流血渓谷
イルダーナでのクーデターやその後の反乱の顛末は、イリーナの報告にまとめられ、アルフレートにもたらされた。
「イルダーナは弱体化している。今こそ攻勢に出る時。そうではないのか?」
テーブルの向かい側に座るコルネリウス元帥に言う。
アルフレートの旗艦の応接間で2人が向き合う。
傍らにはそれぞれ両国の護衛が2人、そして高官が1人ずつ控えている。
「なぜそこまでして、堅固な要塞線に突入したがるのです? 南部を制圧した我が軍が、北上している最中だ。ここで待っていれば、イシュケ山脈を越えて、タラニスを制圧したという報告が入ることでしょう」
唐突なノック。
ニブルヘイムの護衛がドアの外で対応する。
10秒もしないうちに、護衛が戻ってきた。
「コルネリウス元帥にお伝えしたいことがるそうです」
「入れ」
アルフレートが言う。
そそくさと入ってくるムスペルヘイムの下士官。
彼はコルネリウスの傍らのアルトゥールに耳打ちした。
下士官が去ると、今度はアルトゥールがコルネリウスに耳打ちをする。
事を聞いたコルネリウスの顔が険しくなった。
眉間に深い渓谷が出来上がる。
「イルダーナを北上していた我が軍が、イシュケ山脈で敗退した。敵のゲリラ戦術に負けたそうです」
「状況打破のために、要塞線への攻撃に賛同してもらえるということで?」
無言でうなずくコルネリウス。
かくして地獄への行進が決定された。
******
340年5月17日
連合軍の艦隊が動いた。
巨大な戦力が呑龍のようにモリガン要塞線をうかがう。
「撃て!」
アルフレートの号令。
赤線が空を覆う。
砲弾が地を穿つ。
航空機が空母を発つ。
爆弾を投下し、トーチカを火に包む。
「戦況はどうなっている?」
「まだ敵の射程外からの攻撃にとどまっていることと、トーチカが頑強なために爆撃も限定的な成果しかありません。損害は攻撃機を中心に大きなものになっています」
アルフレートの問いにラッシが答えた。
「では全軍を前進させよう」
艦隊が堡塁へにじり寄る。
赤い光が、銃弾が地上に降り注ぐ。
堡塁の屋根に穴が開き、次々に堡塁が沈黙していく。
イルダーナ軍の反撃も熾烈を極める。
無数の対空砲から放たれる銃弾が、無防備な艦底に突き刺さる。
巨体から火が出る、落ちる、裂ける、砕け散る。
要塞砲が轟音を響かせる。
戦車も歩兵も関係なく、無為なものへと変えていく。
ニブルヘイムの戦艦を地上から赤い光が貫いた。
戦艦から放たれた光ではない。
堡塁と堡塁の間、その隙間を埋めるようにそれはいた。
戦車よりもはるかに大きな車体。
取り付けられた戦艦の主砲。
圧倒的な存在感。
戦艦を一撃で屠る破壊力。
この威力を見たモリガン要塞線指揮を任されたアルバートも驚いた。
「これが‘トゥアハ・デ・ダナーン’の力か」
超重自走砲トゥアハ・デ・ダナーン。
戦艦の主砲を1門積み、重量は1000トンにも及ぶ。
しかし連合軍の攻勢は止まない。
兵力では圧倒的に連合軍優位。
いかに攻撃をしのぎ切るか。
攻撃を続ける連合軍の被害も膨れつつある。
トゥアハ・デ・ダナーンの鮮烈な砲撃を受けた連合軍は、地上部隊による突撃を敢行した。
ムスペルヘイム軍の大陸最大の地上軍が襲い来る。
堡塁から、塹壕からの反撃。
倒れる歩兵、燃える戦車。
後続の兵士が倒れた兵士を踏みしめ、戦車がそれを舗装する。
味方にとどめを刺されて息絶える者たち。
ミンチの山を越えて敵陣に迫る。
イルダーナ兵は機関銃を野戦砲を撃ち続ける。
されどムスペルヘイム兵が、ニブルヘイム兵が、ホルス兵が湧き水のように地平線の先からとめどなく押し寄せてくる。
