タラニス動乱

340年4月27日


 イリーナ・アハトワはニブルヘイムの諜報機関ニズヘグの長官室にいる。

彼女は亡命して以来、ニズヘグ勤務となっている。

そして今、彼女は長官であるバッヘムに呼び出されてここに来た。

彼は固そうな椅子に腰かけ、眼鏡越しに細く鋭い目で彼女を見つめている。


 表情を見せずに、真一文字に結ばれた口が開かれた。

「最近、イルダーナ内部で軍部の一部が皇帝との対立が先鋭的になっている。この戦況もあって、クーデターが起こる可能性もある。そこでアハトワ君、軍部の情勢を諜報してほしい。もしクーデターを画策しているのなら、それを陰から支援するように」

陰からということは、クーデター勢力とは接触せずに、独自に動けと言うことだろう。

「了解しました」

「期日は1年だ。ただし何らかの動乱がイルダーナで発生した場合、速やかに帰国して報告書にして提出しろ」


******


1週間後


「陛下、原稿のご確認を」

「いや、必要ない。言うべき言葉はわかっている」

ブルーノは側近が用意した原稿を目を通さず、礼装に身を包んでバルコニーにその姿を現した。

彼は士気高揚のために、首都タラニスの王宮前広場に国民を集めて演説をする。


 バルコニーにブルーノは姿を現した。

太陽が勲章をよりきらびやかに飾り立てる。

「臣民諸君、来てくれたことに感謝する。我が国は現在苦境に--」


 鮮烈な爆音。

それは国民の鼓膜を不愉快に刺激する。

突如、街の一角から煙が天を目指して立ち上る。

騒然する広場。


「陛下、こちらへ。安全なところへ避難しましょう」

狼狽する臣下の壁を割って、一人の側近がブルーノの袖を引いた。

彼はそのまま宮殿の中を、誘導されるがままに宮殿を駆け抜け、出入り口に止めてあった車に、半ば強引に押し込められる。

彼は少し口をへの字にするが、不満は口にしない。

「安全なところまで移動します」


 そう言って運転手はアクセルを踏み込んだ。

窓からは日常が流れていく。

市民はまだ状況を理解できていない。

爆発地点に近いところにいた人くらいしか、何が起きたかわかっていないのだろう。


 車窓から見える景色から、建物の密度は失われ、いつの間にかタラニス郊外にでていた。

「どこまで行くんだ?」

「もう着きましたよ」

運転手が冷たく言う。

扉が開かれる。


 ブルーノが車から降りたそこは、荒涼とした大地が広がる荒地。

あるものと言えば、そこらへんに転がっている岩ぐらいのもの。

来た道を見ると、先にあるのは大都市タラニス。

反対側にあるのは、イルダーナの防衛線のひとつ、ヴァハ要塞線。

その先にはルーン帝国がある。


「なぜここなんだ」

「人知れず消えていただきたいのでね」

問いに答える見知らぬ声。

いや、知らないわけではない。

聞き馴染みがない。

一度だけ聞いたことがある。


「新しい師団はどうなっている、カーライル少佐。出征時は少尉でありながら、本国に帰ったら少佐か、見事なものだよ」

「師団は移送したのち、訓練を受け、タラニス郊外に展開しています」

カーライルが拳銃を懐から取り出す。


 それをブルーノに突き付けて言う。

「最期の言葉は?」

「なぜわざわざここで殺す?」

意図せぬ質問に、カーライルは面食らったが、すぐに持ち直した。

「確実に仕留めるためです」

「ならば予が車に乗る時にでも殺せばよかった。車に爆弾を仕掛けて乗ろうとしたタイミングにでも起爆すればいい」

「その方法だと周りに被害が出てしまいます」


 ブルーノが鼻で笑った。

「何かを犠牲にしてでも事を成す気概はないのか? あの場で殺せば、貴様らが堂々と素知らぬ顔で臨時政府を開いてもなんら問題はなくなる。味方であるはずの、車までの誘導係の人が死んでいるのだから、怪しむものは少ないだろう」

