戦場は前線にあらず

 ブルーノとエイブラムの2人はホルスとの国境付近のムスペルヘイム領内の難民キャンプで暮らしていた。

ブルーノはオースティン家の一員として日々を過ごしていた。


 大陸全体がきな臭くなってきた大陸歴311年、難民キャンプを仕切っているイルダーナ人の男、ベントリーが義勇軍を作ろうと呼びかけた。

目的はスヴァローグをホルス人の手から取り返すというものだ。


 当然のように2人は参加した。

ムスペルヘイム軍の教官のもとで約1000人のホルス系イルダーナ人が1年間訓練を受けた。


 312年、大戦が勃発した。

最初はムスペルヘイムの攻勢を受けていたホルスが大規模な反攻作戦を仕掛けたのだ。

作戦は成功し、かなりの領土を占領されることとなった。

ムスペルヘイム不利で進む戦局を打破するために、義勇軍に戦闘命令が下された。

戦うといっても重装備のない義勇軍は前線に配属されなかった。

義勇軍が任されたのは正規戦ではなくゲリラ戦だった。


******

ムスペルヘイム・ホルス前線地帯



「これから敵の前線を突破する。武器と爆薬の手入れは万全だな?」

「もちろんです」

ブルーノの問いにエイブラムが自信をもって答えた。

宵闇にエイブラムの白い歯が光る。


 ブルーノは8人の部下を率いる隊長である。

「このまままっすぐ進む。その時に一切音を立てるなよ」

ブルーノは回りの反応を確かめた。

「俺が先行する。ついてこい!」


 8人は暗い森の中へ足を踏み入れた。

木々が生い茂っており、味方の顔すら視認するのがやっとなほど暗い。

それでも前進を続けていると、突然静寂を引き裂く銃声が響いた。

8人はとっさに身を伏せる。


 銃弾が8人の真上を通り、木を穿っている。

「ちっ、こっちが見えているのか。やむをえん――」

ブルーノは小声で言った。

「銃声から考えて敵は1,2人だ。今の銃撃で射手の場所も特定できた。俺が始末してくる」

そう言うとブルーノは匍匐前進で腐葉土が覆う地面を這っていった。


 ある程度近づくと、手榴弾と起爆装置を取り出した。

手榴弾に起爆装置を差し込めるように諸々の手順を踏んだ。

起爆装置を親指に力を入れて手榴弾に差し込むと、安全装置リテーナーを左に回す。

すると禍々しい赤色の表示が現れた。

親指でリテーナーを押さえながら右腕を後ろに引いて敵がいると思われる場所に投げ込んだ。


 それは起爆し、大量の土を吹き飛ばした。

単なる土が礫と化してブルーノを襲う。

土の暴風に耐えたブルーノは立ち上がり、部下と共に敵が集まらないうちに指示された作戦地域へ移動を再開した。


 しかしそこには1日で到着できる場所ではない。

川のそばで夜を過ごすことにした。

「ここなら問題ない。地面は固く、道路から離れている。ここに差し掛け小屋を建てるぞ。柴と枝を集めてこい」


 4人にそれを任せ、拠点に2人残してブルーノとエイブラムは川幅などを調べることにした。

