彼女の戦う理由
私、イリーナ・アハトワは親の顔を見たことがない。
生まれたときから施設にいた。
それはただの孤児院ではない。
軍や警察の特殊部隊の隊員を養成するための施設だ。
そこではいろんなことが叩き込まれる。
銃、ナイフを使った戦い方、格闘術、隠密行動、視力を奪われた状況といった特殊な状況下での戦闘方法、国家に仇為すものは殲滅しなければならないという絶対的な思想。
眠るときはいつも自動小銃を抱いて寝た。
そしてそんなところで私はひとりの少年と出会った。
彼とは物心ついたときから面識があり、模擬戦でも度々手合せ、共闘することがあった。
彼と組んだときは負けたことがなく、逆に敵にまわしたときには必ず負けた。
そんな彼と共に過ごし、そして養成所を卒業するときを迎えた。
私と彼の配属先は国家保安警察12課。
国家保安警察は普通の警察とは異なり、強盗や殺人といった刑事事件を担当せず、国家体制を破壊しようとする者たちを取り締まることが仕事だ。
ただし国家保安警察には全部で11課しか存在しない。
12課は表立ってできない活動、つまりテロ、暗殺といった非合法なことを実行する部門となっている。
そこに所属して私は彼と組んで何人もの不穏分子を葬ってきた。
そして今日も……
******
私の周りを着古されたコートを着た5人の男が拳銃をこちらに向けて囲んでいる。
前後と左に1人、右に2人という状況だ。
私の両手にはフルオートに設定された拳銃、バラネフ社製S-19がある。
場所はそこそこの広さがある廊下で、壁はコンクリートが剥きだしになっている。
敵は引き金に指を掛けた。
相手の銃も私のS-19も既に撃鉄は起こされてる。
私は魔法で目を強化して5人の指を同時に凝視する。
5人の指に力が加わったのを確認したその瞬間、私は動いた。
首を上げ、左足を後ろに下げて、右腕を横に広げて左腕を後ろに向けた状態で体を仰け反らせた。
7つの引き金は引かれた。
前後から右脇の下、鼻の上、横から両足の間、胸と左腕の上を銃弾が通過した。
私の放った銃弾は後ろと右にいた男の太ももを撃ちぬいた。
撃たれた足から2人は崩れ落ちた。
体を起こし、右腕をわずかに動かし、それと同時に左腕を左の男に向けて引き金を引いた。
急所に当たり糸が切れたマリオネットのように倒れた。
残された男は腕を震わせながら銃を向けている。
照準は定まっていない。
弾は当たらない。
何の躊躇いもなく相手の懐に飛び込んだ。
動揺した相手は撃つが、あさっての方向へ弾が飛んでいくだけ。
私は至近距離で銃弾を腹部に撃ちこんだ。
呻きながら倒れる男。
そんな男を後目に先を急いだ。
男が立っていた先には扉がある。
その扉を開けて室内に進入した。
「国家保安警察だ。バタノフ・グラーニン、あなたにはホルス共和国法第2条国家秩序に関する法、及び第289条反共法に抵触しています。こちらにご同行願います」
机を前に椅子に座っているバタノフに銃を向けながら穏やかな口調で告げた。
「あなた方の指導者、人民革命党委員長ローベルト・アルバトフに関することについて話していただきたいのです」
「ふざけるな、ブルジョワの犬の分際で同志アルバトフの名を口にするな!」
バタノフは銃を抜いた。
私は引き金を引いた。
バタノフの手に当たり、彼は銃を落とした。
慌てて拾おうとしたその隙に身柄を取り押さえた。
そして手錠をかける。
「そっちは片付いた?」
男が突然現れた。
私はS-19をすぐさま男に向けた。
「俺だよ、俺。エフセイだよ。愛しのお嬢さん<ラースタチュカ>」
「撃たれたいのですか? 弾ならまだまだありますよ」
「かわいい女の子に殺されるのは本望だが、まだこの世に未練があるから死ねないよ」
ふざけたことを言ってるこの男こそ養成所からの幼馴染のエフセイ・ヴラーソフだ。
「どうせイリーナに殺されるなら長くてきれいな黒髪とやわらかそうな胸を触ってから……」
私は机に置いてあったペンケースをエフセイに投げつけた。
「イタッ!」
ペンケースの角が額に当たったようだ。
彼の実力をもってすれば簡単に避けることができたはずだ。
なのに避けなかった。
そう思うとなぜだか無性に悲しくなる。
「バカ」
彼の目を見て言えなかった。
彼の澄んだ瞳を見ると心を見透かされそうだから。
「さて、そいつを連れて本部に戻るか」
こうして今回の任務を終えた。
それから月日は流れ、翌年の322年に戦争が始まり、大陸は戦火に覆われた。
