化け物
――20XX年 10月21日。
時刻は午前11時35分を示し、半分ほど開けられたブラインドの裾から日の光が差し込む。
蛍光灯の明かりのもと、ソファに腰かけた瞬矢はメモリーカードの中身をパソコンに移す。
メモリーカードの中の映像に映っていた人物は、昔の自分を除き全部で5人。
いずれもなんらかの形で研究に携わっていた。
(――ん? 『5人』……?)
そこで瞬矢は初めて、今まで見逃していた違和感に気づく。
確か研究者は中川、渡辺、六野の計3名で皆、体に【S】の文字が刻まれ殺されていた。
自殺した茜の父親を含めると計4名。だが、それでは人数が合わない。
――そう、1人足りないのだ。
殺された3人は東雲 暁の製薬会社の社員だった。
ならば、名前も顔も分からぬ残る1人とはいったい誰なのか。
これから殺される人物なのか、それともすでに……。
「あと1人……か」
知らず独りごちたところで、静寂を打ち破るかの如き腹の虫にそれ以降の思考を遮られる。
慰め程度に冷凍庫から取り出したアイスを腹へ納め、続けて手近なカップにコーヒーを注いだ。
ふと入り口近くの壁に貼りつけてあったカレンダーに視線を留め、心の中で呟く。
(21日。そういや……)
カレンダーの日付を確認した瞬矢は、つい先日茜と交わしたある約束を思い出す。
時は遡り、4日前――。件の屋敷跡から戻り、茜を家の近くに降ろした時のこと。
「なんで俺が?」
いきなり切り出されたその言葉の真意が見えず、多少訝りながら訊き返す。
「いいから! 今度の21日、約束ね」
どうやら瞬矢に拒否権はないらしい。結局押し切られる形となり、承諾したのだった。
うんうん、と1人納得したかのように背中を向ける茜だったが、突如「あっ!」と素っ頓狂な声をあげぴたりと立ち止まる。
「あと、校内は禁煙だからね!」
振り返り、眉を聳やかせ、覗き込むように念押しする。
「……へいへい」
瞬矢は、なんとも気の抜けた返事であしらう。
だがその後茜に「『はい』は1回、返事はちゃんと!」などと説教されたのは言うまでもなく――。
こうして瞬矢は、半ば強制的に約束をさせられたのである。
そしてその日付は確かに今日だった。
満たされない空きっ腹に、わずかに残っていたコーヒーを流し込む。
煙草をくゆらせ、そのほとんどを一気に味わう。
「やれやれ」
感嘆混じりな言葉と共に、肺一杯に吸い込んだ紫煙を吐く。
(顔くらい出してやるか)
吸い終えた煙草の火を灰皿に押し付けて消す。同時に茜の顔がよぎり、ふっと一笑に伏すと共に重い腰を上げる。
**
目的地は、2駅離れた場所にあった。車での移動ならばすぐの距離だろう。
だが駐車が面倒という理由もあり、結局電車で行くことにした。
途中で見かけた電光掲示板のテロップには、オレンジ色の文字で『櫻井 陸が拘置所内で自殺。事件の真相は不明のまま――』と流れる。
「櫻井――、消されたか?」
瞬矢はオレンジ色のテロップを目視し、頭に浮かんだ台詞をそのまま呟く。
だが、その考えはすぐさま別の考察によって打ち消される。
(いや、奴は自分の意思で行動していると言ってたな。なら、自殺というのも何かを隠す為……)
しかし、いったい何を――そんなことを考えつつ電光掲示板から目を逸らし、再び駅に向かって歩きだす。
――駅から歩いてほどなく、目的地に辿り着く。
高校の正門に貼り出されたチラシの中央。そこにでかでかと書かれた『文化祭』の文字。
「はぁー……っ」
限られた空間を思い思いに往来し賑わう人、人、人――。
今一度
よもや何かの嫌がらせではないかと勘繰りたくもなったが、今さら考えたところで仕方ない。
さっさと顔だけ見せて帰ろうと、重たい足取りで正門をくぐる。
案の定、右も左も分からないといった始末だ。
さて、どうしたものかと辺りを見回した時、見慣れたふわりと茶色い髪の人影が映る。
振り返った人物は、紛うことなく茜だった。
だがその格好はいつも目にするものと違い、全体的に黒と白を基調色としたメイド服。
短めのスカートの裾から覗くレース地の白いペチコート。
その姿は、愛らしい、小動物のような彼女によく似合っていた。