ブルーノは対岸を見た。

そこには太い切り株がある。

ブルーノは右を向いて岸に沿って50歩歩いた。

50歩目の地点に杭を打ち込んだ。

「異常はありません。作業を続けてください」

周囲を見ているエイブラムが言った。

安全であることを知ると、ブルーノは再び同じ方向の50歩歩き始めた。

50歩歩いたところで、右に進路を変えて歩き出した。


 そのとき、打った杭を見ながら歩数を数えて歩いた。

「切り株と木が一直線に見える。歩数は36歩だ」

一直線に見える位置から右に方向を変えた地点の距離は川幅と同じになっている。

目の前を流れている川はだいたい36歩で渡れるということだ。

「次は川の流れを見積りますか?」

「ああ」


 ブルーノは杭を3本手に取り、まず1本を川に流し、6歩岸に沿って歩くごとに杭を川に流した。

そして河原に落ちていた木片を1本目の杭がある場所に流した。

10秒後、木片は2本目の杭を追い抜こうとしている。

「ここの流れは普通だ。明日は問題なく渡河できるだろう」

木片が2目の杭に到達していなかった場合は川の流れは遅く、3本目を通り過ぎていれば流れは速いそうだ。


「隊長、柴と枝を集めてきました。枝は焚き火をする分も用意しました」

「それはありがたい。2本の木の間に棒を差し掛けて、そこに柴をひっかけろ。あと、枝を組み上げてベッドも作ろう。ベッドは焚き火の方に少しだけ傾斜させろよ」

8人で協力して寝床と焚き火の準備を終えた。


 その頃には日は落ちて、森は真っ黒なベールに覆い包まれた。

8人の生活音を除いては虫の鳴き声と川の流れる音だけだ。

「そろそろ明かりが欲しい。焚き火の時間だな」

ブルーノは準備中に掘っておいた穴でマッチと乾いた枝を削って制作したたきつけ棒で火を起こし、樹皮の細かい破片や棒を置いて煙突を作った。

煙突のはしは穴の外の地面に出しておいた。

そうすることで煙が煙突から出ていくだけで、火が見えることはない。


「さて、飯でも食うか」

各々は背嚢から干し肉を取り出して、飯盒に入れないで直接煙突に置いた。

火が直接当たらないのでこのようにしている。

干し肉が程よく焼けると、8人はおいしそうに頬張った。

特においしいものではないが、多大なストレスがかかる戦場では食事が数少ない楽しみなので、多少味が不味くても彼らにとってはおいしいものなのだ。


「明日は渡河するからそのつもりで」

ブルーノは部下にそう伝え、8人はそれぞれの即席ベッドに横たわった。


 しばらくしてブルーノは言った。

「エイブラム、起きてるか?」

「はい」

エイブラムは短く返事した。

「こんな辺鄙な森で野営なんかしてるけど、いつか皇帝の冠を頭にのせられる日が来るのか? いつかどこか暗いところで野垂れ死にしていそうな気がするんだ。どうせ死ぬにしても、こんなこそこそして死にたくなどない」

