためだったんだろう? アイツは裏切り癖はあっても、性根は悪くない男だからな」

「そうさ!」エステバンは目に涙を浮かべて、「レット、大天使をやり込めた結果、どうなっていたと思う!? もうベッドじゃ駄目で培養槽の中じゃないと生命体として存続できないくらい体がぐちゃぐちゃで、臓器の大半がもう駄目で、頭蓋骨の中だけが辛うじて無事だったんだ……!」

「……そう、か」

「なのに死ぬなってウトガルド島王が泣くんだ! レット、頼むから死ぬなって泣くんだ! お願いだから死ぬなって、俺の命令だから死ぬなって、お前は俺の命令をいつも忠実に聞いただろうって培養槽にしがみついて泣き叫ぶんだ! ……見ているこっちが泣きたかったよ!」

「……それは、辛かったな」

「辛かったよ! ボスから言われた通りにしたけれど、辛かったよ!」

ついにエステバンはわあわあと泣き出した。グゼはこの青年が泣き止むまで待とうとしたが、そこに、

「全く、エステバンらしくないねえ」とシャマイムに瓜二つの白い人形兵器が出て来た。「結果的に僕は生きている、じゃなかった、存在しているんだから良いじゃないか」

「レット、か!?」グゼが目を見張る。

「うん、もうレット・アーヴィングじゃなくて、レット・『アーレツ』だけれどね」

兵器は、グゼも見慣れた情報屋の、いつものポーカーフェイスを浮かべた。

「ったく誰も彼も。 僕は全員を裏切ったのに、その裏切った誰も彼もがお人好し過ぎるんだよ。 裏切り者は当然死ぬべきなのに、口を揃えて『死ぬな』『死んじゃ駄目』『死なないで』だってさ。 呆れたものだよ、本当にさ。 全員大馬鹿ばっかりでどうしようもないよ」

「そうか? まあそうだな。 でも、鹿んだろう?」

グゼはそう言って、女が見たらこの男に殺されたいと思わず願うほどの魅力的な笑みを浮かべた。しかし相手が良かったので、恋情沙汰は一切起きず、

「まあね、仕方ないよね」と兵器がポーカーフェイスのまま頷いただけで済んだ。「僕だってそんな大馬鹿共が嫌いじゃないんだからさ」

そして、兵器は兵器特有の無表情になって、次のように言った、

「――あ、そうだ、訊いているだろうけれど、万魔殿からの使者が今日ここに来るんだって。 ネオ・クリスタニア、成立したは良いけれどまだ揉めている事も多いだろう? あのままじゃ正直、総力戦の足手まといだ。 でも何か帝国には策があるみたいなんだ。 けれど、それが公表されていないから変だって、それで来るみたいだ」

「へえ」グゼは首を傾げて、「帝国は何を考えているんだろうな。 いくら帝国だとは言え、あれだけ山積みの問題を快刀乱麻に解決できるとは俺にも思えないんだが」

「万魔殿も同じ疑惑を持っているらしいよ。 それで来るって――あ」

レットの言葉の途中で、グゼの血相がいきなり変わった。後ろの方で大人しくしていた弟の宗世にいきなり体当たりしたのだ。

「「!?」」

誰もが目を見張る、宗世がいた場所に青髪の青年が出現して、そしてその青年は大剣を構えていた。

「……外したか」とだけ青年は言った。

「逃げろ宗世! コイツはお前の危険だ!」グゼは背中に宗世を庇い、両手にナイフを握り、そう叫んだ。いつでも攻撃できるよう身構えて、「コイツはお前に害意を持っている!」

「待つんだグゼ、彼は万魔殿の――!」レットが止めようとしたが、

「兄ちゃん、良いんだ」

穏やかに、宗世が兄を止めた。そして殺気立つ兄を抑えて、前に出た。

「オットーさん」宗世は穏やかに、まるで全てを甘受するように言った。「俺はあの人の殺害依頼を受けた時はどうって事無かったんだ。 いつもの事だから。 でもね、あの人の側にい続ければい続けるほど、辛くなった。 あの人だけは、せめて寝台の中で眠るように殺してあげたい、と思ったよ。 出来ればあの人の寿命の方が先に、とも思ったよ。 そしてそれはオットーさん、貴方が主戦派に味方していれば可能だったんだ。 でも貴方もさ、あの人大好きだったんでしょ。 とてもあの人と敵対するなんて出来なかったんでしょ。 俺も暗殺者じゃなかったら、出来なかった。 けど俺は暗殺者だから、出来る出来ないじゃなくて、やれるやれないの問題がいつも目の前にあるんだ。 だから、やった。 それだけなんだ。 この因果の報いがいつか来る事は、何となく分かっていたよ。 それが今なんだね」

「そうだ」とオットーは短く言った。

一閃。

グゼの絶叫が響いた。

「ぐ、う――!」

両目を潰された宗世がよろめいた。

「どう、して――!?」まるで涙のように血が流れる。

「JDは最期に、青い、と言った。 お前にもう青を見る資格は無い」

それだけ宣告して、オットーは大剣をしまった。

「そう、か。 そうか……」宗世は頷いた。そして、兄グゼの腕の中に倒れた。「へへへ、兄ちゃん、俺の皮膚にゃ一切の刃物が通用しないって思っていたけれど、目だけは違うんだねえ……」


 「和平派と話し合っても、何ら帝国の思惑は見えず、か……」

万魔殿穏健派幹部ロットバルドはそう言って、首を傾げた。

「オットー、どうした。 聖教機構で何があった?」

「過去の因縁の一つを切った」とオットーは無感情に言ってから、「蛇足として、ナラ・ヤマタイカが過激派からも見捨てられたらしい、と言う情報を得た。 過激派のナラ・ヤマタイカ駐屯兵団が撤退したらしい。 あの島国は、もう、終わりだろう」

「確かに、な。 目ぼしい資源も無く、利用価値のある場所でも無い。 おまけにまともな指導者が皆暗殺されている。 奇跡が起こらない限り、滅びゆくだけだろう」

オットーの言葉に、ロットバルドは頷いてから、椅子から立ち上がった。

そして、こう告げた。

「では、大帝を殺す計画を立てよう」

「この剣では殺せないのか」オットーが殺気立ち、大剣ノートゥングを手にした。

「ああ」だがいつものように、冷静に辛辣にロットバルドは言う、「君では剣の技量で大帝に負けている」

「だったらどうすれば殺せる?」

「勝つ手段は二つある。 相手より強くなるか、勝利の条件を変えてしまうか、だ。 だが君が大帝より強くなるには、現状では時間が足りない」

「ならばどうしろと?」

「簡単だ」ロットバルドは淡々と言った。「君が大帝と戦っても、必ず大帝が死に、必ず君が生き残る作戦が私にはある」


【ACT三】 聖母テオトコス


 この頃、マグダレニャンはどうも体調が優れなくて、疲労が溜まったのだろうかと医者にかかった。

すると医者は目を丸くして、

「おめでたでございます!」

「えっ」と彼女はらしくもなく、固まった。しばし固まっていたが、彼女は、やがて微笑みを浮かべて、「あのう、ヨハンを呼んできてくれません事?」

事情を知っている医者はすぐに快諾して、病室を出て行った。入れ替わりにI・Cが入って来て、

「なーんだ、お嬢様、やーっとヨハン様とやる事やったのか」

「ねえI・C」とマグダレニャンは般若の顔をして、「初めての一度きりで妊娠する、なんて明らかに疑わしくなくって?」

「クリティカルヒットしただけだろ。 別にいーじゃん、デキ婚だろうと。 ぐだぐだと無駄に長ーく婚約関係にあったんだ、どーせ婚姻届を早く出せってどいつもこいつも言うだ」

ろうに、とそこまで言いかけたI・Cは、主からの殺意を感じてぎょっとした。

「私、私の寝室に入れた事のある異性はヨハンとランドルフと貴様だけなのですわ」

「お、俺は無実」最後まで言う事が、I・Cには許されなかった。

彼の顔面にケーブルを引きちぎられた医療モニターがめり込み、体液と血液をぶちまけて彼は倒れた。その彼に上乗りになって、マグダレニャンは折れたモニターの残骸を手に、宣告した。

「今ここで確実に殺しますわ強姦魔。 男が何億人いようと、私が産みたいのは唯一ヨハンの子だけなのですわ!」

骨肉に金属がぶち当たる恐ろしい音が響いた。

I・Cが身をひっくり返し、悲鳴を後回しに、這いずって逃げようとした、その背骨に次の攻撃が命中した。I・Cが声も無くけいれんした、その時に病室にシャマイムが駆け込んできて、

