第7章 この想いを言葉にするなら、

宝探し

  


 ――20XX年 11月7日。


 午後10時23分。とあるマンションの一室。香緒里は玄関を開け明かりをつける。

 しんと静まり返った部屋。壁紙は白で統一されスタイリッシュな印象を与える部屋だが、1人で住むには少しばかり広く感じる。


 出迎えのない部屋に足を踏み入れ、右を見ると、リビングの固定電話に留守電の赤いランプが点滅していた。恐らく母親からだろう。


 10年前に父親が単なる事故死として片づけられた時、警察をどれほど憎んだことか。

 だがどうだ、結局自分も父親と同じ道を歩んでいる。


 おもむろにスーツのジャケットだけを脱ぎ、そして斎藤 瞬矢から受け取ったUSBメモリーカードを取り出す。

 それをテーブルの上に置いてあるノートパソコンに繋ぐ。

 画面が映すのは、10年前、ある少年の薬物による実験で起きた凄惨な光景。


『あんたの父親は仁井田という偽名を使っている』


(彼の言ったことが本当だとしたら、当時、父は東雲 暁の製薬会社に潜入していた?)


 パソコン画面の映像とUSBメモリーカードを交互に眺め、香緒里は思う。

 父は本当に何も遺さなかったのだろうか。

 ふと香緒里の脳裏を、遠い日の父親との思い出がよぎる。



      **



 それは、15年ほど前のこと。

 まだ、庭の桜も咲いていない頃のことだ。

 玄関を出ようとしていた父親に、幼い香緒里は右手で敬礼の真似事をしてみせる。

 その頃の彼女は、刑事をしていた父親に憧れがあった。


「【宝探し】する約束、忘れないでよ」


「ああ。忘れないさ」


 大きな手が香緒里の頭を撫でる。

 【宝探し】とはお互いに大事な物を隠し探しあう、当時の香緒里が父親とよくやっていた遊びだ。

 父の大きく温かな手に撫でられながら、香緒里は笑顔で頷く。自分の父親が抱えているものの重さも知らず。


 それから5年を過ぎた頃、何かが狂い始めていた。まるで錆び付いた歯車が音を立てて軋むように。

 以前に比べ父、健の様子が明らかにおかしい。

 時折見せる表情は、何かに迷っているような重大な決断を迫られているような、そんな表情だった。

 香緒里はある日思い切って父親に切り出した。


「私が警察の人になって、お父さんを苦しめてる悪い人捕まえてあげる!」


 すると父はこんなことを言ったのだ。


「そうか。香緒里なら、本当の真実を見つけられるかもな……」


 香緒里を見てふっと口元を緩ませ、何かを決断したような張り詰めた笑みで。

 勿論、当時の香緒里には、その言葉の意図するものが何かなど知るよしもなかった。

 父、健の思い詰めた表情は一瞬ふっと和らぎ、以前のような優しい笑みを見せる。

 それからほどなくして、父は事故で亡くなった。



      **



「――……父さん」


 一言呟いた香緒里は、パソコン画面に映し出された映像の中の、父親とおぼしき人物を指先ですっとなぞる。

 あの時の父の目は、とても悲しい色をしていた。


(あの父が私に何も遺さなかったはずがない)


 ノートパソコンを閉じUSBメモリーカードを引き抜く。そしてすっくと立ち上がり、リビングに背中を向ける。


(これはきっとあの時できなかった【宝探し】の続き。明日、少しだけ実家に帰ってみよう)


 もしかしたらそこに何かあるかもしれない。そんな思いが香緒里の心にひとつの決断をさせた。


 ――明けて翌、11月8日。

 午前10時45分。車窓に流れる懐かしい風景を眺め香緒里は考察する。


(私になら見つけられる【本当の真実】か……)


 ふっと頭によぎったのは、あの日あの時、香緒里に向け発せられた父親の台詞だった。


 ――【本当の真実】。

 それは、表向きな真実の裏に隠された真実のことを示唆しているのだろう。当時は、その言葉が意味するものも理解しておらず……。


 家の敷地を取り囲むブロック塀も今は全てが懐かしい。

 毎回見る度に「あぁ、帰って来たんだ」と実感する、苔むした門扉に掲げられた『新田』の表札。

 そういえば、昔よくここで家族揃って手持ち花火をした。今もアスファルトに残る焦げ跡を見て、遠き夏の日の思い出がふっとよぎる。


「ただいま」


 一声あげると同時に、もうだいぶ年期の入った玄関の引き戸をがらがらと開ける。

 眼前に広がるのは、毎日のように父親を見送った玄関。その光景は、今も変わらない。


「あら、おかえり。帰るなら前もって一言電話くらい――」


 そう言って廊下の奥から母親が慌ただしく出迎える。


「ごめん。急いでたから」


 そう言い向かってすぐ左手の居間へと足を運ぶ。奥には仏壇があり、父、新田 健の遺影が飾られていた。

 奥へと歩を進めた香緒里は、仏壇の前に座し線香をあげ手を合わせる。


「ただいま、父さん」


(私が父さんの言ってた真実を探し出してみせるわ)


