バックハンドブロー
340年4月9日
2ヶ月の間、勝利したとはいえ、苛烈な攻撃を受けて相当に消耗していたムスペルヘイム軍は、態勢を整えて反攻に転じた。
その情報を聞いたとき、南方総軍総司令官アンブローズは喜んだ。
ここで勝利して戦争に終止符を打つ。
その為の戦力もある。
戦前から開発が推し進められ、ムスペルヘイム侵攻の段階で量産体制に入った新型戦車が配備されたのだ。
機動力を犠牲にして手に入れた強力な90ミリ砲と、頑強な120ミリの正面装甲を誇る重戦車のT-7。
装甲、主砲を共に強化してT-6より一回り大きくなったが、新しい駆動機構によって機動力が落ちるどころか向上したT-8。
2種類の戦車が戦力を大幅に失ったB軍集団に配備された。
さらに2個艦隊がC軍集団に加わった。
準備は万全だ。
イルダーナ軍はフェンサリルで補給を終え、フェンサリルから130キロ離れたヴェルザンディに布陣した。
左翼にC軍集団、右翼にB軍集団、右翼の後ろにB軍集団が控えている。
両軍の艦隊は互いを射程に捉えた。
「撃て!」
どちらが先に命じたかわからない。
わかることはいま現在砲火が交えられていることだ。
砲火が空を焼き、翼をもがれた鉄塊が地面に降り注ぐ。
地を征く鋼鉄の騎士たちは、砲弾を次々に撃ちこみ、相手のみならず地面に大穴を穿つ。
T-7の90ミリ砲が敵の射程外からの攻撃、アウトレンジで驚異的な戦果を挙げている。
近づこうとした敵はことごとく砲弾の餌食となった。
敵に乱れが生じると、T-8が突撃し、混乱を拡大させる。
この状況を不満そうにアルトゥールは見ている。
「こんなことになるのなら、2ヶ月前に多少無理してでも追撃すべきではなかったのでは?」
ムスペルヘイム軍の旗艦で、最前線の状況を次の作戦に生かすという名目で、首席参謀として参戦しているアルトゥールが言った。
「君は撤退するイルダーナ軍の陣形を見ていなかったのか?」
軽蔑するような眼差しで、今回の作戦指揮を任されているコルネリウス元帥が言った。
自分を見る目に相当な怒りをアルトゥールは感じた。
心の中で火山が大噴火している。
溢れ出た溶岩で容赦なくコルネリウスを跡形もなく消し去る。
拳を握りしめ、必死に感情を表に出さないようにしているアルトゥールは固く誓った。
「U字型の陣形です。左右の軍団は継戦能力があるので、攻勢の勢いは必然的に最も後退し、尚且つ疲弊しきった中央へと流れます。そして中央の落とし穴に落ちた我が軍は左右両翼からの側面攻撃を受け、翼包囲の状態に陥り、こちらは壊滅する。そう仰るのですか?」
「当たり前のことを聞くな」
「ですが、敵中央、敵の呼称するところのA軍集団は、我が軍の地上部隊の活躍により、なんとか秩序を保っているぐらいにまで損害を受けたのです。翼包囲が完成する前に、中央突破が可能であったと小官は愚考いたします」
「左右に控えるA、C軍集団に挟撃されて敗北するのが目に見えている」
コルネリウスが言ったとき、B軍集団の動きが大幅に鈍った。
新型戦車が動かなくなったのだ。
大型化した車体を動かすのに開発された新しい駆動機構が複雑な為に、初期不良が続発してしまった。
飢狼のごとく敵に襲いかかっていたT-7、T-8は死んだかのように動きを止めた。
「今です! 右翼に攻撃を集中させましょう!」
熱っぽく話すアルトゥールを疎ましげに一瞥したコルネリウスは不機嫌そうに敵右翼へ主戦力をぶつけた。
MT-7は機動力を駆使して敵へ迫り、必殺の一撃を叩きこむ。
新型戦車は次から次へと空に煙を昇らせていく。