1人撃ち殺している間に、10人がこちらに近づいている。
終わらない悪夢。
鉄塊が降り注ぎ、ミンチと鉄くずが地を覆い、その上を狂気じみた歩兵と戦車がやって来る。
血肉の山河を越えて、堡塁の裏へと回る。
そこにあるのは扉。
それに吸着地雷を設置する。
爆破。
コンクリート製の扉が崩れ落ちる。
中にいるイルダーナ兵は両手を挙げた。
堡塁は次々に陥落し、トゥアハ・デ・ダナーンは戦艦を落としながら、後退を続ける。
連合軍の機甲師団はそれに肉薄するが、至近で主砲を浴びせてもびくともしない。
攻撃機が爆弾を天井に落としても、穴ひとつ空かない。
追いすがる連合軍機甲師団に、主砲を浴びせかけた。
射線上の車両が消える。
着弾地点を中心に爆発。
周囲の車両、人が巻き上げられる。
猛威をまき散らしながら、悠々とトゥアハ・デ・ダナーンは防衛ライン第2陣の塹壕へと撤退した。
******
「攻撃の結果、ムスペルヘイム軍19000人、ニブルヘイム軍15000人、ホルス軍7000人の戦死者を出しています。たった1日でですよ!」
戦闘前に話した例の部屋。
アルフレートの前で、憤激するコルネリウス。
「これ以上の攻撃を中止しろと言いたいのか」
うなずく元帥。
「だからと言って、イシュケ山脈突破に立ち戻れというわけにはいかないのでは?」
沈黙。
黙って2人の会話を聞いていたヒルデブラントがアルフレートに耳打ちした。
「まて、それは外交問題になりかねない」
「大義はあります。陛下もわかっているかと。元帥殿に提案してはいかがですか? それとも何か腹案でもお持ちで?」
憮然とするアルフレートは、コルネリウスに向き直った。
「ルーン帝国を通過して、手薄なヴァハ要塞線を突破することを提案する」
「かの国は中立国です。宣戦する大義はあるんですか?}
「帝国が連邦成立宣言と、イルダーナに共産圏の討伐を命じたことが、今の戦争の原因。ならば、中立を謳ってはいるが、実際はイルダーナ陣営ではないか」
考え込むコルネリウス。
「作戦に賛同します」
「我が軍が作戦を遂行する。貴軍には全面の敵を引き付けてもらえるだろうか」
「犠牲が出ないことを最優先した上で、敵を引き付けます」
よほど今回の犠牲の大きさに懲りているようだ。
イルダーナ軍もただで済んだわけではない。
ダスティンは今回の戦闘の被害報告を受け、嘆息した。
防衛ラインの第1線の堡塁を制圧され、多くの兵士を失った。
第2線の塹壕への攻勢は阻止したものの、しょせんはそれだけのこと。
次の攻勢を受けたら戦線が崩壊しかねない。
「陛下に援軍を求めるほかない」
アルバートはタラニスに救援要請の電文を打つよう命じた。
兵力を増強して、次の攻勢を食い止める。
これ以上のイルダーナへの侵攻は不可能だとわからしめて、講和に持ち込むしかない。
「講和か」
誰か同じようなことを言っていたような気がする。
「アンブローズ、君は正しかった。この戦争には勝てない」
問題は戦線を広げすぎただけではない。
第1次大陸戦争での損害は計り知れないほどで、その傷も完全に癒えぬまま、わずかな戦間期を経て戦争を引き起こした。
イルダーナが財政的に逼迫し、戦争遂行ができなくなる。
負けた場合はもう立ち直ることすらできない、良くて小国への転落。
それがわかっていたからこそ、アンブローズは講和を提言していた。
しかしアンブローズは愚直すぎた。
その愚直さがブルーノのプライドを傷つけてしまった。
現状をどうにかするのは生者の仕事。
疲れた目を閉じて、再び嘆息した。
