第11章 真実の行方。

白日のもとに

 

 1



 風が吹き込み、カーテンが揺れる。見覚えのある天井は、あの屋敷のものだった。体が鉛のように重たく、横になり目を開けているだけで精一杯だった。

 不意に誰かが手を取る。その手の大きさと温もりから、少年はある人物を思い描く。


「絶対に……絶対に死なせない」


 「死なせるものか」そう言い少年の小さな手を包み込むように握った両手に力が篭る。


「父……さん……」


 病床に伏した少年は、誰が話さずとももう自身の命が長くはないと悟っていた。ゆらりと横に振れた彼の視界は、窓の外を映す。


「もし、生まれ変わったら……」


 最後まで聞き取れなかったその言葉を最後に、瞼は重くなり、意識は暗転する。



      **



 意識が明確となり、瞼を持ち上げた瞬矢は日差しの眩しさに目を細め、右手で視界を覆い光を遮る。

 ゆっくりと右手をずらし、視界に入ってきたのはくすみを帯び年期の入った白い天井と、やはり枕元で風にふわりと靡くカーテンだった。


 まだ夢の続きを見ているのかと思ったが、違うようだ。

 瞬矢は病院のベッドの中にその身を横たえていた。顔を傾け右隣に視線を送ると、そこには今だに昏々と眠り続ける刹那の姿が。


 再び視線を天井へと移す。視界に映るくすんだ天井をぼんやりと捉え「助かった」心中そう呟きながらも、先ほどの夢が思い出される。

 『夢』と一言で表現するにあたり、あまりにも現実味のあるその内容は、おおよそ瞬矢の記憶にないものであった。

 ゆっくりとベッドから上体を起こし、思わず自らの掌を見つめる。


(さっきのは……、オリジナルの『刹那』の記憶?)


 本来、オリジナルの記憶が引き継がれることなど科学的にあり得ない話である。だが他に説明しようもなく、今はそう考えた方が理論上辻褄が合う。


「瞬矢!」


 その思考を遮断したのは、もう何度耳にしただろう……鈴の音のような、けれど愛しい自身を呼ぶ声だった。

 声の主、茜は小走りで駆け寄ると、青い入院服の襟元を掴み、すがるように懐へ顔を埋める。


「――っ!?」


 突然のことに瞬矢はこれ以上ないほど目を見開き身構えるが、ふっと表情を緩め茜を見下ろす。


「心配かけたな」


 自身の懐に顔を埋め、安堵で咽ぶ茜の栗色の髪に触れる彼の口調は、なんとも申し訳なさげだ。


「ほんとだよ……バカ!」


 瞬矢ですら、ぎりぎり聞こえるかどうかくらいの声量で発した一言「バカ」。その言葉が今では彼女の何気ない口癖となっていた。


「約束しただろ? 必ず戻るって」


 ふっと肩で息を吐き、茜を宥める。


「――だって、1ヶ月近くも……目、覚まさないんだもん!」


 だが、一向に落ち着く気配が感じられない。加えて発せられた茜の言葉に、瞬矢は思わず我が耳を疑う。


「えっ? 1ヶ月……」


 そんなに長い間眠り続けていたのかと愕然とし、ただただ懐に顔を埋めて泣き腫らす茜の姿を視界に捉える。いつの間にか茜を宥めすかすその手は止まっていた。


(……今日は何月何日だ?)


 『1ヶ月近く』と言っていたところから、恐らく年を越した1月であることは間違いないだろう。瞬矢の内なる疑問に答えたのは、茜の後から病室に入ってきたもう1人の人物。


「今日は1月20日よ」


 病室の入り口付近から届いた、聞き覚えのある凛とした声に、瞬矢はゆっくりと顔を上げる。するとそこには新田 香緒里が立っていた。


 ――20XX年 1月20日。

 時刻は、午後2時丁度を切っていた。

 病室の壁に凭れたまま香緒里は、崩れ落ちたあの廃墟で瞬矢たちが助けられた当時のことを語った。


 山間の倉庫で解放された彼女が刹那の後を追い、そこで目にしたのは、もとは建物があった場所に悠然と浮遊する4メートルはあろうかという丸い光。


 次第に下降する空間を包み込む丸い光が眩い一閃と共に消え、香緒里たちが駆け寄り見たもの。

 互いに20センチメートルほどの間隔を置き、寄り添う形で地面に倒れる2人は、まるで本当の兄弟のようだったと。


 そして瞬矢たちのもとにいの一番で駆けつけたのは、他ならぬ東雲 暁であったことを。

 地面に膝をつき、心拍、呼吸、裂傷部分を交互に確認しながら彼は何度も何度も呟いていた。「絶対に死なせない」と――。


 ――『死なせるものか』。


 切なる言葉と温かな手。まだ記憶に新しい、先ほど見た夢の内容が脳裏を掠める。彼の言った台詞、とった行動。もしかするとそれこそが東雲 暁の……彼の本懐だったのかもしれない。


