エギル=ハールヴダンの戦い

「モリガン要塞線の攻略は可能かということだが、極めて困難といえる。なぜならイルダーナ軍の大半がかの地に集結している以上、いくら我が方が戦力を有しているとはいえ、狭隘な地形での戦闘ではその優位性を発揮できないからだ」

アルフレートがこの方面を任されたムスペルヘイム軍の指揮官、中央大陸派遣軍司令官コルネリウス元帥に語った。

「仰る通りです。しかし要塞線を突破しないことに、我が方の最終的勝利はありえません。要塞線を突破し、イルダーナを屈服させるのです」

アルフレートはわかっていた。

彼はモリガン要塞線を巡る戦闘に勝てるとは思っていない。

モリガン要塞線で消耗戦を展開し、その隙に南方のネヴァン要塞線を突破しようという考えなのだ。

ネヴァン要塞線に展開している戦力は、モリガンより少なく、ネヴァン要塞線は長大な為、その少ない戦力では守り切れないと考えている。

さらに、その方面はムスペルヘイム軍単独で担当しており、南方での勝利を全体の勝利に結びつけることで、戦後処理を自国優位に進めようと画策しているのだ。


 しかし、アルフレートとしては、モリガン要塞線を攻略しないことに、勝利はない。

「しかし、いずれは攻略に取り掛かることは避けられない。それと、ひとつ気になる情報が最近入った。どうやらイルダーナ軍が反攻を計画しているそうだ」

「まさか、要塞線の内側に籠っていれば負けることはないというのに、わざわざ出てくるというのですか!」

訝しむ顔でコルネリウスは言った。

「こちらの者が掴んだ情報だ。勘案するに値する内容だと思うが、如何に?」

「確かに、イルダーナ軍は主力を温存しており、攻勢に出る余力はあります。ですが、この時期に攻勢に出る意味はないのではないでしょうか?」


 意味を考えるのはイルダーナだ。

コルネリウスは純軍事的思考ではなく、政治的に動いているのだ。

「しかし、念には念です。そちらの言う、要塞線攻略の準備を兼ねて防衛の備えもしておきましょう」

ここで2人の会談は終わりをみた。


******


340年4月10日 タラニス宮殿 謁見の間


「卿は予に負けを認めろというのか?」

「いえ、そういうわけではありません陛下。講和を提案しているのです」

ブルーノとアンブローズの間に険悪な空気が流れる。

「戦争目的をわかった上で言っているのか! イルダーナ人による大陸統治と共産主義者とホルス人の絶滅の実現こそが勝利だ。そんなことも理解せずに、わざわざ南方から来たというのか?」

アンブローズはブルーノに呼ばれたわけでなく、謁見を申し入れたのである。

「現状でもホルスを壊滅に追い込みました。そしてこちらは主力が温存されています。しかし、これではニブルヘイム、ムスペルヘイムを討つことは困難です、しかし、敵も同じです。ここで講和して、次の戦争に備えるのです」