どうせ軍の要人が動いているのだろう、と付け加えた。

「度胸も自己犠牲の精神もない人間が、予にとって代わろうとするなどおこがましいのだよ!」

「黙れ! コールマン主義に背いた分際で!」

激昂したカーライル。


 初めてブルーノに謁見したときのことを思い出した。

自分の信じていたコールマン主義がけがされたあの時のことを。

自分は崇高なコールマン主義の守護者。

目の前にいる男はその冒涜者。

引き金にかかる指に力を加える。


「コールマン主義万歳!」

荒野に響く銃声。

それはブルーノに向けられた銃から発せられたもののはずだった。

現実は手を押さえるカーライルがいる。

地面に拳銃、彼の赤いもの。

カーライル自身も何が起きたかわかっていない。

「誰だ!」


******


演説の5時間前


 ブルーノが演説を行う。

そのことをイリーナはそれを新聞で知った。

聞いておいて損はないだろう。

彼女はそう思い、事前に用意していたイルダーナ軍の少尉の軍服に袖を通した。


 イルダーナでは女性の士官もわずかながらに存在する。

イリーナが軍服を着ていても、好奇の目で見られるだけで、不審がられることはない。

胸ポケットを探り、しまっていたパスケースを取り出す。

そこにあるのは軍籍を示したカード。

これがなければ軍の施設に入ることはできない。

それに身分を問われたときにも有効だ。


 拠点にしているアパートの2階の部屋を彼女は後にした。

鍵を閉め踵を返すと、そこから見えるのはタラニスの景色。

少し黄色がかった建物がお利口に整列している。

都市作りの計画性が窺い知れる。

美しい街を見渡しながら、路地の配置を覚えていく。


 通りが整理されているため、非常に覚えやすいと思いつつ歩いていると、王宮の正門前にたどり着いた。

正門の先には広場があり、そこでブルーノの演説が行われる。

かつてブルーノが即位、共産圏への宣戦布告を宣言した場所でもある。

王宮と通りの間には、水路が流れていて、その間は橋が架けられている。。

水路の底がかすかに見え、淀んでいないことから清掃は頻繁に行われているのだろう。


 イリーナは裏門も見ることにした。

広大な面積を誇る王宮をぐるりと1周。

すると正門に比べてひっそりとした裏門が姿を現した。

そこへ入っていく数人の軍服の人物たち。


 いや、違う。

服が蜃気楼のように揺らいでいる。

幻視だ。

眼球の神経を収斂させ、集中を剣のように研ぎ澄ます。

揺らぐ軍服は虚偽のベールを脱ぎ捨て、リアルを白日の下にさらした。

その姿は王宮に入るにはふさわしくない、単なる私服だった。


 幻視を使える魔術師は限られている。

それだけ高度な魔術ということだ。

私が知っている中では、ホルスにいた頃に指導してくれた先生と、エフセイぐらいしか知らない。


 もしかして。

そんな希望を抱いて数人の人たちを見つめる。

魔術で視力を強化して、ひとりひとりの顔を覗き込んでいく。

あった。

確かにそこにあった。

エフセイがいる。

革命が起きたあの日以来、あの顔をだ。


 年齢の割に子どもっぽい顔。

黒いくせ毛。

大きな耳。

目尻が垂れた茶色い目。

筋の通った鼻。

柔らかそうな薄い唇。

エフセイは生きていたんだ。

イリーナは遠くに見えた希望をただそっと胸に抱いた。


******


 荒野に響き渡る1発の銃声。

手のひらから零れ落ちる拳銃。

足を震わせ、右手を押さえてうずくまるカーライル

「誰だ!」