 記憶と寸分違わぬ温もりに、瞬矢は思いを馳せる。

 いつの間にか、茜の嗚咽は聞こえなくなっていた。


「【S】は、あの廃墟の倒壊で死んだことにしておいたから」


「――えっ!?」


 思いもかけない香緒里の言葉に、瞬矢は意外とばかりに素っ頓狂な声を上げて再び彼女を見やる。


 真実を明らかにする立場である彼女が何をもってそのような発言をしたのかは、推測の域を出ず、彼女の口からその真意が語られる以外知るよしはない。

 ここは理由を訊ねるべきか否か、瞬矢は表情を曇らせ再び思案に暮れる。そんな心中を察したのか、香緒里は重い口を開く。


「……そうね。あなたも知っておくべきかしら」


 きりりとした両目を伏せ床の辺りを見つめながら、なぜそのような思いに至ったのか、その経緯を語った。



 2



 1ヶ月前、それはあの山間の倉庫でのこと。

 香緒里の指先が、何かを覆い隠すようにかけられたブルーシートに触れる。


「?」


 首だけで振り返ると、青いその端からは月明かりに照らされた白い小枝のようなものが覗く。


「どうしたんですか?」


 傍にいた山田が不思議そうに訊ね、香緒里の見つめる視線の先を覗き込む。


「な……なんでもないわよ」


 しかしその白い小枝のような得体の知れないものの正体を確かめずにはおられず、恐る恐る、だが意を決しブルーシートを掴み捲る。


「――! 何、これ……!?」


 真っ直ぐ視界に飛び込んできた“もの”に、香緒里たちは息を呑み、小さく驚嘆する。

 それはひとところに山積みにされ、その上から透明なビニールがかけられた、皆、同じ顔を持つ人の形状をしたもの。

 香緒里が見たのは、ビニールからはみ出したその内のひとつの指だった。


「これって、『彼』……ですよね?」


 ふと思い出したように、だが目線はビニールの中のそれらを見つめたまま、山田がぽつりと問う。


「ええ。でも、恐らく『彼』の複製……」


 見たところ、それらが息をしている様子はなかった。

 よく見れば、製造番号らしき刻印がある左胸の下に、別の何かが刻印されている。ビニール越しで見えづらいが、よくよく目を凝らすと、そこには英語でこう書かれていた。

 ――【sample】と。


 【sample】……あるものの見本品などを表す時に使う単語だ。


「いったい、なんの為に?」


「……」


 香緒里たちの脳裏を、おびただしい数の疑問符が駆け巡る。

 真ん中より少し上辺りを見上げると、それらを覆うビニールの上に、黒いマジックで何か書かれたA4サイズの紙がテープで貼られていた。


 入り口から吹き込む夜風にひらひら靡くそれに、香緒里は右手を伸ばす。

 反対の手をついた際、硬直した肌の感触が透明なビニール越しにひんやりと伝わり、なんとも気味が悪い。

 なんとか掴むことができたその紙を、テープごとびりっと剥がし取り文字に目を通す。


(……漢字?)


