追憶
10年前、屋敷であの火事があった後――。
防寒具のひとつも着ていない格好の刹那は、指先まで酷く凍えそうだった。彼女がくれた右手に巻かれている白いハンカチも、今は寒風に揺らぐばかり。
細雪が舞い、街を幻想的に彩る。塀を伝う指先は赤くかじかみ、吐く息は弱々しくも大気を白く染める。
やがてとある施設の前で力尽き、前のめりに倒れ込む。彼の左手首には【S‐07】と刻まれた銀色の腕輪だけが冷たく鈍く輝いていた。
以後、彼は『光の里』と表されたその施設で過ごすようになる。だがその優秀さ故、次第に周りからは気味悪がられ、刹那は自ら皆と距離を置くようになった。
改めて思い知らされたのだ。自分の“異質”さを。
自分は自然に織り成された奇跡の産物などではなく、見も知らぬ他者の為、計算され造り出された存在であると。
自分は皆と同じになれない――前々から分かってはいたことであったが、改めて突きつけられたその事実は、彼の心に暗く晴れない影を落とした。そんな時、『櫻井 陸』と出会う。
――12月も終盤に差し掛かった日の夜。施設に1人の男が訪ねてきた。歳は40代……といったところだろうか、きっちりとした身なりでスーツを着ている。
(誰だろう……)
外灯の明かりのもと、静かに男の後を追う。見通しのよい十字路に差しかかった時、男は刹那に気づき振り返る。そして手を差し伸べ何か言い……笑った。
「!?」
刹那には男の笑顔の意味が理解できず、こう思ったのだ。きっと連れ戻され、彼らのように存在を抹殺されると。
見開く瞳は淡い紫色の光を帯び、外灯がじりじりと不規則に点滅する。
(死にたくない……!)
そう思い固く目を瞑った一瞬の出来事。
鈍い音が響く。幼い紫色の双眸に映ったのは、撥ね飛ばされた男が宙で弧を描きアスファルトの地面に叩きつけられる光景だった。
冷たく無機質なアスファルトを、男の頭部からどくり、どくり溢れ出る生暖かい鮮血が刹那の足元に向かい染め上げてゆく。
次第に薄紫から茶色へと通常の色彩を取り戻しつつある瞳で、刹那はぼんやりと足元に広がるそれを眺めていた。
絶命する最後の最期まで男は何かを伝えようとしていた。その時男が何を言おうとしたのか、最早知る術はない。
「へぇ、凄いね」
後を追いかけて来たのだろうか、背後から陸が姿を現す。一部始終を見ていたらしい彼は、刹那の左隣に歩み寄り俯せに絶命した男を見下ろして感嘆の意を表する。
陸は横たわり息絶えるそれを見ても、別段これといって驚く様子はない。むしろ、道端に転がった石ころを見るような口調で平然と言ってのけるのだ。
「――で、誰これ?」
陸の問いかけに、刹那は地面に転がるそれを見下ろして呟く。
「……知らない」
だが刹那には心当たりがあった。屋敷の地下にある研究施設で見た人物。その人物は――。
ふと目に留まったのは、地面に投げ出された警察手帳。それを拾い上げ、中を確認する。
(……『新田』? あぁ、偽名か)
あの時自分に向けられた笑顔の理由も最早知る術はなく、それすら今となっては詮なきこと。再び男に視線を落とす。
「これから、どうするんだ?」
横たわるそれに興味を失ってか、ゆっくりと刹那に視線を移して陸は問う。刹那は茶色の双眸で男を見下ろしたまま、しばし思考を巡らせる。
これからも、彼らのような人間が少なからず消しにかかるだろう。自分の存在をこの世から抹消する為に。ならば、とるべき手段はただひとつ。
「決まっ てるさ」
刹那は拾った警察手帳を投げ捨て、すでに動かなくなった地面のそれから視線を逸らし、天を仰ぐ。そしてひとつ白い息を吐き言った。
「向かって来る奴は、みんな潰すだけだ」
淡々と、だがはっきりとした口調で。
――そう。例外はない。
見上げた暗い空からはあの日と同じ細雪がちらつく。闇夜に映えるその小さな白い結晶は、ひやり、少年の頬に触れ溶けた。
(そうさ。誰だろうと、片っ端から……)
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