陣形をずたずたに引き裂いて、B軍集団を蹂躙する。
航空艦隊は誤射を恐れて反撃できない。
アンブローズはB軍集団の崩壊は予想していた。
というより、崩壊を前提にした作戦なのだ。
迫る敵の方が、戦力が多いのだから、いくら新型戦車がいるとはいってもいつかは限界がきて突破される。
B軍集団が崩れて、勝負をここでつけようとするムスペルヘイム軍がそこに殺到したとき、敵軍の先鋒以外が手薄になる。
そのときを狙って、B軍集団が戦場を迂回してムスペルヘイム軍の側面、後方を強襲する。
しかし、B軍集団に穴が開けられるタイミングが早すぎたことと、予想以上に崩壊したことが作戦にとってのイレギュラーとなってしまった。
迫る敵の方が、戦力が多いのだから、いくら新型戦車がいるとはいっても、いつかは限界がきて突破される。
「C軍集団をB軍集団のフォローに回れ」
C軍集団が右翼に回ると、左翼、すなわちヴェルザンディ南部を敵に明け渡すことになる。
それ以前に、交戦中に右翼へ移動するなど困難なことだ。
だがエイブラムはそれをやってのけなければならない。
「彼はなかなかの難題を持ちかけてきますね。まあいいでしょう、期待に応えて見せます」
エイブラムは直ちに命令を下した。
「第2陣は第1陣より多数の部隊、第3陣は第2陣よりも多くの部隊を展開してください。このように部隊数を後ろに下がるごとに増やしていくのです」
彼の命令で、先に行くほど細くなっていく陣形が出来上がった。
先鋒の少なさを見たムスペルヘイム軍が襲いかかる。
第1陣はあっけなく崩れた。
第2陣、第3陣と突破していく中で、敵はイルダーナ軍の陣を突破するたびに戦力が増強されていることに気付いた。
このままでは消耗戦になる。
エイブラムの意図を察知したムスペルヘイム軍は一時撤退した。
その間にC軍集団も撤退し、右翼の援護に回る。
そしてA軍集団は次の作戦行動に移行した。
******
「ヴェルザンディ以南を占領したそうです。後は崩壊寸前の右翼を叩けば我が軍は大勝利です」
「言われずともわかっている」
コルネリウスは鬱陶しそうにアルトゥールをあしらった。
「それよりも、本隊の守りがあまりにも手薄すぎる。全体的に前に出すぎだ」
「ここで下げる必要がありますでしょうか? 我らが勝利することが確実な段階で、守りに入る必要性はどこにも存在しません」
「そのような考えは軽率だ」
自分の考えが否定されて、再び全身を怒りに満たされたとき、艦内に衝撃が電流のように走った。
「イルダーナ軍がこちらの右側面に接近しています! その数は不明ですが、かなりの大軍です!」
通信手の言葉で艦内の状況が一変した。
勝利の美酒が注がれたグラスが叩き割られたのだ。
「前進している部隊をこちらに退かせろ! ここの守りを固めるんだ!」
後退が間に合うわけがなく、側面を強襲したB軍集団の圧倒的な戦力の前に蹂躙される。
何筋もの光線が艦体に突き刺さり、のたうち回って爆散する。
「ここは我らだけでも撤退しましょう。こちらに向っている前衛は占領した南部に転進し、それを援護する為にこちらは反撃しつつ後退するのです」
「それしかないのか……」
アルトゥールの進言の内容をそのまま全軍に伝えた。
しかし、イルダーナ軍は逃げる本隊への追撃を行わなかった。
「連中はわかっていないな。自分たちの首にそれほどの値札はかかっていないのだよ」
アンブローズは窓の遠く向こうにいるコルネリウスとアルトゥールに、侮蔑の感情のこもった笑みを投げかけた。
「正面の敵を追うな。転進し、B、C軍集団と交戦中の敵の背後を攻撃しろ」