共和国は西部の隣国のアルフヘイム国に出兵してイルダーナ帝国、ミッドガルド共和国と交戦し、南部では侵攻してきたムスペルヘイム=エゲリア帝国軍を迎え撃った。
帝国は多民族国家で、民族問題を抱えている。
現在は帝国で2番目に人口が多いエゲリア人と手を組み、ムスペルヘイム皇帝が君臨するエゲリア王国を建国して同君連合体制を作り上げて、2民族が中心になって多民族国家を維持している。
そこで私たち12課は帝国に潜入して自治独立を求める人々を扇動するように命じられた。
こういうことは国内の不穏分子専門の12課ではなく、国家直属の諜報部隊の役目だ。
しかし成果がなかなか上がらないので彼らより過激な行動ができる12課が動くことになった。
そして324年11月1日、私とエフセイを含めた12課所属の6人が帝国を構成する民族のひとつ、ヤヌス人が多く住む地域に潜入した。
今回は戦況のこともあり迅速に任務を終えなければならない。
今年の11月末が今任務の期限となっている。
何もともあれ、まずは作戦を決めなくてはならない。
そこで潜入した当日の夜に酒場に入店して話し合うことにした。
「実は作戦ならもう決まっている。諜報部隊からの情報だが、明日のこの時間にここで独立を訴える団体が集会を開くそうだ。どうやらそれほど大きな団体ではないらしいから蜂起を目論んだものではないだろう。とにかく明日はこの団体に用がある。そのした準備として警官の服を5人分入手する必要がある」
そう言って隊長が立ち上がって料金を払って外へ出た。
私たちも隊長に続いた。
隊長は何も言わずにどんどん先に行く。
そして立ち止ったのは裏路地。
周りにだれもいない
「お前ら、持って来たアサルトライフルで空を撃て」
よくわからないが、言われるままに鞄から帝国製のアサルトライフル、AP-21を取り出して3点バーストに設定して銃口を夜空に突きつけて引き金を引いた。
銃声が夜風に乗って響き渡る。
空薬莢が軽い金属音を立てて地面を転がる。
どこからともなくパトカーのサイレンの音が近づいてくる。
「撃ち方やめ! 物陰に隠れろ! 隙を見て警官を襲え!」
私は銃を下ろし、ゴミ箱のそばに隠れた。
しばらくすると、裏路地に4人の警官が現れた。
警官は現場検証している。
今だ!
ゴミ箱のそばから飛び出し、警官に飛びかかった。
首に腕を回し、力を加えた。
するとあっけなく首の骨が折れた。
他の仲間も同様に警官に襲いかかり、血で制服が汚れないように殺している。
「4人か……1人分足りないがまあいいだろう。さっさと服を奪ってホテルで寝るぞ」
「隊長、質問です」
エフセイが言った。
「部屋はペアの人と同室ですか?」
隊長はにやにやと笑っている。
まるでこの質問を待っていたかのように。
「残念だが男女別室だ」
「何故このような仕打ちを!」
「ヴラーソフ君、君がいろんな意味で危険だからだよ」
周りの隊員はクスクスと笑っている。
「危険? そんなことないよな、イリーナ」
「隊長の配慮に感謝します」
エフセイはうなだれて、その周りだけが異様に空気が澱んでいる。
「こいつはほっといていいからホテルに行くぞ」
「了解」
私たちは隊長に続いた。
エフセイは覚束ない足取りで私たちについてきた。
******
「お前たち、準備はいいか?」
私服の上に昨日奪った制服に身を包んだ私たち4人がアサルトライフルを片手に、集会が行われるという酒場付近の路地裏で待機している。
ここにいないメンバーは酒場の中にいる。
「あいつには7時になったら酒場を出るように言っている。あいつが酒場から出たときが合図だ。酒場に乗り込んで中にいる連中を撃つ」
「なぜ反体制派を撃つのです? 彼らと協力しないのですか?」
エフセイが言った。
「彼らと協力していては時間がかかりすぎる」
「……了解」
そう言っていると、酒場から仲間が出てきた。
「行くぞ」
私たちは裏路地から飛び出し、隊長は酒場の扉を蹴り飛ばした。
「くたばれ、薄汚いヤヌス人共!」
私たちは引き金を引いた。
空薬莢が床に転がり落ちる。
撃たれた人は床に崩れ落ちる。
また1人、また1人と死神に愛された者が増えていく。
だけど何かがおかしい。
仲間が7時にここを出るように言われたのはきっと7時に集会が始まるからだろう。
なのにここに乗り込んだとき、誰もが普通に酒を飲み、楽しそうに談笑していた。
これが集会中なのか?
