見果てぬ至尊
340年5月5日7時
タラニスでのクーデターが失敗に終わったことは、イルダーナ中部縦断の途上にあるアンブローズの耳にも入った。
今回の北上を配下の将軍には当初、首都で起きた反乱を鎮圧するためだと伝えている。
中部に差し掛かった時点で本来の目的を伝えた。
もうすでに反乱軍に加わって兵を動かしている、自分は皇帝に弓を引いている。
配下の者たちにこの事実を突きつけた。
こうなった以上、従うしかない。
彼自身も、もう引き返す道はない。
叛旗を翻した以上、この道を進むしかない。
状況がかなり不利なのもまた事実。
クーデターを鎮圧した政府は、アンブローズ打倒に注力できる。
そして、戦力はアンブローズよりも多い。
「こちらに敵は向かっているのだろう?」
ディートハルトはうなずく。
「指揮官はわかっているか?」
「オースティン将軍です」
アンブローズは胸をなでおろした。
友人と干戈を交えずに済みそうだ。
「接敵は推定で2時間ほどです」
「問題はエイブラムがどこに防衛線を敷くかだ」
それ次第で作戦は変わる。
中部と北部を隔てるイシュケ山脈で戦うのか、それともふもとで戦うのか。
それはエイブラムの作戦に依るところ。
戦場を選ぶのはいつだって防衛側だ。
そしてどのような作戦をとられても、速やかに首都まで侵攻しなければいけない。
もたついている間に、連合軍が要塞線を突破して、首都を先に落とされるわけにはいかない。
速攻をもってエイブラムを討つ。
ただし戦力を極力温存するため、地上部隊は後ろで待機。
市街地戦では地上部隊が重要だ。
戦略的に勝利するにはこれしか活路はない。
「まったく、美しくないな」
「何か言いましたか?」
彼は首を振り、もういない戦友を想った。
この国を立て直せるのは死んだ人間じゃない、今ここにいる自分だ。
これは自分の野心と信念の戦争だ。
アンブローズ同様、野心に燃える男は配下にもいる。
艦隊の左翼を率いるスターリング中将は、武功を挙げて元帥になることを夢見ている。
彼は開戦当時はアンブローズの配下でなく、本国の南部に駐屯する艦隊司令官のひとりだった。
アンブローズが事実上の左遷で南部に赴任した際、スターリングは配下になった。
ここまで何一つ戦果を挙げていない彼にとって、今回の反乱はまたとない出世の機会。
軍の上層部に一気に駆け上がる。
彼の目には栄光に輝く未来しか見えていない。
それとは対照的に、右翼の司令官カーシュ中将は事態を、自身の置かれた状況を悲観している。
最初は反乱を鎮圧に向かうと聞いて、今回の作戦に参加したが、実際はどうだろうか。
反乱軍は自分の方ではないか。
もう反乱軍の側に加わっていることは、政府に伝わっているだろう。
彼はやってしまったことの大きさに畏怖しているのも確かだが、それだけではない。
もしも反乱が成功したら、そうなれば栄達できるのではないのか。
前線から離れた身でも出世の機会が訪れるのではないか。
そのような期待をアンブローズに寄せているというのもまた事実であった。
******
主導権を握っている側もまた、苦悩するものである。
エイブラムはどこに防衛線を敷くか考えた。
山脈に敷いたらどうなるか。
地理的優位が圧倒的な以上、負けはしないだろう。
だがそれだけでしかない。
負けはしないが、勝てるわけでもない。
この場合の勝利は、防衛線の死守ではない。
アンブローズ率いる反乱軍を降伏させることにある。
そのためには防衛線を山脈ではなく、そのふもとしかない。
「防衛線をイシュケ山脈のふもとに敷く。かの地で決戦を行う」
艦隊は曇天のもと、山裾を縫うように進む。
各艦は山にぶつからないように、航行管制に気を遣いながら慎重に、かつ速やかに征く。
山奥へ進めば進むほど、視界は白く閉ざされていく。
霧だ。
国内であるため航路は完全に把握しており、目視ではなく航路と現在地を示すモニターを見ながらの航行に切り替えて対応した。
「イシュケ山脈を抜けました。陣形は間もなく整います」
副官からの報告を受けると、反乱軍との予想接敵時間を尋ねた。
「霧のため正確な時間は言いかねますが、推測では30分から40分とのことです」
「すぐそこまで来てるということですね」
陣を整えて接敵に備えるか、それともさらに前進するか。
正面から戦って勝てるかどうかわからない。
ならば前進するしかない。
「これより奇襲を敢行します」
全軍が動き出す。
すぐそこにいるはずの敵のことを考え、畏怖する兵士たち。
相手が先にこちらを見つければ、光線が自分たちの身を焼き殺す。
その現実にただ畏怖している。
白い世界を恐怖に身を委ねて運ばれる。
霧に黒い塊が写り込んだ。
自分の船の影か。
いや違う。
敵がそこにいる!