「ボス、I・Cからの暴言で体調を」余計に悪くしていないか、そんな事を聞く前に、シャマイムは咄嗟にマグダレニャンを背後から羽交い絞めにして、「ボス、I・Cの処刑はランドルフ及び特務員が率先して実行する!」

「あらシャマイム」とマグダレニャンは鬼女の形相で、「医師に胎児の遺伝子鑑定を即刻実施して欲しい、ヨハンと一致しなかった場合は堕胎手術を、と伝えなさいな。 それと」

「?」

「I・Cの能力の中には、眠っている女を強姦する力もありますわよね?」

「……該当する能力の発動現場の目撃体験が自分の記憶域には存在しないが、I・Cの場合は女性の強姦そのものが容易に可能だと判断する」

そしてシャマイムも、もはや液体窒素の方が温かい、そんな目でI・Cを見た。

「シャマイム!」I・Cが触れる事さえ汚らわしいと言いたげなシャマイムらの冷たい眼差しに、「俺は無実だ!」

けれど、彼の場合、無実の反対の悪行しかやっていないので、誰も信じてなどくれないのである。ここにいる、二人もそれは同じで、

「どう考えても嘘ですわね」

「是」

そこで、

『あ、あのう』完全に怯えきっている、そんな声がした。

「「?」」

二人がそっちを見ると、いかにも善人そうな青年が立っていた。

『こ、こ、こんにちは、お母さん。 初めまして、僕が、子供』

次の瞬間、火事場の馬鹿力でぶん投げられたモニターの残骸が宙を舞い、病室の壁に激突して粉砕された。

「貴様か!」マグダレニャンが青年に襲い掛かった。「殺してやりますわ!」

『ち、ちが』逃げて青年は病室のドアを半泣きで叩いた。『助けてお父さん!』

「マグダ!」今度はヨハンが駈け込んで来た。「落ち着くんだ!」

その顔を見た途端にマグダレニャンは泣き出した。

「私、ヨハンの赤ちゃんしか産みたくない! 他の男のなんて死んでも嫌!」

彼女を抱きしめて、ヨハンは言った。

「安心するんだ、彼は紛れも無く僕らの子供だ。 良いから落ち着いて、ベッドに寝て。 興奮すると体に良くないよ」


 「お前」I・Cが、唖然としていた。「お前……」

『ああ、うん、随分と久しぶりになっちゃったね、魔王』青年はI・Cを見て、穏やかに微笑んだ。『お母さんが君の上に馬乗りになって暴行しているのを見たから、これは……と思って先にお父さんの方に助けを求めに行ったんだ』

「おい、いつもの自己犠牲で俺を先に助けろよ」

『うん、ごめん。 いやあ前のお母さんも凄かったけれど今度のお母さんはもっと凄いねえ』

「そりゃそうだぞ、だってこの女は自ら修羅の道を歩くと決めた女だ」

『うん、知っている。 だから私のお母さんになってもらった。 ただ、その、体の成長が止まっちゃったから私も来るに来られなくてね。 成長が再開したから、こうしてやっと来られたんだけれど』

「お前、俺が何千年待ったと思っているんだ。 俺は絶望しきっていたんだぞ」

『ごめんね、もっと早く来るべきだった、けれど中々聖杯の適合者が出てこなくて。 前もそうだったけれど、人間の遺伝子は、必要性を感じないと適合者を生み出さない事が多くて、おまけに聖杯は女性だけしか適合しないから、もっと確率が減ってしまったんだ』

「言い訳うぜえ。 死ね馬鹿」

『まだ産まれてもいないのに死ねって言わないで。 本当ごめん』

「……確か、先代文明の遺物の遺伝子認証者がいわゆる適合者になるんだったな。 お前も遺物の一種だったのか?」

『正確に言うと……先代文明を自己犠牲で救った第一救世主バルベーローや女帝ピスティス・ソフィアが人間に知恵を与えた。 その知恵を継承した人間達が先代文明の遺物を次々と作り上げた。 何兆回もの過ちと進歩を繰り返し、そして文明の最高峰にたどり着いた。 その技術の中には人間の遺伝子の中にすら遺物レベルの代物を埋め込もう、と言うものもあってね。 その名残が、君達の呼称するA.D.だ。 けれど中には隔世遺伝で遺物同様の遺伝子、つまり遺伝子認証能力を持つ人間が出てくる事もあった。 けれど認証できても動力が無ければ遺物の起動はさせられない。 それが可能な精神動力をも併せ持った人間、それが適合者だ。 つまり、遺物や先代文明のそもそものルーツが私達にある。 それで、私もそれを辿ってこの世界に降りて来たんだよ』

「……そうか。 さっき偽神が聖釘を使った、とお前は言っていたな。 聖釘の本当の適合者は誰だったんだ?」

『イリヤだ。 彼の祈りは私の所まで届いた。 驚いたよ、今のこの世界でこんなに純粋で一途な、本当の祈りを知る人間がいただなんて。 彼ならね、きっと聖釘の本来の力を、己の意志では無く私達の意志に適って使ってくれただろう』

「不老不死のか?」

『いいや。 あれはただの副作用でね。 本来の聖釘の力は、己の命を人に分け与える、癒しと慈悲の力だよ。 ただ、人間の命は、人に分け与えるにはあまりにも短く儚い。 それで、副作用として本人が望む間は寿命を延ばそう、と言うものだったんだ』

「あー、あのイノシシバカはある意味じゃそうだろうな。 折角の出世街道を蹴飛ばして、己の信仰の道を歩くとか世迷言をほざいていた」

『口が悪いのは数千年経っても変わらないんだねえ、魔王……』

「魔王が美辞麗句をのたまう善人だったら気持ち悪いだろうが」

『そんな事は無いと思うんだけれど。 君の世界をそうやって限定したのは君自身なのだから、突破口も君自身なんだよ』

「うぜえ。 黙れ。 俺は数千年間広い世界に延々と傷ついて、今や小さな狭い世界に引きこもっていたんだぞ。 お前がいつ来るんだ、そればっかり考えて」

『ごめんね、ごめんね、何とか、今、来られたんだよ』

そこで青年は、落ち着いたマグダレニャンの方を向いて、言った。

『お母さん、私は神の子、救世主ソーテールです。 でも、それ以前に、貴方の胎から産まれる、貴方達の子でもあります』


 イリヤは激怒していた。彼にしてみれば未婚の女が妊娠する、などと言う事態は、のうのうと見過ごせるものでは無かったのである。

しかも、彼の初恋の相手が。

(彼女はこんなにふしだらな女だったのか!)

彼は傷心を抱えつつ、それを隠すためにも怒っていた。

『一〇年以上も婚約状態が続いていて、忙しくて届を出していなかっただけ、だと思うんだけれど……とにかく、私はお母さんの味方をするよ』

いきなりの、背後からの声。イリヤははっとした。何故ならその声は――!

「貴方は、まさか!?」

振り返れば、青年が立っていて、その青年は微笑んで頷いた。

『君の祈りはちゃんと私まで届いたよ。 君は、お母さんを愛しているんだね。 でもその愛は、お父さんの愛とは違う。 私の愛に酷似している。 君は、今でこそ頑なだけれど、本当はもっと寛容で穏やかな人間なんだよ。 ただね、君は自分を苦しめてまで私達を信じようとしていないかい? 私達が本当に君の苦しみを望むと君が思っているのならば、それは違う。 苦しみは、次なる苦しみへ連鎖してしまう。 君に、だから私は、もうこれ以上苦しまないように、本当の愛を伝えに来たよ』

「……貴方、は、」イリヤは言葉を発そうとして、止めた。全て彼には分かっているのだと、悟ったからだ。

『そうだ』と青年は言った。『私はまだ洗礼を受けていないんだった。 君の手で、私に洗礼を施してくれないかな?』

「……」そんな畏れ多い事を、と言いかけたイリヤは、青年の微笑にまた何も言えなくなる。

『畏れ多いも何も、もう必要ないんだよ。 私は君達と同じ場所に立つ。 同じ思いを分かち合う。 苦しんでいるのならばこの手を差し出し、痛みには癒しを、憎悪には慈悲を与える。 同じものを食べ、飲み、そして私は今度こそこの世界を救う。 ああ、救うなんて言葉が、上から目線の偉そうな印象で良くないねえ。 この世界の言語形態だとどうも私は勘違いされやすい。 でも、イリヤ、君だけは分かっている。 だから私は君の前にも姿を見せた。 君は私達の本質を、認識しているから。 だから、ね、お願いだ。 私に洗礼を。 この世界に落ちて来た私に、ヨハネが祝福したこの世界の祝福を、君の手で施してくれないかな?』