そんなはずがあるものか!
私が今撃ち殺しているのは紛れもない一般人だ。
彼らはテロリストでもなんでもない。
これは諜報部隊のミスか?
それとも集会が行われるというデマを隊長が作ったのか?
だとすれば、一般人を殺すことに躊躇いなくすための配慮か?
訳がわからない。
私にできるのは一般人相手に引き金を引き続けることだけ。
「撃ち方やめ! 撤収するぞ!」
私たちは酒場を出て裏路地で制服を脱ぎ、達成感のないままホテルに凱旋した。
そして何の実感もなく2週間が経った。
ちょうど2週間後の日の夜、ホテルの隊長の部屋に集まって次の作戦についての話をした。
「諜報部隊によると、このホテルの前で明日デモがある。2週間前のあれのおかげで民族主義者を煽ることができたということだな。そこでだ、明日はデモを取り締まろうとする警備員をここで狙撃する。アバーエフ、できるな?」
「は、はい」
「弾は改造弾を使え」
「了解」
本当に任務を引き受けていいのか?
疑問が頭で渦巻き、眠ることができないままデモ当日を迎えた。
窓から外を見ると、大勢の人が旗やプラカードを持って集まっている。
その周りに警備している警官と兵士が大勢いる。
そしてデモが始まった。
特に騒ぎは起きず、参加者は行進している。
仕事をしなくては。
共和国から持って来た狙撃銃を組み立てて改造弾を装填した。
この弾は弾頭が通常の弾を改造して強度を低くしている。
弾を撃つと弾頭が空気との摩擦で発生する熱で溶けて、標的に当たると弾が潰れて弾の種類がわからなくなる。
ただしこのまま撃つと、着弾前に弾が潰れてしまうので少しだけ魔法で弾頭を強化を施した。
ボルトハンドルを後ろに引いて弾を薬室に送り込んだ。
ハンドルを前に戻して銃を構えて照準器を覗き込む。
市民が叫びながら行進し、警備している警官と兵士がそれを注視している。
しかしこの位置から警官か兵士を狙撃するには距離がありすぎる。
そこで魔法を使って視力を大幅に強化した。
見える。
はっきりと見える。
目、鼻、口、そして指先まで。
T字の照準線<レティクル>を眉間に合わせた。
後は引き金を引くだけだ。
しかし頭をよぎるのは撃った後のことだ。
警官、兵士はデモを弾圧するだろう。
そうなれば大勢の無辜の市民が血を流すことになる。
2週間前の酒場のように。
それでも私は撃たないといけない。
私は体制を守護する銃であり、盾である。
だから私は撃った。
辛うじて形を保つ弾丸が空を切った。
その先にある眉間に飛び込んだ。
撃たれた警官はこの世界との接点の一切を失った。
警官が死んだ。
それが惨劇の始まりだ。
警官が死んだことを理解した1人のデモ参加者が道端の石を帝国兵に投げつけた。
それを見た他の人も呼応して石を投げた。
池に石を投げいれて波紋が広がっていくように、デモ参加者が次々に暴力的になっていった。
警備する者の我慢が限界に達した。
警官が拳銃を撃った。
兵士がアサルトライフルを撃った。
戦車が咆えた。
増援を呼んだ。
しかし参加者は収まらない。
暴力が暴力を呼び、惨劇の渦は大きくなっていく。
もはや誰にも止めることはできない。
私はただ震えることしかできない。
自分のやったことに恐れおののくだけだ。
それから1か月も経たぬうちに反逆の嵐が帝国を巻き込んだ。
私たちが帰国した11月30日、ムスペルヘイム=エゲリア帝国は全交戦国に対して一方的に停戦を表明した。
連合軍はそれを受け入れ、同盟軍はそれを非難した。
かくして私たちは任務を達成することができたのであった。
