亡霊からの手紙

 


 ――20XX年 4月5日。


 瞬矢は1人、パソコン画面に向かい情報を集めていた。

 画面から目を離し、ソファにごろりと寝転がる。

 あれから4日。得られた情報は、父親の名前が『東雲しののめ あきら』ということと、製薬会社の社長だったというわずかなものでしかない。


(今のところ手掛かりになる人物といえばこの『中川なかがわ 昭夫あきお』という男なんだが……。……駄目だ。少し休もう)


 左腕で視界を遮ると吸い込まれるように眠りへと落ちていった。


 ――真っ暗な視界の中に、ぼんやりと影が浮かび上がる。――黒髪の少年だ。

 少年は白いシャツに茶色のハーフパンツ、そして襟元には細長い黒のリボンが結わえられていた。


「……――」


 ぼやけた視界に映る少年は笑顔で何かを言い、すっと左手を差し伸べる。


(誰だ? お前は……)


 差し伸べられた手を取ろうとした時、現実へと引き戻された。顔を覆う腕を滑らせると、指の隙間から光が差し込む。


「おー、やっと起きた!」


 そこはいつも見慣れた部屋のソファの上で、背凭れ越しに笑顔でこちらを覗き込む茜の姿が目に映る。


「あ、ピンク……」


 瞬矢が彼女を見て発した第一声。これには茜も黙っていなかった。


「『あ、ピンク』じゃないし! そんな戦隊ものみたいな呼び方ごめんだから!」


 立ち上がって眉をつり上げ、怒り心頭といったご様子だ。だが当の瞬矢は、声を荒らげ憤慨ふんがいも露な茜の台詞をさらりと受け流す。


(そうか、今日はピンクじゃないのか……)


「まぁまぁ。てかお前、いつの間に……?」


 瞬矢は何か酷く懐かしい夢を見ていたような、そんな気分で両の瞼を擦る。それは、目覚めても尚、止まないものだった。


「30分くらい前。それよりほら瞬矢、手紙きてたよ」


 呆れ返ったようにそう言うと、茜はごくありきたりな茶封筒に入った手紙で、長めの黒い前髪に隠れた瞬矢の額をぺしぺしと小突く。


「だぁーっ! 分かったからやめろ!」


 その手紙を鬱陶しそうに払いのけ、のそりと起き上がる。


「つか、なんで呼び捨て?」


「いいじゃん、堅苦しいの嫌だし」


 それにしても、砕けすぎじゃないか――あっけらかんと答える彼女に対して内心ごちたところで掛け時計を見ると、時刻はもうすぐ午後3時を示そうとしていた。


「……あれっ?」


 何かに気づいた茜は、パソコン画面の前に回り込む。


「この人……」


 写真の右端に写っている1人を指差す。


「この男のこと知ってるのか?」


「今朝ニュースで見た、殺人事件の……」


 彼女の言う殺人事件というのは、数日前に見たおかしな夢と奇妙な一致を持つ、あの事件のことだろうか。

 瞬矢は体を捻り、すぐ後ろの机に放ってあった新聞をひったくると、一面をガラステーブルの上に広げる。


(被害者の左首筋には死後【S】というアルファベット文字が刻み込まれていた。被害者の名前は中川 昭夫――)