洗礼を受けた後、青年は、右の手の平を上に向けた。そこに一本の小さな鉄の棒が浮かび上がる。

『ありがとう、イリヤ。 君は、本来のこれの適合者なんだ。 聖釘は一本きりじゃない。 二本は――「ロンバルディアの王冠」は、あの哀れな神の基体となったけれど、この最後の一本は幸いにして私が持っていた。 この、「神の血の釘ネイルオブイーコール」は、君だけに適合する。 そして君に、君が望む限りの不老不死をももたらす。 でも、君は、己の欲望のために不老不死を望みはしない。 必死に、私達のために使ってくれる。 これの本来の力は、己の命を他者に分け与えるものだ。 どうか受け取って欲しい』

「謹んで、お受けします」イリヤはそれを受け取った。それは彼にとある情報と、そして望む限りの永遠を与えた。その情報は、何と――。イリヤは目を見張る。

『ありがとう、イリヤ。 幾年、幾千年かかるけれど、いずれ全人類が君の命を共有する日がやって来る。 その日、人類は、初めて、闘争や競争を用いないもう一つの手段を使って、新たなる可能性への進化の道を歩み出す事が出来るんだ』


 「なあ」I・Cは、公園のベンチでぼうっとしつつ、誰もいない空間に語りかけている。「この地球の終わらせ方、偽神は一体どうやっているんだ?」

『偽神が聖釘を無理やり自分の器の再建に使って復活したために、この星は滅びへと向かいつつある。 物質で出来たものは物質で壊せる。 物質の支配者たる彼は、この星の内部に「アバドン」を生成して、この星を根こそぎ「アバドン」に食べさせるつもりだよ』穏やかに風が吹いて、I・Cの前にあの青年が姿を見せる。『彼の認識は世界の認識そのもの。 彼が願えば何でも、この星の中でなら実行できるんだ』

「んな事は俺だって知っている。 だが『アバドン』だと?」

『彼はそう呼称している。 かつての先代文明では、「ブラックホール」と呼ばれたものだ』

「ふーん……なあ、俺は考えたんだが、この星を滅ぼしたが最後、聖王だの大帝だのに受肉中の大天使達も全滅じゃねえのか? なのに何でヤツらはあんな馬鹿にまだ従っているんだ?」

『「アバドン」の事を彼は大天使達に何一つ教えていない。 人類滅亡計画は、表向きは「シボレテ」により行われる事になっているんだ。 バベル・タワーは大天使達の最終避難場所だと思われている。 けれど実際は、「アバドン」の胎盤なんだよ』

「アイツらしいな。 世界一の自己中野郎なんだ。 否。 だからこそヤツは自称した、我こそが神である、我の他に神は無し、と」

『……魔王。 君は、そうするつもりなんだね。 君はこの物質世界を……』

「そうさ、俺はこうする。 だってな、俺の側には、未来永劫、ヘレナがいるんだぜ。 アイツの居場所だけは、何が何でも確保しておかないとな」

I・Cの側にはいつの間にかシャマイムがいた。ごくごく自然に、まるでそれが朝が来たから明るくなるような当たり前の事であるように、彼の隣に座っていた。

「I・C」とシャマイムは言った。「誰と会話している?」

救世主ソーテールさ。 ――なあヘレナ、俺は、実は喰ったは良いが、偽神の体を消化しきれていないんだ。 この数千年かけても、出来なかった。 俺、愛を認識できなくって、そこで認識の進化を止めちまっていたからな。 だからこれから消化する。 消化して、ヤツの認識を俺のものにする。 俺はヤツを偽神と認識した。 そしてこの世界では認識こそが全てなんだ。 ……その間、俺の手を握って、俺と認識を繋げていてくれ。 きっと俺はお前の手を握っている限り、俺でいられるし、俺を俺と認識できる。 ヤツの認識に飲み込まれずに済む。 この星のためには、ヤツの認識を俺が認識する事が、必要なんだ」

「……。 お前は、この星をどうしたい?」

「救世主が来たんだ。 俺が数千年待ちくたびれたヤツが来たんだ。 なのにやっと来た今、この星を滅ぼさせてなんかたまるかよ。 それにさー」

「?」

「俺はやっと気付けたんだ。 俺達、いや人類にとっての本当の救済が何なのか、を。 それは滅びでも無く死でも無く、絶望でも無ければ諦念でも無い。 地獄も要らないし、天国も邪魔だ。 神も悪魔も何もかも不必要だ」

「では、最後に、何が残る?」

「それを俺はこれから見つめる。 お前も、一緒に、側で見ていてくれ」

「ああ。 ……結局、お前は独りが怖いんだな」

「怖いさ。 お前の温もりを知ったから」

「そうか。 お前はどうしようもない、馬鹿な男だ」


 二人は、見た。この宇宙の始まりから、地球と言う星の誕生、そして生命の進化、最後に人類の歴史を全て見た。そしてそれを認識した。不完全な世界の中で、物質であるがゆえの死と生が入り乱れ、そして不完全ゆえの未知数である可能性へと挑戦し、砕け散って行くのを見た。そうして無限に等しい年月の間、可能性が進化していくのを見た。あまりにも多すぎる犠牲を払い、耐えがたい痛みに耐え、極限の苦しみにあえぎ、それでも、不完全であったがゆえに自らの可能性を捨てきれなかった生命体を、見た。その生命体がやがて人類と後に呼ばれるのを、見た。

理解できない。

人類に対する偽神の認識はそれであった。

理解できない。どうしてただの人形として生きないのか、理解できない。安寧な幸せは己の木偶人形になった時に初めて訪れる。なのに、コイツらと来たら。

だから彼は、大天使を生み出した。そして大天使に、彼の認識を分け与えた。

同時に彼は、『アブラクサス』への凄まじいまでの憎悪を延々と抱き続けている。魔術師『アブラクサス』により、彼はこの星に封じ込められたのだ。

それまでは全知全能、全宇宙全域の支配者だった彼が、この小さな星に幽閉された。

輝かしい、偉大なる過去があればあるほど、惨めな現状に耐えられないのは、彼も人と似ていた。

 似ていて当然なのだ。

彼は己の姿に似せて人類を創造したのだから。

小さな惑星が実験の舞台だった。そこで彼は、人類を哺乳類の一種から時を加速させて人類へ進化させたのだ。進化のやり方は知っていた。彼もピスティス・ソフィアより生成されてしまった『アカモート』より進化した存在だからだ。

だが。

彼の被創造物たるその人類が、文明が進歩すればするほど、彼に牙を剥いた。

そもそも彼は文明の火種たる『知恵』などと言う代物を人類に与えはしなかった。本能と欲望だけの物質の体に放り込んで、本能のままに殺し合い争い合うのを観察しているはずだった。彼は知らなかったのである。『アカモート』を生成した母体ピスティス・ソフィアが、密かに人類に知恵を与えたと言う事を。

彼の意図とは裏腹に、人類は『火』を見つけ、挙句の果てに文明を構築した。神に至る文明をも築こうとした。彼は激怒して、人類を何度となく滅ぼそうとした。

なのに、第一救世主として堕ちて来たバルベーローが自己犠牲で、幾度とも行われた人類滅亡を未然に防いだ。バルベーローは幾度もの滅亡を自己犠牲で防いだため、力尽きて滅んだ。

偽神はうんざりして、しばらく眠った。ふて寝であった。彼の夢からは天国と地獄、そして原始的な天使と悪魔が産まれた。彼は夢の中でそれを人類の上に置いた。天使と悪魔は良い働きをしてくれた。人類を苦しめてくれたのである。

しかし、一人の天使、いや、堕天使の謀反によって人類の滅亡はまた妨げられる。彼の名を、ルシフェル。好奇心あふれる彼は歴史を調べ、バルベーローの存在を知った。その自己犠牲に非常な感銘を受けたために、同志を集めて人類と結託し、天使や悪魔の侵略から人類を守ったのだ。