「黙れ! 次の攻勢で敵主力を討ち、戦争の帰趨を決める! ホルス、ムスペルヘイム再侵攻とニブルヘイム侵攻を実行し、勝利を手にするのだ!」


 この男はわかっていない。

アンブローズはそう感じた。

ムスペルヘイムの物量を知らないのだ。

勝利を重ねても、損失を補填して物量の壁が押し寄せてくる。

そのことがどれほどの恐怖か理解していないのだ。

「卿と話すことはもうない。持ち場に帰れ!」


 アンブローズは何も言わずにその場を後にした。

謁見の間の扉が閉まりゆく中、彼は言った。

「我が国は負けだ!」

扉が閉まる音が返事のように響いた。

タラニスを敵軍が蹂躙し、焼き尽くす日がいつか来る。

彼はそう確信した。

そう思ったところで、いったい何ができるか。

そこに思いが至ったが、結局できることは敗戦を引き延ばすこと。

そのように考えることしかできないのである。


「閣下」

そう呼び止めたのはバートレット大将である。

「すこしよろしいですか?」

拒む理由はないのでバートレットについていった。

彼を見ていると、この国の軍部のパワーバランスを感じざるを得ない。

彼は陸軍大臣に次ぐ陸軍の幹部、地上での作戦立案の最高責任者というべき人物である。

にもかかわらず、航空軍の一方面軍の司令官でしかないアンブローズよりも階級が下なのだ。


 この国では航空軍が陸軍よりも優位ということだ。

2人が車に乗り込むと、バートレットが話を切り出す。

「閣下が陛下の戦争指導に対して疑念を抱いていることは存じております。その上でお聞きします。この国が滅亡の危機に瀕している。そう感じませんか?」

まるで先ほどのやり取りを聞いた上での発言に聞こえる。

「国土が焦土と化し、国民が死に絶える、そんな状況を変えたいとは思わないですか?」

「そうは思う。しかしそのようなことはできない。陛下の意思は極めて固い。それを捻じ曲げることなどできるものか」

バートレットは答えを予知していたかのように、眉ひとつピクリともしない。

「何も陛下を動かす必要はありません。”我々“が変えるのです」

「クーデターか!」

「その通りです。忠義にもとる行為ではありますが、救国の為、国民の為を思えばやむをえません。閣下、ご決断を」


 ここまで大胆な発言をしておきながら、バートレットは冷静さを微塵も失っていない。

興奮することもなく、淡々とアンブローズに語り掛けている。

アンブローズはそのことに驚嘆した。

この男なら変えられるかもしれない。

ならば答えはひとつだ。

「参謀総長、貴官の同志となりましょう」

「これで救国に近づきました」


******


バートレット邸


「大陸中央に向けて、大規模攻勢が行われることが決定した。この作戦は極めて投機的で、

失敗した場合、軍事バランスが一挙に崩壊することもありうる。作戦遂行前に、皇帝ブルーノを討つ!」

バートレットが妙に熱く語った。

聴衆はカーライルを除いて大物ぞろいだ。

戦備の調達、生産を統括する軍需大臣、基地航空隊総監、首都防衛軍司令官、航空軍と陸軍の統括を行う統合作戦司令部の副部長、本国南方軍集団司令官アンブローズ、そして陸軍総参謀長であるバートレットという面々である。


「しかし、どのように討つというのです?」

統合作戦司令部副部長のエインズワース中将が尋ねた。

「1週間後、列車に乗ってモリガン方面へ出征する兵士をタラニス中央駅で激励して、その列車で、皇帝も前線に赴く予定だ。途中の橋に爆弾を仕掛けて、それによって爆殺する。皇帝が何両目に乗るかは把握している」

ブルーノに対して敬意の欠片もない口調で述べた。

「爆殺後は連絡を受けた首都にいる実働部隊が要所を制圧し、南方でベックフォード元帥が艦隊を率いて北上し、北部を平定する。以上が作戦計画となる。何か質問はあるか?」


 アンブローズがすっと手を挙げた。

「南方の守りを手薄にしては、ムスペルヘイム軍を防ぎきれません」

「大丈夫です。ネヴァン要塞線とその周辺地域をムスペルヘイムに割譲して停戦する用意があります。すでに現地のムスペルヘイム軍指揮官に話を通しております」

事実上の敗戦である以上、領土の割譲はやむなしかとアンブローズは思った。

「ではここでお開きにしましょう」


******


 会議の翌日、アンブローズ、前線指揮官であるアルバート、エイブラムがブルーノのもとへ召集された。

大規模反攻作戦の最後の打合せだ。

前線指揮官の2人には、ブルーノがじきじきに前線に行く為、わざわざ呼び出す必要はないのだが、南方にいるアンブローズを交えて話すことができない為、このような形式をとった。