 新聞の一角に載せられた文面を食い入るように目で追う。


「まさか……」


 愕然とした。もしこの男が『中川 昭夫』本人であったなら、すでに何者かに殺されてしまったことになる。


「くっそ……! また振り出しか」


 瞬矢は頭を抱える。ようやく手掛かりを得られたと思いきや、これだ。


「でも、なんで犯人はわざわざ【S】なんて文字残したんだろ?」


「そんなの、犯人に訊けよ」


 投げやりな口調で考えることを放棄する。

 その時ふっと視界に入り込んできたのは、先ほど無下に払いのけた手紙だった。

 その手紙には差出人名がなく、瞬矢は小首を傾げ訝しみながらもびりびりと封を破り中身を取り出す。

 床に両膝をつき興味津々に手紙を覗き見た茜は、驚嘆のあまり声を詰まらせる。


「何、これ……」



  あと3人。


  これは、まだほんの手始めにすぎない。10年の約束の時まで。


      ――from S. 』



 やたらと空白が目立つコピー用紙の中央に、パソコンから打ち出された文字がつづられていた。Sからのものだ。


「S……まさか……」


 その時、瞬矢の脳裏にあるひとつの考えがよぎり、全身からすっと血の気が引く。


「弟だ。でも、あいつは確か10年前に死んだはず……」


 口元に右手を当て顔をしかめ瞬矢は言う。

 しかし、瞬矢の心の底でわずかに巣食う矛盾を明白なものとしたのは、茜の発言だった。


「じゃあ、死人がこの手紙を書いたって言うの!?」


 死んだ人間からの手紙――。そんなこと、あり得るはずがない。

 そもそも、瞬矢にとって弟が事件に関わっているなど思いたくもない話だ。


「分からない」


 瞬矢は、眉間にしわを寄せたまま手紙と新聞を交互に見比べ呟く。窓の外では雲が太陽を隠し、わずかな影を落とす。


「分からないって……」


 茜は、相変わらずの怪訝けげんな表情で食い下がる。


「実をいうと、ほとんど覚えてないんだ。10年以上前のことは何も。弟のことは、昔お袋に事故で死んだとだけ聞かされてた。双子だったって」


 手紙の最後に書かれた『from S』の文字だけを見つめ、瞬矢は言う。


「そう……、なんだ」


 茜は俯きそう返すと、それ以上何かを訊くことはしなかった。

 そう、確証はない。

 だが、例えばだ。もしも仮に弟の刹那が生きているとして、彼がこの手紙の差出人『S』であると仮定すれば、全てにおいて辻褄が合う。


(しかし、なんなんだこの纏わりつくような薄ら寒い不安感は。何か大事なことを忘れているような……)