興味が失せたように、本隊にそっぽを向いて新たな獲物に喰らいついた。
後退して本隊の援護に向おうとしていたムスペルヘイム軍主力は混乱に陥った。
主力は占領したヴェルザンディ以南へと転進を試みる。
「逃げる気か。勝手に終わらせないでくれたまえ」
アンブローズは敵の進路を塞ぎとめるべく、A軍集団の左翼を伸ばした。
壁に当たり、恐慌のムスペルヘイム軍。
パズルのピースが次々に失われ、部隊の形を喪失していく。
包囲網が完成し、殲滅戦へと移行しようとしたときだ。
「本隊がこちらへ急行しているだと!」
作戦通りにA軍集団が動かなかった為、A軍集団を誘い出すべく本隊が戻って来たのだ。
戦況が再び変転しようとしている。
この流れを断ち切る訳にはいかない。
「我らは本隊を迎え撃つ。A、C軍集団は主力への攻撃を継続しろ!」
ムスペルヘイム軍主力はわずかな間隙を逃さなかった。
A軍集団の攻撃対象が変わった瞬間から、速やかに部隊を建て直し、包囲網を突破して戦場を脱出した。
それを確認すると、A軍集団との交戦を停止して、本隊も戦場を離脱した。
イルダーナ軍に追撃するだけの余力は残されていない。
「我らは負けたのだよ。それも大敗だ。こちらの勝利条件はこの地を守ることじゃない。ムスペルヘイム軍を殲滅することだ。それができなかった以上、我らの負けだ。ただ消耗戦をしていただけだ」
ヴェルザンディで“後ろ手からの一手”に失敗した頃、ホルス戦線の激戦地ヴェレスでも敗北した。
ヴァルフコフの展開したゲリラ戦術によって、補給物資が最前線にまで届けられず、兵力では有利なはずなのに弾薬欠乏で各地区での戦闘で敗北を重ねた。
ダスティン率いるホルス方面軍は、これ以上の消耗に耐えきれず、ヴェレス攻撃を中止した。
ブルーノはこれらの敗戦を受けて、ホルス戦線を西部の大都市シズレクまで、ムスペルヘイム戦線はムスペルヘイム西部(ルーン人が多数居住する地域)の南方を放棄して、フェンサリルを中心とした西部北方地域にまで戦線を縮小することを決定した。
こうしてミッドガルド、アルフヘイム、ルーン、ホルス西部、ムスペルヘイム北西にまたがる東西に長い巨大な突出部<バルジ>が形成された。
そして戦争の帰趨を決定付ける、第2次大陸戦争最大規模の戦いが始まる。
******
ヴェルザンディでムスペルヘイム軍が敗れたという情報は、戦闘終結したその日のうちにニブルヘイム皇帝アルフレートの耳に伝わった。
「陛下、今こそ参戦のときです。イルダーナがムスペルヘイム戦線で消耗している今が、イルダーナを討つ絶好の機会です。これを逃す手はありません」
ヒルデブラントが積極的に参戦を促す。
「総参謀長の仰る通りです。ここで参戦して、戦後のイルダーナ、もしくはムスペルヘイムの肥大化を阻止しましょう」
皇帝直属艦隊参謀長兼ニブルヘイム軍参謀次長のラッシ・アハティラが言った。
アルフレート自身も、ムスペルヘイムが味方するという条件付きでの参戦は視野に入れているので、参戦することに依存はない。
「そうだな、イルダーナに対して宣戦する。この戦いは偏屈な民族主義の打倒と、悪しき共産主義の封じ込めの為である。そのことを十分に理解してもらいたい。これは従軍する者全てに周知してもらいたい」
「御意」
2人の参謀が同時に膝を折って口にした。
340年4月13日、ニブルヘイム帝国はイルダーナ帝国に宣戦を布告した。
その瞬間、大陸全ての国が当事国となった。
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