その打合せの中で、アンブローズの南方艦隊について触れることはなかった。

アンブローズはもはや軍部の中で重きを為さないことをわからしめようということだ。


 打合せが終わって退出し、アンブローズが足早に去った後、アルバートがエイブラムに言う。

「アンブローズと陛下の間がおかしい。そう思わないか?」

エイブラムは無言で頷く。

「陛下にアンブローズのことを聞いてくれないか? 私はアンブローズと直接話す」

「わかりました。あと、軍部内に陛下によからぬことを企てている者がいるそうです。貴官も軍の要人で、非常時にも動くことになるであろう存在なので、ご用心を」

「私がその反逆者かもしれないとは思わないのか?」

エイブラムがふと唇を緩ませた。

「あなたはまっすぐで純粋な性向の持ち主です。現に友人の為に動いていますからね。そんな貴官は反逆といった行為を忌み嫌うことでしょう」

「ずいぶんと買いかぶられたものだな。忠告感謝するよ」

2人はそれぞれの目的の為に別れた。


******

「アンブローズ!」

アルバートはアンブローズのあとを追いかけて呼び止めた。

「ただ国家の利益の為にしたことを陛下が理解なさらなかっただけのことだ。それ以上でもそれ以下でもない」

アンブローズはそう語った。

「フェンサリル放棄のことか? それは正しい判断だと思う。陛下だってわかってくれるはずだ」


 そう言った途端に彼の表情が変わった。

「わかるものか! 陛下はゲリラ屋なんだ! ゲリラ屋に戦争全体の戦略がわかるものか!」

「待て! その発言は不敬罪だ、撤回しろ!」

アンブローズは何も言わずにその場を後にした。

「アンブローズ……」

アルバートはもうかける言葉を持ち合わせていない。

「変な気を起こすなよ」

ただそれを独り言としてつぶやくしかなかった。


 それから6日後、タラニス中央駅で出征する兵士たちを激励するブルーノの姿があった。

兵士たちが列車に乗り込んでいく中、ブルーノは艦隊の停泊している湖へ車で向かった。

6日前、エイブラムに反政府勢力によるテロの可能性を諭され、このような形にしたのだ。

こうしてバートレットの作戦は失敗に終わったが、まだ彼らは諦めていなかった。

爆破する予定だった列車に揺られた兵士たちは無事に前線基地に到着した。


 そしてその日の次の日の未明、作戦は発動した。

エイブラムとアルバートを指揮下に置いたダスティン率いる大艦隊がエギル方面へと出撃した。

暗く、冷気が支配する4月の空へと凶鳥が舞う。

暗い空を舞うそれを、ニブルヘイムの歩哨が捉えた。


「敵軍襲来!」

ニブルヘイム、ムスペルヘイム両軍に情報が伝わる。

「敵はエギル方面に進出か……。我々のいるハールヴダンの補給を遮断、包囲殲滅を狙った動きと見た」

ハールヴダンはニブルヘイム、ムスペルヘイム軍が駐留している基地である。

ホルス軍はというと、ハールヴダンの後方で待機している。

後詰という名目で後方に追いやっているのだ。

ニブルヘイム、ムスペルヘイムから足手まといと思われている証左である。


「では決戦といきましょうか」

コルネリウスが提言する。

アルフレートは頷いた。

「指揮は卿に任せる。艦隊戦力が不足しているだろう、こちらのベーレント艦隊、バルテル艦隊を指揮下に預ける」

「了解しました。直ちに出撃いたします」

そう言ってコルネリウスは踵を返した。


「我々は’決戦‘の勝利の鍵ということですね」

傍らに控えるラッシが言った。

「ああ、その通りだ」

ラッシを疎ましそうな目で見ている者がいる。

ヒルデブラントだ。

彼の目にはラッシがアルフレートにご機嫌取りしているように映っている。

言わずともわかることをいちいち言葉にしている。

ヒルデブラントには不愉快で仕方ないのだ。


 我が国に太鼓持ちは不要、優れた集団によって統治されるべきである。

その為には愚者を排除し、組織の浄化を行わなければならない。

彼はそう心に決めた。


******


 ムスペルヘイム軍陣営では、誰を前線に派遣し部隊を指揮させるかを協議している。

コルネリウスはこの方面のムスペルヘイム軍最高司令官という立場を鑑みて、今回の戦闘は後方で見守るということにした。

その為前線で実戦指揮を執る者が必要ということだ。

「閣下、フォン・ヘルツォーク中将はどうでしょうか?」

アルトゥールがコルネリウスに進言した。


 ウルリヒ・フォン・ヘルツォーク中将は艦隊司令官のひとりで、その中では若手の部類に入る。

若手ではあるものの、イルダーナがムスペルヘイムに侵攻したビフレストの炎上作戦の際、艦隊と地上部隊の撤退を援護するなど、厳しい戦局を潜り抜けてきた優秀な将軍である。


「しかし彼は若すぎやしないかね」

「ですが能力はあります。他の艦隊司令官が彼に従わないのなら、それは軍の秩序を乱す敗退行為として処罰されるべき存在です。我が国に、皇帝陛下に忠誠を誓ったムスペルヘイム軍人ならありえません」