 ずっと頭の片隅にこびりついて離れない、薄らと靄のかかった何か。

 瞬矢は、その一番曖昧な部分がずしり首をもたげてくるのを感じていた。

 しばしの間、部屋を沈黙が支配する。聞こえるのは、パソコンの電子音と時計の秒針を刻む音ばかり。

 そんな現状を打開したのは、茜の発した一言だった。


「そんなに気になるんだったら、行ってみればいいじゃない」


「――!?」


 いきなり出された提案に瞬矢は、はたと顔を上げ茜を見下ろす。

 雲間から太陽が顔を出し、光が差し込む。

 ゆっくりと部屋を明るく照らす日差しは、茜の両目に快活な光を宿した。

 確かに今ここで四の五の考えたところで、それらは机上の空論でしかない。


「全く……、お前にはかなわないな」


 右手でくしゃくしゃと髪を掻き、参ったというふうに苦笑いを見せて言うと重い腰を上げる。


「そうこなくっちゃ!」


 勢いよく立ち上がりそう言った茜は、にこりと満面の笑みを浮かべ小動物のようにくるりと一回転してみせた。

 その度、内巻きに切り揃えられた髪が空中で軽快に揺れる。

 彼女の言動に半ば翻弄されながらも、自分の中の日常という世界が少しずつ変わり始めていることに、瞬矢はまだ気づかない。



      **



 ――同日、午後3時30分。


 暖かな日差しにあふれる午後の公園は例の事件のこともあってかあまり人がおらず、閑散とした空気を醸し出す。

 ただ、遊歩道に沿って点々と並ぶ桜の木は辺りを薄紅色に染めていた。


 ふっと視界の端によぎったのは、一頭の黒い揚羽蝶。暖かな日の光を受けて、その翅に纏った輪粉を煌めかせる。

 その姿は実に艶やかで、あれは本物の蝶なのだろうかと錯覚してしまうほどだ。

 頬を撫でる春風が瞬矢の着ていた濃紺のジャケットに温もりを感じさせる中、舞い散る桜の花びらを眺めながら前を歩く茜に訊ねる。


「どうして急にあんなこと言い出したんだ?」


 すると彼女は枝先についた花を見つめ、少なからずの考える素振りを窺わせ開口した。


「んー、もし本当に双子なら、記憶の共感や共有が出来るんじゃないかって」


「なるほど。で、俺はその実験台って訳か」


 そいつはいい――感心と呆れが入り混ざった溜め息をつく。

 瞬矢自身、今までそのようなこと気にも留めず過ごしてきたのだ。


「でも、そんな簡単に上手くいくとは限ら……な……」


 それは、突如生じた異変。言い終える間もなく、キィンという甲高い耳鳴りがし、瞬矢の脳内神経を全く別なものが支配する。

 視界にちらつくのは、先ほどの烏揚羽。


「――っ!」


 次第に酷くなる耳鳴りに頭を抱えよろめく。


「……逃がさない」


「えっ?」


 どこかいつもと違う様相で発せられた瞬矢の言葉に、思わず目を丸くして素っ頓狂な声を上げる茜。

 「君たちが僕を……」そう独り言のように呟いた瞬矢は、1人ふらふらと歩きだす。


「ち……ちょっと!?」


 だが、そんな茜の声すら耳に届かないといった様子で歩き続け、やがて遊歩道からほど近い桜の木の下でぴたりと足を止めた。


「ここだ」


 瞼の奥で、暗がりの中冷たく笑みを浮かべる弟の顔が自身と重なる。


「どうして……?」


 俯いたまま一言そう呟くと、悲しげに足元を見つめ続けていた。

 春の陽気を孕んだ心地よい風が、さぁ……と吹き抜ける。


(しばらくの間、あいつはここでこうして見ていた)


「――刹那……」


 弟である刹那のあてどない悲しみが、瞬矢には立っているだけで感じられた。

 まるで、事件当夜、自分がその場所に居合わせていたかのように。

 数歩距離をおき、その光景を傍観していて茜は思った。

 きっと今の瞬矢には、自分が決して見ることの出来ない景色を見ているのだと。


「これが、記憶の共有?」


 だが、そんな茜の考えを、次いで放たれた言葉がいとも容易く打ち砕いたのだった。


「ほんの手始め、か……」


 くくっと喉を鳴らし肩を震わせ嘲笑する。


「しゅん……や?」


 舞い散る桜の花びらの中、今までに見たこともないその表情に茜はぞっとし、思わず息を呑む。

 そして後悔した。自分が持ちかけた、あまりにも安易で愚かな後先考えない提案に。


「――っ」


 その光景を見つめる茜は、足が竦み、上手く声を出せないでいた。

 何故ならば、目の前で口を歪ませ笑うのは確かに斎藤 瞬矢その人なのに、まるで全くの別人を見ているようであったからだ。

 共有――否、それはもはや域を超えた何か。


「瞬矢!」


 瞬矢を現実へと引き戻したもの。

 それは、両目いっぱいに涙を溜めジャケットにすがる茜の姿だった。


「茜……」


 図らずも心配させてしまった。

 肩でひとつ大きな溜め息をつき、そっと体から引き離す。

 だが、茜はジャケットの襟元を握って放そうとしない。


「悪い。手、放してくれ」


 茜は俯いたまま小さく頷き、両手をするりと引いた。ふいっとそっぽを向き茜から離れるように歩く。

 別段そこに悪意があった訳でもなく、ただ瞬矢は、ことのほか人に触られるのが苦手でありそうしたまでだった。


 2歩から3歩ほどの距離をあけたところで、茜に背中を向けたまま瞬矢は話し始める。


「ほんの一瞬だがあいつの心の闇が見えた。まるで深い海の底に沈んでいくような、俺が俺でなくなっていくそんな感覚……」


 すぐ側の桜の木より枝分かれして、足元の土からひょっこり顔を出す根に視線を落とす。


「弟は……あいつは、やっぱりまだ生きてたんだ」


 唯一記憶の片隅に残る、炎の中の情景が彼の脳裏を掠めた。

 だがしかし、やはり自分の弟が事件に関わっているという事実は辛く、複雑なものでしかない。

 茜は涙を指で拭い黙って聞いていた。


「あれは、どちらかというと『共鳴』――」


 見開かれた両目の奥で瞳孔がぎゅっと閉じる。


「あいつは、俺の知らない何かを知ってる。いったい何を……?」


 いったい、彼は何を知っていて、どうしてこのようなことをしたのだろうか。


「もういい! もう行こう!」


 割って入るかのように、茜は半ば強引に瞬矢の腕を引きその場から離れようとした。

 その後ろ姿と勢いに瞬矢は、手を振りほどくことすら忘れてしまう。

 公園の並木道を抜けたところで、黒いパンツスーツを着た20代の女が行く手を遮る。


「斎藤 瞬矢ね?」


 きりりとした目つきの彼女は、黒いロングヘアをわずかになびかせ、低音だがどこか深みのある声で言った。

 いきなり現れたその女に瞬矢も茜も立ち止まり半歩身を引く。


「……少し、話いいかしら?」


 新田にった 香緒里かおりという女は、警察手帳をちらつかせ、再びポケットに仕舞う。

 その際、伏せていた視線を瞬矢に向けた。


 

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