「撃て!」
エイブラムが命じるより先に、前衛の艦が砲門を開いた。
恐怖が頭を支配している。
敵より先に攻撃しなければ死ぬ。
その認識が攻撃を強いた。
「接敵ですか…… 突撃を!」
初手で機を制したものが遭遇戦の勝者。
ここは強引でも敵の懐に深く切り込む方がよい。
エイブラムはそう考えた。
攻撃を受けたのは右翼を率いるカーシュ将軍。
「迎撃を!」
しかし最初の攻撃で前衛を崩された以上、効果的に反撃ができない。
それどころか、恐れなど知らないかのように、陣形の奥深くへ浸透を図ってくる。
艦隊が崩壊してしまう。
こんなことなら無理矢理にでも反乱軍から抜ければよかった。
カーシュはどうにもならないことを思った。
「後退せよ!」
右翼が後退を始める一方で、中央と左翼は突出を開始した。
攻勢を受けるカーシュ艦隊への援護だ。
「敵が持ち直したようですね。一度引きましょう」
エイブラムの後退を確認して、アンブローズも突出をやめて陣形を立て直した。
最初の一撃をもって、エイブラムが流れを掴んだのは間違いない。
これを生かさない手はない。
「敵右翼艦隊へ攻撃を集中させてください」
さきほどの奇襲で戦力を大きく減らしたため、火力で押されてしまう。
後退命令を出さずとも、自然に陣形が下がっていく。
「右翼は後退、中央、左翼は突出する敵の側面を叩く」
ふらふらと下がっていくカーシュを追って、エイブラム艦隊の陣形が伸びた。
その時だ。
アンブローズとスターリング両艦隊がにわかに躍り出て、側面に食らいつこうとする。
「簡単にはいきませんね……。側面を狙ってくる艦隊は、中央の艦隊で迎え撃ちます。残りは引き続き追撃を」
エイブラムは自ら危険な役を引き受けた。
側面を狙う艦隊はエイブラム直下の中央艦隊より多い。
「こちらも敵のように後退してみましょう」
敢然と立ち向かうどころか後退を始めた艦隊。
アンブローズは考えた。
「罠だな。どこかに地上部隊を待機させて、そこまで誘導して一気に叩く算段だろう」
攻勢に出るのを彼は止めたが、スターリングは納得がいかない。
このまま待機したところで、右翼は壊滅してしまう。
そうなれば負けは決定的だ。
現状でも損害が大きく、ここで勝利しても首都にいる皇帝艦隊との戦いが厳しい。
ならばここは攻撃に出るしかない。
ここで攻勢に出て勝利を自らの手で引き寄せられたのなら、戦勝後の武勲はどれほど大きいか。
今日の今日まで欲してやまないものが、転がり落ちてきているのかもしれない。
命令に背いてでも攻撃するしかない。
「正面の敵に攻勢に出る。突撃せよ!」
飢狼と化したスターリング艦隊が牙をむいた。
スターリングの独断行動に、アンブローズは怒りを禁じえない。
「馬鹿め! なぜ罠だとわからんのだ!」
エイブラム艦隊は案の定下がっていく。
「前進速度を上げろ! 早く潰さないとカーシュ将軍が危ないぞ!」
アンブローズ艦隊を置き去りにして、エイブラム艦隊に肉薄する。
射程に捉えた、まさにその瞬間。
スターリングの視界は白からオレンジに変わった。
赤い光線が艦隊を穿ったわけではない。
「攻撃は地上からか!」
アンブローズの読みは正しかった。
地上部隊を伏兵にしていたのだ。
一挙に陣形が崩壊したスターリング艦隊。
もはや組織的な戦闘など不可能だ。
エイブラム艦隊の反撃の開始。
1隻、また1隻と次々に落ちていく。
「こんなところで……こんなところで死ぬのは嫌だ! 航空軍の最高司令官に、救国の英雄になるんだ!」
無慈悲な光線がスターリングの旗艦を貫いた。
左翼艦隊の壊滅。
霧が晴れるに従い、惨状が露わになる。
