バルジを討て 前編

 ニブルヘイム参戦の情報はイルダーナ上層部に大きな衝撃を与えた。

ニブルヘイム軍は20個艦隊を二手に分け、ホルス、アルフヘイムに攻め込んできたのだ。

「ホルスのことはボイエットに任せる。アルフヘイムに来る敵は6個艦隊で迎え撃つ。こちらが到着するまで、ルーン駐留艦隊のアトキンソン中将にアルフヘイムを死守してもらう」

エルウィン・アトキンソン率いる4個艦隊は、アルフヘイム北部の都市エイルに進駐した。


 エイルと進軍するニブルヘイム軍の間には渓谷が広がっており、その間を縫って艦隊を進ませることになる。

しかし、渓谷は10個艦隊がまとまって進軍するには狭すぎる為、どうしても分進行動をとらざるをえない。

戦力の劣るアトキンソンが敗北を回避できるか否かは、分進中のニブルヘイム軍に対してどのような行動をとるかにかかっている。


 アトキンソンは指揮官席の前に机を引っ張り出し、現地の拡大地図を広げた。

そして、指を4本立てて渓谷の2か所を、指を2本折って1か所を指し示した。

彼は指示を出すときは決まって言葉を発しない。


 指し示した3か所は行軍可能なルートで、4本のところは幅が広く、2本のところは他の2か所よりも狭い。

立てた指の本数は敵が行軍する艦隊の規模である。

無口なアトキンソンに代わって、副官のリリーホワイト大尉が参謀たちに説明した。

この副官は、アトキンソンが戦艦の艦長を務めていた頃からの副官で、彼の挙動だけで指示を理解することができる唯一の人物である。


 アトキンソンは渓谷の右側面を指でぐるりとなぞり、4本で指し示した箇所のひとつを指さした。

「これより、この箇所へ進軍し、敵を撃滅します」

これを聞いた参謀たちは訝しそうにリリーホワイトを見た。

「各個撃破を狙うなら、こちらより戦力の劣る2個艦隊の敵を狙うのが上策ではないか?」

参謀長のローランド大佐の発言をきっかけに、他の参謀も次々と疑問の声をあげた。


 それらの声に対して、アトキンソンはただ右手を前に出して、制止を促しただけだ。

たったそれだけで、この場の空気が沈み込んだ。

彼はそれだけの威圧感を持ち、人心を掌握しているのだ。

「直ちに作戦準備に移ります」

ローランドがそう言い、他の参謀たちも自分の職務へと戻っていった。


******


「どうしても兵力を分散しなければいけないのか?」

マックス・ベーレントは渓谷の地形図を見て言った。

「はい、地形の問題で、そうせざるをえません」

副官が答えた。

「渓谷、兵力分散……いったいどこのグニパヘリルだ」


アルフレートが初めて艦隊を率いて戦ったグニパヘリル渓谷の戦いは、総数で敵を凌いでいるにもかかわらず、兵力を二分して数的優位を失い、さらに行軍を急ぎすぎた為に陣形に綻びが生じた状態を作ってしまったがために、各個撃破されている。


「仕方ない、私が2個艦隊を率いるから、残りの8個艦隊は二手に分かれて分進せよ」

「提督、たったの2個艦隊では危険です。司令官が率先して死地に赴いてどうするのですか」

「敵もまさか一番兵力の少ない部隊を指揮官自らが率いているとは思わんよ。敵がどちらかの4個艦隊と交戦しているうちに、残りでエイルを確保しよう。我々は迅速にイルダーナ占領地域奪還作戦の橋頭堡を確保しなければいけないからな」