 眼前の父親の遺影は、全てを見守るように笑っていた。

 口の端を緩ませ微笑み返すと、意を決して仏壇の下に設けられてある小棚に手をかける。

 棚を全部引っ張り出して畳の上に空け、ひと通り探したがそれらしき物は見当たらない。あるのは当面関係のない封筒や書類ばかり。

 そもそも何か遺してあったとして、それがどのような物なのか。

 USBなのか、はたまたノートかメモ帳か……。


 仏壇の中を隅々まで漁ったところで、香緒里の脳裏にある疑念がよぎる。

 仮にもし父が何かしら遺していたとしても葬儀の際、証拠となる物を他の物共々棺の中に納めていたら……。

 そうだとすれば、完全に手詰まりだ。兎も角、今はそうでないことを祈りながら探すしかない。


 散らかした物をもとの場所へ仕舞うと立ち上がり、2階にある父親の書斎へと向かう。

 階段を登ってすぐの父の書斎。ドアノブを回す手が一瞬止まる。

 ドアを開けた瞬間視界に広がるこの部屋は、彼女の父親が事故で死んだあの頃のままだ。

 部屋にひとつだけ設けられた、日差しを取り込む為の窓に目をやる。

 窓からは、冬に向けて枝振りを露にした桜の木が遠目に姿を覗かせていた。


「そういえば……」


 何かを思い出しぽつりとごちた香緒里は、多少埃っぽい部屋の中を窓際まで歩く。


(宝探しをする時、父は私が必ず見つけられるように、いつも何か手がかりを残してくれていた)


 窓から見える桜の木を眺めた後、瞑目した香緒里はしばし思慮に耽る。

 ゆっくり、記憶を過去に潜らせると、脳裏に蝉の鳴き声が聞こえてきた。



「お父さんあったよ!」


 家の庭に高らかな少女の声が響く。

 ……あれはいつのことだったろう。

 幼い自分は麦わら帽子を被って土まみれ、黒くなった両手で空き箱を父親に向かい掲げる。


「よかったな」


 嬉しそうな表情の香緒里に父、健はそう言って縁側で笑顔を見せる。

 太陽がじりじりと照りつける、焼けつくような夏の日。庭に生えた桜の木で、蝉がうるさく鳴いていた。


 目を瞑って思い出されたのは、今は遠く昔の記憶。

 いつも見つけ易いよう、父が決まってつけてくれていた目印。

 縁側の犬走の端、草に隠れたブロック塀、石の裏、どれも目立たないようこっそりと。

 最初は数字や記号だったが、いつの頃からかそれは【S】の一文字に変わっていた。

 香緒里がそれに気づいたのは父が死んでからのこと。当時は気づかなかったが、自分と【S】の接点はその頃からあったのだ。


 すうっと閉じていた目を開き、香緒里は感慨深げに今一度窓の外に広がる庭の景観に視線を落とす。


「――!」


 偶然だろうか。視界に映った桜の幹が、まるでアルファベットの【S】を描いたように根元からいびつに湾曲していたのである。

 角度によって見え方が違う為、玄関を入る前は気づかなかった。


(まさか……!)


 ふとよぎった思いに香緒里はくるり踵を返すと、勢いよく部屋を飛び出して階段を駆け下りる。


「どこ行くの?」


 居間から母親が顔を覗かせて問う。


「ちょっと庭に宝探し!」


 玄関へと向かう歩みはそのまま、顔だけを向けて言葉を返す。

 「宝探しって……」今さら何を言っているのかと怪訝そうな母親の声を背に受け、玄関から庭先に出る。


 桜の木の側にある焼き煉瓦で作られた花壇の端には、黄緑色のスコップが置いてあった。

 香緒里は黄緑色のスコップを手に、桜の木と先ほどまでいた2階の窓を交互に見やり考える。

 きっと父も、あの窓から桜の木を見てこの場所へ隠すことを思いついたのだろうと。


 この場所のどこを探せばいいか、とうに分かっていた。

 桜の木を正面から見た際、ちょうどSの字になる幹の根元。

 香緒里はそこにしゃがみ込み、手にしたスコップで土をえぐる。

 一心不乱に地面を掘り返していると、やがてスコップの先が土とは違う何か硬い物に当たる。

 持っていたスコップを放り、幼い頃のように両手を泥まみれにしながらスーツが汚れることもいとわず、一心不乱に土を掻き出す。

 地中から出てきたのは、土を被り所々茶色く錆び付いた鈍色の空き箱。

 周りについた土を払いのけ、それを取り出した。箱を軽く揺すってみると、中で何かが振れる音がする。


 香緒里はその箱を地面に置き、そっと蓋を開けた。

 中には黒い手帳と何かが記録されているであろうUSBメモリーカードが入っていた。

 USBメモリーカードと手帳だけを入れておくには少々大きめの箱。そこに納められた黒い手帳を取り、ぱらぱらと中身を捲る。

 そこに綴られてある文字は、懐かしい――間違いなく父親のものだった。


 10年前に、父は事の真相をこの箱の中に隠したのだ。自身に何か起こってもいいように。

 泥まみれの両手に取ったその手帳を、胸の前でぎゅっと抱え込む。


「父さん……」


(最後まで、ちゃんとヒント残してくれてたんだね)


 午後の暖かな日差しが庭いっぱいに降り注ぐ。

 メモ帳に綴られた誰にも語れぬ父の本音に、薄ら滲む視界。瞼を閉じ、浮かぶのは最後に見た笑顔。

 12年余りの時を経て、桜の下に見つけた父の言葉。最後の【宝探し】――。


 

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