 どうやら今度は英語ではないらしい。だが記されたその内容に香緒里は眉間に皺を寄せ、怪訝な表情で目を細める。

 A4サイズのその紙には、荒々しい筆跡でこう書かれていた。


 ――【廃棄予定】。



      **



「彼らに、あなたたちの代役となってもらったわ」


 静かに話し終え、香緒里は半目し視線を右へと滑らせ押し黙る。


 かつて同じ『人』であり息づいていたものが、当然と物のように廃棄されてゆく事実。

 死体を見慣れていない訳ではないが、当時のことを思い出し、にわかに戦慄を覚える。


 ――『感情を持たない殺人兵器』


 不意に、あの倉庫での刹那の言葉が頭をよぎる。


 警察上層部は初め【S】の件に深入りするなと言ってきた。

 ならば上は、このことについて何かを知っているのだろうか。もしかすると刹那は、無意識に伝えようとしていたのではなかろうか……と。

 重苦しい空気が病室内に漂う。


「真実を全て明るみにすることだけが正しいとは限らない」


 それは考慮に考慮を重ねた末、香緒里の下した結論だった。


「もしこのことが公に知られれば、どんな目で見られるかしら? あなたたちも、そして彼女も……ね」


 閉口した香緒里は思う。

 今も昔も変わらず、自分と少し違うだけで奇異と好奇の対象に扱われる。そして父はそのことを知り、悩み抜いていたのではないかと。


 真実を全て明かしてしまうのは容易。だが、その後のことを思えばどうだろう。

 結果は目に見えていた。

 もしも事の全てを白日のもとに晒したとして、当事者である彼らは、少なからず肩身の狭い思いをするだろう。


 香緒里は揺れ動く自身の正義感で板挟みにあいながらも、【S】についての真実をひた隠そうとする上層部に信用がおけず、結論としてこのような対策をとったのだ。


「これはあなたに渡しておくわ。きっと有益な物になるから」


 おもむろにスーツのポケットから取り出したのは、黒い手帳だった。一度刹那の手に渡った手帳は、あの廃墟倒壊の後、再び香緒里の手元に舞い戻ってきていたのだ。

 瞬矢は片手でそれを受け取る。

 「じゃあ、私はこの辺で」と言いその際、カツ、とヒールを鳴らす。


「それに――」


 ちらりと茜を見やる。軽く口元を緩ませ言葉を続けた。


「折角のところ、邪魔しちゃ悪いから」


「?」


 なんのことかと小首を傾げる瞬矢の様子に、香緒里はくすりと笑い踵を返すと、足早に病室を去って行った。




 3



 香緒里が去り、病室をこれまで以上の静けさが支配する。ただひとつ、瞬矢の脳裏にこびりついて離れない言葉。


 ――【sample】、【廃棄】。彼女が倉庫で見た複製たちと、そしてそこに刹那がいた事実。

 もしかすると、刹那はすでに自分の知り得ない何かを知っていたのではないか。

 ふっと瞬矢の脳裏にそのような考えがよぎる。それは、香緒里の抱いていた疑念と全く同じものだった。


 だが、それを確かめる手段は――ない。

 再び彼が目覚め、その時訊ねるより他にそれ以上の確固たる術は、ない。


 瞬矢は黒い手帳に視線を落とす。泣き疲れ、安堵の淵に眠る茜に気を配りながら、静かにページを捲る。


『20XX年 12月2日。

 当初、東雲 暁は息子の複製である彼らを兵器に仕立てることを強く反対していた。そもそも、自分の行っていることが法に抵触すると知っていたからだ。

 国は、そんな彼の思考を利用した』


『責任者は彼で決めるのも彼だ。我々も従うしかない――』


 その下に走り書きで外という字に丸印がつけられ、右側へ矢印が引かれている。その先は上手く読み取れない。

 ひとまず解読を諦め、続きに目を通す。


『20XX年 12月21日。

 数ヶ月ほど前から屋敷に出入りしている男。明らかに日本人ではない。

 この計画は、もう外と通じてしまったのだろうか。

 このことを報告したが、本部は何も言ってこない』


『この実験はどこへ向かうのか?

 いつか我々は、この報いを受けるだろう。

 願わくば彼らの未来に光あらんことを――』


 メモ帳の内容はそこで途切れていた。

 間違った形かもしれないが、少なくとも初めは『人』として造り出され、愛情を向けようとしてくれていた。


《そうだろ? ……刹那》


 届くかどうか分からない。だが眠り続ける刹那に向けて、そっと思念を送った。

 一瞬だが、刹那の表情に穏やかなものが窺えたのは気のせいだろうか。よもやそれは、窓辺から差し込むうららかな陽気のせいなのかもしれない。


 窓辺から吹き込むそよ風にカーテンが揺らぎ、瞬矢は晴れ渡った空へと視線を送る。

 窓の外では、季節外れの黒い揚羽蝶がひらりひらりと宙を游ぐ。


「ほんと、いい天気だ……」

 

 ぽつり独りごちて、細めた黒い双眸にどこか柔和な光を宿し、静かに口元を緩める。


(今度は俺が待つ番だな。お前の目が覚めるその時まで)


 これからも彼は、こうして眠り続ける刹那に語りかけるだろう。自分があの暗い場所で彼の声を聞き、目覚めた時のように、いつかは彼にも届くと信じて。

 彼らしかいない病室に、『彼ら』にしか分からない言霊が飛び交う。



      **



「……【S】は死んだか」


 窓の外の景色を見下ろし、紺色のスーツに身を包んだ50代後半の男は言った。窓辺からの逆光で、その姿は窺えない。


「あちらの状況はどうだ?」


 男は振り返ることをせず、後方にいるグレーのスーツを着た人物に投げかけた。彼よりもひと回りほど若いその男は、手元の資料に目を通し答える。


「これを見る限り、至って順調なようですね」


 その言葉を聞き、口の端に薄い笑みを浮かべる。計画に支障がないようなら――そう言ったスーツの襟元で、金色のピンバッジが日の光に反射しきらりと輝く。


 

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