「わかりました」


艦隊が三方に別れて進みだす。

戦車が荒地を踏みしめて走破する。

どの部隊も固い緊張に包まれている。

数年ぶりの国外出兵ということもあるが、いつ敵が仕掛けてくるかわからないという恐怖が主因だ。


「後方より敵! その規模は最低でも3個艦隊以上! 接敵まで3分です!」

複雑な渓谷の地形の為、魔術師が敵の存在に気付くのが遅くなってしまった。

探索魔法で敵を捕捉した魔術師の報告を通信手が代弁した。

報告を聞いたのは、渓谷の中央を突破している4個艦隊の指揮官だ。


 彼はすぐに命令をくだした。

「反転して迎撃せよ」

愚策だ。

敵の前で回頭することは、シールドの展開できない側面を晒すことなのだ。

さらに、狭い渓谷で大軍が反転するには時間がかかってしまう。


 反転する4個艦隊に、狙いすました赤い光線が突き刺さる。

針で刺された風船のように消え去る戦艦。

一瞬のうちに秩序が崩れ去った艦隊。

狭いところに密集していたので、砲撃を受けた戦艦が衝撃で付近の戦艦に衝突し、二次被害が続発している。


 ようやく反転を終えて、敵に対して正面を向いたとき、交戦して勝利する状況ではなくなっていた。

敵はほぼ無傷の4個艦隊に対し、ニブルヘイム艦隊は満身創痍の2個艦隊が残っているだけだ。

「撃て……」

4個艦隊だった部隊を率いている提督は、力なく命じた。


******


「なんだって! 中央の艦隊が壊滅、右翼の艦隊が奇襲を受けて交戦中だと!」

残念そうに報告する副官に対し、マックスは苛立ちを隠せない。

「ああ、わかったよ、ここはグニパヘリルだ。きっと敵の指揮官は皇帝陛下なんだろうね」

肩を落として、自嘲気味に笑った。


「だがな、こちら側の指揮官は違う。俺はそう簡単には負けはせんよ」

瞳がギラギラと輝いた。

そこには壊滅するイルダーナ艦隊の姿しか見えていないように映る。


「残存部隊はエイルを占領しろ。それと、本国に増援を要求してくれ」

「かしこまりました」

忠実な副官は、その任を果たすべく動いた。


 そして艦隊は近くの湖に着水し、地上部隊は何の抵抗もなくエイルを占領した。

ここまで無事に辿り着いた艦隊は5個艦隊。

半数も艦隊を失ってしまったのだ。

「あれほどの損害を出してしまった以上、ここをなんとしても死守する」


 エイルは、イルダーナ占領下のアルフヘイム攻撃の足ががりとなる橋頭堡なのだ。

そこを一度占領したのだから、手放すわけにはいかない。

後進の部隊の為にも、ここを確保して、次の作戦につなげるのだ。


「ところで、対空部隊はまとまった数は揃っているのか?」

副官は頷いた。

「それはよかった。さっき我らに噛みついた連中には、対空部隊だけで迎え撃ってもらおう」

「対空部隊だけですか……」

「ああ、そうだ。これで十分だ」

「わかりました」


 副官は命令を理解し、直ちに実行段階に移した。

準備ができた頃、エイルの北にアトキンソン艦隊が出現した。

が、彼は攻撃を開始しなかった。


 彼にはわかっていた。

地上の防空態勢が強固であることを。

「地上部隊を仕留め損ねていたのか……。残念だが、攻撃は危険すぎる」

そうローランドが語った。

「ですが、戦力差では我が軍が有利です。数の暴力で敵を屈服させることは可能です」

リリーホワイトはそう言うがローランドは不服だ。

「その通りだ。だがな、我らが陛下の増援があるように、敵にも後続がある。ここで少ない戦力をすり減らすわけにはいかんよ」


 2人のやり取りを聞いていたアトキンソンは遠くに見えるエイルを見た。

そこは急速に防備を固めた、速成の要塞。

陛下が事を急いて強引な力攻めをしなければいいのだが。

そう胸の中で思った。


******


「そうか、エイルは敵の手に落ちたのか。で、アトキンソン艦隊が対峙しているのが現状か……」

リジルの指揮官席で現在の戦況を聞いた。

ブルーノ率いる6個艦隊は、エイルを目前としている。

「こちらとアトキンソン艦隊を合わせれば、敵の2倍となる。これで我らの勝利だ」