暗に否定することを封じ込めたアルトゥール。

このように言われると誰も反論できない。


「わかった。ヘルツォーク中将に指揮を任せる」

「小官が直接お伝えしてきます。推薦者として激励しておきたいので」

アルトゥールは転送装置に消えた。

一瞬のうちにヘルツォーク艦隊の旗艦ベイラに着いた。


「ヘルツォーク提督、貴官に連絡だ」

迎撃戦の司令官に任命されたことを伝えると、当惑を顔いっぱいに表現していたが、任されたことの重要性、自身への信任を理解すると途端に自信に満ち溢れた表情に塗り替わった。

「謹んで承ります」

そう答えたヘルツォークにアルトゥールは耳打ちした。

「貴官を推薦したのは私だ。日頃若輩ゆえに上層部に軽視されているが、私は年で判断しない。私とともにあるならば貴官の栄達を約束しよう」

そう伝えると彼は転送装置に入って場を去った。


 私とともにあるのなら。

意味深な言葉がヘルツォークの頭に響きわたる。

皇帝の方針に反発するアルトゥールが現体制に対して反旗を翻すのではないか。

この国で動乱が起きようとしているのか。

もしそうならどちらに与するかで自らの命運が左右される。

起きるのかどうかもわからないことよりも、まずは迫りくる敵軍の対処が先だ。


 不確定な未来から形となって目前にある現在に頭を切り替えた。

敵の戦力は相当なものである。

イルダーナ軍の艦隊戦力はアルバートの5個艦隊、エイブラムの6個艦隊である。

ただしアルバート艦隊の地上部隊はグリトニルの戦いで損耗し、エイブラム艦隊の地上部隊もバルジからの撤退戦で戦力を大幅に減衰している。


 対してニブルヘイム軍の戦力は6個艦隊、救援に来るニブルヘイム軍のベーレント艦隊とバルテル艦隊の15個艦隊である。

ニブルヘイム軍が到着するまでの間、イルダーナ軍の攻勢に耐えることができればニブルヘイム・ムスペルヘイム軍の勝利は確実といえる。

数で劣るムスペルヘイム軍がイルダーナ軍に勝っている点は地上戦力の数である。

個々の兵器の性能ではイルダーナが優れていても、圧倒的な物量の前にはそのようなものは無力な子羊に過ぎないのだ。


「機甲師団を正面に、その後ろに対空戦車部隊、さらにその後ろに高射砲部隊を展開させて航空隊はいつでも離陸できるように! 航空艦隊は後方で地上部隊の援護に徹しろ! 絶対に連中の艦隊と張り合うな!」

ヘルツォークの指示通りに地上部隊が布陣し、艦隊は後方に下がった。

「接敵まで5秒!」

通信兵が索敵担当の魔導士からの報告を連絡する。

緊迫がブリッジを、各艦の砲台を、戦場を包み込む。


 「撃て!」

ほぼ同時に主砲が火を噴いた。

前衛の戦艦のシールドが崩壊する。

その隙を狙ってすかさず第2斉射が襲い来る。

シールドの再展開が遅れた艦は正面を吹き飛ばされ、ただの鉄くずと化していく。

 