この間、偽神は悪夢を見ているのだと思っていた。悪夢はいずれ覚める。それに、どうせ天使や悪魔ごとき、彼には敵いはしないのだと。

 だが、彼は無理やり目覚めさせられる。

目が覚めた瞬間、機械仕掛けの体に閉じ込められていたと言う最悪のおまけつきで。

彼の目の前には『アブラクサス』がいた。そして彼を嘲った。

『お前はもう神じゃない。 ただの化物だ。 バルベーロー様を殺した罪、その惨めなザマで贖え、贖えるものならな。 地球文明が滅んでしまったのは残念だが、もうこれで貴様は神でなくなった。 私も地球文明の敵として間もなく滅ぼされるだろうが、貴様に復讐できた事で私は心残りなく終われる。 這いつくばって泥水をすすれ、偽神! そして呪え、己がこの世に誕生した事を!』

 彼は激怒した。だが、彼の所持していた力の殆どが奪われていた。彼はもう一度人類を支配しようとした、だが、もはや以前のようには行かなかった。

そして、またしても人類はすぐに彼に牙を剥いて、彼に反旗を翻すのだ。

彼は人類のメスとオスを一匹ずつさらってきて、交尾させた。胎児の遺伝子を改造していたら、ちょうど双子のメスとオスが産まれたので、彼はその双子を楽園エデンに封じ込めて、彼以外を知らぬ従順な新人類を創りだそうとした。

なのに、である。

新人類が、かつての人類と全く同じ罪過を犯し、かつての人類と全く同じ釈明をし、かつての人類と全く同じ『知への飽くなき追求』を始めたのだ!

彼は新人類に呪いをかけて楽園から追放した。それは、旧人類を捕食すると言うものだった。これできっと、人類同士が殺しあって絶滅するだろう。彼はそう思った。


――彼の思惑はことごとく外れた。

新人類が、旧人類と手を組み、彼に叛逆したのだ!

激怒した彼は、炎より精神体である大天使を生み出した。そして人類へと猛攻撃をかけた。

途中で色々とあったものの、それが結果的には上手く行き、彼が、ご機嫌になりつつあった時だった。彼はもう一度、唯一神に戻る事が出来そうであったのだ。

第二救世主ソーテールがやって来た。

そして唯一神の教義では無く、愛を説いた。

当然、唯一神は彼を、己に最も忠実であった大天使に殺させた。

まさかその大天使が、ソーテールに感化されて己を殺すとも知らずに。

殺した、とその大天使は思っていたし、実際彼は殺されたも同然の状態だった。

魂の断片だけが、別の大天使の中に保管されていなければ、殺されていただろう。

それだって偶然だった。その大天使が偶然、失態を犯し、罰として重荷を背負わせるために彼は密かに己の魂の断片を背負わせた、それだけだったのだ。

それから、数千年。

彼は、今や己の牢獄となった地球を破壊し、もう一度、全宇宙の支配者になる事のみを夢見ている。


 「まるでお前だな」とヘレナは呟いた。「死ぬ事だけを夢見ているお前と、そっくりだ」

「実際俺なんだろうよ」I・Cは言った。「俺は色々喰ってきた。 そして喰ってきたものに知らぬ間に感化されてきた。 挙句の果てには神を喰ったから、神にも似たんだろう」

「可哀相な奴だ。 何が幸せか、何が愛なのか、何が満足なのか、何が救済なのか、何一つ理解できていない。 そして教えたって、かつてのお前のように認識を拒絶するんだろう。 哀れだ。 本当に、あれが一度は神と呼ばれた存在なのか」

「神じゃなかったらな、きっとアイツだって幸せに至れたんだろう。 この世に生れ落ちた事すら呪わしい存在、リリス・ソフィアの罪過の子。 『アカモート』の成れの果て。 本当は『神々』に認識が至ればヤツだって神になれたのに、ヤツはそこへ至る認識の一切合財を否定した」

「お前と極限まで同じだ。 だが致命的に違う。 ヤツの隣には誰もいない」

「……何でなんだろうな、何でお前は側にいてくれるんだろうな、お前の最高の復讐が『何なのか』をお前は俺より知っているのに」

「いい加減に理解しろ。 あの子の声を聞け。 あの子が、終われなかった私達に何を言っているのか、ちゃんと聞け」

「……。 歌っているな。 幸せそうに、満ち足りて……」

「あれは私が教えた歌だ。 あの子は、私の腕の中にいる。 腕の中で眠っている。 子守唄を聞きながら。 子守唄を口ずさみながら。 死を与える私の腕の中で、あの子はお前を優しく見つめている」

「……」I・Cは、声を押し殺して泣いている。


【ACT四】 輝夜かぐや


 「あんちゃん」と眼帯で目を覆った青年は、言った。「兄ちゃんも行こうよ。 ナラ・ヤマタイカを、取り戻しに行こうよ」

「そうだぜ」と彼の隣にいる洒落た青年も言う。「お前が俺達に大学へ通わせて、政治学だの経済学だの色々学ばせてくれたのは、このためなんだろう? お前が行かなきゃ、みんなだって行かないぜ」

「俺は行けない。 俺には、ここでケリを付けるべき因縁がある」

グゼはそう言って、眼帯の青年を抱擁した。

「なあ宗世。 俺達の故郷ナラ・ヤマタイカは、今や滅びつつある。 それは、どうしてだと思う?」

「……俺達が、暗殺者だった俺達が、未来を担うべき人材をことごとく殺したから、だろ」彼の弟は、答えた。

「そうだ。 だったらお前達が未来を担うべき人材になるしかない。 罪滅ぼしなんて戯言は良い、それはお前達の義務なんだ」

「でも、俺達に出来るのかなあ?」

「馬鹿。 出来る出来ないじゃないといつだって教えただろう。 全てはやるかやらないか、だ」

「……んでも、兄ちゃん、俺達、暗殺者だったのになあ」

「それは昔の話だ。 今のお前達は、そうだな、武士もののふとでも名乗れば良い」

「武士?」

「武力を持った、教養ある者達と言う意味だ。 いずれ民衆が力を付けるまで、武士が統治するんだ。 もう王政じゃ駄目だ。 だから、お前達がやるんだ」

「……兄ちゃん。 分かったよ」

グゼは弟から離れると、その頭を撫でた。

「お前が俺の弟で本当に良かったよ。 ナラ・ヤマタイカを頼んだぞ」

「――あん、ちゃん」

弟は俯いて、一度だけ頷いた。

港から船が出て行く、それが太陽と共に水平線の果てに消えるまで見送ってから、グゼは歩き出した。

夕闇の、人気のない港湾倉庫の群れの中に入ると、彼は言った。

「で、俺に何の用だ?」

「……感動の兄弟の別れ、中々堪能させてもらったよ」

妖艶なアルビノの青年が、グゼの前に姿を見せる。

「で、ラファエル様からのご命令だ。 ラファエル様がお前の容姿がお気に入りだそうだ。 私をお前の姿に変えたい、とおっしゃった。 と言う事でお前をお持ち帰りしたいんだが」

「お持ち帰りしてどうする。 どうせ俺は散々いじくり回された後に遅かれ早かれ廃棄槽行きだろう。 それに」とグゼはあっさりと告げた。「どうせお前もここで死ぬ」

それまで微笑んでいた青年が、不愉快そうに表情を変えた。

「私が『死ぬ』だって?」

「そうだ。 吸血鬼王アーカードレスタト、お前はここで死ぬ。 無様に惨めに、虫けらみたいに下らなく死ぬ」

「……たかがA.D.アドバンストが調子に乗るなよ」レスタトは低い声で言った。

「乗れるだけ調子に乗っているウジ虫が何を言う。 俺は別に、調子になんか乗っていない」

グゼはそう言って、嘲りの表情を浮かべた。なまじ絶世の色男だけあって、背筋が凍えるような凄味があった。

「俺が今乗り潰しているのは、お前の残り少ない寿命なんだよ」

「ほう、じゃあ」とレスタトの姿が消えた。「愚かなお前に私と言うものを思い知らせてやろう!」

レスタトの気配だけが迫って来る。グゼは何もしなかった。考える事すらしなかった。何故なら――、

「!」レスタトが姿を見せて立ち止まったと同時に、爆発が起きた。それは、レスタトの美しい顔面を木端微塵に破壊する。「があ、あ、ぐ!」レスタトは思わず悲鳴を上げた。

「やっぱり、な。 ザフキエルが教えてくれたんだよ、お前の能力について」グゼは蔑みたっぷりに言った。「『他者の敵意に反撃する』、つまりお前は『サトリ』なんだな。 人間の心だの認識だのを読み、それよりも先に反撃する。 だが『サトリにとって最も恐ろしいものは何か』を、お前は忘れているな。 人間の無意識だ。 まあ、俺の場合は無意識にあちこちに地雷を仕掛ける癖なんだが」