 ここでニブルヘイム軍に大打撃を与えて勝利すれば、参戦したばかりのニブルヘイムを早々に舞台から退場させることが現実味を帯びる。

そして余剰戦力を南方に振り向けて、ムスペルヘイムとの決戦に臨む。


 敵艦隊接近。

ブルーノはその言葉を参謀から聞くと、軍帽を脱いで天に掲げた。

「我らに栄光ある勝利を!」

軍帽を持つ手を勢いよく振り下ろした。


 開戦だ。


ニブルヘイム軍の規模は5個艦隊。

これはエイルにいる全艦隊戦力だ。

全力をこちらに差し向けている。

ということはエイル北部の守りは薄い。


「アトキンソン艦隊にエイルの北から攻撃するよう命じろ」

命令は電報で伝えられた。

そしてアトキンソンは悪い予感が当たったこと苦々しく思った。


「若い指揮官はどうも攻撃に積極的すぎるきらいがある。陛下に対空部隊のことを言っても、数で押せと言われるだろうから、具申するだけ無駄だろう」

ローランドの言葉の通りだと言わんばかりにうなずくアトキンソン。

そんな彼の瞳は諦観に染まっていた。


「さて、行きますか」

リリーホワイトの言葉を聞いたローランドは艦隊に進軍命令を伝え、アトキンソン麾下の艦隊は進みだした。

その先には対空砲火が待ち構えていることがわかっている。

だが進まざるをえない。

帝国軍人は君主に絶対の忠誠を尽くすもの。

その命に逆らうことはできない。


「まずは地上部隊を先行させて、厄介な対空部隊を排除してもらう」

エイルを北から攻める場合、市街地侵入経路は2つある。

そのうちのひとつは対戦車砲、ライフルがひしめいている。

もう一方は鉄条網と塹壕で守られている。

もちろん後者のルートを進む。


 鉄条網を踏み越えて、塹壕に迫る。

塹壕にはライフルや機関銃で身を固めた兵士がこもっている。

そんな兵士たちがいる塹壕の手前まで進むと、急に方向転換した。

履帯が大量の土砂を塹壕に撒き散らす。

土砂が雨あられとなって、塹壕にいる兵士たちへ襲いかかる。

兵士たちは圧倒的質量の土砂が降り注ぐ中、叫び、そして天に手を伸ばすことしかできなかった。

土砂は兵士たちに覆いかぶさり、呼吸することを許さない。

土砂からは兵士たちが埋もれる直前に伸ばした無数の腕が、空をかかげている。

その腕を引く者は誰もいない。


 銃声の響き渡る戦場の不気味な静寂。

伸ばした腕が、埋もれた者たちの生きることへの執着、未練をまざまざと見せつける。

腕の生えた土砂の上を、戦車の群れが通過する。

死者がその場に残した気持ちを見向きもせずに踏みにじるのだ。

歩兵を生き埋めにし、前進を続ける機甲師団。


 そんな師団の先頭を行く戦車が、何の前触れもなく、突如爆発した。

履帯が吹き飛び、砲身が真っ二つにへし折れる。

動くことをやめた戦車の横を、後続の戦車が次々と通過してゆく。

そして先ほど同様突然爆発して、空へ昇る黒煙を増やしていく。

彼らは地雷原に突入してしまったのだ。


「機甲師団を退かせろ」

アトキンソンは地雷原から機甲師団を撤退させた。

「そういえばアルバート・ベアード中将は、地雷原を戦艦の対地砲で一掃したそうだな。我らもそれを見習うとしよう」

アトキンソンは速やかに艦隊を前進させた。


 地雷原を射程に捉えるには、対空砲の射程圏内に入らなければならないが、機甲師団が対空部隊を撃破せずに艦隊を突入させるよりよっぽど損害はマシなものだ。

地を叩きつける対地機関砲。

空を舞う対空砲。

砲弾が交錯し、空間を火線が彩る。

地雷が爆発し、空中戦艦が空に散る。

戦艦が羽をもがれた天使のように落ちていく。

次々と地雷は爆発して、地雷原は灼熱に包まれる。

焼けた大地を戦車が駆け抜ける。


 地雷原を抜けるとエイルはすぐそこだ。

迎え撃つは90ミリ高射砲。

対空砲ではあるが、対戦車砲の数が足りなかったために、高射砲を水平にして用いている。

射手は敵の来襲を、エイルの入り口に用意したバリケードの向こう側で待ち構えている。


「こっちに来ているぞ」