 彼の鋭い視線の先には、イルダーナ軍陸軍の下士官の軍服を纏う男が直立している。

その男、さらに周りの下士官の姿が湯気のように揺らぐ。

幻想と現実の境界をおぼろげにした蜃気楼が失せる。


 そこにいるのは統一性の欠片もない私服の男たち。

「舞台はクライマックスへ。カーテンコールは何人か不在だけどね」

「彼の言う通りだ。君ら賊軍はカーテンコールにお呼びではない」

ブルーノの凍てついた目線が、うずくまるカーライルの目を、鼻を、唇を刺す。


「状況がわかるか?」

ブルーノの問いに首が座っていないかのような様子で横に振る。

「君たちは仲間と会いすぎだ。そこから怪しまれると考えたことはないのか?」

うなだれるカーライル。

「そのことはルーンも気づいていたんだよ。イルダーナの友好国というだけあって、何人かルーンの関係者もタラニスに滞在していて、そういう情報は流れてくるんだよ」


「それでもなぜルーンの諜報員がここにいる! 諜報員も憲兵もこの国にいるじゃないか!」

にわかに力を取り戻したカーライルだが、その目に光はない。

「姿を変えられる人間はこの国にはいないようなんで、招待されたわけだ」

「そういうことだ。制御できる範囲で謀反を起こしてもらって、敵対する人間を炙り出したかったのだよ。おかげで誰が敵かわかった、ありがとう、カーライル君」

「こんなの間違ってる! 外部の力を借りて維持されるコールマニズムにどれほどの意味がある!」

「夢を見すぎだ、凡人が。貴様はここで朽ちろ!」


 荒野に響く2発目の銃声。

顔を地に伏せ、頭から赤いものを小川のように垂れ流している。

「タラニスに帰る。運転を頼む」


******


 バートレット大将が陸軍省大臣室で腰かけている。

彼自身は大臣ではない。

ブルーノが宮殿を後にしたという情報が入ると、私兵を使って武力で占領した。

当の大臣は別室に監禁されている。

他のクーデター派の者も、タラニスの要所を占拠し、首都防衛軍は市街地に至る街道に布陣している。


「軍の要人がCDFと手を組み、陛下を害し、反乱を起こした。我々は鎮圧ならびに治安維持のための特別行動を開始する。繰り返す――」

放送局を占拠した部隊が、市民向けに放送を行っている。


「カーライルからの報告が遅いな……」

人目につかずにブルーノを殺害するために、わざわざ人気のないところまで移動させた。

そのせいで遅くなるのはわかる。

しかし時間がかかっている。


「閣下、タラニス近郊にいるCDF8個師団がこちらに向かっています!」

副官が危急を伝える。

「8個師団とはいっても定員割れを起こした、しかも他の国の兵隊だ。士気は低いだろうし、首都防衛軍で十分対処してくれるだろう」

念のためと言って、バートレットは首都防衛軍司令部へ自宅に待機させている私兵を援軍に差し向ける用意がる、と受話器を取った。

が、彼はそれをそっと置いた。


「アルバーンの身柄はどうなっている?」

CDFの司令官の行方を尋ねる。

「CDF本部を占拠したのですが、アルバーンCDF大将の姿はありませんでした」

なぜ事前に脱出できた、なぜCDFが動いている、誰が動かしてる……

思考がひとつの答えに巡り合った。


「この計画は漏れていた! 事前に脱出したアルバーンが指示を出しているんだ、そうに違いない」

蒼白。

多汗。

事態が危機的なことに気付いた彼に、冷静さなど不釣り合い。


「放送局に連絡だ。純血のイルダーナ人の優秀さを全国に喧伝してくれ。要塞線にいる者にもだ。あそこにはイルダーナ人のCDF師団がいる。それが動けば事態はマシになるだろう」