「き、さま……!」レスタトは顔面を瞬時に再構築させて、歯ぎしりした。「空中地雷か! ザフキエルめ、よくも、よくも!」

「お前がかつて嘲った者に嘲られる気分はどうだ? 俺は最高に気持ち良い」

グゼは淡々と挑発する。

「黙れ、このA.D.風情が! 罠がいくつ仕掛けられていようと、私には通用しない!」

レスタトがそう吼えて、真正面から突進してきた。これが、実は最も危険の少ない攻撃経路であった。いくら空中地雷などの罠があろうと、同じ空間に仕掛けられる数は限られているからだった。

レスタトは体をボロボロにしつつもグゼに近接した。そして殺そうとする。

「おっと」グゼはひょいひょいと軽くステップさえ踏みながらレスタトの猛攻を躱す。両手をポケットに突っこんで、気楽そのもので。「そうだ。 教えてやろう。 俺の能力は『危険を察知する事』だ。 つまりお前が俺の危険である限り、核ミサイルでも使わないとお前の攻撃なんか当たらないんだぞ?」

「……ふ、ふふふふふふ!」それを聞いた途端、レスタトは笑いだした。「何てまあ、弱っちい能力だ!」

「ああ、弱いのは認める。 だが結構、使いようがある能力でな」

グゼはそこで、はっとした。

「おい、まさか、」

「そのまさかだよ、グゼ君。 君はザフキエルの時に、上手い事『馬鹿』を見せてくれたからねえ!」

レスタトがそう言って己の背後から引きずり出したのは、幼い少女であった。親から無理やりにかどわかされたのだろう、恐怖に顔は真っ青になり、震えている。

グゼがぎりりと歯を食いしばった。

「どうやら俺には、とことん最後まで女運が無いらしいな」

「そう言う事さ!」

グゼは投げられた少女を素早く受け止めて地に降ろし、同時にレスタトの攻撃をもろに受けた。

化物の一撃が、人間の体に直撃した。

「――がッ!」

血反吐とけいれん、激痛。

致命傷だ。

吹っ飛ばされて地べたに転がったグゼは、本能的にそれを悟った。

……何せ、胴体が真っ二つに分断されているのだから。

「――あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」

レスタトの甲高い笑い声が、遠くから、近くで、けたたましく聞こえる。

薄れていき、ぼやけて消えていく意識の中で、グゼは、思った。


――やれやれ、これで俺の勝ちだ。


「――何だと?」

レスタトの哄笑が止まった。レスタトがグゼに駆け寄り、その髪の毛を掴んで宙にぶら下げた。でろり、と内臓がこぼれた。

「これで『私』の勝ちだ。 そんな単純な事すら貴様には分からないのか?」

「いや」グゼは切れ切れの声で言った。「これで、お前は、死ぬ」

「気の毒に生意気なその口を、引き裂いてやるとするか」

レスタトがグゼの顔に手を伸ばした。


「なるほどなあ。 この前も『敵意』に反応されたのか。 じゃあ、『好奇心』ならどうだ?」


レスタトは驚く事が出来なかった。

一瞬で彼の体が混沌の闇に飲み込まれて、消えたからだった。


……落下したグゼの体を、シャマイムが受け止める。

「グゼ!」

シャマイムの呼びかけに、グゼは浅い呼吸をして、答えた。

「……シャマイム、見ろ。 親父が、迎えに、来てくれた」

グゼの視線の先には、雲間にぽっかりと輝く、望月がある。

「グゼ、応急処置を行う」

シャマイムは急いで彼を助けようとしたのだが、

「いや、いや、シャマイム、手遅れだってのは、分かって、いるさ」グゼの目には、光り輝く満月だけがある。輝夜かぐやをこうこうと照らす、真ん丸の月がある。「俺は、もういい。 義理の姉を、騙して、殺した、俺は、まともには、死ねないって、知っていた。 だけど、親父は……来てくれた」

「やーっと死ぬのか、この女の敵」I・Cがスッキリしたように言った。「ざまあ見ろだぜ」

「まあ、な」グゼは微笑んだ。女だったら見た途端に心臓を止めてしまいそうなほど、魅力的な笑みだった。「……なあ、この世界を、滅ぼさないで、くれ」

「そんなのお前に言われて決める事じゃねえよ。 俺がもう決めているんだ」I・Cはそう言って、「ったく、ウゼーから早く死ねったら死ねよ馬鹿」

「ああ、言われなく、ても……今夜は、死ぬには、良い、夜、だ」

グゼは二、三度軽くけいれんし――そして、絶命した。


 ……通信端末の向こうから聞こえて来た内容は、

レスタトを喰い殺すには余りあるほどの情報だった。

グゼが暴露したレスタトの能力、そして、

レスタトの弱点。

だが圧倒的優位にあったグゼの、致命的なまでの女運の悪さが、

ヤツを死に至らしめた。

……畜生め、笑って死にやがって。

お前なんか絶望と苦痛のどん底で死ねば良かったのに。

あばよ、グゼ。

あの世でも精々女に苦労して泣き叫ぶんだな。


 「……グゼの死、彼の弟に伝えましょうか?」

ランドルフは沈痛な顔をして言った。グゼは女関係こそ滅茶苦茶だったが、同性相手には至極まともな男だったのだ。

「いいえ」だがマグダレニャンは否と言った。「ナラ・ヤマタイカが再興した時に、伝えるべきですわ。 それこそが彼の最期の望み、弟や朋輩に託した願いだったのでしょう? 今伝えたならば、人として誠実ではあるでしょうが、彼の願いを破綻させかねません。 いくら人として不誠実であろうと、今は伝えるべきではありませんわ。 幸いにも私は政治家ですから、汚名を被り怨みを買うのは慣れていましてよ」

「お嬢様……」ランドルフはそのまま沈黙した。

彼の主と同様に、言葉にならない思いを、胸の中に抱え込んで。


 「うっうっ」ローズマリーが嗚咽を漏らして泣いている。「そんな、グゼさんまで……!」

「……戦争が本格的になったら、もっと死ぬんだろうな」エッボが呟いた。

「そうだね、死ぬね」ニナが頷いて、そのまま顔を上げなかった。

「……姉さん」フィオナが姉に寄り添ったが、彼女も俯いている。

「グゼは……女さえ絡まなければ、良いヤツだったな」ベルトランが、悔しそうに言った。「せめて……異界では、女に悩まされていない事を祈る」

「何故私を呼ばなかった!」I・Cを怒鳴りつけているのはイリヤであった。「私ならば彼を癒せた!」

「あのな、ヤツはな、かつて義理の姉を騙し殺したんだとさ。 だから自分も、まともには死ねないってのを知っていたらしい。 なあ、重荷背負って生きるのと笑って死ぬのと、どっちが救いなんだとお前は思っているんだ、イリヤ?」

「それは!」

「笑って、ヤツは月へ行ったのさ。 それがヤツの望みだった。 だからお前もぎゃあぎゃあ言うな」

「……ッ!」イリヤは無念そうな形相で歯ぎしりした。

「……珍しく、ぐ、グゼさんの悪口言わないんですね、I・Cさん」アズチェーナが不思議そうに言った。「じ、地獄に堕ちろー、とかい、言いそうなのに」

「だってこれで俺がモテるようになるからな」I・Cは物凄く嬉しそうに、「ありがたい限りだぜ」

だが、その瞬間、それまで沈み込んでいた特務員達がいっせいに顔を上げて、

「「いやそれだけは絶対にありえない」」

「無理だろ」

「不可能でしょ」

「奇跡が起きても、なあ」

「それこそ死んだって、じゃないの?」

「無茶と無駄の極みだろうな」

キレたI・Cが、一番間近にいたエッボに酒瓶を投げつけて、だが避けられた。


【ACT五】 決別


 殺しなさい!

お父様は支配する人間だった、支配されるくらいならば死を選ぶ!

貴様らごときに何が分かる、私とお父様の何が分かる!

殺しなさい!

命令です、聖王を抹殺なさい!