双眼鏡で地雷原の方角を見ていたニブルヘイム兵が言った。

「なんだって! 地雷原を突破したというのか!」

動揺する迎撃部隊の兵士たち。

ここにいる兵士たちは新兵が多いのだ。


「狼狽するな! 落ち着いていれば何も怖くねえ!」

何とか落ち着きを取り戻す兵士たち。

「いいか、俺が合図したら一斉に撃て。いいな?」

一様に首を上下させた。

「よろしい」

隊長が右手を挙げ、90ミリ砲は弾が装填されていつでも撃てる状態になった。


 イルダーナの中戦車T-8が姿を現した。

厚い装甲に、長い主砲。

その重厚感に新兵たちは圧倒される。

引き金にかけた指が音もなく震える。

「まだだ、もっと引きつけないとダメだ」

履帯が地面を踏みしめる音が近づいてくる。

その音が兵士たちの鼓膜を震わせる。

T-8が近づくにつれて、射手の目が大きく見開かれる。


「撃て!」

引き金が引かれた。

まっすぐ目標へ向かう徹甲弾。

それは標的の砲塔を正確に撃ち抜き、戦車としての生命を終わらせた。

しかし戦車は次から次へとやってくる。

「撃て、撃て!」


 慌てて撃った弾は、T-8の頑強な装甲に弾かれてしまった。

戦車の反撃が始まる。

強力な主砲で対戦車部隊を狙って砲撃を浴びせた。

「しゃがめ!」

直後、バリケードは消滅した。

あっけなく崩れ去ったのだ。

敵の侵入を妨げるはずのバリケードがその職務を、まるでゴミを捨てるかのように、簡単に放棄してしまったのだ。

砕け散ったバリケードだったものの残骸が対戦車兵に降り注ぐ。


「くそったれ!」

隊長はバリケードの残骸の中に、砲身と台座を失って、無残に横たわる高射砲の姿を認めた。

彼らは高射砲の他に、戦車に対抗できる武器はない。

対戦車ライフルも吸着地雷もない。

部隊を飲み込む絶望の波。

誰もが諦観した。

その時だ。


 空からエンジン音を響かせて攻撃機がやってきたのだ。

機体側面の国籍識別マークを見てニブルヘイム兵たちは歓喜した。

ニブルヘイム軍の援軍5個艦隊が到着したのだ。

艦隊と一緒にやってきた攻撃機だが、これは航空基地所属のものではない。

戦間期の間に、先帝エアハルトが秘密裡に開発を指示していた空母から出撃したものなのだ。

5個艦隊のうちの1個艦隊は戦艦の上部を改装して空母になったものが主体の空母艦隊である。


 攻撃機が地上の戦車を薙ぎ払う。

戦車は空からの攻撃にはまったくの無力だ。

攻撃機はアトキンソン艦隊にも襲いかかる。

アトキンソン艦隊に航空機はなく、一方的に蹂躙されることを許してしまった。

攻撃機に陣形をかき乱され、そこを狙って5個艦隊が砲撃を叩きこむ。

艦隊は秩序を失い、戦艦個別で戦うような状況に陥ってしまった。


 エルヴィンは親指で後ろを指した。

「後退せよ!」

副官が麾下の部隊全軍に命じた。

それが秩序なき状況下でどれほどの意味を持つかは誰にもわからない。


 一方ブルーノ指揮下の艦隊も、アトキンソン艦隊の危機的状況を聞いて後退を始めた。

アトキンソン艦隊の救援に行きたいのだが、マックスに進路を塞がれてそれができないのだ。

「なんとか勝てたか。ところで援軍の将は誰だ?」

副官が増援艦隊の旗艦と連絡を取り、誰かが判明した。

その人物とはニブルヘイム皇帝アルフレートである。

「陛下が自ら兵を率いてきてくださるとは……」

彼はその後アルフレートに感謝と、多数の戦力を失ったことを謝罪したのであった。


******


340年4月14日 東部戦線


 ホルス軍はイルダーナ軍が戦線を西部のシズレクにまで後退させたことを受け、ホルス中部に進出して、共和国時代の首都であるネストルに作戦司令部を置いて新たな作戦を練り始めた。

そしてホルス軍は、シズレクを攻撃して奪還のみならず、イルダーナ軍主力を殲滅すべく動き出した。

しかしこの男は反対である。

「ここで大勝利をあげて士気高揚につなげたいんだろうが、俺から見れば無謀な軍事的冒険だな。イルダーナ軍を討つには艦隊戦力が少なすぎる。こっちはわずか6個艦隊しかないのだぞ」