「わかりました」

「先帝陛下は反逆者の末裔でホルス生まれだ。逆賊と劣等民族の血が流れた皇帝などに……」

部屋を出る副官の背中に、呪詛のように投げかけた。


 放送局がバートレットの意向を受けた放送をしている頃、ブルーノはタラニスの郊外に到着していた。

「このまま車で王宮まで向かってもらおう」

「危険ですよ!」

運転手のまっとうな制止に、ブルーノはため息をつく。

「予はこの国の皇帝である。徳をもって、道を切り開くまでのことだ」

強固な意志の前に抗う術はなく、運転手は命じられるがままにアクセルを踏み込む。


 不気味なほどに静かな通りを車がただ一台駆け抜ける。

街路樹も心なしか、暗くしおれたように映る。

しばらく車を走らせると、装甲車を道路の端に寄せ、首都防衛軍の兵士たちが道路を封鎖している。

検問所のようなものだろう。

車は兵士の前で緩やかに停車した。


「身分証の提示を」

検問の兵士が言う。

「汝らは君主の顔を知らないのか? 予はこの国の玉座に座ることのできる、唯一の存在である」

兵士がブルーノの顔をじっと見つめる。

だんだんと顔が青ざめ、瞳孔が見開き、鼻息が荒くなる。

「し、失礼しました!? 陛下とは知らずに無礼を働き、大変申し訳ございません!」

「貴官は己の任を果たしただけだ、気に構うことはない。それと、無線を貸してくれるか?」


 他の首都防衛隊員に、自らの帰還を伝えたいと言って、無線を受け取った。

「全防衛隊員に告ぐ。汝らの主君が帰還した。これより総員は予の指揮下とする。路上にいる者は王宮前に集結せよ! 官庁にいる者は持ち場の大臣室にいる者を捕縛せよ!」

無線を兵士に返すと、ブルーノは車に戻り再び走り出した。

先ほどの兵士たちも装甲車に乗り込み、それに続く。


「王宮に向かえ。臣民に無事を伝えなければ」

騒然とする市街地を車が走る。

先ほどの命令を受けて、各地にいる兵士が狼狽しているのだ。

さらに、事前に指示を与えていたCDFが市街地への突入を目前にしている。

後続の兵士は、無線で先ほどの命令の順守と、ブルーノの生存が真実であることを訴えている。


 市街地の検問所にいた兵士たちも加えて、兵力を増やすブルーノ。

王宮に着いたときには、先に王宮前にいた兵士と合わせて数百人規模にまで膨らんでいた。

「総員、突撃!」

雄たけびを上げて突入する兵士たち。

自分たちを賊軍に仕立て上げた者たちへの復讐の時間である。

王宮の内部から扉が開かれる。

ここにはブルーノの味方だけだ。

大義が失われた反乱軍に味方するものは一人もいない。

その証しとして、王宮内で発砲音が全く聞こえない。

反乱は静かに、確実に終息した。


******


340年5月5日夕刻


 王宮の裏口は即興の公開処刑場と化した。

反乱に加担した幹部が手錠、足枷を付けて立たされている。

一様に立つ足に力はなく、腕は後ろに、目に生気はない。

その様子をイリーナは見ている。


 彼女は演説を聞きに広場に行ったが、爆発音の後は自宅に帰って待機していた。

ラジオで公開処刑のことを知り、ここにやってきたわけである。

処刑人たちがライフルを構える。

その先にはすでに死んだような顔の者たちがいる。

「撃て!」

発砲。

次々に地に伏していく。

彼らの末路を見届けると、イリーナはそそくさと自宅へ戻った。


 ニブルヘイムに帰って、報告しなければならない。

イルダーナが他国の諜報機関と手を組んでいる。

その他国とはおそらくルーン帝国。

没落した帝国が何かを画策している。

そのことを報告しなければならない。


 王宮では執務室で、ブルーノが処刑終了の報告を受け取っていた。

「そうか」

なんの感傷も抱くことなく、その旨が書かれた書類に、確認のサインを記入した。

前触れ一つなく、扉が開かれた。

開けたのはシェリンガムだ。


「陛下、ベックフォード将軍が我が国南部の領有を宣言しました」

「現状は?」

知っていたかのように、冷静な反応をするブルーノ。

「中部への侵攻が始まっています。誰を向かわせますか?」

「エイブラムに任せる。要塞線の守りはベアード将軍に」

動乱はいまだ終わらず。

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