勝機

 20キロ先にグリトニルがある。

B、C軍集団とグリトニルの間には広大な湿地帯が広がっている。

「航空隊が先行して制空権の確保してもらう」

飛行場から次々と銀翼が空へと舞っていく。


 イルダーナの戦闘機は強力な30ミリ機関砲と、1900馬力を誇る星形空冷18気筒エンジンを搭載した優秀な戦闘機である。

大きいプロペラが空を切り裂き、後続の攻撃機を護衛している。


「来客だ、歓迎してやれ」

飛行隊長アップルトンが不敵に笑った。

イルダーナ軍航空隊の先にはムスペルヘイム軍の航空隊が待ち構えている。

「ブレイク、ブレイク、散開して的にならないようにしろ!」

イルダーナの航空隊は陣を解いて散開した。


 アップルトンの機体は高度を上げた。

「あいつだな」

彼は標的を定め、機首を下げる。

強力なエンジンと運動エネルギーが相まってかなりの高速で敵機に襲いかかった。

「落ちろ!」

30ミリ機関砲の発射ボタンを押した。

ムスペルヘイムの戦闘機は、主翼に大穴を開けられてバランスをふらりと崩す。

ふらふらと螺旋を描き、姿を雲の下に隠した。


「1機撃墜」

自信に満ちた声で言った。

「さて、次の獲物は……」

アップルトンは周囲を見渡す。

「……見つけた」

新たな獲物を発見して目標へ急行した。

敵はアップルトン機の存在に気づいて逃走する。

「こいつから逃げられると思うなよ」

エンジンがうなりを上げる。

敵機は降下して速度を上げてから再び上昇する、遅い機体が速い機体に対抗する機動を試みて突き放そうと、必死にもがく。


 しかし、アップルトンは降下する敵機を射程に捉える。

機銃の発射ボタンに指をかけたとき、敵機は急に上昇した。

アップルトンはこの動きに追従できず、前にでてしまった。

「しまった!」

彼の進行方向には対空機関銃の姿がある。

半ば無意識のうちに操縦桿を引き倒す。

銃弾が機体の真下を通り抜けていった。


 アップルトンは何とか回避できたが、他のパイロットはそうはいかなかった。

対空砲の射程圏内に誘い込まれて撃ち落される機体が続出した。

航空隊によって制空権を確保することができなかったので、艦隊による地上部隊の直接援護をすることになった。

アンブローズもエイブラムもこのことの危険性を承知した上での行動だ。

制空権を確保していない為、地上部隊は塹壕を掘りながらゆっくりと前進することになった。


 本当は、艦隊と同時に機甲師団が動いて対空部隊を撃破して、艦隊行動の地上の障壁を無くしたいところだが、路面状況が最悪なために戦車がまともに動けないのでできないのだ。

