復讐への序曲

大陸暦131年



 イルダーナ帝国を未曾有の大飢饉が襲った。

それと同時期にクーデター計画が明らかになるなど、国内はかなり不安定な状況にあった。

そんなこともあり、当時の帝国に食糧を大々的に輸入するだけの資金はなく、やむなく他国に移住を推奨することになった、


 同じ頃、ホルス共和国では労働者の人数が足りないという問題があった。

そこでイルダーナ人の受け入れを表明した。

イルダーナ人に共和国南部スヴァローグ地方の一角が与えられた。


 その後人口を増やし、スヴァローグ地方全域に多く共住するようになり、スヴァローグ地方はイルダーナ人の自治区となった。

帝国は食糧事情が改善し、共和国ではイルダーナ人が労働に従事して国内産業が発達していった。


 しかし、共和国では別の問題が持ち上がった。

イルダーナ人がホルス人の仕事を奪っているのではないかという指摘がなされたのだ。

現にホルス人の失業者は多い。

そういったホルス人の中流階級以下の人たちの不満が政府の失政に結びつくのを恐れて、政府は不満を逸らすためにイルダーナ人の弾圧を始めたのだ。


 その結果スヴァローグ自治区の存在は危うくなり、自治存続を望むイルダーナ人とホルス人との間で何度も衝突が繰り返された。

スヴァローグに住むとある一家は移民政策によって移住したのだが、彼らの場合は他とは異なった背景があった。


******

大陸暦310年



 今年で15歳になるブルーノ・オルコットは水に濡れ、砂で汚れた服を払った。

夕陽がそれを照らし出し、黄金の粒子のように見せる。

彼の周りには5人の男が倒れている。

彼らはうめき声を上げるだけで立ち上がろうとしない。


 そんな彼らに血の混じった唾を、侮蔑を込めて吐き捨てた。

「くだらん奴らだ」

いかにも汚らわしいものを見たかのように言った。

「そんなくだらない者相手にこんなに汚れてどうするのですか?」

「見ていたのか?」

「ええ。負けるとは思えなかったので手出しはしませんでした」


 不敵に笑って言ってみせた彼の名はエイブラム・オースティン。

「今回のケンカの理由はなんですか?」

「あいつらが俺に汚らしいとか言って水をかけてきた。だから逆にあいつらの方を汚くしてやった」

「まったく、あなたという方は」


 呆れ気味にエイブラムが笑った。

「イルダーナ王家の末裔がこんな学校の片隅でケンカだなんて面白い限りです」

「エイブラムは信じるんだな、俺がイルダーナ王家のベレンスフォード家に連なるものだってことを」

「もちろんです。証拠を見ましたから」


******

オースティン宅



「またこんなにボロボロになって!」

ブルーノの母、コーデリアがむすっとした顔でブルーノを見る。

「だってあいつらが……」

「だっても何もありません! もっと誇りを持って紳士らしく振舞いなさい!」

「こんなボロい家に住んでいて誇りも何もないよ」


 木製の家で、ところどころ木が痛んでいる。

おかげで雨漏りがひどく、空き缶や空き瓶で雨粒を受け止めることなんてざらにある。

「ついてきなさい」

そう言ってコーデリアは家の奥に歩いて行った。

家の奥にある誰も使っていない部屋のクローゼットを開けた。

かび臭いにおいが部屋に広がる。


 コーデリアがクローゼットから取り出したのは黒い筒と鞘に収まった短剣だった。

「これを見なさい」

黒い筒を開けて中から1枚の色褪せた紙を取り出した。

ブルーノは紙を手に取った。

「これって羊皮紙?」

コーデリアは頷いた。


「なんでこんなものが貧乏な我が家に? それにこれ、家系図?」

「ベレンスフォード家の家系図よ。我が家はベレンスフォード家に連なる者」

「じゃあなんでこんなところで貧乏生活しているんだ?」

「ブルーノの5代前の第2皇子ジェフリーが3代皇帝ダリルに反逆を企てたからよ。ジェフリーは処刑されたけど、その息子はホルスへの移民団に紛れ込んでここにたどり着いたわけ。でも財産をほとんど持ちだせなかったから貧乏になったの」