「来てくれたんだ!」
「……まあな」
嬉しそうにこちらを覗き込む茜から、ふいと視線を逸らす。その時――、
「東雲!」
人々の喧騒をも打ち破る少年の声に、意識はそちらへと奪われる。
「げっ、
茜は四宮というらしい制服姿の茶髪男子を見るや否や、身を引き嫌悪の姿勢を露にする。
当の四宮は、茜の隣にいる瞬矢の姿を目視した途端、ぴたりと足を止め訝しげに言い放つ。
「おまえ誰だ?」
彼の言う『おまえ』が自分を指しているというのは、瞬矢もなんとなく理解できた。だが、それに答えたのは瞬矢ではなく……。
「あんたに関係ないでしょ!?」
茜だった。たった一言、叩きつけるような言葉を返すとそれ以降は彼に一瞥もくれず、きょろきょろ辺りを見回す。
やがて視点を定めると、ひとつ声を上げる。
「こっち!」
不意に手首を掴まれ、がくんと重心を崩しよろめくが、すぐさま持ち前の運動神経で駆け出しながら体勢を立て直す。
「おい、ちょっ……!」
それに対して茜は立ち止まることも振り返ることもせず、駆け足で人波を縫う。
故に結果として、茜に手を引かれる形となった。
(フツー、逆だろ!?)
などと内心突っ込みを入れたりもしたが、今はついて走るより他なかった。
走り続け、あまり人気のない中庭でようやく立ち止まった茜は、掴んだ手を放し肩で息を切らす。
別に逃げる必要もないだろうに、なぜあんな行動をとったのだろうか――やはり彼女の真意が見えない。
辺りに定期的な刻限を報せるチャイムが響く。
それをかわきりに、解放された右手首を軽く
「なんでまた……」
すると茜は返答しづらそうに右足でとんとんと地面を蹴り、やがて一時の間の後開口する。
「色々あったでしょ? だから……その……少しでも気分転換になればって」
視線を落とし、外壁に凭れながらしどろもどろに答える。
そして言葉の最後に「もう、依頼じゃないんだし」と付け足す。
きっと彼女なりの気遣いのつもりだったのだろう。わずかにだが、茜の真意が垣間見れた気がした。
「ん、ありがとな。でも大丈夫。それに、もう戻れないところまで来ちまったからな」
瞬矢はふいっと軽く天を仰ぎ、まるでこの半年の間に起こった出来事ひとつひとつを思い返すかのように呟く。
「そう……だよね」
事実、今まであったことを……すでに知ってしまったことを忘れろなど、もう無理な話だった。
追い続けてきた真実が、すぐそこに待ち構えているのだから。
茜もそのことに気づき、そして理解していたのか、俯いたまま訥々と言葉を返す。
瞬矢は回顧する。今思えば、なんと言われようともあの場所へは自分1人で行くべきだった。
そうすれば茜も“あんなもの”を見ることなどなかったと。
今更何を言ったところで、詮なきことなのだが……。
改めて日の光でにわかに照らされた茜の姿を横目で捉える。
「その格好、わりと……」
途中で言葉を切ると茜に背を向け、ぽつり「似合ってる」と。
それは、傍らにいた茜ですら聞こえるか聞こえないかの声。
「――えっ?」
小さな驚嘆の声と共に茜が振り向き見たのを瞬矢は知らない。
「……帰る。約束どおり顔は見せたからな」
くしゃりと黒髪をひと掻きし、自らの羞恥を繕うように背を向けた状態で言い放つ。
だが次いで発せられたのは、全く対局の至って穏やかな言葉。
「それに、まだ調べておきたいことがあるしな」
ふと思い出したかのように足を止め、やや見返りがちに言う。その口元にわずかな笑みを湛えながら。
**
――午後2時過ぎのこと。
(……つけられてる?)
実のところ、ずうっと纏わりつくような視線を感じていたのだが、それを断定するほどの確証はなく。
はっきりとそう確信したのは、電車を降り改札口を抜けた時。
相変わらずつき纏う気配に、瞬矢は駅前の歩道でぴたりと歩みを止める。そしてひとつ溜め息をつく。
「しつこいな」
独りごち、目線を落とした。視界に広がるアスファルトの地面を見つめた後、口角をつり上げる。
駅前の喧騒に小さく地を蹴る音が響き、ひゅう、と風が吹き抜ける音と共に瞬矢は姿を消した。
するとスーツ姿の40代の男が、瞬矢の行方を追い柱の影から姿を現す。
(――そこか!)
