真相、そして――
――同日、午後7時05分。薄暗がりの中、肌に伝わる冷たい感触に香緒里は目を覚ます。まず視界に飛び込んできたのは、灰色の無機質なコンクリート。
ここはいったいどこなのか。兎も角、地面に手をつき起き上がろうと思ったのだが――。
「……っ!」
紐のような物で後ろ手に縛られていた為、バランスを崩し転倒。再びコンクリートに身を預けることとなる。
(ここは……?)
顔を歪めながら自由の利かない上体を捩り、しきりに辺りを見回す。
自分がいる場所の間取りは天井までがらんと広く、背後にはブルーシートに覆われた何かがあった。正面に見える間口の広い入り口、倉庫のような場所だ。
くすんだ窓から差し込む月明かりだけが淡く周囲を照らす。
脇腹へわずかに走る痛みが、香緒里に現在の状況に至るまでの記憶を甦らせた。
(そうだ。あの時――)
**
――21日、午後7時10分。マンションの一室へと戻った香緒里は、リビングで父親の遺した黒い手帳に今一度目を通す。
あの日、思い出と手がかりを辿り桜の木の下で見つけた黒い手帳。ゆっくりとページを捲る。
日付は約12年前のものでそこには関った者以外決して知り得ない、事件の真相に繋がる言葉が時に断片的に、時に切々と書かれていた。
『20XX年 10月25日。屋敷の地下、実験。遺伝子の突然変異――。
薬品1
これは対象者の息子、東雲 刹那のクローニングと関係? 水面下で何が……。この実験はどこへ向かうのか?』
更にページを捲る。
『11月28日。実験は新たな段階へ。
薬品2
かくいう私も加担者の1人である。彼らの今後にどうか光あらんことを』
(何……これ……)
彼らは、斎藤 瞬矢はこのことを知っているのだろうか。いや、少なくとも『刹那』は知っているだろう。でなければ事件を起こさないはずだ。
手帳を片手に香緒里は迷う。この事実を知らせるべきかどうかを。
考えた末、父親の手帳という情報のみを知らせ、その内容を見るか否かの判断は彼自身に任せることにした。
午後9時40分。住宅街から離れた人気のない路地。斎藤 瞬矢に【S】の情報を渡す為、香緒里は目的の場所へ向かい歩いていた。空には、ゆるりと笑んだ月が妖しく輝いていた。
背後からひたひたとつき纏う気配。その気配に香緒里は覚えがあった。以前、感じた視線と同じどこか寒気のするそれ……。
振り返ると、ライトグレーのフードを目深に被ったすらりとした人物が行く手を塞ぐ。
全身から放たれる危険信号。拳を繰り返すもかわされ、反対の手で人物の襟を掴む。しかし手首を掴まれ咄嗟の機転で逆手にとり、背負い投げる。
人物は重心をなくすが、猫のように宙で身を捩り間合いを取ると、タンッと両足で地面に着地した。姿勢を屈め、しゃがみ込んだ人物はゆらりと立ち上がる。唇は弧を描き笑っていた。
電子音を上げて不規則に点滅する外灯。
(狙いは、父の情報か……)
香緒里が人物をきっと見据え、そう思った時だった。人物は視界から消え、笑みを浮かべたまま一瞬にして間合いを詰める。
「なっ……!?」
咄嗟に拳を繰り出すが、それすら紙一重でかわされ掴まれる。風圧で目深に被ったライトグレーのフードがふわりと少し捲れる。
その時確かに見た。闇夜と同じ艶やかな黒い前髪の合間から覗く、桜色にも近い薄紫の瞳を――。
「残念でした」
見覚えのある顔は、夜空に輝くそれに劣らぬ三日月の笑みで言う。同時に腹部へ走る鈍い痛み。彼女が人物の正体に気づいた時、すでに意識は暗転していた。
**
――そして現在。わずかに漂う土臭から、恐らく郊外のどこかであろう。
不自由な両腕を駆使し、肘に当たる感触でスーツのポケット内を確認する。だがポケットに何か入っている感触はなく、どうやら全て取られたらしい。
もう一度辺りを見回す。すると数メートル先、地面に落ちた携帯電話が目に留まる。
(せめて、居場所を……)
せめて電源さえ入れば、こちらの位置が特定できる――そう践んだのだ。
「……っ」
携帯電話に向かい地を這う。その時、前に耳にした声が砂利を踏みしめる足音に混じり聞こえてきた。
「探し物はこれかい?」
トラック一台は楽々入れそうな広い入り口に、月明かりの逆光を浴びて暗く
わずかに窺えた茶色い瞳が見下ろす。ライトグレーのフードの代わりに、それと同色のコートを羽織っていた。中には白っぽいハイネックシャツ。
「刹那!」
口元に右手をあてくすくすと笑う。彼が手にしていたのは、実験に関することが記された黒い手帳とメモリーカード。
「父の手帳!?」
香緒里は思わず声を上げる。
「父?」
不思議そうに小首を傾げた刹那は、手帳に記されている名前を見て「ああ、あの時の」とわずかな感嘆を溢す。
「全て知ってるのよ刹那……いえ、S‐07。あなたが『東雲 刹那』のクローンだということも」
彼の、口の端から溢れる笑みがぴたりと止んだ。
「だったらどうなの?」
貼り付けた笑顔とは対照的に、実に平淡な口調をもってして歩み寄り、香緒里の眼前で膝を屈め話す。
「僕を捕まえる? そして全て明らかにする? でも出来るかなぁ、今の刑事さんに」
膝の上に片手で頬づえをつき、観賞物を眺めるかのような表情。香緒里は自身の状況を理解した上で、ぐっと歯噛みし刹那をねめつける。