この状況がアンブローズに突き付けられた。
「カーシュ将軍が降伏したとのことです」
ディートハルトからさらに冷酷な現実のナイフを刺される。
「将軍を追撃していた艦隊がこちらに戻ってくるのは時間の問題です」
「……撤退する」
「了解しました」
嘆息。
命運はここに尽きた。
もはや戦える戦力はない。
あとは南部の最大都市にして、南方艦隊の司令部のあるミルディンに撤退して、艦隊を解体し、自身の身を処すのみだ。
問題はどのようにしてここから抜け出すか。
「カーシュ将軍が降伏した地点を大きく迂回して撤退する」
今のうちなら、降伏した将軍旗下の処理に手間取ってすぐに動けないはず。
「ミルディンへ撤退!」
転進。
速やかに進路を変えて、南下するアンブローズ。
エイブラムは距離があるため、追撃をするも間に合わない。
「振り切ったか」
安堵するアンブローズ。
エイブラムの艦隊を魔導士の眼をもってしても見えなくなった頃、通信士が慌ただしくし始めた。
やがて通信士のひとりが、ディートハルトに耳打ちした。
「カーシュ将軍を降伏させた艦隊がこちらに向かっています」
「もう敗残兵の処理を終えたのか」
「いえ、規模が小さいとのことなので、一部の艦艇を差し向けただけかと思われます」
迎撃していれば、エイブラムに追い付かれる。
ここは予備戦力の投入しかない。
「後方に待機させていた地上部隊……いや、対空部隊を迎撃に向かわせろ。一撃を加え前衛を崩したのち、地上部隊もミルディンに撤退せよ」
霧中で伏していた対空部隊が動き出す。
霧が晴れ、その雄姿が陽光に照らされる。
艦隊が上空を通過し、代わって対空部隊が前に出る。
敵影が見えるのをじっと待つ。
うっすらと小さな影が見える。
まだ撃つには早い。
艦の先端が、砲口を視界に捉えた。
「撃て!」
隊長が吠えた。
命じられるがままに、対空砲が火を噴く。
銃弾は空に向かって飛び立つ。
火力の壁が艦艇を押しつぶす。
黒煙を上げてふらつく船
僚艦に不幸なキスをして戦場の華と化す。
「前衛が乱れている任務完了。撤退!」
対空部隊も艦隊のあとを追って、戦場に戦果を添えて引き上げた。
******
ミルディン航空軍基地 執務室
アンブローズは無事に帰還を果たした。
果たしてここに先に到着するのはエイブラムか、それともムスペルヘイム軍か。
ムスペルヘイム軍には、アンブローズが挙兵する際に連絡を入れてある。
それが要塞線占領の合図だった。
反乱軍の敗勢はすでに向こうにも伝わっているだろう。
じきに南部に彼らの大軍がなだれ込んでくることは間違いない。
もはや要塞線という守りやすい防衛拠点を失った以上、広い南部を今のイルダーナ軍で守り切ることは不可能と言ってもいい。
イルダーナ軍にできることといえば、アンブローズ旗下の戦力を原隊復帰させるぐらい。
そしてアンブローズは処刑されるだろう。
「無様な姿をさらしたくないな……」
席を立ち、部屋の外に立っている警備兵を呼んだ。
「アンデルスを呼んでくれ」
そそくさと上官のもとへ向かう兵士。
中将であるディートハルトと比べて階級が低すぎるため、自身が直接呼ぶのは失礼と考えたのだろう。
アンブローズは部屋に戻り、椅子に腰かけた。
机の引き出しを見る。
中には1丁の拳銃。
弾倉を確認する。
弾は入っている。
それらを片付けて、引き出しは閉じられた。
ドアを叩く乾いた木の音。
「アンデルス中将をお連れしました」
先ほどの警備兵の声。
「入れ」
扉のきしむ音。
口を開けてしゃべろうとするディートハルト。
それを右手を挙げて制する。
「定型文はいい」