 艦隊戦力で勝るイルダーナ軍が前線を押し上げると、そこには無数の対空砲と対空戦車師団が待ち構えていた。

機関砲の嵐がイルダーナ艦隊を襲う。

無防備な底面を晒していた艦は弾薬庫が炎上し、鋭い角度で急降下を始め、そして地面とキスをした。

艦隊は後退し、遠方からの砲撃戦に切り替えた。

艦隊を下げさせた対空部隊もただでは済まない。

後退する際の戦艦の機銃掃射が戦車や砲を容赦なく薙ぎ払う。


 そしてイルダーナ軍の機甲師団が間隙を縫って突撃を行う。

履帯が春の地面を力強く踏みしめ、戦場を駆け抜ける。

敵を射程に捉えると、砲弾が装填済みの90ミリ砲の照準定め、狙いすました必殺の一撃を叩きこむ。

ムスペルヘイム軍の戦車はきれいに砲塔を撃ち抜かれ、その機能を一瞬のうちに4月の平原にうち捨てさせられてしまった。


 対空部隊を護衛する機甲師団が迫りくるイルダーナ機甲師団の前に躍り出る。

そしてすかさず弾幕のように絶え間ない主砲の雨を降らせた。

鉄の雨の中で対抗すべく砲弾を撃つ。

しかし物量に押し切られたように、じりじりと後ろへ下がっていく。


 熾烈な戦闘が繰り広げられている中、ヘルツォークは違和感を感じた。

相手に決戦を行う気概を全く感じないのだ。

少し抵抗を受けただけで退いてしまう。

「まさか陽動か……」


******


「陽動作戦だと思われます」

ヒルデブラントがアルフレートに言った。

「陽動?」

「はい。ハールヴダンはイルダーナとの国境地帯を窺える位置にあります」


「そこを無視してエギルに進出することは、イルダーナにとって本国からの補給路を遮断される危険性が高い。イルダーナ軍の作戦は艦隊決戦と見せかけてハールヴダンから主力をおびき出して、奇襲を仕掛けてこちらの補給拠点を破壊、そしてこの地域での継戦能力を奪って後退させる。そうではないのか?」

「その通りでございます、陛下」

「直ちに迎撃態勢をとれ! 艦隊と航空隊は離陸して離れたところで上空待機しろ! 我々も行くぞ」


 一方、策を見破られたとも知らずにブルーノ率いる別動隊がハールヴダンを目指して進撃している。

「まもなくハールヴダン湖を射程に捉えます」

副官からの連絡を受け、身構えるブルーノ。

「陛下、敵の姿はハールヴダンにありません!」

「まさか、動きを読まれたと!」


 そう言っているブルーノを後目に、索敵担当の魔導士が副官に耳打ちした。

「3方面からこちらに敵艦隊と航空部隊が接近しています!」

「退け! 態勢を立て直し、正面から戦うぞ!」

死地から脱すべく、後ろに下がり始めるイルダーナ軍。

しかしニブルヘイム軍航空隊の動きはそれ以上に早い。

ニブルヘイム軍の攻撃機コメート2が艦隊に襲いかかる。

ニブルヘイムの参戦間近に各部隊に配備された新型機が、3機1組で1隻の船を狙うというやり方でイルダーナ艦隊を引き裂く。


 犠牲を多く出しながらも、なんとか後退して態勢を立て直した。

「陛下、我々の選択肢はふたつです。撤退か、それとも作戦変更です」

そばに控えるシェリンガムがブルーノに言った。

「変更する場合の作戦内容ですが、拠点を叩いて敵戦力に直接的な打撃、基地機能喪失による後退を目的を放棄して、エギルにいる敵の大規模な艦隊の撃滅のみを狙うのです」


 今回の作戦は前進基地の破壊、敵主力艦隊の撃滅である。

エギルに敵を引きつけつつハールヴダン基地を攻撃し、その後ハールヴダン方面のイルダーナ艦隊はエギル方面に転進して補給拠点を失った敵を叩くという構想であった。

エギル方面はブルーノの艦隊が作戦を遂行するまで引きつけるだけでいいので、無理な攻勢に出なかったのであった。

「こちらは陛下の艦隊とアトキンソン艦隊で敵を引きつけ、本来の陽動部隊でしたエギル方面の艦隊と予備戦力のボイエット艦隊による決戦を行うのです」

いかがなさいますかと問いかけるシェリンガム。

「作戦の変更だ。全軍にその旨を通達せよ」

「御意」


 その頃アルフレートも次の手を考えていた。

「イルダーナは奇襲に失敗した。ここでどう動いてくるかが問題だ。攻勢を継続するのか、それとも作戦失敗と判断して撤退するのか」

「作戦は継続されるでしょう。かの国の皇帝は決戦を好む性格をしています。以前陛下が交戦した際、我々に挟撃されるリスクのある行動に出て一か八かの勝負にでました。奇襲が失敗した以上、正面から戦い我々の撃滅を図るものと思われます。」

ヒルデブラントが自身の見解を述べた。

「では我々はその決戦を受けて立つということか。しかしこちらは戦力が足りるだろうか。本国がら送る増援艦隊などもはや残っていないし、間に合わない。“予備戦力”で事足りるだろうか」