 ヴァルフコフは今回の軍事行動を批判した。

ホルス軍の艦隊は、開戦前は23個艦隊であったが、フィンブルの冬作戦で壊滅した結果が現在の状況である。

失った戦力の補填の為、歩兵は革命的主義者戦士同盟を作ることで補うことに成功したが、彼らは対空火器を保持しておらず、対歩兵、対戦車戦しか行うことができない。

それらを迎え撃つイルダーナ軍は8個艦隊である。


「戦う前から結果は見えているじゃないか」

旗艦のブリッジの指揮官席で言った。

「提督、発言が危険かと……」

副官が目線で後ろを見るように促した。

「ん、なんだ?」

彼らの後ろには政治将校のクーツェンがいる。

「なんだ、君か。まだ前線に顔を出しているのか」

「あなたのような危険因子を監視することも私の役目ですから。特に先ほどのような、軍の士気低下につながる発言をしたときに、警告を与えるなどのことをします」

「どうだ、恐れ入ったか」と言いたげな、得意げな顔をしている。

「虎の威を借る狐の言葉など軽いものだとは思わないか?」

愚弄されたと感じたクーツェンは怒りで肩を震わせた。


「さて、私は左翼を任されたわけだが、敵はどこに攻撃の重点を置いてくるか……」

攻撃する側であるはずのホルス軍だが、彼は攻撃を受ける側の発言をした。


******


シズレク イルダーナ軍東方総軍司令部


「さて、今回の迎撃はどうしようかな」

東方総軍司令官ダスティン・ボイエットは笑顔でいった。

彼は敗北の可能性を考えていないのだ。

「ホルス軍などヴァルフコフ将軍以外大したことなどない。よって無様に負けることなどありえません」


「いかなる相手、状況であっても油断は禁物かと。して、今回の作戦はどういたしましょう」

副官が尋ねた。

「艦隊を3つに分ける。2個艦隊2つ、4個艦隊1つだ。それらで3方面から時間差攻撃を仕掛ける」

「それでは各個撃破されてしまいます」

「わかっているよ。だから発見のリスクを下げる為に夜間に作戦を行う」

「そうですか。大体の狙いはわかりました。しかしこうもあからさまに餌をちらつかせると、敵はこちらの策に乗ってくるものとは思えませんが」

「敵の状況を鑑みて、こちらの手に乗るしかないよ。間違いないね」

「わかりました。夜間戦に備え、敵の位置、進路を把握する為、偵察機を飛ばします」


 日中は偵察機を撃ち落す以外は、戦闘らしい戦闘はなく日は沈んでいった。

そのとき既にイルダーナ艦隊は作戦発動の号令を今か今かと待ち構えていた。

「さて、ここからが本番だ。まず敵の左翼を2個艦隊で側面から攻撃してもらう。交戦開始後にもうひとつの2個艦隊で右翼を攻撃。そして最後に私が率いる4個艦隊が作戦を締めくくる」

ダスティンは副官に目くばせした。

準備にぬかりはないか確認をとったのだ。

副官は黙って頷き、問題なしと行動で伝えた。


「左翼への攻撃を開始せよ!」

攻撃を仕掛けた2個艦隊ではあるが、ホルス軍はこれを捕捉している。

「全軍をもって敵2個艦隊を叩く」

ホルス軍司令官は命じた。

「たかだか2個艦隊ごときに全軍を投じてどうする! 2個艦隊はこちらで対処する旨を旗艦に伝えろ」


 ヴァルフコフは苛立つ。

あまりにも味方の行動が稚拙すぎる。

これは開戦間もない頃から言えることだ。

これは戦術レベルの問題だけでない。

戦争を知らないアルバトフ委員長が戦略に口出ししている。

それが練度の低い軍をさらに弱化させている。

国土に一寸たりとも侵入を許さないとして、イルダーナ軍が発動したフィンブルの冬作戦に対抗するために、イルダーナ占領地域に接している国境地帯全域に戦力を展開したのだ。