「失礼しました」
「私の代行を任せたい。政府軍が来たらすぐに降伏しろ。これ以上は無駄な争いでしかない」
一瞬の間。
ディートハルトは理解した。
「ムスペルヘイム軍が来たらいかがしましょう?」
「そのときも同様だ。勝ち目はない」
もとよりムスペルヘイムとの戦端を開いた時点で、勝機は失われている。
と、心の中で付け加えた。
「本当によろしいのですか?」
無言でうなずく。
「下がっていいぞ」
「失礼します」
「迷惑をかけた。すまない」
ディートハルトが立ち止まった。
しかしすぐに、振り向きもせずに歩き出した。
再びきしむ扉。
開かれる引き出し。
弾倉を銃に戻し、撃鉄を起こす。
「ダスティン、アルバート……何もできず、何者にもなれなかった、愚かな自分を許してくれ」
果たしてダスティンが生きていたとしても、戦いを制したとしても、2人は味方をしてくれただろうか。
もはやそのようなことはわからないし、どうでもいいことだ。
銃口を頭に突き付ける。
ゆっくりと確実にトリガーは引かれた。
響く銃声、飛び散る赤。
残響が部屋を震わせ、鮮血が壁のシミを更新する。
扉が開かれ、警備兵が駆けつける。
虚ろな目が兵士を捉える。
そこに光はなく、強固な意志の抜け殻があるだけ。
「ご遺体は国旗とともに燃やせ」
部屋の外のディートハルトが言った。
上官の無残な姿など見たくない。
その心情は誰の目にも明らかだった。
「後始末だけ任せて、先に逝くだなんて……ずるい人です」
大きな体に似合わない、小さな声で呟いた。
任された仕事をこなすために、彼は通信士のところへ向かった。
指揮権を引き継いだことを伝える。
そのことだけが彼の原動力だ。
******
そろそろエイブラムの艦隊がミルディンに差し掛かろうという頃、彼のもとに電報がもたらされた。
「反乱軍が降伏を申し出ましたか。それに武装解除まで済ませているとは……」
対処を考えているうちに、新しい電報がもたらされた。
ネヴァン要塞をムスペルヘイム軍が占領し、イルダーナ南部に侵攻を開始したという情報だ。
もたついてはいられない。
「降伏を受理する」
艦隊はミルディン基地の湖に着水した。
エイブラムは護衛とともに基地に降り立った。
「お待ちしておりました」
「出迎えありがとうございます、アンデルス“さん”」
暗い目でエイブラムを見つめる。
「基地の重要書類はすべてこの中に、他は処分しました」
彼は黒塗りのトランクを手渡した。
護衛がそれを受け取るのを躊躇する。
自爆するつもりかもしれないという懸念がそうさせた。
「受け取ってください」
エイブラムの命令を受け、恐る恐るそれを受け取った。
中身を見て、それが本当に書類だとわかると、小さく安堵の息をついた。
「艦隊も地上部隊も移動の準備はできております。全員に降伏する旨を伝えて、移送に備えております」
「準備がいいですね。ところで、ベックフォード氏はどこに?」
ディートハルトがさらに暗い顔になる。
「他の世界に遠征に行っております」
「そうですか……」
眉をひそめる。
「あなたの身柄は拘束させてもらいます。よろしいですね?」
「いえ」
彼が何かを口の中で噛み砕いた。
「服毒か!」
ふらふらとよろめくディートハルト。
口からよだれを垂らし、地に伏した。
「医者を呼んでください!」
周りが騒然とする中、彼はうわ言のように言った。
「自分だけ……虜囚にならないなんて……いけません……よ……」
医者が来た頃にはもう息はなかった。
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