「そうですね、私だってそんな死に方は嫌です。私のことはともかく、ブルーノ様には志を実現して、ベッドで忠臣に見守られながら眠ってほしいのです」

「と言いつつ別の死に方を考えてるだろ?」

「ばれましたか」


 エイブラムは笑った。

それに誘われてブルーノも笑った。

「ブルーノ様はベッドで大人しく死なれる方ではありません。きっと激戦地で自ら指揮を執っているときにあっけなく死んでしまいそうな予感がします」

「悪くないな」

「ブルーノ様には老いさらばえて、ベッドの上でなんて不本意な死に方なんだと愚痴りながら死んでいただきます」

「お前が願うと本当にそうなりそうな気がするよ」


 ブルーノはゆっくりと目を閉じた。

エイブラムも目を閉じた。

2人は夢を見た。

スヴァローグにイルダーナ国旗が翻り、住民が歓喜してブルーノとエイブラム、そして彼らが率いる兵隊を迎えている、そんなハッピーエンドを。


******


 翌朝、8人は川を渡った。

森を抜ける直前に3人編成の偵察部隊を先行させた。

彼らはすぐに帰ってきた。

「隊長、輸送車両2台と護衛と思しき歩兵2人が乗っているハーフトラック4台が付近の道路を移動しています。現在は積荷の点検をしています。いかがいたしますか?」


 ブルーノは考えた。

護衛の戦力は8人でこちらと同じだが、輸送車両にも武装した兵士がいるかもしれない。

しかし敵の重装備が欲しい。

大きな戦果を上げるにはどうしても必要だ。

彼にとっては今回の任務は名を上げるチャンスなのだ。

「輸送部隊を襲撃する。即席の地雷と擲弾の束を作るぞ」

そう言うと、8人はそれぞれの作業に移った。


 ブルーノは背嚢から爆薬と釘、2枚の35×20×2センチの板、長さ20センチの4本の木材、爆薬と同じ大きさの2本の角材、そしてワイヤーを取り出した。

これらは出陣前にあらかじめ用意していたものだ。


 まず、板の上に爆薬を置いて、その上に角材を釘でとめてワイヤーで固定した。

4本の木材を爆薬の横に2本ずつ固定し、角材の上に起爆装置を置いて、さらに上にもう1枚の板を置く。

上下の板を釘とワイヤーを使って固定して地雷は完成だ。


 エイブラムは擲弾の束を作っていた。

束の中心になる1本の擲弾の周りに4本の逆さの擲弾をワイヤーでくくり付けて完成だ。

そのとき中心の擲弾のハンドルは持つことができるようにしておく。


「準備できたようだな。先ほどの偵察部隊を先頭に進軍を開始する」

8人は朝露に濡れた草をかかととつま先が同時に着地するように歩き始めた。

こうすることで足音が立ちにくくなる。


 道路がかすかに見えてきたところで、遠くにいる偵察部隊の1人が手を動かしている。

ブルーノは背嚢から望遠鏡を取り出して偵察兵の動きを注視した。

右腕を肩の高さまで上げたり下げたりしている。

これは安全という意味の信号だ。


 ブルーノたち後続は偵察部隊のところまで静かに近づいた。

近づくと即席の地雷を2つ地面に埋めて、付近の草むらに伏せて身を隠した。

しばらくするとエンジン音が聞こえ、それはだんだんと大きくなってきた。

8人は息を飲んで見守る。


 輸送車の前を走行している2台のハーフトラックが地雷を踏みつけた。

起爆装置が作動して2つの地雷は爆発。

車体は吹き飛び、地雷の破片が飛び散った。


「攻撃だ!」

1人が擲弾の束を輸送車の後ろにいるハーフトラックに投げつけた。

後続の2台のハーフトラックは乗車していた兵士と共に姿を消した。

擲弾の束は本来戦車に使うものなので、ハーフトラック2台なんて簡単に消し去ってしまう。


「撃て! 撃て!」

突撃銃を輸送車のタイヤと運転席に撃って動きを止めた。

フロントガラスには血がこびりついている。

「腐れホルス人でも血は赤いんだな」

ブルーノはライフルの銃身でハンドルにもたれている運転手をつついた。

「そんなことより物資をいただきましょうよ」

両手に魚の缶詰を抱えたエイブラムが言った。

「ほぉ、缶詰か。他には何があった?」

「武器弾薬もありますよ」

「そうか」


 輸送車両2台のうち、1台は食糧、もう1台は武器弾薬が積み込まれている。

「対物ライフルがあるじゃないか」

そう言ってブルーノは対物ライフルを手に取った。

ずしりと重みがその手にかかる。

主なホルス軍の銃の使い方は訓練していた頃に配られた戦闘教本に載っていたので彼らは知っている。


「こいつは持っていこう。これがあれば指揮所を攻撃できそうだ」

「ほんとにやるんですか?」

「当然だ」

「仕方がありませんね」

彼らは敵の前線指揮所があると思われる街の近辺の森に野営地を設定し、指揮所の場所を特定することにこの日と翌日を費やした。


******

2日後



「2日間の偵察で衛兵の人数、交代時間は把握した。施設の構造も大体わかった。あそこはもともと村役場だったそうだから複雑なつくりではない」

地図を見せてブルーノが説明している。


「攻撃前に外部と連絡を取れないように通信線を破壊しておく。そして指揮所のことだ。出入り口は2つある。そのうちの一方に4人で陽動作戦をしてもらう。手薄になるであろうもう一方には3人で仕掛けてもらう。残った1人は対物ライフルで増援、特に戦車の相手を頼む。今回の作戦は指揮官の殺害が済めばすぐさま撤収する。これで会議は以上だ」