 似ている、と二人は同時に思った。何と言うか、いや……何となく、自分と似ているような気がしてならないのである。

「……」

『……』

『おいどうしたんだグレゴワール!』デリカシーの吹っ飛んだ大声でオリエルが言った。『柄にも無く唖然として! 何だ、お前もついに色ボケジジイになったのか!』

『オリエル、グレゴワールに限って色ボケは不可能ですよ』Dr.シザーハンドが反射的に突っ込んだ。『大体「浮気は男の甲斐性だ」なんて世迷言を言う貴方にだけはグレゴワールも言われたくは無いでしょう』

『コイツそんな事をほざいたのか!』ユースタスが激怒した。『女性レディを何だと思っているのだ!』

「あのう」とそこでヨハンが冷静に指摘した。「ここで内紛は止めて頂けませんか。 我々に時間がもう無い事は、貴方達もご存じのはずだ」

『……ああ。 失礼した』グレゴワールは我に返って、『ギー坊やは良い娘を持ったものだと、一人感傷に浸ってしまった。 失敬』

「……こ、こちらこそ」目を逸らしつつ、マグダレニャンも何故か動揺して答える。「父の語った伝説の英雄がこの目で見られるとあって、ついじろじろと。 失礼しましたわ」

「ああ、そうかマグダ、このグレゴワール殿は君の義理の祖父にあたる訳だね」ヨハンが納得した顔で言った。「道理で、何とはなしに、君と似ているなと僕も感じたよ」

「よ、ヨハン!」

マグダレニャンは動揺を見抜かれたので慌てた。するとヨハンはにっこりと笑って、

「大丈夫だよ。 僕の所為でもあるけれど、君はどうも誰かに甘えるのが上手じゃないからね」

「ほう」とやや感嘆の声で割って入ったのは、帝国の全権大使エンヴェルであった。「そうか、お二方は、聖王の……。 血族でこそ無いが家族であった、そう言う事なのじゃな」しみじみと、そう言った。

「おいエンヴェル、そろそろ万魔殿がしびれを切らすぜ」小声でそこに囁いたのは、彼の従者のセルゲイであった。席についている万魔殿の面々を見て、「それにしてもオットー、姉貴を亡くしてから、雰囲気が恐ろしく変わったな……」

彼の視線の先には、己の狂気さえ切り殺しかねないほど、血を渇望する『戦鬼』がいる。この前に別れた時は、ありふれた、禁断の恋に苦しむ青年だったのに。

「……無理も無かろう。 もはやこれは高貴なる血の決闘よ……」

実の妹を愛し、その愛した女を『ヤツ』に殺されて、今や彼には『ヤツ』を殺すしかないのだ。

「す」まないが、そろそろ会議を始めたい、そうロットバルドが口にしかけた時、

『では、偽神及び敵勢を打倒する方法の模索を始めよう』

と、グレゴワールが口火を切った。

『過激派と強硬派の連合軍はワシが始末しよう。 穏健派と帝国と和平派とネオ・クリスタニア総連合軍の指揮権をワシに貸与してもらえるのならばな。 ただし軍紀は徹底的に厳格にさせてもらうぞ。 違反者はその場で銃殺する。 だが』とオリエルは困った顔をして言った。『偽神の倒し方なんぞワシには見当もつかん』

「これはまた随分と大見えを」冷酷な態度を取ったのはロットバルドだった。「いくらなんでも貴方の采配だけであの連中に勝てるとはとても思えないのですが。 そもそも貴方がたを信じる最大の根拠を出していただきたい」

「気持ちは分かるが、ロットバルド、この男、言った事は間違いなくやる男だ」マルクスが断言した。「それでどれだけ私達がやられてきた事か。 信じたくはないが、信じる最大の根拠は私の経験だ。 メルトリアの時でさえ……流石に私は反対したが、案の定こちらが思いっきり負けた。 くどいようだが……信じたくはないが、この男は戦の天才なのだよ。 それだけは事実だ。 偽神にですら覆せぬ」

「ではマルクス、一〇〇の兵士を率いているオリエル殿と一〇〇〇の兵を率いている貴方が戦ったなら、貴方が負けるのですか?」

ロットバルドが訊ねると、

マルクスがロットバルドに頷いて、「負ける。 それも自軍が壊滅状態で、な。 もう結果は今から見え見えだ。 どんなに数の利があろうが、どんなに地の利があろうが、負けるものは負ける。 第一、戦う相手がオリエルと知った瞬間に兵卒の士気が落ちてしまって戦にならんよ。 当時はそれくらいだった。 軍人は皆、戦場でのオリエルの挙動言動の全てに怯えたものだ」

「ですが時代は変わりました。 彼単身でとても我らの総軍を指揮できるとは――」

『参謀ならいるぞ』とオリエルが言った。『ワシが鍛えに鍛えた参謀連中を、ユースタスのヤツがヴァナヘイムに皆逃がしてくれていた。 どいつもこいつも老いぼれのジジイだが、まだもうろくはしておらん。 ワシらの復活を聞いて、「死にに来ました」と笑いながらやって来たぞ!』

「おお、あのヴァナヘイムの老いぼれ参謀共、妙に出来るとは思っていましたが、そう言う事でしたか!」マルクスが目を丸くして、「最強の軍隊とは、最も効率的に運用される軍隊だ。 あの参謀共ならそれの実現に不足はありますまい」

『あのジジイ共、死ぬまでこき使ってやるわ!』とオリエルは大声で笑った。

『偽神及び大天使の打倒以外の実戦担当はこれで問題ない』グレゴワールが言った、『だが最難の問題は、どうやって偽神と大天使を撃破するか、だ』

「大天使撃破専門の精鋭部隊をいくつか構築したらどうだろうか」ヨハンが言った。「戦時の混乱の隙を縫って、大天使に近接し、撃破する。 この中には聖王や大帝……いや、大天使と因縁浅からぬ者もいるだろう。 大天使を撃破すればするほど、戦況はこちらが有利になる。 だが大天使はいずれも強大な能力を所持している。 万魔殿、帝国、ネオ・クリスタニア、そして聖教機構の中でも名の知れた者が選ばれて協働するべきだ」

「大天使メタトロンが大帝に、サンダルフォンが聖王に憑依している事は分かっています。 ですがそれ以外の大天使は誰に憑依してどこにいるのでしょうか?」ロットバルドが疑問を呈した。

「ん、ミカエルはファーゾルトって竜の体を奪った。 ガブリエルはヘロデって男の体を奪った。 そしてラファエルは『自作した体』に今はいる。 そして最後はハニエルだ、元強硬派所持の精神感応兵器シェオル。 連中は全員、今はバベル・タワーの中にいる。 だが恐らくメタトロンとサンダルフォンは軍の指揮でそこから出てくる。 連中がそれぞれ過激派と強硬派の首領だからな。 他の連中も後方支援だの前戦壊滅だののためにぞろぞろと出てくるだろうよ。 その出てきたところを殺るのがベストだな」I・Cが、そう言った。

「ファ、ファーゾルト!?」声を詰まらせたのはエンヴェル達であった。「で、では凶竜の禍は、やはりファーゾルト殿では無く、ミカエルの仕業だったのか!」

「ああ、帝都が壊滅寸前まで陥ったアレか」I・Cはしれっと言った。「あれもミカエルの仕業だ。 俺が喰ったレスタトの、記憶の中でミカエルが帝都をしっちゃかめっちゃかに壊したのを自慢していたからな。 でもミカエルも、時々そのファーゾルトって男に体を乗っ取り返されているんだよ。 恐らく、まだファーゾルトにも自我意識が残っているんだ。 気の毒だよなあ。 自分の体が自分の愛した家族や友達や同胞や帝都の民を虐殺するのを、どうしても止められなかったってのは」

「……!」エンヴェル及び帝国の者が、どす黒い顔をした。

「だがミカエルの野郎、よりにもよって『竜』に第一次統合体を取り憑かせるとはな。 凶竜の禍で痛いほど知っているだろうが、竜は戦闘力じゃ魔族屈指の生き物だ。 あれをどう撃破するつもりだ、帝国の諸君?」I・Cが訊ねた。