そして私たちは共和国内での活動に復帰した。
******
大陸歴325年、1月1日、ムスペルヘイム軍と交戦していた部隊を加えて、アルフヘイム国内にいる同盟軍を駆逐し、ミッドガルド、あわよくばイルダーナにまで侵攻して戦争を終わらせようとした作戦、通称新年攻勢が開始した。
2週間続いた攻勢の結果は同盟軍に致命傷を負わせたものの、連合軍、特にアルフヘイム、ホルス軍も壊滅的な損害を被ってしまった。
そして2月28日、この日私とエフセイは人民革命党委員長ローベルト・アルバトフの暗殺を命じられた。
その日に人民革命党と共和国の国内にいる兵士が同時に反乱を起こしたのだ。
大規模な蜂起なので、士気高揚のためにローベルトが姿を現すと踏んで、不穏分子の調査が専門の国家保安警察1課が調査した結果、共和国首都ネストルの中央広場で演説を行うことがわかった。
私たち2人はそのときを狙って暗殺することになった。
そこで、広場付近のテナントが入っていないビルの4階から狙撃することにした。
「この距離ならどこから撃ったか特定できないはず」
そう言って私たちは狙撃準備を始めた。
「なあ、あいつを撃つことに意味があるのかな?」
狙撃手を務めるエフセイが突然言った。
「何を言ってるの? 標的が死んで我が国が救われる。そうでしょ?」
「この国は救われるだけの価値があるのか、俺にはそれがわからない」
こんなことを言うエフセイを私は知らない。
いつものエフセイはどこへ行ったのだろうか?
「イリーナ、お前は感じなかったのか? ムスペルヘイムに潜入したときの酒場での虐殺したことに」
ドキッとした。
まるで心臓を冷たい手で掴まれたようだ。
「あれ以来ずっと疑問に思っていたんだ。こんなことをしないと救えない国に存在意義はあるのか。だから俺にはあいつを撃てない」
「なら私が撃つ」
「そんなことをしても無駄だ。あいつが死んでもこの国の崩壊は止められない。混迷の時代が続くだけだ。だからといって反乱に同調することはできない。この国には育ててもらった恩があるし、あいつらが何をやりたいのかバカな俺にはわからない。もう訳がわからないからこの国を出ようと思う」
エフセイが遠くにいるように見える。
いつもそばにいてくれたのに。
その温かみはいつも隣にあった。
でも今は遠い地平線の果てにいる。
窓から冷たい風が吹き込んでエフセイを遠くに押し流しているようだ。
「俺と一緒に来い!」
私に手を差し伸べた。
私にはわからない。
その手を取るべきか取らざるべきか。
どうしていとも簡単に忠誠の対象である国を捨てることができるのか
混乱する私。
「今は無理なのか。でも俺は信じてる。イリーナがいつか俺のところに来てくれるって」
エフセイは狙撃銃を持ってどこかへ駆け出した。
私は取り残されてしまった。
エフセイだけではない。
国家、時代の趨勢からも。
吹き付ける冷たい風、ひんやりとした冷たい冷気を放つ打ちっぱなしのコンクリートが敵に思えてくる。
本当の敵は広場で弁舌を振るっている。
「資本家に労働者が虐げられる時代は終わりを迎えた。これからは我々プロレタリアートの時代だ!」
それがどういう時代かわからない。
それでもひとつだけわかることがある。
旧体制の人間である私は逃げないと殺される。
共和国と共闘しているニブルヘイム帝国に亡命するのが賢明そうだ。
エフセイにまた会えるかわからない。
それでも……
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