「そいつはすげーな。で、あの剣は?」

彼にとっては薄い紙よりも鞘に装飾が施された剣の方が気になる代物だ。

「これは一族の証として与えられる分家ごとに伝わる宝刀よ」

そう言って鞘から短剣を抜いてみせた。

錆ひとつない銀色の刀身が西日を反射して輝きをみせる。


「もし何かあったらこの2つを持ち出しなさい。民族問題を解決できないでいる現状のホルスは遠からず崩壊するでしょう。もしそのとき力が欲しいなら役に立つはず」

「じゃあ短剣が今すぐ欲しい。ホルス人に何されるかわからないご時世だからな。最近は弾圧が厳しいんだろ?」

「あんたに渡すと何しでかすかわからないけど……仕方ないから短剣はいま渡す」

「やったー!」

ブルーノは木の床をギシギシいわせて飛び跳ねた。


******


 短剣を貰った翌日のこと。

「おやっ」

ブルーノは何となくやって来た校舎の裏側でガラの悪そうな男5人と涼しい顔をした黒髪の男が対峙している光景を目撃した。


 彼はひと目見てわかった。

5人はホルス人だ。

何となく雰囲気でわかる。

くだらないレイシストのにおいがする。

ブルーノにとってああいう存在は度し難いものだ。


「てめぇ、こんなところでなにしてやがる」

レイシスト共がブルーノの存在に気が付いた。

ブルーノは懐に忍ばせていた短刀を抜いた。

「そんなおもちゃで遊ぼうってか? 俺らはガキの遊びに付き合ってるほどヒマじゃねぇんだよ」

周りのホルス人が嘲笑している。


 ブルーノは手近なところにある木の枝を斬り捨てた。

「お、おいマジかよ……」

ホルス人が怖気づいて逃げ出した。


「大丈夫か?」

「私は問題ない。けど君の持ってるそれって……」

「ああ、これ? 家に代々伝わる家宝らしい」

そう言って剣を鞘に納めた。

「剣の柄と鞘にあしらわれている家紋はベレンスフォード家のものじゃないか!」

「え、ああそうだな。これと家系図があったら皇位を窺えるみたい」

「なんだかすごい人に出会ってしまったようだね。私の名前はエイブラム・オースティン」

「ブルーノ・オルコットだ。よろしくな」

ブルーノは手を差し出した。

エイブラムはそれを握った。

これが2人の出会いである。


******


 ずぶ濡れのブルーノとエイブラムは帰路についていた。

「さて、明日は誰がけしかけてくるかな?」

「まだ戦い足りないのですか」

「まあな」


 そう言って笑ったとき、遠くから爆発音が響いた。

「あっちから戦車が近づいてますよ」

履帯が軋む音がどこからともなく聞こえてくる。

1輌なんかじゃない。

かなりの数だ。

「逃げるぞ!」

2人は家へと駆けだした。

両者とも家は方角が一緒だ。


 銃弾やら砲弾に気をつけながら、何とかブルーノの家に辿り着いた。

家の屋根は既に燃えていて、屋内のいろんなところに燃え移っている。

「お前は自分の家に行かないのか?」

「危ない家にブルーノ1人で行かせるわけにはいかないじゃないですか」

「俺はまだ死ぬつもりはないから大丈夫だ。だからエイブラムは自分の家に行け」

「常人には理解しがたい理屈だね。では死なないでくださいね」


 そう言ってエイブラムは自分の家に行った。

ブルーノは母がいつもいるリビングに向かう。

しかし燃える家具と柱があるだけだ。

他の場所も探したが見つからない。


 最後に短剣がしまってあった部屋に行った。

火の粉をかいくぐり部屋で母の姿を見つけた。

しかし母は動ける状態になかった。

燃え盛る柱の下敷きになっていた。


「母さん!」

ブルーノは駆け寄った。

そして悟った。

母はもう助からないと。

もう息は絶え絶えで、目は虚ろで何も見えていない。


「こ……これを……」

母が震える手を伸ばして黒い筒を差し出した。

それはいつぞやに見せてくれた家系図が入っている筒だ。

ブルーノはそれを受け取った。

「はや……く、逃げな……さい」

「そ、そんなことできるか!」


 母は最後の力を振り絞ってブルーノを突き飛ばした。

派手にしりもちをついた。

「母さ――」

最後まで言葉を言えなかった。

ブルーノの視界の先に母はいない。

母がいた場所には燃える柱があるだけだ。


「ちくしょう、ちくしょう……」

立ち上がって外へと走り出した。

もうここに用はない。

ここでできることは何もない。

ただ無力感を抱えて走った。


 外に出ると、家の前に車が停まっていた。

エイブラムとその家族が乗っている。

「早くこっちに!」

ブルーノは言われるがままに車の後部座席に座った。

そして燃える街を脱出すべく走り出した。


 途中であやうく戦車や歩兵と出くわしたが、何とか振り切ってムスペルヘイムとの国境の川岸まで逃れることができた。

その地点から住んでいた街の間を山が隔てているが、街を焦がす業火が山から昇る朝日のような輝きをみせる。


 一見美しく見えるこの風景の裏側では凄惨な光景が広がっているのだろう。

燃える家屋。

意味もなく射殺される母親。

戦車に轢かれて見るも無残な姿に変わり果てた赤ん坊。

ただただ地獄があるだけだ。


 ブルーノは車から湿った地面に降り立った。

「なあエイブラム」

エイブラムが黙ってブルーノの方を見た。

「俺、誓うよ。やつらの築いたものを愚弄し、やつらの土地を蹂躙し、やつら全員を殲滅する。そのために力を手に入れる。強大で圧倒的な力をこの手中にな」

ブルーノはギュッと手を握りしめた。


 それは決意のほどを示すかのように固いものだ。

「それは1人ではできないことですよ。だから……」

エイブラムは車から降りてブルーノに跪いた。

「ブルーノ・オルコット、いえ、ブルーノ・ベレンスフォード“陛下”の部下にさせてください」

「本当についてくるのか? 道半ばで無残に散るかもしれんのだぞ」

「それでもいいのです。ただあなた1人になにもかも背負わせたくないのです」

「まったく……」


 ブルーノは呆れたように肩をすくめてみせた。

「それより早く立てよ。それじゃあ一緒に歩けないだろ」

「そうですね」

エイブラムは立ち上がり明るい山の向こう側を見た。

2人は心に誓った。

必ず故郷に帰るということを。

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