その最悪な路面、劣悪な環境の湿地帯を歩兵は進むのだ。


 兵士たちは地面を掘るよう言われて困惑した。

彼らの前に広がるのは、水分を多分に含んだ地面。

掘れば掘るほど水が底から滾々と湧き出る。

湧き出る水は兵士の足を濡らす。

冷たいそれは兵士からじわじわと熱を奪っていく。

凍傷者や水虫患者が続出し、塹壕の外で足の指に薬を塗る人が日を追う毎に増えていった。

戦闘をしていないのにも関わらず負傷者が増えていく状況下で、突如、突撃命令が出た。

グリトニルの守備隊の一部が別方面へ転進したのだ。


******


339年1月16日。


 補給を受けられないことを想定して、物資を満載した輸送艦を引き連れて、B軍集団は進軍している。

彼らはまず、基地を確保しなければならない。

そこでグリトニルから約300キロ離れたイズン湖基地の攻略を目指した。

グリトニルから離れたところを進むのは、敵にグリトニル後背への攻撃の意図を隠すためだ。


 イズン湖基地は巨大で、重要拠点なので、ムスペルヘイム軍も大勢駐屯している。

昼間攻撃では犠牲が大きいことが予想される為、夜間に奇襲をかけることにした。

「地上部隊、攻撃開始」

アルバートの攻撃命令が下された。


 戦車が隘路を高速で移動する。

気付かれていない。

敵に動きがないのを見て、隘路を抜けて平原へ出た。

敵はいない。

確かにいなかった。

だが戦車は何の前触れもなく炎上した。

1輌だけじゃない。

次々と深淵に炎を上げていった。

彼らは地雷原に踏み込んでしまったのだ。

「まずいな、戦艦の対地機関砲で地雷原を撃って進路を開け!」


 艦隊が動いた。

7個艦隊が夜空を切り裂き、地雷原上空にその威容を見せた。

「撃て!」

無数の銃弾が地面を叩きつけた。

着弾すると、途方もない爆音が平原を満たす。

火柱が高々と立ち上り、夜空を焼きあげる。


 地雷原は焼き払われ、焼け野原を機甲師団が疾走していった。

ムスペルヘイム軍も、駐留部隊が多いと言えど、28個師団のイルダーナ軍の前には敵わなかった。

彼らができた反撃は、ミサイルの艦隊への飽和攻撃ぐらいだ。

この攻撃の前にはB軍集団も大きな被害を出した。


 占領した基地を突貫工事で修復して、補給作業に移った。

ここからグリトニルへは4つの主要都市を抑える必要がある。

そこを抑えなければ、補給線が危うくなるからだ。

「さて、どうしたものか……」

アルバートは悩んだ。

予想以上に艦隊が損害を受けたのだ。


 そして彼は決断した。

「艦隊はイズン湖で温存し、地上部隊は航空隊の支援を受けつつ目標を達成せよ」

後から来た航空隊は、補給を受けると、慌ただしく出撃した。

それに続いて地上部隊も出発した。


 地上部隊は順調に進んでいたが、最初の主要都市で苦戦を余儀なくされた。

街へつながる主要なルートには何もいなかった。

「余裕じゃないか」

戦車兵は言う。

直後、戦車の両側からエンジン音が響いた。

「何事だ?」

周囲を見て何事か確認しようとした。


 そこで彼は見た。

地中からムスペルヘイムの戦車が顔を出したのだ。

「待ち伏せか!」

突如現れた機甲師団の前に、有効な反撃などできるものではない。

「航空支援を!」

通信手は無線で悲鳴のように言った。

「全速前進!」

反撃できない以上、強行突破するしかない。


 側面から苛烈な攻撃を浴びせられ、次々と鋼鉄の戦士を鉄の塊に変えていく。

前方を進む戦車が破壊されて動けなくなると、後続の戦車が道を通れなくなり、動きが止まったところを狙い撃ちされていくのだ。

鉄塊となった味方戦車を乗り上げて、強引に突破を図っているところにようやく航空隊がやって来た。


 だが、地上部隊の地獄はまだ終わらなかった。

「早く助けてくれ!」

そう叫び、体を乗り出して空に手を振る戦車兵に、無慈悲な鉄の雨が降り注いだ。

雨を体中に受け止めた兵士は、仰け反って戦車から転げ落ちた。