それを視野に捉え、上体をかがめた俊敏な動作で再度地を蹴りスーツの男を目の前にする。
「!?」
男は対象者が突如として自分の目前に現れたことに驚き、慌てふためく。
ふわりと黒髪を
「あんただろ? さっきから俺のことつけてたのは」
すでに若干の平静を取り戻しつつあった男は、観念したかのように答える。
「ああ、また会ったな」
「?」
(『また』……? 前にどこかで会ったのか?)
だが普段より、あまり他人のなり形を記憶に留めない瞬矢にとってそれが誰なのか知る訳もなく、はて誰だったかと小首を傾げるのだった。
瞬矢の疑問に答えるかの如く、男は口元に笑みを湛え中年期特有の渋みのある声で言う。
「東雲 暁を捜している……いや、正確には捜していた人間と表現した方がいいか」
いまだ思い出せず首を捻る瞬矢だったが、男のその台詞に「ああ!」と小さく感嘆の声を上げる。
ふっと笑みを溢した男は、スーツの胸ポケットから1枚の写真を取り出す。
「なるほど……。確かに『彼』と瓜ふたつだ」
手元の写真と瞬矢を見比べ、妙に納得したかのような口調で言う。
(『彼』……?)
一旦は眉をひそめ訝るものの、瞬時にそれが何を示しているのか悟り、すかさず男の言葉に付け足す。
「刹那のことか? 当たり前だ。俺たちは双子なんだからな」
瞬矢は半歩身を引くと右手で自らを示した。
「そう……確かそうだったな」
左手で首を押さえる男のその口調は、どこか裏があるともとれる言い方だった。
「だいたい、なんで俺を追い回す? 捜してたのは東雲 暁のはずだろ?」
男の沈黙に、瞬矢は自分の中で思い当たる全ての単語を言葉に変えて投げかける。
「あの屋敷の地下で行なわれてた、明らかに非合法な実験。今回の事件と関係が?」
淡々と、だが真に迫った瞬矢の言葉に、男は明らかな動揺の色を見せる。そして瞬矢がそれを見逃す訳もなく。
「いや、むしろ【S】の方か?」
だが男から返ってきたのは、あまりにも表面的な答えだった。
「我々は提供された写真の人物を捜し、その情報を得るだけ」
「『我々』?」
男の発した『我々』という言葉。
そこから察するに、少なくともこの男が個人的な何かで動いているのではないだろう。
となれば、誰かの命令という可能性が極めて高い。
「【情報】か。あるにはある、が、タダじゃやれないな」
どうだひとつ、とUSBメモリーカードを男の眼前にちらつかせ「ギブアンドテイク」口角をつり上げ笑い、核心に迫った質問を繰り出す。
「あんたらに命令出してんの、誰?」
瞬矢は推測する。恐らくその人物こそが実験の依頼主であり、自分たちを異能へと
尚も顔の横でメモリーカードを
「……言えない。ただ、これが世に知られれば混乱は免れないことだけは確かだ」
――知られてはいけない。
恐る恐る答えた男の顔は、そういう表情をしていた。
思い返せば、研究所にいた渡辺 真理も、こと【S】についてはどこか言葉を濁している節があった。
「まぁいいさ、どうせすぐに分かることだ」
ふっと口元を緩ませ、瞬矢は男にメモリーカードを渡す。
それを受け取った男は、改めて瞬矢に一瞥をくれるとこう言う。
「まさか、お前がもう1人の【S】だったとは……傍目には全く――」
一旦言葉を途切れさせ、さらに一言。
「しかし、人ならざるヒトとはよく言ったものだ」
その時、携帯電話が鳴り男は何度か相槌をうつ。
そして終話するや否や、少々喋り過ぎたとばかりに口を
瞬矢は混乱の中にあった。その表情に先ほどまでの他者をからかうような笑顔はなく、呆然と立ち尽くすのみでしかない。
(俺が【S】? どういう意味だ?)