******
アウストリに不気味な影が現れた。
地鳴りのように響くエンジン音。
唐突な宣戦布告、大挙する大軍。
コンラート率いる艦隊がやってきたのだ。
帝国の王宮では、パニックがいたるところに蔓延している。
クラウスも例外ではない。
まさか宣戦布告されるとは思っていなかった。
どこで判断ミスをしたのか自己を顧みつつ、家人に財産や書類をまとめて車に乗せるよう命じた。
我が国は占領される。
それは間違いない。
問題はいつまで占領されるか。
再び独立できるのか、それとも併合されてしまうのか。
それは彼にはわからない。
少なくとも現状のイルダーナの武力を頼って解放は不可能。
イルダーナの敗戦は必至。
ではどうやって国を復興させて、再び陛下を大陸に君臨させるか。
アルトゥールのいるムスペルヘイムを頼るか。
諸民族のゆりかごであるかの国なら、国家統合の象徴としての利用価値はあるはず。
現状ではまだその段階には至らない。
不安定化させなければ利用価値は生じない。
不安定化の材料はすでにアルトゥールがある。
それに多くの非ルーン人。
アルトゥールと民主主義勢力が政権を奪取し、その後は国家安定のために陛下を迎えてもらう。
アルトゥールは宰相として実権を握り、新たに誕生する議会を運営してもらう。
議会のない国にそれができるのなら、民主主義勢力もひとまず納得してくれるだろう。
陛下を連れてイルダーナの奥地に潜伏し、戦後ムスペルヘイムに亡命すればいいだろう。
「準備ができました」
「王宮に向かう。陛下を連れてここを脱出する」
******
340年5月18日
ルーン帝国陥落。
その情報は援軍要請を受けて出撃したブルーノの耳にも入った。
このままモリガン要塞線に向かうか、進路を変えてヴァハ要塞線に向かうべきか。
「ヴァハ要塞線に行くべきです。このままモリガンに向かっても、ヴァハを突破した敵が後背を遮断してしまいます」
シェリンガムが言う。
「そうだな。進路をヴァハへと変更する。ベアード将軍には現有戦力で死守してもらうよう言ってくれ」
進路を変更したが、到着までにヴァハ要塞線が維持されていなければ、状況は最悪のものになる。
戦力ならブルーノの皇帝直属艦隊より、コンラートの5個艦隊の方が圧倒的に多い。
堅固な要塞線に拠って、迎撃するほか勝算はない。
その要塞線も、隣国が弱小国のルーン帝国なので守備隊は元々少ない。
その少ない戦力も、戦局の悪化に伴い、他の部隊に引き抜かれている。
ブルーノの到着を待たずして陥落する可能性が高いのである。
「ヴァハ要塞線で戦闘が開始されたそうです」
シェリンガムの淡々とした抑揚のない報告。
「ヴァハにはいつ着く?」
「1時間です」
かの地の戦力は1時間持ちこたえられるかどうかも怪しい。
第1陣の堡塁をすべて稼働させられる兵力すらない。
対空砲火も有効的に機能しない。
戦艦の対地機関砲で圧倒されてしまうだろう。
当のアルバートは全く楽観視していない。
速やかにルーン帝国と要塞線を突破して、相手の裏の出る。
これが作戦の要諦。
帝国や要塞線で手間取ってしまえば、その時点で作戦は失敗。
幸い、帝国占領は迅速に行えた。
次の問題は目の前の要塞線の突破。
敵の反撃は弱い。
兵力が足りていないのは明白だ。
モリガン要塞線での戦闘を経験した彼からすれば、そのことは明白である。
この兵力差を逃す手はない。
占領地の維持のために、1個師団を帝国に置いた状況でも、圧倒的兵力差があると確信した。
「突撃!」
強大な火力の暴力が要塞線に食らいつく。
歩兵が一気に堡塁まで接近する。
抵抗する力は病人のように弱々しい。