「実に大雑把な作戦ですね」

「あれこれ決めてもイレギュラーひとつで作戦が崩壊してしまうから、これぐらいがちょうどいい」

エイブラムも含めた7人が頷く。

「では移動開始だ」


 8人は固い地面をつま先から着地して歩いた。

足音対策の他にも、極力飯盒や銃が音を出さないように体を揺らさずに慎重に進む。

「あれだ」


 ブルーノが指差す方には通信線がある。

高さ6メートルほどの鉄柱が10メートル間隔で立てられており、柱のてっぺんで線が固定されている。

通信線の内部には魔力水が流れていて、通信線が繋がっている場所ならそれを通して通話ができるという代物だ。


 ブルーノは落ちている重い石を拾い上げ、布で包んでロープに結びつけた。

それを頭の上でぐるぐる回し、線の上に投げた。

するとロープが線に巻き付いた。

ロープを引っ張ると、ぷつりと線が切れて魔力水が漏れ出した。

他の通信線も切って回り、ようやく指揮所攻撃に移ることができるようになった。


「ここからは早さが重要だ。陽動部隊は――」

陽動を任せる4人を選んだ。

「エイブラム、お前には対物ライフルの扱いを頼む。あそこの藪に隠れていてくれ」

エイブラムは驚いた。

彼自身も指揮所に乗り込むと思っていたからだ。

「わかりました」

「では作戦開始!」


******

ホルス軍前線指揮所



 霧が濃い明朝、2人の兵士が指揮所の入り口の1つを警備している。

「交代まだかなぁ。早くベッドに倒れこみたいのだが」

警備兵の1人がぼやく。

「あと30分ぐらいだ。もうちょっとの我慢だ」

「少しぐらいなら頑張ってやるか……ん、いまあそこの草むらに人影がいたような」

そう言って草むらを指差す。

「気のせいだろ。霧に自分の影が映っただけだろ」

「そうかな?」


 と言ったとき、地面に何かが転がった。

形の違う2つの円筒がつながっている。

「手榴弾だ、逃げろ!」

気付いたときにはもう手遅れだ。


 手榴弾の外郭が吹き飛び、警備兵を襲い掛かる。

外郭が首を切り裂いた。

頸動脈が引き裂かれて吹き出す鮮血。

赤い雨が地面を濡らす。

「突入!」


 このときにわかに霧が晴れた。

姿が露わになった4人の陽動部隊。

しかしそんなことに構わず突撃銃を撃ちながら指揮所敷地内に侵入した。


 対して敵は増援が駆けつけて4人と交戦状態に突入した。

双眼鏡で状況を確認したブルーノは両腕を伸ばして正面から横に数回動かした。

麾下の2人は左右に展開した。

それを確認すると、次は両腕を肩の高さで横に伸ばして静止した。

射撃開始の合図だ。

それを受けて攻撃する2人。

もう一つの指揮所出入り口を守る2人の兵士は何もできず倒れた。


 3人は敷地内に侵入して離れた場所に合図を送った。

送った先にはエイブラムがいる。

この行動は計画にはないが、霧が晴れたので急きょ実施したのだ。


 その直後、風を切る音が聞こえた。

と思った次の瞬間には壁が盛大に砕ける音がした。

「よくやった」

聞こえない相手に言った。


 ブルーノはエイブラムに指揮所、それも村長の執務室の壁を撃つように命じたのだ。

あらかじめ建物の部屋の配置はわかっていたので、霧が晴れたこともあり榴弾を用いて見事に破壊してみせた。

「では行こうか」


 3人は壁に開いた大穴から執務室に侵入した。

「お仕事ご苦労。休暇をやろう」

ブルーノは何の感情を込めずに吐き捨てた。

そう言われた指揮官は茫然としている。

なにせ突然壁に穴が開いて、そこから敵が現れたのだから当然の反応といえる。

他の2人はブルーノが言い終えるやいなや突撃銃の引き金を引いて撃ち殺した。


「さあ帰るぞ。その前に陽動部隊を拾って帰らないとな」

と言うと、外に出てもうひとつの出入り口の方へ突撃した。

そこには指揮所守備隊の大半がいる。

そこに突撃を敢行したのだ。

「弾をケチるな! 残弾なんて気にするな!」

陽動部隊と戦闘している守備隊の背後に食らいついた。

狼狽する守備隊を後目に駆け抜ける3人。

それに続く4人。


 指揮所前の道路に飛び出したとき、彼らは聞いた。

キュルキュルという履帯の音を。

彼らは見た。

深緑の砲塔付きの車両を。

「まずいな、こんなところで戦車に出くわすとは」


 ホルス軍の戦車は2輌。

狭い砂利道を1列になって移動している。

彼らは対戦車兵器を持っていない。

ここはエイブラム頼みだ。

エイブラム、撃ってくれ!

ブルーノは強く願った。

まるで思考を直接脳内に語り掛けるかの如く。


 そのとき、目の前の戦車から煙が上がった。

徹甲弾に撃ち抜かれたのだ。

「早く逃げるぞ!」

彼らは藪に飛び込んで指揮所を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る