 ホルス軍はこれまでの戦闘の醜態から、後方に追いやられている。

そしてその戦力は遠征軍司令官に任命され、元帥に昇進したヴァルフコフ率いる6個艦隊である。

「地上戦力ならこちらに分があります」

「だが艦隊戦力はわからないではないか。……まさかここの艦隊を動かすつもりか!」

「その通りです」

ヒルデブラントは自信に満ち溢れた、負けを知らない不敵な笑みをにやりと浮かべた。

その瞳に映るものはニブルヘイム軍の揺るぎない勝利に他ならない。

「我々が敵に勝るものといえば補給線が短いこと、航空機を使えることです。イルダーナ軍の航空機はその特質ゆえに航続距離が短く、ここから最も近いモリガン要塞線の航空基地からでも交戦することはできません」


 イルダーナ軍の航空機は離陸に必要な滑走路の長さが短くても問題ないように作られている。

イルダーナは山がちな国土なために平地が少なく、用地確保の観点で長大な滑走路を用意するのが困難である。

そこで燃料の魔力水を瞬間的に大量に燃焼させることで一気に加速し、その勢いで離陸できるエンジンを航空機に搭載しているので、イルダーナの航空機は短い滑走路でも離陸できるようになっている。

しかし離陸に大量の魔力水を消費する為、航続距離が短いという欠点もある。

そのようなことからモリガン要塞線からエギル基地まで飛行して交戦することができないのだ。


「航空戦になれば我々が負けることはありません。目前の艦隊を撃破し、そして我々も主戦場に赴くのです」

「なるほど……。航空隊に攻撃命令を出せ!」

「御意」


 アルフレートの命を受け、戦闘機が、攻撃機が滑走路を飛び立ち蒼天に翼を広げる。

航空隊が真っ先に発見したものは敵の対空部隊だ。

おびただしい数の対空砲、対空戦車が空に銃口を向け、獲物を待ち構えている。

獲物を見つけるやいなや、空を覆う鳥たちを砲火の嵐に容赦なく巻き込む。

砲火を受けた機体はくるくると空を舞い、ふらふらと力なく地に落ちた。

迫りくる砲火をかいくぐり、ニブルヘイム軍の戦闘機が機銃掃射を対空部隊へ叩きこむ。


 対空砲を撃つ歩兵が逃げる間もなくその体をずたずたにされたただの肉と成り果てた。

対空戦車は砲塔を銃弾が貫通し、跳弾が血塗れの乗組員を生産した。

対空部隊を戦力で勝る航空隊で押しつぶし、攻撃機は目標の戦艦へと迫る。

守る壁を失った戦艦に為すすべはなく、無数の爆弾に降られて船体を大きく傾かせていく。

船体を立て直そうと努力するものの、次から次へと爆弾が投下されていき、地に落ちる以外の選択肢は消去されていた。

爆弾を一通り投下すると航空隊は基地へ帰投していく。


 彼らが去った後には臓物と血を撒き散らした兵士、黒く焦げたり砲塔が吹き飛んだ戦車、巨大な鉄くずと化した戦艦、そして言葉を失ったブルーノが残された。

「陛下……」

艦隊の動きや戦力を映し出すモニターから目を離さないブルーノを心配してシェリンガムが声をかけた。

「損害はどれほどだ」

「正確な数字はまだわかりません。各艦の艦長や地上軍からの連絡から推測すると、陛下の直属艦隊は20隻以上、アトキンソン艦隊は15隻以上、地上軍は対空部隊が壊滅、歩兵、機甲師団の損害も甚大なものとなっているものと思われます」

「そうか……」


 ブルーノは手を組んで額をそこに乗せて顔を伏せた。

「これではエイブラムに申し訳が立たないではないか……」

誰にも聞こえない、虚空に霧散してしまいそうな声でつぶやいた。

忌み嫌う者たちを愚弄も蹂躙も殲滅もできていない。

そのための力すら失おうとしている。

エイブラムへの誓いを果たす機会が彼の手から砂のようにさらさらと零れ落ちていく。

そんな気さえブルーノは感じていた。

「約束は……守らないとな……」

「陛下、どうかなさいましたか?」

シェリンガムが訝しむ顔でブルーノを見つめる。

「いや、なんでもない。このままではここの戦線を維持できない。エギルの味方に合流する」

御意と言い残し、シェリンガムはどこかへと消えた。

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