地獄の扉は開かれた

ホルス人民共和国 ヴェレス



 イルダーナとホルスの戦争の焦点はヴェレスへと移った。

ムスペルヘイムからの援助物資の移送ルート上の中間地点で、半島の付け根という要所であり、ホルス屈指の工業都市でもある。


 イルダーナ軍指揮官のダスティン・ボイエット大将はこれまでの功績が評価され、大将に昇進したばかりだ。

「うーん、美しくない」

彼は旗艦の指揮官席から遠目でヴェレスを見て言った。

「工場が無秩序に並んでいるだけの街などゴミ箱のようなものだ」


 と言うと、彼はロケット砲がヴェレスを射程に捉えたか幕僚に尋ねた。

「たった今射程圏内に入ったばかりです」

「航空艦隊と同時にヴェレスへ向けて攻撃する。その後直ちにヴェレスへ突入せよ」

「了解しました」

赤い閃光が街に刺さり、ロケット砲の豪雨が降り注ぐ。

各地で火の手が上がり、被害のほどが窺える。


 一方のホルス軍の指揮官イグナチェフ大将はこの状況を乗り越えられるか不安に思っていた。

「戦力差が3倍で、航空艦隊を温存しつつヴェレスを死守せよだと? ふざけたことを上層部は言ってくれるではないか」

「これ以上の発言は国家に対する反逆とみなします」

政治将校のクーツェンが警告した。

「ああ、わかっている。ベロボーグの英雄ヴァルフコフが増援としてやってくるだけでもありがたいよ」


 ヴァルフコフはベロボーグ防衛の功労者なので、大将に昇進している。

死守しなければならないという使命感にとらわれたイグナチェフは航空艦隊以外の全戦力をイルダーナ軍が展開している方面に差し向けた。

そこで弾幕を張り、艦砲射撃に晒されながらもロケット砲の攻撃の被害を最小限に食い止めた。


 しかしイルダーナの地上部隊がホルス軍に噛みつく。

赤い矢に射られたホルス軍の防衛陣地は隙があり、そこを狙って機甲師団が市街地への突入を図った。

ホルス軍機甲師団が細い道に敵を誘導し、数の不利を補って応戦する。

そのように紙一重のところで均衡を維持しているところに、イルダーナ軍がロケット砲を撃ちこんだ。

ホルス軍陣地後方を狙って撃ってきたのだ。

後方の指揮所を破壊して指揮系統を寸断しようという意図だ。

ロケット砲が次々に建物に着弾していく中、ひとつの大きな建物に命中した。


******

ヴェレス郊外



「イグナチェフ将軍が戦死しただと! なに、ロケット砲が指令所に直撃したのか」

ヴァルフコフは乗って来た空中戦艦をヴェレス郊外の湖に置いて、ハーフトラックで移動中に先行する味方部隊から無線でイグナチェフ戦死の報告を聞いた。

「またろくでもない状況を任されるのか。たまには有利な戦況で兵を率いたいものだよ」

「まもなく到着します」

げんなりした顔で、運転手の言葉を聞いた。


 川の対岸に赤く燃えるヴェレスを見た。

彼の目には巨大なキャンプファイアに映った。

「ここで降りてください。これは水陸両用ではないので。浅いので歩いて渡れますよ」

「ここで濡れても対岸ですぐに乾いてしまいそうだな」


 ときどき飛来する砲弾に気を付けながら、みぞおちぐらいの深さの川を歩いて渡った。

対岸に渡ってから徒歩5分の位置に新しい指揮所はある。

それはオペラハウスを利用した代物だ。


 彼はそこの入り口で濡れた鞄から乾いた封筒を取り出した。

これは封印指令で、この場合は現地に到着したときに開封するように決められたものだ。

早速封を切って中身を見る。

そこには安物の紙が、たった1枚だけ折りたたまれて入っていた。


 開けてみると、そこにあるのは無意味な言葉の羅列のみ。

「無駄に美辞麗句を使ってるせいで読みづらいかぎりだ。要は犠牲を厭うことなくムスペルヘイム参戦まで死守せよということか。こんな紙切れより兵を寄越すべきだ。それに参戦する保証なんてあるのか?」

周りの参謀は首を傾げるばかりで何も答えない。


「まあいい。どうにもならないほど状況が悪いのはいつも通りだ。まずは全歩兵に敵に十分近づいてから攻撃することと、移動は地下通路を利用することを徹底させろ。ゲリラ戦の恐怖を思い知らせてやるんだ。それと、瓦礫はバリケード、ビルはトーチカだ。さっさと打電して指揮所を移すぞ」