「あなたがこんなことをする目的は何!?」
すると刹那は「目的? 目的かぁ……」と少年のような表情でしばし視線を宙へ游がせ目的、目的……と呟いた後、作られた三日月の笑みを浮かべ答える。
「特にないよ。けど、あえて言うなら『僕が僕である為』……かな」
相変わらず片手で頬づえをついて目を細め、唇は下弦を描き、にいっと笑い言うのだ。なんとも夢想的に。
「?」
眉間に皺を寄せ訝る香緒里。刹那はそれを横目に立ち上がり、数歩後退すると持っていた黒い手帳に視線を落とし適当なページを開く。
「残った変異個体のうちS‐06は――か。こんな物、よく残してあったね」
軽く読み上げ手帳を閉じふっと息を漏らした彼は、見上げる香緒里に視線を送り小首を傾げ問う。
「知りたい? そこで大人しくしているなら、教えてあげてもいいよ」
刹那の言葉に困惑し思考する。自分である為、本当にそれ以上の目的はないのか……と。
「僕らはただの【
首は傾げたまま後ろ手に目を伏せ続ける。
「分かるかい? 目の前で自分が死にゆく様を何度も見せられる、それがどれほどのことか」
くすんだ窓から差し込む月明かりが、佇む刹那の姿を青白く仄かに照らした。
「どうしてそんなこと……」
後に続く言葉を呑み込む。可能性として、ひとつだけ思い当たるからだ。
代わりに発したのは、香緒里が導き出し呑み込んだ答えに繋がるであろう台詞。「そんなの決まってるさ」彼はそう、さも平然と言ってのける。
「兵器に感情はいらない。いらないんだよ……。だから、僕は『僕』を殺した……」
俯きがちに淡々と語る刹那の表情は、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。その平淡な口調からは想像もできないほど、複雑な表情。
「刹那……、あなたのしたことは間違ってる。けど、本当に悪いのはあなたたちを造らせた人」
一時の沈黙。微動だにせず、しばし押し黙っていた彼であったが、その整った顔立ちに人形のような笑みを湛え言った。
「たったそれだけのことで、全て知ったような顔しないで」
やがて何が可笑しいのか左手で顔を押さえ、肩を震わせ声を殺し、喉の奥でくつくつと笑い始める。その笑いも止んだ頃、伏せた顔をそろりと上げ静かに切り出した。
「知ってる? 本当の真実を」
同時に指の間から茶色い瞳が妖しく見据え、押さえていた左手をゆっくりと下ろす。
「――!」
突きつけられた真実に言葉を失った香緒里。彼女をその場に残し、刹那は姿を消した。
遠くから次第にサイレンの音が近づいてくる。それは倉庫の入り口付近で止まり、駆け寄るひとつの人影。
「新田さん!」
低くも切迫感ある、その声の主は――。
「山田……?」
冷たいコンクリートの地面に俯せたまま顔だけを向け、香緒里は見開いた目を数回しばたたかせる。
「匿名で連絡があって調べたら携帯からで、それで発信地とGPSの位置情報を……」
しゃがみ込み、香緒里の両手の自由を奪う紐を解きながら一気に捲し立てる山田。
「GPS……そっか」
どこか虚ろにぽつり呟く。駆けつけた山田により解放され、地面に両手をつく香緒里の双眸は見開いたまま一点を見据える。
あの時――。
「知ってる? 本当の真実を」
そう、笑みを浮かべながら彼が言ったあの時のこと。
顔の傍にある左手をすうっと下ろす。次いで彼が発したのは、先刻見せたそれにも劣らぬほどの真実。
「君の父親を殺したのは――僕だよ」
「……!」
香緒里は真実に目を見開き、声すら出せずにいた。沸き上がる憎悪。だがその反面、不思議と心のどこかで憎みきれないでいたのだ。
刹那はそんな彼女の心の内を見透かしたかの如く、わずかに口角をつり上げくすりと微笑み、そして背を向ける。
踵を返したかと思えば、ぽつり「ああ、そうだ」とごちて入り口で立ち止まり、ひょいと顔だけを向け一言。
「さっき知らせたから、そろそろ来るんじゃないかな」
そう言い残し、彼は静寂なる宵闇の中へと消えていった。
目的なき犯行、自己の証明。ならばこんなまどろっこしいことをせず、すぐにでも殺せばいいはず。
(だとすると、彼の狙いは……)
不意に手を伸ばすと、がさ……、無機質な何かが指先に触れる。背後に視線を送ると、何かを山積みにしたその上に覆い被さるブルーシート。
その端から、青白い小枝のようなものがちらりと覗く。眉をひそめ、訝りながらも背後のブルーシートを掴み思い切って捲った。
「――!」
暴かれそこに映ったものに、香緒里は再び目を見開き息を呑む。
**
午後7時38分。森を抜けた刹那はひとつの建物を見据える。雲間からは月明かりが差す。
彼を覆い隠す物がなくなり浮き彫りとなったのは、空にある三日月のように形成された微笑。柔らかな月明かりに照らされたその双眸は、淡い紫色に光を帯び輝く。
足元の湿気を孕んだ土をぐっと踏みしめ、脚力だけで宙へと飛躍する。風を切り口元に笑みを湛える彼が思うはただひとつ。
――向カッテ来ル奴ハ、ミンナ潰ス。
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