ホルスにそれだけの範囲を十分な兵力でカバーできるだけの戦力を用意できない。

にも拘わらず、自身の権威の為に無謀な指示を出したのだ。

これは国家の私物化ではないか。


「11時方向より敵艦隊接近! その規模は推定2個艦隊!」

通信手の声で、思考の世界から現実に旗艦したヴァルフコフ。

「直ちに迎撃態勢をとれ。司令部に我、敵と遭遇せり、これより交戦に入ると打電しろ」

「了解しました」

砲火を交える両軍。

両者の戦力は同等。

撃てども撃てども陣形が崩れる気配がまったく見えない。


 その均衡を破るように、中央、右翼艦隊が戦場に殺到してきた。

「この規模の相手にわざわざ全艦隊を動かす必要などない、戦力過多だ! 司令部に退くよう伝えてくれ」

それだけでなく、こちらの敵に夢中になっている隙を突かれる可能性も存在する。

敵にはそれができるだけの戦力がまだ残っているのだ。

ヴァルフコフはそう考えた。


「2時方向より敵艦隊接近! 規模は交戦中の敵と同等!」

「嫌な思考がろくでもない結果を招いてしまったのか」

退却を開始した2個艦隊の追撃態勢に入ったホルス軍は、多少は動揺したものの、戦力差ではホルス軍が有利な為、すぐに落ち着きを取り戻した。

ホルス軍は艦隊を二手に分けてそれぞれに対応した。


 追撃する3個艦隊と応戦する3個艦隊。

ヴァルフコフは追撃を任された。

2個艦隊はひたすら逃げるだけで、応戦らしいことは何ひとつしない。

ヴァルフコフはそんな艦隊を、気が進まないが追いかけている。


 もう一方の戦場では苛烈な砲撃戦が繰り広げられている。

しかしイルダーナ軍が数で勝るホルス艦隊の砲撃にじりじりと後退を始めた。

ここぞとばかりにホルス軍が突出したとき、ついにイルダーナ軍主力の4個艦隊が姿を現した。

押されていたイルダーナ2個艦隊がにわかに反撃に転じた。


 風向きが変わった。

戦況の急転に動揺するホルス軍。

イルダーナ軍6個艦隊に対してホルス軍は3個艦隊。

そこにイルダーナ軍対空戦車部隊が加わり、地上からも火力の奔流にもまれることになったホルス軍。

ホルス軍地上部隊は対空戦車を排除しようとするが、重戦車T-7の長射程高威力を誇る90ミリ砲と、それと同口径の迫撃砲のに阻まれてしまった。

ホルス軍の歩兵に120ミリの装甲を撃ち抜くことができる装備は持っていない。


 満足な支援を受けられないホルス艦隊は空中と地上からの圧倒的な火力で、一方的な戦いを強いられ、戦闘継続ができる戦艦を、急速に数を減らしていく。

悲報がヴァルフコフのもとに次から次へともたらされる。

「味方の救援を行う。このような局面になった以上、追撃は無益だ」

艦隊を反転させ、一方的な戦いが繰り広げられている主戦場へと急行する。

移動している間にもホルス軍は被害を拡大させている。


「右翼艦隊壊滅! なお敵は航空隊を投入しているようです」

「やむを得ん。射程外アウトレンジ攻撃だ」

ヴァルフコフの左翼艦隊はイルダーナ艦隊を射程に捉えていない。

砲撃を開始したが、敵にあたる直前に光線は途切れて霧散してしまう。

イルダーナ軍はホルス軍が接近していることがわかったことだろう。

「これで敵の気を引くことができればいいのだが」


******


「敵がこちらの側面に現れたか。囮を追うことをやめたということか」

そうダスティンは考えた。

このままでは側面を衝かれてこちらが崩壊してしまう。

かと言って正面の敵から側面の敵に攻撃の重点をシフトすると、態勢を立て直した正面の敵に反撃されてしまう。

兵力を分けてそれぞれで応戦するのはもっとも愚かしい。


「後退せよ。このままでは側面攻撃を受けてしまう」

ダスティンは応戦ではなく後退を選んだ。

自軍が状況、兵力共に有利な場面でこのような判断を下したのだ。

「本当によろしいのですか?」

副官が尋ねる。


「これでいいのです。これ以外に最善の手段は、思いつかなかったよ」

ヴァルフコフの出現は、彼にとって美しい白の中の場違いな黒い一点を思わせた。

「何もともあれ、シズレクを守るという勝利条件をクリアしたから勝者は我らだな」

ヴァルフコフのことはいったん忘れ、勝利の美酒を味わうことにした。

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