「……簡単な事じゃ。 首を落とせば良い」エンヴェルが淡々と言った。

「ほー」I・Cは目を細めた。「どうやら若造、お前はかなり強力な魔族なんだな。 何となく分かるぜ。 まあ頑張れば良いんじゃね?」

「当然じゃ」

「そうか。 で、他のはどうする?」I・Cは居並ぶ面々に訊ねた。

「俺は大帝を殺す」とだけ言って、オットーは再び喋る事を放棄した。

「大帝の打倒は、我々万魔殿に一任して欲しい」ロットバルドが代わりに言った。

『そうか。 ではギーは……』グレゴワールはそう言って、聖教機構の面々を見た。

「僕達、聖教機構が倒す」ヨハンが言った。

「ああ、そうだ」とI・Cが何か思い出した顔で万魔殿の方に近づき、破壊の魔女ヴァルプに話しかけた。「おい、『魔女の女神アラディア』は生きているぞ」

「……『魔女の女神』だと?」ヴァルプが怪訝そうな顔をしたが、直後、はっと息を呑んだ。「『ヤツ』か! だが、どうして!?」

「お前さんと同じだ。 だがあっちは悲惨すぎる。 アスモデウスよ、あのクソマッドは『魔女の女神』にサラと同じ、いや、それ以上の事をしているぞ」

『……』ヴァルプの背後の美青年が修羅の顔をした。『魔王、どうしてそれを』

「ん? レスタトってあのクソマッドの愛人を喰ったからだよ」とあっさりI・Cは言ってから、

「おーいベルトラン」

と同僚を呼んだ。

「何だ、一体」ベルトランが怪訝そうな顔をする。

「お前さんはコイツらと一緒に行った方が良いぜ」

「はあ!? 何でだ!」

「いや、行けば分かる。 行かないと分からない。 だけど、行かないと若いの、お前さんは俺みたいになるぜ」

「反吐が出そうだが、お前みたいになるくらいなら……」

「おい、俺ってどこまで嫌われているんだ?」

「まだゴキブリの方が愛くるしいと僕は思っているが、それでも、」

「それ以上言うな!」

『私事はそれくらいにして頂きたい。 一番の難問はいかにして偽神を倒すか、だ』

グレゴワールが発言すると、I・Cが言った。

「俺が斃すよ。 今度こそ終わらせる。 そしてはじめる。 物事はいつだってウロボロスの蛇、終止符は等しく、静寂を切り裂いて振り上げられる指揮棒なんだ」

「あらI・C、貴方には偽神を打倒しても、どの道終わってしまうこの星をどうにかする術がありますの?」

マグダレニャンが不審そうな顔をする。

「うん、ある」

「具体的にはどうしますの?」

「この世界の言語ではもはや共有できない次元に俺達は立っている。 救世主もそうだ。 俺達は、端的に言うならば自己犠牲でこの世界を維持するだけさ。 後は救世主の仕事だ。 俺の知った事じゃねえ」

「自己犠牲だなんて、そんな……」

「そんな可愛いものじゃねえぞ。 俺達の認識で世界を維持するようになるんだからな。 言い換えりゃ俺の世界になるって訳だ。 へへへ、何をどうしようか今から楽しみだぜ」

「救世主に結局私達はすがるしか無いのですわね……」

「だってそれが救世主の仕事だろ。 俺の仕事じゃねえ。 魔王の仕事は神を喰う事、救世主のは世界を救う事、だろ?」

『魔王、君は本当に素直じゃないね』

誰もが、魔王以外は驚いた。そこに青年が現れて、そう発言したからである。

『君は、ただ、彼女の居場所を守りたいだけなのに』

「おいおい、キリキリ働けよ、救世主? お前が仕事しなかったら俺はこの星なんて喰っちまうぜ?」

『食べない食べない。 閉ざされたこの星が解放される時が来た。 人類文明がもう一度光り輝く時が来た。 凍り付いた月も、孤独に泣いていた火星も、もう一度魂で繋がれる時が来た。 私は人類に期待なんてしない。 だって人類の可能性は、人類のものだから、私達がどうこう思い、思い込んでしまってはならないんだ。 けれど私は全人類を愛している。 原罪なんて言語表現がおかしいんだ。 ただ、苦しいだけなのに。 私はこの星に堕ちて来た。 何度だって堕ちて来る。 だから、もう一人で泣かなくて良いんだよ』


 その時、であった。


 『貴様があの救世主を僭称する紛い者か』

彼らが集っている部屋の、モニターがいきなり、とある男の姿を映す。

かつては聖王を尊称された男の、成れの果ての姿を。

『……いいや。 私はただの救世主なんだよ』青年は悲しそうに答えた。

「!!!!!!」聖王の残骸を見た途端にI・Cは顔色を悪くして口を押さえた。大聖堂から駆け出して、だが間に合わずに両手を床について、絨毯目がけて盛大に嘔吐した。「うぉげええええええええええええええええええええ!!!!!!!!! 何だよアイツ! あんな化物より気持ち悪いの一体何なんだよ! げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

『私を忘れたか、魔王。 かつての主を忘れたか?』

「かつての主ぃ?」I・Cは振り返って、「……一回結婚した時に独身の女が自殺しまくった超絶イケメンでジジイになっても相変わらずありえねーイケメンだった男なら俺のかつての主だったが、何だよお前。 お前みたいなクソ気持ち悪いの俺は知らんぞ? ……あー、分かった。 分かったがさっぱり分からん。 何をどうやったらあんなイケメンがサンダルフォンが合体したくらいでこんな気持ち悪いのになるのか、さっぱり分からん。 ラファエルのクソマッドだって、何をどうやったらこんな気持ち悪いのを生み出せるんだか」

『生憎私は美しいままだ。 未来永劫に美しいままだ。 ラファエルですら感嘆したものだよ、この男の造形には』

「お前らの美的感覚って俺を吐かせるレベルなんだな、ある意味びっくりだ……」

『さてと、戯言はこのくらいにしておこう。 ――私の可愛いマグダ』

「っ!」

びくりとマグダレニャンが震えた。震えて、俯いた。ヨハンが咄嗟に彼女を抱きしめる。そして、

「今すぐモニターの接続を切れ! 今すぐにだ!」

怒鳴り声に、特務員が慌てて動いた。だがすぐに、

「で、電源が入っていません!」

「何だと!?」

「サンダルフォンの能力さ」I・Cが顔をしかめた。「強力な、情報受信と伝達能力だ。 耳があれば聞こえる。 目があれば見える。 受信体があれば、届いてしまうのさ」

「ならば破壊する!」ヨハンの背後に、戦乙女達が降臨した。

だが、モニターを破壊した直後、大聖堂のステンドグラスにその男は映って、微笑んでいた。大聖堂のパイプオルガンが鳴りだした。

『マグダ、可愛い私のマグダ』

『こっちにおいで』

『私の腕の中へ、戻っておいで』

『永遠に生きよう』

『もう泣かなくって良いんだよ』

『可愛い可愛い私の娘』

『邪魔者のいない、二人きりの――』

『お前のお腹の中にいる害虫は、始末してしまおうね』

その瞬間、マグダレニャンはある事をようやく理解して、決断した。

「…………い」

「マグダ!?」

ヨハンがはっとした。マグダレニャンがゆっくりと顔を上げていく。

『そうだよマグダ。 それで良いんだよ』

微笑む『聖王』に、彼女は告げた。


 「死になさい」


 そして彼女は、彼女を主とする者全てに、命令した。

「殺しなさい! お父様は支配する人間だった、支配されるくらいならば死を選ぶ!」

『父親を殺そうとは、何と親不孝な――』

分かるものか。マグダレニャンは冷静に激高した。貴様ごときに分かってたまるものか。私と父との、愛を!幸福を、充実を、満足を、共に過ごしたあの時間を!

「貴様らごときに何が分かる、私とお父様の何が分かる! 殺しなさい! 命令です、聖王、否、大天使サンダルフォンを抹殺なさい! 慈悲の一片も容赦の一滴もくれてやってはなりません! 殺せぬなどと言う者はこの場にて私が殺します!」

彼女が愛した父親は、彼女の命令で殺さねばならないのだ。

何故なら、彼女は今でも父親を愛しているから。

そして彼女が愛している父親のためには、父親を殺すしか無いのだ。

彼女の愛した父親は、娘の腹の中の子を害虫などとは絶対に言わない人間だった。

最愛の父親の名誉さえも棄損され侮辱され、果てはそれを永遠に続けられるなど、彼女には絶対に許しがたかった。

愛ゆえに。

何よりも強い愛ゆえに彼女は、父親と決別したのだ。

『……』大天使は、愕然としている。

「そうだ!」I・Cが嬉々として叫んだ。「お嬢様、それだ! それでこそ俺の主だ! ああ何て、何て好い女なんだ畜生め! 最高だ!」

「黙らっしゃい! やかましいぞ下僕の分際で! ――お父様、これが私の貴方への愛ですわ」

その場の全てからサンダルフォンが消え失せた。

そして、息こそ荒げていたが、マグダレニャンは、もはや泣いてはいなかった。


【ACT六】 粛清


 (――まさかあんな失言を彼がするとは)

彼は、内心では青ざめていた。

(気付かれたか? いや、私だとはまだ気付かれていないだろう)

(とにかく、もはや急がねばなるまい)

(彼の発言の意図は何だ?)

