第6章 『あり得ない』はあり得ない。

穿つ森

 


 ――20XX年 10月24日。

 瞬矢の携帯に一本の連絡が入る。


「……ああ分かった」


 しばらく黙って聞いていたが、たった一言相手にそう返し、携帯の終話ボタンを押す。


 時刻は午後1時15分。あれから2日ほどして瞬矢の携帯電話に香緒里から連絡があり、報された内容は驚くべきものだった。

 彼女曰く、東雲の家に『刹那』なる人物は確かにいた。

 だが、その内容には耳を疑うものがあり……。

 事実を確かめる為、瞬矢はある場所へと向かう。


 午後1時53分。途中、パーキングエリアで煙草をくゆらせつつ遥か前方に聳える山をぼんやり眺め、電話越しに聞いた香緒里の言葉を思い出していた。


『東雲家に刹那って名前の子がいたのは確か。けれど――』


 遺体が発見されたのは、目の前に聳える山のふもと。もしも彼女の話が本当ならば、あの山の中腹辺りに“それ”はあるはずだ。

 目的の場所に向けてすうっと吐き出した紫煙が、大気中に分散されやがて跡形もなく溶け込む。

 瞬矢は満足げにその始終を見届け煙草の火を消すと、運転席へ乗り込みパーキングエリアを後にする。


 山の裾野を通る一本の道に入ったところで、見覚えのあるひとつの分岐点へと辿り着く。

 一旦車を停め、枝分かれし細く紆曲した道に視線を送る。


(ここは、一昨日の……)


 そこは一昨日訪れたばかりの遺体発見現場。これを偶然として片付けるには、あまりにも一点に重複しすぎている。

 瞬矢は得体の知れない――そう、一言で例えるならば因果のようなものを感じながら、再び目的地に向かい車を走らせた。

 中腹辺りで車を停め運転席から降りると、幅50センチメートルほどの舗装もされていない坂道を見上げる。

 坂道の両脇には伸び放題の雑草が行く手を阻むようにこうべを垂らしていた。

 どうやら、目的地はこの坂の上らしい。

 坂道から細く段差の低い土で出来た階段を登る。すうっと視界がひらけ現れたのは、墓碑が点々と並ぶだけの、それはそれは小さな墓地だった。

 足を踏み入れ、そこにある墓石ひとつひとつをゆっくりと確認していく。――だがしかし、


(ない!? ……いや、話が本当なら、絶対この中にあるはずだ)