落ちた兵士を後続の戦車が轢いた。

通り過ぎると、顔面がプレスされてぐちゃぐちゃになった兵士がいた。


「誤射だ! こっちは味方だ!」

通信兵が無線に向って怒鳴った。

それでも銃弾は味方に当たり続ける。

敵と味方の距離が近すぎるのだ。

援護すべく敵戦車を攻撃しても、攻撃が全て当たるわけではない為、すぐ近くにいる味方にも当たってしまう。


 敵を壊滅させたとき、味方も壊滅していた。

そのことはアルバートにも伝えられた。

同士討ちの件は彼を落胆させた。

暗澹とした気分にさせたのはそれだけでない。

アルバートは、ムスペルヘイム軍の大部分はグリトニルにいるという情報を得ていた。

が、実際はどうだろうか。

奇襲とはいえ、大軍を壊滅させるだけの大規模な部隊が存在している。

「大規模な待ち伏せを実行するだけの戦力があるとはな。ほとんどがグリトニルにいると聞いていたのだが……。まさか守備隊の一部をこちらに差し向けたというのか」


 地上戦力を失い、こちらに守備の重点を向けている以上、B軍集団がグリトニルを攻略することは難しい。

こうなったらB軍集団が囮としてグリトニルを攻撃し、A、C軍集団に攻略を任せるしかない。

「航空艦隊浮上せよ。目標はグリトニル。進路は先行した地上部隊と同じとする」

補給と修復を終えた大艦隊が離水した。

一斉に離水すると、湖の水が波立ち、艦影は遠くなっていく。

そしてもう一方の場所では血みどろの戦いが繰り広げられている。


******


 グリトニルの守備隊が減少したことを受けて、B、C軍集団は総攻撃を開始した。

「撃て、撃て!」

砲弾が地面に着弾し、泥を巻き上げる。

ただでさえ移動が困難な湿地帯が、さらに歩きづらくなる。

迫撃砲を撃とうとすると、足場が安定せず、砲身が傾いてあらぬ方向へ撃ってしまう。

まともな砲撃支援を受けられない歩兵は、グリトニルからの正確な砲撃に晒される。

工兵が塹壕を掘っている間、他の兵士は砲撃に晒されながら反撃しなければならない。

有効な反撃はできないが、それでも工兵の前に立ち、攻撃を必死に防いでいる。


 空中戦力も地上を援護すべく、地上の敵陣地を対艦砲で斉射した。

赤い光線が地上に達すると、街の外縁部が瞬時に炎に包まれた。

しかしグリトニルの対空部隊は反撃を試みた。

対空戦車と対空砲を総動員して空を銃火で埋め尽くした。

圧倒的物量で迫る弾幕の前に航空艦隊は、1隻、また1隻と戦艦を地に落としていく。

これ以上の交戦は困難と判断して艦隊は後ろへ下がった。


 その情景を見た地上の歩兵は絶望した。

敵より勝っているものは艦隊戦力しかない。

それが活動できないのなら、もはやこの戦いに勝算はない。


「塹壕に入れ!」

泥でできた塹壕にその身を隠した。

なんとも頼りない塹壕だ。

近隣に砲弾が落ちただけで崩れてしまいそうな予感さえする。


 機関銃を載せた三脚を塹壕の前にセットし、射撃体勢をとった。

泥に三脚の足の一部が沈む。

足場が心配だが、撃たないわけにはいかない。

引き金を引くたびに三脚が沈んでいく。


 遠くから風を切る音がする。

それは急速に近づいてきた。

それは炸裂し、周囲に死をばら撒いた。

泥の塊が機関銃の銃口を塞ぎ、使い物にならなくした。


 そこに突撃するムスペルヘイム兵が迫ってくる。

敵の反攻の始まりだ。

「俺たちは攻めていたんじゃなかったのかよ!」

歩兵は機関銃を遠くにぶん投げて、マシンガンに持ち替えた。

迫る敵兵に対して弾幕を張った。


 しかし砲撃で地面が揺れ、立って撃っているため、ただでさえ精度の低いマシンガンではまともに敵に当たらない。

こういうときに三脚で足場を固定してしまえば大幅に命中精度は上がるのだが、機関銃を載せた三脚は遠くへ捨ててしまっている。


 1人の兵士が塹壕に接近した。

迫る兵士に銃口を向けて撃とうとした。

引き金を引いても弾がでない。

「弾詰まり<ジャム>か!」


 叫ぶやいなや、彼は眉間に銃弾を受けた。