「いったいどこに移動するのですか?」

「前線から150から200メートル離れた場所だ」

「前線から近すぎます! また砲撃されて指揮所が吹き飛びますよ!」

参謀が声を荒げて抗議する。

「どこにいても砲撃は受けて、しかも前線との連絡まで寸断される。それに制空権はない。なら前線に近くて連絡がとりやすく、なおかつ安全な地下が一番いい」


 ちょうどいい場所として地下鉄線ヴェレス中央駅を挙げた。

参謀は納得したが、この男は納得しなかった。

「地下への侵入を許せばおしまいじゃないですか。線路を伝って駅に攻め寄せてきます」

発言主はクーツェンだ。

「指揮所でイグナチェフと一緒にいて生き残った者か。なら地上の危険さがわかるだろ?」

「だから地下は――」

「ええいうるさい。地上よりも安全という観点で地下がいいと言ってるんだ。その程度のことぐらい理解しろ、この低能が!」


 クーツェンは怒りに震え、両手を握りしめた。

「貴様! 上に報告されたいのか!」

「体制を批判した覚えはない。ただお前に現実を教えただけだ。上のご機嫌をとることよりも、戦いについて学んだ方が身のためだとでも言っておこう」

彼は鞄を持って砲撃の応酬の中、駅へと歩いて行った。


******

ヴェレス市街地



「いいか、3つ数えたら突撃だ」

「了解」

革命的主義者戦士同盟の隊員5人が排水口に潜んでいる。


「ところでお前ら、戦闘は初めてか?」

4人は隊長の問いに頷いた。

「そうか、ならここで血と硝煙と人肉の焼けた匂いを覚えておけ」

「隊長は戦場を知っているのですか?」

「ああ。先の大戦の南部戦線に参加した。運悪くムスペルヘイム軍の捕虜になったけどな」

「戦場で一番怖かったのはなんですか?」

「ゲリラだ」

隊長は即答した。


「あいつらはいつ何時襲ってくるか、まるで予想がつかない。夜もやつらが恐ろしくて眠れやしない。一緒にいた戦友なんて恐怖のあまり、精神を病んでしまって病院送りになってたな」