(私の存在を露呈させる事、ではあるまい)

(だとしたら、やはりあのメスガキの誘惑か)

(だがメスガキは、誘惑を拒絶どころか粉砕しやがった)

(彼の意図としては、メスガキの誘惑に成功した上で、私をぎりぎりまでこのまま、と言う状態に置く事だったろう)

(されどそれが失敗した現状で、私が、これ以上ここにいるのは危険だ)

(さり気なく、逃げなければならん)

(幸い夕食の時間が近い)

(この好機を逃しては――!)

彼も、夕食のために誰もが席を立ったので、立ち上がった。

その時、彼は声をかけられた。

「ああジャクセン殿、晩餐の献立メニューについてなのですけれど」

彼は内心ぎくりとしたが、平静を保って答えた。

「おやマグダレニャン殿、献立がどうかしましたかな?」

マグダレニャンは少し残念そうに、言った。

「ええ、たった今、ちょっとした事情で変更される事が決まりましたのよ」

「おやおや、これは残念だ、鹿肉のソテーは私の好物だったのに」

「ええ、私も残念でたまりませんわ」

そう言ってわずかに悲しそうな顔をしたマグダレニャンの顔が、次の瞬間、軽侮の色を浮かべた。

「私、かつて言いましたわね。 『無能である方が卑怯であるよりは良い』と」

「!?」

ジャクセンは顔色を変えた。気付けば、彼に、居並ぶ人々の視線が集中していたからである。その視線の中から、I・Cが姿を見せて、ぎらつく犬歯を歪んだ口角から覗かせる。涎とおぞましい期待にまみれてぎらつく、それを。

「前々から疑っていましたけれど、私、妊娠した事を告げたのはヨハンと貴方だけなのですわ」

凍り付くような彼らからの視線に、ジャクセンは必死に弁明した。

「ち、違う、そ、そこの魔王が――!」

魔王は嘲った。

「俺が言ったのはシャマイムだけだよ。 そしてシャマイムの口の堅さは、御存じの通りだぜ」

「誤解だ! 私は、」

「アロンが通敵していたのは周知の事。 そしてレットが裏切っていたのも同じく。 そして彼らが裏切りの報いを受けた事も。 ですが私はまだ疑わしかった。 何故ならアロンは、『裏切り者』と呼ぶにさえ値しない廃棄物で、レットは『一匹』と呼ぶには大天使共にとってあまりにも有能すぎたから。 だから私はずっと考えていたのですわ。 聖王があの時言った『裏切り者が一匹いる』の本当の意味を。 ――それが、ようやく今、確信に至りましたわ」

「ち、違うんだ、これは」

「あら、もはや一切の弁明も釈明も自己弁護も要りませんわ。 何故ならこれは貴方の異端審問弾劾裁判。 判決はいつだって――」マグダレニャンは三本の指を立てると、一本ずつそれを折って行った。「死刑かそれに匹敵する大罰だと、御存じでしょう? さあI・C、お前の晩餐の献立が決まりましたわ」

最後の指が折られる直前、逃げ出そうとしたジャクセンに、I・Cが襲い掛かった。

凄まじい断末魔と、血が飛び散った。


 「お嬢様、これはラッキーだぜ」と口元にべったりとこびりついた血をぬぐいつつ、I・Cが邪悪に笑って言った。「泳がせていた甲斐があった。 大天使共に、偽神の『地球最後の日』の目論見が漏れたぜ」

「やはり。 レスタトを捕食した時にジャクセンだとは分かっていましたけれど、こちらの計画通りに行ったのですわね」マグダレニャンは淡々と言った。

「だがヤツらはまだ半信半疑だ。 気の毒に。 自分達にだけには偽神が微笑んでくれるとまだ心のどこかで思い込んでいやがる」

「折角の晩餐の前に食欲が失せるような真似を。 やはり聖教機構は野蛮ですね」

ロットバルドが顔をしかめて言った。

「おいおいロットバルド、お前なら痛いほど分かってんだろ、『聖教機構がどう言う組織か』なんてさ。 神を信じる者は誰だって本質的に野蛮なんだ。 見たくも無い野蛮さを隠すために神を信じるんだぜ。 だが……」

「?」ロットバルドはI・Cのご機嫌そうな顔を、怪訝そうに見つめた。

「だからこそ、その血肉は怖いくらいに旨いんだよ。 野蛮ゆえの新鮮さ。 やべえな、癖になりそうだ」

I・Cは、そう言って下品にもゲップをした。

「アル中がこの非常時に糖尿病の疾病にもかかってはどうするのですか」

マグダレニャンが蔑んだ目で睨むと、I・Cはお手上げだと両手を上げ、

「勘弁してくれよお嬢様、俺はこれから世界一不味いものを喰わなきゃいけないんだ。 ちょっとくらい口直ししたって――」

マグダレニャンは鋭い目で睨み、

「――どうやら貴様にはまだ躾が足りないようですわね」

「……うわあ、怖え。 おいシャマイム、助けろ!」

シャマイムは、少しだけ黙った。そして、言った。

「断る」

突っぱねたシャマイムの発言に、特務員達がわああっと嬉しそうに叫んだ。

「シャマイム、よく言った!」

「そうだよ、断っていいんだよ、こんなゴミ屑の頼みなんか!」

「ううっ、今まで断れずにどれだけ酷い目に遭ってきたか……!」

「いかん、嬉しくて何か泣けてきたぞ……」

「ブルータス、お前もか!」

「俺もだ、同志よ!」

感涙している特務員の中から、ランドルフが進み出てきて、にっこりと微笑みつつ、

「お嬢様、私めや全特務員はいつ何時であろうとも、I・Cを調教する準備が整ってございます」

I・Cが青くなった。

「おい死神、何をほざいてやがる! お前の調教って、俺の首をすっねる事だろうが!」

「あら、感心な心構え」だがマグダレニャンも微笑んだ。「では、今度は皆様の晩餐のお邪魔にならぬように、しっかりと躾けなさいな」

「「承知」」

特務員の返事は、完璧に調和していた。


【ACT七】 試練


 「サンダルフォン」とメタトロンが発言すると、サンダルフォンは頷いて、

「分かっている、メタトロン。 我々も終わるかも知れない、と言う可能性が発見された事だな」

『何でだ、何でこの星ごと俺達が滅びなきゃいけないんだ!』ミカエルが吼えた。『我らが唯一絶対神は一体何をお考えなんだ!?』

「静粛にしろ、ミカエル」メタトロンがたしなめた。「我らが唯一絶対神のお目覚めは間もなくだ。 その時に、伺うしかないであろう」

「ええ、いきなり起こしては、逆に我らが唯一絶対神の怒りを買いますわ」

ガブリエルが両手を握りしめて、言った。

「後一分だ」ラファエルが言った。「後一分で、お目覚めになる」

「神様、神様、私達は特別ですよね?」ハニエルが呟いた。「私達だけは、永遠に――」

そして重い沈黙がやって来た。

「「……」」

『何を恐れる』

いきなり轟いた声に、沈黙は破られた。

『我は唯一絶対の神なるぞ、我が僕よ』

「主よ、」言いかけたメタトロンに、声は伝えた。

『これは試練である』

「試練、ですか……?」サンダルフォンが、繰り返した。

『新世界に一点の穢れも澱みも要らぬ。 我が意に適う者のみが新世界にて再誕できるのだ。 ……かつてお前達の中から裏切り者が出た。 二度と出ぬように、試練を課す』

「その試練とは、どのようなものでしょうか?」ガブリエルが伺った。

『旧き因縁を全て断ち切れ。 悪しきものを原子の一つに至るまで絶滅させるのだ。 膿は出し切らねばならぬ。 お前達の中にある、迷いも、全てだ』

「「!!!」」

『我に見抜けぬ事は無い。 我が僕よ、試練を受けよ』

声は、消えていった……。


 過激派・強硬派連合軍、狂信国家ロトより進撃開始。

その侵攻先は聖地エルサーレムと推測される。

シボレテ擬似ワクチンの民間配布及び、総兵戦闘準備完了。

兵站の用意も万全、後方支援用意も終了。

迎撃先は――、

ロト近隣海域、万魔殿穏健派支配領域、通称『死海』。


 人類よ、神を殺せ。

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