足は力なく崩れ落ち、上半身は仰け反った姿勢で泥に倒れこんだ。

そして前線は破られた。

塹壕に手榴弾が投げ込まれ、戦線の穴が拡大していく。


 戦艦アリアンロッドではアンブローズが渋い顔をして戦況を眺めている。

航空支援として艦隊を投入したものの、被害が大きすぎて支援どころではなくなってしまった。

9個艦隊を擁しているのにも関わらず、敵の防空網はそれを凌駕しているのだ。

「いったいどれだけ地上戦力が充実しているというのだ」


 彼がぼやいたところにディートハルトがやってきた。

「報告です。A軍集団の地上戦力は壊滅、その後占領した湖から出撃した航空艦隊は対空部隊の奇襲により大打撃、さらに追撃を受け、占領地を放棄して敗走しているそうです」

「勝機は永遠に失われた。A軍集団が敗れた以上、割いた戦力が追撃終了後にグリトニルに戻ってくるのは明白だ。現状でも危ういというのに、戻ってきてしまえばお終いだ」

アンブローズは嘆息した。


「こちらに物資、兵の補給はないのか?」

「ただいまフェンサリルを出発したところで、1週間後の到着になります」

「遅すぎる」

「補給線が長すぎるのです」

「わかった、補給については何も言わない。今することは現状をどうするかだ」

「艦隊の対地砲で、塹壕に取りつこうとする敵兵を一掃しますか?」

その言葉を待っていたと言った感じに、アンブローズは鼻で笑った。

「誤射には十分に注意を払った上で撃て。A軍集団がこちらに来るまで持ちこたえろ。到着後は作戦を即座に中止し、後退する。後退にあたっては、追って指示を出す」

「承知しました」

命令は直ちに、正確に行われた。


 斉射が行われると、さっきまで塹壕目指して走っていた兵士が皆、泥に顔を沈めている。

これに懲りたのか、ムスペルヘイム軍の反攻は波が引いた。

イルダーナ軍はこれに乗じて再度攻撃に転じるだけの力はない。

あまりにも消耗しすぎたのだ。


 膠着状態に陥ってから3日後に、満身創痍のA軍集団は何とか軍隊としての秩序を維持して、B、C軍集団に合流を果たした。

3人の軍集団司令官は協議の結果、A軍集団が中央、B軍集団が右翼、C軍集団が左翼を担当し、A軍集団が素早く、フェンサリル近郊まで後退し、両翼は緩慢な動きで後退した。


 この戦いの後、アンブローズは対ムスペルヘイム戦線を担当する、新設された南方総軍の総司令官に元帥として着任した。

アンブローズはアルバートと同時期に大将に昇進している。


 フェンサリル近郊に到着したとき、彼がアリアンロッドの自室でワインを飲んでいると、アルバートが訪ねてきた。

「ずいぶんと飲んでいるようだな」

ボトルは既に2本開けられている。

「だが素面だ。お前も飲んでいくか?」

アルバートは喜んで飲み会に参加した。


「ところでだ、この戦争に勝てると思うか?」

「この戦争とはムスペルヘイム戦線かホルス戦線のどちらだ?」

アルバートが尋ねた。

「決まっているだろ。“第2次大陸戦争”だ」

「勝てるかなんて知らん。俺は戦略家ではなく、戦術家なんだ」

「そうか、それはそれでいい。ただこれだけは言っておく。この戦争は必敗だ」

「まさかな」

理解できないと言う。

「戦域を拡大しすぎたんだよ。次の1戦でムスペルヘイムの主力を叩いて、講和に持ち込むべきなんだ」


「戦略のことは陛下に任せておこうじゃないか。そういえば、ダスティンは元気にやってるかな?」

ホルス戦線を任された友人の名前を出した。

久しく会っていないせいか、懐かしさをアンブローズは感じた。

「ヴェレスで悪戦苦闘しているそうだ。さっさとケリをつけて、あいつも交えて酒を飲みたいな」


 アンブローズはワインに目線を落とした。

それは禍々しいまでに赤い。

「俺たちが流してきた血はこれよりも遥かに多く、そして濃い」

アルバートは黙って頷いた。

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