あっという間に堡塁は抜かれた。
後方の対空部隊は艦隊と撃ち合いを演じる。
あられの様に降り注ぐ対地機関砲。
地上の対空砲台は次々に沈黙する。
要塞線の司令部を占拠し、指揮官を捕虜にした。
コンラートの勝ちだ。
そのコンラートにも、イルダーナ艦隊の接近が伝えられた。
「敵の規模は?」
「3個艦隊程度です」
参謀の報告受ける。
敵はこちらの規模を割り出す時間はあった。
にもかかわらず、こちらより少数。
ヴァハ要塞線に拠って戦うつもりだった、もしくはモリガン要塞線へ向かう途中だったといったところだろう。
敵はこの段階での交戦は予期していない。
先ほど同様、積極的な攻勢しかない。
「先制攻撃こそ作戦成功の要! 接近中の艦隊へ総攻撃を敢行せよ!」
全速でイルダーナ軍に突撃する艦隊。
数の優位で押し切ろうとする。
ブルーノは再び判断を迫られた。
このまま戦っても勝てない。
しかしここを抜かれたらモリガンにいる味方が孤立してしまう。
「陛下、後退しつつ交戦しましょう。その間にモリガンの味方を首都まで撤退させる他ありません」
「しかし、防衛ラインを完全に突破されてしまう」
彼だってわかっている。
もはやこれしか打つ手がないことを。
首都で戦うなど、まるで敗戦国ではないか。
「わかった、モリガンの守備隊をすべてタラニスに転進させる」
「御意」
あとは撤退する時間を稼がなければならない。
「中央を後退させろ」
中央のみが後退するのを見たコンラートの艦隊は、前進を止めた。
このまま突撃すれば、両翼から攻撃を受けてしまう。
前進が止まった隙に、イルダーナ軍が後退する。
「右翼に攻撃を集中させろ」
イルダーナ艦隊の右翼に攻撃が殺到する。
たまらず右翼は後退。
すかさず追撃をかけるが、中央を延ばして背後に回り込もうとするのを阻止する。
今度は薄くなった中央に攻撃を集中させる。
これには全軍を下げて攻撃をいなす。
コンラートは舌打ちした。
少数の敵を突破するのに、攻めあぐねている。
もう相手だってこちらの意図はわかっているはず。
モリガンの部隊を下げているだろう。
「敵後方に艦隊を確認しました」
「いくらなんでも早すぎる」
参謀の報告に困惑するコンラート。
「それが、地上部隊を一切確認できなかったとのことで」
地上部隊を随伴させずに、艦隊のみで駆け付けたということだ。
まもなく地上部隊も到着するだろう。
その頃、アルフレートはいらだっていた。
目前の敵が後退を始めた。
追撃をしなければならないのに、ムスペルヘイム軍が一切動かない。
これ以上の損害は是が非でも出したくないということだ。
ニブルヘイムとホルスの部隊で追撃をかけることにした。
しかし撤退支援のために残されたトゥアハ・デ・ダナーンと対空部隊の反撃に、狭隘な地形に密集した部隊は次々に斃れていった。
こうしているうちに敵は離れていき、残存部隊をようやく撃破した頃には、敵を捕捉できなくなっていた。
目の前の大勝利をみすみす逃すことになった。
コンラートも、敵がぞろぞろと撤退しているのを見て、攻勢を完全に停止。
これ以上の攻勢は敵の反撃を受けて頓挫するのが目に見えている。
それでもイルダーナに与えた被害は大きく、地上部隊を中心に首都防衛に支障が出るほどの被害が出ている。
それにイルダーナは首都タラニスでの防衛戦を強いられることになった。
戦略的には十分に連合軍の勝利と言える。
連合軍は戦力を整えると、タラニスへと進軍した。
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