度重なる疑問の数々が、瞬矢の脳内で巨大な渦を巻く。
西に傾き始めた太陽がまるで今現在の心境を映し出すかの如く、全ての造形物に長い影を落とす。
瞬矢はただ駅の入り口に佇み、男が消えていった通りを見つめていた。
**
――午後6時30分。背後につき纏う突き刺さるような視線。
その視線の持ち主は、明らかに瞬矢のことを嗅ぎ回っていた。
側で暗闇を照らす外灯はチカチカと点滅を繰り出す。
足を止めた瞬矢は、振り返りビルの間に向かい言う。
「いい加減出てきたらどうだ?」
薄暗がりを縫いビルの間から街灯のもとすうっと現れたのは、制服を着た少年、四宮だった。
「おまえ何者だ?」
だが四宮の口調は至って落ち着いたもの。
「……【何者】か。いい質問だ。だが生憎、俺もその答えを知らないんでね」
その返答に四宮は一瞬眉をひそめ、訝り顔で瞬矢を見据える。
「ただ、人並みに斎藤 瞬矢って名前ならあるが」
「斎藤……。東雲とはどういう……」
「さあな」
まるで本心を隠し、加えてかわすような曖昧な返答。
正直、茜との関係など妙な縁があるくらいで、どう思っているかなんて訊かれるまで考えてもみなかったことだ。
「お前さ、あまり俺に関わらないほうがいい。巻き込まれても――」
「うるさい!」
瞬矢の言葉を遮るように四宮が叫ぶ。地を蹴る四宮に小さく舌打ちをし身構える。
(言っても無駄か……)
右足に主軸を置き、やや前傾姿勢で向かってくる四宮を捉え、地面を踏みしめる。
点滅を繰り返していた街灯の明かりがぷつりと消え、一帯に闇が広がった。
「――ッ!」
風を切り地を駆る。この時、瞬矢は今までに味わったことのない奇妙な感覚に襲われていた。
それは、内側から沸々と込み上げてくる本能のような。
まるで、身体中の細胞ひとつひとつが闘争を求めている――そんな感覚だった。
振り下ろされた鉄材をかわすと背後に回り、右腕を掴む。
いつからか見開かれた黒色の瞳は妖しく青い光を帯び、閉じきった瞳孔はその衝動だけを映す。
握力を失った四宮の右手から、鉄材が音を立てて地面に滑り落ちる。
冷たいアスファルトの地べたに膝をつく。
だが瞬矢はその力を緩めることなく、嬉々としてさらに掴んでいた四宮の腕を骨が折れんばかりに締め上げた。
「や、やめろ!」
瞬矢を見上げ助けを乞う四宮の瞳には、つい先刻までの闘争心に溢れた光はなく、あるのは恐怖を湛えた不安定な光だけだった。
だが瞬矢は歪んだ笑顔で、腕への力を加えることをやめない。
すでに彼の理性は、どこか遠く彼方に消し飛んでしまっていた。
風もなく髪がふわりと宙に躍る。暗がりに妖しく光る青色の瞳。
ことさらにぃっと歯を見せ、割れた鏡に映ったような笑顔の唇は言葉を紡ぐ。
「これで、終いだ」
その口調は見せている嬉々とした表情とまるで異なり、とても冷たく淡々としたもの。
言い終えるや否や、手により一層の力を込め掴みあげた。
腕の骨がみしみしと厭な音を立て軋む。
――その時、頭の中にカーテンの向こうから差す柔らかく温かな日差しがふわりとよぎり、寸でのところで歯止めを効かす。
はたと我に返った瞬矢は掴み押さえていた腕を放し後ずさる。
地面には、へたり込み腕を押さえ恐怖に満ちた眼差しを向ける1人の少年。
(俺は……、いったい何を……!?)
混乱して、しばしの間その場に立ち尽くす。
その時すでに瞬矢の瞳は、青色からもとの濃紺を湛える黒色に戻っていた。
(この少年は、さっき俺の前にいた……。それで――)
右腕を押さえ擦る四宮を見下ろす。
記憶は酷く曖昧なものだったが、状況を見る限り自分がこの少年に何かしらの危害を加えたであろうことは明白であった。
「おい、大丈夫……」
軽く右手を差し伸べる。だが四宮は後ずさり、小さく「ひっ!」と空気を吸ったような
「ば……化け物っ!」
「っ!?」
瞬矢は目を見開き、払われた右手は宙をさ迷う。
当の四宮は瞬矢への恐れからか、
「……化け物、か」
まだわずかに残る衝動の余韻の中で、背を丸めた瞬矢は四宮の放った言葉を否定することもせず、ただただ1人掌で顔を覆い嘲笑するのだった。
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