 諦めず、更に奥へと生い茂る雑草を掻き分け東雲の墓碑を探す。


「――!」


 昼尚暗く、鬱蒼とした森から一本だけはみ出た低い常緑樹の根元、雑草と落ち葉で存在をひた隠すかのように【それ】はあった。

 小さな墓地の片隅にひっそりと存在する墓石と、それを秋色に彩る大量の落ち葉――。

 瞬矢は墓石を覆うそれらをさっと手で払い、身をかがめ墓碑名を確認する。

 だが、至るところ苔むしていて肝心の文字が読みづらい。

 極力目を凝らし、なんとか確認できた『東雲』の文字。しゃがむと文字を指先でなぞらえてみる。


「見つけた」


 眼前の墓碑と見合った瞬矢は、悪戯っ子の如く口角をつり上げ言う。

 口元に湛えた微笑みは、さながら隠れんぼの相手を見つけた時のそれに近い。

 木々の間からちかちかとわずかに差す木漏れ日が、墓地に降り注ぎ温かく照らす。

 常緑樹の葉の陰で行ったり来たり、羽根を休めていた雀が枝を揺らし一羽飛び立つ。


「……ん? なんだこれは?」


 不思議なことに苔むしたその下は、何かを隠すかの如くセメントで塗り固められていた。不測の事態に、準備を整え改めて出直すことにした。


 翌日の白昼、再度その場所を訪れた瞬矢の手には工具が握られており、シャツの両袖を捲り上げたそこからは「今日こそは」という意気込みが窺える。

 あえて手間のかかる方法を選んだのは、やはり墓石に傷をつけない為だ。

 持っていた彫刻刀と鎚を地面に置き、墓石の前で屈み込む瞬矢。

 軽く手を合わせ、その後左手で『東雲』と彫られた墓碑に触れ口元にわずかな笑みを浮かべ語りかける。


「さて。お前が誰なのか、この目で確かめさせてもらうぞ」


 地面に置いていた彫刻刀と鎚を手に取る。

 悪戯っぽい微笑は消え、真剣な表情で墓石を見据え脆そうな部分に刃をあてがう。

 その際、墓石自体を傷つけないよう注意を計らいながら、塗り込められたモルタルを削りまた穿うがつ。

 モルタルの削れる音が一帯に小気味よく響き、周囲に粉砕された破片が散る。

 ……とはいえやはり他人の墓だ。どうにも墓荒しをしているようで、あまりいい気はしない。

 額には、うっすらと汗が滲む。

 いつからか、すぐ左後方にある墓石の上で一羽の烏が羽根を休める。

 烏は首だけを向け、その黒く艶やかな風貌と同じ色の瞳で終始黙って見つめていた。


 約20分後、ようやく全貌を見せる塗り潰された文字。

 持っていた工具を地面に置くと、邪魔臭く額に貼り付いた髪の毛を手の甲で拭い、晒された墓碑名を黙読する。


 ――『東雲 刹那』。


 その名前に、瞬矢はよろよろと立ち上がる。

 12年前、すでに刹那は死んでいた。ならば自分にあの手紙を送ってきたのは、今回の一連の事件を起こしたのは誰なのか。

 様々な疑問が、瞬矢の脳裏を閃光の如く駆け巡る。

 先ほどから墓石の上で憩う烏が、かぁ――、と一声あげて飛び立った。


(刹那、お前は何者なんだ?)


 今まで追いかけていたものの正体が不明瞭となり、その場に立ち尽くす。

 妙に乾いた風が、促すようにざわりと木々を揺らし、色づき始めた木の葉を宙に躍らせる。

 その光景は、真実に近づきつつある瞬矢を囲みひそひそ話をしているようであった。

 瞬矢は右手でシャツの襟元を摘まみ、風を送る。後方に顔を向けながら、幾重にも枝分かれした木々で遮られた天を振り仰ぐ。

 またひとつ、どこかの木陰でかぁかぁと、羽音を響かせ烏が鳴いた。

 再度、全貌が暴かれた墓碑に視線を落とす。


『東雲家に刹那って子がいたのは確か。だけど、その子は12年前に亡くなってるの』


 頭の中で香緒里の言葉を反芻する。

 刹那がすでに死んでいたなんて、思いたくもなかった。――いや、彼女の話を耳に入れた時から瞬矢も心のどこかで分かっていたはずだ。

 ただ信じたくなかったのかもしれない。

 再び辺りを一望する。昨日は気づかなかったが、常緑樹の脇に人がやっと通れるほどの草木が生い茂る獣道が続いていた。

 道の両脇から首をもたげた木々の枝が手をこまねき、日の光を遮り鬱蒼としたトンネルを形成する。

 瞬矢は、そんな先の見えぬ獣道をただ何かに導かれるまま登ってゆく。

 やがて空を隠さんばかりに張り巡らされた枝葉の先から、闇を裂いて差す一条の光。


「――っ!?」


 あまりの眩しさに一時の間、顔をしかめ目を細める。

 眩く視界を覆い尽くすほどの燦々さんさんとした光。それと共にぱあっと視界が拓け、眼前に見覚えのある景色が広がる。


「ここは……」


 思わず足を止め、一言呟く。

 倒壊した瓦礫に、天に向かって聳える焼け焦げた楓の木。

 そこは、以前訪れたあの屋敷跡だった。

 振り返ると、ついさっきまでいた墓地はすぐ裏手。


「この屋敷……、こんなに近くにあったのか」


 ましてやあの時は、屋敷の裏に【あんなもの】が存在するなど考えてもいなかった。

 気づけなかったのも無理からぬこと。

 敷地のやや左端に一瞥をくれると、瓦礫の間から淡い紅色をした一輪のコスモスが顔を覗かせていた。


(そういや、もうそんな季節か……)


 ふと瞬矢は、秋になると決まって家の庭先に色とりどりのコスモスが花をつけていたことを思い出す。

 そして、母がそれをいたく大事に愛でていたことを。


『――今年も綺麗に咲いたわね。思い出すわ、あの時のこと……』


 ぽつり呟く母は、懐かしむように指先でピンク色の花弁を撫で、少年瞬矢とコスモスをゆっくり交互に見やった。


『――ふぅん』


 少年はさして興味なさげに、ひとつ気の抜けたような返事をする。

 目の前にいる母は頬を緩ませ、再び眼前のコスモスに視線を落とす。うららかな秋日のこと。


 ……それは一時の回想か、はたまた幼少への懐古か。

 不意に訪れた幼き頃の思い出に、瞬矢はコスモスから視線を逸らしながら瞑目の中、口元を綻ばせる。

 そういえば、そんなこともあったと懐かしい思いを胸中に留めたまま、くるりと踵を返す。

 瓦礫に咲く淡いコスモスの花は、瞬矢に何かを伝えるかの如くこうべを垂れ、10月の風に身を任せてただ静かに揺らいでいた。


 

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