「どうして捕虜になったのですか?」

「夜間歩哨をしていたときに、暗がりから襲われた。気付いたらムスペルヘイム軍のトラックに乗せられていた」

「怖いですね」

「ああ。ん、そろそろ突撃だ」


 隊長は、鉄格子が外された排水口の出口から外の様子を窺った。

外にいるのは4人のイルダーナ兵。

彼らはタバコをふかし、雑談している。


「俺に続け」

隊長が外に飛び出した。

すかさずバラネフ社製のアサルトライフルの引き金を引いた。

後続の味方も隊長に続く。


 突然の出来事に驚くイルダーナ兵。

彼らは応戦することができないまま戦士同盟の隊員の銃火の前に倒れた。

「敵は全滅、こちらの犠牲者はなしか。上々の戦果だ。拠点に戻るぞ」


 彼らが向かったのはアパートの一室。

そこを彼らの所属分隊の拠点として使っている。

「分隊長、ただいま帰還しました。目標地点の敵兵4人を排除、こちらの損害はありません」

「そうか、それはよかった。帰還早々悪いが、レーシーの丘に向ってほしい」


 分隊長は地図で丘の場所を指し示した。

そこはヴァルフコフが渡った川から3キロの地点にある。

「イルダーナ軍がここに大軍を差し向けてきた。ここが落ちると、高所からの野砲による砲撃に晒されてしまう。それを阻止するためにも急行してくれ」

隊長は、レーションを食べている隊員たちを引き連れて丘へと向かう。


 途中、イルダーナ軍の戦車と遭遇したが、物陰に隠れるなどして何とかやり過ごした。

彼らは地下陣地に到着し、敵が来るのを待った。


******

レーシーの丘



「敵機襲来!」

レーシーの丘の戦いはイルダーナ軍の攻撃機の襲撃から始まった。

すぐに対空機関銃で迎撃し、迎撃機が空へと上がる。

その次に来るのは野砲の援護を受けた歩兵と戦車といった地上部隊。


 隊長は部下と共に塹壕に籠った。

「十分引きつけてから撃て。こっちは物資が足りないからな」

「了解しました」

火力支援を受けたイルダーナ軍が塹壕へ迫ってくる。


「撃て!」

機関銃でイルダーナ兵をなぎ倒していく

それでも数が多いことをいいことに、攻撃の手を緩めない。

それでも戦友の屍の山を越えて塹壕へと突撃するイルダーナ兵。

「ちくしょう、まだ来やがるのかよ!」

辟易しながらも引き金を引き続ける。


 イルダーナ軍の砲弾がホルス軍の塹壕陣地に着弾した。

巻き上がる土煙。

吹き飛ばされる肉片。

千切れた腕を見て、実戦経験の浅い戦士同盟の兵士は発狂した。

彼らは腕だけの人なんて見たことなど一度もない。


「うろたえるな! ああなりたくなければ撃ち続けろ!」

隊長が叱咤して士気の低下を食い止める。

「くたばれ、イルダーナ野郎!」


 半ばやけくそになって引き金を引いてイルダーナ兵を撃ち殺す。

弾幕をかいくぐってイルダーナ兵が近づいてくる。

「こっちに来るんじゃねえ!」

近づくイルダーナ兵は銃弾を一身に受け、固い地面に倒れこむ。

しかしまだ息があった。


 倒れたイルダーナ兵は最後に力を振り絞って手榴弾のピンを抜いて、塹壕へと投げ込まれた。

それはトリガーを引く兵士の頭上を越えて、塹壕の中へ入り込んだ。

「しゃがめ!」

手榴弾が炸裂。

外殻の破片が飛び散り、兵士を殺傷する。


 隊長は頭から血をだらだらと流して顔中真っ赤になりながらも、周囲の様子を見た。

誰もかれもが負傷して血を流している。

その中で最もひどいのが、腹を破片にずたずたに切り裂かれて、腸が飛び出している者だ。

「隊長……」

「楽にしてやる」


 とだけ言うと、拳銃でその兵士の頭を撃ちぬいた。

一部の兵士が隊長を凝視する。

「介錯だ」

兵士は再び眼前の敵に集中した。


 イルダーナ軍は疲弊したのか、攻撃の勢いに翳りが見えた。

「突撃せよ」

現場指揮官は命じた。

しかしホルス軍も断続的な攻撃で疲弊している。

それでも彼らは銃に着剣して、塹壕から飛び出した。


 隣の戦友がひとり、またひとり銃弾によって倒れていく。

そこにとどめを刺すように現れたのはイルダーナ軍の航空艦隊。

対地機関砲の嵐が吹き荒れる。


「散開しろ!」

隊長は指示を飛ばすが、圧倒的密度でホルス軍を押し潰す。

「これ以上はダメだ! 退け!」

銃弾の雨の中を駆け抜けて、何とか塹壕までたどり着いた。


 しかし、彼らの帰りを待っていたのは、冷たくこちらを見つめる機関銃。

味方の射手は、ただ冷徹に、ただ義務的に、彼らに銃弾を撃ち込んだ。

「戦場からおめおめと逃げ戻るような敗北主義者は不要である」


隊長は折り重なって横たわる血染めのイルダーナ兵の上に倒れ込む。

「味方に殺されるなんて……ちくしょう……くだらねえ」

隊長はつまらない自分の死を思いながら目を閉じた。


******

ヴェレス市街地



「レーシーの丘の戦況が芳しくないと……地下に潜伏している部隊に丘へ向かう補給部隊を奇襲するよう伝えろ」

ヴァルフコフの命令は直ちに実行に移された。

そんなことを知らないイルダーナ軍は物資を激戦地であるレーシーの丘に運んでいた。


 今回の物資はかなり多く、護衛は大勢つけられている。

護衛部隊の構成はハーフトラックに乗った歩兵と、装輪装甲車が数台というものとなっている。

彼らの数は多く、敵もさすがに手を出さないだろうと思っている。


「装甲車がいるのにホルスの連中も手出しできないだろうな」

護衛部隊の隊長が言う。

「敵襲!」

言ったそばからホルス兵が現れた。

さらに装甲車がビルの上から対戦車擲弾発射器の攻撃が襲い来る。

炎上する無残な装甲車。

ホルス兵があちらこちらから出現し、壊乱するイルダーナ兵


「輸送隊を中心にして円陣を組め!」

しかし一度浮き足立つとなかなか収拾がつかず、ホルス兵に対して有効な反撃ができない。

護衛部隊は崩壊し、輸送部隊は攻撃に晒される。

輸送に使われているトラックの運転席に手榴弾が投げ込まれ、トラックの動きを封じて、その隙に物資を手際よく強奪していく。

物資を奪うと、ホルス兵は速やかに撤退した。


 この奇襲によってレーシーの丘に物資は届かず、攻撃はしばらく停止された。

ダスティンは短期戦による勝利を諦め、地区を一つずつ確実に占領していく方針を取ることを強いられた。

そうすることで、占領した地区での輸送をより安全なものにし、安全な地域を拡大していこうという狙いだ。


 339年10月2日から幕を上げたヴェレスの戦いは、戦闘開始2か月でようやくヴェレス市の3割を、ゲリラによる多大な犠牲を強いられながらも占領した。

街の至るところに死体が転がり、腐臭を放っている。

撃ち合いがあったところでは硝煙の臭いがする。

破壊された車両付近は油の臭いが充満している。

戦いは年を越しても続き、泥沼の様相を呈するようになっていく。

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